第8話 有利は5日ほどコンラッド、ヨザックと共に旅をしてから農村地帯に入ると、人々の暮らしぶりに微かな希望が砕かれるのを感じた。 村とはいえ、百人以上が暮らす集落である。そんな場所で電話もテレビも、車さえもないのだ。これは…決定的にこの世界が有利の暮らしていたものとは隔絶していることを示していた。 『ここって…やっぱ、ファンタジーな《異世界》ってやつなんだ』 おそらく、間違いないだろう。 それでも激しく落ち込んだりせずに済んだのは、薄々その可能性を考えながら…もしそうであった場合にはどうしようかと腹を据え始めていたからだ。 『もしもそうなら、俺はここで何が出来るのか探していこう』 何の因果か見も知らぬ場所に飛ばされてきたのだとしても、きっとそれには意味がある。 そう思えば、何らか道が開ける。少なくとも、そう信じていたいのだ。 まずは言葉を覚えて、コンラッド達と会話をしてこの世界のことを知って…そして、有利に出来る精一杯の事をしていこう。 だから、村に入って飲み屋でお捻りの回収などを命じられると、敬礼せんばかりに気合いを入れてきびきびと動き回った。 そしてヨザックの手伝いだけでなく飲み屋の洗い物なども手伝うと、気のよさそうな人々は随分と有利に優しくしてくれた。 言葉が通じないことはコンラッドやヨザックが説明してくれたらしく、みんな手振りや言葉の反復をして意志を通じさせようとしてくれたし、何かと手を出して頭を撫でてくれた。ちょっと小さい子扱いされてやしないかと気にはなるが、何しろ女性であっても殆どの人が有利よりも体格が良いのだからこれは仕方ないかも知れない。 その中でも、特に禿頭と灰色の眉・髭が印象的な老人は往来で会うなりえらく気に入ってくれたらしく、まだ飲み屋が開いていない日中にも訪れて有利にお菓子をくれた。 他の人たちは畑仕事などで忙しく働いているようだが、この人は悠々自適の生活を送るご隠居なのだろう。 有利もどこか自分の祖父に似た老人に馴染んできて、他の人が呼ぶように《ドントジーサン》と呼んでみたところ、老人は目尻を垂らして喜んでくれた。 ただ…夜が更けてきて飲み屋の客達が活気ずく頃、ほろ酔い状態の老人は何事かコンラッドに絡み始めてしまった。何かと声を掛けるのだが、その度にコンラッドの表情が厳しくなっていくもので、有利は内心はらはらしながら見守っていた。 挙げ句の果てに、老人は有利を抱き上げるとひょいっとコンラッドに押しつけたのである。 『な…ななな…何で!?』 老人の意図は分からないし、コンラッドの表情はMAX不機嫌になるしで有利は顔面蒼白になるとおろおろと辺りを見回した。 その内、老人はエリックと呼ばれている青年と共に有利の名を呼んだりしたから、どうやら有利の身はコンラッドとエリックの間で妙なことになっているらしい。この格好からして女の子だと思われているのだろうから、恋バナか何かの種にされているのだろうか? おずおずと見あげると…コンラッドと目が合った。 彼は物凄く不機嫌そうに眉根を寄せると、ふぃ…っと目線を逸らしてしまう。 『どうしよう…』 ひょっとして、お荷物な有利はここで置いてけぼりにされるのだろうか? 老人や村の人たちはえらく親切そうだから、その可能性は濃厚な気がした。 でも… 『俺…やだ』 突き上げるような衝動は自分でも不思議なくらい切ないもので、大好きなご主人様に捨てられる犬はこんな気持ちになるのではないか…そんな事を考えながら、有利はコンラッドにしがみついた。 もしかしたら、有利はこの人に《刷り込み》されてしまったのかも知れない。 心細くてしょうがない時に目にした人間で、初めて優しくしてくれた人だから、離れがたく感じているのかも知れない。 そんな思い入れはきっと、コンラッドからしたら迷惑以外の何物でもないのかも知れないけれど…どうしても縋り付かずにはいられなかった。 『どうしても駄目だって言われたら…怒ってほっぽり出されたら、その時はしょうがない。だけど…少しでも可能性があるなら、俺…コンラッドについていきたい…!』 彼が何処を目指しているのか、何を警戒して有利の黒髪や瞳を隠そうとしているのかは分からない。 