第25話





「コンラッド、勉強すごいね。日本語上手なった」
「そんな事ないよ。猊下にはまだ叱られてばかりだ」

 勉強会が終わって休憩に入った有利は、コンラッドや村田、ヨザックと共にボーデン湖畔を散歩した。
 勿論、少しホテルから離れたところにある広場でキャッチボールをするためだ。手には勝利が持ってきてくれたボールとミットが握られている。

 サァア……っ

 湖畔から渡る風に漆黒の髪が巻き上げられ、心地よさに目を細めていたら…コンラッドもまた髪を煽られて右手で押さえていた。後ろ髪はかなり思い切って刈り詰めていたのだが、前髪は少し伸びて琥珀色の目元を掠めていく。
 身につけていたシャツも、折からの強い風に吹かれてばたばたとはためいた。

 コンラートは綺麗なアイスブルーの半袖シャツにアイボリーの細身ズボンを身につけているが、少し長めの袖は風に乱され…美麗な顔立ちとしなやかな体つきをした青年である故に、余計に痛々しく感じた。

 道行く人々が好奇と同情の入り交じった視線を投げかけてくることに気づくと、有利はそっとコンラッドの左側に寄り添ると、盛んに話しかけようとした。

「あ…あのさ、コンラッド…湖、きれい。ぴかぴか…きもちいいね」

 眞魔国語を繋ぎ繋ぎして、なるべく心地よくなってもらおうと話しかけていると、コンラッドはその度に丁寧に頷いて、彼もまた学んだ日本語で囁いてくれる。
 互いに母国語と反対の言語を用いているのだから、端から見ていたら少し奇妙な会話に聞こえたろう。

「本当だね、とても綺麗で、大きな湖…泳げるかな?」
「え〜と…湖の後、コンラッドはなんて言ったの?」

 《泳ぐ》という動詞はまだ日本語で覚えていなかったらしく、そこだけが眞魔国語で、有利もその単語を知らなかったので理解できない。

「《泳げるかな?》って言ったんだよ」

 困った時の村田頼みで尋ねると、すぐに教えてくれた。勉強会といい、この友人は何だかんだ言いながらとても面倒見がよい。

「そっか、良い季節だもんね」

 言いかけて、水着姿になれば余計にコンラッドの傷が目立つのだと気付いたが、彼の表情には何の拘りもなさそうだ。そんな風に心配することの方が申し訳ないような気がして、有利は意識的に明るい表情を浮かべると、クロールのゼスチャーをしてみせた。

「泳ぎたい!俺も、泳ぎたいっ!」
「ユーリ、泳ぐの好き?」
「ああ〜…村田、今コンラッドはなんて聞いたの?泳ぐの後」

 またしても一つだけ分からない眞魔国語にもどかしく尋ねると、少し間をおいてから村田が教えてくれた。

「……《好き》なのか…ってさ」
「…へぇ?あ…お、泳ぐのが好きかってことか…うん」

 期せずして《好き》という単語を知ることになった有利は、変に意識している自分を恥じつつも、淡く頬を上気させてその言葉を呟いた。

「好き…うん。好き……」
「ユーリ、好き?」
「うん、コンラッド…好き」

 思いを込めて囁き過ぎたのだろうか?
 一瞬コンラッドの瞳が見開かれて…すぐ反射的に引き締められてしまった。なんだか、初めて会った頃の表情変遷に似ているような気がする。

「コンラッド、泳ぐ、好き?」
「好き…」

 うんうんと頷きながら《好き》を繰り返す二人に、村田とヨザックはバリバリと頭を掻いている。



*  *  * 




 村田の肩をぽんっと叩くと、ヨザックはコンラート達から少し離れた場所に誘導して話しかけた。

「猊下…俺の目には、あの連中ができあがりまくった恋人同士に見えるんですが…どう思います?」
「…………まだ微妙に通じ合ってはいないよ」
「ちいさな壁さえちょこっと乗り越えれば、サクっと通じ合いそうなんですけどねぇ…。猊下も気づいておられるんでしょう?どうして教えてやらないんですかい?」
「その前に、あの連中には考えなくちゃならないことが沢山あるだろう?…っていうか、そんなに教えてやりたきゃ君がしなよ」
「いやぁ…俺は猊下の嫌がることはしたくないんで。ハイ」

