虹越え1−6−3 「君はさぁ、結局僕が以前言ったことを何一つ分かっちゃいなかったんだろう?眞魔国ほどではないにしても、君は本っ当ーに色んな人の関心を浚ってしまうんだよ?僕みたいに犠牲的精神に富んだ人なら君の幸せを追求して自分の身を捧げることで満足するだろうけど、独占欲や支配欲の強い連中はそうはいかない。君を拉致監禁したり強姦したりということも考えられるんだよ?」 さらりと語られた《村田健、犠牲的精神説》は放置され、その後に続けられた不穏な単語の数々に渋谷家の面々が顔色を変える。 「いや…そりゃ前にも聞いたんだけど…だって実感ないし……。第一、俺を強姦ってナニ?どうやんの?性転換手術とかされるの?」 「………あのぅ…渋谷家ではお子さんにどういう教育をなさってるんですかね?」 眼鏡をくいっと指先で上げると、村田の冷たい視線が勝馬に浴びせられる。 「う、そ…それは……。ゆーちゃんには健やかに大きくなって貰いたいなぁって……」 「そうだぞ、このエロ眼鏡君!ゆーちゃんの穢れなきちっちゃな脳みそに余計な知識埋めこんでんじゃねぇよっ!」 狼狽える父と激怒する兄の様子に、村田の眉間の皺がフォンヴォルテール卿並みに深くなる。 「健やかにも程がありますよ。ねぇ渋谷、いいかい?どうしてこの世にホモがいると思う?男だって性対象になりうるからだよ?具体的に言えば、君の×××にそいつの×××を挿れたり、そいつの×××を君の舌や唇で慰めさせたりと、やり方は色々あるんだよ?相手が女性だとすれば、君に跨って×××を×××に誘ったり……特に君の××は××だからね、さぞかし煽情的だろうね」 「だーかーらーっ!ゆーちゃんにそんな放送禁止用語を連発してんじゃねぇっっ!」 半泣きの勝利が悶絶する。 そんな勝利を尻目に、コンラッドは有利の手をそっと握り、じぃ…と目と目を合わせて見つめ合う。 「分かりました。これからは俺が、一時もお側を離れずユーリの身辺をお守りします」 「ナニが分かりましただ!あんたが一番の危険人物じゃねぇかっ!」 我に返った勝利が見つめ合う二人の間に新聞紙を挟み込む。 「何を言うんだショーリ。俺は東洋人がこちらの世界以上に魅力的に感じられる眞魔国人であるにもかかわらず、ユーリと同衾しても手を出さずに一晩過ごせる男だぞ?」 「お前に呼び捨てにされる覚えはねぇよ弟の護衛!それより、今!聞き捨てならない発言があったぞ!?同衾とはどういう事だっ!」 「じゃあ、お義兄さん。その状況を詳しく知りたいですか?…本当に?…心から?」 無駄に爽やかな笑顔でコンラートが微笑みかけるのに、勝利の顔色が蒼醒める。 「何か嫌な漢字変換をされてる気がするっ!お、悪寒が背筋を走るぅっ!い、いい、もういいショーリでっ!状況…状況は……うぅ……」 「勝利、何考えてんだよ。別に妙な事じゃないぜ?俺、あっちの言葉は喋れるけど文字が読めないし、書けないからさ、時々コンラッドの部屋に行って分かんない文字見て貰いながら本読んだり、日記書いたりしてたんだよ。んで、時々眠くなっちゃってそのまま部屋に泊めて貰ったりしてたんだ」 有利の解説は勝利の心を安寧どころか恐怖の扉の方に導いていた。 「ね、渋谷のお兄さん…貴方の弟さんの無防備ぶりにどれだけ僕が苦労していたか分かるデショ?」 「苦労してもガードし切れてなきゃ意味ないだろうがっ!何でこんなケダモノとゆーちゃんを同じ布団の中に入れて放置してたんだよ!?」 「ケダモノとは心外ですね、ショーリ。