虹越え4−3−1 3月16日の夕方、命の恩人であり、かねてから気になっていた人物でもある《渋谷有利》と目出度く友人同士になったことで、会澤宏明は大変機嫌が良かった。 だがしかし、翌日も継続していた《何だかいい気分》は、昼休み時に掛かってきた電話によって急下降することになる。 『…って訳で、俺…家族以外に名前呼ばれることがあんまりなくてさ、何か調子狂いそうなんで、やっぱ名字の方で呼んで貰いたいんだケド…』 昨日の段階で言われたのなら《そういうこともあるか》と了承しただろうが、如何にも言いにくそうな有利の口振りや、今になって言い出してきたことに何やら引っかかりを覚える。 「あのさ…それはそれで構わないんだけど…君、何か隠してない?」 『えぇ!?無いよナイナイっ!そんな深い事情とか全くないからっ!』 「本当に?じゃあ、やっぱり有利って呼び続けようかな…そのうち君も慣れると思うし」 『ええーと…悪いんだけど、それじゃあ困る……』 電話の向こうの泣きそうな声に表情まではっきりと想像がついてしまい、少し意地悪な笑みを浮かべてしまう。可哀想なのだけど、どうしてかこの渋谷有利という少年はからかったときの反応が面白い。 「訳を話してくれないかな?君…一度言ったことを違えたり、嘘をつくの苦手なタイプだろ?ちゃんと言っちゃった方がすっきりするし、相談にも乗れると思うよ?」 『会澤ぁ…』 ふなふなと鼻に掛かった声がえらく可愛らしい。男に可愛いというのも失礼だとは思うし、今まで男友達に対してそんな風に感じたことなど無かったのだが…おかしなものだ。 『あの…な?昨日、校門のトコロに美形外人がいたろ?あの人、俺の名付け親っつーか…家族みたいな人なんだけど…その人、俺の名前に思い入れが強くてさ、友達でも気安く呼んで欲しくないとか言うんだよ。俺、あの人には凄く世話になってるもんだから、無下にも出来ないんだ…だから、お願い!次の日曜に会うときには俺のこと渋谷って呼んでよ』 「ふぅん…」 やはりあの男の差し金か…。 会澤は弁当の食べ残しが微かについた口元を手の甲で拭いつつ、すぅ…と目元を眇めた。 「じゃあ、有利自身は別に名前で呼ばれることに抵抗はない訳だよね?」 『うん、そりゃ名付け親が付けてくれた大事な名前じゃあるんだけど…いかんせん、実の親のセンスがアレで、裕やかな利益でも悠久の里でもなく利率が有利な渋谷有利原宿不利だからさー。別に減るもんじゃなし、いいんだけど…』 「じゃあさ、その名付け親さんに伝えてくれる?」 『へ?何を?』 「俺…絶対に有利って呼ぶこと、止めませんからって」 そう言って有利の返事も待たずにぶつりと通話を断ち切ると、机の向こうでクラスメイトが呆れたような表情を浮かべていることに気付いた。 「村田…どうかしたのか?」 「いやぁ…君って男前というか命知らずというか…あのウェラー卿コンラートに喧嘩売ったんだ?」 「ウェラー卿?あの人、貴族かなんかなの?それにしちゃ高校の警備員って…」 「あー、あの人のアレは渋谷の為だよ。可愛い名付け子に虫が付かないようにお守りしてるわけさ。だから、あと1年して渋谷が卒業するのと同時に退職するだろうね。ちなみに、貴族は貴族だよ。とある小国の元王子様。訳あって長いこと軍人をやってたんだけど、やっぱり訳あって去年、こちらに越してきたんだ」 「…村田、お前…有利達のことにえらく詳しいんだな?」 会澤はあまり会話をしたことのないクラスメイトが有利の知り合いであることに驚いていた。如何にも朴訥とした野球少年の有利と、如何にも切れ者っといった風情の村田に共通項があるようには思われなかったからだ。 「僕、中学が渋谷と一緒だったんだよ。その頃はあまり話したこと無かったんだけど、高校1年の時に不良に絡まれてるところを助けて貰ったのが縁で、今じゃ彼の主催する草野球チームの敏腕マネージャーをやらせて貰ってるのさ」 「不良に絡まれてたところを助けてくれた?随分男前な話だけど…有利って喧嘩強いの?」 「ううん?