「陛下!?ユーリ!!」 乱暴に宝物庫の扉を開き、階段を飛び下り、コンラートはユーリの側に跪き、その細い肢体に触れて全身が総毛だった。 …なんだこれは!?まるで氷のようじゃないか!! … それだけではない。 お忍び用(こっそり出掛けるつもりだったのだろう)のコンタクトに隠されているユーリの漆黒の瞳にいつもの意志の強さを思わせる煌めきがない。 「ヴォルフ!!」 「コンラート!!ユーリが…ユーリがこれを覗いた途端倒れたんだ!!コイツに魂を取り込まれた…!」 ヴォルフラムの指し示した先には魔鏡―日本人のユーリや村田ならラーメンのどんぶりとと評するであろう―器が転がっていた。 「ヴォルフ、ギーゼラを呼べ!!眞王廟に鳩を飛ばすんだ!!猊下にこの事をお知らせしろ…!」
いうなり、コンラートは主を抱き上げた。
「…へぇえええ?なるほどー、一人でお忍びに行こうとしていた渋谷を追っかけてたら宝物庫に…ね。で、好奇心旺盛な渋谷が転がっていたその魔鏡を覗いてしまったと」
急遽眞王廟から呼び出された猊下こと村田の前には顔面蒼白なヴォルフラム。 眞王陛下も裸足で逃げ出すであろう極寒ブリザードを背中にしょって御登場のダイケンジャーに、さすがのわがままプーも泪目だ。 「情熱的な婚約者をもって幸せ者だねぇ渋谷は、うんうん僕はちっとも怒ってないよ?仕えるべき王を階段ですってんころりさせるなんて、臣下としてどーよ?なぁんて欠片も思ってないよ?挙句宝物庫の鍵が開いていたなんてこの城の管理はどうなっているんだ?とか言わないよ〜?」
言ってるじゃないですかしっかりと! なんてこの場合ツッコんではならない。 寝室に運ばれ、寝台に寝かされている未だ目を覚まさないユーリ。 「それで猊下…陛下は?」 親友の護衛…コンラートの問いかけに、村田はくいとメガネのブリッジを押し上げた。 「なんですって!?私の陛下がそんな無防備な状態で過去に飛ばされたのですか!?」 「誰がお前の陛下だ誰が!?」 暴走王佐にすかさず自称ユーリの婚約者、ヴォルフラムのツッコミが入る。 ギュンター相手なら平気らしい。 「いや、眞王が仮の肉体に渋谷の魂を宿らせた。とりあえず、命の心配はないよ」 「…猊下」 コンラートの喉の奧から絞りだすような声が溢れた。 「それではユーリは…無事なのですね?」 「勿論、今ウルリーケに渋谷の魂をこっちに呼び戻す準備をさせている召喚の儀式が完了次第目を覚ますだろうね」 コンラートは、ほう…と息を吐き出し、節くれだった手で目を覆った。 …よかった ……よかった、彼は生きている… 「…やれやれ、君の心配症は相変わらずだねぇ」 「…とは言っても召喚の儀式は魔力の他に複雑な調整が必要なんだ、場合によっては一月以上かかる可能性がある…。だから渋谷の事は僕にまかせて、皆は通常通り執務を続けてくれ」
それだけ言うと、用は済んだとばかりに村田は部屋を出ていった。 「…コンラート、お前は今の内に仮眠をとっておけ」 コンラートはグウェンダルが名付け子の異変に動揺している自分を気遣っているからであろうことを理解しつつ、首を左右に振った。 「グウェンダル、陛下がこんな状況で俺が休んでいるわけにはいかないよ」 「馬鹿者!お前も聞いただろうが、場合によっては一月以上かかるとの猊下の仰せを。あれの事を思うなら少しでも体を休めろ。身体の調子を整えるのも仕事の内だろうが」
「しかし!!」 「お前が変に意地を張って倒れでもしたらギーゼラの手間が増えるだろう」 「……」 自己管理の出来ないコンラートではないが、かといって魔力がない自分がここに居ても…できる事はないだろう。 コンラートは仕方なく、兄の指示に従った。 それは悪夢としかいいようがなかった。 コンラートは敵をほふった血の付いた剣を鞘に戻す間ももどかしく、少年の側に駆け寄り…愕然とした。 医学知識のない者でも、彼を救う術がないことが一目で判る。
