第2部 第16話






『昇華させるんじゃなくて…従わせたら良いんだよ』
 
 はっきりと告げられた言葉に、村田は慄然とした。
 コンラートの腕を失わない為の方策としては、それは確かに効果的な方法だと知っていたからだ。知っていたからこそ…村田はその可能性を否定した。

 確かにコンラートの腕は保たれるかも知れない。だが、その代わり…有利が希求する世界平和は音を立てて瓦解するからだ。

 有利がカロリアの地で信頼を勝ち得つつあるのは、王太子自ら人間の地を訪問しているという事実と、有利自身の人懐っこさにも起因している。だが、実は更に大きな要素があるのだ。それは、有利が《地の果て》を利用することなく昇華させてしまったという事実なのである。

 もしも《地の果て》のコントロールを確立して、自由に使えるような状態にしていたら、大シマロンはそもそも有利たちを上陸などさせなかったろうし、フリンにしても、手を握ろうとは考えなかったに違いない。
 おめでたいほどの平和主義が実践をもって証明されていたからこそ、彼らは有利が大陸にやってくることを許容したし、理解の輪は広がりつつあるのだ。

 そこへ恋人を五体満足で保全する為とはいえ、《風の終わり》を自由に使えるようにしてしまえばどうなるか…。
 眞魔国は大シマロン以上の脅威として認識され、《人間世界対魔族》という対立構造を激化させてしまうことになる。

 それを有利自身が望むのであれば村田だって腹を決めて戦うが、問題は、有利自身は全くそんなことを望んではいないと言うことだ。

『渋谷…惑わされるな…っ!』

 強風に煽られた身体を必死で動かそうと藻掻くが、息をすることさえ困難な状況に、酸欠で意識が途切れそうになってしまう。駄目だ…今、増強者である村田が意識を失えば、最悪の場合《風の終わり》にコンラートを奪われる可能性もある。

『それくらいなら…渋谷に調和して《風の終わり》を支配した方が良いのか?』

 駄目だ…。
 駄目、駄目…。

 心と体を引き裂かれそうになって苦鳴を上げる村田を、背後からがっしりと受け止める腕があった。

『なに…?』

 《猊下…しっかり!》…たった一言だけ伝わったハスキーな声が、誰のものなのかすぐに分かった。意外と心配性で優しくて…笑った顔が可愛い、筋肉マッチョの声だ。

『…分かってるさ…っ!』

 声に出して応えることは出来なかったけれど、口角をくいっと釣り上げると後ろ頭でこつんと顎を叩いてやった。すると、髪に触れている唇がチュ…っ!と派手な音を立てる。

 変な笑いと共に、力が込みあげてくるのが分かった。

『やってやろうじゃないか…っ!』

 下肢を踏ん張り、村田は再び意識を集中させる。
 狙うなら、やはりベターよりベストだ。



*  *  * 




『昇華させるんじゃなくて…従わせたら良いんだよ』

 有利が動揺していることが、伝わった掌が汗ばむことで知れる。
 恐れていた言葉が、有利に可能性を示してしまったのだ。

『いけない…っ!』

 コンラートの為とはいえ、《風の終わり》を武器使用可能状態にしておくなど、魔族と人間の間にどれほどの疑惑をもたらすか知れない。

『ユーリ、ね…それが良いよ?大シマロンが卑怯な手を使って差し向けた《風の終わり》を、君が平和の為に利用するなんてとっても愉快なことではなくて?小シマロンは全力を挙げて協力するよ。ね…うふふ。絶対的な悪である大シマロンを打ち倒し、僕たち二人が世界の王となるんだ…!僕たちが全ての民を平伏させるんだよ…っ!』

 高らかに…勝ち誇ったようにサラレギーが告げた瞬間、コンラートは不意に有利の波動が変わるのを感じた。
 コンラートの介入を阻むほどに混迷していた意識が、突然サラレギーを拒絶したのだ。

