第51話





「ふわぁ…すっごい一日だったぁー…」
「何とか無事に済んで良かったよね」

 血盟城内の豪奢な来賓室に通された有利は、ふかふかのクッションが効いた革製ソファに沈み込んだ。
 緊張の糸がやっと解れたらしく、しばらくは起きあがることも出来ずにくたりと脱力していた。

 横で息をついている村田やコンラートも、同様の表情をしている。

「ゆっくりして下さいね、王太子殿下」

 絨毯に膝を突いたコンラートが優しい手つきで髪を梳いてやると、その仕草自体は心地よさそうなものの、発言内容はかなり気にくわなかったらしい。

「む〜…敬語とか使うなよっ!まだなってないし…なったとしても、殿下繋がりならあんただって殿下だろ?」
「ま、そうなんだけどね」

 そう、ツェツィーリエがまだ退位せずに魔王陛下として鎮座し続けている以上、コンラートは歴とした《王子殿下》なのだ。第一王位継承権が認められれば多少は有利の格が上になるとしても、基本的には同格の扱いを受けることになる。
 しかし、コンラートの心情としては既に有利を己の《王》として認め始めているのだろう。

『不思議と言えば不思議だよねぇ…』

 有利ほどではないがかなりの疲労を感じている村田は、やはりソファに埋まったままコンラートと有利を眺めている。
 
 ある意味で言えば、コンラートは二重の意味で《王》になるべき男なのだ。
 眞魔国では生まれ順でグウェンダルの下位にあたるとしても、普通なら堂々たる第二王位継承者だ。
 更にシマロンに於ける血統で言えば、世が世なら大・小シマロンを合わせた巨大国家の頂点に立つべき唯一の男なのである。

 共に獅子王旗を掲げる二大国家の頂点に立っていたかも知れない男が、こんなに小さくて愛らしい少年に嬉々として《仕えたい》というのだ。まるで、ちいさな仔猫に獅子が忠誠を誓っているような微笑ましさがある。

『《ルッテンベルクの獅子》と謳われる英雄フォンウェラー卿が、心からの敬意を払って膝を折る相手なんて、渋谷くらいなものだろうね』

 《獅子の中の獅子》…そんな呼称が脳裏を掠めるが、コンラートはともかくとして、有利には笑ってしまうくらい似合わないなとも思う。

 それでも、彼はきっと一癖も二癖もある獅子たちを従えて王旗を翻す事になるだろう。
 村田もまた、獅子の一頭となって彼に仕えたいと切望しているのだから…。

「ともかく、今日は晩餐も取りやめて貰ったから落ち着いて部屋で食事を採って、暖かいお風呂にでもつかってゆっくりしようね」
「ゆっくりサイコー!」

 にこにこと笑み崩れた有利は、コンラートを同じソファに引き上げると、ぱふっとその胸に顔を埋めた。甘ったれな仕草は微笑ましくもむず痒いような熱々ぶりだが、暖めた蜂蜜みたいにとろけているコンラートの表情は、地球で初めて会った頃からは考えられないくらいに柔らか過ぎる代物で、あまりの甘味のきつさに村田は奥歯をさすった。

「ユーリ…新年の宴が終わったら、一度ウェラー領に行かないかい?」
「うん、行きたい行きたい!コンラッドが育ったとこ見に行きたいよぉ〜っ!コンラッドも早く帰りたいよね」
「ああ…とても心配を掛けたからね」

 コンラートの瞳は切なさの混じる熱い色を含んで、少し遠くを見やるようだった。
 有利や肉親に対するのとはまた違ったベクトルで、ウェラー領は彼にとって何物にも代え難い大切な存在であるに違いない。

「一応、白鳩便で幽閉の可能性が無くなったことと、以前程度の身分保障が為されることは伝えてあるけれど、正式決定はしていなかったから十一貴族就任の事は伝えていないし…」

