「ふしぎなおもちゃ屋さん」
そこは、とても不思議なおもちゃ屋さんでした。
5歳のユーリはそんなに沢山のおもちゃ屋さんを知っているという訳ではないのですが、ボストンの工場みたいに大きなおもちゃ屋さんにしても、埼玉にある街角のおもちゃ屋さんにしても、置いてあるおもちゃは大抵プラスチックか、せいぜい布で、木のおもちゃは高級そうなスペースにちょっぴり置かれているくらいでした。
でも、そのお店に置いてあるものは全部が木で出来ています。
「いいにおい…」
濃い靄の中を歩いていく内に、お母さんとたまたま入ったそのお店は、入るなりふわりと良い香りがしました。多分、木の香りでしょうね。
木はそれぞれに違う種類なのか、少しずつ色合いが違っています。積み木は勿論のこと、お人形や木馬、パズルに仕掛けおもちゃが至る所に置かれていて、特に、お店の壁一面に設えられた仕掛けはとても素敵な感じです。溝がありますから、きっとビー玉か何かが転がっていくのでしょう。
それに、おもちゃ以外にもここには機械めいたものが殆どありません。窓枠も木ですし、硝子もどこか色合いが均一ではなく、厚みもところどころ違っているようです。お店なのに、レジもないのですよ?そういえば、壁に貼ってあるメモにも不思議な文字が描かれています。日本語とも、英語とも違っているような…踊るような文字です。
ふぅむ…なんとも不思議なお店ですね。
「へえ…こんなところにおもちゃ屋さんがあったのねぇ?」
「きれーい」
「あらあらゆーちゃん、勝手に触ったりしたらいけないんじゃないかしら?」
ユーリが壁の仕掛けに触ろうとすると、慌ててお母さんが止めます。高そうなおもちゃですから、うっかり汚したりするといけないのでしょうか?おや…でも、値札はどこにもありません。回らないお寿司屋さんで見かける、恐怖の《時価》というやつでしょうか?それはお母さんの腰が引けるのも仕方ないことですね。ユーリも遠慮して、そそ…っと手を引きました。
ですが、その時…とても涼やかな声が店の奥から聞こえてきました。
「どうぞ遠慮無く触って下さい」
レース編みで蝶や花を描いたのれんの向こうから、とっても背の高いお兄さんが現れました。白い肌に逞しい体つき、凛々しい顔立ちはまるで王子様みたいです。深い木の色をした髪が、窓から差し込む光を浴びてライオンの鬣みたいに見えるのも素敵です。母さんも、お姉さんみたいに高い声で《きゃあ〜っ!》とちいさく叫びました。
白いシャツに生成のエプロンをつけたお兄さんは、にっこりと微笑んでユーリの方にやってくると、腰を屈めて木の箱を差し出しました。その中には色とりどりのビー玉が入っています。形は均一でなく、まん丸なものから楕円がかったものまで様々です。
「どれがお好きですか?」
子ども相手ですのに、お兄さんはとても丁寧な喋り方をしてくれます。ユーリは少し大人になった気分がして、くすぐったいような嬉しさを感じました。
「え…えと……」
空みたいに蒼いビー玉は、本当の球に近かったのでこれを選びますと、お兄さんはひょいと摘んで壁の仕掛けの一番上に置きました。
そして、手を離すと…。
「わあ…っ!」
コロロロ…っ!と勢い良く転がったビー玉は次々に仕掛けを乗り越えて行きます。くるんと輪っか状になったところで方向を変えたり、直接レールが繋がっていないところもぴょうんと飛び越えたり、スコンと孔の中に落ちたと思ったら、くるくると螺旋状のレールを伝って、いつの間にか上の方に来ていたり、木琴の上を走って素敵な音階を鳴らしたり…なんて不思議な仕掛けおもちゃでしょう?
口をぱかりと開けて見惚れていたら、最後にカツーンといい音をさせて、穴ぼこの中にビー玉は収まりました。すると、ほぅ…っと息をついたユーリのお口に、ビー玉とよく似た空色の飴が入りました。
「さしあげます」
「ありがと、おいひぃ…」
《知らない人から貰っちゃ駄目》なんて、今日はお母さんも言いません。だって、お兄さんはとっても優しそうで、にこにこしていましたからね。ユーリにあげたのとは違う色の飴を、お母さんにもくれましたし。
「あら…うふふ。ゆーちゃんに何か買ってあげようかしら?」
「いえ…実は、持ち主が亡くなったので売ることが出来ないんですよ。でも、作ったものを喜んで貰うのが好きな奴でしたから、どうぞお好きなだけ触って、遊んでいって下さい」
「まあ、良いのかしら?」
少々手痛い出費も覚悟していたらしいお母さんでしたが、お兄さんの言葉にはしゃいだような声を上げると、遠慮無くお店の中を歩き出します。木のおもちゃというのは、大人だって触ったり見たりするのが楽しいもののようです。
「ユーリも、どうぞ遊んでいって下さいね?」
「うんっ!」
元気にお返事をしたユーリでしたが、ふと不思議に思いました。一体、いつの間に自己紹介をしていたのでしょうか?お母さんは《ゆーちゃん》と呼びますから、気が付いたらユーリが自分で言っていたのでしょうね。それでは、お兄さんのお名前も知りたいところです。
「おにーさん、お名前はなんていうの?」
「ウェラー卿コンラートと申します」
「うらぁ…きよう、こんらー?」
随分とまた、長い名前ですね。困惑してもごもごしていたら、お兄さんは言い直してくれました。
