虹越え2−5






 有利の期待通り(コンラートにとっては残念なことに)治癒の力はやっぱり効いてしまい、出血多量でグロッキー状態には陥ってはいるものの、ほどなく高柳は人型に戻り呼吸が整うところまで回復した。

 繰り返し抉られた右肺や粉砕骨折させられた肋骨は繋がったものの、刻まれた傷痕は暫く響くことだろう。やった行状を考えれば生易しいことだとコンラートは言うだろうが…。

 廃車になったコルベットと大型バイクは後日業者に処理を頼むこととし(当然高柳の払いで)、一行は少し離れた場所にタクシーを呼びつけて、コンラッドのマンションに向かった。



*  *  *





「で、結局あんたは何者なの?」

 マンションで一服したところで、二人の混血魔族と二人の妖怪(一人は意識が戻らないのでソファの上に転がしている)に、合流してきた大賢者を交えて座談会がもたれた。

 その中で真っ先に出た質問は、当然放置されていた水蛇に対してのものだった。

「お前の守護者のつもりでいたのだがな…ここ十数年ほど」
「ずっと俺の中にいたの?えー…じゃあ、俺がウンコしたり屁こいたりしてるときも見てたの?やだなー…俺の周りって眞王といい村田といい、ストーカーみたいな奴ばっかりじゃん…」
「やだなぁ、温かく見守ってたと言ってよ」

 うんざりしたように有利が舌を出すと、村田は生暖かい返事を寄越し、水蛇は心外そうに眉を顰めた。両者とも《一緒にされたくはない》ということか。

「失敬な。この連中と一緒にされたのでは堪らぬわ」
「…つか、そもそも十数年前って…俺が幼稚園にいたときくらい?なんで俺の配下になっちゃったの?あんたみたいに無駄に偉そうな人が」
「俺が偉いのは確かだが、無駄に偉いわけではない」
「いや、そんなところへの突っ込みは良いからさ。端的に教えてよ」
「仕方ないな…」

 面倒くさそうに水蛇が語って聞かせてくれた話は、次のようなものだった。



*  *  *




 昔々(十数年前)あるところ(埼玉県)に、強い霊力を持つ水蛇がいた。

 ところが、水蛇はたちの悪い妖怪との闘いに敗れ、正体を晒したまま乾ききった干物よろしく道っぱたに転がっていた。ちなみに、正体というのは20p程度の細身の蛇である。

 その姿を発見したのが、4歳の有利だった。

 蛇が嫌いだった有利は、乾ききって動かない蛇にさえ吃驚して泣きそうになっていた。

『そこな童(わらべ)…俺を哀れと思い、水を一杯くれぬか…その如雨露にある水を…少しで良い、俺に掛けてはくれぬか…』

 相手が幼児とみた水蛇は、一か八かの賭で人の声を発した。

『へ…ヘビさん……くるしいの?おのど、かわいたの?』

 泣きそうになりながらも、有利は震える手で如雨露の水を掛けてやった。

 幾ばくか力を取り戻した水蛇は、正体を知られたこの幼児を丸飲みにすべく機を伺っていたのだが、幼児はすぐに踵を返して離れていってしまった。

『ちっ…しまった……童はお喋りなものだからな…得意げに友人か親にでも話しに行ったのか…面倒なことになったな……』

 黙って唯の蛇として振る舞っても、しばらくは《この蛇が喋ったのだ》と弄くり回されることだろう…そう覚悟していた水蛇だったが、有利は誰も伴わずに…一人で大きなバケツ一杯に水を汲んで、よろよろしながらやってきた。

 たっぷりと水を浴びた水蛇は潤いを取り戻し、すっかり生来の邪気も蘇らせると舌なめずりして考えた。

『何と馬鹿な童だ…しかも、ふくふくと美味しそうなこと…喰らえばかなり力を取り戻せるだろう…』

 ほくそ笑みながら水蛇が企んでいるとも知らず、相変わらず怯えつつも有利は声を掛けてきた。

『ヘビさんだいじょうぶ?まだおのど、かわいてる?』
『おお…優しい子だね。もう大丈夫。存分に飲ませて貰ったよ…ただ、まだ歩く力が出ぬのだ…力を貸しては貰えぬかな?』
『あるく…の?ヘビさん、あんよないよねぇ?』
『あるさ、ほれ…』

