第19話





 身じろぐと、頭の奥に重怠い痛みが響いた。
 《何も見えない》…少し焦って目に意識をやると、単に瞼が開いていないだけだと知れる。

 ゆっくりと瞼を開いていけば…柔らかい卵色の照明に照らされたオフホワイトの天井や薄緑色のカーテンが目に入り、清潔だが生活感のない大気の中に消毒剤のような香りが漂っていた。

「ここ…は……?」
「病院だよ。ナイスバディのブロンド看護婦さんが多いから、後で検温して貰いな」

 懐かしい日本語だ。
 しかも、その声の主は…。

「…村田!」

 起きあがろうとするが、全身に激しい筋肉痛のようなものを感じて《くきゅう〜…》とベッドに逆戻りしてしまう。
 その動きに驚いたのか、枕元で丸くなって眠っていたチィが目を覚まして《チっ!?》と鳴いたが、有利が起き出したのに気づくとぺろりと頬を舐めた。

「キトラか…。可愛いよね」
「こいつはチィだよ?」
「キトラってのは種族名だよ。自然の要素が強い場所にしか住まないし、普通は人に懐かないんだけどね…。君には随分とご執心のようだ」

 ぺろぺろと頬を舐めるチィの鼻面を撫でてやると、満足そうに《チィ…》と鳴く。

「うん、こいつ初めて会った時から凄く懐いてくれてたんだよ」
「やっぱりこういう生物には分かるのかな。君が、自然の要素にとって大事な存在なんだってね」
「どゆこと?」
「ま…後でおいおい話すよ」

 有利がまた疲れたように瞼を擦ると、村田は力を抜いて横たわるようにやさしく促した。

「そんなことより…無理をするもんじゃないよ?全く、君ってば無茶な奴だよね…。人間の地であれだけの魔力を使うなんて、自殺行為だよ」
「ええと…村田、お前…めちゃめちゃ事情通っぽい言い回ししてない?」
「ああ、多分…僕はこの地球上で最も君の置かれた状況に詳しい男だよ。頼りにして欲しいもんだね」

 中指で眼鏡の蔓を引き上げてキラリと硝子を光らせていると、シャ…っと音を立てて村田がカーテンを引いてくれる。横のベッドには…コンラッドが眠っていた。

「コンラッド…っ!?」
「君が我が儘を通して連れてきた男だ。ついでに、そこまで愛着のない男もついて来ちゃったみたいだけどね」

 なるほどコンラッドのベッドの脇には、淡い水色の患者服を身につけたヨザックが椅子に腰掛けていた。彼は殆ど負傷していなかったから、意識が戻るのも早かったのだろう。有利に気づくと薄く笑みを浮かべて手を振ってくれる。

 すっかり視界に入っていなかったことに、詫びるような心情が浮かんできた。

「いやいや…愛着がないわけでは…」
「でも《大好き》って絶叫できる相手は、寝てるその男だけなんだろ?」
「う……っ!」

 かぁあああ…っと顔中の血管が広がって、耳や首筋までが真っ赤に染まっていることが自覚できた。
 そうだ、有利は…コンラッドを愛していることに土壇場で気付いて、彼らを地球に引きずり込んでしまったのだ。

「そういえば、コンラッドの腕…どうなった!?」

 有利は頭痛をもろともせずにベッドから降りると、布団を捲ってコンラッドの左腕を確認し…そこに、包帯を巻かれた上腕の半ばを見つけて、ぺたりとへたりこんだ。
 ざ…っと血の気が引いた途端に、下肢の傷みを思い出したというのもある。

「ゴメンね、腕は…駄目だったよ。そもそも、切れた腕をあっちの世界に置いてきているしね。もし持ってきていたとしても、見た感じあそこまで炭化してしまっているものは組織の再生が難しい」
「そ…んな……」

 そっと包帯越しに腕に触れれば、コンラッドの体温が伝わってくる。
 《生きている》…少なくともそれだけは確かだから、巻き込んでしまった申し訳なさを感じつつも、嬉しくて涙がこぼれる。

