「大切な君の為に」D
〜青空とナイフシリーズ〜
プルルル……
プルルルルル……
有利達を見送った後、気絶している仲間に止血を施してから浅葱は少しぼんやりとした。
色々とやらなくてはならないことがあるはずなのだが、一時的に許容範囲を越えているらしい。
ふと、懐で携帯電話が微細な振動を伝える。
非通知ナンバーだが、察しはついて血の気が引いた。実働組とは別に、浅葱達には逐一経過を報告する監視組がついている。彼らから組織本部にもう連絡が行ったのだろうか?
しかし、推測通りの相手であったにもかかわらず、要件は拍子抜けするようなものであった。
「手を引いて…良いんですか?」
先刻の展開から、浅葱としては手を引くことに決めていた。
だが、独断でそんなことを決めれば本部からの制裁が来るだろうと恐れていたのだが、その本部自体が作戦の中止を知らせてくるとは一体どういう事なのか。
「うちとは比較にならない規模の組織が、直接圧力を掛けてきた。渋谷有利を傷つけるようなことがあれば、どんな手を使ってでもうちを潰す…とな」
苦々しい声音で囁かれる組織と総帥の名に浅葱は顔色を失った。
《クーロン》…《漆黒の龍》…浅葱も噂だけは知っている。その遣り口のえげつなさと敵対した者への徹底的な報復は、その筋の者をして戦慄させるほどの凄まじさだという。
浅葱の所属する組織は、如何なる場合も警察組織に足が着かないよう細心の注意を払っているが、相手が非合法の遣り口に通じている同業者では流石に危険だ。
「あそこが狙ってるんじゃあ、手の出しようがない。くそ…っ!こうやって大手だけが懐を暖めるって訳だ」
携帯電話の向こうで男が毒づくが、浅葱にはそうは思われなかった。
《渋谷有利を傷つけさせない》…手出しをさせないのではなく傷つけさせないという言葉が、浅葱にそう思わせた。
『全く…敵わないわけだわ……』
浅葱程度では、有利を陥落できないわけだ。
《ルッテンベルクの獅子》のみならず、一体どういう繋がりなのかは不明だが…有利は《漆黒の龍》の庇護すら受けているのだ。血も涙もないという噂の龍が、傷つくことすら厭うという渋谷有利…全く、末恐ろしいほどの魅力である。
あんな少年が組織にいれば、如何なる男でも籠絡できそうだ…そう思ったものの、それは不可能なのだと気付く。
きっと、有利はあの魅力を決して自分の為には使わず…それ以前に、そんな力を自分が持っていることにすら気付いていない。そんな彼だからこそ、癖のある闇の住人達が挙って彼を守護しようと気炎を吐くのだろう。
『あたしも…いつか、あの子が別の奴に狙われるようなことがあったら…』
…きっと、黙ってはいないだろう。
そんな風に感じてしまう自分を嗤いながら、嫌いにはなれないな…と思う浅葱だった。
* * *
密かに清らかな誓いを立てる浅葱とは裏腹に、有利はただならぬ気配を漂わせるコンラートと共に息詰まるような大気の中に閉じこめられていた。
タクシーを拾ってホテルに戻ってきたのだが、飲み物を煎れてくれたきり…コンラートは仮面のように表情を消して黙り込んでしまったのである。
『ああ…沈黙が痛いっ!』
ヨザックはいそいそと何処かに行ってしまった。
救いの手は何処からもやってこない。
《タスケテー!》…と、浅葱に銃口を向けられたときよりも誰かにヘルプを送りたくてしょうがない有利だった。
「あ…あの……コンラッド…何か、怒ってる?」
「何故そう思うのですか?」
『うっわ…』
怒ってる。
絶対怒ってる。
コンラートは怒っているときほど口調が丁寧になるのだ。
「えと…浅葱を無罪放免にしちゃったから?」
「その事に怒っているのであれば、あの時にどうにかしています」
「じゃあ…あんたが仕事しようとしてるときに、出しゃばって馬鹿な真似しようとしたから?」
「それは少しあります」
「う…っ……」
冷たく言い放たれて、有利は泣きそうになった。
怒っているのではなく、ひょっとしたら呆れているのかも知れない。
「もしかして…俺のこと、あんまり馬鹿だから嫌いになった?」
鼻の奥がツキンと痛んで…駄目だと思うのに、言葉にしたら止まらなくて…涙が零れた。
「全く…何でそんな馬鹿な結論に結びつくんですか?」
言葉は乱暴だったけれど、つかつかと近寄って距離を縮めたコンラートが大きな手で髪を掻き回してくれたから、何とか涙は止まった。
「嫌いな奴の心が欲しくて、こんなに嫉妬なんかするもんですか」
「嫉妬?」
意味が分からなくて、ぽかんと口を開けて見上げたのだが…恐ろしくばつが悪そうな顔をしたコンラートは口元を覆ったまま苦々しく呟く。
「やはり…あなたは抱かれるより抱く方がお好みですか?」
「は?」
何とも噛み合わないこと甚だしい会話に有利は困り果ててしまう。
