第55話





 一座の公演が終わり、夜も更けてきた頃マーシャはヨザックに誘われて雰囲気のある居酒屋に立ち寄った。そこは小さな区画を個室のように使うことが出来るので、密談にはもってこいなのである。

 素焼きの杯を交わして、暫くの間強い酒を胃に流し込み続けたが、二人の瞳はとろりともしない。
 互いに海千山千の苦労人である彼らは、自分の酒量というものを完璧に弁えていた。

 ただ…今宵に限っては、マーシャは少し酔いたいような気分であった。

『カロリア復興の為の、義援金集めねぇ…』

 まさか、そんな台詞が眞魔国貴族の口から出ようとは思わなかった。
 マーシャは代々続く旅芸人の家系で、この世界の庶民階級としては異質なほど世界各国の歴史や世情に詳しかった。彼女の知る限り、眞魔国どころか世界の何処に於いても連盟国ではない…それも、歴然とした敵対勢力の属国を支援しようなどという者はいなかった。

 カロリアについては、ヨザックから頼まれて商人への口利きなどはしていたのだが、まさかそれが国家規模の支援に結びつくとは考えてもいなかった。
 それも、眞魔国の王太子位に就くのだという有利は、これを機会に世界の諸国と平和的な同盟を広げていこうというのだ。

「夢みたいな話だねぇ…。グリエ、よくまぁあんたがそんな話に乗ろうなんて思ったもんだね?しかも、あのコンラートまでがとろけそうな目をして、ユーリを支持してるなんてねぇ…」
「俺もね、そう思いますよ?」

 ヨザックは杯を燻らせながら男臭い笑みを漏らした。
 少し自嘲するような苦みと共に、素直に嬉しそうな色も混じる複雑な笑みは、今までマーシャが目にした表情の中には無かった。

 ヨザックといい、コンラートといい…これまでの彼らの瞳には、どこか満たされない刹那的な色があったはずなのに、それは驚くほど見事に払拭されているではないか。

『変えたのは、あの子か?』

 一癖も二癖もある男達を変えるだけのものが、あの小さな子どもに備わっているとは俄には感じ取れなかった。実に気性の良さそうな可愛い子だが、逆にいえばそれだけの子に過ぎないとも判じていた。

 正直なところを口にして、《あたしも年で目がイカれたのかねぇ…》と呟くが、《そんなことはない》とヨザックが宥める。

「実際問題、あの子には国の枢軸になるような強烈な個性も、凄まじく優秀な頭脳ってのもあるわけではないと思いますよ。ですがね…あの子は、不思議な子です。そういった才を持つ者の心を満たし、金でも力でも動こうとはしない難物達に自ら《仕えたい》と思わせるんです。しかも、きっとそれは…眞魔国ひとつに留まらない」
「随分と買ってるもんだね…。あんた、あの子が本当に世界を一つにするっていうのかい?」
「あの子は征服したいわけじゃないから、別々のものを全く同じ型に填めて《一つ》にしたいなんて、思わないんじゃないですかね?あの子は別々のものが本来あるような形で存在しながら、無用にぶつかり合うことなく生きていけると信じてるんですよ」

 ヨザックの言葉に、マーシャは昼間の出来事を思い出していた。
 暴れる男達を制止したのはコンラートとマーシャで、有利はその時何が出来たというわけではなかった。だが…もしもあの少年がいなかったら、どういうことになったろうか?

 《淫売》という言葉はマーシャにとって何よりも屈辱的な言葉であったから、今でもそれが自分たちに向かって投げつけられたのだと思えば、臓腑が煮えくり返るような怒りが込みあげてくる。
 コンラートにしたって、以前の彼なら混血であることを貶められ、公然と侮蔑を受けることを容認したはずはないのだ。

 きっと、有利がいなかったら頭領格の一人くらいは斬っていた筈だ。
 だが…そうすることによって、この憎しみは消えただろうか?