「コンラッド…」
「ユー…リ……?」

 呼びかけに応えるように、コンラッドの瞼が開いて…懐かしいとさえ感じる琥珀色の瞳が覗く。
 こんな大怪我をしているというのに、あちらの世界にいる時よりもリラックスして見えるのは気のせいだろうか?
 有利を確認すると、ほ…っと安堵したように吐息が漏れて、やわらかく微笑むと瞳に銀色の光彩が跳ねる。

 そんな彼に向かって村田が話しかけたのだが、その言葉が有利には理解不能な…だが、聞き覚えのある発音であることにぎょっとする。

 それは…あちらの世界の言葉のようだった。



*  *  * 




「お目覚めかい、騎士殿…」
「君は…?」

 眼鏡を掛けた少年はあどけない顔立ちをしているが、そのわりに瞳の中には老成した色がある。そして何より、ユーリと同じ双黒であることにコンラートは衝撃を受けた。
 希有な存在であるはずの双黒が二人…それに、見回してみるとコンラートの世界ではあり得ないような室内環境が広がっている。

 医療機関の一部であることは確かだが、見慣れない機器やベッド、窓枠の精緻で機械的な設計は、心地よく安定した室温のわりに眞魔国のそれよりも幾分冷たく感じられる。

「僕かい?…僕は、君たちが《双黒の大賢者》と呼ぶ男の魂を、強制的に受け継がされている者さ。今は、村田健という名の一般人として生活しているけどね」
「……っ!」

 その言葉を聞いた途端、コンラートは居住まいを正した。
 何故か、即座にそれが《事実なのだ》と直感した。もしかすると眞魔国人の魂に直接刻まれている情報なのかも知れない。

「失礼しました、猊下。知らぬ事とはいえ無礼な物言いをしましたこと、お許しください。俺の名はウェラー卿コンラートと申します」
「いいさ、僕自身が君たち魔族に何かしてあげたって訳でもないからね。それに、ウェラー卿…君は渋谷を救ってくれたんだろう?だったら僕は、君に礼を言う立場だよ」

 淡々と話していた村田の表情が、一瞬…見てくれ通りの少年の貌を見せてやわらかく綻んだ。

「ありがとう…渋谷に何かあったら、僕は…生きていけなかった」
「身に余るお言葉です」

 丁寧な言葉でやり取りをしながらも、コンラートにとっては一つ一つが衝撃的な内容ばかりだ。
 もしかしたらユーリは滅びをもたらす存在ではないのではないかとは思い始めていたものの、まさか大賢者と呼ばれる者に庇護される存在だとは思いも寄らなかった。

 一見ユーリと同じ年頃に見えるが、少なくとも内に大賢者の記憶を持ち続けていることは確かだった。何十年や何百年で、このように熟成された気配を醸し出せるとは思えない。

「ここは、異世界なのですか?」
「ああ、君たちにとってはまさにそうだね。だが、渋谷や僕にとっては生まれ育った星…ふるさとである地球だよ。かつて大賢者とその部下達が移り住んだ星だ」

 それが何故なのかは村田は語らなかったが、古い伝承によれば、大賢者は《禁忌の箱》のひとつ《水底の鏡》を異世界に運んだとされる。

「では…この世界にも魔族はいるのですか?」
「ああ、そうだよ…異世界の客人」 
 
 扉が開かれると、濃紺のかっちりとした服を身につけ、色硝子眼鏡を掛けた壮年の男性が入室してきた。親しみやすく柔らかな表情を浮かべてはいるが、村田同様一般人とはとても思えないオーラを放っている。

「失礼するよ、お客人。私のことはフレンドリーにボブと呼んでくれたまえ」
「は…。ボブ…でよろしいですか?」

 妙に身振り手振りが大きいのもかなり一般人離れしていた。
 大きく両手を広げて胸襟を開き、名を呼ぶと嬉しそうに破顔する。

「おお…そうだよ、お客人。君のことはなんと呼んだらいいかな?」
「俺の名はウェラー卿コンラートと申します。よろしければ、コンラートとお呼びください」
「そうか…!ウェラー家の末裔なのだね?」

 色眼鏡の奥で、きらりとボブの瞳が光ったような気がした。

「しかし、目覚めてすぐにそう難しい話ばかり耳にしていたのでは心にも身体にも良くないのではないかな?ユーリ君も目覚めたばかりだろう?言葉も分からないから随分と戸惑っているようだ」
「あなたは随分と俺の世界の言葉にも通じておられるようですが、それは何故ですか?こちらの魔族は全て、眞魔国語を話すことが出来るのですか?」

