1月の中頃…お正月気分もすっかり抜けてしまう時分に、村田うさぎに誘われて散歩に出かけた黒うさぎは、街中の様子に瞳を輝かせ…口の中に唾液が沸き上がってくるのを感じました。 華やかなリボン飾りにハートマークのディスプレイ…色とりどりの装飾が街をあでやかに彩り、箱に詰められたチョコレート達は甘い香りを放ちながら、ダークブラウンの飾り箱の中で宝石のように煌めいています。 お正月飾りとは趣向の異なる彩りで急に鮮やかさを増し始めた街の様子に、黒うさぎは目をぱちぱちさせて見惚れました。 「良い匂い…それに、凄く綺麗だねぇ。何かお祭りでもあるのかな?」 「いいや、もうすぐバレンタインデーだからさ」 一緒に散歩をしていた村田うさぎが言いました。 「バレンタインデー?」 「ああ、最近になって地球森に伝わってきた風習だから、君が知らないのも無理はないね」 「それはね…」 村田うさぎはにっこりと微笑んで、丁寧に教えてくれました。 * * * 2月14日…いよいよこの日がきたのです。 今から丁度一ヶ月前…村田うさぎに《バレンタインデー》のなんたるかを教授された黒うさぎは、ドキドキと胸を高鳴らせながら茶うさぎが帰ってくるのを待ちました。 バレンタインデーは眞魔国にはない習慣でしたが、街の様子がすっかり変わっているくらいですから茶うさぎだって気づかないはずはありません。 その証拠に、茶うさぎはここ数日何やらそわそわとしておりましたし、高価そうなチョコレートをいろんなお店で少しずつ買ってきては、しきりと黒うさぎに感想を求めました。 そうそう、好きなお花の色も改めて聞かれましたので、《うさぎ商店街のはずれに咲いている青い花が大好き》と答えておきました。 だって、あの青い花はすっきりと伸びた茎の様子や、凛とした風情のある花弁の開き具合が茶うさぎにそっくりなのです。どんなに高価なお花よりも黒うさぎにとっては素敵な花でした。 『ああ…それにしても、コンラッドは喜んでくれるかな?』 バレンタインデーについて村田うさぎから最初に説明されたときにはそれはそれは驚いたものです。そんなことで茶うさぎが喜ぶのかどうか…ちょっと不思議な気がしたのも確かです。 ですから、村田うさぎに悪いなと思いましたが…本当のことなのか念のため橙うさぎに聞いてみました。 橙うさぎは目をまん丸にして一瞬驚きましたが、村田うさぎが言っていたのだと聞いた途端に青ざめました。 『ええ…そりゃあ猊下の言われることに間違いはありませんとも…ええ、ええ……』 こうして橙うさぎの太鼓判(?)を貰った黒うさぎは、ちょっと…いえ、かなり恥ずかしいなとは思いつつも、大切な茶うさぎのために《準備》をして待っているのでした。 「ユーリ、ただいま」 響きの良い綺麗な声が聞こえてくると、黒うさぎは《とくん…》と胸を弾ませましたが、いつものように駆けて迎えに行くことは出来ません。 「お帰りなさい!」 元気よくお迎えの挨拶をすると、茶うさぎがにこにこ顔で家の中に入り…そして、そのまま硬直しました。危ういところで、手に持っていた花束と菓子箱を落としてしまいそうなほど動揺してしまったのです。 「ゆ…ユーリ!?一体どうしたんですか!?」 「え…?」 黒うさぎは…艶のある葡萄茶色とダークブラウンの布を二重巻きにして身体を包み、顔だけ出して首元にチェリーレッドのリボンを結んでいました。その様子はとても可愛い茶巾寿司のように見えましたが…何故そんな格好をしているのか茶うさぎには見当もつきませんでした。 「ぇ…あの…む、村田が…バレンタインデーはこうやって好きなうさぎを迎えるもんだって言ってたから…」 茶うさぎの様子に、黒うさぎは顔を真っ赤にして俯きました。 