第20話





 村田にとって、物心ついた頃から所有していた大賢者としての記憶というものは、えらく厄介な存在であった。何しろ《村田健》としてのアイデンティティすら確立されていない幼児期に、異世界の偉大な軍師やら、異世界・地球入り乱れて魂を受け継いできた者達の記憶が備わっているのだから堪ったものではない。

 中には魔女として惨殺されたり、戦場で非業の死を遂げた者の記憶までが明瞭に残されていたから、昼夜を問わず蘇る記憶に振り回されて、村田はやたらと泣き叫んだ。
 このため、両親…特に母親は半狂乱になって小児科医や精神科医の元を渡り歩くことになった。

 結果的に、これが功を奏することになる。

 《悪夢》の情景から村田が大賢者であることに気づいた魔族の小児科医が、《君は決して狂ったりなんかしていないんだよ》と語り聞かせたのである。
 
 連絡を受けたボブもまた、村田に面会を求めた。
 同年に生まれた渋谷有利との縁を感じずにはいられなかったのである。

『君はいつか、この子と共に魂の故郷へと赴くことになるのかも知れないね…』

 ボブに渡された幼い有利の写真に、村田は随分と驚いたものだ。
 男の子と聞いていたのだが…えらく可愛らしいエプロンドレス姿の少女に見えたのである。

『ああ、言っておくがその格好は彼の趣味ではないよ。ご母堂が娘さんが欲しかったのだそうで、洋服だけでも…と願望を満たしておられるらしい』

 ボブの説明はあまり耳には入っていなかった。とにかく写真の中の有利がとてもとても可愛らしく見えて…この子と一緒なら、不思議な世界に旅立つのも悪くはないと思えたのである。

 多分…村田にとってそれが初恋だったのだと思う。
 
『ぼくは、ひとりぼっちじゃないんだ…っ!』
 
 唯々嬉しかった。
 それからも、幾度か悪夢は見たけれど…有利の写真さえ眺めれば冷汗や震えは消えていき、その内、有利の姿を思い浮かべるだけで自分をコントロールできるようになっていった。

 過去の記憶も《感情移入して見た映画》くらいに処理できるようになり、幼稚園に入る頃には大人びた精神がくるりと一周して、《大人が喜びそうな、無邪気な幼児》を演じられるまでになった。

 村田は有利と同じ幼稚園に入ることとなった。母親はエスカレーター式のカトリック系学園に入れたかったようだが、上手く誘導して同じところにしたのである。小学校・中学校もそんな感じで同じにした。

 だが…村田と有利の間には見事に共通点がなかったし、何しろ初恋の相手ということで妙な照れもあってなかなか口をきくことは出来ず、そうこうする間に中学を卒業してしまった。

 高校は流石に母親の意向に従わないわけにはいかず(有利との学力レベルが隔絶しすぎたのだ)、村田は寂しい高1の春を迎えた。

 そんなある日、村田は奇妙な印象の夢の中で…見覚えのある男を迎えた。
 
『俺の定めた刻限、場所に…ユーリを誘導するのだ。転移の際には力を貸せ』

 眞王が手を翳すと、夢の中の空間に見慣れた公園と公衆便所とが映し出された。
 洋式便座の一つで、ユーリを眞魔国へと流すというのだ。

 《その場所はあんまりじゃないか》とか、《僕は一緒に行けるんだろうね?》という問いかけに、一切眞王は応じなかった。最初の内は、それが村田にも覚えのある彼独特の傲慢さから来ているものと思いこんでいたのだが…次第にそうではないのではないかと不安になってきた。

 あまりにも村田の働きかけに反応しない眞王に、この会話が平行した時間軸の中で為されているものではなく、事前に用意された映像と声を一方的に見せられているのではないかという気がしてきたのだ。

 見終わった後、《なお、この夢は自動的に消滅する》とかいう台詞と共にベッドが爆発するんじゃないかと冷や冷やしたが、そんな派手なアクションはない代わり、目覚めた後に残されたのはざらりと後味の悪い感慨だった。

『眞王…お前は、もう自律的な意識を持たない生命体に成り果てているんじゃないのか?』

 自分がそうなることを見越した上で、時限装置を仕掛けて幾つかの現象が起こるようにしているのではないか。
 村田はその一つを目にしているのではないか…。
 そんな予感がした。

