「ホワイト・クリスマス」
眞魔国では万物に宿る要素達が伸び伸びと暮らして(?)いるせいか、吸い込む空気は常に芳醇な香気を含んで旨しく、清冽に澄んだ湧き水は滋味に溢れて喉と心を潤す。 そして、同時に巡る季節も地球に比べて峻烈な印象があり、特に冬場の冷え込みたるや…暖房設備に囲まれて暮らしている埼玉県民には《厳寒》としか表現しようが無かった。 そんな中、眞魔国にすっかり根ずいた感のある《クリスマスパーティー》を開催することになったのだが…寒さに強い…というか、寒さを楽しむ余裕のある眞魔国の民は、今年も白雪に染め上げられた広場や通りに露天を連ね、グリューワインやシュニッテン、シシカバブにポットシチューといった暖かい飲食物や、色とりどりのオーナメントやプレゼント品を並べて、趣旨がよく分からないながらも《クリスマス万歳!》《魔王陛下万歳!》と呼び交わして乾杯を繰り返している。 「さーむーいー〜…」 「だから宴の挨拶がすんだら屋内に戻れと言ったのに、お前ときたら厨房の見習い小僧達にまでプレゼントを蒔くからそうなるんだ!せめてコートを着ろと言ったのに、衣装が隠れるから嫌だとか抜かして…っ!」 「うう…だってしょーがないじゃん!折角グレタとギーゼラさんが縫ってくれたもんだし、ちゃんとお披露目したいじゃん?」 ヴォルフラムに罵声を浴びせられて、有利はきゅうぅっと肩を竦めつつささやかな抗弁かを試みた。 その様は着込んだふくふくのサンタ服とも相まって大層愛らしいものだから、怒鳴ったヴォルフラムの方もにやけそうになる口元を押さえるのに必死であった…。 ちなみに、ヴォルフラムの方も同じデザインのサンタ服を着込んでおり、こちらもコートなど羽織ってはいないのだが、流石に見た目は美少年でも80歳越えの軍人と言うべきか…そこまで寒そうな素振りは見せない(痩せ我慢という可能性もあるが)。 一方、コートも着ずに血盟城中を駆け回っていた有利は、文字通り城中魔族達に分け隔て無くプレゼントを配布して周り…その作業の最中には興奮や骨格筋運動による産熱効果で暖まっていたものの、作業が終了して一息つくと、吹き寄せていた寒風によってふるふると身を震わせた。 「本当に冷え切ってますね…陛下、指先が白くなって…可哀相に」 場内警備の為に有利の守護を弟に委ねざるを得なかったコンラートは、そっと有利の手を取ると恭しく冷え切った指先に唇を寄せた。 その際、愛おしげな琥珀色の眼差しが銀色の光彩を跳ね回らせながら…じぃっと有利に注がれた。 「…っ」 感覚を失いかけていた指先は、コンラートの薄く整った唇の熱を感じ…思いがけない刺激にびくりと震えた。 「くぉら、コンラート!どさくさに紛れてユーリの指先に口吻するとはどういう了見だっ!!」 「でも、効果はあったみたいだよ?」 人の悪い笑みを浮かべてコンラートが有利を指し示すと…。 有利の顔は目に見えて茹で蛸状態になり、白く退色していた爪には血流回復を示す桜色の彩りが蘇っていた。 「ユーリー…っ!この浮気者!何でコンラートなどの口吻程度で真っ赤に染まるのだっ!貸せ、コンラート!僕が口吻てやるっ!!」 「うわっ!やめろよヴォルフっ!!ぎゃーっ!!舐めないで!濡れたトコがすぐに冷えて余計に寒いよっ!!」 絶叫する魔王陛下と臣下の遣り取りは、暫くの間続いた…。 * * * 「もー…ヴォルフをあんまりからかうなよコンラッド!」 ヴォルフラムをまいて漸くのこと自室に辿り着けた有利は、サンタ服のままばたりとベットに倒れ伏した。