【第2部】 第2話 頬を紅潮させたフォンラドフォード卿エレルラインが熱心に王太子殿下に語りかけているのを、フォンロシュフォール卿クリムヒルデは醒めた目で眺めている。勿論、貴族の子女として高い教養を身につけている彼女が端(はた)からそうと悟られるほどあからさまな様子を見せることはなかったが、内心では唾棄するような心持ちでいた。 ラベンダー色の上品なドレスに似合う濃褐色の結い髪を巡らせると、クリムヒルデは強張った面差しに侮蔑に満ちた嘲笑を浮かべる。成り上がり者の王太子も、《十一貴族》とやらも、それに阿る女も…全て軽蔑の対象であった。 『父が父なら、娘も娘だわ…』 眞王陛下までがお出ましになったと聞く動乱に満ちた会議の後、必死に王太子殿下に言い訳をするフォンラドフォード卿は、《これが本当に十貴族の当主なのか》と呆れ果てるほど、己の矜持を失っているかに見えた。一言で言えば、酷く見苦しかった。 そもそも彼がフォンビーレフェルト卿の陣営について《双黒の君を眞王陛下の器に》と主張したのも、確固たる信念に基づいたものではなかった。だが、それを殊更に言い立てて自分を被害者であるかのように言い募る姿は誠に見苦しく、フォンビーレフェルト卿ヴァルトラーナも明確な怒りを浮かべて睨め付けていた。 『そうよ…あの方も……』 誇り高きフォンビーレフェルト卿ヴォルフラム…。密やかにクリムヒルデが愛しく想っているあの少年もまた、朱唇を噛みしめて言いしれぬ怒りに打ち震えていた。 そうだ、そうであるべきなのだ。 例え一時的に不利な状況を強いられたとしても、真の矜持というものは局面的な処世術を由とはしない筈だ。十貴族が営々と受け継いできた誇りには、維持するだけの意義がある。少なくとも、クリムヒルデはそうであると硬く信じている。 『白皙の肌を憤怒に染め、麗しき瞳からは研ぎ澄まされた剣の如き雷を放っておられたヴォルフラム様…あの方こそが、真に次代の魔王陛下となられるべきお方なのよ…っ!』 今も親族同士で談笑するビーレフェルト家の面々は、何かと王太子達を気に掛ける宴客を尻目に独自の雰囲気を醸し出している。特にどっかりと構えたヴァルトラーナの周囲には気が付けば多くの大貴族達が集結し、香り立つような宮廷美を醸し出していた。 『そうよ…あれこそが由緒正しき貴族の、あるべき姿だわ』 満足げに微笑むと、クリムヒルデはゆったりとした足取りでビーレフェルトの一団に近寄っていった。さざめくようなレースがふわりと歩足に靡く様は、まこと優美な宮廷の華とみえた。 * * * 「ごきげんよう、フォンビーレフェルト卿ヴァルトラーナ様…」 「ごきげんよう…良い夜をお過ごしですかな」 悠然たる態度で微笑むヴァルトラーナに、最初は遠巻きにしていた貴族達もこぞって彼の元に集まっていた。今や彼は多くの者から《旧勢力》と見なされてはいるのだが、已然として大きな権勢を持つことが、殊更に強く主張しなくとも周囲に伝わっていくのだろう。 古くからの体勢に馴染んだ人々にとって、結局は彼のような男こそが《安心》をくれる存在なのだ。 無責任な《変革》に乗せられてしまうことは、今現在高い身分を持つ大貴族にとっては《失脚》か《権利の減退》を予感させる。その様なときこそ波に乗って更なる権勢を得る者も居ようが、多くの貴族にとっては冒険心よりも恐怖の方が先に立つ。 最初から多くを持つ者は、えてして得る物よりも失う物の大きさに恐怖するようだ。 そのせいだろう、誰もが阿るような微笑を浮かべて、如何にも親しげにヴァルトラーナの歓心を得ようとしている。 誰もがこの《岩礁になり得る存在》にへばりつくことで、荒波から逃れようと必死なのだ。 『だが…そのような心持ちで集まってくる連中が、果たして伯父上のお役に立つのだろうか?』 ヴォルフラムは次々に集まってくる貴族連中の中に、彼と同じく《教育官》として選出されたフォンロシュフォール卿クリムヒルデや、その他、シュトッフェル政権下で強い権勢を誇っていた大貴族の姿も見いだした。