 しかし数日の後、村田は疑いを持ちつつも…結局は指定された公園へと出かけると、せめてもの情けで女子便所を綺麗に磨き上げて時間を待った。
 どれほど不本意であっても、双黒の大賢者として生きていた頃の記憶が無条件に眞王の意に従わせてしまったのだろう。

 指定された時刻ぴったりに、操られているとは思えないほど自然な恐喝をしてきた元同級生に絡まれていると、やはり指定通りに有利はやってきて村田を庇い、女子便所に顔を突っ込まれた。

 だが…有利は待てど暮らせど異世界に旅立つ気配など無かった。
 寧ろ、このままでは冥土に旅立ちかねない勢いであった(メイドさん達が溢れている夢の楽園ではない)。

 慌てて警官を呼んだ村田が駆けつけると、溺死寸前だった有利は何とか息を吹き返し、前科もあった高校生達はそのまましょっ引かれていった。
 とんでもない目に遭わせた上に、逃げ出した村田を有利は責めると思ったのだが、目を覚ますなり彼は、吃驚したようにこう言ったのだった。

『お前、助けを呼んでくれたの?』

 まるで村田の方が救いの主だと思ってるみたいな素朴な感謝に、平静を装いながら実のところ激しく動揺していた。
 抱きしめたい衝動を抑えるのに必死だったのだ。
 
 正確な事情は分からないが、おそらく…眞王の仕掛けた時限装置は正確に作動しなかったのだろう。
 そう判断した村田は今までの尻込みが嘘のような積極性を見せて、何かと理由をつけては共に野球やサッカー観戦に興じ、それぞれの家で一緒に勉強したり(主として村田が勉強を教えていたわけだが)、手作りカレーをご馳走したりと楽しい日々を過ごしていた。

 楽しかった。
 物凄く楽しかった。

 きっとあんなに楽しかったのは、生まれて初めてのことだったと思う。

 それが…7月第二週の月曜日、奪い取られることになった。

 村田はごく普通に学校へと向かっていたのだが、突然背筋がざわつくような感覚に見舞われた。それは…覚えのある感覚だったが、村田健個人が知っているものではなかった。

 遙か昔、彼が双黒の大賢者と呼ばれていた時代に感じたことのある、強い魔力の発動を疑わせるものだった。

『渋谷…っ!』

 咄嗟に思いついたのは彼のことで、案の定通学路を逸れて河川敷へと誘い込まれた有利は、眞王のものと思しき力で時空移動を果たすところであった。有利を飲み込もうとする地上には、記憶の中にある獅子の紋章…眞王の旗印が浮かんでいた。
 懐かしい筈の獅子王紋を、あんなにも憎いと思ったことはなかった。

 村田を使った時には有利をあんな悲惨な目に遭わせただけだったというのに、なぜ今になって、無断で有利を連れて行こうというのか。

 悔しさに地団駄踏んでも、有利を止めることは出来なかった。助けを呼びながら伸ばされた手を捕まえることは出来ず、目の前で奪い去られたのである。

 村田はすぐにボブと連絡を取ると、もう一つの事実を知った。
 有利が連れ去られたのとほぼ同時に、ボブが厳重に管理していた《鏡の水底》が忽然と消えたのだ。防犯カメラの映像でも、やはり有利と同じように周囲の岩盤が水様化し、沈み込むようにして消えているのが分かった。

 村田はボブや配下の組織と連携して、あちらの世界から有利を取り戻す方法を模索した。
 これにはボブがかねてから用意していた、魔力の強い魔族部隊が役に立ってくれた。

 《あちらの世界で渋谷の存在を探知してくれ》そう頼むと、時間は幾らか掛かったが探知に成功した。
 ただ…有利をこちらの世界に戻すには力が足りなかった。

 《向こうでも強い魔力の発動が見られれば、同調してこっちに引き込めるんですが…》そう零す彼らの生活を保障すると、24時間体勢で有利の存在を探知し続けた。村田も株取引やら何やらでちょっとした実業家クラスの資産を持っていたのだが、今回はボブの持つ施設と資産とを使わせてもらった。

