第41話





 ガ…っ!
 ドガ……っ!

 蠢く触手がどうにもならないほどの勢いでグウェンダルの身体を引きずり、砦内の調度品や壁にぶつかった頭部や足が異音を立てて激突していく。氷のように凍てついた冬の石床は、血を失っていく身体から容赦なく体温を奪った。

 一体いま、自分の身体がどんな形を取っているかさえ分からない。
 位置感覚も平衡覚も侵された状態で《搬送》されているグウェンダルは、ぬるつく自分の顔がどこから出た血で汚れているのかも分からなかった。

『箱に…引きずり込まれるのか…っ!?』

 それだけは回避せねばならない。
 愚かにもシュトッフェルの甘言にのせられて、《禁忌の箱》を開くなど…。

 箱に入れられたが最後、眞魔国は…世界は崩壊する。

『馬鹿だ…私は……どうしようもない大馬鹿だ…っ!!』

 よりにもよって、コンラートの腕を奪い取った憎き《地の果て》に我が身を利用されるなど…っ!

 悔しさと怒りで、グウェンダルは歯がみする。

 いっそ舌を噛み切ってしまいたいが、伝承によればそれは無意味である筈だ。鍵は本体が生きていなくとも発動するとされているし、その事実は変質することなく保存されていたコンラートの腕が証明している。

『何か方法は無いのか…っ!!』

 前歯を立てて壁に留まろうとするが、そんな事で触手を止められるはずもない。歯が抜けることはなかったが、口の中を切ったのか鉄の味が口腔内一杯に広がった。

 意識が遠のき掛けたその時…《グゴォン…っ!》という破壊音が響いた。視界を掠めた瓦礫の山によって、うねる触手が何枚もの壁を砕いた音だと分かった。

 漸く身体が止まったことで瞳を見開けば、血で紅く染まった視界の向こうに…蓋から溢れ出す触手でガタガタと揺れる《地の果て》があった。

『来たれ…我が鍵よ』
「断る…っ!」
 
 即座に放った声は辛うじて強さを保ってはいたが、指一本動かせぬ身で《断る》等と言ったところで何になろう?

 そんなグウェンダルを嘲笑うように、《ゲラララ…》と箱が揺れたような気がした。煮えすぎてた鍋が噴きこぼれる直前のようだ。

 悔しい。
 悔しい…っ!

 目の奥や胸腔内に苦悶の嵐が吹き荒れ、ぐらりと煮え滾るような憎しみにのたうつ。

 こんな者の鍵として使われるなど、決して認めたくない。
 だが…抵抗の術はない。
 グウェンダルは己の無能・無力を嘆きながら歯がみした。

『無能…無力。まさにそうだ。お前は結局誰も救うことが出来ないのだ』
「……っ!」

 つぅ…っと触手がグウェンダルのこめかみを辿り、愛おしげにするりするりと左眼裂を辿る。本物の鍵であるせいだろうか?話に聞いていたエリオルの場合とは違い、グウェンダルの左目が灼かれることはなかった。
 唯、眼底に錐をねじ込むような激痛が走る。

 触手は何かを待つように狂おしく身をくねらせながら、聴覚ではなく頭蓋内に直接伝導するような響きで意図を伝えてきた。

『国が大事、家族が大事…そう言いながら、お前は我の手に弟を差し向け、今はお前自身の身を捧げておるのさ…』

 ゲララ…
 ゲラララララ…っ!

 面白くて堪らないと言いたげに箱が語りかけてくる。
 
『千切れた腕を見たか?剛胆そうなあの男が、惨めに泣き叫んでいた姿を見せてやりたかったものだ。《痛い、痛い…助けて》…とな』
「そんな…筈は……」

 あの豪毅な青年が、そのように見苦しい様を見せるはずがない。
 分かっているはずなのに…脳裏を掠めるのは、ほんの幼い少年だった時分に、こころない純血貴族の言葉に傷ついて、物陰で一人泣いていた弟の姿だった。

 歯を食いしばって、懸命に涙を堪えていたコンラート…。
 それでも滑らかな頬には、堪えきれずに涙がこぼれ落ちていった。

 あの時、どうして駆け寄って話を聞いてやらなかったのだろう?
 せめて、涙を拭くハンカチでも押し当ててやらなかったのだろう?

 しっかりと…抱きしめてやらなかったのだろう?