『いや…きっと、あたしの中にはもっと強い憎しみが燃え、あいつらやその仲間達には更に強い憎しみが生まれていただろう』

 それに、あんな言葉を投げつけられた日の夜に、こうして気持ちよく酒が飲めるのはお気に入りのヨザックと同席している為だけではない。初めて…侮蔑を寄越した相手が、心から謝ったからだ。

『そういえば、あんなのは初めてだね』

 嫌いな相手を叩きのめした後の爽快感とはまた違った、敵とさえも許し合うことが出来るのだという実感は、実に不思議な心地よさを醸し出していた。
 カーっと突き上げるような一時性の喜びとは違い、時が経つごとに潤と染み渡っていくような、持続性の高い喜びなのである。

 あの子は、ひょっとするとそんな実感を世界に広げようとしているのかも知れない。

「なんと…ねぇ」

 唯の夢物語ではないというのなら、そうして作られる世界はどんなに素晴らしいだろう?
 だが、どれほど難しい課題であるかは容易に察しが付く。
 きっと有利だけの力では、どんなに頑張っても実現することなど不可能だろう。

 そう、有利だけの力なら…。

「……手伝って、やろうかね…」
「そうこなくっちゃ!」

 ヨザック言われて、やっとマーシャは自分の口から心のままの言葉がぽろりと漏れだしていたことを知った。
 驚くべき事に、マーシャはあの少年を《信じたい》《支えたい》と思っているらしい。

『ふぅん…。こりゃあ、大したもんだね』

 マーシャは実感せざるを得なかった。
 癖のあるコンラートやヨザックを籠絡した蜜が、自分さえも溶かし始めているのだということに…。



*  *  * 




「楽しかったぁ〜…コンラッド、ありがとうね」
「こちらこそ…とても楽しかったよ」

 城下街探索を終えて血盟城に戻ってくると、有利は興奮さめやらぬと言う感じでソファに腰を降ろした。ぽふん…っと勢いよく弾めば、マーシャ一座と無頼漢との遣り取りの中では出番の無かったチィが、《チチ…っ!》と声を上げながら有利の胸元から飛び出してくる。

 冬場は暖かくていいが、夏場もこんなことをされるとちょっときつそうだ。

「チ…チチ…っ!」
「ん〜?さっき止めたから文句言ってんのか?」

 騒動を聞きつけたチィは《すわ、有利の危機か!?》とでもいうように胸から飛び出そうとして暴れていたのであるが、歌の中にも少し登場したこの小動物キトラが現れたのでは流石に誤魔化しきれないから、有利は懸命に押さえておかなくてはならなかったのである。

「チィ…そんな羨ましい場所でぬくもっていたくせに、文句を言うとは図々しいにも程があるぞ?」

 コンラートの声が半ば真剣だったものだから、有利はついつい噴きだしてしまう。

「コンラッド、ひょっとしてチィに嫉妬してる?」
「当たり前だろう?幾ら小動物でも、俺だって触れたことのない胸に密着しているんだからね」
「あはは。でも、俺の胸なんてぺたんこだよ?色気もそっけもないしさ…。ホント、なんでコンラッドが俺のこと《抱きたい》なんて思ってくれるのか分かんないもん」

 好きでいてくれるのは間違いないようだが、それでも《抱きたい》となると話は別だと思う。実際問題、有利は18歳を迎えて《解禁》になるのが少し怖かった。

『なんかさ…《触っちゃいけない》事になってるから、禁欲感のせいで抱きたいって思ってる可能性もあるもんなぁ…』

 コンラートにはこんな不安はないのだろうか?
 伺うようにちろりと見上げれば、驚くほど近くに彼の顔があった。

「こ…コンラッド?」
「俺だって、同性間の恋愛が稀な日本人である君が、本当に身体を開いてくれるのかどうか心配になるんだよ?」
「え…?」

 有利とは違って静かにソファへと座ってきたコンラートは、ぴたりと寄り添うようにして頬を寄せる。
 その横顔は灯火を受けて蜜柑色の彩りを帯び、切なげに潤む。

『そ…そんな目で見られるとぉお…っ!』

 心臓がばくばくと跳ねて、胸腔内で鯛や平目の舞い踊り状態が起こるではないか。

「……君があまりにも神聖だから、俺の欲望で穢す事は罪なんじゃないかとか…そういった意味でも不安になるんだよ?」
「し…神聖なんてそんな…」

 一体何を言い出すのだろうか?恋をすると瞳に鱗千枚くらいは填ると言うが、欲目にも程があるというものだ。大体、ギリシャ神話の英雄もかくやというような、精悍な美青年に言われる台詞ではない。

