第3話


 


『この世界はどのような形をしていると思う?』

 そんな問いかけをされた場合、この世界の住人達は国ごとに異なる論をまことしやかに語る。

 ある国では《大きな盤を三羽の兎が支えている》のだと信じられていたり、またある国では《天国と地獄の間に浮く陸地であり、中津国と呼ぶのだ》と自信満々に言われることだろう。

 《実は球形である》という説など、天文学の発達した少数の国以外では《嘘をつけ》と言われるような時代である。

 そんな中で質量共に随一の知識家を抱え、民の平均的な知識水準も比較的高いのが眞魔国、少数の貴族階級は眞魔国と張り合う程度の知識量を持つものの、民の生活・知識水準が極めて低いのが大シマロンである。

 眞魔国にはこの国だけの特徴として、魔族と呼ばれる種族が生活している。彼らは地水火風といった、天地を構成する様々な要素と契約を結ぶことで魔力を発揮するが、それは純粋に魔族のみの血を引く者にしか出現せず、少数存在する人間との混血者には原則として出現しない。

 特徴的な長命だけは混血者にも引き継がれるが、それがどのような遺伝形質によるものなのかは解明されていない。《寿命に関しては、要素の祝福は魔族の血を引く限り継承されるのだろう》という説もあるが、要素の薄い人間の地で生まれた子どもにも引き継がれるため、謎に包まれているのだ。

 一方大シマロンを初めとする国家には、原則として人間と呼ばれる種族が生活している。身分階級の設定は各国家によってまちまちだが、各階級間の如何なる確執よりも、魔族に対する敵愾心・不審感の方が強烈であるのは、殆どの国では文字の読み書きも出来ない民が大部分を占め、《自分が見知ったものでない物は悪》とする原始的な嫌悪感が根底にあるのだと考えられる。

 種族として蔑視されることに、好感をもって応える者は皆無であろう。

 例に漏れず、眞魔国に於いても人間に対する侮蔑と敵意の念は強く存在しており、少数例として出現する混血者は、社会に自分の存在を認めさせることに大いに苦労する。ただし、混血と知られるだけで苛烈な暴力に晒されたり、時によっては命さえ奪われる人間国家に比べれば、まだしもその扱いは《人道的》と呼べるだろう。

 《人》の殆どが忘れているような道徳を、《人の道》と定めて良ければ…だが。

 ここで、この世界の歴史を少し紐解いてみよう。

 歴史とは言っても、実は共通の暦を持たないこの世界では国家ごとに年号の出発点を決めてしまっているので、便宜的に、最も古い歴史を持つ眞魔国歴を基準として説明する。

 この年は眞魔国歴4000年、後世の区分としては《後二大国時代》にあたる。
 
 この時代は眞魔国歴3979年に終結した《大戦》直後に、巨大国家であったシマロンが大・小に分かれたところから始まる。大戦によって国力を落としたシマロンから、小シマロンが独立することで現在の形となったのだ。

 大戦前は《前二大国時代》と呼ばれ、これは眞魔国歴3832年を始まりとする。
 歴史区分の切り替え要因となった事件は、その後勃発する大戦に比べれば流れた血の総量は微々たるものであったろう。だが…その不条理さにかけては、歴史上類を見ないほど凄惨なものであった。

 統一国家であったシマロンで、大規模な王権交代…反発を持つ立場からは王権簒奪と呼ばれる事件…《アルティマートの虐殺》が勃発したのである。
 アルティマートとはかつてシマロンの王都が置かれていた場所だが、その事件を機に遷都されており、都であった痕跡は荒廃した大地に辛うじて残る城跡くらいなものである。

 実は《前二大国時代》以前は数千年に渡って、シマロンは眞魔国最大の友好国であった。しかし、国の枢軸を担うウェラー王朝が、大貴族ベラール一族を筆頭とする連合軍に敗れたことで断絶したのである。

 正確には、ウェラー王家の親族が集まって親睦の宴を開いている最中に、宣戦布告も無しに乱入してきたベラール軍が王と王妃の首級を上げたのである。宴に列席していた者の内、ベラール派に通じていなかった者で生き残った者は皆無とされている。何らかの理由で列席していなかった親族に対しても、時期を違えずして行われた虐殺の波は襲いかかり、やはり根絶やしにされたと言われている。

 その道理に反した行為は国際的にも問題になり、眞魔国等は正式な抗議を行ったが、当然ベラール王家は恐れ改まったりはしなかった。その程度のことで反省するくらいなら、最初から王権簒奪という大それた行為など企むはずもない。

 その後、国を挙げての大規模な交戦こそ百年後の大戦まで起こらなかったものの、火種は燻り続け、シマロンと眞魔国は最大の敵国として反目を強めることになる。

 一方、シマロン国内ではどうだったのだろうか?