 ボブはやはり大仰な動きで胸の上に掌を置くと、もう一方の腕をゆっくりと開いて思い入れたっぷりに瞼を閉じる。

「いいや、殆どの魔族は自分たちが魔族なのだと知っていればまだ良い方で、全くそうなのだと言うことを知らずに人間世界に溶け込んでいる者も多い。知っているとしても、眞魔国語を伝承している者はほんの僅かだろうね。私は魔族の長…言ってみればこの世界に於ける魔王だから、古(いにしえ)の伝承に従っていつ眞魔国からの客人が訪れても良いように、この座についたその日から営々と学んできただけだよ。殆ど話す相手もない言語だからね…正直、今とても新鮮な心地なのだよ」

 その言葉は真実のようだ。うきうきと弾むような口調にはどこか癖があり、意味は通じるが時々よく分からない言葉も混じる。数千年の時を経て意味が通じる言語として伝わっているだけでも大したものだろうが…。

「数千年に渡って…魔王のみに眞魔国語は伝えられてきたのですか?」
「魔族としての記録を残す書記官と、後数名はいるよ。それに、私は歴代の魔王の中では幸運な方だったのだろうな。眞王陛下ご自身とも言葉を交わす機会を得ていたからね」
「眞王陛下と…ですか!?」

 それは《伝説の人物と口をきいた》という事への驚きだけではなかった。眞王陛下…彼の意図が眞王廟から発信されなくなったからこそ、現在の眞魔国は大きな混乱に見舞われていると言っていいのだ。

「眞王陛下とお言葉を交わせるのでしたら、どうか教えて頂きたい…!何故、眞魔国の内政が乱れるなか、この状況を放置しておられるのかを…っ!」
「申し訳ないが…今は無理だね」
「何故です!?」
「おそらく、彼はその精神の殆どを…創主に喰われて発狂しかけているからだよ」
「……っ!」
「おそらく、長い話になる。それに、私の方も君から聞きたいことが多くある。今はここまでとしないかね?ユーリ君も、君と話したくてうずうずしているようだしね…」

 聞きたいことは山のようにあるが、確かに身体の調子がいつものようでないせいか、頭の奥にどんよりとした疲労感がまだ凝っている。それにも増して…じぃ…っとつぶらな瞳でこちらを見つめているユーリと会話を交わしたいのは確かだった。

「分かりました。少し…回復するまで待ちましょう」

 不承不承という感じで頷いたものの、ベッド脇にしゃがみ込んだユーリに向き直ると…自然と口角に笑みが浮かびそうになるコンラートであった。

 

*  *  *

  
 

「コンラッド…腕、痛くない?」
「だいじょーぶ」

 有利がコンラッドに話しかけると、彼は包帯の上から腕を撫でながら日本語で返してくれた。

 でも、それ以上の突っ込んだ会話は出来ないから、もどかしくて堪らない。

『いやいや…言葉、下手に分かってたら大変だったしっ!』

 急に地球へと引き戻された時のことを思い出して頬が染まった。
 《俺…この人が大好きなんだ…っ!》…そう叫んだ言葉の意味は、コンラッドには通じていない…筈なのだが、目が合うと何だかどうしようもなく照れてしまう。

『うわぁ…俺、ホモになっちゃったんだ…』

 そういう世界があるとは知っていたが、何となく白いレースのブラウスとか赤い薔薇とかが似合う耽美な人物、あるいは、雄々しく赤褌一丁の漢(をとこ)達ががぶり四つに組んでやるものだと思っていたので、まさか平凡きわまりない有利が脚を突っ込むことになろうとは思わなかった。

『コンラッドは…迷惑かな?』

 ちろ…っと上目遣いに様子を伺うと、無事な方の右手が伸びてやさしく頬を撫でてくれた。

「ユーリ…」

 名前を呼んで、いたわるような口調で囁きかけてくる声の響きに、やっぱり胸がざわめくような切なさを感じてしまう。

『ああ…好きだ。やっぱり好きだよ…っ!』

 迷惑でも何でも、この気持ちだけはどうにもならないようだ。

「村田…あのさ、お前ってあっちの国の言葉も何でか知ってるんだよな?」
「うん、そうだよ。だけど、詳しい話は後でしよう。…渋谷、君は君自身が思っているよりも遙かに危ないところだったんだよ?人間の地であんなに沢山の魔力を使ってしまったんだもの。言っとくけど、魔族って魔力の使いすぎでも死んじゃうんだからね?」
「いやいや、村田。俺はマゾの一族になった覚えはないよ?」
「そう?結構素養はあるような気がするけど…」

