虹越え3−3−2







「コンラッドっっっ!!」

 迸る悲鳴が大気を裂くが、その声をコンラートは聞き続けることが出来なかった。

 剣を失ったコンラートは有利の身をその長身でくるむようにして庇い…その背に、大腿に、首筋に…無数の氷柱を受けた。

 氷柱が貫いた場所から血が流れることはなかったが、その代わり…ビキビキと耳障りな音を立てて氷の膜が広がっていき、コンラートの身体から生命の温もりと意識とを奪っていく。 

 コンラートの長い睫毛の先…薄めの唇…そして銀の虹彩を散らした琥珀色の瞳が…有利を見つめ、何かを語りかけようとするように薄く開かれたまま…

 氷結した……。

「コンラッド…?」

 自分が見ているものが、信じられない。

 先程まで温もりに満ちていたその身体が冷たく強ばり…不用意に触れればそこから割れてしまいそうな硬度を呈している…。

「厭だ……コンラッド……イヤ……いやだぁぁぁっ!」

 抱き竦められたまま…有利が叫ぶが拘束は外れない。

 まるで血の気を持たぬ氷像と化そうとも、その肉体の全てで有利を護ろうとするように…腕から力が抜けることはなかった。

「ほぅ…その生意気な剣士でも適わなんだか…その剣、なかなかの妖力持ちのようじゃ」

 唐突に艶のある声が響き、煽情的な紅の着物に身を包んだ煌姫が宙に現れる。
 その右腕の先に捕まれた襤褸布のような物体が、有利の絶望を更に深いものに沈めていく。

「上…様………?」

 傍若無人で自尊心の塊のような男…酷薄そうに見えるが、有利には時折り酷く優しい眼差しを向けることがある水蛇が、白装束をどす黒い血に染めてぐったりと襟足を捕まれ、宙に吊られていた。

「どうして…」

 震える唇が浮かべる疑問を、煌姫の高笑いが打ち砕いていく。

「この男…妾に懇願して来おったのじゃ…。童を男の身体に戻してやって欲しいとな。だから妾は、漸く妾のものになる気かと喜色を上げたというに…この男、今は容赦して欲しいなどと申す。そなたに力が付き、自分の代わりに水の高位の妖怪と契約を交わせるようになるまで、童にはこの身が必要なのだとか申してな。全く図々しい…そのような時節まで妾が待てるものか!腹立たしいことこの上ないので、このように打擲してくれたまでよ」

 飽きた玩具でも捨てるように、無造作に雪の上に放り出された水蛇の身体から…赤い血が雪原に沁み広がっていく…。



 どれだけ打ち据えられたのだろう…

 どれだけ灼かれたのだろう……



 この誇り高い妖怪が…かつてバケツ一杯の水を与えたというだけの恩義で、有利のために…こんなに傷だらけになってまで身を尽くしてくれた。

 そして今自分を抱きしめている大切な男は…誰よりも…何よりも愛おしいと気付いたこの男もまた、自分の全てを捧げて有利を護ってくれた。



『俺は…何をやってるんだよ……』



 これだけして貰って…一体、何を返してきたのだろう…
 何を、返していけるのだろう……。

 胸が…熱い。
 煌姫への怒りと…そして、それを上回る大切な存在への愛情と感謝の思いが溢れて眦を紅に染める。

「…なに?」

 有利の身体が起こし始めた異常に最初に気付いたのは煌姫ではなく、傍観者になりかけていた魔剣であった。

 氷雪の気を纏う魔剣にとって最も不得手とする、ある《力》が…有利の体腔内で増大していくのを感じたのである。

 ふつふつと…湧き上がってくるこの力は…



 《火》の…力。



 有利の胸には《見える》者の目をしてみれば明瞭な証として、煌々と燃えさかる紅色の蝶が見えたろう。

「蝶め…何を勝手なことをしておる?」

 毒づいた煌姫が手を翳し、有利の体内から蝶を取り去ろうとするが、その羽根はふるふると震えて煌姫の召還を拒絶する。それどころか、煌姫を取り巻いていた群の中から一羽…また一羽と、花の甘い蜜に誘われるようにして煌姫の周囲から離脱していく。

「なんと…こ、この虫螻の分際で…っ!」

 醜猥に形相を歪ませた煌姫が、今まさに離れようとした蝶の内の一羽をその繊手で無惨にも握り潰してしまった…その瞬間、一斉に蝶の群は有利の元へと殺到していった。

「おのれ…おのれぇぇぇぇっ!」

 煌姫の体腔内から邪焔が立ち上り、火竜の如き勢いで有利に向かって行くが、蝶達は敢然とその前に立ちはだかると、己の身体が焼き尽くされるのも構わず…幾層にも重なって我が身で有利を護ろうとした。