 当時の民の心情を記した正確な文献は残されていない。
 支配者たるベラール王家にとって不都合な事情であるなら、《義憤を感じた民の声》といったものが押さえつけられるのは当然のこととして、歴史に残るような規模の一揆や反発運動が起こらなかったのは何故だろう?

 これは実に世知辛い話であるが…ウェラー王家自体には愛着と尊敬を感じながらも、やはり民の中には根強い《魔族嫌い》が息づいていたのだ。このため、ベラールが事件を起こした理由としてあげる《ウェラー王家はシマロンを眞魔国の属国にしようとしている》という噂を《汚らわしく、根拠の希薄なもの》として一蹴することが出来なかった。

 ひょっとすると、《ベラール王家になった方が、人間国家として眞魔国より遙かに優位に立てるのではないか》…等といった欲が働いたのかも知れない。

 よって、民が実質的な生活に於いて、《対眞魔国戦費》と称して毎年税が上げられていくことに気が付いた頃には、ベラール王家の支配は絶対的なものになっていた。
 かつては盛んであった領土間の交流も年を追う事に制限され、反抗因子となりえる組織は激しい弾圧を受けた。

 その頃になって漸く、民は本気でウェラー王家を懐かしみ始めた。

 ウェラー王家が苦汁を舐めた時期に助けようとした者は微々たるものであったから、これを民の《狡さ》と弾劾するのは簡単である。ただ、彼らにもやはり置かれた状況の中で生き抜くという命題がある以上、後世の民が大上段から斬って捨てることは難しいだろう。

 民は苦しさを増していく生活の中で、ウェラーの名を密やかに語り始めた。
 口間に伝えられる噂の中で特に人気があったのは次のものである。

『徹底的な虐殺を行ったベラール王家も、ウェラー王家の血族をただ一人だけは生かして捕らえた。その生存者が数年の後にシマロンを脱出して、子孫は今でも生きて王権の復活を目指している』

 この説が時の政権によって否定を続けられながらも大陸全土に流布したのは、あくまで歌物語として人気があった為であり、決して信憑性が高かったからというわけではない。

 そのような歌として語り継がれる時、ウェラー王家は特に光輝ある存在として表現された。

 古い伝承によれば、ウェラー王家は世界を生み出しながら再び混沌の中に戻そうとした古き神々…《創主》に対して闘いを挑み、眞魔国建国の祖《眞王》と肩を並べて戦場に立った、《獅子王》と呼ばれる男を父祖としている。神々の御代に遡る歴史というのは、どうしても神秘的であり、民の心をくすぐるのかも知れない。

 ただ、これも根拠とされるのは眞魔国に残る数点の壁画のみであるから、確実な証拠は残されていない。

 《獅子王》の名は眞魔国に於いては眞王を指す言葉でもあったから、これと混合されたのではないか…あるいは、ウェラー王家を示す紋章が獅子を象ったものであったことから、そのように勇敢な王がいたことにされているのではないか…諸説あり、いずれも歴史家の間では結論を得ていない。

 眞魔国・シマロン建国時の資料については、確かなものは現在ほとんど残されていない。建国以前にも現在と同一の言語体系による伝承記録はあった筈だが、数百年にわたる創主との闘いによって失われたものと考えられる。

 建国後についても、保存性の高い紙やインクの生産自体が眞魔国歴二千年前に確立されたことから、建国〜二千年迄の記録は羊皮紙に膠(にかわ)を少しずつ塗り込んだり、木板・石板に彫り込む形で記載されているため、数自体は極めて少ない。

