虹越え3−8−2 「ぼっちゃん、こんなところで何なさってるんですぅ?隊長にお仕置きされちゃいますよ?」 眞魔国語で放たれた言葉は有利以外の人物には意味を捉える事も出来ず、皆、口をぽかんと開けてこの介入者…惚れ惚れするほど理想的な外野手体型の男、グリエ・ヨザックを見つめた。 日本人でないのは確かだが…それでは何処の国の出身だと聞かれると小首を捻ってしまう。強いて言えば西欧系に分類されるだろうが、大ぶりな造作ながらその顔立ちは極めて魅力的で、ショービズ界に身を置くタレント連中が見ても息を呑むほどの美形であった。 オレンジ色の頭髪に縁取られた面はやや皮肉げな表情を浮かべてはいるものの、目元の明るさが邪気を艶に変えて見る者を魅了する。逞しい体躯を包む衣服は身体にぴたりとフィットする藍色のジーンズと、黒いタンクトップ。そこに洗い晒しのコットンシャツを羽織っている。なんということはない出で立ちではあるが、彼が着込めば不思議と雰囲気のある装いに見える。 「やれやれ…俺に感謝して欲しいトコだぜ、お前ら。…坊ちゃんを奪い合うなんてさ、あの心の狭い隊長が見たらどんな目に遭わされるか分かったもんじゃないぞ?」 何が起こったのか分からない様子で床に転がっていた男達…その襟首をしなやかな動作でひょいっと持ち上げると、事も無げに手刀を頚部に叩き込み、意識を失った男達を無造作に抱え上げてしまう。 「グリ江ちゃん…助けてくれたのは凄く嬉しいんだけど…」 『この番組…滅茶苦茶になっちゃった?』 春日野の顔を潰したかもしれない…ヨザックを此処まで通してしまったスタッフや、MCの加藤も責任を問われるかもしれない…。 「あのな…グリ江ちゃん。これ、テレビの収録なんだ…ゲストの人に怪我させたりしたら、補償とか凄く大変なんだと思う。俺も一緒に謝るから、グリ江ちゃんも一緒に謝って?」 泣きそうな顔でシャツの裾を掴んでくる有利に苦笑するヨザックであった。 「あらやだ、坊ちゃん。俺もロドリゲスとかいう男のヘンテコ機械でこっちの常識もある程度は分かってるのよ?怪我なんかさせるわけ無いじゃない?」 「え?」 「んじゃ、起こしますよ?」 言うなり、今度は二人の男の背中に小気味よい音を立てて拳を入れると(いわゆる、渇をいれるというやつか?)、男達ははっと我に返って勢い良く跳びすさった。 「な…何だ、てめぇっ!」 「畜生…不意を突かれたぜ」 あまりにも軽やかに捻られたものだから、《やられた》という実感がないのだろうか? 男達の様子に、ヨザックは白けたような表情で唇を撫でた。 「やるかい?」 唇に閃くのは、野生の獣の笑み…。 「やるなら…来いよ」 凄絶な殺気を一瞬だけ蒼瞳にのせて凄めば、目に見えて男達が怯むのが分かる。 しかし…一瞬後には《にかり》と人好きのする笑顔を浮かべると、絶妙な歩幅で間を詰めて、ぽんぽんと男達の肩を叩く。 「オーウ…ご免なさいねぇ…この子、俺の大切なヒト!あなたに触られてとても腹が立ってしまった!お仕事の邪魔してソーリー!もう此処から退くから、許してね」 ばつんっと音がしそうなウインクを決めつつ、怪しい英語混じりの日本語で捲し立てると、毒気を抜かれたのかぽかんとした様子の二人は、加藤に促されるまま座席に戻った。 「お嬢様、ソーリー…」 勿体つけた動作で恭しくお辞儀すると、ヨザックは有利の手を取ってその甲に唇付ける。コンラートとは別の意味でこういう仕草が様になる男だ。どちらかというと、社交界よりも夜の街で見かけそうな光景だが…。 ひらひらと掌を振ってセット外に出たヨザックは、ぺこりと辺りのスタッフにも礼をして回っていた。正直、彼らも城島の行動には腹に据えかねるものがあったらしく、ヨザックは突然の闖入にもかかわらず、何やら暖かい対応で人々に迎え入れられていた。 しかも、城島のマネージャーらしき人に愛想良く名刺なんか貰っている。どうやら、ファイターとして所属しないかと持ちかけられているようだ。食堂の女将よりは似合いそうだが、ヨザックは苦笑混じりに断った。 その後の収録は至って順調で、ファイター二人は不気味なほど静かだった。 収録終了の声が掛かると、有利は深い溜息をついて近場の椅子にへたり込んでしまった。 「坊ちゃ…いや、お嬢様。お疲れさまでした。しかし…なんだってこんな事になっちまったんで?」 「うう…話せば長くなるやらならないやら…」 有利はドッカリと大股をひらいて座ろうとして、ぺしりと膝を叩かれる。 「駄目よぅ!女の子の恰好はまず中身からなんだから!」 