またヴォルフラムに軟弱と罵られそうだが、広大な血盟城の敷地内を縦横無尽に駆けめぐったせいか身体が泥のように重い。 「すみません…反応が可愛いのでつい……」 意地の悪い《ちっちゃな兄上》の発言に、ぷぅ…っと有利は頬を膨らませた。 「……俺のことも、あんまりからかうなよ」 「からかってなんか…」 「からかったよ…だって……指にちゅーして、あんな目で見るんだもん……ああいうのはさ、恋人にやりなよ」 言いながら、つくんと胸を刺す小さな棘……。 《そうですね》などと頷かれたらきっと、棘どころか槍のように心を刺し貫くことだろうが…コンラートが次に言ってくれる言葉を期待して、口にしていることは自分が一番知っている。 「恋人なんていませんよ」 期待通りの言葉を貰ってほうっと安堵の息を吐くが…次の瞬間にはその吐息ごと凍り付きそうになる。 「陛下が身を固められるまでは、俺が恋人を作るなど考えられません」 結婚…それは、末弟とのそれを指しているのだろうか? 確かにヴォルフラムは大好きだ。 言葉は厳しいが自分を偽ることがなく、何時だって真っ直ぐな気持ちを有利に向けてくれる…。 ただ、彼に願うのは《何時までも友達でいて欲しい》ということだった。 ことある事に、そう口にしてもいる。 そしてその度に…ヴォルフラムはきりりと唇を噛んで、怒っているような…悲しんでいるような…胸が締め付けられるような眼差しで有利を見つめ、決してその申し出を受け入れることはないのだ。 『お前に…本当に愛している者が現れたときは、僕もお前との関係を考え直そう…だが、それまでは…今のままでいてくれ……』 普段は果断な性格で知られる彼が…哀願にも似た申し出を…何時だって有利は断り切れないのだ。 『でも…俺は……』 有利が愛おしいと…誰よりも近くしく、自分だけのものにしたいと執着を感じるのは…《婚約者》の兄であるコンラート・ウェラーただ一人なのだ。 可愛い女の子を好きになったのなら、一・二発殴られる覚悟をしてでもヴォルフラムに告げたことだろう。 『この子が俺が好きになった人だよ』 ヴォルフラムにしたって、怒ったり悲しんだりしたとしても有利の隣に来る女性が定まりさえすれば諦めもついて、次の恋を探せることだろう。 けれど…その相手が自分の兄だと知れば、その怒りは天地を裂き、その悲しみは山々を焔(ほむら)で焼き尽くすことだろう。 折角コンラートが混血であることを気にしなくなり、小さかった頃のような自然な兄弟関係に戻れたというのに、王たる有利がそんな悲劇を起こすわけにはいかない…。 それに… 『コンラッドは…俺のこと、時々からかうけど…結局それは面白いからってだけで、俺のこと好きなわけじゃないもんな……』 それなのに有利が好きだと告白したりしたら、この親馬鹿な名付け親はきっと困惑することだろう。 有利を傷つけないように…。 弟を傷つけないようにと…。 どんなに気を揉むことだろう? 『最悪、また…眞魔国から姿を消したりするかもしれない…っ!』 ぞっと身を震わせた有利は、白く退色した指先を…食い込まんばかりに二の腕にめり込ませた。 『嫌だ…嫌…嫌っ!……それだけは……嫌だっ!!』 自然と込み上げてくる涙を隠そうと枕に顔を埋めようとするが…目敏い名付け親が見逃してくれるはずもない。 すぐさま両の頬を大きな掌で包み込まれて、柳眉の外端を下げた面差しで気遣わしげに覗き込まれる。 「どうなさいました…?涙が……」 「な…何でもないよ!ちょっと…鼻の奥が冷えただけ…。ほら、今夜は凄く寒いから…暖炉もなかなか暖まらないだろ?