第2部 第25話





 
 洋燈の光がゆらゆらと暗闇を照らし、青を基調とした布を天井から多く吊り下げている室内を海の底のように見せていた。
 暑い気候ゆえ壁材は基本的に見られず、外壁は城本体から少し間隔を開けて、格子状に立てられている。しかし…外観は一般的な城に比べて開放的な筈なのだが、漂う空気は奇妙な緊張感を孕んで暗く淀んでいた。

「城下で魔族の王太子が捕まったという噂は本当ですの?」
「調べさせているところだ。だが…容易には口を割らぬだろうよ」

 赤紫の飲み物を燻らせながら、スヴェレラ王ダイクンは呟く。煮え切らぬその口調に、王妃リディアはヒステリックな声音を上げた。
 細かな透かし縫いの沙羅を幾重にも重ねた衣服は蝶の羽根のように優雅だが、きつい顔立ちと苛々とした佇まは寧ろ毒虫のようだ。
 若い頃からそのような気配は見受けられたのだが、年月は更に明瞭な歪みを彼女にもたらしたようで、見ていて正直気が滅入る。

 手入れの行き届いた褐色の肌にも苛立たしげに朱爪を立てるから、顎の曲がり角が淡く腫れていた。
 
「早く殺して下さいな…!我らの国に呪われた魔族がいるなど、なんと恐ろしい…!」
「しかしな…大・小シマロンの王がなんと言ってくるか…」
 
 ダイクンとしては、王太子を捕らえたとして眞魔国と交渉する気はさらさら無い。王妃ほどではないにせよ、この王もまた魔族を対等な民族とは考えていないからだ。
 国内で《地の果て》が見つかった折りにも、真っ先に鍵と見られる魔族を捕らえて実験を行ったし、それが失敗に終わると箱は小シマロンに売り払った。ただ、この時に支払われた代価が妥当なものであったかどうかがダイクンを悩ませていた。

 スヴェレラは先王の代から小シマロンとの繋がりが濃い国であり、だからこそ《禁忌の箱》を売ったのだが…確かにその金額は暫くの間スヴェレラを潤したものの、相手が大シマロンであればもっと大きな額が動いたのではないか、そう考えてしまう。

 現在、大シマロンは《風の終わり》を失っている。正式には認めていないが、各方面からの情報を合わせ見るとまず違いないだろう。そうであれば、残る2つの《禁忌の箱》よりも、それを無効化させてしまう王太子の方がより高い価値を持っているに決まっている。

『さてさて…だが、額は考えて提示せねばならんぞ?あまり法外な額をふっかければ、今度はスヴェレラを占領される可能性も高いからな…。しかも、大シマロンは場合によっては簡単に約定を破る。表だって行える取引でなければ尚更だ…』

 大・小シマロンは共に征服欲が強い。だからこそ、スヴェレラのような小国は、大・小シマロンの間で吊り橋を渡るような均衡を保たねばならないのだ。

 規模として小シマロンを上回る大シマロンを一人勝ちさせない為に、これまで小シマロンに益するような取引を多く行ってきたが、今回に限っては金銭面以上に悩ましい事情もあった。

 一体何を考えているのか分からないが、小シマロン王サラレギーはカロリアで眞魔国との共同路線を示したという。優れているとはいえ、サラレギーも所詮は16歳の子ども…ひょっとすると、同年代の子ども相手と言うことで情に絆され、王太子に気を許している可能性さえある。

『ふむ…どうしたものかな……』

 ダイクンが酒精度の低い酒を口に含みながら煩悶していると、きんきんと頭に響く声でリディアが叫んだ。

「ちょっとあなた…聞いてますの!?」
「ああ、聞いているさ。だがな…リディア、お前も少しは国の事情というものも考えてみろ。何年にも渡る内戦で国力が疲弊している上に、二年ものあいだ干魃が続いているのだぞ?今やまともな水は酒と同様の値段で取引されている。しかも…法石は早くも採掘力が落ちてきているのだからな…。スヴェレラの生き残りを賭けた国策の中で、そう単純に王太子を斬ることなどできぬさ」