 悔恨の念が次々に突き上げてくるのを、《地の果て》は実に愉しそうに嗤う。

『そうだとも…お前はいつだって役立たずだったんだ。昔も…今もな』
「く…っ!」

 心の動揺につけ込むようにして、《地の果て》は更に深層下の意識にまで入り込んでいく。些細なことから大きな事まで、過去の失敗体験が反復してグウェンダルの精神を侵していくのだ。
 じくり…じくりと土に水が染み込んでいくように、どんなに嫌がっても《それ》は滲んでくる。ぞっとする程に冷たい感覚を伴いながら…。
 
『私は、無能だ…』

 普段は心を掠めることがあっても、他の傑出した能力や実績を思い浮かべては打ち消してきた劣等感が、強かにグウェンダルを打ちのめしていく。
 本来は剛直であるはずの男なのだが、直接心の中を侵していく《地の果て》に、自分自身の力では抗うことが出来ないのだ。

『そうとも…お前など生きていても価値がない。捨てろ…捨てろ。そんな意識などあっても無駄だ。感じるだけ、苦しい。生きていることはお前を苦しめることと同意だ。お前にとって大事な連中だって、お前の為に破滅していくのだ』
『私は……』

 そんな事はない。
 そんな筈はない。

 フォンヴォルテール卿グウェンダルは、誰かに必要とされていたはずだ。
 
『誰にだ?』

 誰に?

 ああ…思い出せなくなってきた。
 思い出そうとすると、哀しんでいる顔や苦しんでいる顔が浮かんできて、《そんな顔をさせるくらいなら》…と、打ち消してしまうのだ。

『ほぅら…お前なんて、誰にも必要とされていないのさ』

 じっとりと粘り着くような音が、グウェンダルの心を完全に砕こうとしたその時…突然、雷鳴のように轟く声があった。


『兄さん…っ!!』


 誰の声だったろう?
 覚えがある。
 
 伸びやかで力強い…心の奥に、カ…っとひたぶるな焔を燃やしてくれるあの声は…。
 堂々たる獅子吼を放つあの男は、誰だったろう?

『兄さん…兄さん…っ!』
『今、行きます…っ!!』

 強烈な光が近づいてくる。
 凄まじく烈気に富んでいるのに、恐ろしくはない。その強い思念が、グウェンダルに敵対する者ではないと知っているからだ。

 あれは、味方だ。
 愛おしいものだ。

 あれは…。


「……コンラート…っ!!」


 叫んで…反射的に伸ばした腕の向こうに…懐かしい青年の姿が見えた。
 どういうわけだが…見慣れたもう一人の男と、物凄く可愛らしい姿をした少年少女を抱えている。



*  *  *




 地球発眞魔国行きの御一行は無限とも思われる時間を戦い続け、意識がそろそろ限界を迎えそうになったその時、朧な揺らぎの中にグウェンダルの姿を見つけた。

 …が、いきなり大変なことになっている。
 血みどろにされた彼は、おぞましい触手の虜とされているではないか…!
 
 《ダンジョンに入るなり、いきなりボス戦ってどうなの?》…と、結構なゲーマーの大賢者様は思った。

 一方、兄スキー(村田評)のコンラートは見る間に顔色を変えてしまう。

「兄さん…っ!」
「こりゃあ拙いな…。フォンヴォルテール卿は、どうやら《地の果て》に捕まっているらしいや」

 村田が困ったように頭を掻くと、有利と共存する上様も首を振りながら溜息をつく。

「うーむ…。出がけにしまっておいたはずの布団が、押入から溢れておるような切なさを感じるな」
「物凄く生活感を湛えた例えだねぇ…」

 有利の布団はベッド上に敷きっぱなしだったと思うから、上様の発想はテレビか何かの影響だろうか?結構、有利の無意識下で色々と情報を取り入れていたらしい。

『あ〜…もしかして、このなんちゃって時代劇口調もそのせいかな?』

 有利自身はそれほど時代劇が好きというわけではないが、勝馬がお茶の間勧善懲悪モノ時代劇が好きなので、休日に訪問するとよくテレビに映っていた。
 それが上様の、無意識下の人格形成に寄与したのかも知れない。