 すっかり有利を阿呆扱いして油断していた水蛇は、姿を白装束の男の姿に変えると精一杯優しげに婉然と微笑んで見せた。

『ほぅら…足もあるだろう?』
『わぁ…ほんとねぇ!あんよあるねぇっ!うん、わかった。ゆーちゃん、てつだってあげる。ヘビさんを、おうちにかえしてあげるね!』

 蛇の姿でなくなったせいで安心した有利は、自分が小さな幼児であり、とても大人の男を担ぐような力など持たないことも忘れて水蛇に近寄っていった。

 そして水蛇がするりと自分の首筋に指を搦めてきたのをどう思ったのか、にぱぁ…と向日葵のような笑顔を浮かべたのだった。

『ヘビさん、ゆーちゃんがぜーったいおうちにかえしてあげるからね、だから、しっかりつかまっててね!そうだ…ゆーちゃん、げんきがでるおまじないしてあげる!』

 言うが早いか、有利は水蛇の頬に小さな掌を沿わせて、額にちゅっと可愛らしくキスを贈ったのだった。

『あのねぇ、チュウはげんきのもとなの!しょーちゃんもパパもママもじぃじもばぁばも、ゆーちゃんがチュウしてあげるとみんなげんきになったっていうの!ね、ヘビさんもげんきになった?』



 声が…出なかった。



 頬が赤く染まり、胸の中で踊り出しそうな鼓動に翻弄されてしまって二の句が継げない…。

 なんということだろう…小首を傾げてにこにこと微笑むその愛らしい面差しに…不覚にも捕らわれてしまったのだった。

 ほんの一瞬前まで、捕食対象だった仔鼠に…。

 お伽噺並に馬鹿馬鹿しいこの展開に、水蛇自身が己を窘めようと嘆息し、何度も有利の柔らかい首筋に歯を立ててみたのだが、有利が痛いと泣けば慌てて飛び退き、有利が勝手に転んで膝を擦りむけば優しく撫でてやり…そんな行為を1時間も繰り返すうち…すっかり悟るしかなかったのである。

『このお馬鹿な童に、すっかり参ってしまったらしい…』

 水蛇は一息ふぅー…っと長い息を吐くと、跪いて有利の手を額に押し頂き…誓願を立てた。

『我が力は汝の力となりて、御身に災いありしは何時いかなる時も駆けつけ、汝の盾となり、刃(やいば)となろう』  

 きょとんとして意味を介さない幼児に、おそらく水蛇としての意識を持ってより初めてであろう心からの微笑みを手向けると、水蛇はその形を成すことを止め、霊体に変化して有利を構成する水分子の一部と化していった。

 そして有利が十六歳を迎える直前まで特に何をするでもなく血中を漂泊していたのだが、眞魔国でヴォルフラムと戦った折りに初めてその力を発現させるに至ったのである。



*  *  *




「…とまぁ、そういう心温まる逸話があったわけだ」
「へぇー…っていうか、上様モードのお仕事ってあんたがやってたんかい。そうすると、俺って本当は魔力なんて持ってないのかな…?」

 何気なく言った台詞だったのだが、自分で言っておいてその内容にぎょっとしてしまう。絶大な力を持つ魔王などと言われているが、それは有利自身の力ではないのだろうか?

 しかし、水蛇は《そうではない》と首を振る。

「俺が思うに…有利、お前の力の本体は《呼びかける力》なのだろうと思う。それも、特別強烈な」
「呼びかける力か…そういう面はあるかもしれないね。流石に渋谷の中に何年も住んでいただけあって、なかなか深い洞察だよ」

 きょとんとしている有利とは裏腹に、村田は何処か得心いったという表情で頷いている。

「推察に過ぎんがな…だが、そう外してはおらぬと思う」
「じゃあ、俺は俺自身の力ってものをちゃんと持ってるのかな?」
「ああ…それは間違いない。少なくとも、俺は治癒の力など持たぬしな」