 このため、眞魔国建国前後やその他諸外国に於ける歴史は主として口伝によって伝承されることとなり、多分に《神話》的要素を多く含むものとなった。当然の事ながら、伝わる内容も真の歴史であったのか…人々の想像力や願望が綯い交ぜになったものなのかは判然としなくなっている。

 それらは主として、各国間を渡る語り部や吟遊詩人達の喉を借りて伝播している。

 彼らは極めて深刻な交戦状態を除いては、どの国に於いても一定の身分保障を約束されており、特に各国家君主の認めたギルドに属する者は、原則として自由な内容の伝播を許されている(勿論、余程その国の支配者を誹謗中傷するものでない限りは…という条件付きだが)。
 そのような文化集団の存続を許すことで、自国の文明度の高さを誇示しているのだろう。

 体面的なこととはいえ、それは守られないよりは守られた方がよい約束事である。
 ことに、語り部や吟遊詩人を生業(なりわい)とする者にとっては重要な保証であろう。



*   *   *




 大陸北西部の小国家パルケドスは、一応は国としての独立を認められてはいるものの、実質的には大シマロンを宗主国とする属国である。酪農を主たる産業とするこの国では大量の穀物が産出されるが、汗水垂らして働いている農夫が口に出来るのはほんの一部であった。
 仰ぐべきパルケドス国主の上にはどっかりとシマロン王ベラールが腰を据えており、二重に搾取される重税に青息吐息であったからだ。

 それでも人として生きていくためには何かしらお楽しみがなくてはならないが、その選択肢も田舎に行くほど限られてくる。南西部に広がる穀倉地帯ホッキスの男達にとっては、愉しみと言えば酒場で飲む安酒だろう。蒸留度は低いのでそう酔うことは出来ないが、それでも仲間達と笑ったり歌ったりする酒は一日の疲れを癒してくれる。

 今宵は久方ぶりに旅の《歌姫》が訪れていることもあり、男達はやんやの喝采を送りながら歌声に聞き惚れた。
 この酒場が薄暗いのは雰囲気造りと言うよりは灯火を惜しんでいるだけなのだが、それでも微かな光に照らし出された歌姫は独特の陰影を帯びて艶っぽく見える。

「さぁ…旦那方、次なる唄は何をお望みかしら?」

 シャラン…と三本の弦が華麗な音を響かせると、男達は《チューイ!》と鼻に抜けるような鼠鳴きをする。次なる唄への期待と言うよりは、脚を組み替えた歌い手に対するものなのかもしれない。丈は長いが大きく股の付け根まで入ったスリットが揺れて、逞しい下肢が剥き出しになったからだ。
 
 歌い手は若く、随分と恰幅の良い女であった。
 渡りの歌姫として単身世界を渡り歩いているせいだろうか、我が身を護るに十分と思われる隆々とした上腕を肩口から晒し、《豊満》…というより《逞しい》と表現したくなるような胸元は、前後だけでなく左右方向にも発達している。

 一言でいうとかなり《ごつい》のだが、酒場に入ってきたときには《うっ》…と負の方向に息を呑んだ男達も、洒落た言い回しや徒(あだ)っぽい雰囲気が秀逸な女に何時のまにやら転がされて、深くスリットの入った深紅のスカートが揺れるたびに身を乗り出している。

 柑橘色の鮮やかな髪を都風に高く結い上げ、花弁の大きな造花ときらきらと光を弾く硝子細工で飾っている。
 少し垂れ気味の蒼瞳には愛嬌があり、唇は多少厚めだが紅い舌と共に良く回り、歌の合間にも饒舌に気の利いた小話を語ってくれる。それらは赤と金を主体とした派手な化粧に彩られており、明るい陽のもとで見れば微妙な印象だろうが、薄暗がりの中では実に艶やかな印象を受けた。

 男達の表情は自然と華やぎ、久方ぶりの高揚感に口調も弾む。

「姉ちゃん、ババールの恋歌をやっとくれ」
「爺臭ぇなあ…何時の唄だよ」

 ごま塩頭の男が呂律の回らぬ舌で望みを口にすると、仲間と思しき男が肘でこずく。おそらく、歌姫を生業にはしていても、こんな小国に伝わる古民謡など知らないと思ったのだろう。

