第2部 第21話 《双黒の王太子襲撃》の報は、世界を震撼させた。 ことに本国眞魔国に於いては、危うく民の感情が《人間憎し》の方向に沸騰してしまうところだった。 しかし、ここで踏ん張ったのがフォンヴォルテール卿グウェンダルである。彼は民意を沈静化させるには正確な情報が必須と見定め、眞魔国内各出版社の記者団を複数カロリアに派遣して取材させた。また、公用の白鳩便まで貸し出して迅速な報道を行わせたのである。 その結果、民は暗殺者が教会勢力の過激派ではあったものの、教会主力とは直接的な関係がないことを知った。また、射抜かれた有利を救う為に小シマロン王とその護衛も力を尽くしたと聞き、更には《風の終わり》襲撃時にみせたフリン・ギルビットの侠気についても高く評価した。 記者達もまた公正な立場から記事を書いた。特に、以前の大陸を知る記者達は王太子の訪問によって彼らが如何に変わったのかを、人間への取材結果も交えて比較報告した。まだまだ無理解や誤解を払拭するに至ってはいないものの、大きな違いとして、《魔族を理解したい》という気運の高まりが上げられた。 『あのお方は、一体どうしてあそこまで我らに尽くして下さったんだろうか?』 その理由を知りたい…。 以前のような疑惑ではなく、素朴で純粋な疑問が人間の中に沸き上がっているのだということが、複数の情報誌で伝えられた。それはフリンと同じように、《尽くしてくれたことに対して、十分な報恩をしたい》という意欲にも結びつくことだろう。 このことで何とか眞魔国内の民意は収まったものの、まだ不安の種は残されている。未だ負傷が癒えない王太子はすぐにカロリアを去ることが出来ず、暫くは大陸での療養を余儀なくされているそうで、彼が帰還してきた暁には盛大にお祝いしようと構えていた面々はしょんぼりと肩を竦めた(有利が失明していることと、薬がスヴェレラの王宮のみに咲く華であることは、流石に上層部だけが知ることとして留め置いている)。 また、眞魔国には王太子の不在により立場が宙ぶらりんになっている面々もいる。春から血盟城において、王太子指導を仰せつかっていた指導官達である。 『取りあえず、王太子が帰還するまでは各領土で指導の準備を進めておくように』 そう通達された指導官達の反応は、まさに十人十色であった。 ひたすら心配して、絹のハンカチを食い破りながら《私がついて行っていればこのような事には…。うう…ユーリ様、何故私ではなくギーゼラを連れて行かれたのですかぁあ〜…》と、恨み節を流している者。 有利回復の為に、清らかな祈りを捧げながら指導の準備を進めていく者。 この隙に…と、自分たち独自の勢力を強化していく者。 そしてその内の一人は記者達と共に、いの一番にギルビット港へと赴いていた。 * * * 「呼ばれて飛び出てジャパネスク…っ!」 特に呼んだ覚えはないのだが、コンラートは勢いよく登場した人物を無碍に扱うことは出来なかった。 階級的に上だとか、恩義があるからではない。 機嫌を損ねた場合、仕返しが怖いからだ。 本人も、《ガン付け一秒、恨み七代》と宣っていたこともある。軽く睨んだだけで、七代先までの子孫が呪われるのだそうだ。 なお、無駄に恨みを買いたくないこの人物は、別に恨みもないのにコンラートの兄をよく地獄に叩き落としている女性でもある。 「アニシナ…久しぶりだね」 「ええ、コンラート。私はいつでも元気ですとも。あなたは元気なのか不元気なのか分かりませんね」 ギルビット港に眞魔国からの艦船が到着すると聞いて、有利の散歩も兼ねて訪れてたいたコンラートは、相変わらず歯に衣着せぬ物言いのアニシナに苦笑したが、ここのところ気を使われてばかりの彼としては逆に気楽な面もある。 「アニシナさん、こんにちは」 「これはユーリ殿下、ごきげんよう。思ったよりもお元気そうでほっとしました」 「うん。みんなに助けてもらったからさ、胸のキズはけっこうラクなんだよ?ホントはもう歩いたりもできると思うんだけど…コンラッドがしんぱいして、なかなか歩かせてくんないんだ。