 綻ぶように微笑む有利を目にすると、水蛇の酷薄そうな細面の顔に…愛おしくて堪らないという笑みが掠めていく。彼のその表情こそが有利の力を物語っているのかもしれない。

「治癒能力は、治ろうとする身体に呼びかける力…破壊能力は、荒々しい性質を持つ霊力に呼びかけてその力を発揮させる力…。こちらの世界では一般的に、相手の力を手に入れるときは攻撃して捻じ伏せ、制約を誓わせるか、血の儀式、性交の儀式で霊力を奪うかのどれかだから、極めて異質な力ということになる。何しろ相手を喜んで従属させるわけだから、上手くいけば力を削ぐことなく丸ごと手に入れられる」
「普通は従属させる時に力を削いでしまうのかい?」

 村田が興味深げに問いかける。

「当然だろう?常に従属させておかなくてはならないのだから。そうだな…ただ、性交の儀式なりで誑し込めば自分より力の強い者でも配下に置くことが出来るが、これは恋愛関係のようなものだから、複数の配下を持つことが出来ぬのだ。新たな配下に、古い配下が嫉妬するからな」
「…もしかして」

 ふと思いついたように村田が苦笑した。

「あなたも、その口?」

 《しまった…》という顔で、水蛇は憮然とした。

「眞魔国で眞王を倒すときには必要に駆られて複数の要素に呼びかけたけど、こちらの世界に戻ってからは、新たな要素なり妖怪なりを引き入れるのが嫌で、渋谷の呼びかけを故意に無視していたんじゃないのかな?」
「え?そうなの?なんで?」
「文字通り嫉妬…そうでしょう?だって、山頂での闘いでも渋谷の制御から離脱して高柳鋼を屠ろうとしてたんじゃない?」
「……だから俺は貴様が嫌いなのだ。それに比べて有利の可愛いこと!」

 忌々しげに村田を睨め付けると、今度は対照的な蕩ける瞳で有利の肩を抱き寄せる。しかしその手をぴしりとコンラートに弾かれて、陰惨な目つきに戻った。

「小憎らしい魔族めが…っ!俺は貴様らが大嫌いなのだ。眞魔国にいるときには有利を守るために力も出しておったが、折角あちらに行かぬでも良くなったのだ。誰が力など貸すものか!有利には、こちらの世界でぬくぬくと幸福に暮らす権利があるのだ」
「でも…上様、俺は眞魔国に帰りたいんだよ!俺は二つの世界がどっちも大事だから、あんたの力を貸して欲しいんだ…ね、お願いします!」

 平身低頭して頼み込む有利に、水蛇の表情は情けないほど狼狽(うろた)えた。

「馬鹿め…有利、よく考えて見ろ。お前は今回だとて、こんな狗っコロにいいように嬲られて辱めにあうところだったのだぞ?幾らお前が《呼びかける力》を持っていても、何時も何時も上手くいくとは限らぬ。このまま強い妖怪だの精霊だのと契約を進めていけば、その力を手にいれんと、神に近い力を持つ者達も乗り出して来るぞ?こちらの世界の霊的存在は、常にそうやって勃興を繰り返しているのだ」
「うん…今日助かったのは、俺の呼びかけにあんたが応えてくれたからだよね。眞魔国でだって…それまでだって…俺はあんたのことを忘れてたのに、ずっとずっと見守っててくれたんだよね…俺、お礼も言ってなくて御免なさい…本当に、ありがとう。それでね?これからも、助けて欲しいんだ…お願い!」

 両手を顎の下で組み、潤んだ瞳で上目遣いにじぃっ…と見つめる。

 水蛇の面にはたらたらと蝦蟇の脂よろしく汗が伝い…結局、不承不承頷いたのだった。



*  *  *




「う…」 
「あ!気が付いたみたい」

 ソファの上に転がされていた高柳が意識を取り戻すと、有利が駆け寄ろうとするのを3対の腕が同時に止めた。

「いい加減懲りなよ渋谷!幾らグロッキー状態とは言っても、相手は曲がりなりにも妖怪だよ?何をしてくるか分からないじゃないか」
「そうですよユーリ、半径1m以内に近寄らないようにして下さい。相手は性犯罪者なんですから」
「全く…何故ゆえこのように純粋培養で育ってしまったのだ?」

