魔王革命試し読み ミィィーー……ン ミィイイーー……ン ジュカジュカジュカジュカ…… 命を焼き尽くすように鳴く蝉の声が、まるで咆哮のように大気を震わせ、《ジュカ…ジュカカ…》と響く輪唱に脳の奥がくらりと歪む。 蝉の鳴き声は基本的に嫌いではないのだが、今日は少しばかり癇に障った。そんなにまで激しく鳴くことも無かろうに…と、苛立たしさが込み上げてくるのだ。 『暑ぃ…』 強すぎる陽射しが、木々の影に居ても刺すように肌や眼へと到達してくる。 風に揺らめく梢の影は一瞬たりと同じ形を取ることなく、ゆらりと揺れて渋谷有利の瞳に斑の残光を残した。 網膜に残るのは緑と黒と…そして、色として識別出来ないけれど…眩しい光。 全ての輪郭を鮮明にし、灼き尽くすようなこの光…。 ああ、この光の中で…高校球児達は蝉よりも激しく、命を燃やしているのだろうか? キイィ……ン…っ! 何やら、金属バットの音まで聞こえてきたような気がする。 先程テレビの中で見た映像が、よほど精神に影響しているのだろうか? ギィン…っ! 鈍い金属音は幾度も交わされ、続けざまに《ガ…っ》《ゴ…っ》…っと硬い何かを弾いている。その音と振動が鮮明になって来るに連れて、有利は奇妙な違和感を覚えた。 『……空耳じゃ、ない?』 音は公園から聞こえてくるようだった。 金属バットで球を打ち返しているにしては音が連続して聞こえてくるし、打っている対象は少なくとも硬いものであろうと気付く。 『もしかして、こんな真っ昼間から破壊活動か?』 この公園は人通りも多く、老人会の清掃ボランティアが行き届いているから、結構治安は良いし綺麗に維持されている方だと思う。 だが、この近くの街で公園が酷く破壊されたという噂を聞いたことがある。遊具や便器がめちゃくちゃに壊されたのだと…。 それに、この公園は春頃…有利が不良グループに絡まれていた村田健を救った場所でもある。 『あー…またトラウマが……』 また、胃がきゅ…っと縮んだ。 あの日、有利は敵うわけがないのに不良グループに立ち向かっていって見事に返り討ちに遭い、洋式便所に顔を突っ込まれているところを警察官に救助されたのである。 気のよさそうな警察官に《新しくしたばかりの便器で良かったね》と変な慰められ方をして、微妙な笑顔を浮かべたことを思い出す。 またあんな目に遭うのはごめんだ。 『見ない見ない…俺は何も見てない……』 自転車を方向転換させて公園から離れようとするが、こういう時に限って無駄に強い正義感が何処からか呼びかけてくる。 『良いのかよ…?』 ああ、勘弁して欲しい。 こんな時に、先日見た老人達の姿を思い出してしまった…。 《少しでも気持ちよく過ごせるように》 《子ども達が安心して遊べるように…》 老人達は食い散らかされた弁当の残骸を片づけ、花火の燃えかすを集め、伸びて不揃いになった木々を刈り込んでいた。額に汗しながら、それでも満足そうな笑顔を浮かべていた人々…。 その真心を踏み躙っている者がいるのだと思ったら、堪らなくなった。 それに、春の事件はトラウマではあるけれど、最悪の思い出というわけではない。 最初は自分を置いて逃げたかに見えた村田もちゃんと警察官を連れて帰ってきてくれたし、あれから一緒にプロ野球やらサッカー観戦をしたりして、結構良い友達にもなっている。 見てくれよりも少年らしい声を上げて応援に勤しむ彼を見ていると、《あの時、見捨てなくて良かったな…》とは思うのだ。 『くそ…っ!』 せめて、注意だけでもしてみよう。 そうしたら、少なくとも誰かが咎める思いでいることだけは伝わるだろう。 『言うだけ言ったら、全力疾走で逃げてやる!』 そう決意して、ペダルを踏み込み自転車を公園側へと反転させたのだが…。 公園で繰り広げられている状況を視認した途端、くるりと反転したくなった。 『無理っ!』 有利がどうこう出来る状況ではない。 …というより、夏の陽射しとトラウマのせいで、有利はどうにかなっているに違いない。 今…有利の目に映った光景は、とても現実世界で繰り広げられるようなものではなかったのだ。 『やばい…俺、マジでおかしくなっちゃったのかな?』 ドキドキしながら振り返ったら…やっぱりまだ見える。 何が見えるのかと言えば、《変》な人が《変》なものと《闘って》いるのだ。 《変》な人と言っても、下半身露出系の変質者ではない。 