虹越え3−1−1 プロローグ 容姿端麗にして、その瞳は蛇族特有の滑るような柳目… その性、酷薄にして邪淫を好む。 妾(わらわ)がかつて愛した男は、そのような形(なり)の者であった。 しかし、少々の年経て風の噂に知りければ… 年端もゆかぬ童(わらべ)に骨抜きにされ、 事も在ろうに…よりにもよってあの男が! 唯我独尊、傍若無人を絵に描いたようなあの男が…! その童に《忠義》なるものを誓いて、 裾端に縋る様にして仕えているという… おのれおのれ… この妾が! この、天地に並ぶ者とてなき美貌と妖力を誇りし妾が直々に請うたというに、 愛にも傍仕えにも応えてはくれなんだものを…っ! おお…恨めしや、口惜しや…っ! この男色の瓢箪鯰めがっ! どうしてくりゃれと思案して、 妾はひとつ愉快な趣向を思いついた。 あの男が嘗め転がさんばかりに慈しんでおる童に ひとつ《悪戯》をしてやろうと… T.紅い蝶 「ユーリ、常備薬は持ちましたか?携帯と財布は?」 「ああもぅ…持ったよ持ったよ持ちました!そんなに確認しなくたって大丈夫だって!最悪なんか忘れても人に借りるし!」 「旅先ではぐれたらどうするですか!」 「グループ行動なんだし、ホテルの名前さえ覚えとけば連絡はつくって!」 「しかし…なにしろユーリは俺が警護についていてもはぐれる人ですからね…何があるか分かりませんよ?良いですか?もしも知らない男に囲まれたりしたら、恥ずかしがらずに大声で助けを呼ぶんですよ?それがなんといっても不審者対応の鉄則ですからね!それに、人が居ないところではぐれたりしたら更に怖いですからね…雪山で遭難だなんてことになったら大事ですよ?」 「全くだ。お前は何をやらかす分からんからな!」 小学生が初めてのお泊まりに出るときのような会話を交わしているのは勿論、渋谷家の次男とその護衛である。そこに、時折長男までが絡んで茶々を入れてくる。 場所は渋谷家の玄関であり、有利は平日の朝だというのにフードの縁に茶色いファーの付いた黒のダウンジャケットを着込み、厚手のコーデュロイパンツを穿いた私服姿で、肩にはちょっと大きめのスポーツバックを背負っている。対して、コンラートの方は何時も通りの警備員服に身を包んでいた。 今日は2月9日、第2水曜日。高校生活のビックイベント、二泊三日の《修学旅行》出発日なのである。 有利の高校はのんびりした校風を保持しているが、流石に3学年になると受験対策に集中しなくてはならないので、修学旅行は毎年この時期に行われる。その他の行事も3学年になると参加内容が控えめになってしまうせいか、卒業後もどちらかというと卒業学年より、2学年時のメンバーでクラス会を持つことが多い。 修学旅行のメニューはというと、グアムでサーフィン、韓国で焼き肉…というわけには行かず、岩手県の郷土研修とスキー実習がメインになっている。田舎…それも雪山に放り込んでおけば夜中に脱走して街に繰り出す生徒を取り締まらなくていい…そんな教員側の発想が見え隠れしなくもないメニューである…。 「雪山で遭難じゃあ、携帯持ってたって駄目だろ…」 「じゃあ、とにかくはぐれないように注意して下さい」 執拗なほど注意を促してくるコンラートに、有利もいい加減疲れたような表情を見せる。なにしろ、修学旅行の話を聞いてから毎日のようにこんな会話が交わされているのだ。 と、いうのも…コンラートには学校の警備という業務があるため、当然修学旅行に引っ付いてくることは出来ないからだ。 「有利、いざとなったら俺を呼ぶがよい。何時なりと駆けつけてやろう…」 満足げに《にしゃあ…》と笑みを浮かべているのは黒猫に取り憑いた水蛇上様で、彼は危急の際には有利の呼びかけに応じて空間を越えることが出来るらしい。 「しかし…どうせなら俺を中に入れてくれればいいものを。どうも猫の身体というのはまどろっこしくていかん」 「だからぁ、ソレは前にも断っただろ?俺はプライバシーを大事にしたいの!青春時代のど真ん中、これ以上他人に弄くり回されたくないんだって!」 使命のためと言われても、有利の人生には知らない内に仕組まれていたことが多過ぎると思う。 魂の出自からいって、狙って熟成されたスザナ・ジュリア由来のものであるし、生まれてきた家庭にしたって、地球の魔王ボブが選んだ家だ。そして眞魔国で魔王に就任してからも、知らない内に創主を倒すようにしむけられて、訳も分からず地球に送り返されて……今更、そのことについてぐだぐだ言ってみたところで詮無いし、今の生活が気にくわないというわけでもないのだが、せめてこれからの人生は誰かの思惑に乗って動かされたり、誰かにずっと監視されるようなことがないようにしていきたいのだ。 