第29話





『へぇ…渋谷じゃないか』

 その日、天羽劉生が1年7組の教室に入ると珍しいものが見えたから、一重瞼の鋭い眼差しで軽く訝しんだ。
 1学期末に突然姿を消した渋谷有利がなに喰わぬ顔で登校しており、地味な女子…及川と楽しげに会話していたのである。
 どちらも天羽とは縁の薄い生徒だ。

 及川がいつも早くから教室に入ってゴミを捨てたり、花を生けたりしているのは知っている。
 《良い子だな》と思う反面、本人からは主張がないだけに《気付いて褒めて》と言われているような気がして、ちょっと鼻につく感じはしていた。
 だから、同じく早い時間に教室に入る習慣を持つ者同士ではあるのだが、殆ど会話らしい会話を交わしたことはない。

 それは有利に対しても言えることであった。《野球が好きらしい》という他は何も知らない。彼が不登校になっても《学校生活にすら馴染めなかった奴が社会に出てやっていけるのか?》等と呆れていた程度で、それ以外に彼のことを記憶しているエピソードなど無かった。

 だから、この時も小さく《おはよう》とだけ声を出すと、すぐ席に座って勉強を始めようとした。
 元々、天羽がこんな低レベルな高校に来てしまったのは大変不本意なことなのだ。丁度受験シーズンにインフルエンザとおたふく風邪のダブルパンチを受けて、生死の境を彷徨ってしまったのである。この年で浪人だけは嫌だったので、朦朧状態でも合格できたこの高校に嫌々入学した。

 入学時のそんないきさつがあったせいだろうか…天羽は、あまり積極的にこの高校で友人作りをする気にはなれなかった。

『俺はあいつらとは違う』

 無意識の内にそう判じ続けているからかも知れないし、天羽の好きなSF研究に関する部活もなかったからだ。
 ディープな会話が出来るのはネット上の顔も知らない友人ばかりだから、今日も学校に来るなり家に帰りたくなっている。だったらゆっくり登校すればいいようなものだが、朝方からネットに繋いでしまうと本当に不登校になりそうなので、意識してやらない。
 この年で人生終わらせるのは嫌だ。

『早く時間が経っちゃえば良いんだ。どうせ他の奴も、俺のことなんか気にしてないし』

 そう考えながら天羽は好きな雑誌を取り出す。冷やかしてきそうな奴が来たら、すぐノートの下に隠せるようにして…だ。
 天羽はすっかり自分の世界に浸る気満々であった。

 しかし…

「天羽、おはようっ!」
「…っ!?」

 元気よく声を掛けてきた有利と、目が合った。
 少し甘めの、良く通る声…そして何より、にこ…っと微笑んだ表情の鮮やかさに心奪われてしまった。

『な…に?』

 こいつは、こんなに綺麗だったろうか?
 整形…という感じではない。何か…全身から溢れ出す爽快な風が、におやかな魅力となって吹き付けてくるようだった。

 冬の凍てつく大気に覆われていた街に、雲間から一条の陽光が差すように…。
 陰鬱に淀んでいた沼が一瞬にして澄み渡るように…。
 鬱ぎ気味であった天羽の心を、清涼な何かが吹き抜けていった。

『獅子座流星群を…初めて見たときくらいの衝撃だ』

 これは天羽的に、最大級の賛辞である。

「あ…天羽君、おはよう!あのね…渋谷君、気が付いたらスイスにいたんだって!」
「え……?」

 教室内で殆ど口を開いたこともない及川が、頬を紅潮させて興奮している。意味はさっぱり分からなかったが、何となく傍に寄りやすい雰囲気になったものだから、珍しく天羽も鞄を置くと、ノートを広げることなく二人の近くに行った。
 もしかして…アブダクションという可能性がないかどうか気になったのだ。

「何…渋谷、お前自分探しの旅とかしてたの?見つかった?」

 語尾に、ちいさく《それか、UFOに捕まってたとか…》と囁いたのだが、それは上手く聞こえなかったようだ。
 天羽はちょっと不思議系のSFネタが大好きだが、あまり頻繁にその事を口にすると、周囲から冷たい目で知られることも体験的に学習していた。