その手の人は《変》ではあるが、まだ現実世界での生息が許容されており、軽犯罪で検挙されることはあっても、個人的には複数の愉快な仲間達(?)を持っているはずだ。 だが、いま公園で《闘っている》人はとても日本国籍を持つ人には見えないし、彼に類する存在を捜すのは困難に思われた。 何人かと聞かれれば《欧米か》と答えるかも知れないが、それでは欧米の人に悪いような気がする。 いや…観点がずれているか。 そもそも、国籍の問題ではなく…《世界観》自体が大きく違うのだ。 『あぁああ〜〜……』 一縷の望みを掛けてもう一度視線を持っていったのだが、やはりまだいる。 二十歳くらいかと思われる精悍な白人青年が、ファンタジー映画に出てくる旅人のような格好をして、《変》の最たるものである敵…うねうねと蠢く巨大昆虫(蝉と蟷螂とヒルを合わせたような不気味な姿だ)と闘っているのだ。 強い夏の陽射しを弾く剣はえらくリアルで、昆虫もどきに打ち掛かるたびに《ブシュア…っ!》…っと紫がかった液体を噴き出させる。 しかし、よく見るとその剣は半ばほどで折れており、青年は思うとおりの闘いが出来ていないようだ。 《絶対的なピンチ》というやつを演出しているのだろうか? 『あ…ひょっとして、映画撮影?』 ぽん…っと自転車に跨ったまま手を叩く。 すると、その音に感応したかのように…《ズゾゾゾ…》っと昆虫もどきが動いた。 人と昆虫もどきの視線が、有利に合わされる。 「あ…撮影中にゴメンなさい…っ!決して邪魔をするつもりは…っ!」 慌てて両手を振るが、昆虫もどきの《中の人》は随分とご立腹のようである。 それもそうだろう…この暑い最中に、精巧で大ぶりな着ぐるみを着て激しいアクションに耐えていたのに、通りすがりの高校生が邪魔をしたのだから。 《中の人》はきっと汗だくで、熱射病直前であるに違いないのに…。 『このご時世にCGじゃなくて着ぐるみで勝負しようなんて気概がある人なら、そりゃ怒るよなぁ…』 けれど…邪魔になったわりに、どこからも《カーット!君々、困るねぇ…》といったお咎めの声は聞こえない。 そもそも、これだけ激しく公共の場で闘っているわりに、撮影隊もいなければ、野次馬を入れないようにするためのテープも張ってないのだ。 何より…有利の方を向いた昆虫もどきの《眼》は、作り物とは思えない質感を呈していた。 「え…?」 視線が合った途端に、ぞくりと背筋が震えた。 《これ》は、違うんじゃないか? 作り物が、こんな雰囲気を漂わせる筈がない。 直感ではあったが、人離れした速度と動きを見せて接近してくる《それ》は、有利の勘を十分に裏付けていた。 新たな獲物を屠ろうとうねるその動きは、蛇腹のような体節を高速で蠢かせ、身体を左右に揺らしながらの突撃なのだ。 人間にできるはずがない。 「わ…わぁああ……っ!」 情けない叫びを上げてひっくり返りそうになるが、昆虫もどきが有利を捕らえることはなかった。 すんでの所でぴたりと動きを止めた昆虫もどきに、有利はぶるぶると震えながら視線を送る。 「あ…あ……っ…」 あと三十pほどで、昆虫もどきの鋭い鎌が有利の首を断ち切るところだった。 それを止めたのは…あの、《旅人》だった。 折れた剣を駆使して、鎌を止めたのだ。 青年は、更に傷だらけの腕や脚を全て使う勢いで昆虫もどきに絡め、《なんとしても進ませぬ》という気概を漂わせて叫んだ。 「逃げろ、ユーリ…っ!」 青年は、有利の名を呼んだ。 その事に…一瞬状況を忘れそうになる。 「え…?ど…して……」 「逃げろと言ってる…っ!」 獅子吼を思わせる咆哮がびりりと頬の皮膚を打ったことで、やっと有利は我に返った。 そうだ、今は些細なことに気を取られている場合ではない。直接の対戦者が《逃げろ》と言ってくれるのだから、ここはひとつ素直に逃走すべきだろう。 硬直していた足を何とか動かして自転車のペダルを踏み込むと、《ふら〜…》っと車輪の軌道を歪ませながらも、どうにかその場から離脱出来た。 けれど…背を向けてそのまま加速していくことは出来なかった。 ちらりと見ただけだが、青年は身体中に深い傷を負っているようだった。 あの昆虫もどきにやられたのかどうかは分からないが、青年の顔は傷の痛みと疲労に歪んでいた。 ガ…っ! ガス…ガ…っ! 青年は昆虫もどきに剣を打ち付け続けており、もう有利を見ることはない。 きっと、有利が加勢することなど期待してはいないのだ。 『そりゃ…そうなんだけど……』 こんな訳の分からない事態を有利がどうこう出来るはずがない。