虹越え3−4−3 「うわぁぁぁぁぁぁっっ!お前…今、嫌な漢字変換をしただろ!?」 「嫌だなぁ、お前なんて他人行儀な…これからは兄弟じゃないですか」 仰け反って青ざめる勝利に、コンラートは笑顔で追い打ちを掛けた。 「み、認めるもんかっ!お前なんか何処まで行ったって護衛止まりだっ!」 勝利ほど我を忘れているわけではないが、勝馬の方も懸念を込めてしみじみと次男に語りかける。 「有利……お前、本当にコンラッドのこと、そういう意味で好きになれるのか?だってお前…いつもみたいに抱きしめたり撫で撫でされるだけじゃなくて…もっとこう…生々しいこともやんなくちゃなんないんだぞ?」 「……実は、それは正直怖いし…恥ずかしい………でも、嫌じゃ………ない……と、思う。コンラッド以外だったら死んでも御免だけど…コンラッドだったら………」 「……………………………」 首筋まで朱に染めて、おそらく勇気を振り絞っているのだろう息子(?)の姿に、勝馬はぼりぼりと髪を毟らんばかりの勢いで掻き回した。 「はぁー………娘が生まれなかったのは残念だったけど、嫁に出す苦しみは味合わなくて済むと思ったのになぁ……。まさか息子を嫁に出す日が来ようとは……。長男は3次元の女の子にはとんと興味がないって言うし……こりゃ、えらいことになったねヨメさん」 「あらぁ、いいじゃない?だって、コンラッドさんみたいな素敵な息子が増えるなら、あたしは大歓迎よ?」 「そう……」 瞳を輝かせていう美子の感覚が、勝馬にはさっぱり分からない。だが、元々の気質からして、世間体だのには特に拘りのない勝馬にとって、息子自身が望んでおり、相手も(癖はあるものの)悪い男ではないと知っている事もあり、長く反対し続けることは出来なかった。 「あのなぁ…有利、日本じゃ男同士は結婚できないのは知ってるよな?正式な手続きにはなんなくても、俺が認めるだけでも良いのか?」 「うん…うん!そりゃそうだよ!俺、家族に認めてさえ貰えれば、籍がどうとかややこしいことまで望んでないよっ!」 「そっかぁ…じゃあ、オメデトウとまでは言ってあげられないけど、とにかく…幸せになるんだぞ?」 「親父!…認めてくれるの!?」 「しょうがなしに…ね。そのかわり、高校卒業までに元の身体に戻れたら、またこの家に帰って来るんだぞ?高校生までは親子は一緒に生活ってのが我が家の方針だからな。卒業したらその後は…まぁ、進路が魔王業なわけだし、無理して大学行くこともないだろうから…コンラッドと本格的に暮らせばいいさ。おいおい、眞魔国での生活がベースになって行くんだろうしな」 「…親父ぃっ!」 感極まった有利は大きな瞳に涙を浮かべると、勢いよく勝馬の胸に飛び込んでいった。 ぽよんとした胸の弾力と、背に回される細くしなやかな腕の感触に…ついつい目元が脂下がってしまうのは父親とは言え仕方のない反応だろう。 「おーい…コンラッド……苦汁を飲んで認めてやろうって男に向ける目つきじゃないだろ?お前、何時からそんなに心が狭くなったんだ?」 流石に深刻な目つきでこそないものの、明らかに不機嫌そうに寄せられた眉根に勝馬は苦笑する。どうやら、この男はこちらの予想よりも遙かに有利に惚れ込んでいるらしい。彼らしくもない妬心を露わにするくらいには…。 さて、収まらないのは勝利である。 世帯主が認めたことですっかり団欒ムードに雪崩れ込もうとするその場の雰囲気を見るや、ダンッと机を叩くと無言で席を立ってしまった。 「俺は…認めんっ!」 一言、そう捨て台詞を残して…。 * * * 『しょーちゃあーん!』 普段は居間のローテーブルに掛けているテーブルクロス…美子の気合いのこもった手入れで純白の輝きを維持しているそのレースは、天気の良い日に洗濯して庭に干すと、青空から降り注ぐ光によって優しい色合いを帯び、風を受けるとそれは綺麗にひらりひらりとはためくのだった。 渋谷勝利の弟は小さい頃、お馬鹿チンだった。 いや、馬鹿というわけではなかったのかもしれないが、美子の服飾趣味のせいで何かと勘違いしていたのかもしれない。