「自分が見つかったかどうかは分かんないけどさ…。大事に生きなくちゃな…って思うようになったよ?」
「何それ。哲学的じゃん」
「いや、そんなアタマ良さそーな真理に行き着いた訳じゃないんだけどさ…」

 からかうように言ったのに、有利は素直に照れてぽりぽりと頭を掻いている。
 その照れくさそうな表情がやけに可愛くて…もっと見たくなった。

「なあ、何があったんだよ。教えろよ」
「えと…俺、実は凄ぇ危ない目にあったんだよ。危うく、死んじゃうくらいな」

 随分とまた話が大きくなったものだ。ひょっとして、《気が付いたらスイス》というのもあながち嘘ではないのだろうか?
 《スイス》という国名が牧歌的だから、つい突拍子も無いことのように感じていたけれど、これが《北朝鮮》という名だったらすぐに《拉致》という言葉が思い浮かんだに違いない。
 もしかして…国際的な犯罪にでも巻き込まれていたのだろうか?

 それか…やっぱりUFOが関わったりしているのだろうか?(←諦めきれない)

「そしたら、助けてくれた人がいたんだ…」

 両手を合わせて静かに瞼を伏せる有利は、その《人》のことを思い浮かべているのだろうか?ふわ…っと白く清らかな光が満ちるようにその表情は清澄で、思わず天羽も声を失って見惚れてしまう。
 少し落ち着いてから及川を見ると、やはり呆然として見惚れていた。

「凄い…凄い優しい人でさ、俺…その人に甘えきってたんだけど、そしたら…その人、俺を庇って大怪我して…」

 声の末尾が震えて、伏せられた瞼の影に淡く涙が滲んだ。慌ててそれを隠そうと目元を擦るからポケットから取り出したハンカチを渡すと、潤んだ黒瞳が見上げてくる。

「天羽…ありがと」
「……っ!」

 涙に濡れた眼差しの、なんと愛らしいことだろう!

 心臓を射抜かれるような衝撃に、天羽は脳の奥がくらくらするような感覚を味わった。
 しかもしかも…直接何かしたことに対して、目の前でお礼を言われるなんて体験は一体いつ以来のことだろうか?小学生の時には当たり前だった行為を、そういえばもうずっとしていなかったことに気付く。

『なんで…こんなに嬉しいんだろ?』

 ぽう…っと、胸の奥に暖かな灯火が点いたみたいだ。
 検定に合格したとか成績が上がった時のように《どぅっ!》と押し寄せる歓喜とはまた違った、じんわりと染み入るような幸せ感がある。

「渋谷…お前……」
「なに?」
「いや…何でもない」

 言いかけて、慌てて止めた。
 《…何でそんなに可愛いんだよ?》なんて聞いた日には、完璧に変態扱いされてしまうだろう。

「それよか、お前の話もっと聞かせろよ…何かドラマチックなことがあったんだろ?救い主の大怪我はどうしたよ」
「あ…そだそだ。コンラッドがね…」

 ガラ…っ

 《スイスだけあって外人さんかい》…そんな感想を抱いていたら、またクラスメイトが入ってきた。

 こんな時間帯に来るには珍しい、高梨瑞穂だった。手入れの行き届いたストレートの栗色髪はさらりと背中まで流れ、つんとすました顔立ちはモデルをしているだけあって小綺麗にまとまっている。モデルをしている時と違って、登校時には一切化粧をしていないにもかかわらず、自然なピンク色を湛えた形良い唇や、大粒の瞳を縁取る長い睫などはまるでフランス人形のようだ。

 だが…その高梨に目をやってから有利を見直してみると、やはりこちらの方が愛らしい。

『こいつ…現役女子高生モデルよりも《清楚》とか《可憐》って形容が似合うのはどーなんだよ!?』

 そんな感想を抱く天羽であったが、高梨もまた有利に《高梨さん、おはよう!》と声を掛けられて、吃驚したように目を見開いていた。



*  *  *




 高梨瑞穂は自分の容姿に絶大な自信を持っている。
 小さい頃から《可愛いね》なんて降り注ぐほどに言われていたから、その表現が無粋だったりありふれたものであると、褒められても喜びを感じないくらいだ。

 そんなことをしても、何故か高梨は周囲から疎まれたりはしなかった。
 強烈な自己愛を支えるだけの容姿だけでなく、一種独特のあっさりした性格が、どろりとした質感を持たなかったせいだろう。

