虹越え3−7−1 「具合の方はどうだ?」 「良好よん。大したことないってのに、坊ちゃんが隅々まで治して下さったしね」 翌朝、ゲストルームの鍵を開けて朝食を運んでやると、ヨザックは有利の治療のためか一晩しっかりと眠ったお陰なのか、かなり顔艶も良くなっていた。 「わざわざ朝食を運んでくれるとはねぇ…」 「何が言いたい?」 「いやぁ…初めての体験で照れちゃってそうな坊ちゃんの為なのか、単に坊ちゃんを独占したいあんたの欲求の為なのか、どっちなのかなー…なんてね」 「…お前、平気なのか?」 ベットから身を起こして小さなサイドテーブルに載せられたトーストを口に運んだヨザックは、訝しげな元上司ににやりと人の悪い笑みを返した。 「何が?」 「俺はユーリを抱いた…お前はそれを知った上で何故平気な顔が出来る?俺からユーリを奪いに来たんじゃないのか?」 「奪うなんて人聞きの悪い…坊ちゃんが無理矢理どうにかできるようなタマじゃないことはあんたが一番知ってんだろ?」 ほんの4.5口で大振りなトーストを口に納め、トールタイプのコップになみなみとつがれた牛乳を喉を鳴らして飲み下すと、皿に載せられた目玉焼きとサラダをもう一枚のトーストに乗せ、纏めてぱくりと口に運ぶ。食欲の方はもう全快らしい。 「……何しに来たんだお前?」 「ま、そのうち分かるって」 「…………そうか」 諦めたように頭髪を掻くと、コンラートは空になったコップを手に部屋を出ようとする。 「あれぇ?あんたのことだから、《どんな理由で来たにしろ、ユーリを傷つけるような行為だけは許さない》とか何とか恰好つけていくと思ったのに」 「言っても意味のないことは言わない主義なんでね…お前にユーリを傷つけることなど出来るはずがない」 「へえぇ…信用してくれてんだか、低く見られてんだか…」 「両方だ」 無駄口を叩き落とす勢いで、ゲストルームの扉は閉められた。 最後に言ったもん勝ちの法則を遵守すべく、タイミングを計っていたかの様な間合いであった。 「奪う…ね。」 部屋に残されたヨザックは苦笑しながらサラダを口に運ぶ。異空間で時間の感覚もなくなるほど彷徨ったヨザックだったが、体内時間は殆ど止まっていたのか、食欲の方は普通によく眠った次の朝に感じるものと変わりはなく、酷く飢えているということはなかった。 「そんな真似しなくても、あんたが坊ちゃんの恋人の座に就く限り、坊ちゃんは必ず俺を求めてくるんだよ…」 コンラートと有利の思考回路、行動パターンは読めている。だからこそ、命がけでヨザックはこの地に赴いたのだ。 全ては、有利のために。 「本当にね、まさかこんなに入れ込んじまうとはなぁ…てっ、ぐほっ!」 くっくっと喉奥で笑っていたら、パン屑が喉に絡んで噎せてしまった…。 * * * 香ばしい…トーストの焼ける香りと、こぽこぽというコーヒーメーカーの独特の音…。 鼻をひくつかせて布団の中から伸び出すと、こくりと飲み込んだ唾液によって無意識に食欲をそそられていたことに気付く。 しゃ…とカーテンを引く音と共に目映い光が射し込み、まだ開いていない瞼が薄赤く光を透過する。 「ん…」 うっすらと瞳を開ければ、まだ少し朧な視界のなかに大好きな人の姿があって、その凛とした立ち姿と優しい笑顔にどきんと胸が弾む。 「ユーリ、おはようございます。食事はとれそうですか?」 「うん、そりゃもう!」 こくこく頷いてベットから飛び出そうとするが、昨夜と同じパターンで体奥から響く痛みに思わず眉が跳ねる。瞬間、どうしてそんな場所が痛むのか分からなくて困惑するが、素早く有利の身体を抱き込み…気遣わしげに腰から臀部を撫でつけてくる男の香りを吸い込んだ途端、ぶぁ…と音を立てて昨夜の出来事が脳裏に蘇る。 