有利をどう思っているのかも分からない。 けど…有利自身の気持ちは、真っ直ぐにコンラッドを指し示しているのだ。 『振り放さないで…お願い…っ!』 ちいさな子どもみたいにしがみつく有利をどう思っているのだろうか?コンラッドの腕にぴくりと力が入った瞬間、突然にガラガラとけたたましい音が鳴り響いた。 途端に、老人は年齢を感じさせない機敏な動きを見せると、好々爺然とした容貌を一変させて大号令を掛けた。すると、これに呼応するように飲み屋の人々が立ち上がり、男と女は別々に動き始めたのだった。 酷く酔いつぶれている者もいたが大抵年寄りばかりで、彼らは女達と共に家屋の奥へと連れて行かれる。男達はというと、手に手に壁に掛けた槍のような物を手にして屋外へと駆け出していくのだった。 『な…何が起きてんの?』 老人の声に応えるようにコンラッドも動いた。有利を女達の進む方へと押しやったのだ。 「コンラッド」 「ユーリ…」 身振りで《あっちに行くんだ》と示されれば、それ以上ごねることは出来なかった。飲み屋のおかみさんにも手を引かれて、有利は女達と共に床下の倉庫のような場所に連れて行かれた。 * * * コンラートは、鳴り響くけたたましい音に察しがついた。 これは村の各所に配置されていた鳴子の音だ。 『盗賊団の襲来か?』 辺境の村は盗賊から身を護るために自警団のようなものを組織していることが多い。 ここカルナスではドント村長を中心としてその組織作りが堅固であるらしく、素人の集団とは思えないくらい村民達は規律正しく動いている。窓からちらりと伺うと、一斉に村境の柵を倍の高さに引き上げ、驚いたことに納屋から投石機まで持ち出して構えている。 ドント爺さんは足早に屋外に飛び出ると、村で一番高い櫓に登って大声で指示を出す。柵を蹴破って騎馬が入って来ようとするが、号令に従って駆けつけた男達が槍を突き出すと一騎が落馬し、三騎ほどが怯んで退却した。 「見たか!カルナスの団結をっ!」 おおおぉぉぉーーっっ!! 男達が勢いづいて叫ぶのを聞きながら、どうやらこの村ではこのような攻防戦が日常化しているのだと知れる。辺境にしてはそこそこ潤っているこの村は、おそらく《昔は荒くれ》ていたドント爺さんの技量で戦闘集団として纏め上げられているらしい。正規軍ならともかくとして、小規模な盗賊団くらいは一蹴できる実力を身につけているのだろう。 『だが…それが既に定評として知られていたらどうだろう?』 ドント爺さんはかなりの自信家で好奇心旺盛なタチだ。このようにいざというときの防御も固めるが、基本的に来訪者を拒むことなく、あからさまに怪しい旅人以外は受け入れていると思われる。 ならば、盗賊団とて余程の馬鹿揃いでなければ対策を練ってくるはずだ。 コンラートの懸念は的中した。 ビィィン…っ! 一瞬歓声が止んだ静寂を引き裂くように、強い弓蔓の音が鳴り響くと…闇に映える真っ赤な炎が一直線に櫓に向かった。強弓で司令塔である村長を潰しに掛かったのだ。 「…っ!」 コンラートは袖口から覗かせたナイフでタイミングを計ると、矢の軌跡を先取りして放る。 ガ…っ! 村長に当たり掛けた矢の軌跡が変わるが、火矢はそのまま櫓に着火して炎上していく。どうやら、かなりの量の油を染みこませていたらしい。 村長は機敏な動きで櫓から駆け下りていったが、足場が崩れて落下し掛けたところをすかさずヨザックが受け止める。 ヨザックは皮肉げに口角を釣り上げると、同じように駆けてきたコンラートと目線を合わせた。 「どうするよ、隊長」 「ここで放っておくのも寝覚めが悪いだろう?」 「は…っ」 ドント爺さんを地面に下ろすと、ヨザックは長いスカートを腿に仕込んでいたナイフで切り裂いてから不敵に嗤った。 「一宿一飯の義理、果たしますかい?」 「ああ」 囂々と燃えさかる櫓を背景に、コンラート達は敵影を見定めた。 * * * 「ふん…情報通りだな」 意気盛んに号令を出していた村長を櫓から追い出すと、村民達の動きは目に見えて鈍くなった。