実際、少女と見まごうほど愛らしかった有利はひらひらとした装飾過多のドレスを着せられても何ら違和感がなかったし、周囲の人々も褒めてくれたから、そういうものだと認識していたのかもしれない。 『あのねぇ、ゆーちゃんね、おおきくなったら…しょーちゃんのおよめさんになるのぉ!』 乾いた真っ白なレースをふわりと羽織り、愛らしく微笑む姿はまさに天使で…。 5歳にして世の仕組みを知りつつある勝利は心の中で《兄弟なんだから、そんなの出来ないのに…》と、幼い弟のお馬鹿発言に苦笑を浮かべつつ…それでも、お嫁さんになりたいくらい慕ってくれる弟に、切ないほどの愛情を感じている自分に気付いてもいた。 可愛い…誰よりも愛しい弟……。 何時か自分の手を放れ、お嫁さんを貰うであろう弟…。 そんな日が何時までも来なければいいのにと非現実的なことを祈ってしまうくらい、弟に関する時だけ勝利の冷淡な現実観察は甘く蕩けてしまうのだった。 『それが何だお前…嫁のモノになるだけでも腹立つのに、嫁に行くって何だよこの野郎…』 自室に籠もってギャルゲーに逃避しようとするがミスタッチを連発し、狙った子の好感度を下げてはフラグを潰してしまうのの繰り返しで…。 結局、家族を避けて風呂に入ると、勝利としては早い時間に布団に入ってしまった。 そして、睡眠と覚醒の間のとろとろとした意識状態の中…馴染みある声に呼ばれたのだった。 『起きろよ、勝利ぃ…勝利ってば……!』 ちょっとだけ鼻に掛かったような…幼さの残る少年の声。今日は少し、音域が高いような気がするが、独特の喋り口調は何時も通りだ。 拗ねたような、でも甘えを含むその声に、もっと他の呼び方をされたいものだと常に主張しているのだが、弟はなかなか切なる希望叶えてくれる気はないらしい。意地でも起きるものかと硬く目を瞑っていたら、息が掛かるほど耳元で、照れたような…掠れを帯びた声が響いてきた。 「お兄…ちゃん。起きてよ…お願い」 がばっと勢いよく身を起こすと、薄闇の中…目をぱちくりと見開いた弟がベットサイドにしゃがみ込んでいた。 「も…もう一回呼んでみなさい、有利!」 「こ…この馬鹿兄貴!めちゃめちゃ起きてたんじゃねぇかよっ!」 「お前が可愛く呼んでくれたからだ。そうでなければこの俺が、早々簡単に目覚めるはずが無かろう?」 「全く自慢にならねぇよ…」 《ぷぃ》っと唇を突き出して溜息をつく姿が何時にも増して愛らしい…カーテンを閉め忘れた窓から微かに月光が差し込み、柔らかな光を纏う有利はすべやかな頬が白く照り映え…細い肢体はだぶつくパジャマの上からでもその華奢なフォルムを明らかにしている。 夢ではなく…弟は、女の子の身体になっているのだ。 「有利…本気であの護衛の嫁になるのか?」 「嫁って言うな!」 「じゃあ、あいつを嫁に貰うのか?」 「ま、そこは深く考えなるなよ…精神衛生上良くないから。でもさ、形式がどうとかこうとかはともかくとして…俺、あいつと何時までも一緒に…誰よりも身近にいたいってのは本当なんだ」 「一緒にいたいだけなら以前のままだって構わないじゃないか。死ぬほどべったり引っ付いてたんだから」 我ながら意地悪な指摘だと自覚はしているのだが、以前の《保護者兼親友》というポジションから劇的に何を変えるつもりなのか、有利自身が自覚しているのかどうか確かめたいという衝動に駆られる。 「…何が変わったんだ?お前の中で」 「………」 有利は頬を紅潮させて俯いていたが、唇を震わせながらも言葉を紡いできた。 「俺は、あいつのこと…コンラッドのこと、今までと変わらずに頼ったり慕ったりもしてるんだけど、それだけじゃなくて、よ…欲情してんだと思う」 《欲情》…予想外に明確な言葉に、がつんと側頭部に衝撃を感じる。漠然とした思慕の延長ではなく、性的な意味であのデカイ男を欲しているというのか?この華奢な弟が? 「欲情ってお前…本当に意味分かって言ってんだろうな?射精だってまだだって言ってたじゃねぇか!」 「し…したもんっ!コンラッドにキスされて…い、イっちゃったもんっ!!」 