「夢で遭えたら」
※絵本調小話。特に他の話とは関係ありません。





 今年4歳になる渋谷有利君は、昔から不思議な夢を見ます。
 その夢を見るのは、決まってひどく落ち込んだ時でした。

 その夢はとっても楽しい夢でしたから、むしゃくしゃした時や哀しいときに、むしゃくしゃしたり哀しいのはやっぱり感じるのですが、それでも少したのしい気持ちが混ざるのはきっとその夢を見られるからです。

 この日も有利はわんわん泣きましたが、お布団に入る頃には少し気持ちが軽くなっていました。



*  *  *




『ユーリ…』

 この夜も、とっても良い声が聞こえてきました。
 気持ちよく伸び伸びとした声は、テレビやラジオで喋ったりするお仕事の人と比べたって、吃驚するくらいにきれいです。
 
この声が有利の名前を呼ぶと、とても特別な感じがします。
 その名前に込められた、あったかさとかやさしさとか…有利が知っている《よいことば》を全部合わせたよりも素敵な感じがするんですよ。

 でも、どういうわけだかいつも声の主を確かめることが出来ません。夢の中のことなのに、瞼が開かなくて見えないのです。でもでも、更にどういうわけだが…見えないのに、お兄さんがどんな表情をしているかは分かるような気がします。

『あのねぇ!おれ、きょうはとってもヤなことがあったんだよ?』
『△△…?』

 声は、《ユーリ》以外の言葉を有利に分かるように喋ることは出来ないようでした。
 言葉が分からない人というのではありませんよ?きっと、よその国の人なんです。
 もしかすると、お話の世界とか宇宙とか、ふしぎな国の人なのかも知れません。だって、こういうふうな言葉というのは聞いたことがありませんからね。

 でも、そんなのは気にせずに有利は身振り手振りを交えて喋ります。
 たくさんたくさん喋って、悔しくて泣きそうになったり哀しくてしょげ返ったりしていると、大きな掌がぽんっと頭の上に載せられて、有利のやわらかい髪の毛やすべすべしたほっぺを撫でてくれるのです。

 掌は硬くてごつい部分もありましたが、指の腹とか肉球…というのでしょうか?親指の付け根のぷくっとしたところはすべすべしていて、ほっぺを撫でられると《うふふ》と笑ってしまいます。だって、とっても気持ちいいんですもの。

 その時、お兄さんは心配そうに睫を伏せていたり、有利を元気づけるように微笑んでいるように感じました。

そうすると、有利の胸の中でギロギロしていたいやな気分はほわん…と解れて、明日から頑張ろうという気持ちになるのです。

 でも…最近ちょっと気になることがあるのです。



*  *  *




「ねぇ、しょーちゃん…。いいことをしてもらったら、ちゃんとお返ししなくちゃいけないよね?」
「そうだねぇ、ゆーちゃん」

 有利の兄の勝利は大抵の人には至って厳しいですが、有利にとってはやさしいお兄ちゃんです。小学生になってからは時々、《萌え》とかよく分からない言葉を使うようになりましたが、色んな事を知っていてえらいお兄ちゃんだと思います。

 ですから、有利は悩み事を聞いて貰おうと思いました。

「あのね?おれ…ヤなことが起きたときとかに寝ると、夢の中でやさしい声のお兄さんが頭とかほっぺをなでなでしてくれるの。でも…大きいお兄さんだって、ヤなことはきっとあるよね?そんなとき、おれもなにかしてあげたいんでけど…手を伸ばしても届かないの。どうしたら良いと思う?」
「そうかぁ…ゆーちゃんは良い子だねぇ…。でもね、夢の中のお兄さんなら良いけど、現実世界にいる俺以外のお兄さんは別に冷淡にあしらって良いからね?」
「どうしたらいいのかなぁ…」
「大きくなってから返せば良いんじゃないかな?」
「大きくなったら、お兄さんが何て言ってるか分かるようになるのかな?」
「どうかな?分からなくても、少なくとも手くらいは届くんじゃないのかな?」

 それは尤もなことのように感じました。

 有利はちいさな自分のお手々を見ながら、溜息をつきました。

「はやく大きくなりたいなぁ…」

 大きくなったら、いつか…お兄さんが落ち込んだときに慰めてあげられるでしょうか?頭を撫で撫でしてあげることもできるでしょうか?ひょっとすると、抱きしめてあげたりするのも良いかも知れません。