…優しい子だった。 剣を握るより絵筆を持つ方が好きな…争い事が嫌いな子だった。 それでも同じ混血の者達の助けになろうと、馴れない剣を持ち、兵役を志願し、このルッテンベルク師団の一員として懸命に…戦ってきた。 その彼の命が今まさに失われようとしている… 『…いって…くださ…い……かっ…か…』 ―馬鹿をいうな…っ!― 『シマロンの…へい…はっ…まだ…ちかく…に…いるかも…しれない…でしょう?』 見殺しにしろと? 全身をわななかせるコンラートの目の前でごぷりと嫌な音と共に少年の喉から血が溢れた。 ―エミール!?エミール!!― 『おわかり…でしょう?おれは…もう…しん…おう…へいかの…へいとして…おやくに…は…たてない…と…っ!』 そばかすの残るまだ幼い面立ちのエミール
彼を…彼等を待っている家族の元に帰してやりたかった! ただそれだけだったのに…! ―やめろ、もういい!!もう喋るな…!! ― コンラートは魔力のない自分を呪った。 王都を出発する時に用意した医療物資はとっくの昔に使い果たしていた、あの『青い花』も…。 『はやくいって…!あなたは『たいちょう』でしょう?おさたるものが…たかだかいち…へ…しにいちいちこだわってどうするんです…?』 死の恐怖に脅え顔を歪ませながらも…エミールは笑みすら浮かべ、大好きな上官に別れを告げた。 『み…じか…い…あいだ…でしたけど…あなたのぶかで…しあわせ…でした』 彼が最後に見るのが、自分のこんな情けない顔であってはならないと思うのに…得意の笑顔が上手く作れない。救えなかった生命を抱き締めてコンラートは絶叫した。 「………っ!!」 跳ね起きたコンラートは荒い息を吐き出し…じっと己の傷跡だらけの掌を見つめる。 記憶の中の冷たくなっていく血まみれの少年の身体。 そして…魂を魔鏡に取り込まれ、氷のように冷たいユーリの身体… コンラートはぎりと歯ぎしりすると… ゴッ! 眉間に拳を叩きつけた。 …重ねるな、間違えるな エミールはユーリじゃない。 ユーリはエミールじゃない! 一度は側を離れた自分を受け入れてくれたユーリに応える為にも、今己が成すべきことに集中しろ! 自分に活をいれるとコンラートはすっくとソファーから立ち上がり、ユーリの居る私室ではなく、彼の執務室に向かった。 …まったく、こやつはヴォルフラムに負けず劣らずの頑固者だ。 「私は休んでおけと言わなかったか?ウェラー卿?」 羽根ペンを動かしていた手を止め、執務室に入ってきた弟をギロリとねめつけるが、いくら威圧感のある重低音付きで凄まれても付き合いの長いコンラートはどこ吹く風だ。 「十分仮眠はとったよ?フォンヴォルテール卿。はいこれ」 どさりと眼前に書類の束を積まれ、グウェンダルはぴくりと片眉を跳ねあげた。 「各部署を回って俺が処理できるものには署名しておいた。どうしても陛下の決裁を仰ぐ必要があるものだけ持って来たよ」 「ほう…」 ユーリの護衛という職務以外に執務に関わろうとはしないコンラートがここまで積極的に動くのは珍しい。 「ふ…ん、なんだつまらんな、賦抜けた理由で顔を見せにきたのなら叱りとばしてやったものを」 「…おや?迷惑だったかい?」 「…いや?」 グウェンダルはニヤリと口の端を吊り上げコンラートを見上げる、心なしか楽しげだ。 グウェンダルの人使いの荒さは有名だ、どうも…嫌な予感がする… 「…あ、すまないグウェン…俺ちょっと陛下の様子を見に…」 さっと身を翻した弟を、グウェンダルはがっしりと掴んだ。 「陛下はあのような状態だしな、私一人で政務を取り仕切らねばならぬのかと危惧していたが…お前がそれほどまでにやる気があるなら話は早い、遠慮なくこき使ってやるぞコンラート…くっくっく…!」
「……!!」 コンラートはやる気を出した自分を心の底から後悔した。 コンラートは知らない 過去に魂を飛ばされたユーリが今は亡き友、スザナ・ジュリアと共に20年前…アルノルドへ征く自分達を見送った事を… 戦場に向かう自分達にあの日「大地立つコンラート」を贈ったのはユーリだった事を… それはまた、別の話である。
end 「恋華」の柚木凛様に頂きました、「夜明け前」のサイドストーリーです! 有利の意識が魔鏡の中に引き込まれている間のコンラッドの葛藤や大賢者のぷー苛め、仕事で追いつめられているのかグウェンダル…と、盛りだくさんの内容に感涙です! 連発で素敵な作品をありがとうございました!! |