俺は白いシーツに映える漆黒の髪がどれだけさらさらしていても、指に絡めて感触を楽しむだけで口付けするのは我慢したし、ユーリが寝返りを打ったときに白く滑らかな腹が見えても、暫く眺めて楽しんだだけでちゃんと夜着を整えて布団を掛けてあげたし、横に寝ている時に小さく愛らしい鼻面を押しつけてすり寄られても両腕でキュウッと抱きしめるだけでそれ以上手出しをしなかった男ですよ?素晴らしい自制心だとは思いませんか?」 「どーこーがー素晴らしいもんか!それの何処が我慢してるってんだよぉぉぉっ!畜生!俺なんて小学校低学年以降のゆーちゃんとそんな風に寝たこと無いんだぞ!?貴様、何の権利があってそんな特権を貪ってやがった!?」 「何しろ、名付け親で臣下で護衛で野球仲間で親友ですからねぇ…」 「お前それ以上のことを絶対狙ってるだろ!?」 「狙っても良いですか?」 「狙うな!止めろ!何なら止めて下さいと平身低頭してやる!」 踏ん反り返っておいて何を言うか。 「そこのお二人さーん、話戻しても良いですかぁ?」 呆れかえったような村田の言葉に、漸く話のレールが戻される。 「もう一度言うよ、渋谷。僕は、君が要素を手に入れることに反対だ。君は眞魔国で期待されていた以上の成果を上げて責任を果たした。君はこのままこちらの世界で要素と無縁に暮らしていれば、人間として一生を終わることが出来る。平穏無事かどうかまでは保証できないけどね。どうだい?それでもやりたいかい?」 村田の言葉は厳しいが、瞳に浮かべられた色彩は深く…渋谷有利の身を真剣に案じていた。 「………」 暫しの沈黙があった。 家族ははらはらと次男の言葉を待っている。 コンラートは…じぃ…と、有利を見つめて決断を委ねている。どちらの選択をしたとしても、彼は有利の選択を支持してくれるつもりなのだろう。 『俺は強制はしません。全ては有利のお心のままに…』 柔らかい眼差しは、そう伝えていた。 有利はぎゅっと瞼を閉じると、勢いよく開いて決断を告げた。 「俺…それでも、やるよ。出来る限り、村田の助言もちゃんと聞いて、自分の身も守れるようにする。だから…だから、村田…お前も手伝ってくれないか?」 「僕は反対だと言ったはずだよ?僕がこれだけ情を尽くして説得しているのに、聞いてくれないような男の手伝いを何故しなくてはいけないんだい?」 「だって俺はお前のことを当てにしてるんだ!俺なんてへなちょこだから、お前みたいなしっかりした奴に助けて貰わなきゃ、ろくな事が出来ないって知ってんだよ!」 「はぁ?」 自分で言っていて居直り強盗のような台詞だと思うが、有利は大真面目だ。 村田がどれだけ心を尽くして説得してくれたか分かっている。 村田がどれだけ有利のことを心配し、大切に思ってくれているか知っている。 長く孤独な…蓄積されていく記憶を誰とも共有することが出来ない輪廻の桎梏の中を、それでも投げ出さずに生きてきたこの大賢者が、渋谷有利という存在にどれだけの想いを持っていてくれるのか、本当に全て分かっているわけではないだろうが…それでも幾ばくかを感じ取ってはいる。 そんな彼が、最後には折れてくれることを知っている自分はとても卑怯だとも思う。 「だから…俺はお願いすることしかできない。強制なんて力も権限もないから、友達として…お願いします!俺を助けて下さいっ!」 土下座でこそないが、膝に食い込むほど鷲手にした指に力を込め深々と頭を下げる。 「まるで選挙演説だね…《僕を男にして下さい》っていうアレみたい」 呆れたように村田は笑うが、もうその笑みにどす黒い悪意は混じっていなかった。 彼は今、心から素直に呆れ果てているのだ。 この強情な友人と、結局の所折れてしまう自分自身に。 