第43話





 《地の果て》周辺地域にもたらした影響は、前回の封印劇に比べれば微細なもので済んだ。鍵が正統なものであったこと、また、箱の内部に引きずり込まれる前に救出されたことが大きな要因だと考えられる。

 ただ、やはり砦自体の損傷は激しく、頑強な地殻の上に建っていることから砦全体の倒壊は免れたものの、そのまま居留し続けることは困難であると考えられた。

 そこで、発熱した二人の双黒は急遽ありったけの毛皮で壊れやすい硝子細工のようにくるまれ、近隣に位置する地方貴族の屋敷で一時的に療養することとなった。
 負担が小さくなるようにがっしりとした造りの馬車に乗せたものの、双黒は二人ともぐったりと脱力している。しんしんと降りしきる雪の切片が、朱に染まった頬の上で溶ける様子は何とも言えず美しいが…その華奢な身体が受けているだろう苦しみを思うと切なくなる。

 ことに…双黒の一人、有利を無上の存在として愛しているらしいコンラートは、見ているグウェンダルが心配するほどに真っ青な顔をしていた。 

「ユーリ、大丈夫?」
「ん…」
 
 馬車に乗せられ屋敷に向かう道中、有利の意識は半ば朦朧としていたから、確認しようとして声を掛けるたびに、コンラートの語尾が悲痛に揺れた。

「ユーリの手を貸せ」
「兄さん?」

 同じ馬車に乗り込んだグウェンダルが、毛皮の中から覗くちいさな手を渡すように促してきたのだが、コンラートはその意図を予測したのか眉根を寄せた。

「ですが…兄さんもお疲れでは?」
「やりたいのだ」

 グウェンダルが同行していた軍には、機械的な負傷治癒に適した衛生兵は配属されていたのだが、極度の疲労を癒す者はいなかった。グウェンダルもそれほど得意というわけではないし、確かに《地の果て》を昇華させたことで疲労の極みにある。

 だが…やっと心を通じ合わせることが出来た弟が死にそうな顔をしているのだ。兄として、出来ることは何でもしてやりたかった。
 それにこの有利という少年は、グウェンダルとコンラートを結び合わせてくれた大恩人であると共に、かつてはグウェンダル自身が厳命して、殺害し…その首級を眞魔国へと持ち帰るよう言いつけていた人物なのだ。

 感謝と詫びの念は、何とも言えぬ感触でグウェンダルをもどかしい心地にさせた。

「ユーリ…聞こえるか?ユーリ…」

 毛皮の中から引き出した手を両手の中に包み込めば、その熱さと小ささに胸が苦しくなる。相手の意識がほぼ無いこともあって、思いがけずグウェンダルの声は優しくなった。

「なるべく、楽しいことを考えるのだ。元気になって、したいことはないか?」
「たのしい…こと…」

 軽く揺れた後、ふぅ…っと唇が笑みの形を取る。 

「こん…らっ……とに、わらって…ほし……」

 速く浅い呼吸の中で、有利の瞳が嬉しそうに細められる。グウェンダルの治癒の力が注ぎ込んで、幸せな幻を見せているに違いない。
 コンラートが、微笑んでいる様を夢想しているのだろうか?

「コンラートが……好きか?ユーリ…」
「うん…だいすき……」

 素朴な喜びに満たされて有利が微笑むと、傍らで見守っていたコンラートが泣き笑いの表情を浮かべた。

「俺も大好きだよ…ユーリ。君自身が…君がくれたもの全部が、俺を幸せにしてくれる。だから…」

 コンラートはそっともう一方の手を取ると、狂おしげに額を擦り寄せた。
これまで、魔力を持たないことにさほど引け目を感じさせることのない青年であったが、今だけは治癒の力を持たぬことに忸怩たる念を抱いているに違いない。