 そして機会を伺うこと2週間の後、《地の果て》を封じようと強い魔力を発揮した有利と息を合わせることに成功したのである。



*  *  * 




「…それで?ユーリとの恋を成就させたいから…手放したくないって言うんですか?」
「その点は渋谷次第だからね。僕も無理強いは出来ないさ。何なら、僕以外の奴と結ばれるんだとしても…渋谷がここから望むのであれば邪魔をするつもりはない。だけど、あっちの世界にやるのだけは駄目だ。渋谷と同調した時に、眞王の意図に気づいた以上…ね」
「どういうことです?」

 すぅ…っと細められる蒼瞳は実に野性的で、油断していると喰われそうな迫力がある。それでいて纏う雰囲気は決して荒々しいものではなく、どこか肉食動物独特の優雅さを持ち合わせているようにさえ思えた。
 紅く染めていた髪はこの病院で落としたので、地色の鮮やかなオレンジが揺れて、ふさふさと鬣のように揺れる。そういうところもやはり獣めいて見えた。

「…眞王は、渋谷を最強の魔力を持つ《武器》として作り出したんだよ。渋谷の魂は、眞魔国で数千年を掛けて熟成を重ねたものだった…。それでいて眞王は魂の受け皿として、眞魔国にいる純血の魔力持ちを使うことは無かった。ここから推察される結論は、眞王が渋谷を《自分の器》として使おうとしたってことさ」
「器…ですって?」
「なるほど、だからこそ眞王が指定してきた条件は《平凡》であることだった訳か…。眞王の支配に抗するほどの自意識を持つことは、彼にとって邪魔でしかなかったのだ」

 深い溜息をついてからボブが唸る。地球の魔族も眞王を唯一無二の王として崇めているが、その意志を奪われて器に使おうとしたと言われては…いい気はしないのだろう。

「何故、そのように非人道的な技を使ってまで器が欲しかったのだろうか?」
「おそらく、眞王は《禁忌の箱》から溢れ出てくる創主の力を押さえきれなくなってきたんだよ。かつて自らの肉体を媒体として術を施しはしたが、当時も完璧な封印とは言い難かった。四千年も経てば更にガタが来たっておかしくはないさ。けれどそのまま消えてしまうわけにはいかなかった。昔から無駄に責任感に溢れた奴だったからね〜…」

 無駄に鮮明な記憶を持つだけに、嫌と言うほどその辺の機微が分かってしまう…。

「だから彼は強い魔力を発揮できる双黒の中に、熟成させた魂を封入させた…だが、おそらくはこれが余計なことだったんだろうね」
「緻密に計算した上での行為だったのだろうが…想定外の事態が起こったんだね?」

 ボブが重々しく言うと、村田も頷いた。ただ、やはりこれも推測に過ぎないらしく、少し語尾は曖昧になる。

「多分…ね。詳しくは渋谷の中にいる《彼》に聞かないと分からない」
「そいつは、ユーリの中にいる別人格の奴ですか?」

 ヨザックが問いかけてくるから、村田は《そう言えば…》と逆に質問してみた。

「ああ…君は《彼》の様子を近くで見ていたんだったね?どんな感じだった」
「ま、一言でいうと風変わりな奴でしたね。でも…何とも親しみを感じたのは確かです。口調なんかがとんでもなく偉そうなのに、律儀に人間やら捕虜やら小シマロンの兵を救ってましてね?大上段から説教をしたりするんですが…これがまた妙に説得力があるんです。それから、やっぱり驚いたのは奴が眞魔国語を話せたことですかね」
「やっぱりね。それは凄く強調された…渋谷そのものだ。《彼》は、熟成した魂が何らかのきっかけで渋谷の影響を受けたものだと思う。眞魔国語が話せるのは、魂の持つ記憶によるものだろう」
「ふへぇ…何とも不可思議なことですねぇ…」
「《彼》は渋谷の個性が抹消されて、眞王に取って代わられることを阻止したんだと思う。どれだけ感謝しても足りないよ…。何とか渋谷が元気な時に同調して、会話をしてみたいな」
「なるほどねぇ…って、そこまでの事情は分かりましたけど、俺が一番知りたいことはまだ教えて貰えてませんぜ?」