 ダイクンは名君とは言い難い王であろうが、それでも彼なりに国の事を考えている。長い内戦を経て大シマロンの属国という立場から独立を勝ち得たのも、一応はダイクンの手腕であるはずだ。
 民のことは…まあ、《有効に使うべき生きたコマ》と考えている節もあるが、それなりに満足させてやらねば面倒な存在だとは認識してはいる。
 しかし…王妃リディアは、およそそういった国単位の物事を基盤とすることの出来ない女だった。

 敬虔な教会信徒ではあるだろう。だが、その信仰によって成し遂げたいのはあくまで自分個人の救いであり、《立派な信徒》と賞賛されながら神に召されることだけであった。
 今も手の色が変わるほど胸に下げた《聖茨》を握っており、鋭い棘が今にも皮膚を破りそうであった。

 ダイクンはあまり信仰心の強い男ではない。一応大聖教信徒を名乗っているのも、あくまでそれがスヴェレラの国教であるから、信仰しておいた方が色々と物事を進めやすいからだ。
 王妃のように四角四面な摂理を通し、世俗に傾かざるを得ない政治判断に口を挟まれると気力が萎えること甚だしい。一応、生まれた時から信仰という形はとっているものだから、何となく自分のしていることに後ろ暗さを感じるのだ。

『しかし、こんな金のなる木をむざむざと殺すことはないではないか…。一体教会は何を考えておるのか』

 カロリアでの王太子襲撃に、スヴェレラの商人が関与していたと聞いた時にも飛び上がって仰天したのだ。どういうことかと問い合わせてみると、教会の方でも混乱が生じていた。聖都におわす大教主マルコリーニ・ピアザからは《全く与り知らぬ事である》との返事が来たし、ダイクンがより強い結びつきを持っているウィリバルト系の神父からは《王妃様の御了承は頂いております》との横柄な返事が届いた。

『馬鹿が…』

 唾を吐きたいような思いで、ダイクンはリディアから視線を逸らす。夫婦としての営みはとっくの昔に費えており、当初は役目として励んだ性交によってもリディアは子を為すことが出来なかった。あらゆる意味で、ダイクンはこの女に対する興味を失っていた。
 スヴェレラでは基本的に一夫一婦制なのだが、王だけは流石に血筋を残さねばならないという見地から、三人まで妾を持つことが許されている。いずれその息子達の中から跡継ぎを指名することになるのだろうが…。

『リディアの手に掛からぬようにせねばならんな…』

 既にダイクンは、最も気に掛けていた妾腹の息子を一人失っている。リディアが指示を出したという証拠は何一つ無かったのだが、毒杯を煽り吐瀉物の中に突っ伏すようにして死んでいた息子を見た時、直感的に王妃の顔を思い浮かべた。

 蛇のような女。
 ダイクンに対する執着と、神への気狂いじみた信仰だけで生きている女。

 慄然として嫌悪感を抱いたあの日から、性交はおろか触れることも厭うようになった。リディアはその事に気付いているのかいないのか…会話だけは求めて、夜になると部屋を訪れる。

『元々、こんな女を娶りたくなどなかったのだ…』

 しかし、先代王の嫡子がいない状態で、長子でもない妾腹のダイクンが王位に就く為には豊富な財源を必要とした。だから、彼は絡みつくようにして愛を囁く資産家の娘リディアと結婚したのだ。

『ここまで酷い女だとは、あの頃には気付かなかった…』

 苦い物を口に含んだような心地で、ダイクンは瞑目した。
 なるべく清らかで胸が空くようなものを思い浮かべようとして、瞼に映ったのは今は亡き妹の姿だった。

『イズラ…』

 スヴェレラの歴史の中で、彼女ほど民に好かれた姫はおるまい。ダイクンもまた、自分とは似ず爽やかな気性の妹を、不思議な生き物を見るような心地で愛した。
 真っ直ぐで開けっぴろげで、思ったままを口にしてよく乳母に叱られていた。そんな妹が、ダイクンを《お兄様はとっても頭が良いもの、きっと王様としても立派にやっていけますわ》と太鼓判を押してくれた時には、どんな有力者に賞賛されるよりも嬉しかったものだ。