「…お願いだ。元気になって……?」
「うん…」

 発熱の度はあまり変わらぬものの、すぅ…すぅ…と立てる寝息は幾らか健やかなものになる。

 ゴトン…ゴト…
 ゴトトン……

 暫くの間、馬車の揺れを感じながら、兄弟はそれぞれの思いを噛みしめていた。

『この子の首が…缶に詰めて運ばれるところだったのか』

 ちいさく愛らしい頭部。
 その中には、たくさんの愛情と誠実な真心が詰まっているのだ。

 憎しみを持って下した命令ではなかったものの、コンラートが命令に反していなければどうなっていたのかと想像すると、臓腑が凍てつくような感覚がある。
 
『この子に出会った頃の、コンラートの葛藤がまざまざと浮かぶようだ』

 誠実な彼のことだ。初めて兄らしいところを見せたグウェンダルにさぞかし気兼ねして、ユーリを慈しむ気持ち事態が罪であるように感じていたに違いない。再会時の詫びの中には、やはりそれを伺わせるような言の葉が綴られていた。

『苦しかったろう…コンラートも、この子も…』

 殺すべき少年を愛してしまったコンラート。
 殺そうとした青年を愛してしまった有利。

 そんな二人が破滅の道を歩むことなく、《地の果て》を浄化してしまったことには大きな意味があるのではないだろうか?

『後で話をしよう、ゆっくりと…』

 コンラートと、そしてこの少年と、双黒の大賢者と崇められる伝説の存在との語り合いは、このところグウェンダルが接し続けていた暗く滅亡的なものとは違う未来を見せてくれるのではないか。
 
『その為にも、回復してくれ…ユーリ』

 ちらりと目線をやれば、兄の手前…冷静な表情を懸命に浮かべようとするのに、目の中にちらつく不安で揺らぎ続けている弟がいる。
 結局の所、自分は未来がどうこうというよりも、この青年が幸せであることを祈っているのかも知れない。きっと、有利と同じように…。

 グウェンダルはくしゃりとコンラートの額に落ち掛かる前髪を掻き上げてやると、まだ不慣れながらも安らげるような声を掛けてやる。気の利いた台詞が口に出来るわけではないのだが、武骨な言葉の端々に、コンラートが瞳を滲ませるのが分かった。感謝と愛情に満ちた眼差しは、グウェンダルの胸へと沁みていく。

『いつから、こんなに素直になったのだ…?』

 それはまぁ…グウェンダル自身もそうなのだと気付いて、ぼりぼりと頬を掻いた。
 全てはこの少年が導いた事なのだろう。有利の力は四千年の時を越えた呪いの箱だけでなく、世知辛い現実世界を生きる人々をも癒していくのか。

『無事に目を覚ましてくれ、ユーリ…。礼を…そして、詫びを言わせて欲しいのだ』

 ゴトトン…
 ゴトン……

 様々な想いを乗せた馬車は、ほどなく豪農の館へと到着した。



*  *  * 




 ベリッツァーという下級貴族ながら、農業で成功した一族が住まう屋敷はかなり大きなものであった。幾つかの棟に別れているが、雪に閉ざされることの多い地域であるためか、各棟は屋根・壁付きの廊下で繋がれているので寒風に責められながら移動することはない。
 しかも、分厚い漆喰の壁と太い木の枠組みで出来ているためか、建物の中にはいるとほっと安堵の息が出るほどに暖かかった。

 驚いたことに、出迎えてくれた人々の表情も負けず劣らず暖かかった。

「急なお願いで申し訳ない、ハイネン殿。病人の熱が下がるまで、暫くご迷惑をお掛けする」
「いやいや、なんのこともございませんよ。どうぞゆっくりしていって下さい」

 ふっくらとした初老の男性が迎えてくれると、大家族のベッツァー一族はわらわらと扉の向こうに溢れてコンラート達の様子を伺っている。この家はシュピッツヴェーグ領の地方貴族ではあるが、シュトッフェルとの付き合いは殆ど無い。特に当主のハイネンはシュトッフェルと商業政策について折り合いが悪く、《納税対象》以上の敬意は払ってこなかったようだ。

 貴族とは言っても名ばかりの下級にあたるため、本家の利権が幅を利かせるシュピッツヴェーグではさぞかし悔しい思いをしているらしい。

 《敵の敵は味方》ということでもないのだろうが、ハイネンのグウェンダルに対する待遇は良かった。既に館の一棟が開けられており、護衛の為の兵が配置されることにも苦情を出してこなかったのだ。
 《シュピッツヴェーグ領民》という存在全体に幾らか悪い印象を持っていたグウェンダルだったが、ハイネンの気配りには驚いた。

