「しあわせ卵」−3
たくさんのお色直しをした有利がやっと解放されると、夜のパーティーまでは自由時間となった。かなり疲れていた有利だったが、お気に入りのパン屋で特別なデニッシュを売っていたと聞くと、我慢できなくなって変装し、そのまま他の変装したコンラートやユーリと共に城下町に出かけていた。
しかし慌てて行ったものの、パン屋の店先には《売り切れ》の文字が掲げられていた。
「あれ?無い〜…」
「凄く美味しそうだったから、売り切れちゃったんだね?」
肩を落としてしょんぼりしていると、充実した疲れを熱いお茶で吹き飛ばそうとしているパン屋の主人ビスケスと目が合った。途端に、彼はぶふ…っとお茶を吹き出してしまう。
そんなに笑えるくらいがっかりした顔をしていたろうか?
「あ…あ、これは陛…いや、坊ちゃんっ!」
「あら…まあまあ…っ!」
おかみさんのミントまで目を丸くして驚いている。
「お、おいお前、材料はまだ残ってるか!?」
「もうないわ、あなたーっ!全部出し切る勢いで作りましたもの!」
「なんだとーっ!!」
大騒ぎをしている両親に、子ども達も《なんだなんだ》と駆け寄っていく。
「あ、ミツエモンお兄ちゃんだ!」
「え〜?いま買いに来ちゃったの!?」
仲良しの有利がデニッシュを買い損ねたと聞いて、子ども達までがっかりしている。だが、一番末っ子のミルがふとウィンドウに目を遣った。
「そうだ、これ食べて貰おうよ!」
指さした先にあったのは、ディスプレイ用に焼いた大きな王冠のデニッシュである。確かに朝一番に焼いたときにはサクサクだったが、一日を乗り越えたせいで流石にくたりとしている。砂糖菓子の魔王陛下とウェラー卿もすっかり汗をかいて色落ちしているし、売り物としてはかなり問題のある姿だ。
「しかし、お客様に口にして貰うにはなあ…」
少々渋い顔をするビスケスだったが、有利が《食べたいなぁ…》と呟くと、これを止めることは出来なかった。
「へぇい…本当に良いんですかい?坊ちゃん」
「うんうん、食べたいよー。ビスケスさんのパン、俺大好きなんだもん」
「そりゃあ嬉しいや…!こんな日にまで食べに来て下さるんだ…そりゃあ食べて貰わなくちゃいけねぇや」
「え?」
「ああ…いやいや、こっちの話でさ」
ビスケスは頭を掻くと、店内を整理しなおして椅子を並べ、ミントは熱いお茶をポット一杯に煎れて銘々に配っていく。脚を棒にして焼き菓子や卵を配っていた子ども達も同じ席に着き、ご相伴にあずかった。デニッシュは敢えて切り分けずに、みんなして手にしたフォークで切り崩していくのだ。
「ん〜…やっぱおいひいっ!」
「ホント!すっごく美味しい〜っ!」
「ふごくほいひぃふぇす」
三人のユーリ達はそれぞれに頬を膨らませて舌鼓を打ち、パン屋の子ども達は誇らしげに胸を反らせた。
「そりゃあ父さんが気合いを込めて作ったんだもん!美味しいに決まってるよっ!」
「そうそう、昨日の夜から《魔王陛下に心を込めてお祝いするんだ》って、凄く丁寧に仕込みをしていたんだよ?」
子ども達の賞賛に、父の方はすっかり照れ笑いをしている。
「いやぁ…パン屋たるもの、毎日がそうでなくちゃいけないとは分かってるんですけどね?眞魔国を…いや、世界中をこんな平和で包んでくだすった陛下のお祝いなんだ。こりゃあなんとしても全力でお祝いせにゃと思ったわけでして…」
「嬉し…いや、魔王サマも大喜びですよ!」
実に美味しそうに食べる有利に、ミルは瞳を輝かせてこんな事を言い出した。
「ねー?王冠のデニッシュも、もしかしたらお忍びで来られた陛下が召し上がってたりして!」
すかさずお兄ちゃんぶりを発揮して、ビルが弟を窘めた。
「バカ、普段ならともかく、こんなお祝いの日に食べに来られるもんか。主役が居なくてどうするよ」
「そっかぁー」
有利たちは一様に苦笑するが、同時に、パン屋のビスケスやミントも含むような笑いを浮かべている。これは…ひょっとしてひょっとすると、もうずっと前からバレバレなのかも知れない。
ちいさく目礼すると、やっぱり《分かってますよ》と言いたげに目礼が返ってくる。ああ…やはりこの店の常連はやめられない。なんて気持ちのいい人達なんだろう?
