第32話 『な…ナニ話してるのかしら!?』 高梨は事務所長とコンラートの間を取り持とうと気負っていただけに、サクサクと勝手に進められていく会話に拍子抜けしていた。 しかも、その会話はドイツ語に似た見知らぬ言語で為されていたのだ。 辛うじて話が有利に振られたときにだけ、《ウェラー卿》という単語が引っかかった。 『真鍋さんはコンラートさんを知っているんだわ。この人…貴族だったの?』 ヨーロッパの諸国で貴族制が残る国は少数だが、コンラートの自然な気品を考えればそうであっても全くおかしくはない。寧ろ、一般庶民であったというより余程納得行く。 『ただ、おかしいのはそんな人がどうしてスイスで渋谷君を救い、今は日本で暮らしているかだわ』 奇妙には感じるし、問いかけてみたいという衝動も強く感じる。 そもそも高梨は性格的に、疑問が浮かべば考えるよりも先に口を開く方だったはずなのだが…。 何故か、今回に限ってはそれが憚(はばか)られた。 今日、コンラートに会ったとき…目を見てひとこと言われたのだ。 『タカナシさんは、本当にモデルの仕事がお好きなんですね』 『ええ、そうです。私の誇りです』 『そうでなければ、ユーリも俺もあなたの勧めに従おうとは思わなかったことでしょう』 それがどういう意味を持っていたのか、正確に推し量る事は出来ない。 ただ…ひとつだけ強く感じたのは、高梨がコンラートに《信用して貰えた》と言うことだ。 《君は、俺たちを私利私欲や好奇心で利用する人ではないね?》…そう念を押されたように感じ、その事にとても《嬉しい》と感じたのだ。 そうであれば、彼らが望まぬ限り無粋な追求をすることは憚られる。 有利もスイスでのことを語ってはくれるが、いつも何処かかぼかし気味になっている。きっとありのままを話すことで、何か支障があるのだ。 『だったら、私もそれに応えたい』 いつか、今以上の信頼を勝ち得ることが出来るようになったなら、その時は向こうから話してくれるかも知れない。 それまでは…欲張るまい。 高梨はそう腹を決めると、後は静かに話の展開を待った。 * * * 『ずぶの素人が《SAMURAI.Z》の広告塔になる』 その話は撮影に入る前から、真鍋プロダクションの中で噂になっていた。 更に《隻腕の白人らしい》という噂までが流れるに至っては、《話題性のためとは言っても、ちょっと突飛すぎやしないか》と呆れる者も多かった。 実際、広告主である企業からもクレームが付くところだったのだが、こちらは担当者が直接乗り込んできて、9月の第3土曜日に試写をしてみるということで決着が付いた。 「真鍋さん…信用して良いんでしょうね?障害者を使ってお涙頂戴…という流れでは、今回の商品イメージとずれてしまいます」 「依頼されたイメージを最大限に…いや、それ以上の形で再現することで、うちは信用を勝ち得てきました。そのスタンスを崩すつもりはありませんよ」 そう、その拘りの為に高性能カメラ《SAMURAI.Z》シリーズの広報担当者、光永エミはぎりぎりまで待たされることになったのだ。 挙げ句、とんでもないCMになったとあっては面目丸潰れである。 「本格的な撮影は後日になると思いますが、ラフは今日の内にできます」 「その出来映えによっては、このお話無かったことにさせて頂きますからね?」 「ええ、結構ですよ」 自信がありすぎる真鍋の態度に、光永は整えられた指先をつい囓ってしまう。 爪の形が悪くなるので止めて方が良いのだが、ストレスが貯まるとつい歯を添わせてしまうのだ。 『本当に、ギリギリなのよ?分かっているのかしら』 CMはニュース映像などと違って、撮影したからすぐに処理して放送というわけにはいかない。ここに曲や背景映像を合わせたりするのだから、寧ろ撮影した後の方が時間が掛かるのだ。 発売までに認知度を上げておきたい会社側としては、ここまで手間取っただけでも苛だちの度を高めている。 確かに真鍋プロダクションの請け負う仕事は、出来上がりの質が良い。だからこそ光永も信頼して頼んだのだが、まさかここまで時間が押すとは思わなかった。 「ウェラー卿コンラート…彼は、あなたのイメージを遙かに凌駕するはずです」 真鍋の言葉を半信半疑で聞き流しながらスタジオで待っていると、幾度か他の試写の時にモデル達が着ていたのと同じ、漆黒の直垂を身につけた青年が現れた。 「……っ!」 ざわ…っと、スタジオの大気が揺れた。 そこにいたのは、確かに白人の青年だった。 