『…それは、こういうタイプの人たちに取り囲まれて育ったせいじゃないかなぁ…』

 有利は内心ひとりごちた。 

「おい、起きろ狗っコロ。我が主が貴様の覚醒をお望みだ」

 水蛇はほっそりとした腕からは信じられぬほどの膂力で高柳の胸倉を掴むと、ぐったりとしたその上半身を宙に浮かせた。

「上様ーっ!鋼さんが死んじゃうよ!!」
「この程度では死なぬ…安心せい。それに有利、このような男に敬称など付けるな。狗っコロで十分だ」

 水蛇に釣り上げられた状態で高柳は呻き声を上げ、ぴくりと瞼をひくつかせたあと意識を取り戻した。 

「ここ…は……」
「俺の部屋だ。まだよく意識が戻らないようなら、もう一度肋骨を砕いてやろうか?それとも陰茎海綿体を潰そうか?痛みですっきりするぞ」

 爽やな笑顔で陰惨なことを言ってくれるコンラートに、水蛇もころころと嘲笑って同調する。

「おお…それがよいわ。こやつ、有利の菊花に汚らしい一物をねじ込もうと企んでおった悪漢だ…握りつぶしてやれば多少は性根が矯正されよう」

「へぇ…じゃあ、タマの方は煮えた油でかりっと揚げちゃう?油揚げみたいになるんじゃないかなぁ」
「良い案じゃ!流石は四千年の歴史を持つ男…拷問術も心得ておるわ。ほれウェラー卿、何をしておる。さっさと揚げ油を熱さぬか」
「やーめーてーぇぇぇぇぇっっっっっ!」

 本気でやりかねない男達に、有利の方が涙目になってしまう。

 その様子に、まだ状況がよく飲み込めていない高柳が無意識に声を漏らす。

「有…利?」
「おやおや、この男…我が主を呼び手とは良い度胸だ」

 水蛇は柳眉を逆立てると、宙づりにしたまま高柳の喉首を締め上げた。

「もう降ろしてやろうよ上様!会話になんないし!!」
「やれやれ…おい、狗っコロ、よくよく我が主の温情に感謝いたせよ」

 吐き捨てた水蛇は、ぽいっとゴミでも放るように男を投げつけた。一応ソファの上だったのは、一応有利に気を使ったのだろう。

「鋼さん…あのね」
「有利!敬称などつけるなと言ったろう!」
「上様、だからといって名前の呼び捨てでは親しげに聞こえてしまいます。この獣(けだもの)がますます増長するのでは?」
「そうだねー。じゃあ可愛くワンコって呼んだら?」

 腹黒三人衆は、先程から妙に気が合っている様子だ。共通の敵を見つけたときにはこういうものらしい。誰かがより密接に有利に近づけば、今度はその男が攻撃対象になるのだろうが…。

「ああ…もう、何でもイイや…。じゃあワンちゃん、山の上で何があったか覚えてる?」
「確か…この男と戦って…そうか、俺は負けたのか……」
「貴っ様〜…それ以外に思い出さなくてはならないことが色々あるだろうが、ええ!?」

 コンラートは忌々しげに言い捨てると、反射的に腰の佩剣に手を掛けそうになる。

「暫く俺とワンちゃんが喋るから黙ってろよ!話になんねぇだろうがっ!」
「…はい」

 いい加減切れた有利に叱責されて悄然と肩を落とすコンラートは、とても高柳を半殺しにした剣士とは思えない。

「ワンちゃん、あんたはコンラッドに倒された後、沢山血を流して意識を失ってたんだ。そしたら、その血の中から沢山の影みたいな狼が出てきてコンラッドと俺を捕まえて…大きな鎌みたいな形になって俺に斬りかかろうとしたんだ」
「そうか…あそこは俺の一族の聖域だからな。俺の血が流れたことで門を開く儀式がはじまっちまったんだな」
「多分そうだと思う。影狼がそんなことをぶつぶつ言ってたもん。でも、いよいよ危ないって時に俺の中にいたこの上様が影狼たちを退治してくれて、今に至る…と言うわけ」
「上様…?」