「俺なんて、平々凡々ヘイぼんぼんってなくらい一般平均的な男だよ?」
「平凡な男の子には、抜刀した連中の怒りをあんな形で収める事なんてできないよ」 
「それは、コンラッドとマーシャさんが止めてくれたからじゃん!俺が仲裁に入ったところで、邪魔者扱いされて吹っ飛ぶくらいなものだよ?」
「そうかもしれない…でも、おそらくはそうであるからこそ君は武力の後ろ盾があるとしても、それを自分のために使うのではなく、分かり合うために使うんじゃないかな?」
「そんな大層なもんじゃないよぉ〜っ!」
「俺にとっては大層なものさ。崇拝するのと同時に…少し子どもっぽい位に独占欲を感じて、《この子は俺の物だ!》って叫びたくなるんだよ?」
「ま…マジで!?」

 買いかぶりまくってくれるコンラートは、そっと有利の手を取ると、愛情と敬意のこもる丁重な仕草で《ちゅ…》っと手の甲にキスを落とす。

「自分では、分からないものなのかも知れないね。君がどんなに素敵かってことは…」
「分からないデスますよ…」

 真っ赤になって身をちぢ込ませていたら、皮膚の薄い手首にもチリっとするくらいのキスが与えられる。白い肌に細い葉脈のような血管が透け、その中央にぽぅ…っと紅色の華が咲いているようだ。彼の吸った場所が、鬱血痕として残ったらしい。

 《おお…これが噂のキスマーク!》…有利は感心してしまう。
 男がつけるキスマークというのは、口紅を使わなくても出来るのだ。

「印、つけちゃた」

 《俺のものだって印だよ?》…しっとりと耳朶に囁かれれば、ぞくりと首筋に甘い痺れが走る。
 どうにも堪らなくなって自ら上体を乗り出すと、溶け始めた二人の視線が熱く絡み合う。

「俺もつけたい…」
「いいよ。どこにつけたい?」
「えと…」

 同じように手首にしようかと思ったのだが、ここまで良いように転がされてしまったことが少し悔しくなって、驚かせようとコンラートの襟元を探る。

「ここ…良い?」
「…おや」

 コンラートは軽く驚いたようだが、首元を覆う上衣についた斜列の釦をぷつりと三つばかり外してくれる。すると…透明感のある滑らかな肌と、くっきりとした鎖骨が現れた。濃蒼色をした上衣の影にはうっすらと胸筋の隆起が覗き、視線を迷わせてしまうほどに艶かしい。

「良いよ…キス、して?」
「う…うんっ!」

 自分から頼んだくせに、琥珀色の瞳が蠱惑的にひかる動悸が一層激しさを増してしまう。
 恐る恐る唇を寄せれば、布地と肌の間から独特の香気がふわりと立ち上ってくる。何とも官能的な薫りだ…どうしてこの人は、何もかもが魅力的なのだろう?

 コンラートがしたように小さく窄めた唇の中で強く皮膚を吸飲すると、ちろ…っと舌先を掠めた肌の滑らかさに、くらりと脳髄が溶けるのを感じた。

 今、感じているこの焦れったい感触は何なのだろうか?
 疼くような…もどかしいようなそれは、有利があまり感じたことのない、痛いほどの甘さを含んでいた。

 ゆっくりと唇を離せば、胸鎖乳突筋と鎖骨の間にぽぅ…っと朱が浮かび、それが自分のつけたものなのだと思うとコンラートの笑顔の意味も分かる。なるほど、これは妙に嬉しいものだ。

「えへへ…俺のだよって、痕つけちゃった」
「俺も同じ所につけて良い?」
「え?」

 手首と首もとに一つずつ付けて終了とばかり思っていた有利は不意を突かれて、ソファにとさりと横たえられる。優しく…でも、確実で素早い動作がするる…っと首元を緩め、薄くて微かに冷たい唇が柔らかな肌をきつく吸い上げる。

「ゃ…っ!」

 びくん…っと震えながら上げた声の甘さに、有利自身が一番驚いてしまった。

「チ…チチィ…?」

 チィはご主人様を護るべきかどうか迷うように耳を揺らして、きょろきょろと視線を彷徨わせた。間に割ってはいるには、二人の感情が熱く絡み合っているのを察知しているのだろうか?

