第2部 第11話 歌姫達がやってきた日の夕刻から、ギルビット港には次々に観光客が集まってきた。彼らの殆どは商人であり、中には今回の件に参入するつもりは毛頭無かったにもかかわらず、急遽ミッシナイのヒスクライフに依頼されてやってきた者もいる。 彼らは主として貴族階級ではなく、近年急激に力を付けてきた国際的商人であった。当初、彼らは巨額の財を蓄えることだけに鎬を削ってきたが、所謂《老舗》と呼ばれるような家系にもなると、ある種の美意識を持って行動するようになっている。 それは直接的な利益にすぐさま結びつかないのだとしても、自分たちご贔屓の歌姫ギルドや吟遊詩人を保護し、彼らの活動を支援するといったものであった。 勿論、興行をうつことでの利益収入も期待しているが、そのような文化的分野に私財を投じることで、《品がある》と思われることを期待しているらしい。 今回眞魔国の呼びかけに応じたのも、そういった思惑があるに違いない。 中には自ら物資と共に屋台団を率いて来た者もあり、フリンに掛け合って場所を確保すると、目抜き通りや広場に屋台を置き、極めて安値で軽食や菓子、ミニゲームを振る舞うという気の利いたサービスをしてくれた。 特に、子ども達へのサービスは素晴らしかった。 流石に全てを無料で幾らでもというわけには行かなかったが、フリンを通じて十歳までの子どもには十枚の《一品だけ無料になる券》が与えられられたから、子ども達は全ての屋台通りを何度も練り歩いてから、よくよく考えて菓子や玩具を手にしていた。 あの被災から…というより、宗主国小シマロンからの締め付けが厳しくなってきた時期から、ずっと我慢に我慢を重ねてきた子ども達だ。この素晴らしい贈り物には飛び上がって喜び、誰もがこの無料券を握りしめ、手に入れたものを試すがめすしながら瞳を輝かせていた。 他の商人達も色鮮やかな洋燈や灯籠を油ごと貸してくれたから、街は光に溢れてきらきらと輝いている。 誰もが夢のようなひとときを楽しみながら、この喜びが二日後に行われる《歌謡祭》までなのだということを早くも惜しんでいた。 眞魔国の艦船が港に着いたときにはあれほど敵意に満ちていた人々の瞳も、次第にやわらかいものになっている。 「おいひぃ〜」 例に漏れず、有利も手に握った串焼きをぱくつきながら声を上げている。 無料券が貰えるような年ではないので当然実費であり、ヒスクライフに換金して貰った大陸通貨を蝦蟇口財布にいれ、首から提げている。 「あんまりがっつくと、喉につかえるよ?」 「そんな子どもみひゃいな…うっ…ぇふ…っ!?」 言った端からやらかすのが正しいお約束というものだろう。案の定えふえふと咳き込んだ有利の背を、コンラートが優しく撫でつけた。 すると、仲良く連れ立った二人に冷やかしの口笛が飛ぶ。 気さくな老人、ベックマンだ。その様子に仰天していた人々も、有利が気恥ずかしそうに手を振り返しているのを見ると、表情を柔和にさせて息をついた。 もう、この辺りには有利が髪と瞳を露出させてもあからさまな敵意を叩きつけてくる者は殆どいなかった。どうやらベックマンやカティはこの辺りの老人会の長であったらしく、日中の間に色々と口利きをして回ってくれたようだ。恐る恐るだが、初めて顔を合わせる者でも声を掛けてくれるようになった。 特に順応性の高い子ども達などは、早くもグレタやベアトリスと仲良くなっていたから、屋台を巡りながら声を掛けてくれたりする。 「ひゅーひゅー、あついね、おうたいしさま!」 「ユーリとコンラートはあっちっちー!」 「こらっ!大人をからかうんじゃありませんっ!」 「ユーリもこどもだもーんっ!」 あまりにもストレートなからかいの声に、有利は頬を真っ赤にして照れてしまう。その様子がまた可愛らしいものだから、人々の間には染み渡るように有利を愛する者が増えていくのだった。 あはは…っ きゃ…きゃ…っ! 笑いさざめきながら駆け抜けていく子ども達に、ちょっぴり寄せていた眉根もすぐ解れてしまう。この港に着いた当初は一体どうなることかと思われてけれど、港の雰囲気はすっかり一変していた。 「あー、良かった。なんだか良い感じになってきたねぇ…。