だが…纏う空気の何と静謐なことだろう? 澄み渡る水面(みなも)の如き雰囲気は、身に纏う和装と風雅に調和している。 慣れていないであろう足袋と草鞋を穿いているにも関わらず、コンラートの足遣いは極めて滑らかであり、ス…ス…っと床面をすべるように歩いていく。 端然とした動作は日常的に己を律している者独特の動きで、腰から綺麗に曲げて一礼すれば、その見事な佇まいに感嘆してしまう。 「お待たせしました」 穏やかな美声は発音の良い日本語で、反響しやすいスタジオ内に殷々と響く音を、いつまでも捕らえていたいという心地にさせられた。 胸元が大きく開いているため、形良い鎖骨や鍛え抜かれた胸筋…時には、綺麗に割れた腹筋までがちらりと垣間見えるのだが…これがまた、しなやかな首筋から続く見事な曲線が美しく、端正なモデルに慣れているはずの撮影班からも《ほぅ…》っと溜息が漏れた。普通は筋肉の溝を際だたせるために特殊なボディメイクを施すのだが、彼に関してはその必要は全くないようだ。 また、一体何処で負傷したものやら全身至る所に大きな傷跡が走っているのだが…それこそが職業モデルではあり得ない、男の魅力を醸し出している。 少年を護って失ったという左腕部分は袖がひらりと舞うのだが、それすらも今回のコンセプトのために用意された演出のようにさえ思えた。 琥珀色の澄んだ瞳には目尻部分に歌舞伎役者を思わせる紅が強めにさされているのだが、これもまた白い肌に映えて、その艶やかさに誰もが息を呑んだ。 「完…璧……っ…ですっ!」 頬を少女のように染め、両手を口の前で合わせてふるふると打ち震える光永に、真鍋の方が苦笑した。 「いやいや、まだですよ。彼に…渡していない物がありますからね」 それは、見てくれではそこそこに迫力を出していたモデルでも気押されてしまったという、真鍋が個人的に所有する日本刀であろう。 * * * 「これを…振るって頂きます」 「はい」 渡された剣はずしりと重く、人を断ち切ることを宿命とする武器であった。 形状こそ眞魔国の直刃とは異なるが、同型種の感触は手に馴染む。 『これが、古の魔族が鍛えた剣か…』 コンラートには魔力はないのだが、それでもこれが力在る剣であることが分かる。もしかすると…4000年の昔、地球にやってきた魔族の祖先が眞魔国から持ち込んだ玉鋼から鍛え上げた物なのかも知れない。 ゆっくりと引き抜けば、眞魔国で一般的に用いられている直刃と、南国諸島で用いられている円月刀の中間に位置するような形状であった。滑らかな曲線は脇に差したものを引き抜くのに理想的な形をしており、成る程これなら抜刀しやすいなと感心した。 職業上、慣れた形状の武器以外も使っていた身としては、少々変わった形でもすぐにその特性を確認して使いこなしたくなる。 一歩踏み出しながらの抜刀…宙を横一線に切り裂く動作、振り抜く袈裟懸け…それらの動作を、コンラートは一つ一つ独立した物として行うことはない。 武道の基本にして奥義である《円弧》の動きにコンラートは忠実であった。滑らかに融合した動きは互いに解け合い、見事に調和して破綻しない。 だからこそ、コンラートは周囲全てを敵に囲まれても切り抜け行くことが出来たのだ。直線的な単品の動きはすぐ相手が慣れてしまう。戦場で動きを読まれることはすなわち、死を意味する。 『それにしても…この剣は、良い』 身体の一部であるかのようにコンラートの手に馴染み、小脳を中心としてた錐体外路系の無意識的かつ習熟した動きと滑らかに連動するから、ほんの一瞬意識的に目標を定めるだけで理想的な流れで身体が動く。 コンラートが理想とする《動きの融合》に、この剣の形状は見事に合致しているようだ。 息を乱すこともなく一連の動きを試して、くるりと手首を返してシャリン…と剣を鞘に収めると、《ほぅ…》っという吐息の後、《うわぁぁあ…っ!!》という大歓声が起こった。 えらく、周囲に感心されてしまったらしい。 「素晴らしい…素晴らしいわっ!これで私、真鍋プロダクションを頼ったことを後悔せずに済みますっ!!」 感動しすぎて涙さえ零しているのは、《SAMURAI.Z》の発売元である企業の人だろう。真鍋も嬉しそうに拍手をしているから、どうやら非常に好感触であったらしい。 「それにしても…何て完璧な動きなんでしょう!私、兄が剣道で結構強かったんで、剣技の美しさには結構一家言ある方なんですけど…何処かで日本刀の演舞修行をされたんですか?」 