「止めろっ!お前ら、燃えちまうよっっ!」

 有利が涙を流して彼らの死を…犠牲を悼んでくれる。

 そんな扱いをされることは、彼らの生涯初めてのことだった。

 単体では下等な畜生霊に過ぎない彼らだが、それでも有利のその想いに感じ入る《心》というものは持っているらしい。



 はじまりは…有利の胸の蝶が受け取った、素朴な感謝の念であった。



 有利の心に浮かんだ友人への感謝の思いを受け、その心地よさに蝶は衝撃を受けた。

『この童は、煌姫様とは何と違うのだろう…』

 蝶を使役している煌姫は美しいが残忍で、蝶達のことは唯の下僕としか見なしていない。いや、誰に対しても煌姫がこんな暖かな感情を向けたことなど見たこともなかった。

『何と暖かいのだろう…何と心地よいのだろう……』

 そんな想いを自分にも向けて欲しくて、蝶は物理的な熱でもって有利の身体を寒さから護ってみた。すると…やはり、その暖かな想いは真っ直ぐに蝶へと向けられたのだ。こんな…とるに足らないちっぽけな存在に…それも、煌姫の命で有利の性の陰陽を逆転させた存在に…。

 蝶の想いは仲間へと伝播して、今此処に使役者からの離脱を決意したのであった。

『この身が焼き尽くされようとも!』

 文字通り燃え尽き、命の灯を消していく蝶達…。
 その想いを受け取る有利は、力の限り咆吼した。

「おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっ!!」

 《水》に《風》に、そして《火》に…有利の持つ《呼びかける力》が放たれる。

「俺のために、傷つけさせたりしない…っ!死なせたりしないっ!」

 柔らかい燐光がぽぅ…とコンラートを、水蛇を、蝶を包み込み…そして一斉に反転して来た無傷の白狼族が疾風怒濤の勢いで煌姫に向かって殺到した。

 単純に風の力のみならば、煌姫の力には及ばなかったかもしれない。だが、この時絶妙なタイミングで煌姫自身の放った火竜が、風の力に押されたそのままの威力で煌姫の身体に弾き返されてきた。

「ぎゃあああああぁぁぁぁぁっっっっっっっ!!」

 己自身の炎で我が身を焼灼された煌姫は、山河に響き渡る絶叫を残して消し炭と化して四散した。

「倒した…のか?」

 力ある妖怪のこと、あれで絶命したとは思われないのだが…それでも、暫し待っても何の動きもないところから見ると、少なくとも今現在襲いかかってくる力は失ったらしい。

「何と…凄まじい……」

 すっかり忘れられていた魔剣は吹雪で我が身を取り巻くことも忘れて、ぽかんとしたように(表情はないのだが…)宙でふわふわしている。

「蝶…頼むよ?」

 有利がぺこりと頭を下げて蝶の群れを促すと、彼らは喜び勇んで魔剣を取り囲むと、ぱたくたと羽ばたいて周囲の熱を高めて魔剣を苦しめた。

「コンラッド…」

 何羽かの蝶が有利達の周りで羽ばたくと、そこだけ春の日溜まりのような陽気に満ちてきて…コンラートの動きを封じていた薄氷は溶け、その身体には生命の灯が蘇ってきた。



 とくん…とくん……



『生きてる…生きてるんだ……』

 逞しい胸板に筋肉の弾力が戻り、力強く拍動を始めた心臓の鼓動に…涙が溢れてくる。 しかし…まだ意識までは戻らないのか、氷結が溶けると同時に瞼は伏せられ有利の上に重い体躯がのし掛かってくる。

 ばたりと倒れてしまわないように懸命に支えていたのだが、そのまま抱き上げたりすることなど勿論無理で、脱力した身体を雪原の上に横たえるのが精一杯だった。蝶も懸命に羽ばたいてくれるのだが、コンラートは芯から冷え切っているのか、見たところはすっかり氷結を解かれているのに意識が戻らない。

「コンラッド…コンラッド……」

 ぱたぱたと零れる涙がまだ冷たいコンラートの頬に落ちかかり、首筋に向かって滴っていく。愛おしげに何度も呼びかけるが未だ覚醒には至らず、その瞼は閉じられたままで…。 有利は…堪らなくなった。

「蝶…お願いだよ……コンラッドを…助けて……」

 胸の蝶は答えるようにぱたぱたと羽ばたくと…すすす…っと頚部に…口元にせり上がってきて…最終的には有利の舌に留まった。

「………………えぇと……」

 もしかしてもしかすると、コレは…

 キスとか…そういう…甘ったるい行為でどうにかしろと誘導しているのだろうか?