しかし、楽しい一時は終わりを告げようとしていた。
次は苦しい一時というわけではないのだが、貴族連中や海外の貴賓を招いた大規模な披露宴がもうじき始まるのだ。懐かしい顔ぶれも勿論居るが、やはり気を使って魔王サマぶりを発揮したり、接待の為の会話もこなさなくてはならない。
「じゃあ、ご馳走様でした」
「えへへぇ…また来てね!あ…そうだ!」
末っ子のミルは有利に手を振ると、何かを思い出したように駆け出して、店舗の奥から大事そうに二つの彩色卵を持ってきた。
「これは?」
「《しあわせ卵》だよ!良かったらあげる!」
「わあ…ありがとう。綺麗だねぇ…ミルが塗ったの?」
「うん。お兄ちゃんと一緒に塗ったんだよ?ねえ…あげても良いでしょ、お兄ちゃん」
「うーん…まあ、良いか。あげるよ、特別!」
「ありがとうね!」
大切に受け取った卵は、リボンや花の柄に鮮やかに彩色されていて、ちょっと男の子が作るものとしては意外な絵柄選択である。少し揺らすと、コトト…っと乾いた音がした。
コンラートが横から耳打ちしてくれたところによると、結婚式のお祝いの品として配られるものなのだそうで、殻を壊さずに硝子玉を出せたら幸せな結婚が出来ると言われているらしい。
もしかすると、パン屋の兄弟は好きな女の子にでもあげるつもりだったのかも知れないが、折角頂いたのだから返すのも何だろう。
「そーだ…ほら、これは二人にあげるよ」
「良いの!?」
有利は卵をうさぎと鬼っ子のユーリに手渡した。幸せな結婚ならもう有利は今日させて貰ったのだから、これから必要なのはこの二人の方だろう。
「こ、壊さずに出せるかなぁ〜?」
「俺と一緒に出そう?ユーリ」
ちょっと緊張気味の二人はそれぞれに卵を手にして、血盟城へと戻っていった。
* * *
披露宴は血盟城の大広間で盛大に行われた。普段の宴ではそれほど特別高価な食材を集めたりはしないのだが、今回は各地の領主から食材を捧げられたので断ることも出来ず、結果的に非常に豪勢なメニューと相成った。
血盟城のコック達は戦場と化した厨房で死にものぐるいで料理の山を作り出し、爽やかな笑顔を張り付けた給仕達が、卓上と厨房とを何度も行き来している。
さて、その中で料理とは関係ないところで熱中しているのが二人のユーリであった。
「も…もーちょっと…」
「ああ、ダメ!強引にやったら割れちゃうっ!」
一体どうやって入れたのかと思うくらい、硝子玉は卵の殻の下部に開けられた孔ぎりぎりのサイズであった。しかも丸くてつるつるしているものだから、なかなか掴むことが出来なくて、もう少しというところでツルッと滑ってしまう。
二人して可憐なドレスを着こんでいるから人々の注視は凄まじいのだが、互いのコンラートががっちりとホールドしていたり、必死の形相で卵から硝子玉を取り出そうとしているもので、とても声を掛けられない。
「あぁ〜…上手く行かないなあ」
「まあまあ、ちょっと一息ついたら如何?」
鬼っ子ユーリは傍らから差し出されたコップを手にすると、喉が渇いていたせいもあって勢い良く飲み干そうとした。しかし、唇をつけたところで凄まじい速度で伸びた手がコップを止める。
「…っ!?」
「飲んじゃダメだ!」
