「うさぎの嫁入り」C
「懐かしい、お姿でしたね…」 式場の控え室に入ってきた新郎には、純白の衣装がこの上なく似合っておりました。 新郎の衣装といえば、眞魔国森ではタキシード、地球森では羽織り袴が一般的ですが、この雄ぶりの良いうさぎは一風変わった衣装を着込んでおります。 ダークブラウンの短髪に映える、軍服に近いデザインはすらりとした長身を力強く、そしてしなやかなものに見せていますし、純白の布地に黒い肩当てと金モール、艶消しを施した金鎖の装飾がなんとも素敵です。 凛と整った顔立ちはここ数年で幾らか渋みを増し、大兎の雄としての色気とも言うべきものが嫌みなく滲んでいるのです。 そんな茶うさぎの姿を眩しそうに見やりながら、黒い花嫁うさぎは苦笑しました。 「えへへ…なんか、変な感じだなぁ…。村田に言われてあの頃のこと思い出しはしたけどさ、こーして小さい頃の自分に会うなんてなぁ…」 今朝になって、黒うさぎは友兎である村田からこんな指示を受けたのです。 『10時になったら、この控え室で待っておくんだよ、渋谷。懐かしいうさぎに会えるからね。ちょっと落ち込んでいるはずだから力づけて、帰り道を教えてあげるんだよ。ほら…あそこが、帰り道だからね。良く覚えておいて?』 その時は何のことだか分からなかったのですが、母うさぎの美子に本格的な化粧と衣装の着付けをして貰ったことで、黒うさぎはやっと得心いったのでした。 『あの時の花嫁さん…俺自身だったのかよ…!?』 そう分かった途端、急に恥ずかしくなって頬が真っ赤に染まってしまいました。 自分の女装姿を見て《綺麗》だなんて言っていたなんて、なんだか物凄く自画自賛しているみたいで、羞恥心で踊ってしまいそうな勢いです。 そして、泣きべそをかいている自分自身に…記憶の糸を辿りながら、励ましの言葉を贈ったのでした。 かつて、勇気をくれたあの花嫁さんから…ループする時空輪の中で貰った励ましの言葉を、今度は黒うさぎが仔うさぎへと送ったのでした。 必ず、約束は守られると。 その時まで、信じて自分を高めて行けと。 「何か不思議…俺って、あんなにちっちゃかったっけな?」 ひょいっと簡単に抱え上げられるくらい、仔うさぎは軽くてちいさかったのです。 自分もそうだったなんて今となっては信じられません。 * * * 新郎はふぅ…と柔らかく目を細めて微笑みました。 「ええ、それはもうちいさくて、抱きしめると潰してしまいそうでドキドキしましたよ」 懐かしむようにそっと胸の前に腕を持ってくる新郎は、かつての新婦の姿を…深部感覚によって想起しているようです。 「あんた…人をそんなひな鳥みたいに……」 「ええ…ひな鳥みたいに儚くてちいさかった。そんなあなたが…俺の運命を変えてくれた」 新郎の腕は思い出の中の仔うさぎから、新婦へと伸ばされ…その細い肩を抱き寄せました。 「大袈裟だなぁ…」 照れたように腕の中でもぞもぞする新婦のベールを捲れば、はにかんだ黒瞳がのぞきます。 ああ…なんて綺麗な花嫁さんなのでしょう! 漆黒の艶やかな髪をまとめて小花を散らし、まろやかな頬を淡紅色に上気させた顔(かんばせ)の、なんと華やかなことでしょう! かつて、茶うさぎは無惨な戦争によってすっかり心を荒廃させていました。痛みすら感じられないほどに荒みきった心は、ぽっかりとひらいた虚無に飲み込まれてしまいそうでした。 それを癒してくれたのが…この黒うさぎです。 そして黒うさぎは、その愛すべき性状はそのままに…こんなにもうつくしく成長してくれたのでした。 この素敵なうさぎが今日、晴れて新郎の…ウェラー卿コンラートに嫁いでくれるのです。 この日をどんなに待ち侘びたことでしょう! 日がな一日一緒にいる同居生活は、端(はた)から見れば《もう結婚してるようなもんじゃない…》と突っ込まれること多々ではありましたが、9年の歳月を待つ日々は楽しい中にも、微かに掠める不安との闘いの日々でもあったのです。 時と共にうつくしく、艶やかに成長していく黒うさぎに心惹かれるうさぎは、それはもうもう沢山いたのです。 いつの日か…本気で黒うさぎが他のうさぎを愛し、その事で思い悩んだとしたら… 茶うさぎは、黒うさぎの幸せのために身を引くことが出来るでしょうか? 祝福を送ることが出来るでしょうか? 生きていくことが…できるでしょうか? そんな不安な日々が、この結婚によって全て解消するわけではないでしょう。 ですが、それでも…ひとつの区切りではあるのです。 全てのうさぎ達に声を大にして告げて良いのだと、約束されるのですから。 それに…それにですよ? 大変下世話な話ではあるのですが…黒うさぎを文字通り《身も心も》自分のものにできるという事実は、この上なく茶うさぎを萌え立たせるのでした(この表記は誤字ではありませんよ?)。 晴れがましい純白と金銀に埋め尽くされた挙式も勿論嬉しいのですが、宵闇の薄暗がりの中でシーツにくるまる黒うさぎと濃密な空気を分け合うことも、それはそれはそれはもうもうもう………楽しみでしょうがないのでした(正直過ぎる思いを、そのまま伝えることは勿論しませんけどね)。 あんまりその事を考えすぎると、お客さん達にみっともない顔を見られてしまいそうなので極力自粛もしています。 