先輩風(?)を吹かせてくれるヨザックに苦笑しつつ膝を揃えると、有利はかいつまんで事情を説明した。ヨザックはふぅん…と、些か真剣みに欠ける態度で話を聞いていたのだが、身を屈めて囁きかけたその瞳には、常にないほど真剣な色が掠めて見えた。 「…坊ちゃん、人が良いのはあなたの良いトコでもあるけど…程々にしとかないと身を滅ぼしますよ?」 「ん…ご、御免な」 しょぼんと肩を窄める有利に、くしゃりと目元を綻ばす。 「叱ってるわけじゃないんですよ?ただ…ね、心配になるんですよ。あなたは誰にでも優しいから、そのせいで傷つくことがあるんじゃないかって」 「誰にでもって訳じゃないよ?春日野さんは凄くお世話になってるヒトだから…今日はしょうがなかったんだよ」 「しょうがない…ねぇ……俺としちゃ、あんな目に遭ってるのに助けにも来ないような男に、あなたの近辺には居て欲しくありませんけどね」 苦虫を噛みつぶしたようなヨザックの表情に、有利は思わずくすくすと笑ってしまった。 「グリ江ちゃんてば、本当に近頃コンラッドみたいなコト言うようになったよね」 『心外だわぁ…』 などと、ヨザックがますます表情を歪めていると、羽村が声を掛けてきた。 「ユーリちゃん、メイク落としに行こうよ。アイメイクって可愛いけど、目が掻けないし、ゴビゴビするから嫌よねぇ」 「そうなのよねぇ、丁寧にマスカラづけしててもパンダ目になってたりすると凹むわよねぇ」 ガタイのいい男からの思いがけない声掛けに、羽村はぎょっとしたように立ち竦んだ。 「え…?」 「ああ。この人は趣味と実益を兼ねた、凄腕女装マスターのグリエ・ヨザック。俺の友達なんだ」 「友達なんておこがましいわぁ…グリ江は有利様の生涯の下僕なのよぅ?」 くねくねとしなを作る大柄な美形に、羽村は精神的に3歩程度引いたようだ。 「ユーリちゃんて…色々人生が深そうね?」 「うーん…反論できないかも」 「まぁいいや。ね、早く行こうよユーリちゃん。あと1時間位したらあの楽屋次の収録の人達が使うらしいよ?メイクしたまま学生服で帰るの嫌でしょう?」 それは確かに勘弁して欲しい。 有利が慌てて立ち上がると、ヨザックもそっと後からついてくる。収録が終わったとはいえ、あの男が有利を完全に諦めたとも思えない。ヨザックへの面当ての意味でも何か仕掛けてくる可能性は十分考えられた。 ヨザックはこの時、多分に警戒心をもって事に臨んでいたつもりであった。しかし、何事にも完璧というものはないもので、その警戒が不十分なものであったことを、ヨザックは嫌というほど後悔させられることになる。 * * * 「グリ江ちゃん、そこで待っててくれる?すぐに仮装といて出てくるから」 「どうぞごゆっくり」 念のため扉口から楽屋内を見回すが、懸念していたようにあの連中が待ち伏せしているという様子もないし、この扉以外に出入りできる場所はないようだ。この分なら扉の前で見張りさえしておけば心配ないだろう。ヨザックは壁に背を凭れさせて、辺りに気を配った。 「今日は災難だったね、ユーリ君。あの城島って人、テレビの収録中にあんなコトするなんて正気かしら?今はセクハラで失職する人だっているのにねぇ」 「しかも男子高校生に迫っちゃったんだって知ったら、どんな顔すんのかな?」 「言えてるー」 ころころと笑い転げる羽村だったが、長髪のウィッグを掻き上げる有利の仕草に思わず息を呑む。 「……ねぇ…ユーリちゃんって、本当に男の子なの?」 「………本当だよ?」 多少心苦しい向きはあるが、学生証を提示すれば羽村も何とか納得してくれる。 「何か自信なくしちゃうな。まさか素人の男の子に色気で敗北感を感じるとは…」 「いや、感じなるのオカシイから羽村さん…俺の何処に色気があるっつーの?」 眉根を寄せてきゅっと紅色の唇を突き出せば、羽村は益々深い溜息をつく。 「自覚ないのぉ?ユーリちゃん、マジで気を付けた方が良いよ?」 「何を?」 「何をって…ほら、お友達のグリエさんだっけ?あの人とかもユーリちゃんのこと狙ってるんじゃない?」 「狙う?違うよー、グリ江ちゃんはいっつも俺のこと守ってくれんだよ?そりゃ、会った最初の頃は俺のこと気にくわなかったみたいで散々嫌みも言われたけど…」 下手をすれば怪我くらいでは済まないような状況に追い込まれたこともあったけれど、今ではある意味コンラートよりも近しく感じられる時があるくらいだ。 