ヒスクライフさんのことといい、ベックマンのおじいちゃんのことといい…なんか、すごく運が良かったね」 「全部君のおかげだよ…ユーリ」 「またまたぁ…そんな真顔で言われると照れちゃう…」 「だって本当の事だよ?あんまりみんなに親しまれているから、少し嫉妬してしまうけどね」 「それはさ、あんたが見守ってくれてたからだよ…」 コンラートは《歌謡祭》の設営だけでなく、警備網や哨戒に出した部隊とのやりとりにも指示を出していたけれど、自分の身体自体は常に有利の傍に置いて、万が一の襲撃に常に備えていた。 そして何かあるごとに見守り声を掛けることで、身体だけではなく、《心も夢も》護ってくれているのだ。 『ユーリなら、出来るよ。必ず信じて貰える』 そう言ってぽんっと背中を叩いてくれる人の存在は、なんと大きいものだろうか? 胸の中にぽぅ…っと勇気の火が点るのを感じながら、有利は様々な場所で人々との交流を深めていったのだった。 勿論、これにはルッテンベルク軍の態度も関わっている。ウェラー領にいた頃から、《とにかく信頼を勝ち得ろ》との指導を受けていた彼らは常以上に親切であり、我慢強く人間に接してくれた。中には疑いと恐怖のせいで酷い言葉を投げかけたり、物陰から投石するような輩もいたが、彼らは一人として怒りを顔に表すことなく、ぐっと飲み込んで誠意ある態度を貫いてくれた。 こういう時に唯一人でも不穏な行動を取れば、それが全体への評価に差し替えられてしまう。不条理だとしても、それが人の心理というものなのだ。 その点をしっかりと踏まえた上でコンラートの指示通りに振る舞ってきた兵士達の態度に、人間達は少しずつ歩み寄りと信頼の姿勢を見せるようになってきた。 「ありがとうね、コンラッド…」 はにかむように囁くと、コンラートは琥珀色の瞳を細めて銀の光彩を踊らせてから…少し、悪戯っぽく笑った。 「ユーリ…お礼の言葉も嬉しいけど、たまには態度で示して貰いたいな…」 「え?」 「頂き」 身を屈めたコンラートに、唇へと啄むようなキスをされた。一瞬のことであり、周囲の視線も丁度逸れていた瞬間ではあったのだけど…有利は真っ赤になってコンラートの胸を叩いた。 「こ…子どもの教育上良くないよ?」 「子ども…か。そうだね、子どもに悪戯してしまっては拙かったかな?」 「う〜…」 くすくすと笑うコンラートはちょっぴり意地悪な顔をして、有利を苛める気満々だ。案外と、《嫉妬しそう》というのは本音であったのかも知れない。 「もう…あ、あんたってば…っ!」 そんな二人の様子を見守りながら、ベックマン老人は思った。 『こんなおめでたい連中が、《双黒の王太子》に《ルッテンベルクの獅子》なのか…。《聞いて駄目ならその目で見よ》とはよく言ったもんだなぁ…』 …と。 * * * フォーン… フォォオーーン…… 高らかな角笛の音に、びくりと子ども達の脚が止まる。 大人達もはっとしたように顔を上げ、門扉の方に視線を向ける。 その雰囲気は、明らかに歌姫ギルド達がやってきたときのそれとは質を異にしていた。 コンラートもいちゃこらとしていた雰囲気を一瞬にして払拭すると、有利の肩を抱いて早足に進み始める。 「小シマロンの角笛だ」 「サラレギー王が…直接来るって言ってたよね?」 素早く礼服に着替えて門扉に向かうと既に開門されており、続々と小シマロン兵が入ってくるところだった。格式張った歩き方は軍靴の音を殊更に強調するものであり、兵士一人一人の個性など全く伺うことの出来ない無機質なものであった。 フリンも居住まいを正して各村長と共に整列しており、緊張した面持ちで小シマロン兵に面している。 彼女は《地の果て》開放実験に際してこの兵士達に取り押さえられ、反抗的な物言いをしたとして顔や腹をしたたかに殴られたり蹴られたりしている。また、カロリア側の衛兵達も小シマロンの下級兵士として顎で使われてきたから、《かつての上司》達の到来に複雑な表情を隠しきれない。 しかし…際だって大きく、華麗な馬車からサラレギー王とみられる少年が舞い降りると、人々は一様に《ほぅ…》と息を呑んだ。 まるで月影を注いで造られたかのように、繊細で儚げな少年だった。 淡黄色の大粒の瞳…白い肌、華麗に結い上げられた長髪に華奢な体躯、全てがお人形のようで、このような少年が《地の果て》開放実験を行ったのかと思うと、違和感を禁じ得ない。 