虹越え2−1−2






 そうこう言っている間に二人は校門に辿り着いた。
「おはようございます!」

「ざいまっ!」
「押守!」

 既に校門前には体育会系の生徒が何十人か集まっており、クラブ毎に特色ある挨拶を掛けてくれる。以前は校門の施錠もつっかい棒に南京錠を掛けただけの簡単なもので、早出のクラブ顧問が勝手に開け、その後は自由に出入りが出来たのだが、不審者対策の一環として基本的に開門はAM7時、閉門はPM5時と決められた。ただ、これでは大会前などの練習が十分に出来ないということで、夕方については開門・閉門の責任はクラブ顧問に委ねられている。

 よって警備員とはいえ、コンラートが一晩中学校に張り付いている必要は今のところない。

「おはようございます。今日も練習熱心ですね。大会、頑張って下さい」

 にこりと輝くような笑顔を向けられると、女子生徒達から《きゃーっ》という黄色い歓声が上がり、声を上げない男子生徒も朗らかな笑顔を浮かべている。

 警備員コンラート・ウェラー氏の人気は、ここでも上々であった。 

「コンラッド、寒いけど警備頑張ってね」 
「ええ、ユーリこそ授業頑張って下さい。今日は期末試験のテストが返ってくるんでしょ?良い点だといいですね」
「それを言うなよぉ…」

『1学期よりは良い筈なんだけどね…』

 ぶつぶつ言いながら有利が体育館の方に向かう。一度更衣室で着替えて筋トレをするのだろう。コンラートは流石に警備員としての仕事があるので、ついて行くことは出来ない。

 有利には村田のお手製発信器を身につけさせているので、学校内外を問わず事あらば駆けつけられるようにはしているのだが…やはり直接視界に入れておけないというのは不安なものである。



*  *  *




「ねぇ渋谷」
「俺、着ないから」
「返事速すぎ!」

 筋トレを終え、制服に着替えて始業前の教室に入ると、妙に明るい笑顔で篠原楓が声を掛けてきた。しかし、いつになく速攻でつれない返事を寄越す有利だった。

 彼女とは1ヶ月前から随分親しくなり、果断な性格に好意を持っている。

 だが、唯一警戒心を抱かざるをえないのが、彼女の《着せたがり》な点だ。

「だって、その手に持ってるもんは何だよ!俺、絶〜っ対着ないからなっ!」

 篠原が手に持っていたのは、たっぷりとドレープを取ったミニスカート型のサンタ服と、やはり短いボレロ風の上着だった。赤い台地は縫製が見事なせいかフリースで作ったとは思えない完成度で、その袖口を飾る(ここは材料も奮発した)ふわふわフェイクファーが大変愛らしい。ボレロの襟元から下がるボンボンも同様の素材だ。艶のある素材の赤いブーツは踵が高く、脚をより長く見せる効果はありそうだが、同時に安定感に乏しそうだ。

「馬鹿ね、渋谷。コレはあたしが着るのよ。あんたのはこっち」

 そう言って篠原が寄越したのは同じ材料で作られているものの、こちらは正統派のサンタスーツで、少し幅広のベルトの細工が凝っているが、女の子っぽい要素は特に見受けられない。

「え……え?…あれ?」
「流石に幾らあたしでも、前の文化祭の時にあんだけ酷い目に遭わせたんだから少しはものを考えるわよ!」

 何しろメイド服を着た有利の写真は発生した事件のせいもあって話題になり、インターネット上で大いに流布されてしまったのだ。ただ、勝利や村田が手を回したせいか実名は上がっておらず、《人質になった女子の一人》とされており、どうやら榎本香苗と混合されたおかげで男子の女装とは思われていないらしい。

 だが、学校内では勿論人物特定されているので、恐らく卒業後もからかわれ続けることは必至だった。

 まるで小学生が教室でおしっこを漏らしてしまって、卒業まであだ名が《ションベン》になるような悲しさだ。

 そこら辺を篠原の方でも流石に慮ってくれたらしく、今回については普通のサンタ服を作ってくれたようだ。

「あー…あの、ご免なさい……」
「もういいわ、心配するかなってのは予想したしね。これ以上女装したら、本気で趣味なんだと思われちゃうし。それより、早く着てみてよ。まだ松もっちゃん来るまでに時間あるしさ。大きめだから、上着だけ脱げば制服の上から着られるよ?」
「う…うん、それじゃあ……」