しかし、《抱く》がエッチなジャンルに於けるそれであるのなら、答えは決まっている。
「そりゃ…俺だってフツーの性向を持つ男だもん。《俺って何時か素敵な人に抱かれるんだー》よりゃ、《可愛い子を抱くんだー》ってのを夢見てたよ?」
「そうですか…仕方ないですね」
コンラートは不機嫌を絵に描いたような顔で歯噛みしながら、何故か服を脱ぎ始めた。
かっちりして見えて実は戦闘用に伸縮性に富むスーツの上着をばさりと脱ぐとソファに投げ出し、乱暴にネクタイごと襟元を緩め、シャツのボタンを開けて…革製のベルトを勢いよく抜くと、ズボンのホックをかちりと外す。
「こここ…コンラッド……?」
突然のストリップを砂被り席で見せられた有利は、硬直したまま恋人の動向をうかがった。
「ユーリ…」
眉根を寄せている癖に…どこか押し殺したような色香を漂わせるコンラートは、軋む音も立てない上等なソファに両腕をつくと、有利の身体へとのし掛かるように…ゆっくりと接近していった。
『わ…わ……っ!』
どんどん近づいてくる整いまくった顔立ちに心臓はばくばくと唸りをあげ、あれだけの戦闘を経ても汗くささを感じさせない独特の香気がはだけたシャツから香るのとか…そのシャツの合間から見えた胸筋が滑らかな光沢を湛えていることとかに惑乱してしまう。
接近する双弁の艶やかさに耐えきれず、ぎゅう…っと眼を閉じたら、唇に甘やかな唇が押し当てられた。
「ん……っ」
角度を変えて幾度も重ねられる唇に少しずつ息が上がっていく。隙間からするりと忍び込んだ舌が絡みつくと、為す術もなく有利の身体からは力が抜けていった。
指先まで甘い痺れに支配されて、与えられる感覚を享受することで頭がいっぱいになってしまう。
「駄目じゃないですか…これだけ誘っているのだから、あなたからも責めてくれなくては…。そんなことで、ルッテンベルクの獅子を抱けるとお思いですか?」
「は…?」
はふ…っと溢れた涎を舌でどうにか舐め取っている時に、鼻先を囓られ、不意に囁かれた挑発的な声に度肝を抜かれてしまう。
「え!?俺…コンラッドを抱くの…っ!?」
この手練手管に長けた超絶凄腕シークレットサービス様を、床にねじ伏せてくんぐりもんぐり致せと?
現段階では少々荷が重い気がして、有利は申し訳なさそうに項垂れた。
「そっか…コンラッドって、意外と抱かれる方が好きだったんだね?だからこないだまで抱いてくれなかったんだ…。気付かなくてゴメンね?だけど…俺、今はまだコンラッドみたいに上手く出来る自信ないから、もーちょっと大人になってからトライしても良い?せめて、あんたの脚を抱え上げてもブルブル震えないくらいの背筋力をつけてからでないと、若い身空でぎっくり腰になりそうなんだよ」
「…………え?」
今度はコンラートが素っ頓狂な声を上げる。
「…ユーリ……抱く方が好きだから、俺に抱かれるときに泣いたんじゃないんですか?」
「そりゃ…ちょっと男として、大股開かされてケツの孔に精液出されるのはフクザツなもんがあったよ…」
「では…俺のようにごつい男と寝ること自体が嫌なんですか?」
「え?」
また風向きが変わってきた。
ゴゴゴゴゴコ……
なんだろう…変な効果音まで聞こえる。
コンラートは先程にも増して…殺意にも似た嫉妬のオーラを纏うと、餓えた肉食獣のように有利の白いシャツを引き裂いた。胸ポケットに校章のエンブレムが入っているシャツは高価なはずだが、勢いが激しすぎてボタンを止めた布地ごと引きちぎられてしまう。
「そんなにあのオカマと野球を見に行きたかったんですか?雑踏の中で俺の目を盗んで…あわよくばこの可愛いおちんちんを突っ込むつもりでいたの?」
「や…痛……っ!」
ズボンの硬い布地越しに、膝でグリ…っと花茎を嬲られる。
キスで少し勃ち上がり掛けていたそれは、酷い仕打ちに悲鳴を上げながらも…じわりと先端を塗らした。
「油断のならない人だ…。この俺を銜え込んでなお、他に目移りするとはね…」
「や…ゃ…っ!何言ってんだよコンラッド!」
「この俺が抱かれることすら了承したというのに、それでもあんなオカマが良いんですか!?」
嫉妬剥き出しの思いがけない叫びに驚いたが、誤解されたことに怒りすら感じて…有利は持ちうる限り精一杯の力を駆使してコンラートの頬を張ろうとした。
…が、簡単に片手で止められて悔しげに涙ぐむ。
「いーわけないだろっ!馬鹿っ!俺はあんた以外の男とも女とも、抱いたり抱かれたりなんてしたくないんだからっ!!」
疑われたことが悔しくて…情けなくて、有利は声を限りに叫ぶとじたばたと藻掻いた。