 中学の時には女子の間で陰口こそ叩かれていたものの、直接苛めに来るだけの度胸を持った者は居なかった。高梨が真っ直ぐに目を見て真意を正せば、誰もが自分の嫉妬心から出た行為に気づいて黙り込んでしまったからだ。

 《美》というのは、それだけの価値と力を持っている。
 高梨は齢16歳にして、そのような独特の《哲学》に確信を持つ希有な存在であった。

 高梨は傲慢とも表現できる性格だが、それでも恨まれないのは美に対して極めて忠実な信念を持っているからだと思う。自分と系統が違っても真に美しいものには敬意を尽くすし、決して自分を高めるために他者を貶めるような真似をしたことだけはないと、強く自負しているのだ。

 だから、この日も開口一番こう言い切った。

「渋谷君、あなた夏の間に超絶美形になったわね!?」
「……えっ…へぁ…っ!?」

 有利は豆鉄砲を食らった鳩…というより、鼻先に蜜柑皮の汁を吹き付けられた仔猫みたいな貌をしている。本人には全く自覚はないようだ。
 一方、一緒に話をしていた及川と天羽はこくこくと同意の形に頷いていた。

「いや…実は俺も同じ事思ってたんだよ…」
「わ…私も……」
「あら、そう?じゃあ聞けば良かったのに」
「いや…普通聞きにくいだろ?」
「そうかしら?」

 そういう感覚が高梨にとっては少々不思議でならない。正直に教えてくれるかどうかはともかくとして、まず聞いてみなくては始まらないではないか。
 
 高梨は早足に近寄ると、有無を言わさず有利の頬を両手で包んでまじまじと観察した。

「う〜ん…何が変わったのかしら?整形…の筈無いわね。こんなに違和感のない整形なんてないもの」

 モデル仲間にも整形している者は多いが、そういった作られた《美》はやはり画一的なものになりやすく、飽きられるのも早いようだ。

 そんなものではなく、真に美しいものをこそ高梨は称えたい。

「うん、それによく見ると顔の造形は変わってなくない?そういうのじゃなくて…こう……奥の方から澄んだ光で照らされてるみたいな…そういう、美しさじゃない?作られたものだったら、こんなに心を打たれたりはしないと思うのっ!」

 普段は消極的な及川もこくこくと頷いて同意している。案外、よく観察しているものだ。 

「そうね…喩えて言うなら硬い蕾が露を含みながら、朝靄のなか花弁を開いてきたような…乾いた蛹(さなぎ)の殻を破って、瑞々(みずみず)しい光沢を持つ蒼い蝶が、今まさに羽ばたき始めたような感じかしら」
「凄い…凄いわ高梨さん!とっても詩的な表現ねっ!それに、表現も的確だわ…。まだまだ美しくなる可能性を秘めているんだけど、今の初々しさも堪らないのよね…っ!」
「激しく同意してくれたわね。そうそう、まさにそうよ?」

 握り拳をふるって頷く及川は、 1学期よりとても生き生きとして見える。実はこういう《美》に対する意識が強い子だったのかもしれない。何だか素直に嬉しくてわくわくしてしまう。

「及川さんも、綺麗なものや美を称えたりするのが好きなのね?」
「え…?そ、そりゃあ…」

 表情が翳ると、急に及川の顔が愚鈍で惨めたらしいものに変わってしまう。それが残念で、高梨は眉根を寄せた。

「…どうしたの?」
「綺麗なもの…大好きだけどさ、なんか…身分不相応って感じかなって…」
「何で?」

 その言い回し自体が陰湿に感じて苛つくが、有利はふるる…っと首を振ると、柔らかな声音で語りかけた。

「華を生けてる時の及川さんは、とっても良い感じだよ」
「渋谷君…」
「教室も、いつも綺麗にしてくれる…。そういうことが出来る人って、凄いと思う。だから…及川さんはもっと自信持った方が良いよ?」
「……渋谷君?あなた…悟りでも開いたの?インドで修行をしてきたの?」