 随分と殊勝なことを言う割に、重ねて問いかけられた内容は実に痛烈であった。

「自分の恋心にとって邪魔だから、わざとやってる…ってわけじゃないんで?」
「失礼だな。君こそ、あの二人が完全に出来上がることで、渋谷があちらの世界に行かざるを得なくなることに期待していないかい?」
「ま、そういう心情が無いとは言いませんけどねぇ…」

 ヨザックは鮮やかなオレンジ色の髪を振ると、湖畔から吹き付けてくる心地よい風に瞳を細めた。

「結局、決めるのはあの連中です。俺はここにいても何もすることがありませんから、あっちに送り返して貰って、うちの上司と運命を共にしたいとも思うんですが…隊長についちゃあ、ここに残りたいって言えばそれも良いかな…って思うんですよ。ユーリと一緒に、ここで幸せにやっていけるんなら…それはそれで素敵でしょ?」

 少し前のヨザックなら間違っても浮かんでこなかった意見だ。
 しかし、ユーリがあちらの世界に行きさえすれば創主の脅威から救われるというのならともかく、同程度以上の危険性もあるのだと理解したその時から、ヨザックの冷静な脳は《より多くの確実な幸せ》を得るためには、どうすれば良いかという計算が展開されている。

「……僕もそうしてくれれば丸く収まると思ってたんだけどね…。それは可能かい?」
「…どうなんでしょうね。隊長ってば何でも出来るくせに、こういう所では不器用な奴ですからね」

 そう、その事もヨザックには分かっている。
 だから自分の口からはなかなか言えないのかも知れない。最悪の場合、コンラートは自分の恋心を殺して、ユーリを地球に置いたまま眞魔国に帰ることも考えられた。

 今、村田から潤沢な知識を注ぎ込まれているコンラートの頭蓋内では、様々なシュミレーションが行われているようだ。その中には、村田やヨザックが懸念するような選択肢も入っているに違いない。

 ただ、コンラートが知れば大きな思考因子となりそうなユーリの《可能性》については秘されたままだ。
 それに…村田にはヨザックにも明かしていない秘密がまだあるような気がする。何しろ双黒の大賢者と崇められる方だ…一筋縄にはいくまいし、ヨザック程度の男に腹蔵を全て明かすとは考えにくい。

『…どうするのが、本当に良いことなのかな?』

 ヨザックにも分からない。
 ただ、少なくとも全てを秘して取り返しがつかなくなったところで、《何故教えてくれなかった…!》と責められるのだけは辛いな…と思うのだ。



*  *  * 

 
 
  
『ヨザの奴、猊下と共に何かを隠しているな?』

 それは分かっているが、おそらく問いただしても何も言うまい。
 ヨザックは双黒の大賢者にえらく入れ込んでいるらしく、彼の許可が出ない限り何かを秘したままでいるつもりらしい。

『ユーリに関わることだろうか?』

 靴と靴下を脱いで湖畔を歩くユーリは、ぱしゃぱしゃと水を跳ね返して遊んでいる。そのまま脱いで泳いだりする気ではないだろうが、転ぶのではないかと心配で後をつけていってしまう。
 ふと湖畔に移り込んだ自分たちの姿を目にすると、《まるで水鳥の親子のようだな》…と自嘲した。

『恋人同士には、見えないか…』

 幼く愛らしいユーリ…彼に、庇護欲だけではなく恋心を抱いてしまうなんて、自分でも驚きだ。

 村田から聞いた話では、ユーリもまた混血魔族であるらしいのだが…長寿を誇る眞魔国産の魔族とは異なり、まだ生まれてから十六年しか経っていないのだという。百歳以上年上のコンラートが手出しをするというのは、問題が大アリだろう。

 ああ…だが、コンラートに振り返って輝くような微笑みを浮かべるユーリの、なんと愛らしいことだろう?
 コンラートの姿が目に入った途端、《いた、嬉しいっ!》と全身で表しながら漆黒の瞳を煌めかせるのだ。

 可愛くて可愛くて…目にした瞬間、顔が情けなく溶け崩れそうになるのを必死で食い止めねばならない。

 村田や美子の弁によれば、これまで誰とも付き合ったことはなく《彼女いない歴16年》との話だが、真実なのだとすれば地球の女達はよほど見る目がないのだと思う。
 いや…ひょっとしてあまりにもユーリが可愛すぎて、気が引けてしまうのだろうか?