 危うくほんわかムードに飲み込まれ掛けていたヨザックが、慌てて厳しい表情を取り戻す。

「君って察しのいい男だと思ったけど、そうでもないのかな?」
「んまぁ…素敵な嫌みですこと」

 妙に堂に入った科(シナ)を作ると、ヨザックは婉然と微笑んでみせる。だが、目の奥にはちらりと怒りの色がちらついていた。

「俺たちの世界は…このまま放っておけば《禁忌の箱》から溢れ出してくる創主に滅ぼされる…ってことですかい?」
「ほら、分かってるじゃないか」
「それを止められるのは、ユーリだけなんですね?」
「正確には、渋谷と三人の鍵だよ。渋谷はこの世界に置かれていた《鏡の水底》の鍵だ。渋谷の魂の前の持ち主はどうやらウィンコット家の女性で、その人が鍵の継承者だったらしい」
「そいつは…マジですか?」

 ぎょっとしたようにヨザックの表情が変わる。何か心当たりがあるのだろうか?

「僕は魂の変遷を長年味わっている男だからね、渋谷と同調した時に感じたんだから間違いない。綺麗な女性だったよ…目は見えないみたいだったけど」
「そうですか、そりゃあ…ちっと重たい話だな。猊下、その事は…うちの隊長には内緒にしておいて貰えませんかね?」
「なんで?あ…もしかして知り合い?」
「ええ、おそらくその人はフォンウィンコット卿スザナ・ジュリア……あいつがこれまでの生涯で、最も信頼していた女性ですよ。それがユーリの魂の材料になってて、しかもその行程が眞王陛下の操作によるものだったんだとすりゃあ…こいつは気持ちのいい話じゃないでしょう」
「分かった」

 こくんと村田が頷くと、ヨザックは深く長い溜息をついた。
 
「やれやれ、参りましたねぇ…。色んな意味で、こいつは重たい話ですよ…。俺たちはよりにもよって、自分たちを救ってくれるかも知れないユーリを、国ぐるみで殺そうとしていたんですからね…」
「何だって…?」

 慄然とした村田とボブが腰を浮かし掛けるのを制して、ヨザックは手短に眞魔国や周辺諸国の状況、そして眞王廟とアルザス・フェスタリアの確執について説明したのだった。



*  *  *

 


 一通りの説明をした後、村田の示した反応はヨザックにとって少し意外なものだった。

「アルザス・フェスタリアか…その巫女の予見は、あながち間違ってはいないかも知れないね」
「どういうことです?」

 どうも質問ばかりしているような気がするが、大賢者などと言われる人物の発想に追いつくのはなかなかしんどいものなのだ。

「《禁忌の箱》を再び開くって事は、一か八かの賭なんだよ。四つの正しい鍵を使ったとしても、上手く制御してもう一度厳重に鍵を掛けられるかどうかは全く分からないんだ。完全な自由を取り戻した創主によって、迅速に世界が崩壊する危険性も十分にある。だからこそ僕は、渋谷をあちらの世界に送りたくないんだ」
「《あちらのことはあちらの連中で何とかしろ。僕は知らない》…そう言うことですか?」
「……悪いかい?」
「いいえ、尤もな考えだと思いますよ」
「え…?」

 それは随分と意外な返答であったらしい。
 虚を突かれたのか、村田はぱちくりと目を見開いてヨザックを見た。

「眞王陛下に操作されて誕生したからって、ユーリがそれに従って恐ろしい賭に自分を差し出さなきゃならないって法はありませんや。猊下がお嫌だって主張されるのも、大事な人をどうしても取られたくないって気持ちもよく分かります」
「そ…う、なの?」

 驚いた顔はとても可愛くて、不遜ながら頭を撫でてあげたくなってしまう。

「意外ですか?俺がこんな事を言うのは」
「だって君は、あっちの世界に大事な人たちが居るんだろう?」
「いますよ。だけどそれは俺の側の事情です。直接犠牲になんなきゃいけない側に、それを理由に押しつけることは出来ません。いや…まぁ、ユーリのことをちゃんと知らなかった頃なら押しつけたでしょうけどね。今となっちゃ…無理です」
「そう…」

 村田がほっと安堵した所に申し訳ないが、どうしても伝えなくてはならない要望もある。

「ですがね、俺にも言い分はありますよ。お願いです…ユーリにその賭が危険であることを伝えた上で、世界を救う可能性もまたあるんだって事を教えてやって欲しいんです」
「……っ!」