 更にはどうしたものか…ハイネン以外の家族や使用人達も、やけに柔らかく親しみに満ちた物腰で接してくるものだから少々戸惑ってしまう。苦労人のグウェンダルやエオルザークなどは、《これは何かの企みか》と懸念したほどだ。

 しかし…それが単なる杞憂であることに、すぐ気付くことになる。

 宛われた棟の一室に有利と村田を寝かせようとしていると、このような田舎にしては美々しい衣装を着た少女が興味深げに挨拶をしてきた。おそらく、ハイネンの孫娘だろう。おしゃまなお辞儀が大変愛らしい。

「はじめまして、フォンヴォルテール卿。お会いできて光栄ですわ」
「君は…」

 幼い容貌をしているが、利発そうな眼差しからして実年齢はもう少しいっている印象だ。
 くりくりとした釣り気味の瞳は好奇心に溢れていて、どこかグウェンダルの幼馴染みを彷彿とさせる。

「私、ベリッツァー卿エルザと申します。こう見えても、近在では有名な魔力持ちなのですよ」

 エルザの瞳が悪戯っぽく輝いた。

「土の…要素のね」

 その言葉と、確かに彼女から感じられる並々ならぬ魔力に、グウェンダルは事の次第を察した。

「もしや…君がハイネン殿を説得してくれたのか?」
「ええ、だって…私には感じられましたもの!」

 誇らしげに胸を反らすエルザは、少女らしい自尊心に充ち満ちて鼻を高くしているが、それを不快とは感じなかった。自分を誇ると同時に、グウェンダル達に対する敬愛の念も伝わったからだろう。

「禍々しい《地の果て》が、あなた方…ことに、《ユーリ》と呼ばれる方によって昇華されたのだと感じました…。本当に、吃驚しましたのよ?家族もそうですわ」
「ご家族もみな、あの異変に気付いたのかね?」
「漠然とは感じていたでしょうけど、明確に感知したのは私だけです。私は…強く感じすぎて、《地の果て》が閣下を取り込もうとした瞬間には、お恥ずかしいことですけど…怯えきって恐慌状態に陥っておりましたの。真っ青になってがくがくと震えて…舌を噛むのではないかと、お母様まで半狂乱になっておられましたわ。それが、どうでしょう…?数刻の後にあのようなことになるなんて…っ!」

 エルザはうっとりと瞼を閉じ、両手を合わせてその時のことを想起しているようだった。

「感動…しましたわ。ぼろぼろと涙を流してへたり込んでいる私を家族はまた心配しましたけども、あんなに幸せな心地になったのは初めてです。土の要素が歓喜に舞い踊り、混濁の中にあった同胞の魂が、鮮やかに再生したことを言祝いでいたのですもの。今が雪に閉ざされた冬であることがどんなに残念だったことでしょう!そうでなければ、きっと大地は青々とした若草に覆われ、蕾は一瞬にして華開いたことでしょうね…!ああ…それを成し遂げた方々が我が館においでになると聞いて、歓待すべしと進言せぬ道理がありましょうか?」
「心遣い、感謝する」
「ふふ…。いつまででもいらしてくださいな」

 エルザは華麗に淑女の礼をすると、楚々として立ち去った。
 
『ふむ…砦に近い場所に住んでいたこともあるだろうが…。あれ程の魔力を持つ者であれば、やはり《地の果て》の変化は察知しているのだ』

 最初の内、その事を単純に喜びとして感じていたグウェンダルだったが、物事を多角的に思考できる彼のこと、すぐに様々な方面への影響を考えた。
 
『眞王廟は…どうなっているのだろうか?そして、アルザス・フェスタリアはこの事態をどう考えているのだ?』

 前者は箱から溢れ出す創主の力によって、眞王ごと巫女達が不気味な塊に変じてしまっていたというが、箱の一つが影響力を持たなくなった以上、何らかの変化が出て当然だろう。
 後者についてはここ最近、以前のような予見が出来ぬらしく表舞台から退いていた感はあるが…果たして、この予想外の展開を前にしてどう動くつもりだろうか?

