第10話 意識を取り戻した時、有利の視界には信じがたい光景が飛び込んできた。 火に包まれた村が一体何処に行ったとか、そんなことを考える余裕もなかった。 何しろ、コンラッドが親しい友人であるはずのヨザックに剣を突きつけていたのだから。 『な…なんで!?』 幾ら考えても理由など分かろう筈もない。 分からないのなら、これはもう止めるしかなかった。 ただ、状況も掴めていないのに大急ぎで動いて上手く行くことは滅多にない。 この時もコンラッドは剣を引いてくれたものの、苦しげに叫ぶ彼が剣を引いた途端、今度はヨザックの短刀が有利めがけて振り下ろされた。 訳が分からなかった。 どうしてこんな事が起こるのか分からなくて、それでもヨザックを瞬間的に憎むなんて芸当は出来なくて…有利はただ、子どもみたいにきょとんとした顔をしてヨザックを見上げていた。 すると、ヨザックの短刀が有利の側頭部を掠めて、地面に深々と突き刺さったのが横目に確認できた。 多分…そのまま有利の顔に突き立てられたら、頭蓋骨を砕いて一気に脳を破壊していたのだと思う。 先程コンラッドがヨザックに剣を突きつけていたのは、ヨザックが有利を殺そうとしているのを止めるためだったのだと…その時やっと悟った。 それでもやっぱり自分が殺されかけたのだと思うには、あまりにも現実味がなかった。 だってヨザックの目には一片の憎しみもなくて、有利を殺したいなんて毛筋ほども思っていないようなのだ。 何かに酷く憤って叫ぶヨザックが、眇めた瞳に涙を湛えていたから、とにかく泣きやんで欲しくて頭を撫でつけた。最初は弾かれた手も、もう一度伸ばした時には抵抗を受けはしなかった。 撫でつければ、降りかかった煤が乱闘による汗や夜露と一体化して、普段は丁寧に梳られている髪が随分とごわついているのが気の毒だった。 『グリ江ちゃんは、どうして俺を殺したいんだろう?』 考えてもやっぱり分からない。 ただ…ふと頭を振った瞬間に、感じが違うことに気付いた。 『あれ…カツラは?』 顔を伏せてみると、少し伸びてきた黒髪の毛先が見えた。今、有利の頭髪は剥き出し状態なのだ。 ひょっとすると、例の火事騒ぎの時に脱げてしまったのかも知れない。 『もしかして…このせい?』 自分の髪を触ってコンラッドに指し示せば、何を言われているのかは分からないが、この状況に髪が関わっているのは分かる。だとすれば…他の誰でもない、有利がこの状況を生み出しているのだ。 『ぅわ……っ』 きっと、黒髪はこの世界(どの世界だかその世界だかサッパリ分からないが、少なくとも有利が暮らしていたのとは違うはずの世)ではあってはならない存在なのだ。それこそ、黒髪なのだと知られたらすぐに殺されてしまうほどに。 『俺のせいでこんなことになってんだ…』 気付いたらもう止められなくて、今度は有利の瞳から涙がぼろぼろと溢れ出した。両手で顔を覆い、許して貰えるはずもないのに自分の知る限りの言葉で謝罪を繰り返すことしかできなかった。 「ごめんなさい…コンラッド、グリ江ちゃん…お…俺のせいだったんだね?俺…が……黒い髪なんかしてるから…友達なのに、あ…あんた達が殺し合いしそうになったんだね?」 《ごめんなさい…ごめんなさい……》何度も繰り返して泣きじゃくっていたら、コンラッドの腕が伸びて胸元に引き寄せられる。コンラッドの表情もまた死んでしまいそうに陰鬱なものだったけど、他の二人と違ってその瞳に涙はなかった。 誰よりも泣きたいと思っているのに、他の何かのせいには出来なくて泣けない…そんな感じだった。 「コンラッド…ゴメンね…ゴメンねぇ……っ…」 嗚咽を零しながら胸元に擦り寄れば、懐に隠していたチィも這い出てきてぺろぺろと頬を舐める。主の苦痛が分かっているかのように、その仕草はやさしかった。 コンラッドも自分は泣けないくせに、有利には好きなだけ泣かせてくれようと言うのか、お尻もぐいっと持ち上げてあぐらを掻いた自分の足元に引き寄せると、黙って髪を撫でたり…なんと、チィに倣うかのように舌で有利の頬を舐め上げた。 