 村田の顔色が、さぁ…っと変わった。

 言葉の通じないヨザックにも薄々分かっていたことだが、ユーリはやはり一本気で正義感の強い少年なのだ。真実を知れば、怯えたとしても最後は勇気を振り絞って引き受けてくれるのではないかと思ったのだが…それはどうやら可能性の高い話のようだ。  

「どうです?猊下…」
「それは…」

 村田が言い倦(あぐ)ねている間に、病室の扉がトタタタタン…っと激しく叩かれた。
 返答を寄越す間もなく開かれた扉からは、ユーリによく似た面差しの女性と二人の男が飛び込んできた。

 

*  *  *

 


「ゆーちゃああぁあんっ!ぶ、無事かぁ…っ!?」
「ボブさん、うちの子は…ああっ!ゆーちゃんーっ!」
「ああ…美子さん、ちょっとボリューム下げて貰えますか?渋谷…いえ、有利君もかなり疲れていますから…」
「やーん健ちゃんご免なさいねぇ〜」

 ぜいぜいと息せき切らしてやってきたのは渋谷家の面々だ。
 彼らには悪いが…少し時間をおいてから知らせたのは正しかったように思う。

 実は魔力持ち通信部隊がいる本拠地は、ボブの会社があるスイスの大森林に置かれていたのである。祖先もまたこの大森林に育まれたという歴史のせいか、彼らはこの木陰の中で最も強い力を発揮することが出来た。

 この為、渋谷家ご一行様も職場や学校に長期休業届けを出してスイスに滞在していたのであるが…何しろエキサイティングなテンションで有利を愛しまくっている彼らのこと、通信部隊から《集中できないんで、隔離してください》という申し入れをされていたのである。

 結果的に、それは良い選択だったと思う。
 
 おそらく、彼らが全身を煤と泥で汚し、下腿を血まみれにしてぐったりとしている有利を目にした日には…凄まじい絶叫で大混乱を来したことだろう。

「有利君の病態は落ち着いてますよ。手術も上手くいきましたから、傷もあまり残らないと思います」
「ききき傷ぅ…っ!?ゆーちゃんの珠のお肌に傷ぅう…っ!?」

 その反応は、野球好きの男子高校生の弟に対して大学生の兄が発する発言としては問題がないだろうか?(ヘッドスライディングの度に、膝は相当擦り剥いているのだが…)思いはしたが、敢えて指摘はしなかった。考えてもみると、村田も結構同じ感想を抱いていると気づいたからだ。

「取りあえず落ち着いてください。特に有利君を護った騎士君は随分と重傷ですからね」
「あ…あらあら、この方が異世界の騎士様?ちょっとワイルド風味だけど、とっても素敵だわぁ〜」
「いえいえ、そいつは騎士の従者的なアレですよ。騎士君はそこに寝てる人です。ああ…起きちゃった」

 あの大騒ぎの中で眠っていられる有利の方がどうかと思う。気配に敏感なコンラートは扉が叩かれた段階で目を覚まして、いつでも対応できるようにしていたようだ。
 
 渋谷美子の姿を目にすると、病床から降りて恭しく一礼する。
 流石《卿》を冠する男、やることに一々そつがない。

「んまぁああ…っ!す、素敵な方ねえ…っ!あ…あらあら、でも本当に酷い怪我をしているのね?左腕…どうしちゃったの?きゃぉおっ!あなたお辞儀とかしてる場合じゃないでしょっ!ねねねね寝てなきゃっ!」

 美子は小柄な身体から発揮されるとは思えないような膂力をみせてコンラートを抱えると、ずぼんとベッドに押し込んでぽんぽこりんと布団を叩いてやった。

「しっかり休んでくださいね?なんたってゆーちゃんの命の恩人なんですもんね〜。たぁ〜っぷりお礼させて頂きますからね?」

 にこにこと朗らかな笑顔を振りまく美子に、コンラートはぱちくりと目を見開き、何事か村田に呟いた。
 美子には意味は汲み取れなかったが…まあ、大体こんな事を言っていたのだ。

『この方は、ユーリの親族以外の何者でもないですね…』

 濃い血の繋がりは、顔立ちと行動にきっちり出ているようだった。 






→次へ