「えぇいっ!いいや、何でもっ!」

 もうヤケクソとばかりに勢いをつけると有利はコンラートの頬を両手で包み込み、震える唇をそうっと相手のそれへと触れさせた。

『ぅわ…』

 心臓が堪らなく拍動を速め、触れた場所からじんじんと甘い痺れが広がっていく。頬に上がる熱は蝶ではなく、多分自分自身が発しているものであろう。

『冷たくて…でも、意外と弾力があって…』

 《触れている》という感覚がリアルに伝わってくる。

 何度か角度を変えて触れさせるが唇の冷たさは相変わらずで、思わず蝶を含んだ熱い舌でそこをなぞると、漸くふぅ…と吐息が漏れ、薄く口が開かれる。そこへ誘い込まれるようにして舌を搦めていくと、さらりとして感触の良い口内が迎え入れてくれて…

『うわぁ…』 

 互いの唾液が絡まりあい、くちゅりといやらしい水音が響く度に恥ずかしさは込み上げてくるのだが、予想外の気持ちよさに自分自身が信じられない。こんなに深い唇付けが心地よいなんて…こんなのは、夢や妄想の中だけの話だと思っていたのに…。

「好き…だよ」

 湧き上がる気持ちをぽそりと一言口にすると、もう歯止めが利かなくなった。

「好き…大好き……」

 甘く囁き…そして唇付ける。

 そんな自分に客観的な突っ込みを入れるような余裕もなくして、ひたすら唇付けに耽溺してしまう…そんな有利の後頭部を、突然何かが包み込んだ。

「ん…ぅ!?」

 有利の頭部に回されたそれはコンラートの大きな掌で、逃げることを許さぬその力が互いの距離を狭め、無反応だった舌が…独立した生き物のように艶めかしく絡みつき…有利の口内を貪る。

「ん……っっ…んーーーーっっ」

 頭部を押さえるのとは別の手が跪いていた有利の臀部へと回され、ぷっくりとしたその感触を確かめるようにするりと沿わされる。厚手のスキージャケット越しだというのに、その手の感触は有利の皮膚感覚を翻弄し、思いがけない場所に熱を集中させた。

『ゃ……っ!』

 上げ掛けた悲鳴さえ唇の中に封じ込められて、甘咬みされた舌から疾る感覚が、またしてもある場所へと伝播してしまう。有利自身も知らない…秘められた蜜壺が潤み、緊張に合わせてひくりと震えた。

 すぅ…と開かれた琥珀色の瞳には生気が宿り、照れたように…喜びに打ち震えるように…きらきらと銀の光彩が瞬いて、至近距離にあるあまりに輪郭がぼやけて見える有利の瞳に向けられる。

 執拗に奪い尽くされる唇付けは有利から仕掛けた稚拙なものとは異なり、技巧の限りを尽くし…けれど愛情は同じだけ含まれて有利の身体を高ぶらせていった。

「は…ふぅ……」

 どれだけの時間をそうしていたのか…漸く開放される頃にはすっかり有利の腰は砕けてしまい、背骨も何もかもがとろとろに蕩けたように甘く痺れていた。

「ユーリ…」

 気が付けば長座位のコンラートの上に跨るような姿勢で唇付けていた有利は、ゆっくりと離れていった唇が自分の耳朶に押し当てられるのに、びくりと背筋を震わせた。

 日本語が喋れるようになってからも、人名を呼ぶときだけは独特のイントネーションになるコンラート。特に、有利の名は…優しく…そして甘やかな響きで口にする。 

「ユーリ…俺は自惚れても良いのかな?…ユーリに…名付け親としてではなく、親友としてでも、臣下としてでもなく…特別な意味で愛されていると…」
「…………」

 何かを答えようとするのだが…丘に揚げられた魚のように…息が上手くできない。

 有利はぱくぱくと口を動かしていたが、もうどうにも言葉に出来ないと分かると…コンラートの背に両腕を回して、力一杯抱きしめた。

「あんたは…どうなんだよっ!」
「愛してるよ…」

 その言葉を口にすることに…どれほど枷を填めていたことだろう。

 いま…こうして有利に拒絶されることなくこの言葉を口に出来ることに、どれほどの歓喜を感じていることだろう…。

「愛してる…誰よりも、何よりも…」

 口にして、くすりと苦笑する。

 何となく、答えることが出来なかった有利の気持ちが分かったのだ。

「ああ…どんな言葉も陳腐になってしまって…俺のこの気持ちを表すのに相応しい言葉が出てこない…。貴方が囁いてくれた《好き》という言葉に、俺がどれほど官能を感じたか伝えることなど、到底無理だ……」
「いいいいいいぃぃぃぃ………何時から…気付いてた?」