『何にせよ、正確な情報が必要だ』 

 グウェンダル自身は魔力を駆使したことと、負傷によって今夜は流石に無理な動きが出来ないが、信用に足る部下をやって迅速に情報収集がしたい。
 だが…今回連れてきている部下の中には、諜報分野で傑出した者はあまりいないのだ。

 焦るグウェンダルの肩を、不意にぽぅんと叩く者があった。

「閣下…ヴォルテール軍の中に、俺の居場所はまだありますか?」
「グリエ…」

 鮮やかなオレンジ髪をした青年は、袖無しの薄着をしているくせに寒そうな動きひとつせず、泰然として不敵な笑顔を浮かべていた。
 グウェンダルの号令一過、どこにでも出動するという顔だ。

「当たり前だ。しっかりと働いて貰うぞ?」
「へへ…ありがたい。閣下に無断で姿をくらましたから、てっきり見限られたんじゃないかと思って心配してましたよ」

 そんな殊勝なことなど考えているようには見えなかったのだが…指摘するのも何なので敢えて口を閉ざす。

 グウェンダルが早速諜報すべき対象をあげていくと、ヨザックは残らず復唱してからすぐさま館を出ようとした。
 …が、ふと立ち止まるとちらりと視線を背後の部屋に送る。

「猊下の看病も、丁寧にやって差し上げて下さいね?あと、結構人を選びますから、気にくわない相手が看護とかしているようなら、ちょいと裁量してあげて下さいね。あ〜…あと、あの方、結構甘いものに目がないんで、食べ物が口を通るようになったら甘く煮たマリルの実でも差し上げて下さい。この辺の名物でしょう?身体も温まりますしね」

 彼には珍しいような表情…優しいような、それでいて切ないような貌にグウェンダルは《こいつもか…》と頭を抱える。
 どうやら恋情などに振り回されたことのない強者達は二人して、あの華奢な少年達に心を奪われているようである。

「当然、十分に配慮する。お前は安心して、とっとと行ってこい!」
「…へぇい!」

 頷くと、野生の獣めいた動きでヨザックはひらりと身を翻した。



*  *  *

 


 一方…有利を抱いて客間に通されたコンラートは、漸く安定した寝台に有利を横たえると毛皮の山から救出した有利の服に手を掛け、白いエプロンを脱す。更に水色ワンピースの胸元にある、目の細かいボタンをぷつん…ぷつんと外すと、収まっていたチィがばふりと出てきた。

『可愛い生き物なんだが…ちょっと羨ましすぎるな』

 小動物にまで嫉妬を感じつつ、有利へと視線を戻せば…露わになった胸にドキンっと胸が弾んだ。

 汗ばんだ象牙色の肌の、なんと艶かしいことだろう?
 ほっそりとした首があえやかに捻られ、彫りが明瞭な鎖骨から胸筋が上下する様の、なんと麗しいことだろう…?

『いや…そんなことを考えている場合ではないからっ!!』

 自分で自分に激しく突っ込みを入れるが、正直な身体はむずむずと込みあげるような甘い感覚に目眩さえ覚えてしまう。
 有利が発熱さえしていなければ…そのまま首筋へと唇を埋めていたことだろう。

『それでなくとも、ミコさんに年齢制限の枷を掛けられているだろう!?』

 《落ち着け、とにかく落ち着け俺…》…自分に言い聞かせながら着替えを進めようとしたコンラートだったが、背後でグウェンダルがこの館の少女と会話している様子を聞いて、《あの話が終わったら、兄さんはこの部屋に入ってくるだろうか?》と懸念する。

 大事な大事な兄…。
 つもる話もたくさんある。
 
 だがしかし…幾ら大好きな兄とはいえ、譲れるものと譲れないものがある。
 こそ…っと動いたコンラートは、密やかに扉の鍵を閉めた。

 取りあえず《ユーリの生着替えを見る権利》はコンラートだけのものにしたい。

『すみません、兄さん…』

 せめて手早くやろうと、素早くワンピースを脱がしたのだが…今度はすべやかな肌に固く絞った濡れタオルを押しつけて汗を拭う過程に、初体験も済ませていない少年の如くときめいてしまう。
 また、館の侍女が用意してくれた寝間着を広げてみると、こいつがぎょっとするほど愛らしい純白のレース仕立てであった。しかも…下着が女性用のラインを描く紐パンであったことから、どうやら有利のエプロンドレスのせいで、性別が間違って伝わっているらしいと知れる。