『だとすれば…男どもに襲われなかったことは、大した僥倖と言えるだろうな』

 あの華奢な体躯では、無骨な男にのし掛かられては抵抗の術もないだろう。
 今まで無事に生きていてくれて、本当に良かった…。

 そんな感慨に耽っていたら、懸念通りユーリは砂に足を取られて転びそうになった。

「ユーリ…っ!」

 咄嗟に伸ばそうとしたのは左腕で…すぐに右腕に切り替えたのだが、それでも以前よりはタイミングが遅れてしまう。どうにか湖側に倒れるのは防いだものの、少し濡れた浜辺に転倒してしまった。

「ごめ…こ、コンラッド…大丈夫?」
「平気だよ。ユーリこそ、大丈夫?」

 砂地に横たわるユーリはコンラートにのし掛かられながらも、小さな手を伸ばして気遣わしげに左腕の断端を撫でる。
 つぶらな瞳が、花弁のように愛らしい唇が…息が掛かるほどの近くにある。

 じぃ…っと思いを込めて見つめれば、どうしたものか…ユーリは頬を淡く上気させてぱちぱちと瞬きをしている。
 これまでのコンラートの体験では、こういう体勢で良い雰囲気になると向こうが自然に瞼を閉じてくれたのだが…有利は瞳全開のガン見状態である。

 やはり…脈はないのだろうか?
 先ほど《好き》という言葉に頬を赤らめていたのも、大きな意味を持つものではなかったのだろうか?

『無邪気な子だから…特に他意はないのかも知れないな』

 変に期待しすぎると困らせてしまいそうなので、時として強い自制心が必要になるコンラートだった。



*  *  * 




『コンラッド…どどど…どーしたのかなっ!?』

 そんなに熱い眼差しで見つめられてはドキドキするではないか。
 眞魔国産魔族の習慣がよく分からないのだが、こんな風に見つめられた時にはどういう反応をすべきなのだろうか?

 村田に助言を求めるべきか…とも思うのだが、ちらりと視線を送ると妙に嫌そうな顔をして、口をへの字に曲げている。男同士砂浜で重なり合ったこの体勢が、余程イタいのだろうか?

「ご…ごめんね?コンラッドまで巻き込んじゃったね?」
「気にしないで…怪我はしていない?脚の傷も開いていないかい?」

 コンラートの気遣いを受けながら立ち上がれば、彼の大きな掌がぱんぱんと砂を払ってくれる。

「大丈夫…」

 この言葉も懐かしさを込めて噛みしめてみる。
 あちらの世界で、彼が《だいじょーぶ?》と聞いてくれた時…いや、その前に名前を呼んでくれた時も、どうしようもなく落ち込んでいた心を掬い上げてくれた。
 今ではすっかり滑らかな語彙を操るようになった彼だが、伝わる暖かさは相変わらずだ。寧ろ、今の方が更にやわらかみを帯びているように感じる。

「ありがとう」
「どういたしまして」

 有利を支えていた手が離れていくのが切なくて…つい、反射的にその手を握ってしまった。

「どう…したの?」
「ええええええ〜…えーと……。手、繋いでも良い!?あ…あのさ、迷子に…ならないように…」

 有利は以前観光中に横道に逸れて迷子になりかけたから、それなりに説得力がないではない。あの時も、すぐに気づいてくれたコンラッドが手を差し伸べてくれたのだ。 

「迷子になってはいけないね。みんな、心配するからね」
「うん…」
「俺も心配になるから…手を繋いでいようか?」
「うん…っ!」

 こくこくと頷くと、コンラッドの右手をしっかりと握る。少し冷たいけれど、大きくて気持ちの良い手触りだった。

 背後で村田が何とも言えない目線を送っているような気がしたが…敢えて気にしないことにした。

 