 そうなると…上様は二人きりでイチャイチャしている時にも様子を見守っているのだろうか?指摘したら、さぞかしコンラートは嫌そうな顔をすることだろう。

 是非、今度言ってやろう。
 
「ふむ。面倒ではあるがひっくり返った布団をそのままにしていたのでは、快い安眠生活を送ることは出来ん…。やむを得ぬ、世のため魔族のためユーリのため、この俺が一肌脱ごうではないか…っ!」
「上様っ!その格好で諸肌脱ぐのはやめてっ!」

 アリスの可憐な衣装で片肌脱ごうとする上様を、村田とヨザックが二人がかりで止める。有利の素肌を晒した日には、コンラートの戦闘力・集中力が2割り増し減少するのは間違いないのだ…。

「なんと世知辛い…。あれか?猥褻物陳列罪に抵触するのか?」
「いや、猥褻ってことは無いんですけど…。邪魔がいなくて安心安全な環境下にあれば是非にとお願いして、かぶりつきの席でガン見したいくらいなんですけど…。ともかく、そうこうする間に…突入ですよーっっ!!」

 村田が密かに《ごはんですよーっ!》とも叫ぶが、誰も突っ込んでくれないのでかなり寂しい。いつもは突っ込み役の有利が、上様に主体を交代しているせいだろう。

 甚だ緊張感を欠く(多分、村田と上様以外は極めて真剣だったと思うのだが)御一行は、高い飛び込み台から水面に激突したような衝撃を感じながら、重力の存在する世界に飛び込んでいった。

 一気に床面に叩きつけられそうになるが、反射的に目を瞑ってしまった村田の身体はふわりと抱きかかえられる。慌てて目を開けば、そつのないお庭番が村田を抱えたまま着地してくれていた。

「あ…ありがと…」
「どういたしまして」

 口調は笑みすら含んでいたが、ヨザックの横顔を覗き込んだ村田は息を呑んだ。
 そこにあったのは敵を捉えた、獣の瞳だったのだ。

「よくもまぁ…巫山戯たことをしてくれたもんだねぇ…」

 村田を自分の背後に押しやると、ヨザックはするりと袖口から暗器を取りだして身構え、同様に有利を背後に押しやって、《地の果て》に向かって斬りかかっていくコンラートの援護に努める。
 その背中からは、恐るべき怒りの焔が噴き上げているかのようだった。

「こうしちゃいられないや…」

 己の持ち分を十全にこなそうとする二人をほったらかしにして、無力な子どものように震えている場合ではない。見てくれはどうあれ、村田達は《禁忌の箱》を破壊しに来た救い手なのだから。

「上様、渋谷…シンクロしよう!」
「む…。俺は鼻栓は好かぬが…」
「犬神家の一族を彷彿とさせるポーズなんか、このタイミングで取れなんて言わないよっ!同調!協調!共鳴!」
「最初からそう言えば良いのだ。さあ…無駄な時間は無いと思え、大賢者よ…。今こそ集中の時…っ!」
「あー、ハイハイ」

 所構わず空気を読まず、マイペースにボケまくる上様ではあるが、目的を定めて集中すればこれほど頼りになる相手もいない。
 村田と手を握り合い、魔力を研ぎ澄まし始めた上様は、場所が眞魔国であるせいか前回の封印劇よりも更に強い力を見せ始めた。

 二人の間に膨れあがった薄青い光の珠に、《地の果て》が怯んだのは明白だった。
 

 

*  *  *




「グウェンダル兄さん…っ!」

 どっと一方向にのし掛かる重力に一瞬バランスを崩したものの、大地に足をつけると瞬時に平衡覚と深部感覚の全てで己が取るべき体勢を掴み、コンラートは弓から放たれた矢の如き速度で《地の果て》へと斬りかかった。

「…は…っ!!」

 剣光一閃…!