『どうする俺…っ!?』

 意識がない間に着替えさせたら、さぞかし有利は恥ずかしがるだろう。
 だがしかし…このままにしておくには今穿いているトランクスや半袖シャツはぐっしょりと濡れ過ぎだ。

 思い切って、ぺろんと剥いてみた。

「…………っ……」

 危ないところだった。
 今…有利が元気だったら美子の言いつけなど、すぽこーんと抜け落ちてしまったに違いない。

 極力、魅惑的に過ぎる肢体を直視せぬように努めながら身体を拭くと、やっと肌触りの良い(でも女性仕様)寝間着に着替えさせてやった。下着も…ちゃんと着替えさせた。
 後で何か言われそうだが、そこはさらりと大人の余裕で…《汗だくだったから、ゴメンね》と受け流そう。
 
 脱がせるときに躊躇したことも、脱がせた後に何秒か見入ってしまったことも…絶対に内緒だ。

 そこで漸く扉を開けると、こちらも丁度ヨザックを見送っていたグウェンダルと目が合った。

「コンラート、お前も休め。この館の侍女が治癒術に長けているようだから、看護を依頼している」
「それはそれでお願いしたいですが、俺も一緒にいさせて下さい」
「疲れが取れねば、動きが悪くなるぞ?」
「それでも…具合が良くなるまで様子を見たいんです」
「仕方ないな…」

 グウェンダルが肩を竦めているところに件の侍女マーシャがやってきた。
 彼女の治癒を受けた有利の寝息は再び健やかなものへと変わり、二人ともほっと安堵の息を吐く。

「このままゆっくりお休みになられれば、明日にはお目覚めと共に意識も戻られるはずですわ」
「ありがとう、マーシャ…」

 ぽっちゃりとした中年女性のマーシャは《いえいえ》と恐縮して微笑み、人好きのする目尻の皺を深めてお辞儀をした。

 マーシャが出て行くと、暖炉の火がぱちぱちと爆ぜる中でコンラートとグウェンダルは暫しのあいだ会話を交わしていた。

 有利の容態がひとまず安定したこともあり、暖炉の明かりだけを頼りとする薄闇の中であるせいか、交わす会話の中身も最初の内こそ堅苦しい《眞魔国の未来》だの《地球で知り得た重大情報》といったものだったのだが、互いの声が柔らかみを帯びて行くに従って、内容もまた砕けたものになっていく。

「それで…コンラート、お前はその…このユーリを抱いたりするのか?」

 堅物のグウェンダルから飛び出すとは思えないような内容に、お茶で喉を潤していたコンラートは危うく寝台に向かって噴いてしまうところだった。

「に…兄さん?」
「下世話な好奇心で言っているのではないぞ?そういう意味で愛しているのだとすれば、他の女性と妻帯するという可能性があるのかないのか…その点が気になるだけだ」

 地球で聞いたことのある《ツンデレ》の、典型的な口調のように感じられてちょっと笑いそうになってしまう。

「その…なんだ、今回のことでおそらく十貴族会議の決議は覆るはずだ。もう、お前を北の塔に閉じこめるなどといった馬鹿馬鹿しい話もご破算になるはず…。そうなれば、当然お前の処遇も本来そうであるべき位置に戻されるはずだ」
「十一貴族…ですか?」
「そうだ。以前も問題になったが、十一貴族の一員として立つのであれば会議での発言権が極めて重要度を増すことになる。偶数で票が二分に均衡するという事態が消滅するわけだからな。…となれば、お前が世継ぎを得るか得ないかはかなりの重大事となる」

 同性婚自体は広く認められている眞魔国では、当主が同性しか愛せなかったり、生殖能力の問題で世継ぎを残せなくともそれほど強く問題視されることはない。王自体が世襲でないこの国では《正当な血筋でなければお家断絶》という他国のような厳しさがなく、家系の中で何かしら血が繋がっていれば世継ぎとして認められるのである。