 コンラートは今回の人事で十一貴族に任ぜられると同時に、中将位への昇格が決定している。発表は年越し・年始の宴の席で有利の紹介と共に行われるが、《ルッテンベルク軍》としての正式なお披露目はウェラー領に帰り、様々な人事と軍編成をしてから大々的に行われる予定だ。何しろ、師団から二倍近い規模の軍団に昇格するのだから新兵の調達や訓練など、さぞかし忙しいに違いない。

「何より、直接あの連中の顔を見たい。ユーリにも、早く会わせてあげたいよ。みんな素朴で、気の良い連中ばかりだ」
「みんなコンラッドのことが大好きななんだろうな…」

 有利の口調は嬉しそうであり、同時にちょっぴり複雑そうでもある。

「どうかしたの?」
「……いい加減、自分でもどうかと思うんだけどさ…。コンラッドだって百年も生きてるんだし、恋の十や二十はしてるんだろうけど…。昔の恋人とかがいたら、複雑かなって…」

 村田的には《いい加減にしろよ》と手刀でも叩き込んでやりたいところだが、コンラートの方は恋人の可愛い嫉妬にとろりと瞳を潤ませる。

「俺の恋の遍歴は、知りたくない?」
「…出来れば、《見ざる聞かざる》でいきたいよ。きっと、知ったら《言わざる》は出来ないだろうしな〜って思うし」
「じゃあ、絶対秘密にしておくよ。それに…これだけは言っておくけど、俺には生まれてこの方…ユーリほど深く愛した人はいないよ?」
「コンラッド…」
「ユーリ…」

 見つめ合う二人に辟易して、一気にヒットポイントの残量が1くらいまで落ち込むのを感じる。

 《ふ〜たりのために〜せ〜かいはあるのぉ〜♪》という懐かしのメロディが、殷々と頭蓋内に幻聴を奏でている…。
 この連中…村田をアテ逃げするつもりだろうか?

 そこに、助け船なのかどうなのか…コンコンと扉を叩く音がした。

「入ってもいいですかぁ〜?」

 飄々としたその声に、はっと村田は飛び起きる。
 あの痛烈な突っ込み芸を持つ男なら、この歯茎の痒みをどうにかしてくれるような気がしたからだ。

「ヨザック!お疲れさまっ!!待ってたよぉ〜っ!!」

 扉を開けるなり飛びつかんばかりの大歓迎を示す村田に、グリエ・ヨザックは目を見開いて驚いていた。そして…野生の獣を思わせる蒼い瞳をふわりと優しい色に染め、包み込むように見つめてくるものだから、村田は妙にドキドキしてしまった。

『な…なんて目で見るんだよっ!』

 村田は単に、親友とその恋人のラブラブ熱風によって熱中症に陥る危険性を回避したかっただけなのだ。決して、そこまでヨザックに会うことを切望していたわけではないのだ…。

 そう言ってやりたいのだが、久しぶりに間近で見たヨザックの顔だとか、仄かに香る独特の体臭とか…村田を思いやるような優しい仕草だのに絡め取られて、結局促されるままお土産の焼き菓子を口に入れたりしている。

『こ…こんなつもりじゃなかったんだけどな』

 ヨザックがあんまりニコニコして自分に尽くしてくれるから、村田は先程よりも体温が上昇しているような気さえしてきた。

「あのさ…れ、例の件とかどうなったかな?」
「ええ、順調ですよ。文書はこちらですが…口頭でも確認させて下さい」

 ヨザックには有利からの要望もあり、カロリアの状況を確認しに行って貰ったのだ。更にはエリオルの用意した資金を元に、コンラートやヨザックが個人的な繋がりを持つ商人に頼んで復興支援も行わせている。しかし、それは現在の破損状況から考えれば根本的な解決にはならないのだという。

「ギリギリ食料が春までもって、餓死者が出ないって程度のものですね。ちいさな漁村としてならともかく、以前のような国際港に復帰する為には本格的な港湾工事が必要になります。小シマロンは支援をしないばかりか、徴兵した若い連中を返すこともしませんからね。資金面以上に人手が足りない状況です」
「そっか…」