「フリン殿…お初にお目に掛かります。この度は、お招き頂き誠にありがとうございます」「こちらこそ、サラレギー陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう…」 淑女の礼をとるものの、フリンの表情は複雑そうだ。そもそも、彼が命じた実験によってカロリアが砕かれたのであり、その復興をこの日まで一切やってこなかったにもかかわらず、今回《お招き頂き》とは何事かと思うのだろう。だが、有利からの申し入れもあって(相変わらず小シマロンの属国であることは変わらないものの)フリンを特例的に正式な領主として《認めた》のはサラレギーに違いないから、礼を言わないわけにはいかない。 精一杯の大人の態度で礼の言葉を述べていた。 サラレギーは鷹揚にその言葉を受け取り、視線を巡らせて有利の姿を捕らえると、ぱぁ…っと瞳を輝かせて駆け寄ってきた。袖の長い沙羅の衣服が揺れて、華やかな蝶のように大気を舞う。 「お会いできて嬉しい…っ!あなたが双黒の王太子殿下だね?」 「ふきゃ…っ!?」 咄嗟に身構えたものの、一応サラレギーの手には武器や薬といった類がなにもなく、携帯もしていないのを見て取ると、コンラートも動作を止めることはしなかった。 この時、鋭い…しかし、殺意とは異なる視線を感じてコンラートは瞳を眇めた。兵士達の合間に影のように佇む、暗青色の長髪を緩く束ねた青年だ。隙のない、鞭のような体躯は少しコンラートにも通じるものがある。 『あいつは…やるな』 一山幾らというような兵士達の中にあって、彼だけが色彩を異にしていた。放たれるオーラは強さを誇示する為のものではなく、闘いの瞬間に向けて極限まで収斂されているかに見える。おそらくは、彼がサラレギー直属の護衛なのだろう。主の一挙手一投足に対する鋭敏さがそれを物語っていた。 「ええと…サラレギー陛下、おあいできてこうえいです」 「ふふ…そんな他人行儀な言い方をしないで?僕…ううん、私のことはサラって呼んで欲しいな。その代わり、あなたのことはユーリと呼んでも構わないかな?」 「どーぞどーぞ」 こくこくと有利が頷くと、サラレギーはにっこりと微笑んでよく似た背丈の少年を抱き込んだ。 「うっふふ…なんて可愛いんだろう!驚いたなぁ…正直、私以外にこんなに可愛い人がいるとは思わなかったよ」 「はい?」 随分と自意識の高い美少年だ。自分が可愛いことなど、《産湯に漬かっていた頃から知っている》という顔をしている。 『ユーリはそういうところが無くて、《可愛い》と囁くと耳まで真っ赤にして恥ずかしがるのに、ちいさな声で《でも、あんたがカワイイって思ってくれてんのは…マジでうれしい》と照れまくりながら言うのがまた可愛いんだ…』 コンラートの表情はこの時、冷静そのものである。 萌え萌えした感情に心が燃えたっていても、顔が煮くずれないのは鍛錬の賜だ。 しかし…サラレギーの桜んぼのような唇が、ちゅっと音を立てて有利の頬に触れたときにはビキリとこめかみに怒り筋が浮いた。自慢ではないが(←ホントにね)、有利に関する事での嫉妬深さには定評がある。 「フォンウェラー卿、こめかみがお兄さんみたくなってるよ」 「……これは失礼」 哨戒活動の集約にあたっていた村田が蒸かし饅頭をぱくつきながら指摘してくると、コンラートは不本意ながら頭を下げざるを得ない。 しかし、村田は村田で随分と眉根に皺を寄せている。 「随分とまぁ…フレンドリーそうな王様だね」 「そのように見えますか?」 「《そう見せたい》ってことは痛いほど分かるね」 真実の程は言わずもがな…というところか。 眇めた眼差しは、《あんの腹黒王》と語っている。 「ねぇ、夜はまだ長い…折角だから、私と部屋で夜通し語り合わない?寝間着をきて軽食を摘みながら、寝台の上で語り合うんだ。同じ年頃のお友達と、一度で良いからやってみたかったんだぁ〜」 甘えるように擦り寄っていくサラレギーに、村田は《パジャマパーティーって…愛読書は赤毛のア○》かよと呟き、コンラートは《布団に蟻が寄ってきますねぇ》と囁いている。二人とも基本は笑顔なのだが、目は一片たりとも笑みを含んでいない。 