いつの間にか真新しいシーツに取り替えられてはいるが、間違いなくこのベットで…有利は《初めて》の経験をしたのだ。 熱くて…苦しくて……でも、信じられないくらい感じていたのも事実だった。 『うわぁ……』 有利本人ですら知らない秘部を暴かれ、凝視され…恥ずかしい台詞を言ったり言われたり……フラッシュバックのように蘇る映像と音と感触に、有利は真っ赤になって顔を覆った。恥ずかしすぎて、真っ直ぐコンラートの顔を見ることが出来ない。 「ユーリ?」 有利の心の機微が読み切れないのか、コンラートの声は不安げに揺れて有利の頭髪に絡んだ。 「まだ…痛いですか?すみません、無理をさせてしまって…」 「村田の薬塗って貰ったせいか、昨日ほどは痛くないよ。それに…謝るなって言ったろ?コンラッドこそ大丈夫?」 「俺…ですか?」 意表を突かれてきょとりとした表情を浮かべると、年よりも少し幼く見える。琥珀色の瞳が澄んで聖者の風合いすら漂わせるものだから、欲情に濡れた夜の顔との相違に思わず笑ってしまう。 「ん…だってさ、俺は一杯イかせて貰っちゃったれけど…コンラッド、一回しかイってないだろ?」 「大丈夫ですよ。俺は自律機能もある程度コントロールできるように訓練していますから」 「え…なんで?」 バイオフィードバック法といって、自己暗示の形で自律神経系統の働きを意識的に調節出来るというのはテレビか何かでやっていたのを聞いたことがあるが、何故そんな訓練が必要なのだろう? 「軍人ですからね。生理的衝動にあんまり弱いと行軍中に困るでしょう?色々」 「…確かに。作戦決行中に腹が減ったって騒いだり、美女の誘惑に簡単に負けて味方の情報ペラペラ喋ったりしたら大ごとだよなぁ…」 「でしょう?だから、ユーリが気に病むことはありませんよ」 「凄いなぁ…性欲までコントロールできるのかぁ…俺も訓練しといた方が良いかな?敵に捕まって、イく直前で焦らされて眞魔国の機密とか喋ったりしたらまずいよな?」 「…ユーリ……」 不安げに口元を手で覆って俯いていたら、妙に切迫した表情でコンラートが肩を掴んだ。 その力が、必要以上に強いと感じた。 「コンラッド…?い、痛いよ…」 「ユーリ…仮定でもそんな話をしないで下さい…あなたが敵の手に落ちて辱めを受けるなど…そんな事態に陥ったら、俺は敵を殲滅したあと命を絶ちますよ?」 「な…何言ってんだよっ!?」 「俺に死んで欲しくなかったら、決してそのような事態を迎えないで下さいよ?今度はあの馬鹿イヌのように見逃すつもりはありませんから」 「あれ…見逃した内にはいんのかな…」 確か肺を剣で抉られた上に肋骨を何本か折られていたような…。 「命は長らえたでしょう?」 「はい…そうデスね……」 この男の本気を文字通り痛いほど噛みしめて、有利はこくこくと頷いた。 * * * お日様の光に透かした蜂蜜のような…綺麗な琥珀色の瞳。 見つめられると何時だってどきどきと胸が高鳴る…。 『いい加減慣れろって感じだよな…』 そう自分で自分に突っ込みを入れながら、渋谷有利は淡く上気した頬を持て余した。 この反応にしても、自分の思いに気付いてまだ告白していない時分なら兎も角…両思いであることを相互確認の上、家族認定も取り付けてめでたく結婚を前提とした同棲生活まで展開しておいて、今更目があっただけでコレはどうよと自分でも思う。 思うのだが…。 蕩けるような笑顔でみつめられたりすると…どうしてもこうなってしまうのだ。 意識せずにぱくぱくと軽快なペースで朝食をかっこみ、2枚目のトーストのさくさくいう食感に思わず満面の笑みを浮かべている最中に…ふと目が合ったら、恋人はそんな顔で自分を見つめていたのである。 