第30話





 隣の席に陣取ったものの、あまり詳しい話を有利から聞き出すことは出来なかった。雑談をしていると、教師から容赦なく叱責が飛んだからだ。生活指導の大場先生はやたらとヒステリックだから、有利を巻き込むのは悪い気がしてそれ以上は聞かなかった。

 その代わり、ちらちらと横目で観察するのが楽しかった。
 盗み見での鑑賞に耐えうるくらい、有利はやはり愛らしかったのである。

『不思議だよなぁ…なんで、こんなに可愛いって感じるのかな?』

 それに、あまり長い時間は居なかったのだが…彼を取り巻く教室内の雰囲気も今までに感じたことがないくらい沸き立ったものだった。どうやら、全員が教室内に入る時に有利の挨拶を受けたらしく、いつもならそのまま自分たちのグループだけに固まっている連中も、有利を中心とした全員で話をしていたらしい。

 瀬名は放課後すぐに部活に行ってしまうが、それでも何となく自分のクラスに纏まりがないのは気になっていた。クラスマッチなどでも自分の所属するチームが敗退するとすぐ教室に戻ってしまい、他のチームの応援をする者など殆どいなかったくらいだ。

『なんか…このまま盛り上がると良いな』

 話題が一段落付いたらまた元に戻るような気もするのだが…今朝のクラスの雰囲気が気に入っていたものだから、なるべくならこのまま纏まり続けていて欲しいなと思う。

『取りあえず、もう一盛り上がりはあるよな?』

 ちらちらと入ってきた噂話を総合すると、どうやら有利は誘拐に近い形で強制的にスイスに連れ去られていたところを救出されたらしい。一般的な高校生が辿る人生としてはあまりにも異質過ぎて、《ちょっと噂が大きくなっているだけでは…》と思わないではないが、それでも何らしか真実も示しているはずだ。

 取りあえず、教室に戻ったらじっくり聞こうと心に決めて、後はゆっくりと有利の横顔を愛でた。



*  *  *

  


 1年7組の担任緒方郁也は、この高校での勤務こそ3年ちょっとだが、教員歴はもうじき30年を迎えるベテラン社会科教諭だ。エラの張った顔立ちで強面なせいで、自分でも少々とっつきにくいタイプだとは思うが、昔は衝突してくる生徒を真っ向から受け止めて、一度親しくなった生徒とは深い絆を得ていたと思う。

 ただ、ここ近年の傾向なのかも知れないが…年を追うごとに問題行動を起こす生徒が減る反面、深い関わり自体を拒絶されているような気がする。

 今年担当しているクラスはその中でも、特に醒めた印象があった。
 だから、7月に入って比較的元気なタイプの有利が長期欠席に入った時には随分心配したものだった。

 家の方にも幾度か訪れたのだが何故か人気(ひとけ)が無く、保護者の携帯電話には通じたものの、どうも言っている内容が要領を得なくて困惑していた。

 それが、8月の末に入って急に母親から《2学期からまた登校させて頂きます》との連絡が入った。聞けば、事情があって浚われ、スイスで救出されたというのだ。あまりにも突拍子のない話であったし、それが真実であるならば有利の精神的な衝撃も懸念していた。

 それで、今朝は結構心配しながら教室に入ったのだが…何とも不思議なことに、屈託のない笑顔を浮かべた有利は《緒方先生、おはようございまーす》等とけろっとした顔をして挨拶して来るではないか。

 しかも…さほど目立つタイプでは無かった筈なのに、えらく可愛らしい印象になってクラスの中心にいる。
 突飛な経緯で一時的に注目を浴びていたせいかとも思ったのだが、どうも見ているとそうではないような気がしてきた。

 ホームルームで必要事項を伝えたら大掃除に移行するはずだったのだが、堪えきれなくなった生徒達がせっつくので、スイスに行っていた事情について話をさせてみた。

 有利はあまり話し上手ではなかった。だが、伝えたいことを一生懸命、言葉を手探りで探すようにして喋っていた。
 誘拐組織が有利を浚った理由や救出経緯の詳細は幾らかぼかしていたものの、彼がその非常事態の中で幾度も《二度と日本に戻れないかも知れない》と感じたこと…その追いつめられた恐怖感や、故郷を慕う想いは痛いほどに伝わって来た。

