第49話 「…………はう?」 有利は眞魔国語を聞き違えたのかと思い、きょとんと首を傾げて周囲に助けを求める。しかし…コンラートを見上げても、こちらも声を失って硬直している。 「…………眞王、君…そういうコト考えてたわけ?」 「ああ、ユーリが魔王になれば嫌でもお前は協力せざるを得ないだろう?それこそ、生涯を掛けてな」 「この…根性悪!」 《こういうことか》…村田は歯がみしたいような心地で確信した。 だからこそ、眞王とウルリーケは絶対的な命令ではなく、あのように…わざと有利の精神が事実上抹殺されてしまうような言い方をして、十貴族の出方を伺ったのだ。 果たして、生まれたときから骨身に染みた眞王への忠誠を押さえてでも、有利を尊重できるか否かを計るために…。 「な…何を言われるのですか!?異世界の住人を、眞魔国の栄誉有る魔王に就任させるなど…っ!」 ヴァルトラーナは地団駄踏むようにして抗弁するが、通るものではない。 「何を言う。お前、先程までこのユーリの肉体へと俺が宿ることに賛成していたではないか。見てくれ上は一緒だぞ?」 「そういう問題ではありませんっ!」 「では、お前は誰を魔王として仰ぐつもりだ?甥のヴォルフラムか?このような時代の変転期にあって、何の発言も出来ない子どもに任せられるとでも?」 「……っ!」 この痛烈な指摘には、流石にぐうの音も出なかったらしい。 ヴァルトラーナがなまじ発言力が強く、ビーレフェルト当主としての権威を持っていたこともあって、ヴォルフラムはこの会議に於いて周囲に影響を与えるような発言を何一つしていない。《そうですね》とか《確かに》といった追従じみた発言だけで、次代の王たる権威を示せるわけもない。 本来はもっと能力のある少年なのだろうが…偉大なる(少なくとも、彼は思っているだろう)伯父の影に隠れて自発的な発言がなかったことは否めない。 「既に《地の果て》を滅ぼし、十貴族…いや、十一貴族の半数以上を味方につけ、第26代魔王の友情も受けている候補者が、他に考えられるか?」 「う…っ…」 ヴァルトラーナは歯がみしながらも抗弁することが出来ない。不満はありありであっても、《眞王陛下の忠実な下僕》というスタンスを逸脱することが出来ないのだろう。 * * * 『ユーリが…魔王陛下に?』 あまりに突拍子もない状況変化に、軽く目の奥がくらくらしてくる。 だが、それがどこか浮き立つような心地よさを伴っていることにコンラートは驚いた。 至尊の冠を頭(こうべ)に載せ、鮮やかな緋のマントを羽織った有利を想像してみると、実に照れくさそうにもじもじしている様子が目に浮かぶのだが…それでいて、彼はかつて存在したどんな王よりも大きな可能性を抱いていることに気付いた。 彼にはしなやかな靱(つよ)さと優しさ、時折見せる視点の鋭さ…そして何より、《何としてもやり遂げる》という強い一念がある。しかも、彼は眞王が言うとおり多くの者に愛され、支えたいと思わせる希有な才能を持っているのだ。 どのような国にしていくかといったビジョンはまだ持ってはいないかも知れないが、素直な性根を持つ彼のことだ、きっとグウェンダルやギュンターの指導があれば優秀な王となるだろう。 『魔王…ユーリ陛下』 そっと呟いてみたら、じぃん…と胸一杯に染み渡る感覚が、髪の毛の先に…指先にと、潤々と響き渡っていく。 ああ…何と素晴らしい響きだろう? 「コンラッド…」 様子を伺うように小首を傾げている有利に向き合うと、コンラートは儀礼典範に載せたくなるほど見事な一礼を見せて、恭しく頭を垂れた。 純白の正装軍服でそのような格好をすると、その様子は敵意をもつ者の目にさえ華麗に映るという。目一杯の好意を持つ有利ならなおさらだ。うっとりと見惚れて唇を綻ばしていた。 だが…コンラートの口にした言葉を耳にすると、すぐに表情が変わった。 「是非、就任して頂けないでしょうか?あなたを王として仰ぐのであれば、俺はどんな戦場にも喜悦して赴くことが出来る」 「そんなこと、だめっ!せんそう、ぜったいさせないっ!!」 