 開口一番勘違いで拒否ってしまった後ろめたさもあり、有利はささっと上着を脱ぐと迅速にサンタ服を着込んだ。

 ご丁寧に帽子もスッポリと被って、照れくさそうに聞いてみる。

「…どうかな?似合う」

 ふわふわのファーの下から覗く、はにかむような上目遣い。

 仄かに上気したまろやかな頬。

 きゅっと上がった口角が、頬との間に作る小さな窪み。

 そして、篠原が計算尽くで設計したサンタ服の《良い感じのだぼだぼ感》が、完璧に作用し…

 

 激しく凄まじくもんどおり打ってその辺り中を転げ回った挙げ句大声で叫びたいくらいに愛らしい…プリティサンタさんが出来上がった。

 

『ナイス!ナイスよ渋谷!!』

 意外と可愛い物好きらしいことに目覚めだした篠原は、心の中で鼻血を流しながらグッジョブサインを出していた。

「うん、よく似合ってる。これでうちのクラスの出し物は完璧よっ!」

 2年5組はいよいよ迫ってきた《終業式兼やり直し文化祭》に向けて着々と準備を続けていた。折角なのでまたメイド服や腰エプロンを身につける生徒もいるのだが、何人かはサンタ仕様の服を新たに作ることになっている。

 クリスマス前にサンタの衣装というのは、ベタすぎて他のクラスと被らないかという意見もあったのだが、気の早いお正月モードにしたところで、目前に迫ったロマンチックイベントの前には霞んでしまうだろうということで(クラスの中には笑いを狙って鏡餅や門松の着ぐるみを作成しているところもあるらしいが)、結局そんなところに落ち着いた。

 ただ、出し物自体はまたカフェというのも捻りがないので、クリスマスにちなんで子供が入れる程度の《お菓子の家》を作ることになった。段ボールなどで家の原型を作り、屋根部分に大量の四角いビスケットを載せておく。客がそのビスケットを取って、アイシングやチョコレートで願い事を書いて食べるとそれが叶う…という、七夕やら民間信仰やらが奇妙な具合にミックスされた企画を予定している。

 大体、何者がそれを叶えてくれるのか設定すらしていないところがなんだが、民間信仰とはえてしてそういうものなのでノープロブレムらしい。

 神様もびっくりである。

「でもさぁ、篠原にしては珍しくサイズ間違った?なんかちょっとぶかぶかするよ?」

 腕を上げたり、くりっと身体を捻ったりしながら、袖口や裾の様子を伺う様がまた見事に可愛らしい。

『それで良いの。それでイイのよ渋谷君!』

 クラスメイト達は心の中で篠原楓の仕事ぶりに喝采を送りながら、生暖かい目で見守った。

「おっはよー…っ!」

 がらりと扉を開けて入ってきた黒瀬謙吾が、目の前の愛らしいサンタちゃんを目にした途端、かぁ…と耳まで真っ赤にして壁に張り付いた。

「おはよっす。あれ…?黒瀬、顔赤いよ?風邪ひいた?」

 心配した有利がとてとてと近寄り額に手を当てるが、どう考えても逆効果である。

 更に顔が赤くなり、小刻みに震えている様は見事な病人…ないし不審者状態であった。

『黒瀬君……』

 男子生徒はそうでもないが、女子生徒のうち《漫研》だの《文芸部》だのに所属している女子生徒は目がカマボコ状態である。

「保健室行く?歩けるか?」

 性格が男前な渋谷有利君は友情に従って肩を貸そうとするが、黒瀬は何とか身を捩って視覚の楽園だか暴力だか分からない映像から目を逸らした。

『朝っぱらから俺を試すのは止めてくれ渋谷っ!』

 心の絶叫を、邪な女子生徒だけが聞いていた。



*  *  *




 この日の座学は殆どがテストの返還と解説に費やされ、その度に一喜一憂する生徒の声が教室に響いた。6時間目の体育ではやっとそういったものから開放されるが、その代わり、体力のない生徒には辛いマラソンというものが待っている。

