虹越え1−7−1
コンラートの通された客間は、部屋としては6畳ほどでそう大きなものではなかったが、パステルブルーを基調とした壁紙やシーツがこざっぱりとした印象があり、聞いていたとおりベットだけは十分に大きかった。
「荷物本当にこれだけ?」
「ええ、とにかく早くこちらに来たかったので、荷物は最低限しか積んでいませんでしたから」
海外旅行者とは思われないほど、コンラートの荷物は小さかった。
冬場ということもあり、鞄の中には衣類は下着と靴下とシャツが何組か、後は大切に油紙に巻かれた手紙が入っていた。
「みんなからの手紙です。これだけは濡らしたり汚してはいけないと思いましたから、ジャングルに居る間は随分神経を尖らせました」
「みんなからの…手紙」
有利が注意深く油紙を開くと、中からは幾つもの封筒が出てきた。
その紙の持つ独特の香りと、封に使われた蝋の…見覚えのある色調に有利の鼓動は跳ねた。
そのうちの一つ…他の者に比べると質素な紙質だが、その分ポップな色合いで、極め付きにキスマークで封をしている封筒を見つけると、アドレスも見ずに有利は吹き出した。
「これってヨザック?」
「こんな馬鹿なものを寄越すのはあいつ以外にはいないでしょうね」
あまりにもインパクトが強かったので真っ先にあけてみると、彼が女装しているときに使っている柑橘系コロンの香りがした。
「内容の方も相変わらずだなぁ…そういえばヨザックは今どうしてるの?」
「基本的には《相変わらず》ですね。グウェンの配下として働いています。そしてやはり相変わらず鼻が利く者で、何処で嗅ぎつけたものか…俺の計画に早い段階で気付いてまして、仕事のついでなのか、ついでに仕事をしているのか分からないんですが…各地に散在する魔石を時折回収しては渡してくれました」
「へぇ、お礼は酒で…とか?信頼しあってる仲間同士って感じで良いよね」
「…」
確かに、具体的な見返りは飲み代くらいしか要求してこなかったが、魔石を渡すときの彼の態度や言葉の端々に、妙な予感を覚えていた。
『十分な魔石と、魔石をコントロールできる人がいたら誰でも地球に行けるのかしら?』
夢見る少女のような口調とポーズで聞いてくる男に危うく斬りつけそうになりながら(だって気持ち悪かったのだ…)、コンラートの覚えた予感とは、
『こいつ…付いてくる気じゃなかろうな?』
というものだった。
どうもこの幼馴染は一筋縄ではいかない男で、にやにやと笑いながら本心を明かさないのだが、かなりの確率でコンラートと同種の想いを有利に抱いている節がある。
しかもコンラートがシマロンに行っている間、密接に行動していたせいもあって、コンラートが割り込めないような話で盛り上がっていることもある。
結局、コンラートが旅立つときには任務の関係で眞魔国にいなかったのだが、あの男のことだ…油断した頃にひょっこり何らかの手を使って地球にやってきそうな気がする。
まぁ別に来ても構いはしないのだが(どうせコンラート同様、有利の恋愛カテゴリーには入っていないし)、…何となく気になる。
そんな事を考えている間に、有利は次々に封を開けては手紙を読み耽っていた。まだ読解力は子供並なのだが、相手の方もそのへんは弁えていて噛み砕いた文章で書いてあるせいか、何とか全てに目を通せたようだ。
「うわぁ……なんか、凄ぇ嬉しい……」
大切な宝物を胸に抱くと、もうそれだけで沢山の想いが伝わってくるようだった。
「なんか……信じられない。今朝まではさ、こんなの……思いもつかなかったよ。ああ、でも…寝てる間は都合のいい夢を何度も見たかな……」
夢の中での有利は相変わらず書類に追われたりグウェンダルに叱られたり、ヴォルフラムにへなちょこ扱いされたりギュンターに汁っぽいなにかを掛けられたり、グレタを抱きしめたり…コンラートと、キャッチボールをしたり…。
けれどそれは何時でも朝までしか続かない泡沫の夢で……。
「みんなの夢を見ている間は凄く楽しいんだけど、目が覚めて夢だって分かった瞬間の辛さは結構堪えたな…」
「ええ…分かります。俺も、同じでしたから」
伏せられた面をコンラートの大きな掌がすくい上げる。