よりによって、これでもかと言うほど大口を開けてトーストにかぶりついている時に…。 有利はトーストに唾液が染み出そうになるのを感じながら、そのままの体勢で凝固してしまった。 「どうしました?」 「こ…コンラッドこそ」 「…?俺はどうもしませんよ?」 本気で心当たりがないのか、コンラートはコーヒーカップから立ち上る湯気に顎を燻らせながら小首を傾げた。 白いコットンシャツに、グレーのジーンズというラフな出で立ちで寛いでいる彼は。窓からの陽光に照らされ、眩しいくらい輝いて…頭髪などは金に近い色合いを呈している。張りのある白い肌に微かに生える産毛もまた、きらきらと透けて輝き…端正で優しげな顔立ちとも相まって、神々しいばかりのオーラを纏っている。 そんな人が心から幸せそうな笑顔を浮かべて、《愛おしいです》と瞳に銘記して見つめてくるのだから達が悪い。 「コンラッドにそんなじっと見つめられると、落ち着いてご飯食べられないんだけど…」 「そうですか?」 心外だと言いたげにコーヒーを啜るコンラートに、有利はこの機会に是非この居心地の悪さ(?)というものを実感して貰おうと腹を据える。 急いでさくさくとトーストを食べきってしまうと(お行儀悪くバターの付いた指を舌で舐めてから)、コンラートの前にサラダボウルを押しつけた。 「今から俺がじーっとコンラッドのこと見つめるから、どんなに食べにくいか体感してみてよ」 「はぁ…」 気の抜けた返事を寄越すコンラートはフォークでサラダボウルの中身を弄り、数枚のバジルとカットしたトマトを口に運ぶ。 有利はテーブルに両肘を突いて手根で顎を支え、やや頚を傾げた状態でじぃっとコンラートの様子を観察した。 『やっぱ睫毛長い…日に透けてキラキラしてらぁ…』 彫りが深く、切れ長の瞳の形状であることから気付き難いが、コンラッドの睫毛は意外と濃く長い。そういうところは如何にも《王子様》という感じである。 食べる仕草も作法でぎちぎちに固められている風ではないのだが、何処か品があって所作が優雅に感じられる。それに、動きに無駄が無くとてもしなやかだ。 長い指は節くれ立って歴戦の傷痕が消えずに残っているというのに、銀のフォークを掴むその形がとても綺麗で…あの指が昨夜は有利の身体中を弄り回したのかと思うと、ついつい眼差しがとろりとしてしまう。 形よい薄めの唇が開いて鮮やかな緑と赤の野菜を取り込むと、ドレッシングが少しだけ口元に跳ねた。その薄茶の液体を左手の指節でつぃ…と拭うその仕草が、反射的に細められた瞳が…妙に色っぽいような気さえする。 『あー、色気かぁ。そうだよな。コンラッドって妙に色っぽいときあるもんな』 勿論女性っぽく見えるというわけではないが、大人の男の色気とでも言うのか…何気ない仕草の中に野生の獣のような趣を感じる。この辺りは放浪癖があったという自由な父親…ダンヒーリー・ウェラーの影響があるのかもしれない。 『唇…少しドレッシングで光ってる…』 艶を帯びた唇を、紅い舌がぺろりと舐めていく様にまたもや動悸が早まってしまう。 『あの唇が…舌が……俺のと一杯絡んだんだよな……』 息までも奪うような激しい唇付け…甘く、熱い舌に口腔内を縦横に弄ばれ、それだけで絶頂を迎えてしまった。しかし、確かに経験不足は認めるが…相手がコンラートでなければあそこまで反応してしまうことはないだろう。 大好きで…たまらなく大好きで…大切な人。 もう会えないと絶望していた間、気も狂わんばかりに切望していた存在が自分にとって特別な意味で《好き》なのだと気付いてから…身体が触れ合うだけで貫くような歓喜が襲うようになった。 『好き……大好き』 もっともっと触れあいたい…キスをして、抱き合って…溶け合うほど愛し合いたいが、指先を搦めてそっと見つめ合うだけでも同じくらい興奮するかもしれない。