「むぅ…」 上様は何かまだもぐもぐ言っていたが、形勢不利とみるとそのしなやかな尻尾を有利の足に絡ませて、拗ねたような素振りを見せる。やられたのがグウェンダルであれば鼻の下を伸ばして大変な事になっていたろうが…そこは有利も正念場と、可愛らしい猫の媚態にも絆されず、仁王立ちになって腕組みをしている。 「そうだ。ユーリ、大浴場にも入ってはいけませんよ?」 「ソレが一番どーなのよ…修学旅行の醍醐味っつったらみんなでワイワイ大浴場でしょ?雫石プリンスホテルって、高倉温泉とかいう源泉掛け流しの本格的な露天風呂があるらしいし…風呂好きにゃあ堪らないよー…」 指を銜えんばかりにしてしょんぼりしている有利に、普段は護衛と意見の合わない長男までが畳みかけてくる。 「馬鹿かお前!何度言えば分かるんだ!?飢えた男子高校生集団の前で全裸になるなんざ、穴蔵に閉じこめた豚に薩摩芋投げ込むようなもんだぞ?風呂なんざ内湯に入っとけ!」 「その例えもどうかと…それに、俺の学校の連中は大抵腹は減らしてるけど、別に男対象でターゲットロックオンの奴なんていないよ…。それに、万が一そんな奴が居たとしてもみんな居るんだぜ?ナニされるって事もないだろ?」 「されてからじゃ遅いから言っとるんだっ!」 勝利は反論してきたが、急にコンラートの方は考え込むように眉を顰めた。 「…確かに、大浴場に大勢で入るより、一人で内湯に入っているときの方が危険かもしれませんね…」 「う……そ、そういえば……」 途端に、護衛と兄の脳内に妄想劇場が展開される。 『え?○○…お前みんなと行ったんじゃなかったのかよ?』 『いや…俺は賑やかなの苦手だからさ…内湯でゆっくり入ろうと思って…』 『ふぅん…。じゃあ俺出るから、ゆっくり入れよ』 『待てよ渋谷…そんなに慌てて出ることないじゃないか…背中流してやるよ』 『もう洗ったから…て、やっ!止めろよ!どこ触ってんだよ○○!』 『渋谷…凄ぇ肌綺麗だよな……ほら…胸元とか首筋とか…掌に吸い付いてくる…肌理が細かくて…なぁ、嘗めても良い?』 『やぁ…やめっ……』 『胸のトコ…ぷくっとして…ピンク色でさ……凄ぇ、可愛い…俺、もぉ…我慢できねぇ…しゃぶらせてよっ』 『やめ…止めろよっ!そんなトコ…やだぁっ!』 『俺…お前のことずっと好きだったんだ!…ずっとこうしたいって思ってた!ねぇ…渋谷の中に、挿れさせてよ……っ!』 『やだあぁぁぁぁぁあっっっっっつ……!』 『助けて、お兄ちゃーん!』 『助けて、コンラッドー!』 最後に呼ぶ名前だけが異なる妄想劇場は、思考シンクロでも行われているのかと疑われるほど相似した内容であった。どうもこの二人、基本的思考回路は似ている節がある。まぁ…渋谷勝利の方が年齢分まだしも底が浅いかもしれないが。 「なんて恐ろしい…ユーリ、やっぱり旅は止めましょう!あなたは今から病人です!俺は介護休暇を取ってあなたの看病をします!!」 「いや、有利…お兄ちゃんと旅行に行こう!二泊三日で兄弟愛を育もうじゃないか!」 「お前ら脳沸いてんのかよーーっっ!」 有利は絶叫と共に兄と護衛を振りきると、ぷんすか大地を蹴りながら集合場所の駅に向かって走り出した。 * * * 「渋谷ってば、何か機嫌悪いじゃん。どうかしたの?」 「んー…ちょっと出がけにさ、兄貴やコンラッドと喧嘩したんだ」 「えー?お兄さんはともかくコンラートさんと?珍しいこともあるもんね!」 新幹線の3人掛けの席を反転させ、2年5組第2グループの6人でトランプをやったりお菓子を回し食いしたりしているのだが、何時になく不機嫌な有利の様子を懸念して声を掛けた篠原は、くわえたポッキーを危うく落としそうになった。 「渋谷でもコンラートさんと喧嘩することあんのねぇ…なんか意外…」 「兄貴もコンラッドも心配性なんだもん…俺は幼稚園児かっ!つー勢いであれやこれや注意してくるからさ、つい苛々しちゃって…怒鳴っちゃった…」 「それで、いま落ち込んでるわけだ…」 「う…」 冷静な性質の男子…藤谷に嘲笑混じりに指摘されてぐっと言葉が詰まる。図星だから余計に堪えるのだ。 そう…有利だって、僅か3日とはいえ離れることになるコンラートと喧嘩などしたくなかった。 『お兄ちゃんとはどうなんだよ!?』 と突っ込まれそうだが…兄とはしょっちゅう喧嘩しているので、深刻な内容でない限りどうということはない(哀れ…兄)。 『だって…あいつがあんまり子供扱いするから……』 今までだってずっと大事な人で、一生傍にいて欲しいと思っていたけれど…それが《添い遂げる》くらいの意味でそうして欲しいのだと気付いてしまったのは、去年の《やり直し文化祭》のこと…。