*  *  *




 そんなこんなでもどかしい中にも楽しい生活を送っていた有利たちだったが、8月の末になると、2学期の始業に向けてスイスを離れる日がやってきた。

 とはいえ、これはスイスとの永遠の別れになるわけではない。確実に、もう一回は訪れなくてはならないのだが、これは村田がコンラッドに約束した行為…眞王廟に掛け合うこと実施するためである。

 8月の内に実施できれば一番良かったのだが、何しろ魔力持ち魔族隊が、あちらの世界から有利だけでなくヨザックとコンラッドまで地球に運んだのが余程堪えたらしく、今まで体験したことのない疲労困憊状態に陥っているため、数ヶ月は魔力の発現を避けた方がよいとされているのだ。

 有利の中に眠っているはずの上様を召還する事も考えられたのだが、村田の力と同調しても上様は出てきてはくれなかった。この原因は明確ではなかったが、あちらの世界でないと発現できないのかもしれない。
 …というのも、もしも上様がこちらの世界でも力を発揮出来るのであれば、そもそも有利はあちらの世界に引きずり込まれなかったのではないかと思われる。

『君の恩人に会えないのは残念だけど、君があちらの世界に二度と行かない以上、もう会う機会はないね』

 と言われたときには、何だか物凄く寂しくなった。
 直接意思の疎通をしたのは一度きりだったのだけれど、とても仲の良い親友と、二度と会えないと言われたような感覚なのだ。

 何とかしてこちらの世界でも会えないのかなと思うのだが、それでなくとも疲れ果てている魔力持ち魔族隊に無理は言えず、今のところは胸の中に納めておくだけにしている。
 コンラッドのための《大賢者様通信》が完了してしばらくしたら、改めてお願いしてみよう。

 そういうわけで、有利たちは冬期休業を利用して再びスイスに赴くことを予定している。

 なお、渋谷家の面々は何日かはスイスに滞在していたのだが、勝馬と勝利が仕事や学業(勝利の場合は夏期休業中なので、単に夏コミに行きたかっただけではないのかとも思うが…)の為に帰国しなくてはならなかったので、美子もぶうぶう言いながら8月上旬に帰国している。

 ボブの組織が手配してくれたパスポートや身分証明書は完璧で、有利たちは空港でも全く足止めされなかった。なんと、地球では未知の生物であるはずのチィもちゃんと検疫を受けて、《栗鼠の一種》として運搬されることになった。ただし、客室には入れないように指示されたので、ペット用のケージに入れて貨物室に入れられてしまった。

 スイスから成田に飛ぶ飛行機と言えば基本的にはチューリヒ、ジュネーヴ、バーゼル等の国際空港があるのだが、今回は贅沢にボブの企業が所有しているプライベートジェットを利用して、ザンクト・ガレンの空港から直接飛び立つことになった。

 このジェットはミドルサイズビジネスジェット機の3倍もの客室スペースがあり、《大空のプレジデンシャルスイート》とも呼ばれているそうだ。

 ただ…そんな内装もコンラッドにとっては《鉄の塊》の付随物としか見えないのか、先程からしげしげと機体を眺め、《金属の塊…だよなぁ……》と疑わしげに呟き続けている。

「これが…飛ぶんですねぇ………」
「うん。飛ぶ飛ぶ。バンバン飛ぶ。だからとっとと乗って?」
「猊下…どうしてそう、俺を先に先に行かせようとするんですか?」
「君が躊躇するとヨザックや渋谷まで立ち止まっちゃうからだよ。良いからさっさと行きな?」

 村田がドスっと脇腹を突くようにして飛行機に叩き込むと、機内にはゆったりとした幅と間隔でシートが並んでいた。しかも通常の碁盤の目のような配置ではなく、ホテルのラウンジのように幾らか斜めになっているのだ。乗り合わせた仲間と会話をするとき、互いに目線が合うように工夫されているらしい。

 また、クリーム色の滑らかなシートには色とりどりのクッションが置かれ、ローテーブルには(しっかり固定されているのだろうが)優美な花々が生けられていた。このローテーブル自体も深い飴色の光沢を持っており、スイスのホテルで見たアンティーク家具と比べても遜色ない造形である。