 鍛え抜かれた魔族の剣は強く絡みついた触手を束で断ち切り、今まさに《地の果て》の本体へと呑み込まれかけていたグウェンダルを取り戻す。
 大柄なグウェンダルは流石に片腕で抱きかかえられるようなものではないが、すかさず傍らから回り込んできたヨザックが両腕でがっしりと受け止める。この辺りの呼吸は、流石に呑み込んだものだ。

「兄さん…グウェンダル兄さん…っ!」
「………コン…ラート……」

 グウェンダルは頭部から流れる血で左目が開かないようだが、眇めた右目に弟の姿を認めると、驚愕に見開いたまま硬直してしまった。
 その様子が命令違反を犯した上に、今頃になって現れた自分への叱責のように思えて…コンラートは切なげに琥珀色の瞳を揺らがせた。

 地球で強くなれたと思ったのに、やはり兄の拒絶を感じると胸が張り裂けるほどに苦しくなってしまう。
 そういえば、地球でずっとそう呼んでいたから調子に乗って《兄さん》と連呼していたが、それも馴れ馴れしく感じられたのかも知れない。

「すみません…フォンヴォルテール卿。兄さんだなんて…無礼でしたね?」

 しかし、どうしたものか…グウェンダルはいつも以上に深々と眉根を寄せると、緩く握った拳でコンラートの胸を叩いてきた。

「………弟が兄を呼ぶのに、《兄さん》と呼んで悪いわけがないだろう…っ!」

 咄嗟には言葉の意味が理解できなくてきょとりと瞳を見開いていたが、兄の陽に灼けた頬が淡く紅潮しているのを見て取ると、嬉しさに目元が潤んでくるのを感じた。

「はい………兄さんっ!」
「……唐突な帰還の成り立ちについては、後で説明して貰おう。ともかく、今はアレを何とかせねばなるまい」

 ぶっきらぼうに《地の果て》へと向き直る兄が照れているのだと言うことは、もう誰に説明されなくても分かった。
 こんな時だというのに、ふくふくとした喜びが体腔内一杯に満たされていく。

 まるで、すっかり凍てついていた野山に、春神の息吹が吹き込まれたかのような鮮烈さだ。ちなみに、コンラートのイメージ上では春神のビジュアルは有利である(ギリシャ神話っぽい薄布着用)。

 グウェンダルは満身創痍であるにもかかわらず、流石に優れた軍人だけあって怪我の痛みを感じさせない動きをする。腰に提げていた長剣をすらりと引き抜き、戦闘態勢に入る一連の動作は惚れ惚れするほどに見事だ。

 だが、我慢強過ぎることも知っているから、コンラートとしてはついつい心配になってしまう。

「兄さん…お怪我が酷いのでは?」
「この程度の傷で動けぬような男だとでも?」
「…そうでした!」

 兄らしい台詞に嬉しくなって破顔すれば、どうしたものか…驚いたように深蒼色の瞳が見開かれる。理由を聞きたかったが、今はそれどころではないようだ。

「どいて…ウェラー卿っ!」
「はい…っ!」

 すかさず身を逸らせば、上様と村田の間に発生した大きな光弾が《地の果て》に向かって直進し、光彩を放ちながら《地の果て》の瘴気と激突する。
 
 蒼と赤…凄烈さと激甚。

 盛んに火花のようなスパークと異音を響かせながら、力と力が鬩ぎ合う。
 その中で、額に脂汗を浮かべながら呻いていた村田がグウェンダルに檄を飛ばした。

「ちょっとフォンヴォルテール卿…手伝ってよ!君、この箱の鍵だろう!?」
「む…そ、それは…」

 グウェンダルはぎょっとしたように息を飲んだ。

 衝撃の連続だったせいで、双黒が二人いるという異常事態に今の今まで気が付かなかったのだろう。しかも、その内の一人にあけすけな言葉づかいで《手伝え》等と言われたのだから、戸惑いも尤もなことだ。

「兄上、あのお方は双黒の大賢者…の、記憶をお持ちの方です」
「なに…っ!?」

 伝説上の存在を目の当たりにして驚愕の度は更に増したようだが、それでもこれまで幾多の修羅場を乗り越えてきたろうグウェンダルは、表情を瞬時に引き締めると村田に駆け寄った。

「猊下…何を為すべきか、教えを請うてもよろしいか?」
「ああ、良いよ。渋谷の肩を後ろから掴んで、シンクロ…いや、共鳴してくれ」
「は…っ!」

 グウェンダルの大きな手がエプロンドレスに包まれた有利の肩を掴むと、長い濃灰色の髪が静電気でも帯びたように《ふぉ…っ》…と浮かび上がる。寄せられた眉根の様子から見て、何らかの力の流入に激しい苦痛を感じているに違いない。