 何げに失礼な男だ。

「でも、いま僕が言ってるのは残念ながらマゾヒズムの話じゃあない。魔族のマは魔性のマ、君は人間と似て非なる、魔族という種族なんだよ」
「お…俺、魔性の男なのっ!?いつか薔薇を銜えてフラメンコを踊っちゃうの!?」
「だから…どういうイメージなんだい君…」

 村田は軽く頭を抱えたが、友人の混乱ぶりが不完全な体調によるものだと思ったのか、床にしゃがみ込んでいた身体をなかば無理矢理起こすと、強制的にベッドへと横たえた。

「良い子だから、もう少し眠るんだ」
「えぇ〜?やだよ…俺、色々とお前に聞きたいことがあるんだぜ?」
「後でゆっくり話は出来るよ」

 駄々っ子だけど可愛くて堪らない子どもをあやすように、村田は優しく髪を撫でつけて眠りに誘う。

「僕だって…ずっと君に会いたかったんだ。君を取り戻すために結構頑張ったんだからね?元気になったら君と…たくさん話がしたいよ」
「うん…」

 こく…っと頷くと、随分長い間眠っていた気がするのに、またとろとろと睡魔の波が押し寄せてくる。撫で撫でと繊細な骨組みの掌が髪を撫でていくのを感じながら…ゆっくりと有利は眠りについた。



*  *  * 


 

 コンラートも半ば無理矢理横にさせると暫く《眠れない》と主張していたが、こちらもやはり疲れがたまっていたのか、すふすふとちいさな寝息を立てて眠りについた。

「猊下、随分とユーリにご執心な様子ですね」

 コンラートの寝息を確認すると、これまで沈黙していたヨザックが笑みを含んだ口調で語りかけてくる。
 何となく、癖のある男だという予感があった。

「そうさ、大事な人だからね」
「そこをちょいと教えて頂けませんかね。ユーリは…一体全体どういう存在なんですかい?」
「少し長くなるけど、良い?君、体力は…」

 問いかけて、村田は肩を竦めた。

 軽傷だったヨザックは随分前から目を覚ましており、椅子に腰掛けていてもエネルギーが余って見えるほどに充実しているようだった。
 精神的な幅もありそうだし、ちょっとやそっとの精神的衝撃に参るとは思われない。

「…たっぷりありそうだね、体力も精神力も…」
「ええ、大抵の話には対応できると思いますよ?ちょこっと前にこの世の地獄みてぇな心境にして貰いましたから、あれより酷いって事はまずないでしょうよ」
「そうかい」

 その地獄について聞いてみたい気はしたが、それはまた後でも良いだろう。

「では、三者会談といこうか?私たちの知らないことを、君は多く知っているようだしね」

 ボブも交えて、異文化ならぬ異世界交流が始まった。



*  *  *

 


 まず、ボブが語ったのは地球に於ける魔族の歴史であった。
 
 数千年は昔のことだから、紀元前…古代文明の時代である。現在の東欧に当たる巨大な森林地帯に、大賢者を初めとする魔族の一団が降り立った。
 
 当時既に高い知識と技術力を持ち、更には原始の森の中では幾らかの魔力を駆使できた魔族達が人間達を従えて、巨大な国家を作ることは容易であった筈だった。
 けれど、大賢者が指示したのは人間世界の中でひっそりと生きること…違和感なく溶け込み、決して眞魔国の文化を流入させないことであった。

 彼はこの原始的な世界の中に一部、奇形的に発達した文明が入り込むことで、どんな異常が起こるかを懸念していたらしい。この考えは眞王も共有していたようで、大賢者と思念で連絡を取り合っていた彼もまた、いつしか人間世界が飛躍的な発展を遂げて、機械文明においては寧ろ眞魔国を越えた時期になっても、その文明を眞魔国に流入させようとはしなかった。