爆弾発言がB29の絨毯爆撃よりも強烈に脳細胞を破壊する。 「きききききキスでぇっ!?」 この場合、キス程度でイってしまう有利の純朴さに驚くべきなのか、キスでイかせる程のコンラートの技量に驚くべきなのか、評価基準がよく分からない。 「コンラッドに身体触られると凄くドキドキするけど…でも、気持ちよすぎるくらい気持ち良いしっ!い、今の身体でも濡れるもんっ!」 「濡れ…っ!」 濡れる…何が濡れるというのか。 …濡れ甘納豆とか、…濡れピーナッツのことで無いことは確かだ。 今の身体で有利が濡れる場所と言えば、アソコしかないではないか。 「…っ!」 リアルに考えると、居たたまれないような心地になる。 あんなに無垢だった弟は、既にコンラッド・ウェラーの毒牙に掛かっていたらしい…。 「……で、お前は俺に何がしたいんだ?眠っている兄を起こしてまで自分がイったり濡れたりすることを報告したいのか?ええ?」 「違っ…!」 涙目になってふるふると首を振る姿にちくちくと良心を刺激されるが、止めることが出来ない。半分眠っていたせいで脳が起ききっていないのと、この不機嫌の相乗効果で言葉の刺は更に鋭さを増していく。 「もう…好きにしろよ」 「…勝利?」 突き放すような声が、有利の問いかけを無造作に振り払う。 「とっととあの護衛の家に行って、48手でも何でもザーメンまみれになって喘いで楽しんでこいよ。男に戻った途端捨てられても、俺は関知しないからな」 泣くと、思った。 涙腺の人一倍緩い、甘ったれな弟のことだから…これだけ酷いことを言えば泣いて詰ってこの部屋を飛び出していくだろうと、そう思っていたのに…。 有利は静謐かな表情で… ただ、哀しそうに… とてもとても哀しそうに、勝利を見つめるのだった。 その眼差しは…深く傷つけられて泣くこともできなかった春頃のそれと相似していて… 息が、止まるかと思った。 胸が締め付けられて…頭部の血液が一気に引いて…こめかみがギィンっと突っ張るように激しく痛む。 弟は、何にそんなに傷ついたのか。 自分は…それほどに弟を傷つけてまで…何がしたいのか。 後悔と慚愧が綯い交ぜになった感情が、黒い荊のように思考に絡みつき…無意識の内に胸を掻きむしっていた。 「御免…な。俺みたいな弟…恥ずかしい……よね?」 「ゆー…」 震える声音が…夜気に拡散していく。 「男に欲情して…抱かれて……そういうのが好きな弟なんか、嫌だよな。親父とかお袋みたいにサクっと了承できる方が…変だよね。俺だって、勝利が急に俺みたいなコト言い出したら、同じように感じるって…思うもん」 こんな風に…自己否定させたいわけではないのに…。 「でも…でもね……俺のこと…馬鹿だって思っていい。実際、思ってんだろうし…呆れたりもしてると思うけど…でも」 俯いた弟の首筋は、月明かりの中で青白く浮き上がり…《哀切》という言葉を刻まれたように項垂れていたが、つと…意を決したように真っ直ぐ勝利に向けられると、懸命に伝えようとする想いを乗せて、言葉が紡がれていく。 「俺のこと、嫌いになんないで…。兄弟の縁を切るとか、言わないでっ!」 「……」 哀しみの原因は…酷い言葉で傷つけられたからというだけではなかったのだ。 兄に…勝利に嫌悪されることを、そこまで厭うていたのだ。 「コンラッドのコトも勿論大事だけど…でも、俺は欲張りだからっ!兄弟だって親だって手放したくないんだよっ!すぐに分かってくれとは言わないけど……お願いだから、慣れてよ…弟がヘンタイでもさ……」 「止せ…もう、いいから……」 勝利は…自分で言った言葉に自分で傷ついている弟を、そのまま放置できるほどには冷酷に育っていなかったらしい。右手を伸ばして弟の口元を塞ぐと、暫しの躊躇の後に…ゆっくりと頭を垂れた。 「…すまなかった……。お前を、そんな風に傷つけたいわけじゃなかったんだ…だから、自分のことをヘンタイなんて言うな…その気持ちは、お前の中では…大事なモノなんだろう?」 有利は口元を兄に押さえ付けられたまま…こくりと頷いた。 途端に…ころりと涙が眦から零れていく。 「俺は…拗ねていたんだ。