 ヨザックの報告に有利も心配そうに眉根を寄せた。

「あのさ…俺が王太子になれたら、港の修復費とか捻出できるかな?王太子の給料って、そこまでたくさんはない?」
「港湾工事を全て賄うほどの金額を王太子が個人で出すってのは難しいね。十一貴族の面々に頼み込めば、未来の魔王陛下への投資ってことで幾らかは募金してくれるかもしれないけど」
「募金かぁ…いっそのこと、世界的規模で大々的に募金活動の展開とか出来ないのかな?コンサートとか開いてさ」
「ふぅん…それ、結構良い策かも知れないよ?」
「え…マジで?」

 有利は馬鹿馬鹿しいと一蹴されるとでも思っていたのか、ぴょんっとソファから飛び起きて村田に向き直った。

「ねえ、ヨザック。君は確か吟遊詩人ギルドの顔役と知り合いだったよね?」
「ええ、マーシャ姐さんは俺が男だって事も魔族だって事も知った上で協力してくれる、ありがたい人ですからね」
「……ふぅん」

 ちょっと言い回しが気になるが、有利のようにあからさまな嫉妬を示すのは恥ずかしくて、敢えてスルーする。

「だったら、協力を仰げないかな?できればその人のギルド以外にも呼びかけて、国際規模の歌謡ショーを企画するんだ。カロリアでね、《人道的支援のために、義援金を集める企画です》…って名目でさ。このタイミングなら、《人道的国家眞魔国》って格好のアピールになると思うな。少なくとも、渋谷達は実際に支援物資を運んでいくわけだしね」
「ええと…すみません。脳がついていかないんですが…」

 ヨザックは辛うじて有利が眞王の器とされることを回避したことと、王太子に任命される可能性があることだけは知っていたものの、会議の席で彼が提案した内容についてはまだ知らされていない。
 そもそも《地の果て》騒動以降ずっと別働隊として働きづめだったのだから、有利達が何を考えているかなど殆ど知らなかったのだ。このため、《世界平和樹立の為に魔王になろうと思う》等と聞かされたヨザックは、暫くの間何を言って良いのか分からない様子だった。

「いやぁ…大したタマだとは思ってたが、ユーリ…お前さん、やっぱり徒者じゃなかっんだな?」
「メチャメチャ見込みが甘いってコト?」

 少々皮肉げな口調になってしまうのはヨザックの癖のようなものなのだが、有利はぷくっと唇を尖らせる。

「いえいえ、ユーリだけが…おっと、そういえば王太子になられるのでしたら、一兵卒がこのような口を叩いては不敬にあたりますね?」
「あんたらは本当にそっくりだな!」

 ぷんぷんと頬を膨らませる有利に、《そっくり》と称されたヨザックとコンラートは、互いに複雑そうな視線を交わした。

「ま…それじゃあ甘えさせてもらって、こういう席では元通りやらせて貰うぜ?だがな、ユーリ…あんたが本当に王太子になるってんなら、俺は公的な場じゃあこんな口はきかねぇ。日本でだって、天皇陛下に一般市民がこんな口はきかねぇだろ?TPOってものもあるしな」
「う…うん」