カァ…っと脳天に火でもついたみたいに大きな声を上げて有利が叫べば、コンラートの瞳は一層愛おしげに細められるのだった。 「ほら…そういう君だから、俺は全力で支えたくなるんだよ?」 主君に対する言葉をふわりと普段遣いの声に変えて微笑めば、有利は困ったように《くきゅう〜…》と呻いた。 「ぁう〜…」 銀の光彩を散らした琥珀色の瞳がきらきらと輝き渡ると、有利は更に困り果ててしまったのだが…思い切って顔を上げると、十一貴族一人一人の顔を眺めていった。 その瞳はもう、ただ狼狽えていた先程までのそれとは違う。 今、彼が為すべき事は何なのかを真剣に考えている貌(かお)だった。 * * * 当然ながら、賛嘆の眼差しで見つめているのは有利を擁護してくれた人々であり、反対に視線を逸らしたり、威嚇するように睨み付けてくるのは有利の精神が封印されることに賛同した面々だ。 『ホントに…このまま、勢いで受けちゃって良いのかな?』 眞王の頼みの内、《禁忌の箱》を昇華させることについては何の問題もない。だが…魔王になるとなれば全く話が違う。 有利は眞魔国のことを十分に知っているとは言えない。何しろ、眞魔国の国政を左右するであろう大貴族の面々がどんな人物であるかも知らないのだから…。 『それに、このままだと絶対に蟠(わだかま)りが残る気がするな…』 眞王は《十一貴族の半数以上を味方につけた》というが、その内二人は身内のようなものだ。反有利派となってしまった人々についてもそうだが、有利派となった人々もまた、殆ど有利のことを知らない。 『俺がこの国で何がしたいかとか分かっていないなら、もしかすると…いま味方になってくれてる人の方がより強く失望する可能性だってあるよな?』 それ以前に、有利自身魔王になりたい…あるいは、なるべきだと思っているのだろうか? 『魔王になるって、どういうことだろ?』 《魔》がつくとはいえ、そこは《王》なのだ。やはり一つの国の中で最も強い権力を握ることになるのだろう。この国の場合はまだ眞王が影響を持ち続けるのかも知れないが…それでも、何処か達観したように現状を語る彼が、今後も同じように眞魔国と関わり続ける保証はない。大貴族達が彼を選択していれば暫くは続けるつもりだったのかも知れないが、有利の精神が保全されると同時に、彼は何らかの形で眞魔国とは《切れて》しまっているように感じる。 だとすれば、この国の未来には次代の魔王が大きく影響を与えることになるだろう。 『この国が、どんな国になったらコンラッドは幸せかな?』 利己的なのかも知れないが、それでもやはり第一に考えるのは彼のことだ。だって、有利はまだ眞魔国の民をそれほど見て聞いて触れ合って知っているわけではないのだから、どうしたって一番身近な人の幸せを願ったしまう。 でも、コンラートを本当の意味で幸せにするために必要なのは、彼を金銀財宝の泉に泳がせることでも、栄達昇進で背骨が折れるほどの勲章を捧げることでもないと思う。 彼はきっと…大切な人達が幸せであるとき、一番幸せを感じる人だと思う。 とても仲間思いだから、ヨザックやルッテンベルク師団の人々…そして、ウェラー領の人達をはじめとする混血の民が幸せでなければ、彼も幸せではないだろう。 だからといって、純血の特権を剥奪して混血をその座を占めるという人ではないから、きっと個々人の能力と資質に応じて相応しい位に就くことを望むに違いない。 それには何と言っても平等な社会の確立が必要だ。 眞魔国一国だけが潤っても、彼の半身を流れる人間の血がいつまでも貶められていては、きっと国内の混血差別だってどこかでぶり返してくるはずだ。なら、人間を侮蔑する気持ちを解消したい。 それには何と言っても国際平和の確立が必要だ。 『コンラッドを幸せにするってことは、コンラッドを取り巻く世界の全部を幸せにするってことか…』 遠大な夢はむくむくと果てがないほどに膨らみ、きっとこんな妄想じみた夢を持つ者など有利だけだと確信できる。 だからこそ…絶対的な権力を握ってから、一方的に《こうしろ!》と命令するのは嫌だった。 