 みんな《あり得ない》などと茶々を入れることはなく、真剣に聞いていた。
 それは、不思議な光景だった。

 いつもならどこか醒めた雰囲気で爪や髪ばかり弄っているギャル系の女子も、自分たちの楽しみばかり追っているオタク系の男子も、何故か黙ったまま有利の話を聞いている。

『あって当たり前と思っていたものを、無くして初めて有り難みを知った』

 ある意味ではありふれた話であるかも知れない。それでも、自分たちにとって身近な存在が実際にそんな体験をしたというのは、やはり衝撃なのかもしれない。
 そんな彼が、切々と語ること…《クラスでも、ちゃんと思い出つくっときたいんだ》という言葉の、《クラス》という言葉に、クラスメイト達は《自分》を重ねているというのもあるだろう。

 有利が語り終えると、誰からともなく《ほぅ…》っと溜息をついた。

「そっか…渋谷君、大変な夏休み過ごしたんだねぇ?」
「えへへ…でもさ、得した事もあるんだ」
「そう?」
「うん、だってさ…大事な人たちに会えたし、今まで《何となく》で送ってた暮らしが凄く大切なものだったって気付けたもん。だから…これから、改めてよろしくね?」

 にこ…っとはにかむように微笑む有利に、クラスメイトだけでなく緒方教諭までが、思春期の少女のように《きゅうん》…っと胸をときめかしてしまったのだった。
  
『こりゃあ…良いクラスになるかもしれないな?』

 だからと言うわけではないが、《今まで以上に気合いを入れて担任を務めよう》…そう思う緒方であった。



*  *  * 




 勝馬の勤める銀行に赴いたコンラートは、自動ドアが開くなり《きゃーっ!》という黄色い歓声を浴びることになった。

「やーんっ!本当に超イケメン〜っ!!」
「あらあら、まあ〜素敵ねぇっ!」

 身を捩って悶絶しているのは、勝馬から事前にコンラートの介助を頼まれている《人間の女性二人組》との話だった。しかし、コンラートに飛びかかって…いや、駆け寄ってくる勢いはどちらかというと魔物系だ。
 いや、日本人だから妖怪系か?

 年の頃は50歳絡みかと思われる、凄まじく押し出しの強そうなおばさん達だったのである。糸杉のように痩せ細っているが、異様に動きが速い女性は真紅のスーツ、まん丸に太った狸の親玉みたいな女性は落ち着いた茶色のスーツを身に纏い、ぽてぽてと駆け寄ってくる。
 
『勝馬…これは嫁苛めか?』

 軽くそんなことも思ったのだが、そこはこの年まで百年培った神経の太さを駆使して、にっこりと魅惑的な微笑みを浮かべた。勝馬に釘を刺されるまでもなく、こういった商業組織で古参の女性を味方につけることは大きな戦力となり、敵とすることは思いがけない泥沼に沈められる可能性があるのだと知っている。

「まぁああ〜っ!!笑顔も素敵ーっ!ヨ○様を越えたわよあなたっ!」

 ○ン様が誰だか分からないので、後で美子に聞いてみよう。
 ジャニー○系タレントの誰かであった場合、油断すると5時間くらい語られてしまう可能性もあるが…。 

「恐縮です、マダム」
「うっふふ〜…こーのマダムキラーっ!」
「営業用笑顔の貴公子ーっ!!」
「ニコニコ王子ーっ!!」

 妙な渾名を付けられたなぁ…と思いつつもそのままニコニコしていたら、快く他の行員達の間を回ってくれた。

『ここで、俺は生きていくのかな…』

 何だか不思議な気がする。
 まだ具体的な業務には就いていないから、この仕事が自分に向いているとかいないとかいったことは分からないけれど、やはり切った張ったの武人生活でないことには違和感があった。

 コンラートは一度として敵対者を殺すことに喜びを覚えたことはないけれど…剣を振るうことには、やはり強い思い入れがあるように感じる。

 左腕を失った今、本当の戦場で生き抜くことは難しいと知っていても…剣に似た重みの金属棒を手に入れてからは、毎日降り続けている。
 そうしていると、心が澄んでくるような気がするからだ。

 何かの役に立つためではなく、自分として存在するために、コンラートは《武人としての自分》を保ち続けたいと思っている。

 有利は時折そんなコンラートを見つけると、黙ってそっと見守ってくれる。
 《何のために》とか、問うたりはせず…じぃっと見つめる眼差しはとても優しい。きっと、それがコンラートの存在意義であることを、彼は知っているのだ。