それからは妙に意識してしまって、子供扱いされるのが辛くなってしまった。 『あなたは、子供で…恋愛対象になるような相手ではないんですよ』 …そう念押しされているみたいで居たたまれなくなるのだ。 『分かってるよ…俺は何処までいったって名付け子で、あんたが幾ら可愛がってくれたって、そういう対象としては見てくれないんだって…でも、どうしようもないくらい…好きだって、思うんだ……』 男同士で抱き合うということがどういうことなのかはよく分からない。 普通の男女間の交接だって、知識でしか知らない程度なのだからしょうがない。こっそり勝利のパソコンでソレっぽいホームページを開いてみたりはしたけれど、どうもしっくりこなかった。 男同士でそういうコトをいたしてしまう場合、必ずしも役割が決まっているわけではないらしいが、一応男役と女役にみたいな分担があるらしい。女役の場合、白狼族の高柳鋼が言っていたとおり、肛門に男役の陰茎を挿入されることもあるという。これも絶対そうしなくてはならないような規則があるわけではなく(当たり前だが)、慣れないと痛かったり、感染症の危険もあるのでお互い高め合い、射精を促すだけ…というやり方でも良いらしい。 しかし、果たして自分がそういったことをコンラートとしたいのかと問われると…どうもよく分からない。 とりあえず、自分がコンラートをあんあん言わせている様を想像してみた。 …ちょっと怖かった。 仕方がないので、コンラートに自分があんあん言わされている様を想像してみた。 ……もっと怖かった。 どうして欲しいのか、どうしたいのか…具体的な繋がりが想像できないのなら今まで通りの関係でも十分ではないかとも思うのだが…それに反論してくる二大勢力が、有利の中には存在した。 一つは、あらゆる意味でコンラートを手に入れたいという、漠然とした支配欲。 これは、他の誰かがコンラートの一番になってしまわないように…との予防策でもある気がする。 そしてもう一つは、遅ればせながら知り始めたシモの事情というやつで…。 どういう組み合わせで、どんな行為をするのかよく分かってはいないくせに、時々堪らなく込み上げてくるものがあると、コンラートの事を考えながらマスターベーションをするようになった。主に風呂で…タオルを咬んで声を殺して…コンラートが時々する艶っぽい声とか眼差しとか…逞しい体躯なんかを想像して………イクときは凄い高揚感で、自分でも馬鹿みたいだと思うほど興奮するのに、抜ききって落ち着くと、急に羞恥心だの後ろめたさだのが押し寄せてきて堪らなくなり、慌てて行為の証拠である白濁した液をシャワーで流してしまう。 そんなときに決まって思い出されるのは、爽やかな時のコンラートの眼差し…まるで有利のことを汚れなき天使だとでも思っているような、あの慈愛に満ちた瞳だった。 『天使はあんたのことを思って抜いたりしねぇよ…』 《俺は汚れちまった》とか、そこまで深刻に考えたりはしないけれど…なんと言っても好きになるのは自然の摂理だし、好きな相手で抜いてしまうこと自体は犯罪ではない。けれど、コンラートに純粋無垢なお子ちゃまだと思われ続けるのだけはどうにも勘弁して貰いたかった。 「でも、渋谷が怒るのもしょうがないよ。つか、幾ら恰好良くて頼りになる名付け親だって、そういう《親》っぽい人には取り敢えず反抗期やっといた方が良いんじゃない?そうでないときちんと親離れできないもんな」 藤谷は相変わらず醒めた口調ではあったが、さり気なくプリッツを3本ほど手渡しながら有利にそう言ってきた。彼なりに気を使っているのかもしれない。 「そうだよ渋谷!お前も高2のオトコノコなんだからさ、コンラートさんからはそろそろ独り立ちしなよ!」 笑顔全開で陽気に言ってくるのは黒瀬謙吾で、彼は有利がコンラートと喧嘩をしたと聞いてからはずっとキラッキラした笑顔を見せていて、その浮かれようは隣にいる藤谷が《落ち着けよ…》と、突っ込みたくなるくらいである。こんな彼も、有利に陥落されるまでは結構女子にもモテ、友人も多い健全な男子高校生だったのだから、人生って分からない…。 「そうだよな…一足飛びに大人になったりは出来ないにしても、せめて一人で行動しても心配されないくらいにはしっかりしないとな…」 そうでないと、何時までも《庇護対象者》としてしてしか見て貰えないだろう。 どんなことも、他人を変える前にまず自分が変わっていくしかないのだ。 『分かっちゃいるけど、難しいよな…』 つい、溜息が漏れてしまう有利だった。 |