そう考えると、有利はすぅ…っと息を吸い込んでから声を発した。 「おれ、まおうになりたい!」 きっぱりと断言する有利に、好意的であった者は賛嘆の瞳を向け…ヴァルトラーナは侮蔑と嫌悪に満ちた眼差しを送り、彼に賛同していた四家の人々はどう捉えて良いのか分からないように狼狽えている。 「双黒の君が…我らの王となられるのですね…っ!」 フォンクライスト卿ギュンターが高らかに歓声を上げようとするが、有利は精一杯の威厳を見せて歓喜の波動を掌で制した。 「まって…みんなは、まだ決めるの、だめ」 「ユーリ…どうして?」 コンラートが怪訝そうに訊ねると、有利はふるふると首を振って意図を伝えようとした。 「今すぐ決めるの、だめとおもう。まおうになるのも、ならないのも、かんたんに決める、だめ」 気遣わしげに覗き込んでくるコンラートを横に避けさせ、有利は敢えて彼以外の方にもまんべんなく視線を向けて話していった。 「これは、とてもおおきなこと。たいせつなこと…。かんたんにきめるのは、いけない。みんなも、おれのこと分かってほしい。おれもみんなのこと知りたい」 「それでは双黒の君、いつまでに結論を出されるおつもりですか?」 落ち着きを取り戻してきたロドレストが問いかけてくる。確かに何時までも先延ばしに出来ることではないだろう。 「えと…ロドレストさん、みんながお城にいられるのはいつまで?」 「新年の宴が終わった後はそれぞれの郷里で新年の祝いを行いますので、引き留めても今日から7日程度かと…」 旅の準備もあるだろうから、新年開けてからの日々はあまり宛にならないわけだ。 「だったら、《おおみそか》…今年のおわりの日にもう一回、かいぎできる?」 「皆様方も、それでよろしいですか?」 一同はそれぞれの表情で有利の提案を受け入れた。 ことに、ヴァルトラーナ以外の4家は思わぬ失点を取り返したい気持ちで一杯らしく、有利派の面々よりも積極的に頷いていたくらいだ。 「それじゃあ、今から、おれがもし、まおうなったら、しんまこく、どういう国にしたいか言う。きく、おねがい」 「ほう…?」 初心表明演説のようで肩に力が入ってしまうが、有利は懸命に言葉を選びながら、時には村田やコンラート達に言葉を貸して貰いながら思いを口にしていった。 有利が魔王になる以上、絶対に戦争はしない。 二度と、コンラートやヨザック達を酷(むご)い争いで命の危機に晒したりするものか。 だが、言うは優しくとも守るにはどれほどの困難が伴うかは、有利にも幾らかは察しが付く。 外交努力で戦争を回避し、更には大シマロンが所有する《風の終わり》を放棄させるとなれば、一体どのような方策があるのか分からない。 それでも、人間世界にある箱を武力によって奪おうとすれば、絶対に《眞魔国が優位に立つためにそのような事をするのだ》と思われるに違いない。 方法はまだ分からないけれど、有利は…眞魔国は、決して《禁忌の箱》を武器として使いたいわけでも、人間を戦力的優位に立たせぬ為に箱を欲しているわけではなく、創主の力に世界を浸食させたくないからなのだと分かって貰わなければならない。 『それって、やっぱりまずはお互いを知るところから始まると思うんだよね。直接会って、顔を見て…話をするところから全部始まる気がする』 人間にも魔族にも良い人はいるのに、種族として対峙するとなると凄まじい反発をもたらす。それは、地球でも同じだった。黒人と白人の間…キリスト教徒とイスラム教徒の間…どれほど血塗られた戦いによって、尊い命が奪われてきたことだろう? だがその一方で、戦いを回避しようと努めて現実世界を変えていった人々も確かにいたのだ。 非暴力主義で植民地支配に抵抗したマハトマ・ガンジーしかり。 27年間も牢獄に囚われながら、恨みによる報復よりも、一つの国として南アフリカが纏まることを望んだネルソン・マンデラしかり…。長い長い時間を掛けて、多くの人々の協力を得ながら進んできた人たちがいる。 ガンジーはテロの犠牲となったが、その思想は死ななかった。