平均的な高校生よりも華奢なくらいだし、相手はガタイの良い不良連中が4人だからね、僕が警察に知らせに行っている間にボコボコにされて公園の女子便所に突っ込まれてたよ」 「警察呼びに行ってる間って…最初に絡まれたのは村田だったんだろ?それを何で有利が引き受けてんだよ」 「それが渋谷有利って男なんだろうね…後で聞いたことあるけど、どう考えたって自分が不利だし、同じクラスだったって言っても、殆ど口も聞いたことがない僕が対象者なわけだし、無視しようって最初は思ったらしいよ?」 「そう思うのが…普通だよな」 「そうだろう?それが普通さ。でもね…」 不意に村田の瞳が柔らかく和み、一瞬ではあるが…彼が浮かべる表情としては極めて異質なもの…《愛おしくて堪らない》という笑みを浮かべて窓の外を見た。 「…彼は、それでも助けてくれたんだよ。助けない理由なら幾つでも上げることは出来たのに…見捨てないまでも、自分が警察なりなんなりに助けを求めることで、助けたことにしたって良かったのに…縋り付くみたいに見てる僕に、《背を向けたくない》っていう唯それだけの理由で…適うはずのない連中に真っ向から挑んだんだよ…」 そして眞魔国で魔王になり、世界を救い…そして、もう用なしとばかりにこちらの世界に叩き返されたというのに、彼は一度として村田を責めはしなかった。 『…だからさ、村田は誇って良いんだよ』 『俺、お前のこと凄いって思ってるし…』 『俺のこと信じててくれたの、嬉しかったもん…』 責めるどころか、《誇って良い》のだと…そう言ってくれたのだ。 それが長い年月の中で錆び付き、軋んでいった《双黒の大賢者》の心を、どれほど潤し…和らげてくれたことだろうか。 「僕は渋谷有利という男をかなり気に入っている。だから、君が妙な具合に茶々を入れることで彼を辛い立場に追い込むようなことがあれば、覚悟しておいて貰いたいな…」 凝視されて初めて…会澤は、村田の虹彩が東洋人としても特殊といえるほど鮮明な漆黒を呈していることに気が付いた。何故か、その眼差し…全てを見抜いてしまいそうなその瞳に居心地の悪さを覚えて、彼としては珍しいくらい狼狽えた。 「俺は…俺だって、そりゃ友達になったのは昨日のことだけど、有利のことを大事に思ってるのには違いはないよ?なんせ命の恩人だし、それ以外にも感動させられたことがあるし…。絶対、有利が困るような事はしたくない…」 「じゃあ、その《有利》って呼ぶのをやめてあげたらどうだい?大人げない保護者と板挟みになって困ってたろ?」 「……有利自身は別に良いって言ってたし…。響きが好きなんだよ…」 結構な頑固者らしい会澤は、この点ばかりは譲れないと言いたげに眉根を寄せた。 『困った男だな…渋谷ってば、妙な男を引っかけちゃったなぁ……』 しかし、それも仕方のないことだろうか…。何しろ、いまや有利は四大要素の内の3つを手に入れ、あまりにも急速に大きな力を手に入れてしまった。そのせいで、訓練の方がおっつかないのだ。個人的にも色々あったことで、彼はいまだ自分の魅力にフィルターを掛ける能力を身につけていない。そもそも、掛ける必要性を忘れている可能性が高い…。 『これは…注意しておかないと色々揉めることになるぞ?』 大賢者の心配事は、渋谷有利に関する限りなかなか減っていかないようだ。 * * * その週の日曜日…爽やかに晴れ上がり、そのせいで少々放射冷却の厳しい午前中のこと、会澤は自分の学校のユニフォームを身につけて約束通り河川敷の練習場を訪れた。そして殊更満面に笑顔を浮かべると、力強く有利の手を取った。 「有利!今日は世話になるよ」 如何にも親しげに名を呼び、コンラートの目の前で必要以上に長い時間手を握りあっている会澤に、コンラート自身よりも周囲の方が冷や冷やさせられた。 『うへー…この子、神経太いのぉ……』 『頼む…この名付け親サンを刺激しないでくれっ!とばっちりの冷気が来るからっ!!』 チームメイトの心の叫びが連動する。 冷やかしに混じりに遊びに来ているヨザックも、小さく(コンラートには聞こえるように)ピュッと短く口笛を吹いた。 