「わひゃ…っ…」 ぺろぺろと左右両方から舐められるのは妙にくすぐったいし、チィのと違ってコンラッドのは恥ずかしかった。 こんな風に感じている場合ではないだろうに、なにやら胸の中がふくふくとしてしまうのだ。 「くすぐったい…」 つい笑い声混じりになってしまう声に、苦笑ではあったがコンラッドが笑ってくれたのが嬉しかった。 『ああ…この人に、どうやってお礼をしたら良いんだろう?』 化け物に生きたまま喰われるという危機から救い出し、行く当てのない有利を連れて不自由な旅を強いられ、人々から忌避される黒髪の有利を匿ってくれるコンラッド…! どうしてこんなにやさしい人がいるのだろう? どうやったら、この恩を返すことが出来るのだろう? 『コンラッドが、いつも笑顔でいられるようにしたいなぁ…』 今の有利には、それはとんでもなくハードルの高い望みに思われた。 * * * ドットト ドットト… ドットト…… 近くなってくる蹄の音に、ぴくりとコンラートとヨザックの肩が震える。 あのやりとりから十数分の間は緊張の糸が切れたようにへたり込んでいたのだが、単騎とはいえ馬と人の気配を感じると、二人は剣を握り直して立ち上がった。 「…一時休戦だ」 「しょうがねぇな」 不承不承という声ではあったが、多分…もう、ヨザックにユーリは殺せない。 コンラートは素早く茂みの中に有利を隠れさせると、自分達も少し離れた樹木の上に這い上がって様子を伺った。ぴたりと呼吸音さえ鎮めてしまうと、二人の気配は殆ど皆無に近くなるが、蹄の音は正確にこちらへと近寄っている。 おそらく、山道に慣れた人物なのだろう。地上に残った痕跡を、正確に追尾していると思われる。 ガサ… 茂みをかき分けて現れたのは、カルナスの村長…ドント爺さんであった。 「レオンハルト…グリエ…!この辺に隠れているのは分かってる。ああ…姿を見せる必要はない。ただ…聞いてくれ。レオンハルト…あんたが、儂の見立て通りウェラー王家の血筋を継ぐ者であるのなら、この土地から南西に進んだ要塞都市アリスティア公国と連絡を取ってみろ。あの土地にはまだ魔族との縁が、密やかにではあるが続いておる。魔族の…それも、ウェラー王家の血筋を受け継ぐ者が懇願すれば、無碍にはせぬはずだ。勿論…他国や教会には決して知られぬようにすべきだが」 ドント爺さんの言葉にコンラートは瞳を開大させた。 ウェラー家の血筋であることを察したことだけであれば、コンラートの瞳に散る銀の光彩であたりをつけたとも考えられる。 だが、何故一介の辺境村の老人がこのような勧めを行うのだろう? コンラートは感覚を研ぎ澄ませて気配を探るが、やはり老人以外の存在は感じられない。彼はどういう心情に基づくものなのか分からないが、ともかくも信じがたいほどの侠気を見せて、コンラート達のために助力しようとしているのは確かだ。 「そして…頼む。例え呪われた双黒なのだとしても、早まってユーリを殺すことはしてくれるな…」 切々と訴えかけるその声に、コンラートは観念した。 ここまでの誠意を見せられて身を隠し続けられるほど、コンラートという男は不義理には出来ていない。 ふわりと梢の間から舞い降りると、ドント爺さんは安堵したように頷いた。 ヨザックは姿を現さないが、これは万が一を考えて警戒しているのだろう。 「お前さん、やはりウェラー王家と…そして、魔王の血筋をも継ぐ王子だったんだな?」 「…不本意ながら」 「まあ、そんな風に言うものじゃない。生まれは選べんが、その中でどう生きるかは結構自由に決められるものだ」 「あなたのような境涯に、早く達したいものだ…」 「不思議なものだな…お前さんがあのウェラー卿コンラートだとすれば、もう儂よりも長い月日を生きとるのだろう?」 「どうやら、俺は無駄に長生きをしてきたらしい」 憮然とコンラートが応えると、ドント爺さんは好々爺然とした表情で笑って見せた。 