 爪先から髪の毛の先まで上気しそうな勢いで真っ赤になっている…そんな有利の肩を掴み、コンラートは慌てて背けられるその唇を追いかけて、啄むようなバードキスを繰り返した。

「すみません…俺を拘束していた氷が溶けた頃から意識自体はあったんですよ…ただ、どうしても動けなくて焦っていたら貴方にキスをして頂いて…唇から伝わる熱が少しずつ全身に広がって、動けるようになったのです」

 くすくす笑いながら丁寧な言葉遣いに戻るのは止めて欲しい…。

「ふきゅぅぅぅ………」

 動けなかったのなら仕方ないとはいえ、泣きながら捧げたこちないキスも…我を忘れて囁いた言葉も全て覚えているなんて…あんまりだと思う。

「じゃあ…あのさ、何時頃から俺のこと好きだった?もしかして…俺の身体が変わっちゃってから?」
「………」
「…何で黙るんだよ。やっぱ…俺の身体がこんなんなっちゃったからなのかよ…」

 頬を膨らませて睨み付ける有利に対して、コンラートは複雑な表情を浮かべていた。困ったような…恥ずかしそうな…実に彼らしくない表情である。

「俺が貴方のことを名付け子としてではなく、恋愛対象として見たのは昨日や今日ではありませんよ。はっきりとした境目は自分でも分かりませんけどね」
「本当?この場の勢いとかでもなく?俺がキスして好きだって言ってたから、変に気を回してるとかじゃなくて?」
「このタイミングでこういう展開になると、必ずそのような疑惑を被るだろうなと予想していました…。ただ、それを否定する材料を俺は持っているのですが…それを言ったものか言わないものか………」
「言えよスッパリ!何で悩むんだよ!?」
「…怒りませんか?」
「怒られるようなことなの?」
「…実は…十二月に有利が俺のマンションに泊まりに来たことがあったでしょう?あの夜、眠っている有利に対して辛抱がきかなくなって唇付けてしまったんです。…それも、濃厚に」 
「……………………………」

 有利は宙に視線を彷徨わせると、2秒ほど掛かって心当たりに辿り着き…そして、またしても真っ赤になってしまった。

「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ、あれっ!ゆ、夢じゃなかったの!?」
「スミマセン…事が露見すると嫌われると思っていたものですから…卑怯と思いつつも夢だということにしてしまったんです……」

 微かに頬を染めつつ項垂れるコンラートというのは実に新鮮な映像であった。有利は思わず怒るのも忘れて吹き出してしまう。

「ぷ…くっ!」
「有利?怒っていませんか?」
「怒ってなんか…ないよ。確かにあの頃は俺、まだあんたの事をそういう意味で好きって自覚無かったから、夢オチにでもされなきゃ混乱して仲が拗れちゃったかもしんないし」

 有利は笑いの衝動から抜けきらないまま、両手で顔を覆ったり、髪を掻き上げたりしてコンラートの想いを確認した。

『そっかぁ…あれって、そうだったんだ……!』

 あまりにもリアルすぎる淫夢と、初めての射精…思えば、あれがきっかけで有利はコンラートのことを意識するようになったようなものだ。そういった意味では、勘違いでコンラートという存在を性的対象と捉えてしまったのかもしれないが、今となってはそれを恨む気持ちはなかった。

『だって…さ』

 そんなきっかけでもなければ、自分はこの先もずっとコンラートのことを一番の親友としてしか扱わなくて、どうもずっと以前から思い続けていてくれたらしいコンラートに、生殺しのような思いをさせていたに違いない。

「あんたってさ…本当、過保護だよな。俺が好きって言わなかったら、ずっと俺のために黙っててくれたんだろ?自分の気持ち……」

 向き合った姿勢でコンラートの頬を掌で包み込むと、眩しいものでも見るようにその琥珀色の瞳は眇められ…小さな溜息が漏れた。

「…そう…でしょうね。貴方を手に入れるなど、決して期待してはならないと言い聞かせていましたから…」
「俺が他の奴と結婚しても?」
「相手が気にくわなかったら阻止しようとは思っていましたけどね。それに、大概の相手は気にくわないだろうな…とも」