『《禁忌の箱》の鍵は、箱を制御できないと極めて危険な状態に陥ることもあると言われているが…どうなんだ!?』

 有利とグウェンダルという、共に掛け替えのない存在が苦しんでいるこの時に、何も出来ないこの身が恨めしい。
 せめて異常事態が生じた時にはすかさず動けるように、コンラートはヨザックと共に息を呑んで状況を見守った。



*  *  *





『なんだ…これは……っ!!』

 有利の肩に触れたグウェンダルは、自分の視界がこれまで見えていたものとはあまりにも相違した映像を映し出していることに驚愕していた。意識的に怯む心を抑えていなければ、肩を掴む手を振り払ってしまったかも知れない。

 それほどに、《禁忌の箱》の力に魔力を介して触れることは、酷く精神を侵される感触であったのだ。
 どろどろと粘ついているくせに、決して滑らかではない…どこかざらついた感触が極めて不快で、不満と怒りに満ちた感情の嵐がドドウ…ドウ…っと奔馬の勢いで責め立ててくるのだ。

 ぐ…っと反射的に有利の肩を掴んだグウェンダルは、ちいさく苦鳴する双黒に《は…っ》と息を呑む。
 少女のような姿をしているが、その骨格は華奢ではあっても少年のものであり、おそらくこちらの双黒がコンラートと離れがたい縁(えにし)を結んだ子なのだと察した。

『細い肩だ…』

 要素の薄い大陸で、既に一度《地の果て》を封じたことのある少年は、グウェンダルの武骨な手で乱暴に扱ったりすれば、肩関節が外れてしまうのではないかと思うほどほっそりとした体格をしている。

 だが、少年は一歩として引かずに箱と対峙していた。
 
 その心根の強さと、直向(ひたむ)きに立ち向かっていく精神とが、一部溶け合った精神共鳴によってグウェンダルへと流れ込んできた。
 不思議なことに、少年の中には二つの精神体があるようだ。

『お兄さん…いっしょ、がんばる。コンラッドの国、おれ…たすけたいっ!』
『フォンヴォルテール卿よ…ユーリの為に力を尽くすが良い』

 有利の方からは、《コンラートが好きで堪らない…彼のためならばどんな責め苦にも耐え抜く》という、決然たる信念が清らかな水のように流れてきて、《地の果て》に侵されかけたグウェンダルの精神をやさしく取り巻いてくれる。

 もう一つの精神体の方も、高飛車で上から目線なのにどこか愛嬌があって、何故だか言うことを聞いてやりたいような心地になる。

『お前達は、コンラートが大事か?』
『お兄さんもいっしょでしょ?コンラッド、お兄さんだいすき、いってた。それは、きっとお兄さんもコンラッド、すきだから』
『俺は、ウェラー卿のことは間接的に大事だ。ユーリにとって大事な奴だからな。よって、その故郷も護ってやりたい』
『上様ってば…』

 上様と呼ばれた精神体の物言いに、有利はどこか苦笑気味だ。こんな状況だというのに、グウェンダルの唇にも仄かな微笑みが浮かんでしまう。

『そうか……』

 《地の果て》に与えられた絶望の中で悶絶していたグウェンダルの中に、一条の光のように飛び込んできたコンラートと同様に、有利と上様もまた彼の心を奮い立たせてくれた。

『やろう…っ!』

 そう決意した途端に、グウェンダルには朦朧として見えた視界が一気に開けるのを感じた。もやもやとしていた映像の中に、明瞭に一つの紋様が浮かび上がったのである。
 複雑な形状をしてそれが、鍵なのだということにグウェンダルは気付く。彼の中に眠る古の記憶と思われるものも、《そうだ》と告げてくれた。

 グウェンダルの思念が鍵に接近していくと、《地の果て》が怯え切った声を上げた。
 おそらく、その鍵を意識的に操作すれば開きかけていた箱が再び封印されるのだ。

『嫌だ…っ!!』
『止めろ…止めてくれぇええ……っ!』
『閉じこめられるのは嫌だっ!』
『もう…もう……あの箱の中にいるのは嫌だぁあ……っ!!』

 切実な叫びを無視して、グウェンダルは有利と上様の持つ絶大な力を借りて鍵を操作しようとした。

 だが…そこに、思わぬ邪魔が入る。

『閉じこめないでくれ…っ!!』

 哀願する《地の果て》の叫びに精神体の一つが反応を示したのだ。


 それは…《ユーリ》と呼ばれた精神体だった。





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