 見つめ合うコンラートと有利は、互いの瞳に隠しようのない恋情が滲むのを確認しあいながらも、同時に…これ以上は理性が保たないことを知ってもいた。

 コンラートは四つ目の釦に手を掛けかけて、葛藤に耐えるように眉根を寄せ…やがて、《ふぅ…》っと息をついてから手を離した。

「……我慢、しないとね…………」
「う…ぅん……」

 確かに、美子と顔を合わせる事の出来ない状況下で約束を破るのは気が咎める。コンラートとしては特に、《親元から大切なお子さんを預かっている》という責任感もあるらしい。誠実な人だけに、利己的な欲望は掣肘せざるを得ないのだろう。

 けれど若い有利の直裁すぎる欲望は、コンラートほどには自制心で押さえることが困難なのである。きっとコンラートが一言でも《やっぱりやっちゃう?》なんて言ってくれたら、素直に頷いていたことだろう。

 この時も硬く自制して身を引こうとするコンラートを、そのまま逃がすことは出来なかった。
 咄嗟に襟首を掴むと、乱暴に引き寄せてしまう。

「でも、ちょっとだけ…もう少しだけ、こうしていよう…?」
「ん…」

 ソファに二人して横倒しになったまま、有利はきゅう…っとコンラートを胸元に抱き寄せる。
 暫くの間、互いのぬくもりを手放すことも出来ずに二人は寄り添い合っていた。



*  *  * 




 同座した小動物が《ラヴ・イズ・ファイヤー!》と叫びたくなるほどの熱々ぶりを見せる親友達とは対照的に、村田は寂しい夜を過ごしてきた。

 ボーン…
 ボーン……

 どこかで柱時計が鳴っている。
 9…10…ときて、11で鐘は鳴り終わる。どうやら、あと1時間ほどで4000年は最後の日を迎えるらしい。
 それにしても、腹が立つくらい音が反響している。《部屋が無駄に広いせいだ》と、村田は毒づいた。

『あーあ…こんなに広くたって、意味ないじゃん』

 狭い家に寿司詰めになっている大家族あたりに聞かせれば《贅沢だ》と非難されそうだが、人の体温や気配を感じられない無駄な空間が広がっているのというのは、村田にとって気持ちの良いものではなかった。自宅マンションで両親がいなくても耐えられたのは、あそこが適度な広がりを持っていたことと、テレビやパソコンと言った、孤独を紛らわせてくれるアイテムが沢山あったお陰だ。

 ここは…一人でいるには寂しすぎる。

 ふかふかの羽毛布団にくるまれているというのに、何となく肌寒さを感じてぶるりと背筋を震わせた。

『ヨザックの奴、どうしてるのかな…。今頃話し込んでいるのか、しっぽりやっているのか…。ま…僕には関係ないけどね。ちゃんと渋谷のために話さえ付けてくれれば…』

 そう思おうとするのに、チリ…っと胸が焦りついて寝付けない。
 もともと眠りの浅い村田は、何か気がかりな事があるときには寝苦しい夜を過ごしがちなのだ。

 この日も冴えてしまった意識をどうにも出来ず、書物でも読むかと床を出たところで、窓辺から《コ…ココン》という小さな音を耳にした。

「……っ!」

 勢いよく駆け寄って窓を開ければ、そこには…驚き顔のヨザックがいた。
 合図の音も、うとうとしていたら絶対に聞き落としていたくらいの控えめなものだったから、ヨザックとしてはこんな夜中に村田が起きているとは思われなかったらしい。

「…こんばんは、猊下。お休み中に失礼します…」
「何の用?」
「いえね、グウェンダル閣下にご報告申し上げに参ったんですが…番兵に聞いたら、猊下は血盟城に来られてから一度も外出しておられないと言うもんで。年の暮れの風物詩、カーネーリンでも差し上げようかなって…。あ、勿論猊下への報告書も持ってきてますよ?」

 ヨザックが茶色い紙袋に詰めているのは、年越し市場名物のカーネーリン。木の実や砂糖漬けの果物をザックリと刻んで小麦粉と共に練り、細く捻ってから竈で焼いたお菓子だ。日持ちがするし、表面はサクサク中はもっちり、しかも時折木の実のカリカリ感や甘い実の味が広がるとあって、大人の男でも年末の市にはこれを買い込む。縁起物としての意味もあることから、年を越すともう販売されないのも限定感をそそるのだろう。