元々は寒村であったものが次第に規模を増し、豊かになっていく過程で幾度もの危機を脱した自信から、《盗賊など屁でもない》と思うことで彼らは実力以上の動きを見せていたのだ。 しかし、所詮は烏合の衆。正規の訓練を受けた軍人とは違う。 司令塔である村長が象徴的な場所から焼け出されたことで、一気に士気が下がっている。 「一気に畳み掛けるぞっ!」 おおおぉぉぉーーっっ! 盗賊団の頭ベッツァーが叫ぶと、号令一過、騎馬の盗賊達は一斉におらびながら丘を駆け下っていった。傭兵崩れと思しき鎧武装の者から、革で急所だけを覆った者まで不均等な服装をした男達は、己の力が農民達を踏みにじっていく様を想像しながら、悦に入った顔をしている。 もはや勝機は決した。 自分達を獅子だと信じていた羊達を屠り、久方ぶり美酒に酔うことが出来そうだ。 『所詮、お前らは土いじりをしてるのがお似合いなんだよ。本物の力には勝てないのさっ!』 ベッツァーはそう嘯(うそぶ)きながら馬に鞭を当てる。誰よりも早く、颯爽と駆けていきたかったのだ。 「……っ!?」 しかし…村境を一気に越えようとしたその時、ベッツァーは油断しきったその懐を槍に貫かれかけた。直前に身を捩ったお陰で穂先は腹を掠めただけで済んだが、その代わり馬の首に致命的な傷を与えた。 ベッツァーはもんどおり打って地面に転げ落ちると、自分だけでなくかなりの人数が同じ目にあったことを知った。 もはや士気を失ったかに思われた村人達が、何故か小規模の集団に分かれて伏せていたのだ。 しかも、村人達は最初の一撃で先頭集団の馬を突くと蹄を避けて左右に散開し、自分達の被害は最小限に食い止めている。そして勢いを殺せずに家屋の間へと突出した盗賊へと、屋根の上から降り注ぐように矢を射掛けてきた。 「な…なんだと!?」 気が付けば盗賊団は致命打こそ受けなかったものの、騎馬の殆どを失って機動力を低下させていた。夜目のこととはいえ、人に比べて大きな馬は格好の標的となったし、槍隊に足止めを喰らったことで速度も落としていたから、良いように矢を当てられてしまったのである。 それでもまだベッツァーは闘志を失っていなかった。 村人達の反撃はたまたま個別に動いた結果が吉と出ただけであり、馬を失っても殺傷能力の高い長剣や斧を持つ自分達の優位に変わりはないと考えたのである。 だが…鬱憤を晴らそうと目に付いた青年に斬りかかったベッツァーは、一合斬り結んだだけで恐るべき予感に晒されていた。 『こ…こいつ…農民なんかじゃねぇっ!』 優れた長身としなやかな四肢を芸術的なまでの柔軟さで操り、最小限の動きでベッツァーの剣を落とすと、手首を返す動き一つで横なら襲ってきた部下二人を切り伏せる。その動きから察するに、こいつは正規に剣の鍛錬を受けた上に、戦場で何十…いや、何百の敵を斬り殺してきた筈だ。 この時のベッツァーには知るよしもないが、この男こそがウェラー卿コンラート…《ルッテンベルクの獅子》と讃えられ、絶望的なアルノルドの闘いを勝利に導いた立役者である。 コンラートは櫓を降りた村長から情報を聞き出し、槍隊と射撃隊の元締めになっている男に《とにかく馬を狙え。徒(かち)になったら俺たちが始末してやる》と伝えた。仕事を単純な要素に特化することで混乱しそうになった村人を纏め、能率的に行動できるようにしたのだ。 『なんてぇ…強さだ』 研ぎ澄まされたその剣筋は、己の危機も忘れて見惚れるほどに美しかった。 はっと気付いた時には落とした剣はどこかに蹴られて見えなくなり、部下達は呻き声を上げて横たわっていた。 ならば更なる多勢で…と5人掛かりで斬りかかった連中も、すかさず助太刀してきた女に切り倒されてしまう。 これがまた、恐ろしく強い女だった。 鮮やかな柑橘色の髪を高く結い上げ、真っ赤なドレスを短く切りつめた裾からは隆とした筋肉の乗る下肢が伸びて、縦横無尽に駆けては次々に盗賊達を切り倒していく。女とは思えないほど荒々しい太刀捌きは、ベッツァーが対峙した男とは多少毛色の違うものであったが、こちらも敵の戦力を削ぐという意味では全く隙のない闘いぶりであった。 ぽかんとしている内に、ベッツァーの首筋に剣が突きつけられる。 