眦も紅色に染まり…うっすらと涙さえ浮かんでいます。 「そうなんですか、これは失礼しました…俺の知らない習慣がこちらにはあるのですね?ああ…ユーリがあんまり可愛いので吃驚してしまいましたよ。とても素敵です」 茶うさぎは言葉を尽くして褒めそやしました。 実際、可愛らしいのはこの上なく可愛らしいのですから褒めることには何の躊躇も感じません。《ユーリ…また猊下に騙されたんだな…》とは思いつつも、その事を教えるのはとても可哀想です。ここは調子を合わせるべきでしょう。 「まるでお菓子のようですね、食べてしまいたいくらい可愛い…」 茶うさぎも混乱していたのでしょう…思わず本心のままに睦言のような台詞を吐くと、黒うさぎは全開の笑顔で答えました。 「うん、俺がお菓子っていう《こんせぷと》なんだって!俺の身体の上にチョコレートをのせて、半分くらい溶けたところで食べると凄くおいしいんだってさ。ほら、この包みを開けて?」 茶うさぎが妙な予感を覚えつつも葡萄茶色とダークブラウンの包みをはらりと取り去ると…現れ出でたものに言葉を失いました。 『猊下…一体何を狙っておられるのですか?』 黒うさぎは…大変簡略化して説明するならば《薄着》でした。 この寒い日に身につけるものとしてはまぁ…大変な《薄着》でした。 更に詳細に説明するならば、それは《下着姿》と称しても良かったでしょう。 ダークチョコレート色の艶のあるネグリジェは殆どがシースルーになっており、縁取りには細かなレースが編み込まれています。そして、胸と陰部を包む部分には光沢のある幅広リボンが巻かれており、まだぷにぷに感を残す下肢は透ける素材のニーソックスで覆われています。 《食べて★》…全身でそうアピールしているような姿に、茶うさぎはくらくらと回転性のめまいを感じました。 食べたいですよ。 ええ、そりゃあ食べたいですとも。 舐め転がして白い肌を桜色に染めさせ、幼い肢体に快感というものがどんなものなのか教え込んであげたいところです。 ですが…出来ません。 こんな小さな仔うさぎがそんなことを知ったら、きっと真っ当な成長への妨げとなることでしょう。 それに、茶うさぎは成熟した雌うさぎの相手には長けていても、こんな幼いうさぎを相手にしたことなどありませんから、きっと黒うさぎの身体を壊してしまうに違いありません。 だって、今の黒うさぎに茶うさぎのボンバーヘッド搭載ギャラクティカマグナムを挿入するなどという行為は、眼鏡の蔓を止める小さなネジ穴に建築用の楔を捻込むようなものですからね。 きっと、村田うさぎは茶うさぎがそう判断するだろうと分かった上で、こんな悪戯をしてみせたに違いありません。 混乱から醒めた茶うさぎは、冷静に状況を判断し始めました。 きっと今、この家のどこかに橙うさぎが潜んでいるはずです。隠密行動を生業とする彼の気配の消し方は尋常ではありませんから、さすがの茶うさぎも今彼がどこにいるかは分かりません。 彼はきっと、万一の場合には突入する様に申しつけられているに違いありません。 そして、茶うさぎがあたふたとする姿について詳細に報告するようにも言われているのでしょう。 どうにもそれは腹立たしい気がします。 それに、あまり茶うさぎがあたふたしていては黒うさぎだっていたたまれない気がするでしょう。 茶うさぎは決意しました。 ここはひとつ、美味なる《お菓子》を味わってみましょう。 「ユーリ、チョコレートを一つ食べても良いですか?」 「うん」 俎板の上の鯉よろしくころりと床に横たわった黒うさぎは、ネグリジェを捲ってトリュフをお臍の上に置こうとしましたが、そ…と茶うさぎの手がそれを止めます。 