『知らないってのは恐ろしいこったなぁ…眞魔国なら考えられない無謀さだぜ』 あの国でコンラートを揶揄えるのはヨザックと村田くらいなものだろう。ヨザックにしても、長年の付き合いで間合いを読んでいるだけのことで、斬られないという補償は何処にもないのだ。 「楽しんでいってよ!あーはい、皆さん注目!今日はゲストが来てます!この人は青嵐学園の会澤宏明君です。時々チームの練習に混ざってくれるそうなんで、これからよろしくお願いします!」 有利が紹介すると、ダンディ・ライオンズのメンバー達は一様に喜声を挙げた。やはり彼は、この地域では結構色んな人に名を知られているらしい。 「青嵐の会澤?ああ、宗徳との試合みたよ!君のバットコントロール凄いよなぁ!」 「守備の方も良かったよね。何でもないように捕球してるときでも、よく見てると打った瞬間の動作が速いから何でもないプレイに見えてるだけで、普通の選手ならとても捕れないような球を捕ったりするよね?」 「いいえ、まだまだですよ」 暖かく受け容れられた会澤はそつないコメントを返して行くが、実際の意識の方はやはりコンラートに向けられていた。 先日、有利の呼称について頑として変更を受け付けず、今日も殊更に《有利》と呼ぶ声を強調していたのだが…予想していたような冷たい視線を受けることはなかった。 彼は静かにその場を見つめ、柔らかい笑みさえ浮かべて佇んでいるのだった。 ………何となく、逆に不気味なものがある……。 あまりにも気になったのでタイミングを見計らって傍に寄ると、思い切って声を掛けてみた。 「コンラートさん…先日、有利から電話を貰ったんですが、俺はこのまま彼のことを名前で呼び続けるつもりですから、ご了承下さい」 物怖じしない性格のせいか人前に出て喋る機会が多く、試合でも緊張したことがないのが自慢の会澤だったが、コンラートの前でその一言をいうためには何故だか異常に緊張してしまい、肩が突っ張る感じがするのが自分でも不思議だった。 何やら…整備が不十分なグランドの大地が、余計にぐらぐらと不安定に感じる。 『これじゃ…まるで頑固親父のところに《娘さんを俺に下さい!》なんて言いに行くみたいだな…』 有利を…下さい。 不意に思いついたその台詞を流石に口にはしなかったけれど…それは率直な思いとして胸の中にある。 自分でも何故これほど彼に拘るのかよく分からないのだが、とにかく彼と話していると気持ちがいい。話す声のトーンとか…会話の中に漂う彼独特の潔さや信念とか…そういったものが柔らかく会澤の心を掴んで、魅惑的な鎖のように心を牽き寄せられるのだ。 「ああ、構わないよ。それより…俺が大人げないせいで君にも随分嫌な思いをさせてしまったね。すまなかった…」 予想に反して、大人っぽい…爽やかな声音で囁かれて度肝を抜かれてしまう。 そんなふうに極真っ当な大人の発言と態度を見せると、この人はその端正な男ぶりも手伝って、凄まじく恰好良い男性になってしまう。 いや、先日の大人げない発言オンパレード状態が異常だったのか? ひょっとして、季節柄インフルエンザで高熱を出しているにもかかわらず、無理をして勤務していたのかも知れない。そう考えると元々根が素直な会澤のこと、直ぐに態度を軟化させた。 「俺の方こそ生意気を言って申し訳ありませんでした!次からは気を付けますので、末永く有利と良いお付き合いをさせて下さい!」 ……会澤宏明という男は、有利やコンラートとはまた別の意味で天然だった。 『あれじゃモロに、交際を父親に認めて貰った彼氏っぽいじゃないか…』 聞き耳を立てていた村田とヨザックが小さく嘆息する。 「…ええ、ユーリと仲良くしてあげて下さい。君と出会えたことをとても喜んでいましたから…」 流石に出だしが一拍遅れたものの、コンラートは極めて柔らかい声音で囁いた。 「ありがとうございます!」 野球少年らしく、会澤は元気な挨拶をして帽子を取ると深々と一礼した。 そして、有利に呼ばれてコンラートの元から離れていくと、今度は入れ違いに村田が近寄ってきた。 「……どういう心境の変化な訳?