 しかしリディアとイズラとはえらく仲が悪かった。
 政情不安定なゾラシア皇国…それも、王妃ではなく第3妃…言ってみれば、妾のような立場で送らねばならなくなったのは、多分にリディアの主張が関与している。父親まで抱き込んでこの国から出そうとしたのだから、余程嫌いだったのだろう。

 ゾラシア皇国が滅ぶ直前に、イズラが赤ん坊のグレタを送ってきた時にも、まるで汚らわしい物でも見るかのように目を逸らし、命からがら運んできた侍従も遠ざけてしまった。一応は城の中に住まわせていたけれども、扱いは酷かったようだ。たまに目にしたグレタは痩せて顔色も悪く、子どもらしくない暗い表情の子だった。

 孤独の中では無理からぬ事とは思いながらも、花のように微笑んでいたイズラとは似ても似つかぬ陰気さが、ダイクンの親切心を刺激することはなかった。寧ろ、見てはならぬものを見てしまったような居心地の悪さを感じて、故意に視線を逸らしたものだ。

 しかもグレタは、《地の果て》との適合に失敗した男と共に、数ヶ月前に出奔した上、何故かカロリアから《王太子の目を治したい》のだと、スヴェレラのみに存在する薬の材料を寄越せと手紙を送ってきた。

 あの手紙が届いた時のリディアの叫び声が、未だに耳について離れない。《汚らわしい!汚らわしい!!》と連呼して金切り声を上げていたのをどうにか宥めて、問い合わせの手紙も何度か返送したのだが、グレタから具体的に何を求めているのかは知らされなかった。

 おそらく、今回のことは焦れた王太子が直接乗り込んできたということなのだろうが…その中にグレタがいたとして、あの娘をどう扱うべきだろうか?
 幾ら陰気な娘とはいえ、イズラの遺児を処刑するのは流石に忍びない。
 さりとて、庇うには世間体が悪すぎる。

『何もかも、思うようにいかぬ…』

 暗い沼の中に沈み込んでいくような感覚を味わいながら、ダイクンはリディアのいつ果てるとも知れぬ小言を聞き続けていた。



*  *  * 




「おれが…スヴェレラのじょうか町でつかまっちゃったの?しかも《むせんいんしょく》って…タダめしくらって、にげようとしたってこと?」
「…っていう、噂が流れてるんですよねぇ…」

 何とも《判断つきかねる》という表情で、ヨザックはぼりぼりと頭を掻いた。当然、その報告を受けた有利もきょとんとしている。

 スヴェレラにほど近い宿営地までやってきたルッテンベルク軍は、目立たぬように幾つかの隊に別れて宿営している(勿論、いずれも事あらば即座に本隊に合流できるようになっている)。そんな中、目立たぬように商人風を装って侵入したヨザックから、不思議な報告を聞いたのだった。
  
 寝間着を着こんでいた有利は相変わらずちょこんとコンラートの左腕を掴んでいたのだが、この時も《どういうことかな?》と言いたげに、腕越しに《じぃ》…っとコンラートを見上げる。
 回復力の早いコンラートは、旅の間に三角巾を外せるようになっていた。多少痛みは残っているが、ある程度左腕を使うことも出来るので、有利の頬が寄せられても特に痛そうな素振りは見せなかった。

 まあ…この男のことだ。可愛いほっぺがちょこんと引っ付いてきたら、多少痛くても我慢するだろう。

『良いなぁ…』

 ヨザックは少々羨ましくなって、ちらりと村田を見やった。
 同じく寝間着に身を包んでいる村田だが、小脇に抱えているのは枕であってヨザックではない。
 ヨザックだって大怪我をしていても、村田が寄ってくれば我慢するのに…なんて考えてしまう。
 