「えー?でも、せっかくだから屋台をまわんない?おれ、おごったげるよ」 「屋台…アレのこと?」 サラレギーは袖口で鼻から口元を覆うと、如何にも煙たげに眉根を寄せた。 「なんだか変な匂いがするよ?脂っこいというか、煙たいというか…」 「ちがうよー、あれはこうばしいっていうんだよ?行ったことないなら、よけいに行こ?ぜったいぜったい楽しいよ?」 同じ年頃の少年を相手にしている気安さのせいか、有利はすっかり相手が一国の王であり、《地の果て》開放実験を命じた冷血漢であることを忘れている。 「しょうがないなぁ…じゃあ、こうしようか?私はあなたに付き合って屋台を歩いてみるから、あなたも私に付き合って、夜通し寝台でお喋りするんだ」 「うん、良いよ。でも…とちゅうで寝ちゃったらゴメンね?」 「良いよ、朝まで抱きしめて眠ってあげるから」 「だきしめ…?え…??」 きょとんとして有利が聞き返している。自分の言語力側の問題だと思っているらしい。 「コンラッド…」 救いを求めるようにコンラートを見やるから、危うく《チェストーっ!》とばかりに手刀で突きを入れて、サラレギーの腕から救い出したくなってしまう。 だが、ここで堪えられなければ苦渋を舐めてなお耐えてきた兵士達に申し訳が立たない。 「殿下、どうぞお受け下さい」 「へぇ…あなたが《ルッテンベルクの獅子》と湛えられる英雄、ウェラー卿…いや、確かフォンの称号を帯びたコンラート殿下かしら?現王の第2子なのに、血の繋がりのない王太子の下についているの?」 皮肉げな言葉の方が、いちゃいちゃと有利に絡みつかれるよりは余程対応しやすい。コンラートは涼やかな微笑みすら浮かべて、伸びのある美声を奏でた。 「仕えるべき王を見いだした俺の心は、澄み渡っております。《我が王》と呼べる方が、近い将来このユーリ殿下になられるのだという期待に、この胸は恋と同じように弾みます」 「ふぅん…恋心と忠誠の対象が一緒ってわけだ」 くすりと嗤う貌は宵闇の中で影を帯び、微かにサラレギーの本性を覗かせる。 『熱帯の蛇のようだ』 華麗な模様は毒を持つ証。ちろちろと紅い舌を伸ばして有利に絡みつく様に、腹の底が熱く煮える。 「サラレギー陛下とユーリ殿下は共に大切なお身体…堅牢な城であればいざ知らず、一地方の領主館とあっては心許なく思います。どうぞ俺を護衛としてお供させて下さい」 「必要ないよ。ね…ベリエス?」 サラレギーが甘えるような声を出すと、ス…っと兵士の間から件の男が姿を現す。やはり、この男が懐刀であったらしい。隊列の統一美を守らなくて良くなったせいか、ふわりとコートを脱いで従卒に渡すと、闇に溶け込むような暗青色のぴたりとした上下に、革製のバンドを胸で交差させ、背後にも同様に交差させた金具へと二振りの剣が差されている。どうやら二刀流であるらしい。 「彼はとっても腕が立つんだ。それに、静かだから闇の中に溶け込んで、私達の邪魔をしないでくれるよ…。だから、フォンウェラー卿は別室でゆっくりと眠ると良い」 「それでは、俺の恋心が収まりません」 「んん〜?」 狂おしげに胸に手を当て、艶めいた声を上げればサラレギーも唇を尖らせて眉根を寄せる。 「尊い身分の方がお相手とはいえ、愛するユーリと夜を共にされたとあっては、この胸が焼き切れてしまうかも知れません。どうか…ユーリ殿下のとの語らいを望まれるのであれば、俺も同席させて頂きたい」 《恋心》をキーワードにされると、流石にサラレギーも無碍には出来ない。渋々ながら同席を認めた。 「なりふり構わないねぇ…」 すかさず村田が囁きかける。 「構って等いられません」 「君も随分と練れてきたねぇ…」 「褒め言葉と受け取っておきます」 村田の皮肉にも淡々と応え、コンラートは早速手を繋いで歩く二人を追った。ベリエスも、静かな影のように付随していく。 * * * 『なんて匂いだ…』 楽しそうに鼻をひくつかせているユーリの気が知れない。サラレギーはユーリの手前、あからさまに嫌がることは出来ないが、髪や服に匂いがつくのに苛立っていた。大体、屋台はどれも不潔そうで、安っぽい色合いが混在しているのも目まぐるしくていけない。 でも、手を繋いだユーリがわくわくするような声を上げているのだけは、どうしてだか心地よかった。