「生きとる年数に関わりなく、青年というのは悩み多きものらしいな。おう…ユーリ!」 コンラートが姿を現したことで安心したらしいユーリが、仔うさぎのようにぴょこんと茂みから飛び出してきて、ドント爺さんの前に姿を現した。老人が身体に残る火傷痕を治療もせずにいるのが気になるのか、心配そうに傷を伺っていた。 「良かった…お前さんが殺されたりせんようにと思ってな、大急ぎで馬を飛ばしてきたんだ」 「何故そんなにユーリに気を掛けるんだ?」 「お前さんだってそうだろう?父親違いの兄との話は、大陸にも漏れ伝わっておるよ」 確かに、世界で最も《ユーリを殺すべき立場》にあるコンラートが言うことではない。 仏頂面になってしまったコンラートに苦笑すると、ドント爺さんは少し遠い目をしてゆっくりと語り始めた。それは自分自身の思いを再確認する作業のようでもあった。 「昔な…儂には一人娘がおったのよ。マーリンというてな…年を取ってから出来たせいもあって、そりゃあ可愛がった」 過去形で語り始める老人に、コンラートは声を挟むことが出来なかった。 掌中の珠のように育てた娘が、おそらく今では失われた存在になっているのだと気付いたからだ。 「だから、マーリンが突然連れてきた男が魔族だと分かった時、火のように怒って二人を別れさせた。そいつは感じのいい男だったが…近隣の連中から後ろ指差されるようなことは、親として認めるわけにはいかなかったのさ。剣を抜いて追いかけ回してな…魔族の男には逃げられたが、マーリンには《儂が八つ裂きにして殺した》と伝えた。そしたら…なぁ……」 老人の声が悲痛に掠れる。 その先は、聞かずとも分かる気がした。 若い娘が燃えるような恋をして、その相手を父親の手によって殺められた時…選ぶ方法は限られている。 「マーリンは…断崖絶壁から身を投げたよ。そりゃあ…惨い死に様だった。しかも、その死体を見たせいなんじゃろう…魔族の男が、すぐ横で首を裂いて死んでおったよ…。逃げたように見えたのは、マーリンの暮らしを壊さぬ為だったんじゃあないかと…そっと、幸せに暮らしているのを見守れればそれで良かったんじゃないかと…あまりにも遅くになって、儂は気付いたのさ……」 ユーリの頬を皺くれた掌で包み込みながら、ドント爺さんは乾いた笑みを浮かべた。 きっと、涙など枯れ果てるほどに零し続けていたに違いない。 「あの時から、儂は分からなくなった。《魔族とは呪うべきもの》とする教会の教えは生まれた時から染みついておったが、それが何故なのかということについて、儂は一度でも理由を追及したことがあったろうかと…急に不安に駆られたのさ」 教会とは大陸諸国に古くから伝わる宗教的団体の総称であり、その本尊の形や教義は地方によって異なっている。だが、共通して言えることは社会倫理的な一般常識の他に、《魔族は呪われた存在である》とする教義を頑なに伝えていることである。 ウェラー王家が健在な間はちいさな組織が小国ごとに点在しているような状態だったが、シマロンの教会勢力がベラール家の台頭に力を貸したという噂もあり、王権簒奪が行われてからはシマロン正教会と呼ばれる一大勢力を築き上げている。 他国がシマロンの属国になると、その領土内の教会もシマロン正教会に吸収されるから、近年はますます強い威勢を誇っているはずだ。 その状況が百年以上に渡って続いているのだから、ドント爺さんはごく自然な道理として教会の教えを遵守していたのだ。 衝撃的な事件によって、塞がれていた瞳をこじ開けられるまで…。 「…結論は出たのか?」 「出たかどうかは分からん。ただ…魔族も人間も同じなんじゃなかろうかとは思うようになった。合う奴もおれば合わない奴もおる。良い奴もおれば悪党もおる…。だが、少なくともユーリが悪党の筈がない。それだけは、幾ら老いさらばえた儂の目でも分かる」 そう言うと、ドント爺さんは愛おしげにユーリの頬を撫でつけ、涙に濡れた目元を少々薄汚れたハンカチで拭ってやった。