虹越え4−2−1







 マンションに帰る道中も有利は弾むような足取りで、ほにほにと笑顔を浮かべて楽しそうにコンラートに話しかけていた。

「やー、何か嬉しいなぁ…あの青嵐の会澤が、俺に感動してくれてたなんてさ!」
「ユーリ…あんまり勢い良く振り回すとゼリーが崩れてしまいますよ?」

『何を持って来ればいいか分からなくて…取り敢えず、旨いって評判の店で買ってきた』

 心配りが細やかな達らしい会澤は、色々な種類のゼリーの詰め合わせを持ってきてくれた。新鮮なフルーツがたっぷり入った生ゼリーは薄いプラスチックの蓋を乗せてあるだけなので、あまり揺すると中身が飛び出してしまう。

 本心ではそんなゼリーがどうなっても構いはしないのだが、なんとなく浮かれている有利を落ち着けさせたくて、静かな声で窘めてみる。

 扉の鍵を開けていると、有利が瞳を輝かせて箱の中に詰まった6つのゼリーを眺めながら話しかけてきた。

「夕飯の後に食べような!んー…でも、一個ぐらいなら先に食べちゃっても良いかな?コンラートどれが好き?」
「ユーリが好きです」
「いや、だからゼリーだよゼリー!ナニ新婚サンいらっしゃいみたいな馬鹿ップル発言してんだよっ!」

 律儀なほど真っ赤に頬を染めて言う有利が愛おしくて…なのに、無性に腹立たしくて…コンラートは勢い良く家の扉を開けると、強引に有利の手を掴んで室内に引き入れた。

「コンラッド!ゼリーが崩れ…」
「ゼリーなんてどうでも良いんです!」

 コンラート自身、愕然としてしまうほどの声音の強さに…有利はびくりと首を竦める。
 壁に押しつけられ、真っ直ぐに視線を注がれ…琥珀色の双眸に浮かぶ焦燥の色に、有利は困惑した。

「コン…ラッド……?どうし……」
「好きです…ユーリが、好きです」

 マフラーを巻いたガクラン姿の有利を勢い良く抱き込むと、そのまま噛みつくような唇付けで息を奪い取る。

「ん…ん……ぅん……っ」

 激しい舌動に翻弄され、こういった接触にまだ慣れない有利は息苦しさを覚えて藻掻いた。

「コンラ…ッド……息…苦しい……」

 はぁ…っと粗い息のなか訴えてくる舌が赤く染まっていることとか…顰められた眉根の下で黒瞳が艶やかに潤んでいることとか…その動作の一つ一つが抱擁してやりたくなるほど愛らしいのに、今は苛立たしさが先に立って…《どうやってこの人を泣かせてやろうか》と、おそらく彼に対して初めて感じる衝動に見舞われていた。

「苦しい?そう…では、気持ちよくして差し上げますよ。これ以上ないというほどの悦楽を饗しましょう…」

 閃く微笑の凄艶さに…有利はぞくりと背筋を伝うものを感じた。

『なんだろ…コンラッド、怒ってる?』

 自分は気付かない内に何か彼の逆鱗に触れるようなことをしてしまったのだろうか?今まで、有利を思って苦言を述べ、《叱る》ことはあっても、彼が感情のままに有利を《怒る》ことなどなかったと思う。

 そう、それこそ彼は有利にとって完璧な《保護者》であり、《指導者》であったのだ。

 その彼が有利に対してこれほど怒るということは、何か余程酷いヘマをしでかしてしまったらしい。だが…

「なぁ…コンラッド……」

 反省するにしても、その理由が分からないことには何処から謝っていいのか分からない。有利は角度を変えて繰り返される唇付けの最中、何とか質問しようと息をつくのだが、わざとそれを逸らすかのように愛撫が加えられていく。

「…んんっ」

 するりとマフラーが抜き取られ、器用に指を弾く動作だけでガクランの襟合わせを外されると、露わになった首筋にねっとりと舌が這わされる。有利の弱い場所…耳の後ろの窪みから胸鎖乳突筋を伝ってきて…かりっ…と鎖骨に歯を立てられる。