 明日もまだ売っているはずだが、ヨザックにはグウェンダルから申し渡されている急ぎの任務が別にあるのだろうか(彼は正式にはやはりヴォルテール軍旗下の兵士であり、村田やコンラートの依頼についてはグウェンダルの許可の元おこなっている)。

 起きている可能性が低い村田に、これを渡すために…彼は来たのだろうか?
 マーシャとさっきまで飲んでいたはずなのに?きっと…引き留められたろうに。

『どうしよう…なんで、こんなに嬉しいんだろ?』

 それを表面にあらわすのは流石に憚られて、村田は無愛想にヨザックの身体を室内に引き込んだ。《いつまでも窓を開いていると寒いんだよ》と怒ったように言うけれど、ヨザックの方は村田のそんな性格を見抜いているように、余裕のある笑みを浮かべて《失礼しま〜す》と入室してくるのだった。

 新たな雪もちらついてきているというのに、ヨザックは俊敏に動けるように薄着で、触れた肌は流石に冷え切っていた。

 それでも、渡されたカーネーリンはまだ暖かみを残しているから、買ってからどんなに急いで来てくれたかが分かる。促されて齧り付くと、サクリという心地よい食感と素朴な甘みが口一杯に広がった。

「猊下は、こいつを食べるの初めてですよね?」
「昔食べてた記憶はあるよ?」
「そいつは猊下自身のことじゃないでしょ?」

 ヨザックがさらりと告げる言葉が胸の中でぽわ…っと暖かく広がる。でも、喜びかけた顔を意識して引き締めた。
 
「だったら…猊下とか呼ぶなよ。それは僕の名前じゃない」

 この辺は我ながら都合良く使っているなとは思う。だって、会議の席では思いっ切りこの立場を利用しているのだから。
 だから、ヨザックに対してこんな言い回しをするのはきっと…甘えているのだと思う。彼なら、ちゃんと人前では《猊下》と呼びつつも、このような場ではそっと呼んでくれるのではないかと思ったのだ。

 唯一人の《村田健》として、呼んでくれるのではないかと。

「ケン様?」
「………なんだろう。韓○スターとしておばさま達に囲まれているような幻影が浮かぶのは…」
「じゃあ、ケンさん」
「……………派手なキンキラ着流しに身を包んで、芸者ガールズを従えて踊らなくちゃいけない気がする」

 あるいは、燻し銀の演技で《自分、不器用ですから》と囁くか。
 どっちにしろ囲んでくれる対象は《おばさまーズ》だ。

「じゃあ…ケン、て…呼んでも良いですか?」
  
 とくん…っと鼓動が跳ねた。
 
 《好きな人に名前を呼ばれるのって、物凄くトクベツな感じがするよね?》…有利に惚気られたときには正直《知らねぇよ》と思ったものだが、今になってその言葉の意味が分かる。

『むむむ…僕は、そうなのかな?…そういう、ことなのかな?』

 あまり認めたくはないのだが…どうも、村田はヨザックのことが《気になる》らしい。
 まだ色々と認めたくない感じが、この表現をして《妥当》と言わしめている。
   
「…うん。そう呼んでよ。あ、勿論…」
「ええ、二人きりの時だけ…ね」

 少し掠れ気味だが、不思議と伸びのある特徴的な声音が擽るような笑みを漏らす。
 それは、秘め事を持った共犯者のような表情だった。

「ケン…」
「なんだよ」
「呼べって仰ったでしょう?」
「用もないのに呼べなんて言ってない」

 《あはは…っ!》と、何故だか妙に楽しそうにヨザックは笑って、カーネーリンを指先で千切ると大きな口にぽんと放り込み、もう少しちいさな欠片を村田口に押しつける。

「どうぞ」
「ん…」

 押し込まれた指にカシリと噛みつけば、仔猫が噛むほどの痛みにニヤリと笑う。

「あんまり可愛らしいことをしていると、食べちゃいますよ」
「……っ!」

 反射的に外した口から太い指が抜け、そのままぺろりとヨザックの舌が拭っていく。

「また、任務の合間に寄らせて頂きますよ。お休みなさい…」

 《…ケン》。

 そう囁かれた言葉が耳朶を熱く染めて、結局村田は一晩中眠りにつくことが出来なかった。




 

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