「全ての祝福を君に」
~2010年有利お誕生日企画~







 7月29日…コンラートにとってそれは肉の特売日でも、土用の丑の日でもない。
 この世で最も祝福されるべき崇高な日…渋谷有利のお誕生日である。

 特に一昨年の誕生日には地球と眞魔国とに引き離されていたものだから、有利がその時にどんな気持ちでいたのかを知るにつけ、コンラートは毎年毎年、《何としても素晴らしい記念日にしたい》と念じているのである。
 
 コンラート自身も5年にわたって孤独と戦ってきたのだが、世界を越えていく方法を知らずにいた有利に比べれば、向かっていくべき目標が定まっていたから、生きていくことが出来た。

『あの日、屋上から飛ばなくて良かった』

 エルンスト・フォーゲルの幻覚を克服して微笑んだ有利に、コンラートは泣きそうになったものだ。

 生きていてくれて良かった。
 生まれて来てくれて、本当に良かった…!

 目の前で祝福できることがどんなに嬉しいことか、全て言い尽くすには地上に存在する全ての語彙を用いても不可能であると思えた。

 昨年の帰還祭と兼ねたお誕生歳も盛況であったが、今年も素晴らしい祝いの日にしたい。

『7月7日にリヒトを産んでから約20日…体調も整ってきたことだし、賑やかにしてもそろそろ大丈夫だろう』

 やはり女体ではない身で出産を経た有利は激しい痛みに苦鳴を上げていたけれど、胎児と分離された身体は急速に回復を見せている。やはり、本来の姿の方が自分の身体を維持しやすいのだろう。

 

*  *  * 




「凄…!」

 有利は血盟城のバルコニーから眼下を臨むと、広がる光景に息を呑んだ。
 夥しい数の人々が広場だけでなく街路の隅々にまで溢れ、全員が手に手に青い紙を持って、誇らかに掲げている。
 眞魔国語や大陸共通語でそれぞれに表記された文字は、《お誕生日おめでとうございます》だ。

 しかも、そこにいたのは魔族だけでなく大勢の人間も含まれているようだ。各国の民族衣装で晴れ着をあしらっているから、間違いないだろう。

 有利がちらりと傍らを見やれば、やはり《この日の為にお呼びしました》とコンラートが囁く。

 漆黒の魔王服を身に纏う有利と対になるように、襟元や袖口の装飾がお揃いの純白の衣装を身につけたコンラートは、ゆったりと微笑んでいた。有利の卒業と同時に結婚を果たしたコンラートは、このような席ではもはや後に控える身ではなく、傍に寄り添うことになる。(ちなみに、生後一ヶ月に満たないリヒトにこの騒ぎは強すぎるとのことで、乳母にお願いして部屋に留まって貰っている)

「これって、もしかして…」
「ええ。ユーリが提唱していたホームスティによる留学者達も混じっています」

 確かに提唱して貴族会議で審議し、入国の許可を出したのも有利だったが、それが丁度この日に間に合うよう設定されていたとは!おそらく、《この日に絶対間に合うようにしてくれ》と、コンラートやグウェンダル、ギュンターなどが計画を前倒しして頑張ってくれたのだろう。
 各国の要人が豪奢な贈り物を携えてやってくるよりも、民が草の根単位で理解を深めていく方がどんなに嬉しいか…彼らは分かっていて、実施してくれたのだ。
 
「すっげぇ…嬉しい……っ!」

 声にならないくらいに嬉しくて、涙を浮かべて口元を覆う。
 何より、民の表情から《やらされている》感が無いのが嬉しかった。それぞれが各国で染色してきたのだろう青い紙は濃淡や明度が不揃いだが、それだけに、まるで貼り絵で作った海のように深い色合いを湛えている。

 その影から覗く瞳はいずれも、きらきらと輝いて祝福の祈りを放っていた。

「綺麗…凄い、綺麗だね…」
「あれがあなたを想う、民の色ですよ」

 囁くコンラートの声に、有利が涙ぐむ。
 その瞳の中で滲む景色は、本当に大海原のように溶けていた。

 世界を繋げていく、友愛の大海のように…。



*  *  * 




 素晴らしいお誕生日パーティーを締めくくるのは、あと数分ほど残された二人きりの時間だ。今宵ばかりはリヒトのことも、乳母に朝までお願いしている。

 魔王居室に戻っても興奮さめやらぬ有利の頬は淡く上気しており、コンラートが両手で包むとほわりと暖かい。

 アルコールは取っていないはずなのだが、長い睫の影から上目遣いに覗いてくる瞳は、濡れたように潤んでいる。
 微かに開かれた唇も…だ。

「コンラッド…凄いプレゼント貰ったのに、俺…強欲なのかも。まだ欲しいんだ」
「あなたに求められることは俺の悦びですよ。でも、今すぐ差し上げられるものがあるかな…」
「いつも貰ってるんだけど、改めて貰いたいんだ」

 潤んだ瞳でそう言われて、理解できない恋人がいるだろうか?

 《あんたを…夜の間中、いっぱい頂戴?》
 可愛くおねだりされたコンラートが朝日が昇っても頑張ってしまったことは言うまでもない。