おかげで、うんどうぶそくでさー」 そう…散歩とは言いつつも、有利は一歩も自分の脚で歩くことは許されていない。《傷に障るから》と言われて、時代劇の駕籠のようなものに入れられているのだ。 『これに入っていないとヨザにお姫様抱っこさせますよ』 ギーゼラからそう言われては、抵抗も出来なかったらしい。 また、詳しくは説明していないがこの駕籠に防弾硝子ならぬ防弾線維で編まれていることを、幾らか察しているのかも知れない。 今も駕籠の一部に開けた御簾のような部分をスルスルと上げて、深窓のお姫様よろしくアニシナと話している。 「アニシナさんはどうしてカロリアにきたの?」 「毒と言えばアニシナ、アニシナと言えば毒だからですよ」 そんな呼称、胸を張って自慢する妙齢の女性はアニシナくらいなものだろう。 「おれの目をなおしに来てくれたの!?」 「ええ、今回の旅には私も同行させて頂きます。その前に、ウィンコットの文献について色々と調べさせて頂きますけどね」 「うれしい…!心づよいなぁ…」 「ふふ…」 アニシナは彼女にしては珍しく手放しの笑みを浮かべると、御簾の影から覗く有利をじぃ…っと見やった。 かつての親友の魂を受け継ぐ少年が、やはり親友同様に視力を失っているという事実に、彼女なりに胸を痛めているのかもしれない。 有利からは自分の表情が見えないと知っているせいか、その表情はいつになく優しかった。 距離を離すと視線を合わせることのできない有利の為に、しゃがみ込んで語りかけた。 「もう一つは、コンラートに届け物があるのですよ。出来れば、すぐ領主館に運び入れたいのですが…よろしいですか?」 「うん。なんだろ?グウェンからのさしいれとか?」 「ま、そのようなものです。後は、腕利き医師を付き添わせたいのですがよろしいですか?」 「おいしゃさん?」 有利は少し小首を傾げつつも、こくんと了承の形に首を振った。 「うん、フリンさんにおねがいしてみる」 「よろしくお願いします」 その時になってコンラートは気付いた。アニシナが抱えているトロ箱のようなものが、がしゃがしゃと氷がぶつかり合うような音を立 てていることに。 * * * トロ箱に入っていたのは、とれとれぴちぴち蟹料理…ではなく、特殊なパウチに入れられて凍らされた左腕であった。 「これは…!」 「血盟城内で突然ギュンターが《風がざわめいています》と騒ぎ出した時に、もしやと思ってグウェンダルの保管していた腕を出させたのです。感謝しなさいコンラート。私が気が付かねばこの腕は腐乱死体と化していましたよ?」 死体扱いされたコンラートの一部は、確かに以前見た時のように恐ろしいほどの鮮度は維持していなかった。注意深く保存処理を為されていてもなお、結紮(けっさつ)された断端からは血が滲んでいた。おそらく、《風の終わり》を開放した際に本来の鍵が昇華されてしまったのと同時に、近い鍵であったコンラートの腕もまた自然法則に従うようになったに違いない。 「全く…あなたときたら《風の終わり》の襲撃を想定していながら、この腕を再利用するという頭はありませんでしたね?使い捨てはいけませんよ。限りある資源を大切になさい?」 「面目ない…」 カロリア行きの当初の目的ではなかったせいもあるが、確かに自分の身体を軽視したせいで有利を護りきれなかったという後ろめたさもあり、コンラートはしょぼんと肩を竦めた。 「まあ、そのように素直に謝れば良いようにしてあげないこともありません」 アニシナは満足そうににんまりと笑った。 「さあ、コンラート…移植手術に掛かりましょうか?」 「繋がるのかい…?」 「やってみなくては分かりません」 ごもっとも。 「話に聞く真の鍵の、無節操なまでの接合具合までは保証できませんが…まあ、医師も《保存状態は良いようだし、ま、多分大丈夫じゃないの?》と請け負っています」 それは…当てになるのかならないのか分からない言い回しだ。 ただ、傍らに控えているどこかグウェンダルに似た長身医師は名の知れた外科医であり、彼が請け負うのなら大丈夫かなという気はするし、折角運んでくれた本来の腕を無駄にするのも申し訳ない。 