見れば、最初の男が感情の読めない眼差しを向けていた。 「部下を連れて、帰れ」 響きの良い美声が端的な言葉を投げかけてくると、ベッツァーは見惚れていたことへの羞恥もあって、かぁ…っと頬を染めて眉を跳ね上げた。 盗賊団とはいえ一応は《頭》を張っているのだという矜持が、冷静な判断力を失わせていた。 「くそ…くそぉぉ…っ!」 懐に手を突っ込んだ時、最初に取り出そうと考えていたのは短刀だった。 だが、全くつけいる隙のない男の構えと、もう一つ指先にふれた感触にベッツァーは考えることなく反射的に行動していた。 「食らえ…っ!」 懐から取り出したのは、法石を練り込んだ発火剤であった。貴重な品だし、実は結構始末の悪い代物なのだが…この時ベッツァーの思考を占めていたことは、《この男に一泡吹かせてやる》と言うことだけだった。 「……っ!」 ゴゥ……っ! 民家の一つに着火した発火剤は、ベッツァー自身も腰を抜かすほどの勢いで炎上を始めた。 まるで、火山が噴き上げたかのような勢いだ。 * * * 「こいつ…消えねぇぞっ!?」 村人達は必死の形相で消火活動に努めたが、井戸から大量の水を汲み上げて浴びせかけるのに、火の勢いは全く衰えることがない。メラメラと燃える炎はまるで怪物の舌のように揺らめいて、貪欲に家屋を飲み込んでいくのだ。 いや…それは錯覚などではなかった。 「見ろよ…あの焔……」 「嗤ってやがる…っ!」 ゲラ…ゲララララ……っ! 家屋を飲み込んでいくほどに炎は勢いを増し、邪悪な嗤い声を立てて呪わしい触手を伸ばしていく。そして時折大きく爆ぜては、隣接していない家屋にまで火種を飛ばしていくのだ。 「わぁぁああ……っ!」 「見ろ、女達の隠れ場に着火したぞ…っ!」 男達の絶望に満ちた声音が、爆ぜる炎の音に混じって宵闇に響き渡った。 * * * 有利は女達と共に倉庫のような場所に隠れると、屋外から響いてくる音で何者かがこの村に攻め入ってきたのだと知った。女達の慣れた様子から見て、おそらく度々このようなことは起こっているのだろう。 『コンラッド…ヨザック…大丈夫かな?』 ドキドキと胸が苦しくて何度も扉の近くに行こうとしたけれど、その度に恰幅の良いおばちゃんに抱き留められて《ここにいなさい》というように窘められた。 今の有利は女の子だから、戦力にはならないと踏んでいるのだ。 『いや…そりゃあ、男だったとしても戦闘力には心許ないものがあるけどさ』 それにしたって、大事な人たちが恐ろしい目に遭っている時に何も出来ないのは辛いものだ。 ただ、無力な有利が出て行くことで足手まといになるのは大いに問題だから、何とか駆け出したい気持ちを堪えて倉庫に留まった。 しかし…突如として女達の表情が変わった。 何事か口々に囁き交わす声が次第に大きくなり、取り纏めをしていたおかみさんが戸口まで行って取っ手の熱さに悲鳴を上げた時、女達は自分達の隠れている家屋が炎に包まれていることを知った。 『か…火事!?』 なんと言うことだろう…力がないから隠れている女達を、燃やそうとする者がいるのだろうか? こんなに親切で心優しい人々を、生きたまま火炙りにしようと言うのか? 「逃げようっ!」 有利は倉庫の中にあったつっかい棒を掴むと、既に激しく加熱しているらしい金属製の取っ手に引っかけてこじ開けた。 だが… 「うわぁ…っ!」 咄嗟におばさんの一人が引っ張ってくれなければ、ゴウ…っと噴き上げる焔に飲み込まれるところだった。急いで若い女性が戸口をもう一度閉めようとするが、豊かな栗色の髪に引火してしまう。 「ぁぁあああ……っ!」 燃える…燃えてしまう…っ! あの女性は、有利の髪にちいさな華を差してくれた人だ。 炎を消そうとして手に火傷をしているおばさんは、有利に焼き菓子をくれた人だ。 みんなみんな…こんな死に方など決してしてはならない人ばかりなのだ…っ! 「だ…め……」 怒りと哀しみと…奥底から突き上げてくるような感情の波が、有利の眼底に白いスパークを巻き起こす。 何かが、有利の中で爆発しようとしているのが分かった。 その正体を見極める余裕もなく…有利はその衝動を受け入れて、何かを開放させた。 |