「カロリアの大地でもヴァン・ダー・ヴィーアの海上でも…俺はあなたと共にある夢を見ました。ただ、見ている間も夢だという自覚があったせいか、俺は夢を見ることが楽しみでした…例え一時の幻であっても、あなたに会えることは俺の喜びでしたよ」
「……そういう話、そんな甘い声で言われちゃうとなぁ…」
有利の頬が染まるが、口元は笑みを乗せている。
コンラートの本心からの言葉なのだが、どこかに冗談めいた色を含ませているので本気にしていないのだろう。
コンラートもその辺りは分かった上でやっているので特にダメージはない。
『オブラートに包んででも伝えておかないと、弾けてしまいそうだからな…』
何もかもを己の体腔に仕舞って平気な顔でいるには、この想いは育ちすぎてしまった。
「俺もね、夢だって分かって辛いのは辛かったけど、確かに、もう二度とみんなの夢を見たくないとか…ましてや、みんなに会わなければ良かったなんて、一度も思ったことないよ」
「そう言っていただけると、心が安まります。…俺があなたの魂を運んだことで、辛い運命を与えてしまったのではないかと…ずっと気に病んでいました」
「そんな…俺、あんたに運んで貰って本当に良かったと思うよ!?そりゃ、引き離されちゃったときは当分ヘコんでたけどさ、それって、そんだけあんた達のことが大切だったからだよ。無くすから大切な物は作らない主義の人って居るけど、それじゃ何のために生きてるんだか分からないだろ?俺は、手に入らないからって好きなものを嫌いとかいうのイヤなんだよ。だって好きなものはどんなに離れてたって好きなんだもんな!」
有利の言葉に、やや沈んでいた琥珀色の瞳が鮮やかに輝いた。
「あなたは…本当に強い」
コンラートには、そんな時期があった。
あまりにも大切なものを失って、もう二度と愛しいと思えるようなものはつくるまいと、そう誓っていた時期があった。今思えば、あの頃の自分は生きながらにして死んでいるようなものだったろう。
そんな彼を解放してくれたのは、他ならぬ有利の存在だった。
有利に出会うまでのコンラートを象っていたものは、《武への忠誠》であった。
剣士としての技を磨き、一軍を率いて成果を上げ…
理想的な《武人》で在りたいと、そう願ってきた。
そのために努力は惜しまなかったし、真実それが自分の夢なのだと思っていた。一面ではそれも正しかったのだろうが、どうやら《剣士》はともかくとして、《武人》たることを望む場合には、欠けてはならない要素があることに後年気付くこととなった。
それは、仕えるべき《主》を持つこと。
部下などは否定するのだが、どうも生まれ持った気質としてコンラートには組織の頂点に立つよりも、崇拝する人物に忠誠を尽くしたいという欲求の方が強いらしい。
しかし、コンラートは長い間その真の忠誠を捧げるべき相手に巡り会うことが出来ずにいた。
先代魔王は愛すべき存在であったが、王としての資質には欠落していた。
兄であるフォンヴォルテール卿は資質には事欠かないが、後年彼自身が述懐していたとおり、他者の能力を増幅する働きは出来ても、自分に手の届かないような大きな夢を構築することは出来ないタイプであった。
コンラートは結局、眞魔国という《組織》に対して忠誠を誓い、命がけで戦った。
その結果彼の階級は上がり、混血魔族の地位は格段に向上した。だが、同輩の徒として崇拝していたジュリアを失った時、コンラートは進むべき道を失ってしまった。
半ば自暴自棄になっていた折りに眞王からの使命を帯びて地球へ行き、魂を委ね…そして生まれいでた健やかな赤子を目にしたとき、全く新しい生をいきはじめたその子に、もうジュリアを重ねることはなかった。
何か強い予感が、彼の成長する日を心待ちにさせた。
その時から待って待って…15年の後に再会した少年は、あっという間にコンラートの忠誠心を掴んでしまった。
『俺がなってやる…!魔王になって、人間も魔族もない…平和な世界を作ってやる!』
何と大きな夢を語るのだろう。
華奢な身体で、こんな少年が…
いまだ誰も語ったことのない壮大な夢を、
コンラートの前に恬然と広げて見せたのだ。
『この方こそ、我が主』