「お願いするよ」 「よろしい。即決即断は重要な要素ですよ。ぐずぐずしていたらそれだけで、鱶(フカ)の餌にしたくなりますからね」 アニシナは料理屋に入って《えっと、何にしよっかな〜迷っちゃう〜》等と宣っている男はそのまま魚介類用の水槽に叩き込むと見た 。 * * * こうして、コンラートはその日の内に腕の移植手術を受けることになった。 やはり自然法則に従っていた腕はある程度劣化していたし、神経同士が有機的に結合するにも時間が掛かるだろう。気の長いリハビリも必要かも知れない。 それでも、手術が終わって間違いなく自分自身の腕がそこにあることを知った時、やはり何とも言えない懐かしさを感じた。 数多くの戦場で受けてきた疵は、多くが辛い記憶も刻んでいたのだけれど…それでも、そのことを覚えているということは掛け替えのない財産なのだ。 「いたくない?コンラッド…」 病床で安静を申し渡されているコンラートと一緒にいたかったので、有利はお願いして一緒の部屋に寝台を置いて貰った。有利自身もまだ負傷者の部類に入るので、衛生兵としても都合が良かったのだろう。 「麻酔が切れてきたせいか、だんだん痛くなってきたね」 「上様におねがいして、なおしてもらおうか?」 「上様もきっとお疲れだよ。それに…痛いのも嬉しいんだ」 「コンラッド…いがいとドM?」 「どちらかというと、寝台でユーリを気持ちよく苛めて啼かせるのが将来の夢だけど…ユーリになら苛められても良いかな」 からかった代償に苛められそうに有利は、見えない視界の中でぱたくたと手を振った。 艶やかに誘いかけるような声音が色っぽすぎる。 「え…えと、あの…」 「冗談だよ。ほら…痛いのは、繋がっている証拠だろう?」 「ん…そうだね」 「この腕で…今度こそ、君を傷つけたりさせない」 巫山戯ていた表情を払拭すると、厳かな仕草で手首にキスをした。《もう一度、俺と共に戦ってくれ…》、声帯を震わすことなく誓いを捧げる。二度と…あんなのは御免だ。 しかし、決然としたコンラートの誓いに有利は少し心配そうだ。 「まずは自分のこともだいじにしなよ。アニシナさんも言ってたけどさ、あんたは自分のことにはおおドンブリなんだもん」 《大雑把》と《丼勘定》が混在しているようだが、内容的には伝わった。 「そうだね…君と娘の為にも、これからは身体に気を付けるよ」 自分で言ってみて、なんだか妻の出産を機に人間ドックをちゃんと利用する夫みたいでくすぐったい。 「そうだよ〜。もう、あんただけのカラダじゃないんだからね?」 …こちらは妊娠が判明した妻の方か。 「グレタはどうしてる?」 「しゅじゅつがうまくいったって分かったあとは、バルトンさんとなにか話しているみたい」 「そうか…。スヴェレラについて、なかなか良い報告が得られないのかも知れないね」 スヴェレラについて話題が及ぶと、熱々の二人といえど幾らか空気が沈むのであった。 * * * 王太子襲撃事件から数週間の後、カロリアでは旅立ちの準備が整えられつつある。 その中で、スヴェレラに向かう陣容も明らかになってきた。 ルッテンベルク軍は精鋭部隊のみが直接付き従うことになり、主要人物としては有利とコンラート、村田、アニシナの他に、グレタと大教主からの使者バルトン・ピアザを伴うことになっている。 バルトンについては本人の強い希望で随伴することになっており、既にスヴェレラの教会にも便宜を払うよう通達している。 …が、反応は芳しくない。 バルトンからの要請に対して明確な返答を渋り、鯰のようにのらりくらりとした書面を送ってくるのだ。元々スヴェレラでは大教主の敵対勢力であるウィリバルト派が多いとされているから、その影響が強いのだろう。しかし、何も後ろ盾がないよりは教会勢力の強いスヴェレラに関係者が同行してくれることは心強かった。流石に武装勢力が居並んでお迎え…とは行かない筈だ。 グレタは王室に向けて書簡を送っているが、こちらも快い返答は寄越されない。 