 じりり…っと近寄ってみるが、村田は擦り寄っては来なかった。

「ふぅん…目的は何だろうねぇ…」
「我々を誘き寄せる為でしょうか?」
「渋谷の所在が分からないならそれもアリだけど、なんせここにこうしている訳だしねぇ。うーん…意味が分からないな」

 有利もコンラートの腕に側頭部を押し当てながら、色々と考えているようだ。

「ん〜…ヨザック、ほかにじょうほうはなかったのかな?おれが一人だけつかまったの?コンラッドっぽい人はいっしょにつかまってないの?」
「いやぁ…それが、別の若い男と一緒だって言うんですよ。《フォンウェラー卿に飽きて、他の男を銜え込んだんだろう》って専らの評判で…」

 ビシ…っ…

 コンラートが有利に飲ませようとして運んだ蜜液の杯が、少し鈍い音を立てた。割れてはいないようだが、柄の部分が幾らか歪んでいる。

「あ…零れちゃうよ。渋谷、早くフォンウェラー卿の手元から蜜液飲みな?水分は現地補給が出来ない状況だから、大切にしてね?」
「…失礼しました。あまりに不快な噂だったもので…」

 くすりと苦笑した村田だったが、すぐ表情は悩ましげなものに変わった。

「ふ…ん。どうも妙な感じだねぇ…。誰かが故意に仕掛けたにしては、何を訴えたいのか分からない。…となると、渋谷と誰かを取り違えている可能性が高いな」
「おれのそっくりさんなのか…。でも、王太子なんてもんとスヴェレラでまちがえられたら、とんでもない目にあわされちゃうんじゃない?」
「その可能性は高いですね。多分、大シマロン辺りに売り払おうって運びになるか、更にこの国の王族が強硬な教会信徒なら、処刑されちまう可能性もあります」
「えーっ!?」

 有利はぱひんと垂直に飛び上がるが、実際問題としてスヴェレラ教会に繋がる信徒が暗殺未遂を行った経緯から見ても、その可能性は十分にある。

「どうにか助けてあげられないかな?」
「うーん…ま、ちょいと状況は見てきましょう。罠だとすりゃあ、一体どういうつもりなのか確かめたくもありますし、どのみちパラスケアの華咲く温室の様子は探らなきゃならないですからね」
「ありがとうヨザック!」

 お礼を言って握手をしようというのか、有利の手がヨザックがいる方にひらひらと舞う。探すような手振りに微笑みながら手を掴めば、すっぽりと収まるそれがきゅう…っと握ってきた。

『可愛いなぁ…』

 こんな愛らしい王太子と間違えるなんて、大した美形なのだろうか?
 そもそも、双黒という要件が満たされているのかどうか…。

 どうにも謎だらけの話ではあるが、確かめてみる価値はありそうだった。



*  *  * 

 

 
「はぁ…困ったのぅ……」

 このご時世、スヴェレラの町で途方に暮れている人物は多いが、老人はその中でもかなり困っている部類に入るだろう。

 正直、ここのところ踏んだり蹴ったりの事態が続いているこの老人は、はるばるホーラト山脈を伝ってアリスティア公国に達し、反転してカロリアを目指していたのだが、その途上で思わぬ足止めを喰らっている。
 そう…お忘れの方も多いと思われるが、彼はかつてカルナス村で有利、コンラート、ヨザックと出会っていた村長、ドントである。

「あの時、儂があんな声をあげなんだら…」
「ああ、アマル兄さんが捕まることもなかったろうさ」
「…すまん」

 不機嫌そのものという表情を浮かべているのは、アリスティア公国から使者として伴っていた双子のうちの一人、カマルという青年である。本来の気性はカッカと来易い方だと思われるが、どうにか訓練によって収めているらしい。その証拠に、逞しい両手が掴んだ膝は色を変えていた。

 彼らはもっと早くカロリアに到着しているはずだったのだが、どうも行く先々で厄介事に巻き込まれてしまう。

 ある時は温泉街でカマルが殺人事件の犯人として疑われ、ドントが探偵よろしく謎解きをしてやったり、またある時はアマルが結婚詐欺の犯人と間違えられて牢に閉じこめられ、誤解を解くのに奔走したりと、まるで地球に於ける特番ドラマのような展開に見舞われていた。