『…喰われそう』

 柔らかな首筋の…ちょうど頚動脈の拍動を触れる辺りを執拗に甘咬みされ、まだ触れられてもいない胸の突起がちりりと硬くなっていくのを感じる。微かな恐怖と、それを上回る欲情が、甘い電流となって腰仙部へと放散していった。

 カッ…カッカッ

 不意に聞こえた硬い足音にびくりと背筋が震える。

 こんな…後ろ手にコンラートが鍵を掛けたとはいえ、玄関に入って直ぐの空間で情交を展開していれば、幾ら防音に優れた部屋とは言え声が通路にまで伝わってしまうのではないかと、有利は慌てて抵抗を始めた。

「コンラッド…な、ベット行こう?それに、今日体育あったし…出来れば風呂も入りたいんだけど……」
「申し訳ありません、陛下。そのお望みについては叶えて差し上げることが出来ません」

 《陛下》…あまりにも久しぶりに聞いたその呼称に、怒るよりも先に呆然としてしまう。 

『陛下って言うな名付け親』
『すみません、つい癖で』

 懐かしい、眞魔国でのやり取りが思い出される。 
 しかし、こちらの世界に来てから唯の一度だって、彼は有利のことを陛下などと呼んだことはなかった。

『思いっきりわざとじゃねぇかっ!!』

 怒るにしても大人げない事この上ない。よりにもよってこんな情交の時に敬語を使って…あまつさえ有利の嫌う呼称を使うなんて…。

『そりゃ、何か俺が酷いヘマをしたにしてもだよ?訳も説明せずにこんな扱いってのは非人道的この上ないってもんだろ?』

 非魔族的この上ないのも確かである。

 このような不条理な扱いには、幾ら相手が恋人とは言え断固として抵抗しなくてはなるまい。無抵抗な豚は美味しく豚カツにされてしまうのだから。

『喰われて堪るかっ!』

 有利は不意に身体中の力を抜き…コンラートの拘束がその平衡を逸したと見るや、素早く身体を回転させて腕の中から抜け出そうとする。

 …が、何しろ相手は百戦錬磨の獅子である。

 上手く抜け出せたと口の端が上がる一瞬の間…コンラートの腕が、しゅ…っと目まぐるしい動きを見せたかと思うと、有利は玄関マットに顔を押しつける形で俯せにされ、両手を後ろ手に拘束されてしまった。

「……あれ?」
「まだまだ修行が足りませんね…」

『おれ、顔見なくてもあんたが今どんな顔してるか分かるよ…』
『取り敢えず今…もんの凄い、意地悪な笑顔浮かべてるだろう!?』

 渋谷有利君、大当たり。

「そのようなことでは、俺のような者に良いように悪戯されてしまいますよ?」

 そう言った艶やかな低音は、この上ない悪意に満ちていた。

「………悪戯、すんの?」

 セックスではなく…彼がいま自分にしようとしていることは、悪戯というスタンスらしい。互いに高め合うのではなく、一方的に嬲り…貪るつもりであるらしい。

「…っ!」

 上体が床に叩きつけられるのも構わず捨て身で両脚を後方に放てば、これは流石にある程度の効果をあげてなんとか拘束を外すのに成功する。

 靴も脱がずに室内に駆け込もうとするが、焦るあまり毛足の長い玄関マットに足を取られて勢い良くこけてしまった。

 ビターンッ!

 予測していなかった角度で転んだ有利は、側頭部を床へと強かに打ち付けて…気絶した。



*  *  *




 目が覚めたらベットに寝かされていて…。

 目の前には、この世の終わりのような顔をして人魂を飛ばしている恋人が居た。

「申し訳ありませんでした…」

『かくなる上は死んでお詫びを…』

 …とでも続きそうな地を這う低音に、有利は身じろいで…そして苦鳴をあげた。

「…痛っ……」

 鋭く叫べば直ぐにコンラートの右手が伸びてきて、労しげに…優しく有利の頭を撫でる。

 どうやら右の側頭部にたんこぶが出来ているらしい。髪の上から冷えピタを張り付けられ、寝返りで外れないようにという配慮か包帯が頭に巻かれている。

「本当に…何と言ってお詫びをすればいいのか………」
「…謝ってくれなくていいからさ、理由…話してよ」

 コンラートの目元は暗く沈み、有利の好きな銀の光彩を見て取ることは出来ない。

 時計を見た限り、そんなに長い間意識を失っていたはずはないのだが…短時間で随分憔悴したような気がする。そんな様子についつい絆されそうになるが、彼がそんな風だからこそ、此処はきっちりと理由を聞き出しておくべきだろう。