 まだぼうっとした眼差しで有利の指さす先を見た高柳だったが、目に入った人物を確認すると急に居住まいを正した。

「はぁ…こりゃ大物だな!この水蛇の大将が有利の中にいたって?そう言えば、さっき主とか呼んでたな…お前さん、実は結構な大物だったのかい?」
「大物だかなんだか知らないけど、一応眞魔国ってトコじゃ魔王やってたよ。それより、上様ってやっぱ凄いの?」
「ああ、この旦那は水蛇の中でも相当高位に居るんじゃないかな?殆ど竜に近い存在だよ」
「でも、俺に会ったとき…十数年前くらいには他の妖怪に負けて、蛇の干物みたいになってたらしいよ?」
「干物?この旦那が!?一体どんな敵と戦ったんだか…」

 驚愕する高柳に、水蛇は思い出すのも嫌そうに眉を顰めて言った。

「……煌姫(あきひ)との闘いに敗れたのだ。従属を迫られたが拒否したのでな…危うく魂ごと灼き尽くされるところであったわ」
「…っ!そりゃあまた大物だっ!」
「何だい?妖怪の世界にも色々上下関係があるみたいだね」
「どんな世界だってそうだろう?そりゃあ台頭してる連中ってのはいるものさ。有利は四大要素と契約するとか言ってたが、《風》の中じゃ、俺はせいぜい中堅どころだ。こちらの旦那は《水》の中じゃ竜に次ぐ権威を持っているだろうが、敵が煌姫ときちゃあね…あのお方は《火》の最高位…神に近い存在だ」
「ほぅ…高柳、そうするとお前を配下に置いたところで、そう大した力にはなりそうにもないな…。ユーリ、やっぱりこの男は利用価値がないようです。狗の姿で殺して山中に投棄しておきましょう」

 やっぱり爽やかな笑顔で殺伐としたことを言うコンラートに、有利は頭を抱えてしまう。

「いい加減しろよコンラッド!そういう問題じゃないだろ?そもそも、山頂の門が壊されてなきゃあ、ワンちゃんだってあんなコトしなくてすんだんだから…。居住区が無くなった熊が下山してきて生ゴミあらすようなもんだよ」
「……なにげに酷いこと言うな有利…」

 高柳はコンラートに言われたことよりも有利の一言が堪えたらしく、瞳を半眼にしている。

「…て、そうだ!なぁ上様!あの門って、直せるのかな?」
「……有利がそうと望むのであれば………」

 如何にも嫌そうだが肯定の返事を寄越す水蛇に、高柳の方が驚いた。

「有利…お前さん……俺の望みを叶えてくれようってのか?俺が…何をしようとしたか分かってるのか?」
「多分、分かっちゃいるよ。俺だって、あんたが俺を傷つけたり、ハズカシメとか…オトシメとか、そういうイヤーな事を主目的にあんなコトしたんだったら許さないと思う。だけど…あんたは唯、帰りたかったんだろう?」

 《帰りたい》…その言葉は有利にとってとても重く…他人の言葉であっても胸に迫って感じられるのだった。

「…俺も、一緒だから…そういう気持ちは分かるんだ。だから、俺が手伝えるなら、手伝ってあげたいと思う」
「……お人好しって、よく言われるだろう?」
「……言われマス…」

 こっくりと頷く有利に、高柳は何とも言えない表情で微笑んだ。

 照れるような…眩しいものを見た気恥ずかしさのような…そして、尊崇のようなものが綯い交ぜとなって複雑な表情を醸し出す。

 高柳はソファから身を降ろして床の上に一度平伏すると…深々と一礼した後、有利の手を額に押し頂いて誓願を立てた。

「我が力は汝の力となりて、御身に災いありしは何時いかなる時も駆けつけ、汝の盾となり、刃となろう…」
「誓願、確かに受け取ったよ…」

 照れたように有利がそう言うと、高柳も痛みに顔を顰めつつ…それでも微笑みを湛えて主を見た。

「これで俺も従属の身か…《風》は何処までも吹かれていく自由な性質(たち)なんだがな…意外と、嫌な気はしない……」
「当たり前だ。それで嫌そうな顔でもしようものなら、貴様の肛門から口に向けて灼けた鉄串で貫くぞ」
「血塗れヴラド候ツェペリみたいだねー」