『おれ…だれかを支配なんか、したくない』

 ぎょっとしたようにサラレギーの瞳が見開かれる。これでもかというほど瞳を輝かせて介入しようとするが、有利は嫌々をするように肩を揺らめかせた。

『サラがいうこと、おれ…なんかずっと、ヘンな感じだった。どこかがもぞもぞして、おさまりがわるい感じ…』

 《なんか、パンツから金○がはみ出てるような》…と、多少この場には不適切な台詞が飛び出したが、サラレギーにはそれどころでは無かったらしい。
 すっかり有利の心を手に入れたと思った瞬間に、心の内を開け放ってしまったことが大きな敗因となったことを自覚したのだろう。

『な…なに綺麗事言ってるのさ…!大シマロンは打ち倒すべき巨悪だよ?』
『大シマロンは国だよ。いい人もいたらわるい人もいるだろうけど、滅ぼして…そんで、どうするの?《じぶんのくに》がなくなった人が、よろこんでおれたちと手をつないでくれるなんて、とても思えない』
『じゃあどうするって言うんだよ…っ!恋人の腕がどうなっても良いって言うの!?』
『それは…』

 再び揺れようとした有利の心を浚うように…コンラートは恋人の花弁のような唇に、自分のそれを押し重ねた。

「ん…っ…」

 粘膜に馴染む物理的な感触が、揺らぎ掛けていた有利の意識を現実世界に引き戻させる。その上で唇の間に微かな距離を置くと、コンラートは至近距離から声帯を震わせることで思いを告げた。

「ユーリ、俺は腕なんか無くて良い」
「コンラッド…」

 二人の間を引き裂こうと目も開けられないような豪風が吹き荒れるが、互いを求める腕は…指は、狂おしく隙間を受けようと寄り添わされた。組み合わされた二人の指が、きゅう…っと握りしめられる。
 砂塵にも負けずに薄く開かれた瞳が、微かに互いの姿を伝えた。

「お願いだ、ユーリ…。俺は《風の終わり》の付属物としてではなく、コンラートという一人の男として生きたいんだ…!」
「コンラッド…っ!」

 コンラートの瞳はいま、きっと銀色の光彩を散らして輝いているだろう。
 願わくば、この銀色の輝きが…ウェラーの血を引く男の瞳が、有利の心を本道に立ち返らせてくれますように。

 そう祈った瞬間、有利の瞳が強く輝いた。

 

*  *  * 




『おれはあんた達を、使おうとしたりしない…』

 高らかに告げられた言葉に、《風の終わり》が共鳴した。

 フリンを護って長剣をふるっていたエリオルも、その事に気付き始めた。足下に落ちた蜻蛉もどきの死骸はそのままなのだが、頭上を覆っていた連中が爽やかな風に乗って四散し、劈(つんざ)くようだった風はふわりと吹いて大気を震わせていったのだ。

 呼びかける声が聞こえる。
 これは、王太子の声だ。

『しばりつけられていた要素達、自由に…吹いていきなよ…』

 その心に共鳴するように、エリオルの持つ大地と感応する力も震え始めた。

『風と共に、鬱滞する大地の要素もまた開放しておくれ…』

 カロリアに着いたときからずっと気に掛かっていた大地の穢れを、吹き流れていく風の要素に乗せてエリオルは広げていった。《地の果て》開放実験以降、迷い、淀んでいた大地の要素に、もう一度あるがままの姿に戻るようにと促す為に…。



*  *  *

 

 
 リィン…
 リィイン……っ! 

 あれほど耳障りだった轟音や、軋むような風の音が変わったのを、その場にいた全ての者が感じ取っていた。
 気が付くと風は…人々の耳に優しげな音色を響かせていた。
 同時に、足下から暖かな熱が伝わってくることに何人かが気付いていた。

 凍てついた冬の片隅で立ち枯れていたかに見えた雑草が芽吹き、ちいさな花を咲かせていくと、花房を揺らす風が謳うように流れていく。

「なんて…綺麗……」

 それはまるで、澄んだハープのような音だった。
 大空に置かれた巨大なハープが、女神の手によって無数の弦を弾かれているかのように、豊かな音色が大気を震わせていく。

 それは初めて聞く音のようであり、同時に…限りなく懐かしい何かに似ていた。

 ある者は幼い頃、木陰で耳元を揺らしたそよ風のようだと思い。
 ある者は精一杯働いた後、汗ばんだ肌を掠めていった涼風のようだと思い。
 ある者はやわらかに春を伝えた花の香りのようだと思った。