 真っ直ぐ過ぎる賞賛の言葉に戸惑うが、更に困惑するのは…その言葉に些かの曇りもないことであった。
 それこそが最も、この少年を《美》たらしめているのかもしれない。

「いやいや、悟ってないから…。行ってたのはインドじゃなくてスイスだし」
「だって、本人を前にしてそんな賞賛を浴びせられるような、気の利いた人じゃなかったでしょ?」
「気が利いてた?クサくなかった?」
「及川さんはどう?」

 高梨が促すと、及川は頬を紅く染めて…ちいさく《嬉しかった》と囁く。
 その表情はお世辞でなく可愛らしいもので、高梨もにっこりと微笑んでいた。表情が和らいだせいだろうか?及川は先程よりも親しみを込めた眼差しを向けてくれた。

「そっか…良かったぁ」

 安堵したように息をつく有利は、これはもう…文句なしに可愛らしい。
 手放しで賞賛したいくらいだ。

「でも…本当に、どうしちゃったの?」
「どうっていうか…実は、俺ってクラスの中ではあんまり思い出とか無かったんだよね。それが…ちょっと寂しくなったというか…。色んな事に気付かないまま、勿体ないコトしてたんじゃないかって気がしてさ。ちょっと、今までより《注意して見よう》とか、《気付いたらちゃんとお礼言っとこう》とか思ったんだけど…やっぱ、変?」

 《うりゅ…》っと、羞恥に淡く頬を上気させ、困ったように眉根を寄せて見上げてくる瞳のなんと愛らしいことだろう…っ!
 高梨は衝動の赴くまま、有利を抱きしめてしまった。

「ご免なさい…っ!傷つけるつもりじゃないかったの!!」
「たたたたた…高梨さんっ!?」
「今やっと分かったわ…。あなた、本当に…綺麗な心で受け止めたことを、そのまま…素直にあるがままで人に伝えることにしたのね?穿った見方をして本当にご免なさい…っ!」

 高梨の剣幕に、中学が同じだった天羽は愕然としている。

「高梨が謝った…」
「あら、心外ね。私だって間違った時には率直に謝るわよ」

 高梨のきっぱりとした台詞と行動に、《は…っ》と及川が顔を上げた。 

「高梨さん、あなたって…本当に真っ直ぐなのね?」
「そうよ、それが私の生き方だもの」
「じゃあ…さっきのも、別に嫌みとかじゃなかったのね?」
「嫌み?何が?」
「ううん…。何でも…あ、わ…私も、ちょっと真っ直ぐになってみようかな?私…卑屈になりすぎてたみたいね」
「そうね、及川さんって卑屈でなければとても良い感じだと思うわ」
「……本当に直球ね…」

 苦笑しながらも、及川の顔からはねっとりとした暗い色が消えていた。
 それは、とても《良い感じ》だった。



*  *  * 




「話を戻すけど渋谷君、一体どうしてこんなに変わったのかしら?何か夏休みにあったの?そういえば…あなた、7月から居なかったわね?」
「うーん…色々あったし、ちょっと逞しくなったのかな?」

 有利はちょっと期待感を込めてそう言ってみた。
 少しでもコンラートのような《凛々しい美しさ》を持てるようになっていたのだとしたら、物凄く嬉しいのだが…高梨はあっさりと却下した。

「ううん。あんまり逞しい感じではないわ」
「…左様ですか」
「うん、逞しいの方向じゃなくて…凄く可愛くなった」

 反射的に天羽がそう発言するが、すぐに慌てて腕を振った。
 何故頬を赤らめているのだろうか?

「う…ぁ…お、俺…別に変な意味で言ったわけじゃないからなっ!」
「いやいや、天羽…別に馬鹿にしたとか思ってる訳じゃないから。大丈夫だよ?なんかさ〜…そういえば、草野球チームの人たちにも同じ事言われたし」

 何しろ空港で出会い頭に《どうしたんだ》と問いつめられ、それが原因で《あらぬ事》を口走る要因となったのだ。
 今度こそ気をつけよう。
 幾らコンラートのことを好きでも、流石に学校でカミングアウトする勇気はまだ無い。

『何でだろ…《恋をすると綺麗になる》の法則って、男でも適応されるのかな…』

 だが、有利本人は至って普通であり、容貌が変わったという実感はまるでない。毎日鏡を覗けば《もうちょっと逞しく育ったって良いのに…》という感慨こそ抱くものの、吃驚するほど可愛いと言うこともない。

 よく分からないが、まあ…ブサイクになったと言われるよりは良いだろうか?