 しかし、意に反して歌姫は巧みな指遣いで旋律を弾くと、女性にしては渋みのある声を重ねていった。

「ほう…」
「こりゃあ…佳い喉だ」

 歌い手の技能以上に、旅の歌姫が自分達の故郷の歌を知っていてくれたことが嬉しかったのだろう。男達は目元に涙さえ浮かべて聞き惚れた。何時しか酒場に居合わせた全員が声を揃えて謳い上げ、なんとも言えない一体感が広がっていく。

 切ない旋律が余韻を残して消えていくと、男達は惜しみない拍手を手向け、なけなしの小銭を歌姫の差し出す籠に入れていった。

「あんた若く見えるが、意外といってるのかい?こんな唄をきっちり歌い込めるなんてねぇ…」
「あらやだ、失礼ね。どさ廻りの為に持ち歌をたっぷり抱えているだけよ」
「おお、悪い悪い…」

 歌姫が唇を尖らせて鼻を鳴らすものだから、余計な事を言った男は肩を竦めて多めに小銭を寄越した。
 
「それにしてもあんた、体つきは頑丈そうだが若くて綺麗だし…旅の途中にゃ危ない目にあったりするんじゃないのか?」

 《ここに居る間くらいは俺が護ってやろうか?》…そんな風に囁くのはビルという名の比較的若い男で、隆々とした体つきは歌姫よりも逞しく、己の膂力と魅力を見せつけるように太い腕を見せつけた。普段は木訥とした働き者として知られているのだが、よほどこの歌姫が気に入ったらしく盛んに会話を求めている。

「ふふ…心配してくれるの?あんたってば良い子ねぇ…」

 歌姫の方は喉奥で転がすような笑い声を上げると、色気たっぷりに片目を瞑って男心を揺さぶった。特に返事を与えるわけではないが、思わせぶりな態度にビルの財布からはじゃらじゃらと小銭が籠に流れていく。

「そうそう、ここんとこは特に色んな国がざわついていやがるからな。旅人の国境越えも難儀するって言うが…あんたは大丈夫だったかい?」

 少し年嵩の男がぼやき気味に語るのは、そのせいで吟遊詩人や語り部ギルドに与していない旅人の出入りが制限されて、娯楽が減っているせいだろう。

「あたしは正式に《マーシャ姐さんのギルド》に入ってるから平気よ。でも…以前よりも審査が厳しくなったのは確かだわね」
「やっぱりあれかい?《双黒》とやらがこの世界の何処かに現れたってのは本当なのかねぇ…」



*   *   *




 酒場の男達の言う《双黒》とは、かつて魔族の長たる眞王が封じたとされる《禁忌の箱》…創主の力を封じ込めた四つの箱の《鍵》を指し、それは髪と瞳の両方が漆黒をなす人物なのだという。

 黒を身に帯びる者は世界中何処を捜しても滅多にいない。人間世界では古来より、《珍しいものは恐れるか崇める》と言う基本原則を持っているが、この場合は不吉として恐れた。

 眞魔国では建国に際して眞王を大いに助けたという《双黒の大賢者》に由来して、滅多に現れない双黒を貴種と崇めていたのだが、こと、この《鍵》である場合には極めて不吉な意味を持ち、人間同様にその出現を恐れている。

 この《鍵》によって《禁忌の箱》が開放されれば、封じられていた創主が世に放たれると言われているからだ。

 眞魔国に於いてはここ数千年にわたって、眞王のように偉大な魔力とカリスマ性を有する魔族は現れていないことから、創主が復活した場合、これを再び封じたり滅ぼしたりすることは不可能と考えられている。
 
 ただ、箱が四つある以上鍵も四つあるはずなのだが、噂によると《鍵の内三つは眞王の配下であった有力な魔族の血縁者に伝えられているが、四つ目の鍵となる双黒は異世界に隠されており、この世界にもたらされることはない…だから、この世界は安全に保たれている》と伝えられてきた。

 しかしある事件を機に、異世界に隠されたはずの《双黒》がこの世界にやってくるのではないかという噂が燎原の火の如く広がったのである。
 
 その噂の発端は、今から三年前の眞魔国歴3997年…眞魔国の有力な将官ウェラー卿コンラートが、長く十貴族によって治められていたこの国の《十一貴族》に就任するという歴史的な式典の最中に起こった。