いずれも誇り高い人々であり、用いる言葉は詩歌のように流麗だが、その端々には王太子やコンラートに対する反感が澱のように凝っている。 『僕は…この連中と手を携えていくのか』 どうしてだか、急に空しさが襲ってくる。 自分の立っている地面がふぅん…っと沈み込んだかのような…空虚な位置感覚に見舞われたヴォルフラムは、眉根を寄せて豪奢な金髪を振るった。 眇めた眼差しでちらりと視線を送れば、楽しそうに談笑しているコンラートと王太子の姿があった。彼らの周囲には続々と人が集まり、賑やかな輪が波紋のように広がっていく。 有利が王太子に、コンラートが正式に十一貴族に任命された日であるのだから祝宴の雰囲気が高まるのは当然のこととしても、彼らの間に吹く清新な息吹が酷く妬ましかった。 『どうして…ここはどんよりと濁って感じられるんだろう?』 自分自身がその一因になっていることを半ば自覚しながら、ヴォルフラムは熱心に語りかけてくるクリムヒルデの声に気の乗らない返事を寄越し続けていた。 * * * 『旧勢力に新勢力の鬩(せめ)ぎ合い…か』 淡々とそんなことを考えては見るが、別段…己を高みに置いて傍観しているというわけではない。寧ろ、どちらの勢力にもつけない自分に忸怩たるものを感じていると言った方が正確だろう。 フォングランツ卿アレクシスは出奔したアーダルベルトの従兄弟にあたり、その容貌は純血魔族の中では珍しいグランツ家の特色…巌のような偉丈夫の風合いを湛え始めている。 ただ、その能力と容貌に見合った自信がつけば、より安定感を醸し出せるのだろうが、今のところは幾らか鬱屈とした影を帯びているようだ。 王太子殿下の《指導官》としてグランツ家から輩出されたアレクシスは、どの陣営にとっても複雑な立場にいる。アレクシス個人がどうこうではなく、家門自体の問題である。 矜持の高いビーレフェルト家の陣営にとっては、会議で反旗を翻した《裏切り者》。王太子殿下側から見れば、たちの悪い《裏切り者》を輩出した家門と見なされよう。後者については《地の果て》の開放実験に、よりにもよってフォンヴォルテール卿グウェンダル閣下の親族にあたるエリオルを捕らえ、小シマロンに引き渡したのが…かつてグランツ家の当主候補であったアーダルベルトだからだ。 100歳を少し過ぎた年頃のアレクシスはアーダルベルトよりも20年ほど若年であるが、豪放な剣豪であった彼のことを非常に尊崇しており、彼も自分を買ってくれているものと思っていた。しかし、アーダルベルトが出奔してからこの方、彼がアレクシスに連絡を取ることは無かった。何故人間の側について眞魔国にとって傍迷惑な行為に耽っているのか、その心情が一体何から来ているのか理解させて貰う機会はなく、あの日から…もやもやとした疑問だけがアレクシスの胸には渦巻いている。 今回の人事はアレクシスの実直な性質と、派手さはないが堅実な領土運営の手腕を買われての抜擢であるのだと思う。だが…正直なところ、アレクシスにとってはこのように華やかな場に引き出されるのは苦痛でしかなかったし、王太子殿下に取り入るべく、サーディンのように言葉を巧みに操る事も出来なかった。 そもそも、どの面下げてコンラートの前に顔を出せば良いというのか。 『王太子殿下…双黒の君の故郷で超常的な御技により再び左腕を得られたとはいえ、コンラート閣下は《地の果て》によって、生きながらにして腕を引き千切られたのだ。許して下さるはずもない…』 ウェラー卿…いや、今はフォンウェラー卿となったコンラートはアレクシスにとって輝ける英雄であった。スザナ・ジュリアを介してアーダルベルトとも親交があった数十年前には、親しく声を掛けてくれたこともある。しかし…今となっては彼が傍にいることも、《指導官》としてやっていけるかどうかの不安に繋がっていた。 胃の腑にグっと重い石が詰め込まれたような感覚が、時間を追うごとに増強されていく。魔王陛下がまだ宴から退席されていないのに、臣下であるアレクシスが姿を消すことは無礼以外の何者でもないと理解しているからこうして堪えているが、正直…辛かった。 