 王太子なんてものになると言うことは、少々の堅苦しさには馴染まなくてはならないのだと、有利にも多少は感じ取れたらしい。

「…で、本題に戻りますがね。猊下が見込みがあるってんなら、俺は全面的に信じます。マーシャ姐さんも必ず説得して見せましょう。鉄火肌の姐さんは、自分とこの歌姫の中にカロリア出身者も含んでますから、既に個人的な支援はしてるみたいですしね。ただ、姐さんのギルドに含まれる歌姫が、大・小シマロンで《眞魔国の密偵》扱いされないようにってトコだけは、重々気をつけて計画を立てて下さい」
「了解した。ま…全ては渋谷が王太子になって、貴族連中を説得してからって話だが、話が人道支援となれば多少は通りやすいだろう。万が一小シマロンが難癖つけてきても停泊させている艦船にすぐ乗り込めるしね。大型艦船は出せないが、圧迫感のある軍艦を送り込むよりは、小〜中規模艇で少数精鋭部隊を送った方が他国への印象も良いだろうな。支援にかこつけて、カロリアを属国にするんじゃないかなんて疑念も掛けられないしね」
「うわぁ…マジで、堂々と支援できるようになるのかな!?」
「その為には、君は何としても十一貴族の印象を良くしとかなきゃならないよ?喋りの方もだけど…多少は宮廷儀礼とか、ダンスとかの鍛錬もしとかなくちゃね」

 よほど予想外の内容だったのか、有利はぽかんと口を開けて呆然としていた。

「え…だ、ダンス…って……な、なんでっ!?」
「そりゃあ宮廷でいっぱしの人物と見せる為には、気の利いたダンスのひとつも踊れなきゃ始まらないよ。特に、他国との義援パーティーとなれば、《高貴な品格》ってヤツを手っ取り早く見せつけるために華麗な立ち居振る舞いを見せないとね」
「えーっっっ!?」

 おそらく、十一貴族当主陣と会談するよりも困難な話なのだろう。有利は飛び上がって苦悶の声を上げた。

「心配しないで、ユーリ…まだ宴まで日はあるからね。夜の間に俺とみっちり練習しよう?」
「あー…フォンウェラー卿ならみっちりねっちり、手取り足取り腰取り教えてくれそうだね。二人きりで密着して、美子さんとの約束を反故にしなけりゃ良いけどねー」
「でもさぁ…あれって地球での基準じゃん?眞魔国って16歳で成人なんだろ?だったら…」
「……誘惑しないで?ユーリ…」

 村田と有利のダブル攻撃に、コンラートは心底困り果てた顔をする。無自覚に誘いまくる有利(しかも、具体的に何をされるかは分かっていない節がある…)に、さぞかし理性の手綱裁きに苦労していることだろう。

「あんたも苦労するなぁ…。ところで、猊下は親御さんとそういう約束はしておられないんで?」
「してないよ。男相手に《ケツ掘られるな》なんて注意する親は渋谷んちくらいなもんだよ」
「じゃあ、不純異性交遊の方はもうしておられるんで?」
「その辺は、黙秘権を行使する」
「へぇ…」

 妙にニヤニヤしているのがちょっと嫌な感じだ。
 頑なな言葉回しで、どうやらチェリー君であることを見抜かれたらしい。

『……こいつは、男も女も色々と知ってそうだよな…』

 あまり聞きたくはないが、享楽的なことは好きそうだし…任務の為なら、嫌悪している相手の性器でも笑って舐められそうな男だ。誇りは高いが、その使いどころは常に大切な者を護るためというところに設定されているからだ。
 きっと、本当に愛した者相手なら凄く優しく抱くような気がする。

『…て、なんでこんな男の下半身事情なんか気にしてんのさ!』

 自分で自分に突っ込みを入れると、村田は《疲れたからもう寝る!》と宣言して、食事も採らずに宛われた部屋で横になった。
 
 その夜見たちょっとエッチな夢に、ヨザックが登場したのは絶対に秘密だ。



*  *  * 


 

 翌朝食事を部屋に運んで貰うと、ワゴンを操作して隣の部屋に赴こうとしたら、扉を開けたところでばったりとコンラートに出くわした。彼もまたワゴンを運んで有利の部屋に来ようとしていたらしい。互いに目を見合わせて笑うと、有利の部屋で食事を採ることになった。