「いえ…日本刀に触るのはこれが初めてです」 「そんな…信じられないわ…?あなた、素晴らしい天賦の才をお持ちなのね?」 うっとりしながら女性が凭れ掛かってくるから反射的に受け止めてしまうと…コンラートの尻を《ぐにっ》…っと指先で抓る者がいた。 「コンラッドぉ…っ!」 「ユーリ…これはまた、可愛らしいね…」 「あんたは良いよ、格好良いから。でも…俺、完全に騙されたよっ!」 《うぎゃーっ!》と叫ぶ有利は完全に拗ねていた。 何故なら…有利が身につけていたのは、とても艶やかな振り袖だったからだ。 * * * コンラートに気を取られていた人々も、有利に目をやるとこれまた堪えきれずに《はぅう…っ!》と、声にならない声を上げる。 黒一色に白い肌が映える、モノトーン仕様のコンラートの傍にいると、有利の鮮やかさは色んな意味で目を惹いた。 友禅織りの見事な振り袖は紅を基調として金糸銀糸を織り交ぜた牡丹模様で、随所に鏤められた巧みな刺繍が名人芸を思わせる。ちいさな顔には艶やかな化粧を施しているのだが、基本の造作を大切にした味付けが為されており、色っぽさよりもどこか護ってあげたくなるような愛らしさに満ちている。 『綺麗…やっぱり、とても綺麗だわ』 有利の付き添いという形でスタジオ入りしていた高梨は、満足そうに微笑んだ。 真鍋プロダクションとしてはここ数年で最大規模の大きな仕事であったにも関わらず、外部の人間を推薦した事が知られ、《新人のくせに随分と図々しい真似を…》と、一部の所属タレントからは随分と嫌みも言われた。 だが、やはり推薦して良かったと思う。 高梨自身には別に物理的な利益が出るわけではないが、精神的な利益としてはとても大きな物を感じている。 『きっと、良いCMになるわ…』 今回の撮影は周囲をまず納得させるための仮撮影という話だが、真鍋としては今回の撮影でも十分使用に耐えるものが出来ると信じているようだ。今更身体作りなどしなくとも、十分にコンラートの肉体は鍛え抜かれているし、和装も誂えたように似合っている。 「うぅう〜…お、俺…画面の外にいちゃ駄目?」 「目元が映るのは一瞬だけで、後は口元と後ろ姿のロングがメインだから大丈夫だよ?」 「本当に?信じちゃいますからね?」 念を押す有利を連れて、カメラマンがニコニコしながらブルーシートの上に連れて行く。そこには青いシートの下に幾つかの椅子やソファが据えられており、何カットか切れ切れに挿入するための映像を撮影する。 殺陣を演ずるコンラートとは異なり、有利の方は静止画像で色んなポーズを撮影することになる。 「ふわ…、あ…あの子って…男の子なんですか!?あんなに可愛いのにっ?」 《今時の男子って一体…》と、有利の話は聞いていなかったらしい光永がはわはわと見惚れていた。 他の撮影班も同様だ、こちらは事前に話だけは聞いていたものの、《幾ら美少年とはいっても、肌質が違うよ…高画質カメラのCMに使おうと思ったら、画質調整が大変なんじゃないか?》と苦情も出ていたらしい。 だが、彼らは既に夢中になってシャッターを切り始めている。 まだ有利はポーズも取っていないのだが、不慣れな様子でよちよち歩いている姿も可愛くてしょうがないのだろう。 可愛くてしょうがないと言えば、コンラートなどはその典型例だ。 先程までは何処か整いすぎて…全てが完璧すぎて冷然とした印象があったが、今は有利がよろめく度に《ああ!》とか《うう!》と小さく叫び、カメラマンやスタッフが有利の簪を直したり、ライトの熱で噴きだす汗を拭いて白粉をはたくたびに嫉妬に満ちた眼差しを送っている。 特に、《目を瞑って?》と言われて、まるでキスを待つ少女のように有利が顔を上げているところに、眦へと紅が差されると、メイク担当者に端で見ていても分かるほどの烈気が叩き込まれていた。 『なんて分かりやすい…』 高梨は本来、BLを愛でて喜ぶ気質でもないのだが、そういう意味ではなくとも二人を眺めているのは楽しかった。特にコンラートは、有利が絡むときだけ特別な表情を見せるのだ。 案の定、同じ事に気付いた何人かのカメラマンは、そっとコンラートにもレンズを向けている。 「さあ、次はコンラートさんの撮影ですよ」 「よろしくお願いします」 有利が写真や動画を撮られた後、へとへとになってスタジオ脇の椅子に腰掛けるのを横目で気にしながら、コンラートはブルーシートの上に立った。 「じゃあ、さっきやってくれてた殺陣をやってみてくれない?」 