「ああ…」
「ああああ…」
「なんて、懐かしい…」
「しかしこれは一体、何が起きているんだろうか?」

 空を見上げたまま聞き惚れていた人々も、少しずつ周囲の状況に気を回していった。
 襲撃を受けている最中には殆どの者が怪物達の正体に気付いていなかったのだが、ルッテンベルクの兵達が囁き交わす言葉から事態を朧気に察知し始めた。

「やって下さった…っ!」
「ああ…っ!コンラート閣下と王太子殿下が、《風の終わり》を昇華して下さったのだ…っ!」

 抱き合って歓喜するルッテンベルク兵に、魔族に対する拘りも忘れて人々は尋ねた。

「《風の終わり》だと?しかしあれは…大シマロンにあるんじゃないのか?」
「おそらく、大シマロンの連中によってカロリアに運び込まれたんだろう」
「し、しかし…っ!フリン様はそのような手引きなど…っ!」
「ああ、俺たちだってあのお方を疑ったりするもんか。コンラート閣下や王太子殿下、猊下も同じ意見をお持ちだよ。ただ…やはり、何者かが手引きした可能性はあるが、それをもってフリン殿をおかしな目で見る者など魔族にいるものか。罪の主体は、罪を為した者だけにあるのだからな」
「なんと…」

 懐の大きな発言を見せたルッテンベルク兵に、カロリアの民は唖然として口を開いていた。
 その一方で、大シマロンのやりように憤激している者もいる。

「歌謡祭は平和の祭典として開催されたもの…その場に、このように卑怯な手出しをしてくるとは、大シマロンの権威も落ちたものよ!」

 声高にそう放ったのはミッシナイの商人にして、カヴァルケードの元王太子ヒスクライフであった。
 ヒスクライフの憤激は、半分以上は大シマロンに対する当てつけもあった。また、怒りを共有することによって、彼はこの場に居合わせた商人達を以前よりも強力に引き寄せることに成功していた。

『罪もない一般市民に被害が出ることを分かっていて襲撃してきた大シマロンに、信義など求めるだけ無駄だ』
『一時の利益を求めて大シマロンと取引をしても、いざという気には我々の身の保全など擲ってしまうのではないか…』

 商売っ気の強い連中とはいえ、それだけに自分たちが《損をする》ことには敏感だ。また、彼らは世界各国の世情を知るだけに、元々魔族に対しても大陸庶民に比べれば高い認識を持っている。根っこの所にある差別意識が薄らいだ今、眞魔国に肩入れするのは自然な反応と言えた。

「ヒスクライフ殿は、双黒の王太子殿下と知り合いだったな?通商の口利きを願えないか」
「マイスネル商会は今後大シマロンから手を引き、眞魔国との貿易を推し進めたいのだが、かの国で必要とされている品物に心当たりはないか?」

 次々に話しかけてくる商人達に、ヒスクライフは人を逸らさぬ笑顔で応対した。商取引を仲介することで入ってくるだろうマージンも勿論有り難いが、それ以上に、彼が気に入っている連中に益することが出来るのが素直に嬉しかったのである。

『さて…商人達だけでは心許ない。この際、意地は張らずにカヴァルケードにも働きかけるべきだろうな…』

 その為なら、剃り上げた頭部を恭しく親父殿に下げても良い。愛する妻と娘を窮屈な宮廷に引き入れるのは気が引けるが…自発的に働きかけて、宮廷の仕組みそのものを変えてしまうのも考えてみれば面白そうだ。

『ユーリ殿、コンラート殿…あなた方と共に、楽しませて頂きますよ?』

 ヒスクライフの楽しそうな表情をみやりながら、愛娘ベアトリスは実に愛らしい表情で微笑むのだった。



*  *  *

 


 コンラートと抱き合いながら、有利は涙を流していた。《風の終わり》は昇華され、穢されていた大地もまた浄化された。
 全てのものが奪われることなく満たされているかに見えた。

 だが…コンラートだけは失っていた。
 《風の終わり》の鍵であった…左腕を。

 風が収まると同時に急速にミイラ化していった腕は、前触れもなくぼとりと大地に落ちた。役目を終えたことを示すかのように…。

「う…ぅう…」
「泣かないで、ユーリ…元々、俺のものではなかったんだから…」
「でも…っ…」
「言ったろう?腕を失ってでも、俺はウェラー家と運命で繋がれた《風の終わり》との縁を切りたかったんだ」