「斜に構えちゃう癖はあるけど、凄くイイ奴なんだよ…グリ江ちゃん」 にこぉ…っと、蕾が綻ぶように微笑む有利だったが、最早羽村の方は言うべき言葉が見つからず、呆れ果てて土偶のような表情を呈している。 『ユーリちゃん…あなたにそんな風に微笑まれたら、その気がなくてもその気になりそうよ?』 しかしこの鈍さ…あのグリエ・ヨザックという人の苦労はいかほどかと心配になってしまう羽村だった。 「あれ?この飲み物って差し入れかな?丁度喉乾いてたんだー。飲んじゃって良いかな?」 6畳程度の畳敷きにちょこんと置かれたちゃぶ台の上に、よく冷えた感じのジュースがコップに注がれた状態で置いてあった。そしてその脇には、可愛いピンク色のラムネ菓子と小さなカードが置いてある。カードには《お疲れさま、天使ちゃんと悪魔ちゃんで仲良く食べてね》と、ハートマーク付きの可愛い丸文字でメッセージが書かれていた。 「白滝さんかな?」 「んん…姐さんってこんな文字書く人だったかなぁ?」 以前何かにメモをするときに見たときには、もっと大人っぽくて流麗な筆跡だったように思うが…若作りしているのだろうか? 「まあいいや、頂いちゃおっか?」 ラムネは少し湿気ていて妙な味がしたが、ジュースの方はきんっと冷えていて喉越し爽やかであった。羽村の方はジュースは飲んだが、ラムネ菓子はもそもそして嫌いだそうで、そのまま残してしまった。 そしてメイク落としに取りかかろうとしたとき、扉の前で何か言い争うような声が聞こえてきた。 「グリ江ちゃん、どうかしたの?」 扉からぴょこっと顔を覗かせれば、案の定ヨザックは城島と口論中であった。 「だから、収録中の詫びを入れに来ただけだっつってんだろ?…ああ、悪魔ちゃん!ご機嫌いかが?」 ヨザックに喰って掛かっていた城島は、有利の顔を認めると脂下がった笑顔を浮かべて視線を送ってきた。 「ねぇ、俺の差し入れ食べてくれた?」 「え?…あれ、あんたの?」 つい眉根を顰めてしまう。眞魔国では口に入れる物に一応注意をしているのだが、こちらでまさか毒物を仕込まれる恐れなどないと高を括っていた。しかし…この男が供したものとなると何やら不安が過ぎる。 「…何か口にされたんですか?」 ヨザックも途端に険しい表情を浮かべると、俊敏な動きで楽屋の中に身を滑り込ませた。そして、ちゃぶ台に載せられたラムネ菓子とジュースを目に留め、舌先でぺろりと確認をすると…彼の眼差しは凶悪と言っても良い怒りを孕んで城島を睨め付けた。 「グリ江ちゃん…なんか、変な物だったの?お、俺…メイクさんからの差し入れだと思ってさっき食べちゃった…」 ヨザックは蒼くなる有利の身体を強引に引き寄せると、洗面台に顔を寄せさせて喉奥に指を突っ込んだ。 「ぐぅ…えっ!」 えずいて身を捩る有利の身体をがっちりと抱え込むと、背中をさすりながらも喉奥を抉る手は休めてくれない。甘いジュースや昼に食べた物が吐瀉されるのに合わせて、生理的な涙がぼろぼろと頬を伝う。 「吐いちまいなさいっ!なるべく腸管から吸収しないうちに出すんだ!」 「ち…ちょっと!なに!?毒とか飲んじゃったの?」 「毒じゃあないが似たようなもんだ…この菓子に入ってたのは、麻薬…それも媚薬系のヤツだ。かなり強力な…。お嬢ちゃん、あんたも飲んじまったんなら早く吐けよ!?」 この手の薬物はどの世界でも共通の特徴を持っているらしい。こういった薬物はほとんど把握しているヨザックには覚えのあるものであった。 「あ、あたしはラムネは食べてないけど…」 わたわたと慌てて手をもみしだいていた羽村だったが、視界の端に逃げ出そうとする城島を捉えると、ぎらりと瞳を光らせた。 「この…最低男!」 飛びかかるかと思われた羽村だったが、彼女は結構頭の回る子であった。城島の脇をすり抜けると全力疾走で警備員を捕まえ、そのまま城島の楽屋に直行して荷物改めを始めたのである。初めは《プライバシーの侵害では》…と、心配げだった中年の警備員も、荷物の中から出てきた、明らかに正規品ではない薬物が詰まったケースを見ると顔色を変えた。 そして警察に事情を通報したところ、ガレージに降りようとしていた城島はそのまま事情徴集と相成った。あのやり口から見て表に出ていない前科もあるだろうし、それ相応の社会的制裁を受けるのは明らかだろう。 すくなくとも、明日のスポーツ紙を賑わすのは間違いないだろう。 尚、この男は後日、《通り魔》に襲われて腕尺関節・手関節・中手指節関節・指節間関節・膝関節・足関節をことごとく外された事件でも、スポーツ紙の紙面を賑わす事になるのだが、それはまた後の話。 |