後を引き継いだ後継者がいたのだ。 有利がやろうとしていることも、有利一人では決して出来ないことだ。万が一の時も引き継ぎ、運動を続けてくれる人たちが必要だ。 『だから、諦めずに…焦らずに、一緒にやっていってくれるチームメイトとして、《渋谷有利とやっていきたい》って、思って欲しいんだ』 眞王に言われたからではなく、有利を有利として知った上で選んで欲しい。 そして、眞魔国を幸せな国にしたい。 何処よりも強いとか、何処よりも豊かであるというだけでなく、世界と調和した国にしていきたい。 そんな思いを込めて語られた言葉を、十一貴族とゲスト達はどう感じていたのだろう?有利が語ることを止めた後、最初に口を開いたのはコンラートだった。 彼は、少なからず衝撃を受けているようだった。 * * * 眞王に有利が魔王になることを勧められたとき、コンラートが賛同の意を唱えたのは、単に有利という個体を愛していたからだった。 だが…今はあの瞬間の気持ちを恥じる気持ちで一杯だ。 《王としてのビジョンはまだないだろう》だって?今、そんなことを口にする者が居たら遠慮容赦なく叩き伏せることだろう。 有利は、確乎たる信念を持ってこの国を導こうとしているではないか…! 胴が震えるような感動を覚えながら、コンラートは強く瞼を閉じた。 もう、そこに映っている魔王陛下の姿はちいさくて可愛らしいだけの《偶像》ではなかった。 真の尊崇を与えるに値する、唯一無二の王だ。 「ユーリ…改めて、忠誠を誓わせてくれるだろうか?」 コンラートは驚く有利の前に跪くと、毅然とした面差しに尊崇を込めて剣を抜き…その柄を有利に押しやる。これまで一度として他人に捧げたことはない、騎士の誓いを立てようと言うのだ。 剣の主として慕い、支え…生死の全てをこの少年に捧げたい。 気が付けば雲間を透かして注ぎ込んできた陽光が、金色の光彩を帯びて人と床とを染め上げている。天窓から注ぐその光りは、有利のすべやかな頬に照り映えて神々しいまでの美しさを醸し出していた。 喜ばしさに、自然と琥珀色の瞳が潤み…細められる。 「ユーリ、君を《陛下》と呼べる日を…臣下として尽くす日を、俺は心から待ち望んでいるよ…!」 「コンラッド…」 嬉しいけどどうして良いのか分からないという風な有利に対して、村田は苦笑しながら受ける方法を教えて遣った。剣の柄にキスをしてから、コンラートの左右の肩に剣先を押し当て、くるりと反転させて剣を返す。 「我が剣の主に、永遠の忠誠を誓う…」 「そのちかい、つつしんで…おうけします」 はにかみながら受け入れると、今度は村田がぐいっと前面に出てきた。 「さて、感極まってるお二人にはちょっと下がって貰って、僕の話も聞いてくれるかな?」 * * * 甚だ不本意ではあるが、有利が《やる》と言ってしまった以上、村田の進路選択肢は一つに絞られてしまった。如何に眞王の掌に転がされることが不愉快であろうが、そんなことのために有利を見捨てるほど冷血には出来ていない。 腹立たしいほど…この友人に惚れているのだ。 色んな意味で。 ただ、進路については《渋谷有利のブレーンとして眞魔国を機能させる者》という所属を目指すことが確定しても、そこに至るまでの経過くらいは選ばせて欲しい。 何しろ、物事には優先順位というものがある。 「僕は渋谷が魔王を目指すと言うのなら、どんな手段を使ってでも彼の野望を成就させてみせる」 失礼なことに、敵味方を問わずその場にいた全員がぶるりと背筋を震わせていた。 双黒の大賢者などという肩書きが一人歩きしてして過剰な畏敬の念を抱かれているのか、《どんな手段を使ってでも》という表現が現段階での《抵抗勢力》への扱いを示唆しているようで恐ろしかったのかは不明だ。 「村田…」 早くも瞳をうるうるさせている有利があまりにも可愛いので、顔がにやけないよう、故意に視線を逸らす。油断すると、厳しいことが言えなくなってしまうのだ。 「でもね、現段階では…僕は渋谷が魔王になることには反対だよ」 村田の表裏一体となった発言に、人々は困惑の表情を浮かべた。 |