 コンラートはそう言うと、慈愛に満ちた眼差しを愛おしい恋人に注いだ。
 その腕は、左上腕骨の外科頚付近で切断されている。断端は地球で処置された時のまま皮膚に覆われているのだろうが、ひらひらと舞う袖口からは垣間見ることも出来ない。 
 ただ、そこに腕がないのだということだけが如実に伝わってきた。

「よく頑張ったね…ユーリ、お疲れ様」
「コンラッド…」

 しゃくり上げる有利はもう、コンラートの名を呼んで抱きしめることしかできなかった。コンラートの気持ちは分かるし、目的を達成できたという満足感もある。
 それでも…今は唯、コンラートの失われた腕の為に泣きたかった。

「そう落ち込むこともないさ。何しろ眞魔国には、物理法則を大きく無視したマッドサイエンティスト様がいるんだからね。きっと、飛んだりレーザーを放ったりする凄い腕を作ってくれるよ」

 ぐったりとしてはいても口の減らない村田が、ヨザックに宝物のように抱えられながらくすくすと笑う。
 実際にそんな物を取り付けられたらちょっと困る気がするが…それでも、有利は少し慰められて顔を上げた。

「もう…ユーリったら、何て勿体ないことをするんだろう。折角世界を手に入れる好機だったのに…」

 ぶすくれているのは小シマロンの国王陛下である。魍魎を思わせる瞳の輝きはなりを潜めており、護衛ベリエスの用意した籐製の折りたたみ椅子に腰掛けていた。
 
「世界なんかいらない」
「恋人の腕も?」
「…っ!」

 また泣きそうになる有利を庇うように、コンラートが瞳を鋭く引き絞った。

「ユーリは俺の願いを叶えてくれただけです。そのような言い回しは止めて頂きたい」 
「ふぅん…ベタベタに甘やかしているわけだ。《風の終わり》を失った大シマロンはさぞかし危機感を煽られていると思うよ?本気になったあの国と、どう向かい合うつもりかな?」

 意地悪く囁きかけるサラレギーに、村田が横合いから言葉を挟んできた。

「向こうからは当面、働きかけなどないさ」
「ふぅん…大賢者殿、何かを根拠にそのようなことを言われるのかしら?」

 眉の端をぴくりと上げて問うサラレギーに対して、その気になれば意地悪美少年ぶりでは負けていない村田が、人の神経を逆撫でするような笑みを漏らす。

 くす…
 くすくす…

 ビキビキとサラレギーのこめかみに怒り筋が浮いていた。自分がこういう笑いで人を転がすのは大好きでも、自分がやられるとなると極めて腹立たしいらしい。

「あれ?聞いちゃう?聞いちゃうんだぁ〜…。陰謀大好きサラレギー陛下とは思えないねぇ。この程度の状況把握も出来なくて、よく陛下なんて言ってるよね?やっぱアレ?神族出身ってことで、予見の力とかを期待されてるのかな?」
「はあ?神族ぅ〜?何を言ってるのが分からないなぁ〜」

 何故、こういう連中はやたらと語尾を伸ばして喋り合うのだろう。それに、臓腑が煮えくりかえっているのが明瞭なのに、顔だけは綺麗に笑っているのが余計に怖い…。

「ごめんな、コンラッド…おれ、ああいう《はらげい》とか身につけるの、まだまだ先かも…」
「いやいやいや…良いよ。身につけなくて。いや、是非とも身につけないでくれるかな?」