随分と大人な態度だね」 「いえ…先日、ユーリにも嫌な思いをさせてしまいましたので、流石に大人になろうと思いましてね」 クスリと苦笑するのを、どうにも信用ならないという目で村田が睨め付ける。 「ふぅん…反省したって訳?」 「それが大半ですが…冷静になって考えてみると、彼も気の毒かな…と思いまして」 「気の毒?」 「ユーリは俺に約束して下さいました。四大元素の力を得れば眞魔国に帰還して、本腰を入れて魔王業に専念すると…それが何時になるかは分かりませんが、ユーリは既に3つの力を手に入れている。《土》を手に入れるのも時間の問題ではないかと、そう思えるのです」 「ふん…それで同情したって訳?」 おそらく、会澤に…ではなく、有利に同情したのだろう。 親しい友人達に滅多に会えなくなる事を、彼は寂しがるだろうから。 「眞魔国が生活基盤になって、魔王業を専任することになれば確かに里帰りの回数も期間も限定されてくるだろうからね…そうなってくると、このチームの運営も誰かに委任しないとイケナイなぁ…」 「猊下はなさらないんですか?」 「この僕が《渋谷の補助》以外でどうしてこんな面倒な仕事をしなくちゃならないんだい?第一、僕は野球が好きって訳じゃないし、人格的牽引力には乏しいからね。参謀職が適任なのさ」 「確かに賢明な選択でしょうね。猊下のその能力ならチーム運営に支障が出ることはないでしょうが、メンバーが精神的に圧殺されそうですから…」 「ふふぅん…渋谷と喧嘩してた時の、君の剣術指南に比べれば可愛いもんだよ。《有能な兵士を何人も病棟送りにされた》と、フォンヴォルテール卿が嘆いていたのを聞いたことがあるよ?」 「二度と喧嘩をすることなどありませんから、ご心配なく」 「へぇ、倦怠期とか三年目の浮気ってものの恐ろしさを知らない人程、そういうことを平気で言うんだよね。」 「ははは……」 「ふふふ……」 寒々とした冷気の潮流に、チームメイト達は震えた。 そんな様子を少し離れた場所から見守っていたヨザックは、口の端に苦笑を乗せて故国での上司(?)達を見つめた。 『あの方々ってば、本当に目に入れても痛くないくらい…というより、寧ろ入れてみたいってくらい愛しちゃってるよなぁ…坊ちゃんのこと』 有利が笑っていられるように、 有利が哀しい思いをしないように… 全ては有利のために… ことにコンラートは、文字通り自分の人生の全てを有利に捧げている。 そう…彼自身の感情まで押し殺してしまう程に。 コンラートは元々自分の感情を抑えることには慣れているから、彼をよく理解していない者から見ると、まるで自己主張自体が希薄であるように映るらしいのだが…付き合いが長く深いヨザック等から見ると、実は相当に感情豊かな男なのだということが分かる。 あの毅然とした立ち居振る舞いは、つけ込まれればどんな窮地に陥るか分からないような生い立ちであったが故に、彼自身が研鑽して培ってきた擬態なのだ。 『そうだな…だからこそ、坊ちゃん…あんたは気付いてくれると良いな…。この、不器用な隊長さんの、可愛らしいトコにさ…』 隠すことが無駄に上手なコンラートから、何とかして汲み取ってやって欲しいものだ。 * * * 「有利…今日は嬉しかったよ」 夕刻を迎え…照明装置のない河川敷練習場が夕闇に包まれると、チームの練習はお開きになり、後かたづけをしながら会澤が嬉しそうに話しかけてきた。 「うん、俺も楽しかったよ。チームの人達もみんな会澤のこと歓迎してくれたしな!」 「それもあるけど…俺はコンラートさんに認めて貰ったのが一番嬉しかったな。あの人って、第一印象が凄く悪かったんだけど、冷静になって話をするといい人だね。あんな風に率直に過ちを認められる人って、やっぱり大人だと思うなぁ…」 「認めてくれた?」 きょとんとして有利が小首を傾げると、会澤が満面に笑みを浮かべて答えた。 「ああ、嫌な思いをさせてすまない…って謝ってくれてね?君のことも有利って呼んで構わないそうだし、良い友達付き合いを続けてくれって言ってくれたんだ。…嬉しかったよ。あの人…有利の大切な人なんだろ?