 コンラートと村田の突っ込みに、良い雰囲気は風の如く吹き飛んでしまった…。 



*  *  *




「水よ…」
「風よ…」

 払暁…有利達は再び山頂に戻ってきた。

 有利と村田は崩れた戌亥門の前に立つと、互いの手を掴んでシンクロするように申し合わせた語句を口にし、意識を額に集中させて…従属した二つの要素を大気から呼び覚ます。

「崩れたる戌亥門を開き、白狼族の故郷への道を繋げ賜え!」

 体腔を満たす白熱した力…それが村田と触れあうことで調和し、増幅されて発現する。



 ず……

 ずずずず……………



 ずおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっっ!

 

 地中の隙間から…木々の梢の向こうから…呼応してきた水と風とが渦巻き、舞い上がり、苔むした岩を押し流すようにして唸りをあげると、不意に霧散し、洗い浄められた岩がどぅっ!どぅっ!…と計算されたような見事な配置で積み重ねられ、無骨ながら門に似た形状を取った。

「…開け!」

『胡麻!』

 …と、続けたくなるのを喉元で止め、有利が精一杯厳かに呼ばわると…岩の透き間から神々しいまでの目映い光が溢れてきた。

 すると…痩せこけてはいるものの、黒瞳に歓喜の色を乗せた獣達が、躍動するように疾駆してきた。

「ハガネ!生きていたか!!」
「信じていた…信じていたぞっ!お前なら何時か、戌亥門を開けてくれると!」
「アカザ…カラチ!みんな、生きてたんだなっ!」

 白狼の姿で鼻面を擦り付け合う仲間達に、様子を見守っていた有利の頬にも笑みが浮かぶ。

「みんな、紹介しよう。俺の主となったお方…渋谷有利殿だ。異界の王におわすが、故(ゆえ)あってその世界へ帰還するための術を模索しておられる。この方は既に水蛇殿を配下にお持ちなのだが、更に火と土に纏わる妖怪なり精霊なりを配下に置かれ、異界に帰還する事をお望みだ。年はお若いがその仁慈は厚く、度量は大きい…俺は感服して配下に降ることを誓約した。だから、本来俺の望みなど聞く義理はないのだが、このお方は我等のために戌亥門を蘇らせて下さったのだ。どうだ?みんな、このお方の力になってはくれぬか?力づくで我等を下すことも出来ようが、お優しい気質故、そのようなことはお望みでない。あくまで、我らが望んでそうされることをご希望なのだ」

 白狼たちは突然の話に驚き目を見交わしていたが、意外とこの鋼という男は白狼族の中でも篤い信頼を受けていたらしく、頷いた獣達は次々に姿を変じて有利の前に跪いた。 

「我が力は汝の力となりて、御身に災いありしは何時いかなる時も駆けつけ、汝の盾となり、刃となろう…」
「誓約、確かに受け取りました」

 こうして、有利は中堅どころとはいえど、複数の《風》の要素と誓約を交わすことに成功したのだった。

「やったね渋谷。これでまずは一つ大きな懸案事項が減ったよ?」
「懸案事項って?」

 村田の言葉に有利が首を傾げると、彼はコンラートの袖を捲って腕に填めた装飾品を指さした。

「あ…こっちの《水》と《風》の力も、この魔石に注入できるのかな?」
「いけると思うよ」

 ぱぁ…っ光り輝くような笑顔を浮かべると、有利は泣かんばかりにしてコンラートにしがみついた。

「やった…やったよコンラッド!これであんたは此処にいられるんだ…俺が道を築くまで、此処にいてくれるんだよね!?」
「ええ…あなたのお陰でね」

 コンラートは尊崇の思いが籠もる眼差しで、腕の中の愛し子を見つめるのだった。




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