 許容というより懇願になってしまっているコンラートの要望を受けて、有利は申し訳なさそうに小首を傾げた。

「村田はいろんな事が分かっててえらいなぁ…。一国の王様やってるサラとも正面からむきあって、ぜんぜん引けをとってないや!」
「あれは…正面かな?」

 コンラートが軽く小首を傾げる。目元も何だか胡乱だ。

「ああ、まあ…ちょっとその…斜めかも知れないけど」

 確かに…背景に立ち上るオーラがまるで蛇か何かのような形状に見える。素敵にねじ曲がったオーラだ。
 でも、だからこそ頼もしくも見える。

「双黒の大賢者と讃えられる方は違うなぁ。どういう見識なのか、是非教えて頂きたいなぁ〜」
「見識というほどのものでもないさ。大シマロンは絶対に、自分からは今回の件で《風の終わり》を失ったことなど認めない。ここまで派手に失敗したわけだからね。認めたりしたら、国家としての威厳が激しく損なわれちゃう」
「でも、誤魔化しきれるのかな?」
「誤魔化せていないと分かっていても誤魔化すさ。大国ってのは尻が見えていることを承知の上で、見栄を張らなくちゃならないことがあるからね」
「ふぅん…そう上手くいくかな」

 どうあっても言い負かされたくないのか、サラレギーは意地悪な笑みを絶やさなかった。

「そんなことより、僕は君の出自の方が気になるね。小シマロン王は妾腹の女性に君を産ませたと聞くから、それが神族なのかな?どういう法力を持っているのか気になるな。教えてくれない?」
「やーだよ」

 そう言ったきり、サラレギーは村田に煽られても自分のことについて明かすことはなかった。悪びれることもなく有利にちょっかいを掛けている。



*  *  *

 


『さぁて…ちょっと思っていたのは違った展開になっちゃったな』

 親しげな笑みは崩さずに、サラレギーは涙を浮かべてぐったりしている有利の頬に指を這わせた。
 昇華の最中に囁きかけた言葉は、流石に有利を警戒させたろう。小シマロンが眞魔国の武力を背景に、大シマロンに対して戦を挑むつもりで居ることに気付いたはずだ。

『まさかベタ惚れのフォンウェラー卿の左腕を犠牲にしてまで、このお人好しが決意を貫くとは思わなかったな…』

 誰も傷つかないように平和を希求するなんて、随分と甘ったれた男だと内心馬鹿にしていたのだが…ここに来て、サラレギーは考えを変えざるを得なくなってきた。

 このまま残り二つの《禁忌の箱》が見つかったとしても、有利が昇華させてしまう可能性が高い。だとすれば、サラレギーはともかく有利の心を離さないようにしなくてはならない。こういう手合いには下手に悪びれてしまったら負けだ。全く悪意など無かったのだと言いたげに親しげな笑みをつくり、こういうべきなのだ。

『《風の終わり》に関しては意見が違っていたけれど、私達の友情は変わらないよね?』

 きっと有利は《変わる》とは言わない。
 例え疑いを持ったとしても、この子は《友情》とやらが維持されていることを《信じたい》と思うはずだ。

 自分が《利用されている》という可能性から目を逸らすことで、心を護ろうとしている…サラレギーは、そのように有利を理解していた。

 しかし、《ねぇ…ユーリ》と甘ったれた声で囁きかけようとしたその瞬間に、先を越された。コンラートに凭れ掛かっていた有利が両腕を踏ん張って身体を支えると、真っ直ぐにサラレギーを見つめてこう言ったのだった。

「サラ…《はこ》をどうするかで意見がちがってても、おれと友だちでいられるよね?」
「…っ!」

 内容としては、今まさにサラレギー自身が口にしようとしていた言葉だった。
 なのに…どうしてだかサラレギーは一瞬声を呑み、即答することが出来なかった。

『僕は…この子を、読み間違えていた?』

 有利の目は、サラレギーの狙いを正しく読んでいるように見えた。
 それでいて無用な警戒心を抱くことなく、利き手を伸ばして信義を確かめようとしてる。
 きっとこの子はその手を傷つけられることがあっても、試すことなく疑うくらいなら、危険を冒す方を選ぶ。

 そうすることで、自分を利用しようとする者の心さえ変えていく。

 サラレギーは煩悶している自分自身に驚愕していた。
 あらゆる要素を自分に都合良く《使う》ことで世の中を渡ってきたサラレギーにとって、有利が最も手に負えない相手だと気付いてしまったのだ。

 利用することを、このサラレギーが躊躇うなんて。

 この手を、本心から握りたいと思うなんて…。

『疲れているんだ…』

 きっとこれは、計画が一時頓挫したことで精神的疲労を感じている為なのだ。
 《そうに違いない》と懸命に自分に言い聞かせながら、サラレギーは有利の手を握っていた。 







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