「教えて頂いたのとは違っていても良いんですか?」 「うん、構わないよ。振り付けの人が考えたのより、さっきの方がイメージに近いし、凄く自然だったからね」 なかなか、このカメラマンは柔軟な気質のようだ。 撮影前には一番懸念を示して苦言を述べていたのだが、いざ良質な素材であるとわかればこれまでの屈託など何処かに消えてしまったのだろう。コンラートを自由に動かして、そこに微調整を入れていくつもりらしい。 「では…」 コンラートは剣の柄に手を置くと、周囲の位置関係を認識してから《すぅ…》っと調息する。 すると、ライトで暑いほどに上昇していた気温が、ぴぃんと張りつめて体感温度を下げた。 『凄い…集中力』 一流のモデルは、撮影にはいるとき自分の世界を作り出して、その場にいるスタッフ全てを飲み込むという。高梨が目にしている情景はまさに、そのものだった。 彼は、本来このような仕事など真似事でもしたことはないという。 だが…それがこうまで人々を惹きつけるのは、彼が芸術的なまでに《本物》だからだろう。 「凄い…」 有利も、息を呑んで見惚れている。重くて暑い花魁衣装は《すぐに脱ぐ!》と宣言していたのだが、コンラートの晴れ姿が気になってここから動けないのだろう。 コンラートの方も、有利の姿を目にすると俄然動きが良くなるから現金なものだ。 こうして一同が見守る中コンラートの撮影にOKが出た。すると、流石に残暑厳しい折にスタジオに籠もって日本刀を降り続けていた為か、コンラートもどっと汗を吹き上げた。 「コンラートさん、汗拭いてくださいっ!」 「や〜ん、凄い汗〜。あたし背中拭きます」 「ナニ言ってんのよセクハラ女っ!」 コンラートの着物の首筋を掴んで剥ごうとする女性スタッフに、他のスタッフが飛びかかっていく。恐るべき争奪戦が行われるかと思われたが…コンラートは1時間近く剣を振り続けていたとは思えない足裁きでスルスルっとスタッフの間隙を縫うと、タオルを手にしたまま上手く駆け寄ることの出来なかった有利(花魁衣装で上手く身動きが取れなかったのだ)に接近していく。 「コンラッド、お疲れさん!」 「ユーリこそ、待ち疲れてない?その前の撮影も結構色んなポーズを取ったりしたでしょう?」 「あ…汗拭くね?」 「恥ずかしいな…結構汗を掻いてしまったから、臭うかな?」 「あんたの汗は気になんないよ」 いちゃこらいちゃこら いっちゃいっちゃ… 見ていて恥ずかしくなるほどの熱々ぶりだ。 《一流の武人》として振る舞っていた…今でも同じ衣装に身を包んだコンラートを花魁姿の有利がいたわる様は、なかなか不思議な光景であった。 いっそ、タオルを手ぬぐいに代えればいいのに。 「それにしても、凄いなぁ…その日本刀、触ってみても良い?」 「指を切らないでね?」 「ちっちゃい子じゃないんだから…」 それでもちょっと怖々鞘から抜いていくと、濡れたような質感の美しい刀身が露わになる。重厚に光を弾くその輝きは、研ぎ澄まされた武器独特の質感を呈している。 振り袖の紅や金糸銀糸が刀身に映り込むと、万華鏡のような輝きを放った。 「すご…何か、吸い込まれそう」 「優れた武器というのは、魔力を持つことがあるからね。特に、これは魔族が鍛えたものだそうだから…」 「うん…」 有利は満足したのか、刀身を鞘に戻そうとした。 だが…一体どうしたのだろう?途中でぴたりとその動作を止めると、じぃ…っと刀身の紋様に見入ってしまう。 「どうかしたの?ユーリ…」 有利はすぐには返事をしなかった。 刀を離そうとするのだが、手が痺れてしまったかのようにちいさく震え、目元が苦しげに眇められる。 「ユーリ…」 コンラートは顔色を変えかけたが敢えて落ち着いた声を出し、ゆっくりと…宥めるように剣の柄と刀身の一部を掴む。 「コンラッド…何か、見える…。何だろうこれ…」 「何が見えるの?」 「女の子だ…。紅白のおめでたいカラーリング…巫女さんかな?だけど、表情は全然おめでたそうじゃない。物凄く苦しそうな顔をして、何かを両手で押さえ込んでる。何だろ…凄くどろどろして、マグマが沸き返ってるみたいな感じ…。あ…」 「どうしたの?」 「こっち…見た。そんで…何か言ってる。切れ切れにしか聞こえないけど《帰れ》《限界》。それから、《ウェラー卿》…って、あんたを呼んでる?あ…あ…っ…えと…《ローバルトの腕》…って、何のことだろう?」 有利が驚いたようにそう囁いた瞬間…突然、空間が裂けた。 |