「うっわ…超リッチ飛行機…っ!ボ…ボブさんの会社って儲かってるんだね?」
「色々あこぎなこともしてるのかな〜」
「怖いこと言うなよ!」

 そんなことを言いながらも、有利の声ははしゃぎ気味だ。
 なにせ、久々に故郷へと帰れるのだから。

「コンラッド、日本着く。しばらく、俺んち泊まる?」

 コンラッドとヨザックのマンション自体はボブの部下が手配してくれている。しかも、用意された部屋はシェアリングではなく、隣り合わせになった部屋を別々に用意されているのだ。

 ただ、《好みがあるだろうから》と、家具や身の回り品は最低限の物しか入れていないから、日本入りしてその日から暮らすというわけにはいかない。だから、8月最後の週末に勝馬の運転で好みの調度品や生活用品を買いに行くことにしている。これもボブが渡してくれたカード使い放題とのことで、彼が非常にコンラッド達を厚遇していることが分かる。

「ああ、そうだよ…ユーリ」
「お世話、なるです」
「それはこっちの台詞だよ」

 《あはは》…っとコンラッドは軽やかに笑う。
 こちらの世界に来てから、かつては滅多に笑わなかったなんて信じられないくらい、コンラッドは良く笑うようになった。しかもその笑いは明るく楽しそうなものであったから、それがこの世界に存在すること自体を楽しんでくれている証明のように感じられて、有利は誇らしさで胸がいっぱいになるのだった。

 ゴォオオ…
 フゥウン…っ!

 離陸の瞬間コンラッドの手が緊張していたから、並んで座っていた有利はそっと自分の手を重ねた。目線が交わされ…微笑み合う。

 横でその光景を目にしてしまった村田が、また辟易したような顔をしていた。
 変な物をお見せして、まことに申し訳ない。

 さて、雲の上に到達して機体が安定すると、有利とコンラッド、ヨザックの面々は子どものような様子で窓に張り付いた。

「うわ…凄い雲海…っ!」
「あれが…雲ですか?それに…その上空の、なんて蒼いことだろう…っ!」

 雲の海はもくもくとした隆起の中に陰影や独自の形状を持ち、いずれも一様ではない。うっすらと平らに広がっている物もあれば、そそり立つ峰のように膨隆しているものもあって、見ていて飽きるということがなかった。

 普段は遙か高みに広がっている雲を、有利たちは今眼下に見下ろしているのだ。これはまさに、《神の領域》を思わせる光景であり、自分がそんな位置にいることが少し畏れ多いような気がしてくる。

 わふわふとしばらくはその風景を楽しんでいたのだが、食事をとって(これもプラスチックの食器などではなく、優美な陶器風の食器に盛られていた)落ち着いてくると、機内を見学して回りたくなってきた。

 何しろ、この機体にはリビングルーム、会議室、シャワールーム、さらには、クィーンサイズダブルベッドの寝室まで備わっているというのだ。正直、ダブルベッドなんて《何のために使うんだよ》と突っ込みたくなるが、それは私用で恋人同士が使う時のものなのだろうか?とりあえず、仕事仲間が集まってパジャマパーティーをするためではないと思う。

「コンラッド、飛行機、探検」 
「よろしいですか?猊下」
「ああ、良いんじゃない?クルーの人の言うことを聞いて、気をつけていくんだよ?」
「はーい」

 良いお返事をすると、有利はすかさずコンラッドの手を握った。以前、湖畔で握ってから、彼が嫌がらない限り何の説明もなく手を握っているのだ。彼が嫌がったことはないので、要するに毎回握っていることになる。

 村田達をリビングルームに残して会議室に向かうと、ここも立派な家具が取りそろえられており、壁付けのホワイトボードはなんとPCディスプレイとしても機能するようだった。クルーの人が少し操作をしてくれたのだが、タッチパネル式なのでアイコンを指先でクリックしてスライドさせたり、キーボードで打ち込みをするのはもちろんのこと、特別なペンで手書きすることも可能なのだ。