伸びやかに成長したものの、やはりまだまだすっぽりと腕の中に収まってしまう華奢な感触に、茶うさぎはきりりとした顔立ちを蘇らせることに苦労するのでした。 「大袈裟なんてとんでもない!あなたと出会わなければ、俺の兎生(じんせい)に喜びや笑いが蘇ることはなかったことでしょう」 「………喜びはともかく、笑いってなんだよ…」 ぷくぅ…と頬を膨らませる表情は相変わらずです。 幼い仕草に、茶うさぎはくすくすと笑みを漏らしました。 ねぇ、こんなに笑顔にさせてくれるうさぎなんて、そうそういるものではありませんよね? 「コンラッド、時間だぞー」 廊下から、少し緊張を滲ませた渋谷勝馬の声がします。 茶うさぎは式場内に先に入り、黒うさぎを連れた勝馬がバージンロードを歩いていくのです。 ベッタベタな演出の上に、雄に対して《バージン》て何さという感じもしますが、事実、この日まで肉体については(キスを除いては)手出しをしなかった茶うさぎの努力は、世間様に堂々と誇っていいものでしょう。 何しろ、すくすくと成育していく黒うさぎは日々美しくなっていきましたから、毎日が理性と欲望との鬩(せめ)ぎ合いだったのです。 『頑張った…本当に頑張ったぞ俺…っ!』 自分で自分を褒めてあげたい。 小さく握り拳をつくりながらそう思う茶うさぎでした。 * * * 緑うさぎギーゼラの奏でるピアノの音色が響く中、ゆっくりと黒うさぎがバージンロードを歩いて行きます。 複雑そうな表情の父うさぎに手を取られ、黒うさぎ自身もはにかむように苦笑していますが、それでもその表情は晴れがましい思いによってか、しあわせそうに輝いているのでした。 式場の中では立ち姿も凛然とした新郎が、蕩ける蜂蜜のような微笑みを湛えて花嫁を待っていました。 す…と長手袋に包まれた細い腕が差し出されると、武人らしく数多くの疵を刻んでいるものの、気品ある骨組みの手がしっかりと受け止めます。 さて、式場の奥津城には祭壇というものがありません。大きなステンドグラスが明るい陽光を受け止めて柔らかな光を投げかけてはいますが、ご神体だの偶像めいたものも置いてありません。 うさぎ達は結婚について特別な神様に誓いを立てるということはありませんので、このような式場の中で、一堂に会した大切なうさぎ達の前で誓いを立てることになります。 いわゆる、兎前式ですね。 みんなの前で、永遠の愛と忠誠をお互いに捧げることを誓うのです。 お爺ちゃんから幼い仔うさぎまで、全てが二羽の愛の証兎になります。 緊張しきった仔うさぎが二つの指輪を捧げると、茶うさぎは黒うさぎの手袋を脱がせ、恭しく指輪を左手の薬指へと填めました。 黒うさぎも茶うさぎへと、同様に指輪を填めます。 そして…指輪の填った手が、強く握り合わされました。普通は新郎の手の上に新婦の手がちょこりと乗った形なのですが、クロスするようにしてがっしりと握り合ってはいけないという決まりはありませんし、こういうのが二羽には似合っているようにも思えます。 「我、ウェラー卿コンラートは、シブヤユーリに永遠の愛と忠誠を誓います」 「我、渋谷有利はウェラー卿コンラートに永遠の愛と忠誠を誓います」 握った手を証兎たるお客さん達の前に高々と上げ、二羽の声が揃います。 どぅ…と歓声と大きな拍手が上がりました。 満場に響き渡る祝福の声と大拍手とが、二羽の結婚を認める証なのです。 「誓いのキスを!」 「そうだ!キスを!!」 「キスを!」 調子に乗った茶うさぎの友兎達がひゅーひゅーと囃し立てます。 誓いのキスは決められたものではないのですが、眞魔国森ではわりと一般的に行われているものです。 黒うさぎは勿論茶うさぎとのキスが大好きですが、ちいさな頃ならともかくこんなに大きくなって…それも、自分の家族や友兎が見ている前でキスをするのは何とも恥ずかしいことです。 「どうします?」 茶うさぎは苦笑しながら耳元に囁きます。 「う…ぅう〜……こ、コンラッドはどうしたい?」 「ユーリが許してくれるのなら…したいな」 語尾が甘く掠れて、琥珀色の眼差しが蕩けるような艶を帯びますと、黒うさぎは耳まで真っ赤になりました。 どうやら、茶うさぎは今日この日まで何重にも縛って拘束してきた欲望を、全開にしたくて仕方がないみたいです。 並み居るうさぎ達の前で、黒うさぎが自分のものだということを改めて明示したいのかも知れません。 『それは…俺だって一緒だけどさぁ…っ!』 恥ずかしくってしょうがないけれど…でもでも、これからは晴れて夫婦なのです! 「……しよう?」 思い切って告げた言葉は、それでも掠れるような小声でした。 にっこりと微笑んだ茶うさぎは、ふわりと黒うさぎをお姫様抱っこにすると…わーっと沸き上がる大歓声を浴びながら、薄く形良い唇を寄せていきました。 「ん…んん……っ!」 甘い甘いキスはとても長くて深いもので…冷やかしていたうさぎ達までが頬を染めてしまうほど熱烈なものでした。 あまりの濃厚さと巧みさに息の上がってしまった黒うさぎを連れて、茶うさぎは花弁と色紙で出来た吹雪の中を闊歩していきます。 これから家に帰るのです。 二羽が暮らしてきた…そして、暮らしていくお家へね。
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