 そんなこんなでどうにかスヴェレラまでやってきた先日…今度はドントがやらかしてしまった。
 食事処で昼食をとっている最中に、隣の席で食事をとる少女をちらりと見たドントは、マントの影から覗く面差しが、自分の知っている少女に似ているように思えて…つい、叫んでしまったのだ。

 《お前さん、ユーリ…ユーリか!?》…少女はビクっと震えて逃げ出してしまった。すると…食事処にいた兵や、荒くれ者の男達が手に手に武器を取って立ち上がり、ドントの首をねじ切らんばかりの勢いで問いつめてきた。

『おい、いまユーリと言ったな!?お前、あいつが魔族の王太子だっていうのか!?』
『い…いや、違う…儂の知っている別のユーリだと思っただけで…』
 
 懸命に誤解を解こうとしたのだが、何しろ時節が拙かった。

 どうやらドント達が旅を停滞させている間に、カロリアで有利はスヴェレラ商人の手で暗殺されかけたらしい。このことから、スヴェレラの民の間では、《双黒の王太子が、悪魔の軍勢を率いてスヴェレラを攻めるのではないか…》との噂がまことしやかに流れていたのである。

 その場は腕の立つアマルとカマルが追っ手を振り切ってくれたのでどうにかなったが、彼らが逃げ切ったことで、余計スヴェレラの町は騒然としてしまった。

 マント姿の少女も兵士達に追い立てられ、丁度袋小路に填り込んでいたところを救いに行って…結果、アマルと少女が捕まってしまった。
 命からがら逃げ出したカマルとドントも、どうして良いのか分からない状況で時を過ごしている。備蓄食糧…ことに水は底をつきかけ、アマルを救い出そうにも、あと二日もこんな状況が続けば救う前に乾き死にしそうな有様である。

「くそ…っ!こうなったら、夜襲をかけるか…!」
「我々だけでか?」
「老人の力など当てにはしていない」
「マムール村やマイマン集落では儂に救われたくせに…」
「………」

 アマルの方はまだ冷静さをもっているが、殆ど変わらぬタイミングで生まれたはずの弟カマルはかなり血の気が多い。円月剣の使い手としては極めて優秀だが、カマルが単身乗り込んでアマルと少女を救い出すには困難が多すぎるだろう。

「カマル、あんたはなんせアマルと同じ顔をしている…。少しでも顔を見咎められれば足がつく。その点、儂は特徴の少ない老人だ。少しマントでも被ってふらふら歩いておれば、捕まっている場所の情報くらいは探れるだろう。な…このまま、物陰に潜んでおってくれ。あんたは何としても生き残って、ユーリとアリスティア公国との橋渡しをして貰わねばならんのだ」
「…全く。ご老人、なんだってそんなに双黒の王太子に肩入れするんだ?」
「前にも話したじゃないか」

 ドントはかつて、魔族と娘の交際を強硬に止めようとして最悪の事態を迎えた。娘は自殺し、恋人もまた後を追って死んだ。《その罪滅ぼしなのだろう》とドントは判じていたが、それでもカマルは納得できない様子だった。

「それを言ったら、儂はあんたの国の大公閣下が何を考えておられるかの方が不思議さ。自分で言うのも何だが、こんな辺境の村長が一度話をしただけで、あんた達みたいな連中をつけてくれるなんて、どうも妙な感じだ」
「…俺も、それは不思議なのだ…」

 この双子を随伴することになった時には、もっと腹蔵に色々と籠もった連中なのかと思った。秘密裏に、大公の思惑を実行するような者なのかと…。
 だが、旅の間に二人とも意外なほど真っ直ぐな気性を持っていることが分かった。