 ははは…と爽やかに笑うが、どうやらその阻止行動は既に実践されているらしい…何となく、コンラートの表情からそうと伺い知れた。

「それはそうと…込み入った話は後でホテルに帰ってからしませんか?障壁が無くなったから、下山させた御友人達が登ってくるかもしれませんし…それに、此処にも何か言いたげな連中が居ますし?」

 思わず自分たちの世界に浸っていたが、傍らを見やればすっかり放置された人々…いや、妖怪達が所在なげに佇んでいる。 

 煌姫の暴行によって憔悴しきった水蛇は憮然として両腕を組んでいるし、群れなす蝶達はひたすら魔剣をいたぶりながら次の指示を待っている。

 魔剣は周囲の熱を耐え難い温度にまで上げられているのか、ぐったりと項垂れて見えた。

「………も……ゆ、許してくれぬか……この連中…し、しつこ……」
「うーん…許せってんならべつに許さないこともないけど…なぁ、あんた見た感じ剣って分からない大きさとか形に化けられる?」
「う…む?それはまぁ…この柄に結ばれた彩紐に籠もれば剣とは悟られぬが…」
「じゃあ、何だったらコンラッドの剣になってくれる?こいつの技量は見てたろ?今日は得物が非常用の簡易バージョンだったから後れをとったけど、あんたと組めば相当凄い闘いが出来ると思うよ。ただ…俺の主義として、無益な流血は厳禁だけどね!」
「………流血無しか……いや、しかし非常事態なら……」

 暫く剣はぶつぶつと何か呟いていたが、自分の中で何か折り合いが付いたのだろうか、宙を飛んでコンラートの傍らまでやってくると、くるりと回転して一本の彩紐になった。コンラートはそれを左手に巻くと、魔石の填った腕輪と並べてミサンガのように結びつけた。

「上様は傷…大丈夫?」
「身体の傷は…な」

 はー…っと、深い溜息をついてそっぽを向いてしまった水蛇に、有利は気の毒そうに眉を寄せた。

「煌姫によっぽど酷いコトされたんだなぁ…上様。気の毒に…ゴメンな、俺の為に口利きに行ってくれたのに…」
「…………俺が大丈夫でないのは…」

 何か言いかける水蛇だったが、有利の澄んだ黒瞳を見ているとすぐに邪気が抜けてしまうのか、諦めたように肩を落とした。

「まぁ、よいわ……」

 更に深い溜息が予備呼気量の限界まで排出される。

『まぁ…分かっていたことではあるのだが…』

 なにしろ水蛇は高柳鋼との闘いの最中までは有利の体内にいたのだ。深層心理までは読みとれないものの、言語として有利が心に浮かべた言葉についてはほぼ正確にその意を理解している。だから…彼はまさに有利の想いが友情や家族愛から恋情に変わる瞬間を体感して知っているのである。だが、そうなっても…今こうしてコンラートと《出来上がって》しまった有利を見てしまっても、彼から離れたいとは思えないのだ。

『何とも…根の深い病よの……』  

 胸を引き裂く痛みと同時に…甘く沁みてくる愛おしさに、水蛇は瞑目した。

『蝶よ…そなたらなら分かるか?』

 水蛇は指先を伸ばすと、これまで忌み嫌っていたはずの煌姫の下僕をその爪の上に止まらせ、伝わってくる仄かな温もりに微笑した。

 押し流し、切り裂く《水》であった自分が潤すための《水》になろうとしたように…蝶はその性質を、焼き尽くす《火》から温もりとしての《火》へと変えていたのだった。

「んー…蝶は、どうしよう?」

 蝶は暫く慕わしげに有利の周囲を飛び続けていたが、そのままでは目立つからと声を掛けられると、少し寂しそうに羽ばたいていたが幾ばくかの後に四散していった。

「あれ…そう言えば、俺の身体に入ったやつって…」

 有利が胸元を開いてひょいと覗き込むと、先程舌まで移動していた蝶は胸元に帰還しており、どっしりと居座っている。そのせいか…相変わらず身体の方はふっくりとまろみを帯びた女体構造を維持していた。

「どうやら、当分離れてはくれないようですね…」
「うーん…」

 頭を抱える二人であった。







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