『このような心境で、一体何年過ごせばいいのだろうか?』 《指導官》の役割は今のところ定義が不鮮明であり、また、身分を定められたその日から任に着くというわけではない。新年の宴と諸侯との顔合わせを終えたところでいったん領土に戻り、地方の有力者達とも計画を練って指導にあたることになっており、今のところ指導の開始は春頃とされているが、正確な日程については改めて通知が来るとされている。 そしておそらく、この任務に終了期限は設定されない。 『いっそ、王太子殿下の機嫌を損ねて罷免して貰おうか』 そんな後ろ向きな発想もちらりと掠めるが、そんなことをすれば、領民に対しても、アレクシスの肩を掴んで《頼む》と頭を下げてくれたユールヴァスに対しても顔向けが出来ない。現当主であり、アーダルベルトの父でもあるユールヴァスはあの事件以降、アレクシス以上に苦しい日々を過ごしていたのだ。アレクシスが宮廷でどのような辱めを受け、苦渋に耐えねばならないか分かった上で頼まれたことなのだろう。 『君はねばり強い男だ。必ず…王太子殿下の信に応えることが出来る』 《信を与えられれば良いのですが》…とは、思いはしても口には出せなかった。ユールヴァス自身、痛いほどよく分かっている筈だからだ。 ユールヴァスと共に面談した際にも、王太子殿下はつぶらな瞳で懸命に話をしようとはしてくれたが、上手く噛み合っていたとは言い難く、こちらも十分な説明が出来たとは思えなかった。アーダルベルトや《地の果て》のことを曖昧にしたまま話を進めようとしたから、余計にそうなってしまったのだろう。 アレクシスはお仕着せをきた小姓に差し出された酒杯を手に取ると、勢いよく飲み下した。決して酒に弱いわけではないのだが、意外にアルコール度数の高かった酒はカ…っと臓腑を灼く。 しかし、痛みに近いその感覚は今のアレクシスにとっては救いでもあった。重苦しい《石》の存在を、一時忘れることが出来るからだ。 ただ、同時にそれが逃避でしかないことに自嘲の笑みも浮かべてしまう。 『情けない…。質実剛健をもって成るグランツの男が、闘いもしない内から尻尾を巻いて酒に逃げているとはな…』 アレクシスは泣きたいような気持ちで酒杯を盆に返した。 そこへ…不意に声が掛けられる。 「どうした、アレクシス。顔色が悪いぞ?」 「こ…コンラート閣下!?」 魔王陛下の第二子であるコンラートはその立場から言えば殿下にあたるのだが、同時に高級士官でもある彼は閣下と呼ばれる方を好んだ。尚武の気質が強い彼としては当然のことだろう。 それはさておき、そのコンラートが目の前に接近していることに今の今までアレクシスは気付かずにいた。武人としては何とも恥ずべきことだ。 「大丈夫か?」 「ええ…お構いなく。少し、人の気配に酔ったようです」 《これまでは、グランツ領の田舎に逼塞しておりましたから》と呟けば、自然と口元は自嘲を滲ませてしまう。卑屈だと分かっていても、グランツ家の者は眞魔国の他領に対してそのような立場を継続せざるを得なかったのだ。 《仕方ない…》そう心に言い聞かせるアレクシスの頭に、ぽかりと拳が当てられた。決して痛いような打撃ではなかったのだが…きょとんとして顔を上げると、口をへの字に枉げたコンラートがいた。 「全く大丈夫じゃないな。アレクシス…君は良い奴だが、くそ真面目すぎるのが玉に瑕だ」 「は…はあ……」 くしゃりと髪をかき混ぜられて、胸腔内で心臓が舞踏を始めそうになった。それも、音楽に合わせずはちゃめちゃな歩様を見せるのだから、見る間に頬が朱に染まってしまう。 「アーダルベルトのことや《地の果て》のことは、君には関係ない。過剰に負債を感じ続けることは、君にとってもグランツ家にとっても良いことではないよ」 「…っ!」 アレクシスの鬱屈を完全に見抜いていたかのように、コンラートは周囲に聞こえぬほどの小声でそう囁いた。 「そのような鬱屈は今日で断ち切って、王太子殿下の力になってくれ。あの方は…仕えるに足るお方だ」 「は…はい…っ!」 