誇らしく、崇拝の念を込めてコンラートはその姿を見守り、彼のために己の全てを賭けようと思った。
『あなたが、俺に生きる道を示してくれたのだ…』
そんな想いの籠もった視線が面映ゆかったのか、有利はぽりぽりと指先で下顎を掻くと、照れくさそうに言った。
「いや…今は偉そうにこんなこと言ってるけどさ。あんた達と離されてから地球に戻されてしばらくの俺の面構えって酷いもんだったらしいよ。友達にも《魚河岸の冷凍マグロの方がまだ生きてる感じ》とまで言われたもん」
「冷凍マグロですか…それはまたスパイシーな…」
そういう言語表現をする者が赤い悪魔以外にもいるのだな…と、コンラートは妙な具合に感心した。
「それでも、立ち直られたのでしょう?やっぱりユーリは強いですよ」
「…きっかけがあったからね」
有利は胸元の魔石をぎゅ…と握りしめ、誕生日に誓った《何処にいてもコンラッドに誇りに思って貰えるような自分》になることを、一応は成就できたのだと満足した。
「きっかけ?」
「んー…また機会があれば言うよ」
コンラートではあるまいし、本人の前で《あんたに誓ったんだ》とはなかなか言いにくい…。
「それより、長旅で疲れたろ?お風呂入りなよ。浴槽が狭いから浸かるのは大変かも知れないけど…」
「そうさせて貰おうかな?俺もヒルドヤードにユーリと行ってからどうも湯船派になったみたいで、シャワーだけのバスタイムが物足りなく思っていたところだし…ゆっくり暖まらせていただきます」
「うん、じゃあ一緒に入ろうよ。湯船には交代で入れば良いよな」
「え?」
《ホワッツ?》という感じでコンラートが小首を傾げたところで、突撃してきた男が居た。
「ゆーちゃん!お前は友達に言われたことをもう忘れとるのかーっっ!」
「ししし勝利っ!?忘れるって…な、何を!?」
「お・ま・え・はっ!本当に鳥頭だなっ!」
勝利は右手の人指し指を勢いよく有利の鼻面に突きつける。
「さっきお前の友達が切々と語っただろう!?お前だって襲われないように自助努力をすると約束していただろうが!」
「あー、だって相手はコンラッドだよ?俺、温泉街で何度も一緒に風呂入ったりしたけど、ギュンターみたいに変な汁も撒かないし、俺が逆上せたら介抱してくれるし…変なことされたことないよ?俺の方がコンラッドの筋肉に見惚れて触らせて貰う位だから、どっちかっつーと俺の方が不審者?」
「ユーリが際どい所の傷まで撫でるから…色んな意味で大変でしたよ」
『勃ちそうで…』
とは言わなかったものの、勝利の方はその意図を汲み取ってげんなりとした。
「有利…犯罪は何も知らない人ばかりがやる訳じゃないと教えてやったろう?顔見知りの犯行ってのも多いんだぞ?」
「でも、コンラッドは大丈夫だよ!だって名付け親だよ?俺が生まれる前から知ってるんだぜ?そんなのに欲情したら犯罪だよ」
きっぱりぽんと言い放たれる言葉の暴力に、コンラートは静かに心の涙を流していた。
『………こいつはこいつで、哀れかも……』
勝利にすら同情されるコンラートであった…。
『犯罪…まぁ……そうだな……』
自分自身に呆れて嘆息する。
コンラートが有利を《名付け子》以上の存在として認識したのがいつ頃であったのか、正確な時期は自分でも特定することが出来ない。
ただ、おそらくこの頃だろうと考えられるのが、ヒルドヤードに湯治に行ったあたりである。
眞魔国からもとの世界に帰ることが出来なくなり、落ち込んでいたユーリを見ていることで、彼の持つスタンスが認識されてきた頃だ。
『この方は、眞魔国に永住する事を決意されているわけではないのだ』
まだ年端もいかぬ少年のこと、家族や友人が恋しいのは当たり前…ある程度覚悟していたこととはいえ、キャッチボールをしても会話を交わしていても、何処か寂しげな色が目に浮かぶのを見る時、酷く罪悪感を覚えた。
『あなたの魂を異世界にお運びし、その誕生を見守り…成長を心待ちにした日々は俺に幸福をもたらしてくれた。だが、あなたにとってこの運命は…俺が、眞王のご命令とはいえ…直接には俺が与えることとなった運命は、あなたにとって迷惑なもの以外の何ものでもなかったのでは…』