それほどに気持ちがコンラートという存在に反応してしまうのだ。 熱の籠もった眼差しでじぃっと見つめている内、コンラートが観念したように溜息をもらすと片手で額を覆ってしまった。 よく見れば、微かに頬が上気している。 「……参りました。確かに、食べにくいものですね……」 「だろ?」 やっと分かってくれたかとにんまり笑っていたら、後頭部に掌を回されて引き寄せられ…ドレッシングの後味が残る唇でキスをされた。 「ん…」 そろりと入り込んできた舌をおずおずと受け止めて、不器用ながら搦めていけば…テーブルの縁に沿って身体がふわりと浮き上がり、勢いよく全身を抱き込まれてしまった。 「え…ちょ……っ!」 「予想外でした…食事時の見つめ合いがこんなにも危険なものだとは思いもよらなかった…どうやら俺は、あなたを食べてしまわないことには収まりがつかないようです」 「え?食べるって、食べるって…食べちゃうの?え?」 少し硬質で…その分しゃらしゃらとした質感の黒髪を撫でつけるように見せかけて、その実逃げられないように左掌で有利の頭部を拘束すると、右手がするりとパジャマの裾野から侵入を試みてくる。 「ちょ…コンラッド……ま、待って!」 「すみません…ちょっと止められそうにありません」 申し訳なさそうに眉根を寄せながらも、陽光を受けた蜂蜜色の瞳は甘やかな欲を湛えて有利に絡みつく。 『俺…薬塗って貰ってだいぶ良いんだけど…あ、アソコまだ痛いんだけど……』 正直…猛ったコンラートを受け止める自信がない。けれど、それを思ったまま口に出せないのには理由があった。 『昨日も…俺の身体を気遣ってくれて、コンラッド一回しかイってないんだよな……』 同じ男として、イきたいのにイけない…それも、悦楽を感じてベットの上でしどけなく横たわる恋人を目の前にして我慢出来る男が、一体この世界にどれほど居るというのだろう?そうまでしてコンラートが耐えてくれたというのに、どうやら有利は地雷を踏んづけてしまったらしい…。 『アレってもしかして…俗に言う《誘う》っていう行為に分類されんのかな…?』 もしかしなくてもそうだ。 恋人の食事風景を凝視しながら、濃厚な夜のことを思い出していたのだから…隠すことの苦手な有利の瞳には、さぞかし正直な情欲の色が浮かんでいたことだろう。 これで手出しをしてこなければ、男としての矜持が疑われる所だ。 『どうしよう、どうしよう……』 焦って困惑している間にも長く器用な指が胸の膨らみをまさぐり、蕾の付け根を二指で捏ね上げるようにして摘まれると、乳腺が刺激されて《きゅうん》という感じの、痛みを伴う甘い刺激が蜜壺にまで到達する。 とろりとした液体が溢れて下着を濡らすが…同時に内腔が蠢くことでひりつく粘膜が刺激され、表現しがたい痛みが疾る。 びくりと背筋を震わせれば、宥めるように撫でつける手が腰を抱え…ひょいっと小さな子供でも抱えるみたいに、容易く有利の肢体をソファの上に移動させる。撥水性の布地を直肌に感じることで、いつの間にかパジャマが鎖骨の下まで押し上げられ、二つの白桃のような膨らみが露わになっていることに気付いた。その眩しいほどの象牙色の肌に所々浮かぶ鬱血の痕が色褪せた花弁のようで…激しい情交の名残を匂わせた。 コンラートはうっとりと目を細めると、己の刻んだ所有の証を再び確認するように…肋骨弓の下際に唇を寄せていく。 「んぅ…っ」 暖かい口内で歯を立てられ、きゅうっと吸引されればますます有利の蜜壺は反応を示し、恥ずかしいくらいの愛液を滴らせていく。このままではイカンと焦る頭が導き出した苦肉の策は…コンラートの瞳を一瞬にして点目にしてしまった。 「こ…コンラッド!