虹越え2−2−1 「左右の目の色が違う狼?」 「犬かもしんないけどね」 「ふぅん……」 2学期最後の土曜日に、ダンディ・ライオンズは午前中から練習を実施していた。しかし、風邪ひきのメンバーが多かったことと、俄に降り出した雪が勢いを増してきたことから、3時には解散宣言を出さざるを得なかった。 試験明けは(力尽きることを村田に予測されて)日程を組んでいなかったせいで、久しぶりの練習だったというのに不完全燃焼に終わってしまった有利は不満そうに唇を尖らせていたが、《ケーキを奢りますよ》というコンラートの言葉で現金にも蘇っていた。 当然のように同行してきた村田と連れだってケーキを買い、コンラートのマンションで舌鼓を打っていると、話題が有利の夢の話に触れた。 「先月くらいからかなぁ…よく見るんだよ。果てがないみたいに広ーいススキ野原があって、そこに大きな白い狼だが犬だかが走ってるんだ。他の奴は分かんないんだけど、その中のリーダーみたいな奴が振り返って俺を見るんだ。そいつがさ、目の色が違うの。右が青で、左が黒」 「金銀妖眼…ヘテロクロミアねぇ。まぁ、動物では白子症なんかと一緒でたまに見られるよね。動物の場合はオッドアイっていうことも多いかな?人間だといま売り出し中の歌手にそういう人がいたよね。高柳鋼とかいったかな?」 「知らない」 即答したのは有利である。彼のテレビは主として野球中継とお笑い番組を見るために存在し、時としてビデオ・DVDを鑑賞する場合も、概ね野球がテーマになった映画を見るだけである。 昔から有名な歌手ならともかく、《今売り出し中》等という微妙な立場の芸能人など知るわけがない。 「俺も知りませんねぇ…」 紅茶を煎れ直してきたコンラートが、高柳とかいう人物の話から加わってきた。 彼のテレビは主としてニュース番組を見るために存在し、時としてビデオ・DVDを鑑賞する場合は、美子経由で入手した有利の記録映像を鑑賞するだけである。 有利同様、そんな微妙な立場の男など知るわけがない。たとえニュースの中に一部混在していたとしても、特に興味をひかれた記憶もない。 「君達ねぇ……興味がないものには本っ当ーに無頓着だよね」 「いいじゃん、芸能人なんて俺の人生には関わってきっこないんだしさ。プロ野球選手なら関わって欲しいけど…出来れば獅子印のチームに……」 「まぁいいや。それより、確かにここ1ヶ月で頻繁に見るようになった夢というのは気に掛かるね。ちょうど君が訓練を始めた頃だしね。感応した要素がそういう夢を見せているという可能性もないではないよ」 コンラートの来訪を受けて四大要素と契約を結ぶべく決意した有利だったが、実際の活動はかなり地味なものだった。 『一番親和性が高いのはやはり水だろうね』 そう言いいながらも、さしもの大賢者もあまり確信はなさそうだ。 眞魔国と地球では要素の性質が異なっているらしい。地球の要素というのは眞魔国と繋がりのある魔族よりも、土俗の精霊や妖怪といったものに力を貸していたり、時として要素そのものが集まって実体化している場合があるという。 ただ、四大要素が地球で言うところの四大元素と対応しているのは間違いないだろうとのことだった。 四大元素とは四元素説における空気・火・土・水の4つの元素のことを指し、語呂の問題からか、日本では地水火風と呼ぶことが多い。 四元素説とは、《物質は、火、水、土、空気の四元素からなる》という説で、 『それらを結合させる《愛》と分離させる《争い》がある。それにより、集合離散をくりかえす。この4つの元素は新しく生まれることもなく、消滅することもない』 という考え方のこと。 起源は、古代ギリシアの哲学者エンペドクレスが提唱したもので、のちアリストテレスがこの説を継承し、アラビア科学、パラケルススと伝えられた…らしい。 『そういう知識自体は僕にもあるんだけどねぇ…何度もこちらで生まれ変わったりはしたけど、精霊やら妖怪やらになったことはないんだよ。ボブや眞王にも聞いてみたんだけど、とにかく、まずは1つの要素と確実な契約を結ばないことにはどうにもならないみたいだねぇ。とりあえず、水の要素と感応しあえるように眞王の監督のもと訓練をしてご覧?その能力がある程度高まってきたら、精霊や妖怪の伝承が濃い地域に行ってみよう。まずは鳥取の水木しげるロードかなぁ?』 そんなあてになるようなならないような助言を受け、有利は毎晩風呂の中で物理的な水のコントロールに努めていた。しかし、今のところ小さな水柱を噴き上げるとか、風呂の中で渦を作るとかいった水芸程度の事しかできない。地球上で《超能力》と持て囃されるには十分そうだが、この程度の支配具合では空間など跨げそうにない。 眞王も気に掛かることを言っていた。 『内在している力は大きいんだが、何かが邪魔をしているような気もするな』 ただ、それがなんなのかは眞王にも分からないらしい。 『大体こいつの能力は俺にも説明のつかぬところが多々あるのだ。特に、感情が爆発したときにだけ魔力が使えて、しかもその間の意識があったり無かったりというのがな…』 そんな男に眞魔国の未来を託しとったんかいと突っ込みたくなる。 「んー…でもさ、《水》が反応してるんならもうちょっとそれらしい…川とか海とかが出てきそうじゃん?