アレクシスが背筋を伸ばして敬礼すると、《やっぱり、くそ真面目だな》と笑ってからコンラートは踵を返した。どうやら、人混みに囲まれた王太子殿下の救出に向かうらしい。 『閣下…コンラート閣下!』 王太子殿下がどのような人物であるのか、それはまだ分からない。だが…今のアレクシスの心には、つい先程まで彼を苦しめていた重い《石》はなかった。 『コンラート閣下、あなたのお役に立てるまでしたら…私はどのような責務にも耐えましょう…!』 力強い翼を得たアレクシスの心は、久しぶりに羽ばたき始めたのであった。 * * * 『おや…これは大変だ。双黒の君がお一人でおられるとは…。全く、コンラートは何をしているのでしょうね?』 フォンクライスト卿ギュンターは形良い唇を枉げて不平を鳴らしたが、大広間の中に視線を彷徨わせて《なるほど》と納得した。コンラートはアレクシスになにごとか声を掛けている。おそらく、孤立していた彼を見かねたのだろう。二人の年頃は同じくらいなのだが、アレクシスは過剰にグランツ家の重い負債を認識しているせいか、このような場では影のように息を潜めているのだ。見ていて気の毒…というのを通り越して、少し鬱陶しいくらいである。 『ふふ…面倒見が良い子ですね』 教え子を見守るギュンターの瞳はとろけるように優しい。コンラート自身が宮廷で孤立していたときには、ギュンターが盾となって護ったこともあるから、余計に他人事とは思われないのである。 とはいえ、コンラートが戻るまでに有利が人の波に飲み込まれてしまうのも可哀想だ。そこの所を慮ってデル・キアスンも傍にはいるのだが、おぼっちゃま気質の穏やかな彼は、十分な防波堤になっているとは言い難かった。 今も馴れ馴れしい態度のフォンギレンホール卿サーディンが酒杯と果実とを差し出しており、人間(じんかん)距離は互いの膝頭が密着しそうなほどである。 「双黒の君、どうか私の杯を受け取って下さい」 「えと…あの。おれ…酒はのむのナイ」 「そうですか…それでは、こちらは如何?」 「くだもの、おいしそう」 にこりと微笑んで有利は受け取るが、それはギレンホール領の特産物で、酒と同程度のアルコールを含む紅色の実であった。 大きくお口を開けて拳大の実に齧り付こうとするから、ギュンターは慌てて…けれど優雅な所作で割って入った。 「双黒の君、その実はあまり食べると酔ってしまいますからどうかお気を付け下さい」 「ようの?くだものなのに…」 「ええ、一口くらいなら大丈夫だとは思いますが…」 サーディンが笑顔の奥から《余計なことすんな》と言いたげな視線を刺してくるから、ギュンターの語調も少しばかり緩やかになってしまう。同じ《指導官》の間で、指導開始前に揉め事を起こすのは得策ではなかろう。十一貴族それぞれから《指導官》を輩出することは、これまでの宮廷内派閥を一度精算して、新たな潮流を生み出そうとする取り組みであるに違いないからだ。 「そう?」 有利は初めて目にする果実に興味津々で、《一口なら》との言葉を信じてかぷりと齧り付く。 「おいしい!」 「そうでしょう?ギレンホールの特産で、メルモという実です。秋に収穫されるのですが、冬に雪室で寝かせると更に芳醇な発酵を遂げるのです。酒として醸造された物も美味ですが、幾つか形良く発酵した物は、こうして実のまま口にするのが一番美味しい」 「んー、まいう〜!」 あんまり嬉しそうに食べるものだから、ギュンターもついつい二口目を食べようと唇を寄せていく有利を止めることが出来ない。 『こ…困りましたねぇ…』 実の形状を残して熟成したメルモは特に酒精が強い。甘いのでついつい量を過ごしてしまうのだが、気が付くと結構脚に来てしまうものだ。酔った有利をすぐにどうこうしようというわけではないだろうが、万が一と言うことがある。 そこに、救いの手が差し伸べられた。 正確には…救いの《口》というべきか。 「ユーリ、俺も食べて良いかな?」 「あ、コンラッド!」 自然な仕草で顔を寄せてきたコンラートは、有利の手に握られたメルモにそのまま齧り付く。