だから……」 懸命に笑みを浮かべようと…心配を掛けまいとすればするほど、止めどなく涙は溢れて止まらなくなる。 終いにはしゃくり上げてしまった有利を逞しい腕で包みこむと、コンラートはそっとベットに上体を倒した。 「何もないのでしたら結構…では、ユーリの鼻が温まるまで、暫くこうしていましょう?」 顔を見られたくないという気持ちを察したように、コンラートは自分の胸板に可愛い名付け子の小さな頭を抱き込み、優しく優しく…さらりとした感触の黒髪を撫でつけた。 穏やかな幸福感に包まれていると…とろりとした眠気が押し寄せてくる。 有利は涙の跡の残る眦をコンラートの胸に押しつけると、すぅ…すぅ…と健やかな寝息を立て始めた。 それでも暫くの間コンラートの手は有利の髪を撫で続けていたが、すっかり有利の覚醒を伺わせる要素が乏しくなると…この男にしては珍しいほど恭しく…いや、恐る恐ると言った感で…両腕が有利の背に回され、ゆっくりと抱き寄せられた。 普段から、この子を抱きしめることはある。 だが…今こうして宵闇に紛れて抱きしめる腕は…秘められた欲望を示すものであった。 「ユーリ……」 暖炉で爆ぜる焔が勢いを増し、暖まり始めた室内に…熱い囁きが甘く響いていく。 こうして無防備な寝顔を晒し…信頼しきった肢体を腕の中に横たえている愛しい人に、コンラートは切ない溜息を留めることが出来なかった。 「ユーリ…愛しています……」 彼が《渋谷有利》としてこの世に生を受け、確立した単体の生命体として…親友の魂から全く別の《人物》に変容した瞬間…コンラートは暖かな温もりにえも言えぬ執着を感じた。 そして成長した姿を初めて眞魔国で目の当たりにしたとき…コンラートは己の魂が有利に捧げられるべきものなのだと感じた。 想いに応えて貰うことなどそもそも計算に入っていない。 ただただ…この渋谷有利の幸せだけが、コンラートの望むものであった。 だが、弟の愛を受け…それを頑なに拒絶し続ける有利を見ていると、どうしても欲が吹き上がってくる瞬間がある。 弟から目を逸らし…じっと自分を見つめる黒曜石の瞳が、《愛》を含んでいるのではないかと…目が捜してしまう。 自分と同じように、彼が自分を想っていてくれるのではないかと…。 馬鹿馬鹿しいとは想いながらも、願わずにはいられない。 「でも、あなたは…女の子が好きなんですもんね……」 コンラートに縋るような目線を送るのは、単純に助けて欲しいから。 《お前の弟、どーにかしろよ!》という催促に過ぎない。 そんなことは分かっているのだ…。 地球で極々真っ当な成長を遂げた有利は、現代高校生としては異例なくらい清潔で、古式ゆかしい倫理観の持ち主である。 弟に靡かぬものが、その兄に靡くなど考えにくいことであった。 「いいんです…あなたは、いつか…誰よりも愛おしいと想う人と結ばれて、幸せに生きるんです…。沢山の子ども達…そして、孫に囲まれて…幸せに生きるんですよ。…俺はそれを傍で、微笑みながら見守りましょう。あなたと、その子…孫…それに、あなたの大切な女性を…生涯駆けて守り抜きましょう」 けれど…コンラートはつい夢見てしまう。 この想いが報われないのであれば… 彼の最愛の人を護って、死にたい。 彼の腕の中で息絶えたいと…。 きっとその瞬間には、涙に満たされた美しい黒曜石は他の誰でもなく…コンラートだけを映すことだろう。 そして永遠に、コンラートの存在が有利の中から消えることはないだろう…。 些か病的な願いではあるが、それは真っ正直なコンラートの望みであった。 