 校外を景色でも眺めながら走ればまだ楽しいのだが、校内のコースを淡々と回り続ける作業はハムスターの車輪回しを連想させて、ちょっと辛い。

「そういえば、3組の奴らが言ってたんだけど、今度のやり直し文化祭じゃあサプライズ企画があるらしいぜ?」
「サプライズぅ?」

 日頃のトレーニングの成果か規則的な息遣いで走る有利に、やはり安定した呼息と歩調で走る黒瀬が並んできた。

「うちの音楽教師って昔は結構有名なバンドのバックやってたらしくてさ、そのツテで芸能人がミニライブをするとかいう話だぜ?ほら、今回の文化祭は規模縮小版だから、生徒と家族しか来ないんでちょっと寂しげだろ?だから体育館の販売・展示部門が切り上げる2時位にみんな講堂に招集してやるらしいんだよ」
「へぇ…でも俺、芸能人ってあんまり興味ないしなぁ…。せめて可愛いアイドルだったらいいんだけどな」
「う…まぁそうだよな。芸能人っつってもピンキリだもんな」

 お笑い芸人だって自称何とかコメンテーターだって、芸能人の範疇に入ってしまうのだから。

「でも、そういう心遣いは嬉しいかも。先生らも一生懸命盛り上げようとしてくれてんだよな」

 有利がにこぉ…と笑うと、雲間から差し込んできた陽光が微かに浮いた汗をキラキラと輝かせ、ブリリアント効果(笑)をもたらして黒瀬の網膜を刺激した。

『う…っ!』

 苦鳴を飲み込みつつも眼福な映像を楽しんでいたら、何やら首筋にちくちくと感じるものがある。

 振り向くと、遙か彼方の校門前で仁王立ちになった男がこちらを睨み付けている。

『ここここここここ……コンラート・ウェラーっ!』

 恐らく、彼のことを呼び捨てにしているのはこの学校でも黒瀬と有利くらいなものだろう。それも、黒瀬の場合は心の中だけでのことだが…。

 文化祭の日に初めて会ったときには名付け子に会えた喜びのせいか、黒瀬など殆ど視界の片隅にも入れていないような認識状態だったが、この学校の警備員として務めだしてからというもの、ある特定の条件下において厳しい視線を送ってくるようになった。



 食堂で昼食をとりながらの雑談時。

 放課後のグラウンド。

 帰宅途中の道草誘いかけ。

 そして、こんな風に体育をしている最中…。



 渋谷有利に接近している時のみ…強烈な殺気を感じるのだ。



『なんて大人げない…』

 とは思うものの、面と向かって苦言を述べるだけの勇気は持てなかった。

 友人達は彼のことを《格好良いのに気さくで、礼儀正しい》と評して親しげに声を掛けるが、黒瀬にはどうにも馴染むことが出来なかった。

『畜生……俺も臆病になったもんだぜ。たかだか視線一つでこんなにびくついててどうすんだよ!それに、別に疚しいことは何にもしてないだろ!?』

 ごくごく一般的な級友同士としての付き合いをしているはずなのだから、あんな敵意満載の視線を浴びる謂われはない。……と、思う。

『俺はこいつの友達なわけだし?ちょっとくらい身体が当たったり、巫山戯合ったときに変な体勢になったってどうってことないじゃないか』

 そうは思いつつも気がつけばびくびくしている自分が心底嫌になり、黒瀬は刺激療法に出ることにした。

「よぉーし。渋谷、茅原、藤谷、黒瀬20周終わり!お前らは他の連中が走り終わるまで柔軟してろ。小渕はあと3周だろ、止まるなっ!」

 どさくさに紛れて止まろうとした周回遅れの生徒が叩き出される。

「渋谷、開脚すっか?先に押してやるよ」

「ああ、頼むわ」

 その辺をゆっくり旋回して息を整えた後、黒瀬は未だびくつきながらも有利を誘った。

「おー、結構柔らかいな渋谷」

「トレーニングの成果出たかな?」

「関節柔らかくねぇと、牽制送る時とかに咄嗟の動きが遅れるもんなぁ…。お前って、地道に頑張ってるよな」

 150°くらいに開脚した状態で、背中を押されてるとはいえ胸が殆ど地面にくっつくその柔軟性は、男子としてはかなり柔らかい方だろう。まわりで見ていた生徒も驚いているようだった。