 ところが、コンラートはウェラー家の唯一無二の構成員であるのだ。
 
「兄さんは…俺が女性を妻帯すべきだと思われますか?あるいは、妾にでも子を産ませるべきだと…」

 声はどうしても苦々しいものになってしまう。
 そうだとすれば、また自分は兄の期待を裏切ってしまうからだ。

「お前がそんなに器用なことが出来る男だとは思わん」
「え…?」
「たまには、正直に想いを明かしてみろ。私は…そんなに信用に足らぬ男か?」

 グウェンダルは大きな掌で口元を隠しているが、その唇が拗ねたように尖っているのは明らかだった。

「いいえ…いいえ!」

 予想外の言葉にふるふると首を振ると、コンラートは頬を染めつつもありのままの気持ちを口にした。
   
「俺はユーリしか愛することが出来ません。この子と…生きていきたいのです。その…まだ身体の方は結ばれておりませんが、成熟を待って夜を迎えたいと思っております」
「そうか…」

 こくりとグウェンダルは頷くと、満足したように微笑んだ。
 答えが気に入ったのではなく、明かしてくれたことが嬉しかったらしい。

「それでは、私もそのように心づもりをしておこう。なに…お前がどうしても嫌なら、どこか然るべき血筋から養子をとるなりすれば良かろう。その折には、何としても承認されるように手を尽くしてやる」
「ありがとうございます、兄さん…」
「ふ…」

 グウェンダルは首を巡らすと、壁掛け時計の指し示す時刻に眉根を寄せた。

「もうこんなに夜を過ごしてしまったか…。そろそろ、私は休ませて貰おう。お前も少しは眠っておけ」
「はい」
「良い返事だが…逆に信憑性がないな」
「ははは…」

 苦笑して頭を掻くコンラートは、確かにこの件に関して言うことを聞く気にはなっていなかった。

 グウェンダルが出て行ってからも、コンラートは静かに有利を見守っていた。
 寝台の脇に置いた椅子に座り、ゆるゆるとうたた寝はしながらも額に手を当て続けている。浅い眠りで身体は休めつつも、もしも常軌を逸した発熱を示したり、魘されたりするようなら起きて様子を見ようと思うのだ。

 しかし、有利は懸念していたような反応を示すのではなく、夜半過ぎになってから瞼をふるる…っと揺らし、ぼんやりと目を開いていったのだった。

「コンラッド…あれ?まっくら…」
「まだ朝ではないよ。ゆっくり眠っておいで?」
「ん…」

 頭髪を撫でられて再びとろとろと眠りに就き掛けた有利だったが、急にぱちりと目を開くと頭に置かれたコンラートの手を掴んだ。

「あんた…寝なくちゃ!」
「俺は良いよ。椅子でも眠れるんだよ?」
「駄目だってば!あんた、異空間にいる間中剣を振るい続けてたじゃないか。絶対くたくただよ?」

 有利は必死に訴えかけてきて、このままでは布団から身を起こしてコンラートをどうにかしようという勢いだ。

「…君の傍にどうしてもいたいんだ。駄目…かな?」

 甘えるような言い回しには滅法弱いことを知っているから、卑怯と知りつつも耳朶に吹き込んでみたのだけれど…今宵の有利は一枚上手だった。

「じゃあ、コンラッドも一緒に寝よう?」
「…………え?」
「このベッドおっきいもん。二人で寝たって平気だよ?俺、そんなに寝相悪くないし…」

 とは言われても、着替えさせたときの経緯もあってなかなか首を肯定の形に振ることが出来ない。
 熱っぽい身体に何をしてしまうか、自分でもちょっと自信がないのだ。

「……俺、熱出して凄く汗くさいから…嫌?」
「臭くないからっ!ユーリに触れたくない話では決してなく…っ!」

 うるりと瞳を潤ませる有利に勝てる者など誰もいない。
 コンラートは結局、一人我慢大会を強いられながらほこほこの恋人を抱きしめて横になったのであった。
 

  





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