俺にフェラチオやらせて!!」 「…………………は?」 思わず顔を強ばらせて硬直すると、有利の意図を計りかねるようにコンラートは身を離した。 「フェラチオの意味…ご存じですか?」 「知ってるよ!バッチ来いだよっ!チンコを嘗めてイかせる手法だよね?コンラッドの知ってるやり手のお姉サンに比べりゃ下手かもしんないけど、頑張るから!」 握り拳を突き上げ、瞳を輝かせて言うようなことではない。 「いえ…俺はそういうことを女性にやらせたことはないので…」 「え?マジで!?フェラチオって大人世界じゃメジャーじゃないの!?エロ漫画とかAVだと定番みたいだけど…」 「ロドリゲスに擦り込まれた情報では確かにそうでしたね。でも、少なくとも眞魔国では春をひさぐことを生業(なりわい)としている女性以外は、あまりオーラルセックスは行いませんよ」 「でも、コンラッドって情報収集とか大人の事情とかでその手の女の人とも関係があったってヨザックが言ってたよ?そん時はして貰わなかったの?」 「そうですね…俺はああいう場所を舐められるのに抵抗があるもので…やって貰ったことはないですね」 苦笑を通り越して困惑に近い表情でコンラートは言うが、有利としてもそう納得するわけにはいかなかった。 「でもさぁ…あんたは俺のアソコ見たり舐めたりしてたじゃん。俺があんたのをしゃっぶったって一緒じゃない?」 「……どうして急に俺のものを銜(くわ)えたくなったんですか?」 有利の性格から考えて、そんなフェチズムに近い嗜好を持たないとは言わないが…持ってしまった場合、羞恥のせいでなかなか口に出来ない筈である。 「何となくだよ、何となく!」 「……目が泳いでますよ?」 ひよひよ…と、右やら左やらに視線が落ち着かず、有利は真っ直ぐコンラートの目を見ることが出来なかった。まさかこんなに問いつめられるとは思っても見なかった。昨夜の《声を殺すのに慣れてる》発言への食いつきといい、コンラートの地雷はよく分からないところに設置されている感がある。 「何か隠していませんか?」 「隠してなんか……」 「ないって…俺の目を見て言える?」 「う……」 声に反応して伏せていた目を上げれば、情欲の色を払拭した爽やかな顔があって…思わず疚しさにぎゅっと目を閉じてしまう。 「…見られない?」 「………ゴメン。正直に言いマス………」 観念して呟くと、コンラートはくすりと苦笑しながら有利のパジャマを整え、隣り合わせになるようにソファへと腰を沈めた。 「あの…俺、まだアソコが痛いんだ……ちょっと汚い話なんだけど…おしっことか沁みるんだよ…俺の治癒の力って自分に対しては上手く使えないしさ…だから、治るまではアソコに突っ込まないで欲しかったんだけど…でも、昨日からずっとコンラッド我慢してくれてるだろ?だから凄く申し訳なくて……せめてフェラチオだけでも出来ないかなって……ぅ、呆れた?」 左手で額を覆って伏せてしまったコンラートに、有利は気まずそうに身を縮込ませた。 「…自分に呆れました……吃驚した…俺はよほど余裕を無くしていたんですね。あなたにそんな風に気を使わせていたなんて……」 「気を使うっていうか…最初は単にアソコが痛いから弄んないで欲しかっただけだったんだけど、考えてもみたら俺ばっか気持ち良くして貰って、あんたには何もしてあげられないのって…何かこう…不平等条約定款…みたいな感じで嫌なんだよ。なぁ…俺があんたの感じやすいところにキスしたり、フェラチオしたりするのは駄目なの?」 「……駄目……と、いうわけではないんですが…どちらかというと俺は尽くすタイプなので、あなたに奉仕する方が好きですね」 「奉仕って…ボランティア活動かよ!助け合い運動なら俺だって参加してーよ。