「馬鹿…っ!大嫌いだよあんたなんか…っ!お、俺だって…どんな思いであんたのちんこ、股間で受け止めたと思ってんだよ…っ!俺…エッチなコトするのなんて、女の子とだってやったことなかったんだぞ?それでも…あんたが触れてくれるのが嬉しくて…せ、せいいっぱい…俺だって…精一杯……っ!あ…あんたに、きもちよくなってほしいって……っ!はずかしくっても…あし……ひろげて……っ」
怒鳴り声を上げるつもりだったのに、最後は啜り泣くようなものになってしまって自分でもちゃんと聞き取れなくなっていた。
ぼろぼろと情けないくらいに涙が溢れ出て、どんどん頬を伝い落ちていく。
恥ずかしくてとても眼なんか開けていられなかったから、コンラートがどんな顔をしているか暫くの間…気付きもしなかった。
「………すみません…」
しょげかえった声が、最初…コンラートのものだとは思わなかった。
哀しげな…ちょっと泣きそうなその声が彼のものだと理解できたのは、優しいキスが閉じた瞼や涙に濡れた頬に降り注がれてからだった。
思い切って…おずおずと瞳を開くと、声の通りに塞いだ顔のコンラートがいた。
まるで普段は優秀で誇り高い猟犬が、何かの拍子に思わぬ叱責を喰らって反省しきっている…そんな感じだ。
「俺は…あなたを、傷つけましたか?」
「傷ついた…。あんたが、俺を疑うから……」
「すみません………」
あんまりしょぼんとしているものだから、何だか可笑しくなって…有利は吹き出しそうなのを堪えて両腕を伸ばすと、恋人の逞しい首に絡めた。
「もう…良いよ」
「ユーリ…」
「あのさ…コンラッド、俺…前にも言ったろ?俺はね、誰にでもいい顔する訳じゃないし、幾ら気に入ったからって恋と仲が良いってのを間違えるほど馬鹿じゃないんだよ?」
「…仲は良かったわけですね?」
「あんた…大概嫉妬深いね……」
「こんな俺は嫌ですか?」
「ほどほどなら…ちょっと嬉しいかも」
ちゅ…っと音を立てて唇に吸い付けば、仄かにコンラートの頬が染まったような気がする。
「俺は…あんたとこうして触れあうの大好きだよ。他の人とはしたくない。もともとは女の子が好きだって言ってもさ…こうして好きになってるのがコンラッドなんだから、そりゃもうしょうがないんだよ。方針と現実なんて、違っちゃってもしょうがないもんだろ?」
「では、しょうがないついでに俺に抱かれてくれますか?」
「あんたがそうしたいならね。いつか…抱いてって言われても対応できるように、努力だけはするし」
「いえ、良いです。その努力は無意味です」
生真面目な顔をして首を振るコンラートに、有利はぷっと吹き出すのだった。
* * *
「今回は…何とかなかったか……」
「お疲れ様ですぅ〜」
何故かチャイナ服を着て給仕してくれるヨザックに、村田はぐったりと脱力して手を振った。
「ジャスミンティー煎れて…」
「はーい、準備できてますー」
ここのところ、村田はまともに寝ていない。
有利を狙っている組織の洗い出しと、効果的にその手を止める手立てを打つのに頭脳の限りを尽くしていたからだ。
ついでに、似たような計画を立てている可能性のある組織の洗い出しも平行して実施した。
物理的な攻撃はコンラートとヨザックに防いでもらうにしても、今回のような精神攻撃を含めた打撃が有利に加えられるような事態は可能な限り回避したいのだ。
「ケンちゃんたら、本当にユーリちゃんが大好きなんですねぇ…」
「ああ、そうさ」
「ねぇ…あの子なら、ケンちゃんの事を全部知っても…ずっと友達でいてくれるんじゃないですかね…」
「……」
村田は沈黙したまま、ヨザックの煎れたジャスミンティーを味わった。
『ケンちゃんは強いけど…闇の部分をあんな素直な子に隠したまま平気でいられるようなタイプの強さじゃないんだよね』
後ろめたさが村田を蝕む前に、全てを明かす日が来ればいい。
きっと…有利は受け止めてくれる。
自分に銃口を向けた者すら赦すあの寛容さを、村田に対して発揮しないわけはないと…ヨザックは半ば確信するように…半ば、祈るように想うのだった。
おしまい
あとがき
盛り上がりそうで盛り上がらないまま終わるこのシリーズ。
今回も何となく終わっていきます。
「有利が村田の正体に気付く日は来るの?」「コンラッドがパパの死を本当の意味で乗り越える日は来るの?」…と、自分でも思うのですが、なかなか具体的な事件が起こりません。
浅葱ちゃん…ちょっと役不足だった……。
しまった…コンラッドと既に恋仲になってる有利の誘惑なんて、不可能にきまってんじゃん…!?って事に何で気付かなかったのヴァタシ!?ヒーハァア…っ!と、ワンピに出てくる睫が凄いオカマさんのように自問自答する狸山です。
いつか素敵な展開を思いついたら続きを書きますね〜。
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