本当なら両親の庇護の元、学業と恋の悩み…将来への夢…そんな自分自身に関わることだけに専念していればいい筈の学生の身で、有利の受け止めた重責の何と過酷なことか。
彼が本当に、心から眞魔国の生活ではなく、生まれ育った国での暮らしを求めるなら、たとえ眞王に背くことになろうとも、彼を帰してあげるべきなのではないか…。過保護な《名付け親》としての自分の囁きに、コンラッドの別の心は抵抗した。
『ユーリは魔王だ。俺の仕えるべき王だ』
それは間違いない。
だが、その根拠となる想いは複雑な色合いを持っていた。
『彼を離したくない…』
『常にお側に在って仕えていたい』
『笑顔を見ていたい』
『困ったときに頼って欲しい』
『抱きしめていたい』
『誰にも、渡したくない…』
全て心にある、素直な想いだった。
純粋な愛情と独占欲が入り混じり、その境界が自分でも不分明になっていった。
だからヒルドヤードの事件の後、有利が元の世界に戻り…そして再び現れた時に、敵の襲撃から彼を守って腕を失い、眞王に指示された新たな命令に、《見抜かれた》…と、思った。
『大シマロンに潜入して国家体制を転覆させ、禁忌の箱を回収せよ。それが叶うまで、ユーリの側に侍ることは許さぬ』
厳命に抗することが出来なかったのは、このままユーリの側にいれば何を望んでしまうか理解していたからかも知れない。
誰よりも…何者からも守ってあげたい人なのに、他でもない自分自身が彼を最悪の形で裏切るくらいなら…と、受け入れた境遇は、想像以上に己を蝕んだ。
心にもない言葉で有利を傷つけるたび、
有利が自分以外の者を頼みとしているのを見るたび…
魂を抉られるような痛みが襲った。
結局仮面を被り続けることは叶わず、究極の選択を前にしたコンラートは眞王の怒りを受けることを覚悟の上で有利を救った。
未だ目的が叶わぬ状態で下した決断を、意想外に眞王は責めなかった。
ただ、ひとことウルリーケを介して伝えられた言葉は、
『己の立場を弁えておけ』
というものだった。
『己の立場…か』
重い言葉だった。
名付け親…臣下…親友……
そういった数々の立場は、出奔前から何一つ変わっていない。いや、以前以上に忠誠を示す必要があった。有利に対しても、周囲に対しても…。
眞王の指示であったとはいえ、主に剣を向けたのは確かなのだから。
なら、せめて…と、自分の思いを冗談めかして伝えてみることにした。
本気で言っても伝わらない希少動物の主には、コンラートの言葉を親父ギャグの一環と受け取られたようで、
『駄洒落だけじゃなくてセクハラ系親父ギャグにまで開眼しちゃったのかー。親父道まっしぐらだよね』
と、評価されてしまった。
そんな道、極めたくない…。
「なぁ、コンラッド。一緒にお風呂はいるだろ?」
再度ねだられて我に返る。
「だっかっらっ!駄目だと言ってるだろう?」
「そうですね…じゃあ、心配なようならショーリも一緒にいかがですか?」
「なにぃ!?」
「えー?3人じゃ入りきるかな?」
コンラートの発言に、兄弟は観点の異なる返答を寄越した。
「ゆ…ゆーちゃんと、風呂……?」
頬を上気させてどもる実の兄って一体…と、コンラートは不安になった。
過保護な兄だとは思っていたが、弟の裸にまさか欲情するわけではなかろうな。
照れくさいだけだと信じたい…。
「まぁいっか。2人が身体洗って1人浸かってってローテーションで行けば良いよな。あ、コンラッド荷物の中にパジャマなかったよな?勝利、貸してあげてよ」
「俺のをか?」
「何嫌そうな顔してんだよ」
「ああ、良いですよ有利。薄手のスラックスは一本持ってきていますし、上は着ずに寝ることが多いので」
「止めろ!そんな格好で徘徊するなっ!パジャマ貸してやるからっ!」
ガタイのいい白人男性が半裸で彷徨き回る様を想像したのか、勝利の方が折れた。
「コンラッド…傷、増えたね」
「そうですね、色々あったから……」
厳正なるじゃんけんの結果、一番風呂に入ったのは有利だった。これは有利が一番勝ったからではなく、負けたからである。過保護な兄と名付け親は両方とも有利の体をまず温めようとしたので、どうしたって不利だったのだ。
顎を浴槽の縁に乗せて、有利はじぃっ…とコンラートの引き締まった体躯を見つめた。