「今日は兄さんとギュンターとオーディル殿に会うんだったね。確か、昼にはデル・キアスンも血盟城に到着するらしいよ?」
「そっかぁ…」

 表面はサクサク、中はふわっとした白パンをもぐもぐやりながら、ちょっと有利は複雑そうな表情を浮かべる。有利の魂を最後に持っていた女性の肉親なのだから、どうしたって色々と考え込んでしまう。

「オーディル殿は、君をジュリアと重ねることはないよ。ある種の感慨を覚えることはあるかも知れないけどね。デル・キアスンも多少一本気に過ぎるところはあるけど、きっと大丈夫」
「うん…」

 確かに、不安に感じたところでこればかりは会ってみないと分からない。きっとあちらの方でも同じ事を思っているに違いないし。

「俺さ…頑張りたいな。ジュリアさんから受け継いだ魂に相応しい生き方がしたいよ。あの人達が、《ああ、あの子の中にはジュリアがいるんだ》って、嬉しい気持ちになれるようにさ」

 魂を受け継いでも別の人物であるというのは、地球で言えば死後の移植に似ているかも知れない。心臓とか腎臓とか…生きていく上で掛け替えのないパーツによって、有利は新しい生を受け継いだようなものだ。

 だとすれば、必ずしも同じ魂を持つという事実は否定すべき材料ではなく、ジュリアのおかげで今があるという、彼女やその家族への感謝の念に昇華すると思う。

「ユーリ…君は、本当に靱い」
「えへへ…」

 コンラートの気遣いがくすぐったくて嬉しくて…有利は心構えをして対話に臨むことが出来た。



*  *  * 




 血盟城内の一室で、有利はまずウィンコット家の親子と会話することになった。眞魔国語が少し怪しいものの、村田を交えるとどうしても遠慮が出てしまうかも知れないからと、有利は一人で対応することになった。

『この方が、双黒の君…。なんと愛らしいのだろう?』

 デル・キアスンは若々しい顔立ちに驚愕を載せて薄水色の瞳を見開いた。青みがかった銀髪を持つ彼はもう少しで100歳というところで、人間で言えば18〜19歳の外見をしている。

 彼と有利の間には、姉の魂を持つことの他にも《縁》がある。
 デル・キアスンはもともと、《双黒を捕らえるか殺せ》と命じられてウィンコット軍を率い、サマナ大樹海周辺に陣を張っていたのだ。

 しかし、狙いの双黒が見つからないばかりか、《地の果て》の回収に際してもヴォルテール軍が首尾良く搬送してしまった為、ウィンコット軍は《いったい何の為に遠路はるばる遠征したのか》と、無力感に苛まされていたのである。

 そこにもってきて有利が《地の果て》を土の要素に昇華させる形で解放したことを知り、次いで、今日血盟城に着くなり父から《実は、双黒の君はジュリアの魂を受け継ぐ方なのだ》と知らされたため、正直なところこの少年に対してどういう印象を持って良いのか分からなかった。

 けれど、こうして実際に顔を合わせてみれば不思議なほどしっくりと胸に納まるものがある。

『僕は、この方をサマナ大樹海で捕らえなくて良かったのかも知れない…』

 ウィンコット軍は大規模な編成で陣を張っていたから、その分大・小シマロン軍の監視の目も厳しかった。もしも首尾良く有利を捕らえていたとしたら、とてものこと彼を生きたまま眞魔国に連れ帰ることなど出来なかったろう。どれほど個人的に好意を抱いていたとしても、デル・キアスンはきっとコンラートのように判断し、行動する思い切りの良さはなかったと思う。

 ウィンコット軍と眞魔国という組織を背負っているというプレッシャーもあって、《他国に取られるくらいなら…》と、有利を殺めていただろう様子が、瞼に映るほどの現実味を保って想像できた。
 握った手に、冷たい汗をかいたほどだ。

 そうなっていたら…一体何が起きただろうか?