 ただし、大賢者は魔族達はどれほど人間との混血が進もうとも、自分たちの伝承と《役割》を伝えることだけは止めてはならぬと厳命した。彼らが人間世界に溶け込みすぎて全てを忘れてしまった時、《禁忌の箱》が人間の手で開かれることを恐れていたからだ。
 鍵が無ければ箱は開かないはずだが…未来の全てを見越せるわけではない以上、警戒しておくに越したことはないと考えたのである。

 そして時は流れ…突如として眞王からの指令が地球の魔王であるボブに届いた。

『双黒の魔族の子を、眞魔国に迎える』

 《何のために必要としているのか》…といった説明は全くなかった。眞王は一方的に子どもの条件を告げると、《適切な子どもが生まれるように手はずを整えよ》と指示してきたのだった。その条件にもボブは首を傾げたが、その疑問点への返答はなかった。

 ボブは魔族東洋支部重鎮である渋谷勝信…有利の祖父に連絡を取った。ただ、その際に勝信とボブの間でも疑問点が多く上げられた。

 伝承では、眞魔国に於ける双黒とは極めて希少なものであり、赴けば極めて高い扱いを受けることは分かっている。だが、双黒というだけなら東洋系の魔族であれば誰でも良いはずなのである。どうせなら優れた資質を持つ事が分かっている人材を要求してくるのが普通だろう。それなのに、よりにもよって眞王の提示した条件はあらゆる意味で《平凡》であることだったのである。

 勝信は自分の孫を送ると約束はしたが、《いったい何のためにこの子は眞魔国に向かうのか》という点を問い合わせるよう強く要請した。

 ボブは血が薄まったことで魔力が失われてきた魔族の中から、何とか残存する魔力の強い者を集めると訓練を積ませ、やっと眞王に向けて質問を送れるようにはなかったが、それでもなお彼の意図は明確にならなかった。

 眞王と思しき存在に発信しているにもかかわらず、全く返答がない上に…近年、その存在感自体が怪しくぼやけてきたのだ。



*  *  * 




「ふ〜む…。こっちでもそうなんですか…。そういえば…猊下、さっき物騒な話をしておられましたね。眞王陛下はもはや、創主に精神を喰われているとか何とか…」
「推察に過ぎないけどね。可能性は高いと思う」
「う〜…。双黒の大賢者と呼ばれる方の弁ですからね、推察とはいえ…確率は高いと見た。じゃあ、一つ伺いますが…俺たちの暮らしていた世界が生き残るすべはあるんですか?」
「ある。だけど、僕は嫌だ」
「はぁ…?」

 可能性があると断言していながら、何故感情によって拒絶されるのだろう?人形のように整った顔が淡々と自分たちの世界に死の宣告をするのを、ヨザックは眉間に皺を寄せて聞いていた。

 どうしても恐れ入って平伏する気にはなれない。

「待ってくださいよ猊下、なんだって希望があるのに嫌だなんて仰るんですか?」

 言いながら、ヨザックにはなんとなく見当がつき始めていた。
 この少年が執着を示す存在…ユーリに関わりがあることなのだろう。

「ユーリにとって、危険を伴うことだからですか」
「……そうだ。だから…嫌だ」
「嫌だ嫌だじゃ話になりませんよ。せめて、納得行くように話してください。それで死ぬのは俺たちの仲間なんです。そのくらいの権利はあるでしょう?」
「……」

 混血の一兵士にとっては双黒の大賢者など遙か高見にある存在であり、これほど無遠慮な口の利き方をして唯で済むはずはないと思っていたのだが、意外と彼はずけずけとした物言いを嫌う性質ではないようだった。
 陰に籠もって画策したりすれば痛烈に痛めつけられそうだが、真正面からの糾弾には思いのほか素直に応じるらしい。

「では、僕の方の事情も語らせて貰おうか…。多分、君が聞けば怒るだけだろうと思うけどね」

 ちいさく溜息をついて話し始めた村田は、どこか拗ねた子どものように斜に構えた口調だった。

『何だか…可愛いお方だな』

 普段は高飛車で傲慢なのに、時々えらく素直になる奴というのはヨザックの好みに合致しているものだから、ついつい口角が上がり掛けるのをそっと掌で覆って誤魔化した。





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