「…大変な事になると、それだけは理解してくれ」 「…うん!」 得心いったとばかりに力強く頷くと、今度は父や兄にも頭を下げた。 「親不孝するって、先に言っておきます。でも俺はやるから…だから、許して下さい!」「…そんなさぁ…男前の顔した息子、俺が止められる訳ないだろ?納得行くまでやってみな」 「親父!」 渋谷家の兄弟は全く色合いの違う感情を込めて、同じ言葉を発した。 「正気かよ親父!?どんだけ危険な話か…」 「分かってる。…つもりだ、いまはな。だが、俺が元々怒ってたのは、何でもかんでも秘密裏にやられることだ。…有利や俺達の与り知らぬところで、勝手に話を進められることだ。本当にもう秘密がないのなら、俺は有利の決断を止めることは出来ない。だが…」 瞬間、すちゃらか社員の仮面の下に隠された、《魔王の父》としての威が辺りを圧した。 「もしもまだ裏事情があるのなら、今言っておけ。まだ尚なにやら秘密を抱えた上で有利を利用しようとする奴が居たら、俺はどんなことをしてでも復讐を果たす」 ぴんと張りつめた沈黙の中、しばし発言者は居なかった。 眞王すら興味深げに目を見張って様子を伺っていたが、流石にこの男はいち早く我に返るとにやりと笑みを浮かべた。日本語は喋れなくともさすがは眞王、言っている意味は理解できるらしい。 「眞魔国魔王と地球の次期魔王…双魔王の父親というのはなかなか興味深い人物のようだ。魔力などなくとも、確かに言うとおり復讐を果たすのだろうな。親というのは…そういうものか?」 言われた方は眞魔国語が分からずきょとんとしている。辛うじて、詰られている訳ではないと感じているようだが。 「眞王陛下は、ショーマを賞賛されています。魔力はなくともさすがは双魔王の父だ。親というのはそういうものなのかと…」 コンラートが意を汲んで日本語訳すると、勝馬は漸く破顔した。 「少なくとも、うちではそうさ。うちのヨメさんなんて俺より怖いんだぜ?怒らせるようなことすんなよ?」 ほにゃらとした笑顔はいつもの勝馬のそれで、場の空気は空調とは関係ない何かによって一変した。 「さ、もう夜も更けた、コンラッドはどうせホテルなんてとっちゃないんだろ?客間に泊まっていきな。村田君も良かったら有利の部屋にでも泊まって行きなさい」 「お見通しですね…じゃあお言葉に甘えて、そうさせていただきます」 「僕はちょっと用事があるんで帰ります」 「…君、何かまだ秘密とかあるの?やっぱり?」 勝馬の苦言に、村田は流石に苦笑する。 「今日の勝馬さんは疑り深いなぁ…じゃあ、ぶっちゃけて言うと、僕は今日の事件報道が気になってるんですよ。渋…いえ、有利君のメイド服姿が全国区で知られることになるんじゃないかとね」 「えー?でも、松もっちゃんとか校長先生が俺の名前とか写真は出さないように取材陣に申し入れしてくれたって…」 「正規ベースではそうかも知れないけど、今はインターネットってものがあるからねぇ…僕が気付いた中でも数人の素人カメラマンが君を撮影していたよ?ああ、お兄さんが走って行っちゃった。あっちはあっちで対処してくれるつもりかな?」 『彼の場合、掲載ホームページに攻撃を仕掛ける前に一通りの画像をダウンロードしそうだけど…』 「…なので、僕は家のパソコンで状況を確認して、打てるだけの手は打つつもりです」 「村田ぁ…」 「良いから君、そういう潤んだ瞳で人を見ないでくれる?いくら僕でも襲うよ?」 恐ろしい台詞を残して、大賢者は去っていった…。
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