『ユーリ、俺はここで…君と生きていく』

 生きていたら、きっとまた生活の上での生き甲斐も見つかるだろう。
 だから…それまでは真剣に、腐ることなく自分の置かれた環境下で頑張ってみよう。

 かつて、ユーリが精一杯コンラートの世界で過ごしていたように…。



*  *  * 




「よ、お疲れ〜!」
「ヨザ…」

 海千山千の世慣れた凸凹コンビに連れられて、銀行内やお得意さん巡りをして一日が終わると、銀行の前にヨザックが待っていた。正確には、たまたま通りがかったところにコンラートが出てきただけらしいが。

 彼の風貌に似合いの派手な柄シャツとジーンズ、サングラスという出で立ちは実に街の中に溶け込んでいる。まるで、《ここで生まれて生活しています》といった自然体だ。

「ユーリを待つのかい?」
「いや…迎えに行く。どうも学校が長引いたみたいだからな」

 コンラートは携帯電話の使用はもとより、メールも簡単な文章なら打てるようになっている。
 先日お揃いで買ったカメラ付き携帯を開くと、改めて《今から行く》と伝えておいた。

「ん…ふふ〜ん?愛妻の画像待ち受けにしちゃってぇ〜」
「…覗くなっ!」

 お日様みたいな笑顔を浮かべている有利の待ち受け画面を覗かれて、思わず肘鉄を食らわせてしまった。勿論命中するような相手ではないから、上手くするりと避けてニヤニヤしている。

「あーあ、幸せそうで何よりだよ…隊長」
「嫌みか?」
「いーや?あんたが幸せなのは、俺は素直に嬉しいよ。そんなに平穏な顔したあんたなんて、あっちの世界じゃ見られなかったもんな…」
「……」    
 
 意外とヨザックの声には皮肉げな色がなくて、寧ろ優しすぎる色合いの瞳に居心地悪ささえ感じてしまう。
 
「じゃあ、俺は猊下をお迎えに参りましょうかね。つっても…あっちはもう終わって帰っちゃってるかな?マンションの前で待ってて《来ちゃった★》とか言う方が可愛いかな?」
「…随分、猊下と仲が良くなったもんだな」
「だって可愛いでしょ?」
「……そうだったな。お前は…うちの兄上さえも《可愛い》と評する男だったな…」

 つい口にした《兄上》という言葉に、思わず唇が止まってしまう。
 フォンヴォルテール卿グウェンダル…。彼の軟禁は、本当に解かれているのだろうか?

 こんなに平和な生活を送っていると、それ自体が罪のように感じられて、急かされるような焦りを感じることがある。
 
『いや…俺は、寧ろ戻る方が迷惑になるんだったな…』

 戻らない方が《禁忌の箱》による被害を防げるのであれば、こうして地球で過ごすことは何の問題もないどころか、望ましい事であるに違いない。
 それなのに、この奇妙な罪悪感はなんなのだろう?

「…閣下のことが懐かしいかい?」
「懐かしいさ…。もう一度、顔を合わせて俺の心情を直接お伝えしたい…」

 だが、眞魔国から地球へと三人もの人数で移動できたのは、多分に上様の力によるものが大きいと聞く。地球側の魔族の力だけでは眞王廟との通話を試みるだけで手一杯との話だから、コンラッドが眞魔国に赴き、更に時を置かずして戻ってくることなど不可能であった。

 少なくとも、こちらの世界に於いては上様が発動する気配がないのだから、物理的に帰還は困難であろう。 
 
「冬になれば、再びスイスを訪ねて眞魔国との通話を試みる…その時に、兄上とも会話できるだろうか?」
「怒られるだろうねぇ…」
「怒ってくくれば、寧ろありがたいくらいだけどな」

 一番怖いのは冷然とした拒絶だ。
 誠意を尽くし、我が身を省みず幽閉に甘んじてくれた兄を…心ならずも裏切る形となったことが心を苛まなかった日はない。

 有利を愛してしまったこと…殺さなかったことについては肯定できても、兄を棄てた形になったことはどうしても悔やまれてならない。

「あの方は、分かってくださるさ…」

 ぽんっとコンラートの背中を叩いて、ヨザックは手を振りながら去っていく。
 気持ちが悪いほど親切になった男は、自分なりの幸福を築きに村田の元を訪れるのだろう。

『こうして、俺たちは変わっていくのかな?』

 市街地の中に消えていく柄シャツを見送りながら、コンラートはそう思った。



*  *  * 




 ホームルームの後に掃除を終わらせると、1学期末の集中豪雨で3日間休校になっていた分を取り戻そうと、3限目〜6限目までは通常授業が行われた。
 《学校って、授業がなければ良いところだよね》というスタンスの連中にとっては、初日からきつい事この上ない。