 そんなことより、印象が変わったことでクラスメイトと話すきっかけが出来たことの方が嬉しかった。

『えへへ…コンラッド、やっぱ名前を呼んで挨拶するのって良いよね?』

 名前って、本当に大切だと思う。

 言葉が殆ど通じなかった異世界でも、有利を救ってくれたのはコンラートの発する《ユーリ》という言葉だった。

 ただひとつの名前…大切な、名前。

 呼ばれなくなってから初めてその大切さに気付いたように、当たり前だと思っていたこの生活も、もう一度見つめて両手の中に包み込んでみよう。

 そう思いながら、有利は教室に入ってくる生徒の一人一人の名を呼んだ。



*  *  * 




『…なんだぁ?』

 バスケ部の朝練が終わり、始業ぎりぎりになってから教室に駆け込んできた瀬名海斗は少し驚いた。
 えらく教室内が賑やかだったのだ。

 その中心にいる者にも驚いた。
 7月から姿を見かけなくなっていた渋谷有利だったのである。

「あ、瀬名!おはようっ!」
「あ…お、おはよう…渋谷」

 瀬名に気付いて、にこ…っと浮かべた笑顔は鮮やかな愛らしさを放っており、まるで咲き初めた白い蕾のようだ。
 じぃん…と染み入るような美しさというものを初めて目にした瀬名は、危うく持っていた学生鞄を脚の上に落とすところであった。
 
『な…なんで!?』

 瀬名はバスケ部の一年生の中ではずば抜けた才能を持っているし、バランスの良い長身と男らしく整った容貌にも自信がある。だから、生まれてこのかた女に飢えたことなどない(幼児期にはそれこそ、老若男女にモテモテだったし)。
 だからといって全ての可愛い子が自分に靡くと思いこんでいるわけではないが、もともと部活の方が楽しくて、《女の子のことが気になって、自分からアピール》…という衝動は薄い。
 
 それが…なんだって一学期には視界の中にも入っていなかった男子生徒にときめいているのだろうか?

「部活お疲れ〜。瀬名って練習スキーだよな」
「お…おお」

 続けて声を掛けられたのが嬉しくて、鞄を机に置くと引き寄せられるように有利に近寄っていった。

「渋谷、お前7月から何処行ってたわけ?」
「あ、そうそう。俺らもさっきからそれを聞こうとしてんだけどさ、何か新しい奴が入ってくる度に同じ質問が出るから、無限ループ状態なんだよな」

 有利の周囲に固まっていた面々も、同じように頷いている。
 少し気にして目線を送れば、彼らの眼差しはやはり今までとは違う色合いを載せて有利を見つめていた。みんな、色んな意味で興味津々なのだ。 

「ん〜…いや、それがさ…」

 有利が説明を始めようとした時に本鈴が鳴り、担任にせっつかれて講堂に向かうことになった瀬名は、上手いこと間隙を縫って有利の隣に陣取った。



*  *  * 




『瀬名の奴…図々しいな……』

 天羽は狙っていた有利の隣を瀬名に取られたことで、自分でも奇妙に感じるくらい怒りを覚えていた。
 心なしか瀬名は有利の方に身を乗り出すような体勢を取っており、有利も気にしていないから息が掛かるくらい近くで会話をしている。

 何を話しているんだろう?
 ああ…こんな事ならもっと遠慮せずに話しかけておけば良かった!

 もやもやとした気持ちを抱えて周囲を見渡せば、他のクラスメイト…いや、他のクラスの連中さえもが有利を興味深げに見つめている。
 
『一体…なんだってのかな…。なんで急に、渋谷のことがみんな気になり始めたんだろう?渋谷の、何が変わったんだろう?』

 容姿だけではなく、何かもっと根本的なところが変わっているような気がする。
 スイスで有利を救ってくれたという人物のせいだろうか?
 何となく、スイスというイメージからセントバーナード犬を連れた屈強な山岳救助隊が思い浮かぶ。
 山小屋の暖炉で木に刺したチーズを焼きつつ、人生について語り合ったりしたのだろうか?

『あいつのこと、もっと知りたいな…』

 唯の好奇心だけではない探求心が、一体どういう気持ちから来ているものか…まだ天羽は気付いてはいなかった。

 



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