情けないことにな…お前が大事だから…。…大事すぎて、あの護衛に…コンラッドの奴に連れ去られていくのが腹立たしくて、憎ったらしくてならないだけなんだ。だから…俺は、今も昔も…お前のことを嫌ったりしたコトは一瞬たりとないんだよ…」 ころり… ほろり…… 月明かりを受けて仄かに光る涙の粒が、綺麗な玉になって零れていく。 やっぱり…有利は泣き虫な方が良い。 泣けるということは、泣ける場所が…泣ける相手がいるということなのだから。 「月並みな言い方になるが…幸せになれ。あいつが気に入らなくなったら直ぐに言え、どんな手を使ってでも、取り返しに行ってやるから…」 「コンラッドを気に入らなくなることなんてこと…ないよ」 「馬鹿…結婚する奴は最初はみんなそう言うんだぞ?」 「最後まで言い続ける人だっているだろ?俺達は絶対そうなるもん。そうなれるように…頑張るもん……」 「ま…そうならないよりは、なった方が良いに決まってるわな…俺もちょっとは祈っといてやるよ。小さじ一杯分くらいはな」 「ん…」 涙を浮かべたままにこりと微笑む弟を、少し強引に掴んで布団に引き入れた。 「うわ!…勝利っ!」 「久しぶりに一緒に寝ろよ…どうせ、コレが一生で最後のことだ」 「勝利…」 「明日から、この権利は全部あの男が持っていっちまうんだ…今夜くらい、お兄ちゃんと一緒にねんねしなさい!」 「しょうがねぇなぁ……」 くすくす笑いながら有利は力を抜くと…先程までの緊張が急に解けたせいか、ものの数分もしないうちに健やかな寝息を立て始めた。 『無邪気なもんだな…』 すっぽりと腕の中に収まってしまうこの小さな身体で…明日からはあの大柄な男に組み敷かれるのかと思うと、未だに胸が焦げ付くように痛むけれど…。 今はただ祈ろう。 弟が1分でも1秒でも長く…幸福な時間を過ごせるように。 * * * 「おい、弟の護衛」 「なにか?」 翌朝、まだベットで眠り続ける有利をそっと布団の中に残し、勝利はコンラートに意を決して話しかけた。 ゲストルームで眠ったというコンラートは朝6時だというのに微睡みの欠片すら纏わず、すっきりと覚醒しきった顔に爽やかな笑顔を浮かべていた。居間のソファに腰掛ける姿勢も背筋の伸びた端然としたもので、熱いコーヒーを満たしたマグカップを手にする仕草も腹立たしいくらい男前である。 むかついてつい罵倒したくなるのをギリギリのところで堪えると、勝利は目を逸らし気味に宣言した。 「一応…お前を有利の連れ合いとして認めてやる…だが、有利が少しでもお前に不満を感じるようなことがあれば即刻連れ戻すから、そのつもりで居ろよ!?」 「ショーリ…俺達のことを、認めてくれるのかい?」 「仕方ないだろう…有利が、そう望むならな……」 如何にも渋々といった表情で吐き捨てるように告げる勝利とは対照的に、コンラートは心底嬉しそうに破顔した。 「良かった…」 「ふんっ!腹黒なお前のことだ。俺が賛同しようがすまいが本来は気にもかからんのだろうがな!」 「そんなことはない…君が認めてくれるのがどんなに嬉しいか分かるだろうか?…我慢した甲斐があったよ」 語尾に…何か不穏な口調を孕む一文が紛れていたような気がして、勝利はぴくりと眉端をあげた。 「……我慢?」 「ああ…昨夜、あやうく君を斬りそうになったんだが…ぎりぎりで思いとどまって良かったよ」 「き…斬り!?」 武闘派一筋百年越えの軍人が…爽やか笑顔の背後に蠢く瘴気を背負っている。 …大気汚染反対……。 「涙も出ない程ユーリを傷つけた時には本当に危なかった…幾らなんでもユーリの目の前で兄を惨殺なんて…ユーリが立ち直れないほど傷ついてしまうだろうからね」 有利の目の前でなければ惨殺はしても良いのか!? がくがくぶるぶると震える勝利の肩に…妙に余韻を持たせた手つきで、ぽん…とコンラートの左手が置かれる。 「俺に、ユーリを傷つけさせるような真似をさせないでくれて…嬉しいよ」 毒と艶を同時に含む危険な笑みが、口元を滑るように閃いていく。 勝利は…弟の結婚を認めたことを早くも(激しく)後悔し始めていた |