 放課後は規律の厳しいクラブに所属している生徒達は部室に向かったものの、比較的緩やかな活動体勢のクラブ部員や帰宅部の連中はそのまま教室に残ってお喋りを始めた。有利も教室に腰を落ち着けた連中に捕まると、お菓子類を机に並べられて足固めされる。
 《コレを食べきるまでは帰ってはイカン》という雰囲気だ。
 みんな有利が浚われていた時の事…特にそこから救い出してくれた人物に興味津々なのだ。

 その中で先陣を切ったのは、やはり単刀直入な高梨瑞穂だった。

「ねぇ渋谷君、スイスで助けてくれた人ってどんな感じなの?コン…なんだったけ?」
「コンラッドだよ。本当はコンラート・ウェラーって名前らしいんだけど…最初に会った時にこっちで覚えたちゃったから、今更変えにくいんだよ〜」
「いや、名前は良いからさ。どういう人なの?」

 高梨は会話の時に、本題から入って欲しいタイプである。

「一言でいうと、めっちゃ格好いい人だよっ!」
「要約しすぎだけど…乙女にとっては重要な事項ね」

 実際、横の方で質問したさそうにそわそわしていた連中も瞳を輝かせて寄ってくる。左腕を失ってまで有利を救ってくれた人物が如何なる存在であるのかは、乙女ならずとも気になるところであろう。男子生徒達もそっと聞き耳を立てている。

「後は…優しくて、頼りがいがあって、超イメケンで…」

 何故か、指折り数えながら有利の頬が淡く上気していき…ほわりと潤みを帯びた黒瞳がうっとりとしてみえる。その様子はふわ…っと春風に舞う綿帽子のように愛らしく、心を打つ情景であった。

『…………渋谷君、まるで恋する乙女みたいな顔ね…』

 高梨は今時流行りのBLなるものにはあまり興味がない。やはり恋というものは男女で落ちておくのが絵的にも美しいと感じるからだ。
 スイスで山岳救助隊をやっていた屈強な男と有利の恋というのは…想像するとちょっと微妙だ。
 のし掛かられたら潰れてしまうのではないか。

『いや、別に恋と決めつけてはいけないのだけれど…』

 それだけ尊敬しているというだけかもしれないし。
 何でもかんでもレッテル張りしてしまうのは、高梨の悪い癖かも知れない。  

「是非見てみたいわね…そのコンラートって人」

 有利の基準というのは確か筋肉メインだったから《超イケメン》というのは多分過剰評価だと思うのだが、こんなにうっとりした顔をして思い出すくらいだから人間的魅力はあるに違いない。

「今日迎えに来てくれるけど、会ってみる?」
「え…?山岳救助は良いの?」
「いや…コンラッドはレスキュー隊とか所属してないし」

 《じゃあ何をしている人なのか》と聞いたら《銀行員》という答えが帰ってきて、みんな隔たりがありすぎる肩書きにイメージの転換を余儀なくされていた。
 毛むくじゃらでアルペンホルンが得意な大男から、黒縁眼鏡がよく似合うスーツ青年へとモーフィングしようとするのだが、どうしても二つのイメージが拙い具合に絡まって珍妙な映像が浮かんでしまう。

 7分丈のズボンの下から垣間見える臑毛(靴下は踝を覆う厚手の毛糸仕様)とか、スーツの下から覗く胸毛とかが思い浮かぶが、実際は違うと信じたい。

「と…とにかく、直接会えるっていうのなら是非会いたいわ!」

 脳裏に浮かぶ珍妙な映像をどうにかしたくて、高梨は強く主張した。
 勿論、クラスの面々も同様である。

 とはいえ、この時の高梨は正直なところ《この想像よりはマシ》な程度の人物を期待していたに過ぎない。
 たから…校門に集結したクラスメイトと共にコンラートを迎えた時には…思わず絶叫してしまった。