見覚えのある腰の大きな傷が一番目立つが、その他にも大小の傷痕がある。中には、まだ傷が塞がっていない真新しい痕もあった。魔石集めの旅…そしてアマゾンの奥地を踏破している間についたのだろうか。
『そうまでして…コンラッドは来てくれたんだな…』
胸に熱いものが込み上げてきて、思わず有利の目元は潤んでしまう。
湯気に燻る長い睫毛とつぶらな黒瞳…上気して薔薇色に染まった頬…そんなものを向けられて見つめられる方は堪ったものではない。コンラートは極力目を瞑って身体を洗うことに専念した。
「そう言えば勝利もなんか身体鍛えてんの?前はそんなに筋肉あったっけ?」
「普通にこの年まで育ちゃ、このくらいにはなるんだよ。それよりお前…毎日ランニングやら筋トレやらやっててその身体な方が俺は不思議だよ」
「うるさいな!俺だって気にしてんだよ!!」
勿論弛んだりはしていないし、腹筋や上肢・下肢をよく見るとしなやかな筋肉が付いて、どこか脚力自慢の若い鹿のような印象がある。…が、確かに平均的な男子高校生に比べると華奢な印象が否めない。
「あーあ…筋肉つかないかなぁ…」
「焦らずに鍛え続けることですよ。それに、ユーリはそのぶん俊敏でしょう?」
「そんなこと言ったって、コンラッドの方が素早いじゃん。それでいて力も強いんだもんなぁ…ヨザックだってあの筋肉量ですばしっこいんだもん。羨ましい…。上腕二頭筋とか僧帽筋まではともかく、あんな風に菱形筋まで浮いてる人なかなか見ないよ?」
「お前…英単語はなかなか覚えられないくせに、筋肉にだけは詳しいのってどうよ。それでいて身に付いてる分は貧相なんだもんな」
「う…」
ぷに…と上腕二頭筋をつつかれて、有利は仏頂面になる。確かに、軍隊生活が長いコンラートはともかく、勉強とゲームに日々を費やしている勝利にまで負けてしまうのはあまりにも悔しい。
何か効果的な言葉で言い返したいのだが、筋肉同様乏しい語彙力のせいか上手く言葉が出なかった。
『…しまった』
唇を突き出したまま黙り込んでしまった有利に、やりすぎを自覚する。
勝利とて、こんな下らない理由で兄弟喧嘩がしたいわけではない。ただ、性格というのはすぐには変えられないもので、ついつい絡み口調になっては有利を半泣きに追い込んでしまうのだ。
その時、助け船を出してくれたのは勝利にとって意外な人物だった。
「ユーリは、本当にショーリと何でも話せるんですね。それで喧嘩になることもあるかも知れないけど、俺は羨ましいな」
「何言ってんだよ。コンラッドだって…前はそりゃ意志の疎通とかなかったかもしれないけど、今はグウェンともヴォルフとも仲良いだろ?」
「ええ、ユーリのお陰で俺達の関係も随分変わりましたけど…それでも気さくに話すという間柄ではありませんよ。グウェンなんかは特に、会話内容が仕事上の話で占められてますしね。まさに上官と部下の会話って感じですよ?」
「ええと…それはさ、アレだよ」
アレって何だよと自分で突っ込みたくなるが、有利にはなかなか良い言葉が思いつかなくて、どうして自分はこんなにも気持ちを言い表す能力が乏しいのかと情けなくなるが、どうしても伝えたい想いがあるので、懸命に言葉を探す。
「そうだ!共通の話題がないからだよ!グウェンとコンラッドって一致する趣味がないだろ?だから、どうしても仕事の話になるんだよ。それでも、仕事上の配慮とか気が付いたらやっててくれるだろ?上手く言葉に出来なくても、グウェンは…何時だってあんたのことを心配して、気に掛けてるんだよ!」
「ああ…そうかもしれませんね。いくら兄弟でも、なかなか上手に気持ちを伝えられないこともあるかもしれませんね。特に兄というのは、何時だって下の弟妹のことが気に掛かるものらしいから…。あれで心配してくれてるのかもしれませんね」
得心いったというふうに笑顔で言われて、有利と勝利は顔を見合わした。
「…」
コンラートの伝えたかったことが、二人とも理解できたらしい。
言葉にはならなかったが、見交わした視線はお互い柔らかいものだった。
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