余計に汚れてしまっている気もするが、こういう時は気持ちこそが大切なものだ。 「ああ…そうとも。あれほどの力があるのなら、自分だけ逃げ出すことなど容易だったはずだ。だが…ユーリは救ってくれた。儂の大切な連れ合いと、村の連中をな。そんな子を、どうして石持て追うことなどできようか」 「それは村の連中の総意か?」 「儂と同じ考えの者は多くいるだろう。だが…行動にまで移せる者はごく僅かだ。生来染みついた道理というものは、良い悪いの範疇を越えて行動を制約するものさ。だから、儂はお前さん達に村に戻れとは言わないし、もうユーリを養女にしようなどとは言わんよ。必ず密告者は出る…。寂しくとも、大勢おれば色んな考えの奴がおってもしょうがない」 長く生きてきた老人の目には、やはり多くの者が見えているのだろう。密告するであろう村人の姿が瞼に浮かんでも、それを恨む気にはなれないらしい。 「だが、きっと大勢の連中があんた達に感謝をしておるよ。それだけは信じて欲しい」 「ああ…お気持ちは、受け取ろう」 それだけで十分だ。 雑言悪句して、村を救おうとした全ての行動を曲解されると覚悟していたのだから。 「ところで、ドント爺さん…あんたはアリスティア公国について詳しく知っているのか?」 「や…実は大して知っているとは言えんのさ。ただ、儂の娘を愛した魔族が人間に追われておった時、あの要塞都市に匿まわれたことがあると聞いたものでな。ひょっとして…と思ったのさ。何せ数十年も昔のことだから、保証は出来ん。それでもカルナスに双黒が現れたことは村人や盗賊達の口からどうしたって近隣に伝わってしまう。孤立無援の状態で眞魔国に戻ることは困難に思われてな。お前さんはユーリを《禁忌の箱》を開く道具に使うつもりはないのだろう?」 「ああ、眞魔国に連れ帰って…不自由な思いはさせるが、幽閉することになると思う」 「まあ…それは仕方なかろうな……」 完全に思い通りにする方法などないのだとすれば、ユーリが害に晒されずに生きていくためにはそれしかないと、ドント爺さんも納得したようだ。 「そうであるなら、余計に要塞都市の助力が欲しいのぅ…。ユーリを連れて無事に国境を渡るには、力ある人間の助けがどうしても必要になるぞ?」 「助けてくれれば…の話だがな。確かに眞魔国やウェラー王家とアリスティア公国の間には深い友愛が存在したと聞くが…。年月があの国をどう変えたかは分からない」 眞魔国と人間の諸国は数百年にわたって不穏な関係を続けているが、ウェラー王家が健在であった頃には友好関係を結んでいた国もあった。その一つがこの要塞都市アリスティア公国である。彼らは世界随一の堅固な壁…円月状防御壁を魔族の手で建造して貰っているのだ。 その事実は諸外国には伝わっていないものの、公国の中では記録と記憶の双方が引き継がれているらしい。唯事実を伝えるだけでなく、いざとなったら窮地に立たされた魔族を救おうという気概も残されているのだから。 ただ、ドント爺さんも言うとおり現在もその風潮が残されているかどうか確かめる術はなく、残されていたにしても、《禁忌の箱》というあまりにも大きな存在が絡むとあっては、コンラートが思うような形で協力してくれるかどうかは不明だった。 下手をすれば纏めて大国に売られてしまうか、《禁忌の箱》の驚異を未然に防ぐために殺されてしまうという可能性も高い。 「連絡をつけるには慎重な心づもりが必要だな」 「そりゃまあそうだな…。何か、大きな手土産でもあれば別なんだがなぁ…」 アリスティア公国も現代を生きぬく国家である以上、便宜を図って貰うためにはどうしても《手土産》が必要になることだろう。…が、僅かな路銀や装備さえも火事で失ったコンラート達には、そんなものを用意する余力はない。 「やれやれ…金もコネもないからな」 「あるのは美貌だけか」 「それで大物が釣れるのなら、使ってみたいところだ」 眼差しに妖艶な光を込めて仰け反ると、白い喉の滑らかさにドント爺さんは目を見開いた。 