そういう人に嫌われたまま君と付き合うのは心苦しいもんな」 「そっかぁ…コンラッドって、やっぱ大人だよなぁ…」 有利は少し離れたところで有利の荷物を纏めてくれているコンラートを見やった。 「うん…コンラッドってさ、こないだはあんなだったけど、普段は…特に俺が絡まないときは凄く大人で紳士で…俺、色んな事で適わないって思うんだ」 「だってコンラートさん39歳なんだろ?有利の2倍以上生きてるんだからしょうがないよ。俺だって年の割には落ち着いてる方だって言われるけど、あの人と比べるとまだまだだなって思うもん」 実はまぁ、2倍どころの騒ぎじゃないわけだが。 「こないだ、呼び方変えてくれって電話したのも、コンラッドに言われたからじゃないんだ。最初の日に揉めちゃったから、そのことでコンラッドと嫌な感じになるのが怖くて、俺の方で考えてああいう電話したんだけど、コンラッドはコンラッドで色々考えててくれたみたいだなー…」 「あの人って、本当に有利のこと大切にしてるんだなぁ…」 少々異常なほどだが…会澤自身、友達付き合いをしてさほど時間がたっていないにも関わらず、有利に対する思い入れは日増しに深くなっていくのだから、それも仕方のないことかも知れない。 「俺…高校卒業したら遠いところに引っ越して、あんまりこっちに帰って来れなくなるからさ…《こっちのお友達となるべく良い時間が過ごせると良いですね》…って、言ってくれたんだ」 コンラートを見守りながら半分無意識で口にした言葉に、会澤はどさりと荷物を取り落とした。 「…今、何て……」 「ああ、俺…ちょっと事情があってさ、高校卒業してすぐに行けるかどうかはまだよく分からないんだけど、でも…近い内に、よその国に生活基盤移すことになるんだ。コンラッドとか村田は一緒に行くんだけど、家族なんかはこっちに残るし、会澤とも折角友達になれたのに、寂しくなるな…って、なんかの拍子に言ってたの…多分、コンラッドは聞いてたんだよな…」 有利の声が何やら遠くで聞こえる…わんわんと、頭蓋内を渦巻く動揺のせいだということを、会澤は自覚していた。 『有利と…殆ど会えなくなる?』 しかし、考えてもみれば自分たちは通う学校も違う。会澤はここまでの成績と野球部での実績が認められてほぼ青嵐大学に推薦が決まっているし、有利は日本で進学するにしても同じ大学になることはまず無いだろう(失礼ながら、学力差が著しいようだし…)。 それにしたって外国とは…。 「国際電話は高いよな…」 「んー…それがさ、電話通じないんだよね。多分…」 「はぁ!?有利、君…何処の秘境に行くんだ!?」 「うーん…電気も無いところだからなぁ…」 有利は苦笑していたが、その国のどんな情景を思い浮かべたのだろう…程なく沁み入るような笑みを浮かべて、そうっと目を閉じた。 「不便なことや、面倒事も多いんだけど…俺の、大切な国なんだ……」 「そう…なんだ。なぁ、本当に何処の国なんだよ。俺、調べてみたいな」 『君の大切な国のことなら…俺も知りたいよ』 切ない思いを込めていったのだが、有利には困ったように逸らされてしまう。 「悪い。ちょっと訳があって…言えないんだ」 「…そう、か……」 強い口調で拒絶されたわけではない。 だが、なにか侵しがたい壁を感じて…会澤は口を閉じた。 『有利に…俺はまだ壁をもたれている……』 友達付き合いを始めてそうたっていないのだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが… 酷く、切なかった。 『じゃあ、何時になったら有利と全てをうち明けられる仲になるんだろう?』 通う学校が違って…しかも、3年生の夏までは野球部を続けるつもりでいる会澤は、練習にかなりの時間を割かれることになる。 『いっそ転校を…』 そんな発想が一瞬脳裏を掠めるものの、進路のことはともかく、副主将としてチームを牽引していく役割も担っている彼のこと、そんな無責任な話はないだろうと自省する。第一、そんないい加減な男には有利の友人を名乗る資格はないように思う。 結局、それからは殆ど会話らしい会話も成立しないまま別れてしまった。 |