一方的にして貰うのって、やっぱりなんかヤダ!」 「…うーん……取り敢えずその話はまた夜になってからしませんか?まだ食べ足りないでしょう?」 「…うん」 明らかに誤魔化されている気がするが敢えて有利は反論せず、それからは黙々と朝食の残りを平らげた。 * * * その後、有利はパステルブルーのシャツとジーパンに着替え、居間に敷かれた毛足の長いラグに寝そべってクッションを胸当てにすると、お気に入りの野球雑誌を読み耽った。コンラートはと言うとこちらもラグの上に腰を下ろし、ローテーブルの上に新聞を広げて活字を追っている。 時折コンラートの伸ばした手が髪を撫でつけてくるのに目を細めつつ、有利はある推測を立て…そして、その裏付けを行うべく行動してみた。 ぴょこんっと弾むようにして身を起こすと、不思議そうに目を見開いているコンラートに両腕を伸ばし、きゅうっと抱きしめてみる。有利の頭部はやや伏せられた状態でコンラートの胸板に押し当てられ、両腕は側腹部を経由して腰辺りで組まれる。 …特に抵抗はない。 「…どうしました?」 「ん…何か急にこうしたくなった」 訝しげに尋ねてくるので甘えたように答えながらすりすりと鼻面を擦り付けると、有利の背にも手が回されて優しく撫でつけられる。 そこで第2段階として有利は伸び上がると、白いコットンシャツの襟足から覗くしなやかな首筋に唇を寄せてみる。 すると…コンラートの手が、有利の髪を撫でつけるように沿わされてきて…そして緩やかにではあったが、自分の首筋から有利を遠ざけた。 『……やっぱり…』 有利は瞳を過ぎる哀しみの色を瞼で閉じこめてしまうと、何も気付かなかったようにコンラートのシャツに擦りついた。 そして暫く無言のままそうしていたが…まるで満足しきった子猫のような表情を浮かべて身を離した。 「コンラッド、珈琲飲む?俺、煎れよっか?」 「ええ、お願いします」 ととっと軽やかな動作で居間と一続きになっているキッチンに向かうと、珈琲好きのコンラートのためにドリップで珈琲豆を挽き始める。 芳しい香りが辺りに満ちて、かろり…かろり…という乾いた音と崩れていく豆の感触が手に伝わってくる。その単純な動作を繰り返しながら、有利は今し方確認した事柄について思索した。 コンラートは、ある一線を境に触れられることを拒絶している。 相手が…有利であっても。 『どうして?』 哀しい…。 …寂しい。 コンラートが自分を警戒しているなんて、今まで気付かなかった。 でも…考えてもみれば、今までだって思い当たる節がないわけではない。 『そう言えば俺…あいつの眠ってる所って見たことない…』 頼めば何時だって快く同衾してくれるが、一度たりと彼が眠っているところを見たことがない。幾ら有利よりも年寄り(…)で、睡眠時間が短めなのだとしても、夜中にふぅっと目が覚めたときでも、常に意識があるなどということがあるだろうか? 『偶然、俺も目が冴えてしまったところです』 そう言って何時だって微笑んでいたから…気付かなかった。 彼は、有利と居るときに緊張を解いたことなど無かったのではないだろうか。 《護衛だから、常に油断なく辺りを伺っている》と考えれば睡眠についてはある程度納得できないこともない…だが、それでは今し方の反応をどう解釈すればいいのか。 触れること自体を拒絶されているわけではないが、主導権を彼が握っている状況でしかそれは許容されていないのではないか? そしてそれは…有利以外の者と居るときでもそうなのだろうか? 『コンラッドは誰にでも優しいけど、その分…誰にも同じくらいにしか自分の懐を見せてないような気がする』 親兄弟や有利に対してさえも、本当の心の深淵にまでは踏み込ませたくないと思っているのだろうか。 |