 十一貴族案とはコンラートの功績を讃えるだけでなく、大きな政治的・軍事的意味合いを持つものでもあった。
 ひとつには、十一貴族にウェラー家が加わることで十貴族が五分五分に分かれて判断がつかなくなる事態がなくなること、もうひとつには、これまで十貴族のいずれかに所属する軍団長(中将・大将・元帥)の指示を仰がねばならなかったルッテンベルク師団が、コンラートが少将から中将以上に昇格する資格を持つことでルッテンベルク軍として認められることになり、単独の軍事行動をとれるようになる事である。

 混血家系の者が政治と軍事の中枢に立つ…それは、眞魔国始まって以来の出来事であった。

 ウェラー卿コンラート…無事に式典が完了すれば晴れてフォンウェラー卿と呼ばれるはずであった彼は、眞魔国歴3980年の大戦終結の決め手となった《アルノルド会戦》に於いて、ルッテンベルク師団を率いて絶望的な局面を勝利に導いた立役者である。

 また、彼は複雑な生い立ちを持つ青年でもあった。
 流れ者の人間を父とすることで《混血》と蔑まれる一方、眞魔国第26代魔王であるフォンシュピッツヴェーグ卿ツェツィーリエを母とするため、第二王子として尊崇されるべき身分も持っている。

 ただ、コンラート自身からその複雑さによる屈折を見いだすことは、大抵の者にとっては困難であった。彼は身分に見合うだけの高い教養と共に、父譲りの卓越した剣術と人当たりの良さを持っており、爽やかな容貌と柔らかい物腰は何処に行っても貴婦人の憧れの的であった。

 それだけに、彼を蔑視する者は《混血ゆえに劣っている》ということだけを拠り所として己の自尊心と権益を守ろうとした。

 このため、コンラートを巡っては熱烈な崇拝者と徹底的に排斥しようとする陣営が真っ二つに別れることになり、家門を十一貴族に昇格するに際にも水面下で激烈な闘争があったと言われている。
 
 前者の主体はコンラートを息子のように可愛がっているフォンウィンコット卿オーディルと、コンラートの実力を得難いものとして考えるフォンヴォルテール卿グウェンダル。後者の主体は極度の純血主義者であり、十貴族の伝統に強い拘りを持つフォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェルとフォンビーレフェルト卿ヴァルトラーナであった。

 十貴族を二分する政治的闘争も、コンラートが華々しい戦果を上げていくごとに後者の発言内容は根拠希薄なものになっていき、反コンラート派の最後の一角であるフォンラドフォード家が態度を変えたことで終結を迎えた。

 そしていよいよ式典というこの日…突然、占術師アルザス・フェスタリアが恐るべき託宣を下したのであった。    

『ウェラー卿コンラートは異世界からやってくる《双黒》を導き、創主を蘇らせるだろう』


 眞魔国の王城である血盟城前に設えられた会場は水を打ったように静まりかえり、次いでざわざわと漣(さざなみ)のように困惑が広がっていったという。

 結局、式典は急遽取りやめとなり、十一貴族昇格も無期延期となった。
 根拠は不明であるものの、そのような疑いを掛けられた人物が国事を左右する大貴族に配せられることは不適当とされたのである。
 
 《たかが占術師が託宣を下したというだけで、国事として認めた重要事項を変ずるなど、法治国家としてあってはならぬ事だ》とコンラート派の面々は激怒したが、肩身を狭くしていた反コンラート派の面々はこの事件によって息を吹き返した。

 これを助長させたのが、その後諸外国においても名の知れた占い師達が同様の託宣を下しっていったことだった。

 既にフェスタリアの衝撃的な託宣が下されたことは諸外国の知るところになっており、幾らかはこれに引きずられた向きもあろう。だが、少なくとも多くの占い師達が共通して《異世界からの来訪者》《双黒》という因子を持つ者が《禁忌の箱》を開くであろうということ、そして、その誘因となるのが《ウェラー卿コンラート》であろうということだけは一致していたのである。