 大きく大きく…ずぅうんと大きくなったら、いつか…そうしてあげたいです。



*  *  *




「う…ん……ぁ?」

 懐かしい夢を見て、有利は目を覚ましました。
 
「ユーリ…?」

 目を閉じたまま、腕が伸びて有利の背を抱き寄せます。
 珍しく…擦りつくような動きで胸に懐いてくるのは立派な体格をしたお兄さんです。
 ちゃんとした年齢はいつまでも教えてくれないのですが、多分100歳は越えているという凄いお兄さんです。

 有利はと言うと、今年17歳になりました。

 この年までに色んな事がありました。
 トイレで流されたり魔王様になったり危ない箱を壊したりして色々と頑張った有利は、このお兄さんと《恋人》ってものになりました。もしかすると、それが一番大きな凄いことかも知れません。

「コンラッド…」

 有利も大きなお兄さんを抱き寄せて、さらさらとしたダークブラウンの髪の中に頬を埋めて擦り寄ったり、掌で撫で撫でしてあげました。
 
 昨日、このお兄さんにはとても哀しい知らせが来ました。
 とても仲良しだった昔の友達が、死んでしまったのです。
 昔の戦争で大きな怪我をしてからずぅっと意識が戻らなくて、結局…一度も目覚めないまま死んでしまったのだそうです。

 お兄さんは何でもないことのように受け流そうとしていましたが、有利はすぐに気付きました。お兄さんの心は、血が出そうなくらいに傷ついていました。

 ええ、今ではすっかりそういう気持ちが分かるようになっているんですよ?

『俺の護衛はヨザックに任せて、あんたはお墓に行ってあげなよ…っ!』

 強く説得したら、お兄さんは明日…いいえ、もう今日になってしまいましたが、昼過ぎには馬に乗ってお墓に向かうことになりました。

その前に、思いっきり撫で撫でしてあげたくて有利はお兄さんを抱きしめたのです。
 正確には、抱かれたわけですけどね?気持ちは抱きしめてあげたんですよ。
  
「ユーリ…」
「気をつけて、行ってきて…。そんで、また俺のもとに帰ってきてね?」

 《帰ってきて》って言えるのはとても嬉しいことですね。
 お兄さんが帰ってくる場所は有利の元だって、二人とも分かってるってことが特に素敵です。

 さらりと言ってはみたものの、そういうことになるまでが長くて大変だっただけに…本当は、涙が出るくらいに嬉しいです。

「帰ってくるよ…あなたのもとに……」

 薄くて形の良い唇が、有利のそれに触れます。
 冷たいけど心地よい肌合いがとても気持ちいいです。

「……あなたに、撫でて貰えるようになるなんてね……」

 どうしてでしょう?
 時々、お兄さんはとても遠くを見るような瞳をして微笑みます。
 遠くを見ているけれど…琥珀色の澄んだ瞳の中には有利の姿がくっきりと映っています。遠くて深いお兄さんが見ている何かは、有利に関係があるものなのでしょうか?

「幾らでも撫でてやるよ。あんたが、少しでも気が楽になるならね」
「とても楽になりますよ…。あなたという存在に、俺がどれほど癒されているか全て伝えられたらいいのに…」  
 
 ほぅ…っと、悩ましいほど綺麗な声でお兄さんは囁きかけます。
 そうされると、あったかさとかやさしさとか…有利が知っている《よいことば》を全部合わせたよりも素敵な感じがするんですよ。

 おや?この言い回しは昔にもした気がしますね?

 ええ…有利にだって分かってるんですよ?
 このお兄さんが、昔…夢の中でみたお兄さんだってことはね?

『バレてないつもりなのかなぁ…?』

 くすくすと笑みを零しながら有利は思います。
 問いつめるつもりはありませんが、いつか…教えてくれるなら聞いてみたいのです。



 お兄さんが、どれだけ長い間有利のことを好きでいてくれたかをね? 






* 「みずたまりのむこう」を褒めて頂いたので、調子に乗って類型的なお話を書いてみました。でも、直接相関性はありません。似たような手段でこっそり覗き見してたんでしょうけどね(笑) *