「なんとまぁ…もともと美形だが、あんた…その気になると凄まじい色気を発するな!見てみろ、純情なユーリが顔を真っ赤にしておるわ」 言われてみれば、ぽぅ…と頬を染めたユーリがコンラートに見惚れている。 どうしてこの子は一々、反応が可愛いのだろうか? 『俺とユーリとヨザ…確かに、容貌の平均点でいけば大いに及第点が上がる所なんだが…』 それに釣られる相手で、コンラート達を眞魔国に連れて行けるだけの力を発揮できる人材となると、どういう手合いになるのだろうか? 「ふむ…お前さん、もしもなりふり構わずに庇護者を求めるつもりなら、有力な商人を頼る手もあるぞ?あの連中はいつでも商隊を護る傭兵を募集しているから、そのつてで訪れておいて籠絡するとか」 「……年寄りの口から出る言葉ではないな」 「ああ、間違ってもユーリをそんなことに使うなよ?お前さんやグリエなら海千山千だろう?掌で転がして、軍資金や装備を得ちゃどうだ」 人ごとだと思って好きなことを言うものである。 ただ、案としては悪くない。 一番良いのは先程出てきた二件を合わせてしまうことだ。 もともと魔族に対して好意的なアリスティア公国…ここに連なる商人を籠絡出来れば、自分たちだけで動くよりは確実に眞魔国へと戻れるかも知れない。 そういえば、要塞都市の中で製造されている酒類は眞魔国にも輸出されている筈だ。その中に潜り込むことが出来れば自然な形で移動できるだろう。 『誘惑…出来るだろうか?』 出来れば《気っぷの良い豊満な美女商人》だったら良いのに…等と考えるのは、かなり都合の良い妄想であろう。遣り手の商人と言えば脂ぎった中年男というのが定石である。 『せめて、ユーリにばれないようにやりたいんだがな…』 今までなら、任務のためと割り切れば身体を使うことにもさほど躊躇しなかったと思うが(たまたまそういう状況に陥いった事は無かったのだが)、ユーリへの思いを認識してしまった今となっては精神的にかなり辛い(辛い中にも、つい《美女だと良いな》等と思ってしまうのは哀しい男の性だ)。 『ヨザは頼まれてくれるだろうか?』 ヨザックとコンラートは容貌の種類が違うから、これは相手の好み次第だ。 ざぁ…っと強い風が吹き抜けて枯葉が大地の上で駆け足をする。木々に残った葉はもう僅かで、冬の訪れが近いことを示していた。 もう大陸で時間を要している場合ではない。 冬季に入れば行動速度が落ちるというのもあるが、それ以上に北方の港が凍結して、港の選択肢が極端に減ってしまうのだ。そうなれば、大国の軍隊も捜査網をぐっと狭めてくるだろう。 『やるしかないか』 腹を据えて頷くと、ドント爺さんは大きな背嚢と小さな巾着を握らせてくれた。背嚢の中にはたっぷりと食料が詰められ、巾着の中には音からして、たくさんの銅貨が入っていると思われた。 「ドント爺さん…」 「これは、村を救ってくれたあんた達に対する正当な報酬だ。気兼ねせずに持って行きな」 「…っ!…感謝する」 平静さを保とうとするが、一瞬崩れて感情が放出しそうになった。 苦境の中で示された親切に、どう感謝して良いか分からなかったのだ。 「達者でな。ユーリを幽閉することになっても…どうか、大切にしてやってくれ。儂は遠い空からいつもユーリやあんた達のことを思ってるからな。無碍にしたりしてたら、全力で憑り殺すぞ?」 老人が言うと洒落にならない脅し文句である。 死後も延々と恨まれそうだ。 「ユーリは、必ず俺が護る。完璧な幸せではないかも知れないが…それでも、可能な限りの幸せをあの子にあげたい」 「…あの子を、愛していると気付いたのか?」 返事はしなかった。 だが、琥珀色の瞳に瞬く銀の光彩は…おそらく雄弁に返事をしていたことだろう。 ここでコンユの「出会い編」のような部分が一段落しました。 次回からはどっと登場人物も増えて、カロリア編に入ります。 |