 ペンを借りてコンラッドの似顔絵を描いてみたら、意外と似ていた。
 コンラッドもやはり借りて、有利の似顔絵らしきものを描いてくれたのだが…。

「これ、俺…?」
「………………」

 意外な弱点がまた見つかった。
 彼はかなり絵が下手…いや、個性的だ。

 いやいや、ひょっとするとコンラッドには有利がこう見えているのかも知れない。
 それはそれでショックだが…。

「俺、こんな顔?」
「…描き直す」
「良い。よく見たら、味、ある」

 消しゴムアイコンでごしごしと消去され掛けたのを止めると、クルーが何か操作をして一枚の紙を取り出してくれた。それは…有利が描いたコンラッドと、コンラッドが描いた有利の似顔絵がプリントアウトされたものだった。

「くれるの?ありがとう!」

 子どもの落書きのような絵も、こうしてプリントアウトされると、へたくそ過ぎて意外と芸術性が高いのではないかという気がしてくる。何より、コンラッドが自分を描いてくれたこと自体が嬉しくて、有利は大事そうに畳むとポケットに入れておいた。後で絵の所だけ切り取って、アルバムか何かに入れておこう。

 更に探検を進めてみると、噂のクィーンサイズダブルベッドの置かれた部屋にやってきた。流石に部屋全体はそこまで大きくないが、その分、部屋いっぱいにベッドが広がっているように感じる。

「うっわ…でかい〜。ホテルのベッドも結構大きかったけど、これはもうちょっと大きいね。あのー、これってちょっと乗ったりしても良いですか?」

 身振り手振りで問うと、クルーは意図をくみ取って《結構ですよ》という風に頷いてくれた。うきうきとベッドに上がると、スプリングも効いているし質の高い生地が滑らかで、横たわるとうっとりしてしまう。少し旅立ちのどたばたで疲れていたせいもあって、そのまま眠りに落ちてしまいそうだ。

「コンラッドも乗る!これ、凄い気持ちいい!」
「そう?」

 コンラッドも靴を脱いでベッドに上がると、急にクルーがそわそわし始めた。
 そして…《どうぞおくつろぎください》と言うと、礼儀正しく頭を下げて退室してしまう。

「あれ?」
「気を…使わせてしまったのかも知れないね」
「え?」

 そこで客観的に状況を思い出すと…まるで寝所に男を引き込んだかのようなシチュエーションであることに気づいて、顔から火が噴きだしそうになった。
 コンラッドもその事に気づいているのか、慌てふためいている有利を見ながらくすくすと笑っている。

 その表情には大人の余裕があって、少し悔しくなった。

 コンラッドだってこの世界にやってきたばかりの時には狼狽えたり慌てたりしていたのだが、一週間もするとすっかりこちらの習慣にも慣れてしまい、覚えの早過ぎる彼をちょっと残念に感じたりする。

『こんなにあっさり追い抜くことないのに!』

 もっと《まごつくコンラッドを優しくリードしてあげる》という、美味しい時間を過ごしたかった。
 そりゃあ…こんな風に余裕のあるコンラッドも勿論、素敵なのだが。やっぱり悔しいものは悔しい。

 だから、ついつい試すような物言いをしてしまうのだ。

「コンラッド、あっちの世界…好きな人、いた?」

 ちょっと唐突な質問かも知れないが…それでも、ベッドで接近していることが《裏切り》になってしまうような人がいるのかどうかはとても気になった。

「愛しているという意味で?」

 《好き》と《愛》の違いというのは正確なものではないそうだが…少なくとも、好きは多くの者に振りまかれそうだが、愛はかなり限定感が強い気がするので、《そうそう》と頷いてみた。

「ユーリは…いるの?」
「えー?答えずに聞くの、ずるい。俺、先に聞いた」
「狡いか…そうだね」

 気が付くと、コンラートは息が掛かるほど近くまで来ていた。
 ベッドの上を、隻腕であることを感じさせない優美な動作で這い、有利の至近距離まで詰め寄っていたのだ。

「俺はね…」

 ごく…っと喉が鳴る音を、コンラッドに聞かれたような気がした

  




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