「もうちょっと頑張ったら腹までつくんじゃねぇの?ほら…」
「えー?どうだろ……」

 純粋な興味で背中にもたれていった黒瀬だったが…



「んっ……も、駄目…苦しっ………」



 上腹部までは地面についたものの流石にしなりがきつすぎたのか、はたまた背中からの圧迫が重すぎたのか、有利は苦しげに喘いだ。

 その…まるで、ベット上で嬲られてでもいるかのような台詞と息遣いに、どくりと鼓動が跳ねるのを聞いた瞬間、…ひゅんっ!と空を裂いて飛来したものが首筋を掠めた。

「痛っ!」

 黒瀬は勢いよく上体を跳ね上げると、痛みというか…ちりっ!と衝撃が掠めた項に手を当てた。

 掌にはうっすらと血の痕があり…。

 その原因と思われる小枝が自分の右側に転がっており…。

 左側には…………。

 おそるおそる校門の方を向くと……いつの間にかグラウンドの入り口まで接近してきたコンラートが……凄みのある笑顔を浮かべて佇んでいた。



『ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいっっっっっっっっっっっ!!』



「あ、コンラッドだ。手ぇ振ってら。子供かっつーの」

 そうは言いつつも満更ではなさそうな有利は、ちょっと照れながら手を振り返している。『あんな子供いないから渋谷っ!』

 黒瀬謙吾の心の悲鳴が、今日もグラウンドに木霊していた。



*  *  *





『大人げないことをしてしまった……』

 自覚はあるらしい大人げない大人(推定年齢百歳以上)は、授業終了のチャイムを聞きながら壁に懐いていた。

 有利の傍にいられるだけで幸せで…眞魔国にいたときよりも格段に密着度は上がっていることだし、少々クラスメイトとじゃれ合っているくらい大目に見ればいいようなものだが、明らかに有利に友情以上のものを抱いていると思しき数名の生徒には態度が硬化してしまう。

 特に同じクラスで一緒にいることの多い黒瀬とかいう生徒には、胡散臭いくらいの笑顔大放出でも誤魔化せないほどに(胡散臭い段階でもう駄目だろうという意見もあるが)ついつい物理的な攻撃を仕掛けてしまう。 

 苛つく原因の一つは、自分が何時まで地球にいられるか分からないという不安であろう。



 魔石の力が一体何時までもつのか。

 眞王が急にこの状態に飽きてしまわないか。

 有利の力が目覚めるのが何時になるのか…。



 いや…正直に言えば、まだある。

 それは…



 有利に、恋の相手が現れるのかどうか…という点であり…。



 どれ程楽しい一時を過ごしていても、その不安の種は常にコンラートの心の中で芽吹きの時を待っている。

『有利はごくごく健全な肉体を持つ男の子だ。不自然な制約が無くなれば、性的な欲求も年相応に強くなってくるだろう』

 しかし、コンラートが認められるような女性となら兎も角、自分よりも明らかに格下の男が、万が一にでも想いを成就させるような事態は絶対に許せない…。

 そこまで考えて、不意に込み上げてくるものがあった。

『俺が…認める?』

 漠然とした仮定はあまりにも都合の良いもので、自分自身に対して嘲笑を浴びせずにはいられない。

 申し分がない女性など、現れるわけがない。

 自分は、どんな女性が相手でも必ず粗(あら)を探して巧妙に突きつけるだろう。

『こういう女性との付き合いには、俺は不安を感じるな』

 いかにも経験豊富な先達の徒として…有利の考えを改めさせようとする自分の姿が見えるようだ。

『滑稽だな……』

 手放せるわけがない。

 コンラート・ウェラーという男は、どうにもならないところまで渋谷有利に囚われているのだから。






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