薄くて形良い唇に薄紅色の果汁が触れると、実に妖艶な印象さえ纏った。 「美味しい…」 「ひゃ…っ!」 指に滴る果汁をぺろりと舐めれば、有利はぴょんっと面白いくらい飛び跳ねて頬を染めた。 「ああ…メルモですっかり酔ったみたいだね?そろそろ席を外そうか」 「え〜?これは…そのぅ……」 流石に一口で酔うことはあるまい。明らかに、有利の頬の赤味はコンラートの舌遣いによるものなのだが…押しの強い態度で押し切られると、有利としては抵抗のしようもなかった。 一通り言葉を交わすべき宴客(相手が拒否していない範囲で…だが)とは対話を成立させていることもあって、促されるまま別室に向かう。 「ご馳走様…サーディン」 「…いや……」 会釈の所作は極めて優美なのに、紅い舌が唇を舐める仕草は野性的な魅力を迸らせるから…それほど酒を過ごした風もないサーディンが、淡く頬を染めている。 『た…誑しですねぇ……相変わらず』 サーディンが口ではなんと言っていても、実のところ自分に気があるのだと言うことを重々分かった上でからかっているのだ。勿論、自分も有利も護れるとの自負の上での行為だろう。 更には、サーディンの目を自分に惹き寄せることによって有利への手出しを牽制しているのか。 褒めたものやら叱ったものやら、少々師匠としては複雑な心境になってしまうギュンターであった。 * * * 「コンラッド、どうしたの?」 「なんでもないよ」 有利の手を掴んだコンラートの手は、それほど強い力を込めているわけではない。だが、心なしか早い足取りと、幾らか強引な所作で気付かれてしまったようだ。 『俺もまだまだ修行が足りないな…』 新年の宴と恒例の閲兵式以降、これだけの面子が一堂に会することは当分ない。春までに自領に戻った《指導官》達は様々な手続きを行い、自分がこれまで配属していた立場での役職を引き継ぐことになろう。その時、有利に対して反感を抱いたまま計略を練る者が少しでもいなくなるように、コンラートは宴の間中神経を張り巡らせ、必要と思われる人物の前に出向いて親しげに声を掛けてきた。 だからこそフォンギレンホール卿サーディンの動きも、敢えて《ほどほど》の掣肘に留めておいた。全くの悪人であれば端から近寄せないのだが、彼は自分が思っているほど謀略に長けた男ではなく、素の所に純な部分を残している。今後味方につければ有用な人物といえよう。 だからこそ、彼の希望の芽を潰さないよう、有利の傍に侍ることを許してはいるのだが…何事にも限界はある。 『ユーリに触れるな…っ!』 素直すぎる心の叫びが、有利には気取られてしまったろうか? ああ…《この子は俺のものだ。誰も見るな触るな…!》と叫ぶことが出来ればどんなに楽だろう? 気の良いデル・キアスンなどが相手だとわりと素直にその感情を表せるのだが、今後の関係をこじらせてはならない相手だと思うと、焦れる心を押さえ込んで付き合っていかなくてはならないので、少々しんどい。 「つかれた?」 「そう…だね。こんな席は久しぶりだから…少しね」 「そっか、おれもつかれた。じゃあ、いっしょおふろはいる、ねる」 「ああ…」 屈託のない笑みを浮かべて事も無げに有利はそんなことを口にする。共に風呂に入り、同衾することにときめきがないわけではないのだろうが、どうも具体的な《男同士の性交》に対する知識がないのと、《高校を卒業するまでは手出しされない》と信じ切っているのか、浴室では何の頓着もなく眩しい裸体を晒す。 コンラートの裸身に《すっげー、羨ましい〜、格好良いーっ!》と羨望に満ちた眼差しは送ってくれるのだが…股間のアレはナニという変化も見せない。 『こっそり視線を逸らしたり、うっかり反応してしまったときに隠しているのは俺だけか…』 思春期の若造の如き悩みに煩悶するコンラートだが、それが幸せな悩みであることも知っていた。 「たのしみ、たのしみ〜。お城のおふろ、おおきい」 「うん」 きゅう…っと握った手に力をこめて、コンラートは有利と二人で過ごす部屋に向かった。 |