でも、夢の映像で印象が強いのは《風》のほうなんだよな」 「《風》かぁ…。五行論だと《風》は木行に対応してるから、《樹木は水によって生え、生い茂る》とされて相生の関係にあるけど…強引かな?」 「四元素説と陰陽五行論は東西文化の交流の中で影響を与え合ってはいるようですけど…基本ロジックが異なりますからね」 「おーまーえーらー…難しい事ばっかり言うなよぉ…やっと期末試験終わったってのに」 「僕の甚大なる助力の御陰でね」 「…その節は、お世話になりマシタ……」 難しいことを肩代わりして考えて貰っているわけだから、本来文句の言いようもないことに気付き、頭を下げる。 「でもま、難しいことと言ったところで、実際僕達は待つしかないんだよ。ロジックを完璧に理解していたとしても、君が要素を従える為の助力にこそなれ、肩代わりしてあげることは出来ないんだから」 「そうだよな…」 結局、結論はそこに帰結するのだ。 『四大要素と契約を結ぶ』 そう断言したのは渋谷有利その人であり、誰も強要などしていない。 けれど、地道な訓練を続ける内にどんどん不安は膨らんでいく。 眞魔国にいるときからコントロール不全だったこの魔力で、本当に要素と契約を結ぶことが出来るのだろうか。しかも、具体的に何をすれば契約が成立するのか分からないのだ。 眞王に聞いても、 『呼びかけて答えたら契約成立だ』 等と、さっぱり参考にならない意見をくれるだけだ。 ただ、意識を集中すれば水芸程度とはいえ物質的に水を動かせるということは、少なくとも水については少量の要素を既に従えていることになる。 『別に契約なんてした覚えないんだけどなぁ…』 それを言ったら眞魔国で絶大な魔力を振るったときだって、周囲の人々の意見を聞いても契約らしき言葉を発しているのを聞いたことはないという。 考えれば考えるほど迷宮を彷徨っているような心細さが込み上げてくる。 以前、コンラートも眞魔国から地球にわたる方法を探る旅の途上、何度も不安を感じたのだという。星を掴むような…そんな、途方もない妄想に過ぎないのではないか…強靱な精神力を誇る彼でさえも、そんな風に思ったのだという。 湯気の立ち上るティーカップに唇を宛がいながらちらりとコンラートの様子を伺うと、丁度目があった。 にこ…と柔らかく微笑まれて、嬉しいのに…泣きたいような気持ちがして瞼を伏せた。 四大要素と契約を結べなければ、何時かコンラートは眞魔国に引き戻される。 考えるだけで背筋が強張り、心拍リズムが速くなる。 いや、戻されるのならまだ良い。下手をすれば出鱈目な座標軸で転位して、海に落ちるか砂漠に落ちるか…最悪の場合マグマの中のような、如何に彼でも助からないような場所に落とされる危険性だってあるのだ。何しろ、こちらに来たときだってジャングルの奥地に飛んだ位なのだから。 『怖い……』 コンラートが居なくなることが怖い。 二度と会えなくなることも、もしかして命が奪われてしまうのではないかということも……。 それが、自分の力不足で現実のものとなる可能性があることが… 怖い 「ユーリ…」 カップを持つ手を自分よりも一回りも二回りも大きな手で包み込まれ、そのひんやりとした体温に意識を戻される。小さく震えていたせいか互いの手に紅茶が散って、皮膚の上を赤褐色の雫が滴っていた。 「ユーリ…焦らなくて良いんだよ……」 何を…とは言わず、ゆったりとした…じんわりと染みこんでくるような声が耳朶に響く。 つん…と、鼻の奥が熱くなり、目の表面に張りつめたような痛覚を覚える。 『まずい……泣きそう………』 コンラートに再会してからというものの、妙に涙腺の脆くなってしまった有利は必死で込み上げてくる衝動に耐えたが、そんな強がりさえ包み込むように…声は再度掛けられた。 「泣いても良いよ、ユーリ。猊下も俺も、あなたの重荷を背負うことは出来ないけど、あなたの苦しみに寄り添うくらいはさせてくれないか?」 こんな時には名付け親としての思いが勝るのか、コンラートは敬語を使わない。 そう言えば敬語でいるときも、こちらに来てからは有利の嫌う《陛下》の呼称を用いない。 独特の響きをもって、彼がつけてくれた名前を呼ぶのだ。 《ユーリ》と…。 その名を彼に呼ばれるだけで、包み込まれているような安心感を覚える。 《なんとかなるさ》と、無理をせず…自然に思うことが出来る。 案の定、込み上げていたはずの涙はほろりと一筋が頬を伝っただけで、もうそれに続く雫は発生しなかった。 「ごめんな…なんか、ちょっと不安になっただけだよ。俺みたいな奴は、あんまり先のこととか考えすぎない方が良いよな。身体動かした方が性に合ってるんだから、まずは訓練しっかりやって、水芸上達すんのが先だよな」 「そうだね。ユーリはとにかく沢山食べて、沢山眠って、沢山笑ってくれたらいい。心さえ落ち着いていたら、ユーリは何だって出来るよ」 「…なんだかなぁ……こういうのも親馬鹿って言うのかな?」 『あてられちゃうねぇ』 両手を添え合ったまま見つめ合う二人は、端から見れば親子というより典型的なバカップルのようだった。 * * *
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