「コンラートですよ」
「こんらぁ…っと?」
「ええ、コンラッドと呼ぶ人もいますよ」
「コンラッド!」
ぱぁ…っと顔を輝かせて呼ぶと、ちゃんと言えました。
「ええ、そのように呼んで下さい」
「えへへぇ…コンラッド、これで遊ぼう!」
ユーリはおもちゃを手に取ると、コンラッドに渡しました。コンラッドが動かしてくれる様子が見てみたかったのです。
「良いですとも」
コンラッドはそのまま、色んなおもちゃで遊ばせてくれました。
お母さんが時間が経つのを忘れてくれていたらいいのにな…と思いましたが、そういうわけにもいきません。ふと腕時計を確認したお母さんが、慌てた声を上げました。
「あら…っ!もうこんな時間?お買い物すませておかないと、晩ご飯が遅くなっちゃうわね」
「え〜?もうちょっとー…」
「ダメよ、ゆーちゃん。そろそろお暇しましょ?随分とお邪魔してしまったもの」
「う〜…」
唇を尖らせてしょんぼりすると、コンラッドも淋しそうな顔をして髪を撫でてくれました。大きな手にはたくさんの傷跡があって、少し痛そうです。殆どがもう治っていますけど、中にはまだ紅い痕を残しているものもありました。
「おにーさん、いたい?」
「大丈夫ですよ。大切なものを護るためについた傷ですから、平気です」
「たいせつなもの?」
「ええ…」
お兄さんの瞳は濃い蜂蜜のような色をしていて、ユーリに向けて笑ってくれると、きらきらと銀色の光が散ります。まるでお星様のように綺麗なそれに、ユーリは手を伸ばして顔を近寄せました。
「きれーい…」
「ありがとうございます。ユーリ」
うっとりするくらい綺麗に微笑むコンラッドと、このままお別れするのはとても淋しいことでした。心なしか、コンラッドの目元も潤んでいるように感じます。
「また遊びに来ても良い?」
「それが…このお店は、もう閉めてしまうのですよ」
そういえば、持ち主が亡くなったと言ってましたっけ。
「コンラッドのお家に遊びに行ったらダメ?」
「俺もユーリと遊びたいけれど、お仕事で遠くに行かなくてはいけないんです」
「そうなんだ…」
がっかりして肩を落としていたら、そっと額に《ちゅう》をしてくれました。眠れないときや淋しいときに、お母さんがしてくれるみたいな《ちゅう》でしょうか?
「でも、いつか…必ずお会いできる日が来ます。その日まで、どうか健やかにお過ごし下さい…」
そっと囁かれた《へいか》という言葉が、どういう意味なのかは分かりませんでした。
「お会いできるその日まで、俺も仕事を頑張りますね?」
それは手にたくさん傷がつく、大変なお仕事なのでしょうか?何だか心配です。
「ケガ…しないでね?」
「ええ。気を付けます」
瞼を伏せると、長い睫が精悍な頬に影を落とします。ケガをしないことが難しいようなお仕事なのでしょうか?なんだか切なくて、ユーリはコンラッドのほっぺに《ちゅう》をしました。
「ゆーちゃん、バイバイしましょう?」
「うん…バイバイ、コンラッド」
「さようなら、ユーリ」
そう言って手を振るコンラッドのことを、ユーリは忘れないようにしようと思ったのに、どうしてでしょう?靄の中を歩いていく内に、どんどんコンラッドのお顔やお店の様子がぼんやりとしていくのです。
普段の道に戻ったときには、お母さんとユーリは二人して、何だかぼんやりした顔をしていました。
「あら…随分と歩いたような気がするわね。あららっ!もうこんな時間っ!スーパーに急がなきゃっ!!」
お母さんに手を引かれて、ユーリは急ぎ足で走りながら思いました。
何か、とても大切なことを忘れているような気がする…と。
この胸に残る、蜂蜜色に銀を散らした色は…一体何だったのだろうか…と。
* * *
「ディック…これは、お前の掛けた魔法なのかな?」
眞魔国に住まうウェラー卿コンラートは、亡くなった部下のお店でぽつりと呟きました。アルノルドで片脚を失うという重傷を負った後も、数年のあいだ生きていたエルダート・ディックは、木工が大好きな男でした。無骨な手で繊細な細工物を作っては、戦争の間にも仲間達を楽しませてくれたものです。
そんな彼が病で亡くなったとき、コンラートはとてもショックを受けて、彼の店を片づける段になっても酷く落ち込んでいたのです。
ところが…何とも不思議なことに、靄の中から現れた双黒の親子は、コンラートが次代の魔王となるべく魂を運んだユーリと、お母さんの渋谷美子だったのです。顔を合わせたこともある美子は、何故かコンラートを思い出せない様子でしたから、きっと靄を越えて出て行った二人は、またコンラートのことを忘れていることでしょう。この靄は、そういう不思議なもののようでした。
ユーリとの交流を絶対に忘れたくないコンラートは、靄が自然に晴れるのを静かに待ち続けています。
「俺はまた…あなたにお会いしますよ。必ず…必ず」
その日まで、ユーリが滞りなく魔王陛下になれるようにお仕事を頑張りましょう。
コンラートは穴ぼこの中から蒼いビー玉を摘み上げると、思いを込めてキスをしました。この玉のようにコロコロと転がって、いつか主君にまみえる道へと繋がっていくことを夢見ながら。
おしまい
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