そしてトリュフを受け取ると、ぽんっと黒うさぎの小さな唇の中に押し込みました。 『俺が食べるんじゃあ…』 口にトリュフを銜えたまま怪訝そうな顔をしていた黒うさぎは、次の瞬間吃驚して目を回しそうになりました。 端正な面差しが息のかかる距離まで近寄ってきたかと思うと、ぱくりとトリュフを口に含み…そのまま黒うさぎのお口の中でチョコレートを味わい始めたのです。 「ん…ぅむ……くぅん……」 甘く鼻に抜けていく声は深いカカオの香りです。 口の中にはこっくりとした芳醇な味わいが広がり、とろとろに溶けた液体が唾液と混ざって…絡みつく舌でかき回されます。 頭の中までとろけてしまいそうなショコラキスに、黒うさぎはふるふると肩を震わせ…この上なく幸福そうに瞼を朱に染めました。 『うわぁ…うわぁ……恋人のキスだぁ…っ!』 以前、一度だけ茶うさぎがしてくれた恋人の…大人のキスです。 挨拶をするときのような小鳥のキスとは全く異なる、脊柱までもとろけてしまいそうな甘い甘いキスは、チョコレートの味わいに乗せて黒うさぎの身体を火照らせました。 『たたた…隊長……っ!!』 『やっちゃうんですか…』 『やっちゃうんですかアンタ!?』 村田に言われるまま監視をしていた橙うさぎは、寒さのせいだけではない戦慄におののいていました。 『ウェラー卿が不埒な行動に出たら、君は断固として止めにはいるように』 煽るだけ煽っておいてその指示とは…と、苦笑したものの、その時…橙うさぎはよもや自分の元上官がこんな行動に出るとは思っていませんでした。 何しろ、彼がどれほど黒うさぎを大切にしているか痛いほど(実際、痛めつけられたことも多々ありますので)思い知っている橙うさぎには信じられないことでした。 『そりゃあさ…俺だって同じ事を猊下にしていただいたら、とてものこと我慢なんざ出来ないだろうけどさ…』 橙うさぎは、村田に知られたら冬の凍てつく湖に沈められそうな妄想を脳裏に浮かべると、ついつい荒い息を吐いてしまいました。 その時です。 ト…っ! 空気を裂く鋭い音が響いたかと思うと…橙うさぎの首筋皮一枚を裂いて、背後の壁にナイフが突き刺さりました。 見れば…腕の中でくたりと脱力する黒うさぎを抱きあげながら、茶うさぎが微笑んでいます。 微笑んでいるのに…どうして地獄の魔王もケツ捲って逃げ出しそうなほど凶悪なオーラが立ち上っているのでしょうか? 『ひぃぃいいいいぃぃぃぃぃ…………っ!!』 『無理ですっ!』 『ゴメンなさい猊下っ!!』 橙うさぎは明日の恐怖よりも今日の恐怖に負けました。 後でどんな目に遭うかは分かりませんが、命は出来るだけ長く保つに越したことはありません。 橙うさぎが戸棚の中から駆け出すと、はふ…と甘い息を吐いて黒うさぎが我に返りました。 「美味しかったです…ユーリ」 「お…俺もっ!」 まだドキドキと鼓動が鳴り響いていますが、寄り添う茶うさぎの胸もやはりドキドキしてましたので、安心して力を抜きました。 「さぁ、ユーリ。暖かい服に着替えて、お茶にしましょう。俺が買ってきたチョコレートもとても美味しいんですよ?」 「うんっ!」 黒うさぎはにこにこ顔でネグリジェを脱ぐと、暖かいセーターとコーデュロイ生地のオーバーオールに着替えました。 『ああ…やっぱりこういう服の方が、今のユーリにはよく似合う』 ほっこりするような微笑みを浮かべて、茶うさぎは満足げに頷きました。 二人はお互いが買ってきたチョコレートを楽しみながら、素敵なティータイムを過ごしたのでした。 おしまい あとがき 現在7歳の黒うさぎは、9年後には今回と同じ服で更に濃厚に頂かれることになるかと思います。 |