 コンラートという男は、笑顔で爽やかにしているときの方が深い秘密を抱えている。これは最近になってやっと理解し始めたことなのだが、逆に言うと、こんなに動揺を露わにしているということは、それだけ有利に心を許している証拠なのだと思う。

「俺…さっき本気であんたのこと怖かったよ?あんたが俺に対してあんな風に怒る事ってなかったからさ、何かよっほど酷いコトしたのかなって…でも、俺…馬鹿だから…言ってくれないと分かんないんだ…。説明も無しに無理矢理やらしいことすんなら…あんたに適わないの分かってても、全力で俺は抵抗するよ?」

 項垂れるコンラートの前髪に指を搦め、囁くように言われるその言葉の一つ一つが…柔らかい光を放ちながら胸に沁みていく。

 一瞬…微かに唇を震わせながら、コンラートは理由を口にした。

「…嫉妬です」
「誰が…誰に?」

 妙な方角から飛んできた発言に、有利は頭がこんがらがったとでも言いたげに顔を歪めた。嫉妬が絡むような話が自分たちの間にあっただろうか?

「俺の勝手な嫉妬です…あのアイザワという少年が…妬ましくて、彼にあんな可愛らしい笑顔を見せたり、泣いたりするあなたが腹立たしくてならなかったんです」
「はぁ?」

 更に訳が分からなくて語尾が上がる。

「何で会澤に嫉妬する必要があんの?あいつが良い奴な上に俺のトラウマまで解消してくれたから、嬉しくて笑ったり泣いたりしただけじゃん」
「良い奴…ですか?ちょっと慣れ慣れし過ぎるとは思いませんか?こちらの世界では余程親しくならないと名前で呼び合うような仲にならないと聞いていますよ?それが昔一度試合をして、命を助けて貰った…そう、助けた訳ではなく、助けられたという立場にも関わらず、奴はあなたのことをユーリと呼び捨てにしようとしているんですよ?図々しいとは思いませんか!?」

 思いがけないコンラートの激昂ぶりに、有利は顎が外れるほど驚愕してしまった。

 これは…この発言は…100歳を越えた立派な大人…それも、ルッテンベルグの獅子…眞魔国の英雄と呼ばれる男が、怒り筋を浮かべてながら指を鍵爪状に強ばらせて主張するようなことなのだろうか?

 何だろう…コンラートの背後に薄紫の髪をした超絶美形の幻影が見える…。
 まさか…生き霊?

「あんた…何言って……」
「しかも、ユーリはユーリでそう呼ぶことを簡単に許してしまうし!貰ったゼリーをこの上なく嬉しそうに眺めているし!」
「コンラッド…あんた、酔ってるとかいうことはないよね?」

 一連の発言が…目の前の端正な男の口から出たとは到底信じられず、有利はあり得ないと知りつつも問いただしてしまう。酒気帯び検査紙があれば間違いなく使用していたことだろう。

「そうだったら良かったんですが…」

 はぁ…と嘆息すると、コンラートは前髪を左手で掻き上げながらとんでもないことを吐露してくれやがった。

「…極めて意識清明な状態で、あなたを玄関で組み敷いてよがらせて…例のゼリーを塗りつけて嬲ってやろうと…俺に挿れてほしいと哀願するまで焦らしてやろうと…あの時には本気で決意していました」
「……………」

 ざぁ…と、血の気が引く。

 あの時気絶していなければ、泣いても喚いてもまず間違いなくその行為は完遂されたことだろう。

 誰に声を聞かれるとも知れぬ緊張感の中で、ゼリーを挙立するものや…菊花に塗り込められて、舐めしゃぶられたり散々焦らされたりして嬲られたことは間違いない。

『よよよよよよ良かった…あの時気絶できて……』

 まだまだセックス自体に慣れないこの身には、そんな上級者コースは荷が勝ちすぎる…。

「冷静になってみれば、この身を自分で斬りつけてやりたいほど愚かな行為であったと思うのですが…俺は、自分で自分が分からなくなってきました…」
「うーん…コンラッドが嫉妬ねぇ…あんたって、そういう感情乏しそうなのに」
「俺も自分ではそう思っていたんですが、どうもあなた相手だと勝手が違うようです」