下手に手出しをしたりすれば脚を引っ張るばかりだろう。 けど…それでも、有利はその場を離れる事が出来なかった。 『どうしよう…どうしよう…?』 ばくばくと心臓を拍動させながら、昆虫もどきの懐に入り込んで甲殻の隙間へと剣を突き込む男を見やる。その剣は例の、半分ほどで折れている代物だ。剣がなかなか立たないのと、既に疲弊しきっていることが青年を不利にさせているのだろう。 「……っ!…」 青年の背中へと、昆虫もどきの触角の一部が《ニギュギ…》っと伸びて接近していく。 青年は疲れの為か、目に紫色の液がかかったせいで視力を奪われているのか、その触角に気付くことはない。 『ダメだ…っ!』 ばくん…ばくん…… 鼓動が胸の中でうるさいほどに鳴り響いている。 こんな時まで止むことのない、蝉の鳴き声のように…。 有利は覚悟を決めると、自転車のペダルを一気に踏み込んだ。 「逃げらんないよ…っ!」 ぐん…っと踏み込めば、ぐい…っと自転車ごと有利の身体が《危険》に向かって押し出される。額の髪を薙ぎ払う向かい風は、一足ペダルを踏むごとに強くなっていく。 右足、左足と踏み込む動作ごとに、ぐぅうん…!と加速していく自転車…高速で過ぎ去っていく周囲の光景…それなのに、異様に長く時間経過を感じる。 けれど、ブレーキを掛けようとは思わなかった。 「おぉおお……っ!」 有利は勢いの乗った自転車から足を伸ばして車止めを蹴りつけると、ふわ…っと車体を浮かして横殴りに昆虫へとぶつけていった。 ド…ゴォォォ……っ! 上手く行ったのは僥倖というものだろう。 できすぎとも言えるほどの角度で突っ込めたお陰か、自転車は昆虫もどきの急所を抉ったらしい。ギュルル…っと勢いよく回転する車輪が丁度頭部と体幹部の節目に填り込み、幾分柔らかかったらしい箇所を抉り取ったのか、勢いよく紫色の飛沫が噴き出した。 有利は跳ね飛ばされて背中を強かぶつけたが、大きな怪我はせずに済んだ…と、思う。 グギャァアア……っ! 昆虫もどきが耳障りな奇声をあげると、すかさず青年は仰け反った柔らかい箇所へと折れた剣を突き込んでいく。 グ…ブ……っ! ゴギュ…っ! ねじ込まれた金属片に暫くのあいだ悶絶していたようだが、ギシュギシュと蠢いていた脚のようなものがぴたりと動きを止めると、昆虫もどきは死骸に変わったようだ。 どれほど巨大で非常識な形態を持っていても、死んだときは夏の終わりの蝉と変わらないのだろうか。 そんな感想を抱いていたのも束の間、予想外の変化が訪れた。 「……っ!」 有利の目の前で、昆虫もどきの陰影が歪んだかと思うと…ザァア…っと乾いた砂の固まりとなり…更に強く吹き付けてきた風に浚われて、土塊に帰してしまったのである。 完全になくなったのであれば《暑い夏の見せた白昼夢》ですませることも、やや強引ながら出来たかもしれない。だが…砂山自体はその概容を残したままで、そこに存在し続けている。 『俺…何に巻き込まれてんだ?』 興奮状態の極期を越えてしまうと、今更のように有利は自分が置かれている状況の異様さに身震いしてしまう。 これで終わったのならまだ良い。 だが…妙な胸騒ぎが、これが終わりではなく始まりなのではないかと告げているのだ。 『どうしよう…』 混乱して動悸が激しくなる有利だったが、不意に青年が身動いだことで《は…》っと我に返った。 「く…」 「ぁ…あ、だ…大丈夫?」 つい先程まで昆虫もどきであった残骸…砂のようなものを払いながら立ち上がると、青年は傷の痛みに呻いたが、有利が駆け寄ると《すぅ…》っと表情が変わる。 苦痛は一瞬にして眼差しから払拭され、煌めく光が琥珀色の瞳を彩った。 『わ…!』 光に透かした琥珀を思わせる瞳には、見間違いではなくきらきらとした銀色の光彩が瞬いている。それが、切れ長の眼差しをやさしげに見せているようだ。 秀でた額に高い鼻梁…薄くて形良い唇。 精悍な頬は血と砂に汚れているが、清拭すれば素晴らしい男ぶりであろう事が容易に見て取れる。 強い真夏の陽光に照らし出されたダークブラウンの髪は、風に靡いている部分が透き通り、獅子の鬣のような色合いを湛えてとても綺麗だ。 ファンタジックな身なりや異彩色の汚れを帯びていなかったとしても、その容貌は衆目を集めるに違いない。 何より、有利に向ける眼差しのやわらかさが胸に迫った。 →続きは「黒たぬ」でご覧下さい★ 最初は地球が舞台ですが、殆どは眞魔国に行ってます。 |