籍こそ抹消されてはいないものの、ゾラシアの第三后として嫁に行ったイズラ姫の娘となると、王族の血を引くとはいえ元々あまり重要視されていないせいか、《ユーリ殿下の治癒に必要な材料を譲ってください》との願いに対して、《生薬の名を教えなさい》の一点張りなのである。 最悪の場合は盗みに行く予定のこちらとしては、王宮の温室のみに伝えられるラパスケアの華がそうだとはなかなか言い出しにくい。 もしかすると、今回の件に王宮が絡んでいるのだとすれば既に警備網を敷いている可能性もあるが、それでもギリギリまでこのことは秘しておきたかった。 この華の件については村田も頭を抱えている。あくまで新鮮な蜜でなくてはならない以上、そう無茶はできない。もしも生花を焼却でもされていたら、種子があったとしても花をつけるまでに半年はかかるのである。その間に…有利の視神経は不可逆的な損傷を受けて壊死するだろう。 「さーて、どうしたもんかねぇ…。バルトンさん、あなたが何を言ってもあの男はうんともすんとも言わないねぇ?」 「面目ない…」 《会わせてくれ》と自分から頼んできたにも関わらず、バルトンは射手の男から有益な情報を引き出せずにいた。彼がウィリバルトの命令で犯行に及んだという証拠があれば、大教主の座を狙うあの男を牽制することにもなるのだが、射手は頑として口を割らない。 バルトンは毎日のように領主館にやってくるのだが、その度に尋問が空振りに終わるため、自ら《茶菓子泥棒》と自嘲していた。いつもお茶とお菓子を頂いて帰るだけだからだ。 「しかし、正直驚きました…。魔族は尋問に際して拷問を用いないのですね?」 「まぁね」 村田はしれっとして答えるが、実のところこれは魔族一般平均の話ではない。純血魔族の中には人間を毛嫌いするあまり、国際法などまるっと無視して拷問に掛ける者もいる。大体、バルトンの発言から分かるように、ウェラー王家が健在だった時代に発布された国際法などとっくの昔に風化しており、人間国家がこれを魔族に対して遵守した例など皆無に近いのである。 ことに、教会における拷問は地獄のような苛烈さであるらしい。バルトンはとにかくこの拷問が苦手で、そういった話を振るだけでも苦痛に満ちた顔をして、額に脂汗を噴きだしていた。相当トラウマになるような光景を目にしてきたのだろう。 「拷問が日常化していない国家の方々と触れ合うのはとても嬉しいのですが…反面、必要な情報を引き出せない自分に苛立ちも覚えます」 「仕方ないさ。向こうは何せ狂信者だからね。多分、ああいう手合いは拷問による尋問をしたところで、死ぬまで吐かないんじゃないかな?」 その時、バァンと扉が観音開きに開かれたかと思うと、鮮やかな紅色髪の女性が仁王立ちになっていた。 「尋問?私を呼びましたか?」 「ああ…アニシナさん、手術は無事終わりましたか。お茶でも如何ですか?」 流石、双黒の大賢者。アニシナの突拍子もない登場もさらりとスルーだ。 ただ、アニシナはアニシナで気にはしていない。 要するに、お互い同じくらいマイペースなのだ。 「良い香りですね。ですが、時間が勿体ありません。頂くのであれば尋問をしながらに致しましょう」 正体(…)を知らなければ優雅な魔族女性に、バルトンは声を弾ませて挨拶をした。 「ほう…これはお美しい。私、聖都から大教主マルコリーニ・ピアザ様の命で訪れております、バルトン・ピアザと申します。以後お見知りおきを」 「初めまして、私はフォンカーベルニコフ卿アニシナ…人呼んで、毒女アニシナです」 「毒…え?」 目をまん丸にしているバルトンは、おそらく自分が聞き違えたと思っているのだろう。 「ええと…その、尋問をされるとのことですが、交渉術に長けておられるのですか?今後の参考の為に、私も同席させて頂けませんか?不甲斐ない尋問しか出来ず、恥ずかしく思っていたのです」 「ふむ…男にしてはなかなか殊勝な発言ですね。気に入りました。特別に、私の尋問術をとくと見せて差し上げましょう」 この時、バルトンは想像することも出来なかった。 小柄で、ちょっときつめだが可愛らしい容貌をしたこの女性が、世にも恐ろしい尋問術を駆使するかなど…。 |