 コンラートや混血を巡る環境は日に日に悪化していった。
 これまではすっかり下火になっていた噂…《混血はいつか魔族を裏切る》という疑念がまことしやかに囁かれ始め、まるで明確な事実であるかのように語られていったのである。

 そんな中、《国内の混乱を沈静化するため》という命題で3999年冬の第二月に開かれた十貴族会議の席で、一つの決議が下された。

『異世界からやってくる双黒を捕獲・ないし殺害するまで、ウェラー卿コンラートの身柄は《北の塔》にて厳重な監視下に置く』

 《北の塔》とは身分の高い者を長期間拘束するための施設であり、罪人のように鎖に繋がれたりすることはなく、一定の豊かな生活が保障される。
 だが、この決定はすなわち《異世界からやってくる双黒を捕らえるか殺すか》できなければ、死ぬまでコンラートを飼い殺しにすることをも意味していた。

 これに伴い、ルッテンベルク師団は会議決定に従順に従う意志があれば新たな師団長のもと十貴族軍の旗下で作戦行動を行えるが、コンラートを匿って引き渡しを拒否するなどの反抗的態度があれば、軍組織を解体するとの見解が示された。後者であれば、ルッテンベルク師団の兵達は事実上の解雇…失職を余儀なくされる。

 眞魔国国内には一気に緊張が走った。

 ウェラー領で自主的に謹慎していたコンラートの選択次第では、国内に大規模な内乱が起こると想定されたのだ。

 だが、結果として全面的な衝突を避けるよう措置が為された。
 十貴族会議の席で交渉役に名乗りを上げたフォンヴォルテール卿グウェンダルが、単身ウェラー領に乗り込んで話をつけたのである。

 ただし、この結果生じた事態は摂政フォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェルを激怒させた。

 なんと、グウェンダルは独断でコンラートに《異世界からやってくる双黒を探し出し、これを確実に殺して頭部を眞魔国に持ち帰れ》と命ずると、国外に脱出させてしまったのである。

 更にはルッテンベルク師団には《ウェラー領で別命あるまで待機》を指示し、血盟城に帰還してシュトッフェルに事情を説明した後、グウェンダルは自ら《北の塔》に入所した。そして実に堂々たる態度で虜囚生活を始めたのである。

 本来、グウェンダルは会議決定に忠実な男である。
 その彼が敢えてこのような行動に出たのは、反コンラート派の要衝であるシュトッフェルやヴァルトラーナの目的が混血の台頭を防ぎたい一心であることを見抜き、弟を生涯虜囚の身とさせることに怒りを覚えたからだ…とされる。

 何故伝聞形なのかと言えば、グウェンダルが一切の弁明をしなかったからである。
 彼はただ一言、《ウェラー卿の忠心に、疑う余地はない》と断じるのみで、それ以上の心の動きは語ろうとはしなかった。

 こうして放浪の身となったコンラートには、また異なる噂が持ち上がってきた。
 これは、彼の姓…《ウェラー》と、瞳に散る特徴的な銀の光彩からきている。

『もしや、彼は獅子王の系譜に連なる者なのではないか…』

 そんな噂が、人間国家を中心として流布することとなった。
 その意味する所はこうである。

『ウェラー卿は本来人間世界の王たる血筋を持つのではないか。彼は長きにわたる雌伏の時に終止符を打ち、今こそ最強の武器である《禁忌の箱》を双黒を操って開放し、大シマロンと眞魔国を屠って巨大な帝国を築くのではないか』

 不安と期待を共に誘うその噂は、誰がそもそもの発信源であったのかは定かではない。
 だが、ある意味極めてロマンティズムを刺激されるこの噂話は非常に人気があり、すぐに吟遊詩人や語り部の喉を借りて世界中に広まることとなった。

 《禁忌の箱》が開かれて世界が滅ぶのか…。
 あるいは、創主の力を借りた人間が魔族を押さえて世界の覇者となるのか。

 二つの噂は、今や世界の最大関心事となっている。

 しかも、ここ最近盛んに占い師達が警報を発している。
 
『双黒の来訪が迫っている』

 その詳細については占い師ごとにまちまちだが、強い力を持つ国家お抱えの占術師などはかなりの精度で出現日時と場所を押さえていると聞く。






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