「超絶美形ーっ!!」
「超イケメンーっ!!」


 高校生の集団からいきなり絶叫されたコンラートは一瞬驚いたようだが、すぐに柔らかい微笑みを浮かべると礼儀正しく一礼した。これがまた、俄仕込みではこうはいかぬと思われる高貴さなのである。
 しかも笑みを浮かべると、澄んだ琥珀色の瞳に銀色の光彩が夢幻の如く煌めいて…お伽噺の王子様を思わせる美しさだ。

「初めまして、コンラート・ウェラーと申します」

 声までが涼やかな…それでいて甘い響きを持つ低音なものだから、観衆からは一斉に《はぅん…っ!》という鼻声が漏れた。

「こここ…コンラートさんが、渋谷君をスイスで護ってくれた人デスカっ!?」

 慌てすぎて、さしもの高梨も声を裏返してしまう。
 今朝方有利を見た時には《他人の顔にこんなに驚いたのは初めてだわ…》と思ったのだが、コンラートは有利とはまた別系統の美麗さを湛えていた。

 整った顔立ちには今時の《イケメン》なんてものには存在しない、本物の気品があった。外見だけでなく、精神を常に鍛錬し続けている者独特の緊張感ある佇まいがあり、それでいて懐の大きさ、暖かさを感じさせる。
 
 中核にしっかりとした土台を持った上ですっくと立つ長身は、実に均整が取れており、ちょっとした仕草にも無駄がない。一見優男風の銀行員ではあるが、何らかの体術を会得しているのだと思われた。

 秀でた額から通った鼻筋、少し薄目の唇、尖り気味の顎へから逞しい喉へと流れていくラインは芸術的で、美術部の正田は先程からぶつぶつと《モデル…モデル…》という言葉を繰り返している。モデルを頼みたいが、あまりの美しさに気後れして出来ないのだろう。

『確かに…本職のモデルだって、こんなに綺麗な人はいないわ』

 モデルは顔と言うよりは肢体全体のバランスと服との相性の問題だから…というのもあるが、コンラートはそのバランスも含めて歩様が美しい。グラビアよりはショーモデルとして舞台に立って欲しいくらいだ。
 左腕がないというハンデはあるが、彼自身がそれを卑屈に捉えぬ強い精神の持ち主であるせいか、寧ろそれは、誇るべき名誉の負傷であることを伺わせた。
 
 腕と頭部を持たぬサモトラケのニケが、残された体幹部分だけでも十分に人の心を打つように、コンラートは堂々たる自己を輝かせ続けているのだ。
 それは、《美》というものに強く惹かれる高梨にとって、実に崇高な事に思えた。

 おそらくは、より多くの者がこの美を欲し、賛嘆するに違いない。

『このまま埋もれさせておくなんて、美に対する冒涜だわ』

 勝手にそんなことも考えてしまう。

「あの…コンラートさん、失礼ですけど…写真を撮らせて貰っても宜しいですか?」
「ええ、結構ですよ。お好きなだけどうぞ」

 言うなり、おずおずと背後に控えていた生徒達が一斉に携帯を取りだして構えた。ちょっとした《記者会見状態》でフラッシュがたかれると、コンラートは眩しそうに目を細めた。   
 そうすると長い睫が白皙の頬に影を落とし、それはそれで美麗な印象になる。

『貰った…っ!』

 携帯電話を使う他の連中と違って、高梨の持つ一眼レフは本格的な仕様だ。
 《街で見かけた素敵な情景2:その中にいる自分:8》の割合で撮影しているのだが、今日ほど重量感のあるこのカメラを所持していて良かったと思ったことはない。
 やはり、レンズの精度が携帯電話の比ではないのだ。

 素早くコンラートの姿を激写していくと、今度は大変なことに気付いた。
 そうだ、有利も撮らねばならない。
 あんなに可愛い少年も、埋もれさせておいて良いはずがないではないか。

「渋谷君、コンラートさんの脇に来て」
「え?え?何で俺も?」
「超イイっ!高梨さんグッジョブっ!!」

 歓声を上げたのは少女達ばかりではなかった。
 コンラートの時には反応しなかった少年達も、何故か急に動きが激しくなっている。

 コンラートの方はちょっと照れながらも有利と一緒に撮って貰えるのが素直に嬉しいのか、何枚か右腕に抱えた状態で撮って貰うと画面で確認して、出来が良かったものにはにかみつつも《これ…後でいただけますか?》などと念押ししている。

 意外と可愛い人だ。

 そんなこんなで、俄に起こった撮影会は呆れた教員達が解散させるまで続いたのであった。




→次へ