「愛しています…この世界の誰よりも…っ」 「愛しています…愛しています……」 コンラート特有の伸びのある低音が、蕩けるように滑らかに…甘く大気を染めていく。 「ん…ぅ……ん……っ」 腕の中の有利が、もぞりと身じろいだことでコンラートははっと我に返った。 思わず、強く彼の身体を抱き寄せすぎたらしい。 「すみません、ユーリ…」 色んな意味で謝ってしまうコンラートの唇に、不意に…暖かくて柔らかいものが押しつけられてきた。 「…っ!」 「俺…も……好き。……あ、愛してる…よ………っ」 消え入りそうなその声…けれど……精一杯の思いを込めて告げられるその言葉は、寝言などではなく……。 「ユー…リ……?」 「あんた…凄ぇ良い声で耳元に囁くんだもん……それに、背骨が折れるほど抱き寄せてくれるし…流石の俺も眠ってられるはずないだろ?」 『ぎゃーっっ!』 コンラートの顔からは火が噴き出し、あまりのことに悶絶しそうになる。 それでは、青臭い青少年並みに真っ直ぐなあの愛の睦言は、全て聞かれていたのだろうか? いやいや…それ以前に…… 『もっと大きな問題があるだろう?』 はっと我に返ったコンラートは、恐る恐ると言った感で名付け子の顔を伺った。 「ユーリ…先程の言葉は……」 「本当…だよ?俺…ずっとずっと…あんたのこと…好きだった…。でも、俺なんて相手にされっこないって思ってたし…告白するのだって、ヴォルフに悪いって思ってたから…ずっと言えなかったんだ」 耳も首元も真っ赤に染めて…潤んだ瞳がコンラートを見つめている。 「なんてこった…」 呆けたようにコンラートがそう漏らすと、さっと有利の顔色が変わった。 「まさか…あんた…また俺をからかったのか?起きてるって知っててっ!!」 「…違っ!」 とんでもない誤解によって、怒りに駆られて山猫のように暴れ出した有利をコンラートは何とか止めようとして…フランス映画の常套手段のような手口に出た。 日本人男性が憧れてやまない(?)、《怒って暴れる恋人をキスで沈静化》というアレである。 「ん…ん……っ」 唇を覆い…息を継ごうと開けた口裂に差し込まれた舌が口腔内に丁寧な愛撫を加えると、初めての行為…それも、大好きな人の唇に晒された感じやすい場所はひとたまりもなく有利を蕩けさせてしまう。 「…今までのも今のも…俺があなたをからかうためにしたことなど何一つありません…何時だって俺は…余裕のない愛情に錐揉み状態で…溢れてくる想いをこうして止めることも出来ない男です。それでも…俺を愛してくれますか?」 「馬鹿…こんな……キスでとろとろにしといて《情けない男モード》で下手に攻めるなよ!断れるわけ…無いだろ?」 ぷくっと頬を膨らませた有利は、ばつが悪いのか…挑むように自分から口吻て恋人を驚かせ…そして、喜ばせた…。 「くぅん…ん……」 鼻から漏れ出す甘い息や、口角の端で《はふ…》と揺れる切ない声に、出来たてほやほやの恋人達は湯気を出さんばかりに没頭した。 窓の外にはふわふわと綿雪が降り落ちていくが…熱く燃え立つ恋人達を冷やすことは、今宵ばかりは適わないようである…。 おしまい
あとがき HARU様、如何でしたでしょうかー? 白いコンユによるホワイトクリスマスの小話…イメージの通りに仕上がっていればいいなと思います。 コンラッドが最初の方だけ微妙に灰色っぽい気もしますが…純白のコンラッドは逆に気持ち悪い気もしますしね!悪い病気に掛かったんじゃないかと、逆に周りを心配させてしまいそうですし。 ああ…それにしてもヴォルフラム可哀相…でも、いつか来る道だしね! 諦めろ! |