鬼っ子ユーリの手を止めたのは、サラリーマンコンラートだった。
あまりの勢いに吃驚した鬼っ子ユーリは卵を取り落としてしまうが、これも地面に落ちる直前にサラリーマンコンラートが見事な体裁きを見せてキャッチしてくれた。おかげでコップの中の液体はフロアに撒かれてしまったが、磨かれた大理石ゆえ、すぐに侍女達が清拭してくれる。
一方、コップを差し出したヨザックはばつが悪そうに頭を掻いている。
「あ…ありゃ?」
「ヨザ、ユーリに酒を呑ませるなっ!鬼の子にとって、酒は毒と同じだ…っ!」
ぐい…っとヨザックの襟首を掴んだサラリーマンコンラートは、射殺しそうな勢いで鋭く言い放つ。その様は普段の儚さを払拭して、獅子王の如き迫力を見せていた。
「いや…悪い悪い。ちょっとした冗談でぇ…」
「二度は無いと思え」
荒っぽくヨザックの襟を払う様には殺気さえ滲んで、眇めた眼差しにはぞくりとするような雄の艶があった。
「コンラッド…格好良い〜…」
うっとりと見惚れる鬼っ子に、うさぎのユーリも微笑みを浮かべた。
「やっぱりコンラッドは、どこのコンラッドもステキだね」
「ユーリのためなら、必死になれるところが?」
「ぜ〜んぶステキだよ」
「ありがとう、ユーリ」
イチャイチャしながら硝子玉を弄っていたら…ぽこんっと勢い良く抜けた。
「あ…っ!」
「取れたっ!」
急にぽこんと取れた硝子玉は、綺麗な青色をしていた。うさぎのユーリは大事そうにちいさな掌の上で転がし、灯火に照らしてにこにこと笑顔を浮かべる。
「えへへ…しあわせな結婚、できるかな?」
「ええ、きっと出来ますよ」
鬼っ子ユーリもまた、ステキなコンラートの姿にもじもじしながら卵を弄っていると、やはり、ぽこん…っと硝子玉が出てきた。
「わ…出たっ!」
「ああ、良かった!綺麗な水色の珠だね」
「キレイキレイ〜っ!コンラッド、これ大事にとっとこうね?」
「うん。そうだねぇ」
もう先程までの気迫は隠して、一緒になってニコニコしているコンラートだったが、彼の穏やかな表情の影には、やはりコンラート共有の強靱さがあることを今ではみんなが知っていた。
しあわせな笑顔に包まれた卵は、ころころりんとユーリ達の掌の中で転がる。幸せな結婚を約束する、ちいさな硝子玉と共に。
* * *
「キレ〜イ」
「こうして、飾っておこうね」
それぞれの世界に戻して貰ったそれぞれのユーリとコンラートは、小さな籐籠に布地と綿を敷き詰めた上に、卵と硝子玉を大切に載せて窓辺に置いた。
それは結婚式のその日を過ぎても、ずっと大事に飾られていたという。
おしまい
あとがき
時々思い出したように続いている「平行世界のユーリ」。三つ続いたので、そろそろ「シリーズ」と言い張っても良いでしょうか?
時々こうやってぽろぽろと続くシリーズがあるので、「この話の前作はどこですか?」と探される方がおられるので、黒うさシリーズや鬼っ子シリーズとは別に、一部屋設けても良い頃ですかね。
普通のコンユ(?)も無事に結婚できましたので、いつかそれぞれに結婚した鬼っ子とうさぎさんも集合させてみたいです♪
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