 しかも現在の肩書きこそ重要職ではないものの、アリスティアの英雄と謳われるマルティン将軍の息子達であり、将来を嘱望された青年達であるのは間違いない。

 成長中の若者達に、老人との旅で外界を知らせようと言う視点も無いではないだろうが、それにしたって要件が要件だ。

「一体何を考えておられるものか、残念ながら俺は知らぬ」
「それでよく命令を聞いたもんだな」
「俺は武人だ」
「難儀な仕事だねぇ…」

 多少納得がいかなくとも、拒否はできぬというわけか。

「ふん…何とでも言え」
「まあ良いさ。とにかく、今は少しでも情報が欲しいし、何を考えておられるにせよ忠実な武人殿を預けて下さった大公閣下の恩義には報いねばならんだろうさ」

 そう言うと、ドルトンはいっさんに偵察へと向かった。



*  *  * 




『困ったことになったものだ…』

 弟とドント老人に心配されているアマルはこの時、やはり困った状況に陥っていた。
 ただ、今のところ恐ろしい拷問に掛けられるとか、そういった扱いは受けていない。ドントが眞魔国王太子と取り違えた少女とは離され、狭い独房に閉じこめられているだけだ。

『俺が魔族かどうかを確認しようとしているのかも知れないな…』

 カマルに比べると幾らか冷静な気質のアマルは、静かに室内の状況に注意を払っている。高い場所に小さな天窓があるのだが、そこから差し込む陽光によって壁や床面の一部が妙な光沢を呈しているのに気付いた。おそらく、個体では販売経路にのせることのできないクズ法石を壁材に埋め込んでいるのだろう。一つ一つは小さく効力も弱いだろうが、純血の魔族などであれば確かに苦しめられることだろう。

『人間である俺には効果など無いが…問題は、人間だと知られた時の対応だな』

 父のマルティン将軍ならともかくとして、直接交戦したことのないスヴェレラ軍人がアマルの出身地に気付くことは無いと思うが、万が一と言うことがある。

『大公閣下は我々兄弟に、《眞魔国王太子の器を見定めよ》と命じられた。何か公(おおやけ)には出来ない事情で、閣下は王太子と繋がりを持ちたいと思っておられるのだ…。しかし、それはあくまで秘密裏に行われなくてはならぬ事なのだろう』

 アマルなりに、魔族と繋がりを持たねばならない理由について、様々な可能性を考えてみたのだが、未だ納得のいく理由というのは掴めない。強いて言えばアリスティア公国の祖となった国家が魔族との深い縁を持っていることだが、何故今更…という気もする。先代大公の時代には遡るが、数十年前に勃発したシマロン・眞魔国間の大戦では、アリスティア公国は中立を保っている。求めに応じて物資などを供給したという点に於いて言えば、シマロン側に立っていたといっても過言ではないくらいだ。

『今…そう、まさに今どうしてもアリスティア公国が魔族と繋がらねばならない理由…』

 半透明の硝子に目を凝らすようにして悶々と考え込んでいたアマルだったが、その思索は中途で断ち切られた。

「おい、出ろ!尋問が執り行われる!」
「…」

 何かをもう一歩で掴めそうだったアマルがぎろりと睨め付けると、スヴェレラ兵は幾らかたじろいだが、相手が丸腰であることを思い出して槍を構えると、突っつくような動きで追い立てた。

「早くしろ!」
「そのように喚き立てることはない。こちらは虜囚だ、当面は貴様らの思惑通りに動かねばならんだろうさ」

 アマルは神妙な顔をして鉄格子を抜けると、最初の内は大人しく兵の前に立って歩いていった。しかし、建物の外に出て視線を一巡りさせると…不意に身体を撓らせて身体を回旋させ、凄まじい手刀を背後に立っていた兵士に叩きつけた。

 ゴガ…っ!

 鈍い音がして鼻軟骨が砕けるのを感じたが、同情している暇はない。アマルは素早く兵士の脇から剣を引き抜くと、手に馴染んだ円月刀ではないことを軽く惜しみながらも、喚きながら殺到してくるスヴェレラ兵を突破していった。

 派手な立ち回りにはなるが…今は、この包囲網を抜けていくのが先決だ。


 

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