ユーリのことも気にくわなければ、流石に親しみを示すのにも限度を感じていただろう。 「サラ、あれが特に美味しかったんだよ?皮がぱりぱりしてて、中がとろっとしてるの」「ふぅん…それはまた落ち着きのない食感だね…」 「何か言った?」 「おいしそう〜って言ったんだ」 「でしょ?」 にこぉーっ!とお日様みたいに笑うユーリに、思いがけず息を呑んでしまう。微笑みで人の心をとろかすのはサラレギーの得意技だから、人にやられて衝撃を受けたのだろうか? 「ほら、サラ…食べてみて?」 「……フォークは?スプーンは?」 「かぷっと丸かじりだよ〜」 『う…』 ざっくりとした紙に包まれたパイのようなものに、サラレギーは喉のつかえを感じる。如何にもその辺に転がっていた適当な紙で、食べ物を巻いて良いのか?そもそも、パイ本体からも安っぽい油の匂いがする。道具を使わず直接口にするというのもかなりの抵抗感がある。 ユーリのものは早速コンラートが一口囓り、続いてユーリがぱくりと齧り付く。 「おいしい〜っ!」 ユーリが叫ぶと、陛下&殿下の来襲にへどもどしていた屋台の主人も嬉しそうな顔をする。あんまり素直に笑うから、思わず釣られたのだろう。 「……」 ベリエスがすぅ…っと出てきて一欠片千切って口に運び、頷いた。そこで恐る恐る囓ってみると…中心にあったジャムのようなものが熱くて吃驚してしまった。 「あつっ…っ!」 「あ、大丈夫?」 心配そうに覗き込んできたユーリの顔が至近距離にあるから、柄にもなくドキ…っとしてしまう。自分から触れていくのはともかく、許しなく接近されるのは苦手な筈だった。なのに…どうしてだか、ユーリからは嫌な感じを受けない。 『不思議だな…こんなに近寄られると、普通なら気持ち悪いと思うのに』 もしかすると、ユーリが《化け物》だから平気なのかも知れない。 『《禁忌の箱》なんてものを昇華してしまう化け物なんだもの。普通の生き物の匂いと違っていても当然かも知れない』 近寄って、くん…っと襟元を嗅いでみたらなんだか良い匂いがした。同時に、背後から刺すような視線を感じる。眞魔国の獅子は気配を殺そうとしても、ユーリ絡みのことでは自制心を保ちきれないらしい。先程まではベリエス同様、影のように佇んでいたのに…随分と可愛らしいことだ。 『ふぅん…本当に愛し合ってるわけだ』 それほどに深い結びつきを持っている二人なら、《風の終わり》だって使いこなせるかも知れない。 《鍵》であろうコンラートと、絶大な《媒介者》たるユーリ…彼らを誘惑して我がものに出来れば、これほど心強い味方はいないだろう。 『ベラールの馬鹿王は、この《歌謡祭》会場近くに《風の終わり》を持ち込んでいると聞く。ウェラー卿が《鍵》かどうかを確かめようとしているんだろう…』 その結果《箱》が暴発しても、小シマロンの王と眞魔国の英雄と王太子が死ねば御の字と思っているに違いない。地続きの大陸に何が起こるのか…《地の果て》の実験からベラールは何ひとつ学んではいないのだ。 しかし、サラレギーは違う。 この二人は敵とするよりも、取り込んでしまった方が得なのだ。 だからこそ危険を承知で、影武者ではなくサラレギー自身が乗り込んだのである。影武者などではとてもこの二人を陥落することなど出来ないからだ。 『化け物と獅子を籠絡する王…まるで伝説の英雄のようではなくて?』 にんまりと心の中で嗤う。 そうなればもう、誰もサラレギーを無視など出来なくなる。 《何度も言わせるのではありません。お前など必要ないの…二度とこの国に戻ってくることは赦しません》…そんな言葉でサラレギーを撃つ者はいなくなる。 その為には、笑顔で油っぽいパイを食べることなど造作もない。 「サラ、猫舌なの?ちょっと熱いからふうふうして食べなよ」 化け物に猫扱いされるとは思わなかった。 「ふうふう?」 「したことないの?」 するとユーリが身を屈めて唇を尖らせ、ふうふうとパイに息を吹きかけてくれる。その様子は何とも言えず可愛くて…思わず顔を寄せて一緒にふうふうしてしまう。 「そうそう、上手」 「そう?」 いま笑っているのは、この化け物の心を手に入れる為だ。 本当に嬉しかったからなどでは…決してない。 |