 おそらく《地の果て》は暴走を続け、溢れ出した創主の力で眞王は狂い果ててしまったことだろう。世界は幾ばくも保たずに滅びていたに違いない。
 その場合、おそらくは死後の世界で恐るべき真実を知ることになったろう。スザナ・ジュリアが命を賭けて繋いだ魂を、自らの手で殺めてしまったのだと。

『この人を、殺す事にならなくて本当に良かった…!』

 きっと、亡くなった姉の導きに違いないと思う。

 そう信じるデル・キアスンは、有利と意想外に楽しいひとときを過ごすことが出来た。見てくれから受ける印象は全く違うのに、やはり有利の中には姉の一部が息づいているような気がした。

 同じものとして捉えているからではない。きっと…有利がこうして生きて、笑っていられることに姉が貢献できたのだという事実が大きな救いとなっているに違いない。

 父も、これまで見たことがないほど屈託のない表情で笑っている。
 有利が語る未来図はとてもすぐに実現できるようなものではないけれど、混血も人間もない…大きな世界観は、かつてジュリアが語っていた観念とも通じるものを持っていた。

『ああ…姉さん、あなたの死は無駄ではなかったんだね?』

 いつも光の中で陽気に笑っていた姉。
 結婚を間近に控えながら命を失う《悲劇の死》なんて、ちっとも似合わない闊達な姉。

 彼女が自ら選んで、悔いなくこの少年に繋がっていったのだと思ったら、デル・キアスンの心には暖かい潮が満ちていくようだった。

『この方と、新たな世界を拓いていくのか』

 わくわくと胸を高鳴らせる高揚感に、デル・キアスンは夢の広がりを感じていた。



*  *  *

 


 その後、有利と顔を合わせたのはフォンクライスト卿ギュンターであった。
 こちらはもう会議の席で既に意気投合していたものだから、実に楽しく会話が弾み、そのうち会話の内容はコンラートの事に及んだ。

「コンラートとはまだゆっくり話をしておりませんが、随分と印象が変わりましたね」
「うん。おれも、はじめてあったとき、いま、なんかかんじ、ちがう」
「そうでしょうね…」

 ギュンターはそっと瞼を閉じて、有利に始めて出会った頃のコンラートを思い浮かべる。あれほど身を尽くして貢献した国に裏切られ、初めて信頼を示してくれた兄のために双黒を殺そうと血眼になっていたことだろう。

 その彼がどうしてこの少年を救おうと思ったのか、詳しいことは分からない。
 だが、昔からコンラートを知っているギュンターには分かる気がした。

『コンラートは強い。おそらく、剣技でいえば対等な条件下で戦わせてあの子に勝つ者はこの地上にいないだろう。既に師匠であった私の剣も大きく越えている。それだけに…あの子は、剣を持つ力もない子どもを殺せるような精神を持ち合わせてはいないのだ』

 その優しさが報われた事が、ギュンターにとっては何よりも嬉しいことであった。ずっとずっと…彼は純粋で真っ直ぐな精神と優しさを、無惨に踏み躙られながら生きて来たのだから。

「でもね…かわる、ないこともある。おれ、ぜったいコンラッド、いい人と思った。だって、あんなにキレイな目の人、わるいことナイ」
「そうでしょう?ウェラー家特有の銀の光彩を持つこともあるでしょうが、どんなに擦れたように見えても、あの子は決してあの瞳の輝きを失うことはなかったのですよ。芯の部分は何時までも変わらず…澄んだ光を湛えた器のように、あの子の中に輝き続けていたのでしょうね」
「ぎゅんたーさん、ことばとてもキレイ。おれも、こんらっど、そういうふう、言いたい」
「ふふ…ギュンターで結構ですよ。言語も詩文も、たくさん教えて差し上げますよ?私はこう見えても長く教官をしていた男ですし、この国の古詩研究にも通じておりますからね」
「コンラッドのことも、もっと教えて?」
「そうですねぇ…それでは、私が一番嬉しかった思い出をお話ししましょうか」

 ギュンターはくすくすと笑いながら、コンラートの秘められた(?)過去を教えてくれた。







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