 ついには両手で頭を抱え込んでしまった男に、どうしようもなく…《可愛いなぁ》…等と思ってしまう有利だった。

 《甘やかしてるかな?》とは思いつつも、普段パフェの上に練乳と液状オリゴ糖をふんだんに掛け捲ったような勢いで甘やかしてくれるコンラートのことを思えば、自分がこんな感想を抱いてもそう罪深い行為ではないと思う。

 有利はそぅっと両手を伸ばしてコンラートの頭部を抱き寄せると、軽いバードキスを幾つも幾つもダークブラウンの頭髪に落としていく。

 夕刻を迎えてもさらりとした質感を保ち、いい匂いのするその髪に唇を寄せたまま…きゅうっと抱きしめてみた。

「あのさ…俺、眞魔国からこっちの世界に戻されてからコンラッドが来てくれるまで、一度も泣いたことなかったんだよ?」
「ユーリが…ですか?」
「信じられないだろ?あんたが来てからは涙腺壊れちゃったみたいに何かっつーと泣いてるからね。でも…本当なんだ。俺…あんたが居ないと、泣けなくなっちゃったみたい。…つーか、俺…あんたがいるから心の底から泣いたり笑ったり出来るんだと思う」
「ユーリ…」
「だから、今日あんたが嫉妬してた笑顔だって泣き顔だって、全部あんたが居たから出てきたもんなんだよ?言ってみればあんた、自分で自分に嫉妬してたようなもんさ。名前だって、あんたが呼ぶみたいにこの名前を呼べる奴なんていやしないよ?ほら、呼んでみてよ」
「ユーリ」
「も、一回」
「ユーリ…」
「もっと言って…」

 言いながら…面を上げたコンラートのその薄い唇に、そっと自分のそれを重ねた。
 触れるだけの優しいキスを燻らすように味わって…離れた唇が呟いた。

「ユーリ…愛しています」
「愛してんなら、これからはちゃんと事情を説明してくれよ?俺、あんたに無理矢理突っ込まれても、あんたのこと嫌いにはなれないと思うけど…多分、セックスそのものは怖くなると思う…」

 苦笑混じりの言葉ではあったが、それがどれだけ重い意味を含んでいるか察して、コンラートは息を詰めた。

 身体を繋いで、自分を欲する言葉を何度も言わせて…彼を支配したつもりになっていたのだろうか?だとしたら何と傲慢な思いこみだろうか。

 有利がどれだけの決意で身体を開いているのか、自分は本当に分かっていたのだろうか?

 幾ら好きだとは言え、男の前で…男の彼が脚を開くという行為が、思い一つでどれほど屈辱的な桎梏を与えることになるのか、考えてみたことがあるだろうか?

「俺はあんたのことが本当に大好きだよ。その…あ、アイしてるよ?だけど、それと何されても平気なのとは違うと思う。俺はあんたに服従したくはない。…一緒に、並んでて欲しいんだよ」 
「ユーリ…本当に、すみませんでした…」
「そう思うなら…」

 有利は頬を染め、上目遣いにきゅるりとコンラートを見上げた。

「…思いっきり丁寧に抱いてよ」

 …この男前でありながら可愛らしい生き物は一体なんなんだろうか?

 コンラートは胸の前に手を当て、恭しく頭を垂れた。





  
※ご注意※

 次はお風呂でいちゃいちゃするエチ話です。特段変わったプレイ等はありませんが、
「エロこそが我が征(ゆ)くべき路(みち)」と心に決めておられる方や、「エチ描写には特段思い入れはないけれど、行間にぼぽろぽろと潜む微妙な笑いが意外と病みつきになる」という方のうち、性的な文章を読んでも真っ当に社会生活を送れる方はエロコンテンツ収納サイト【黒いたぬき缶】 にお進み下さい。

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