「雨のちハレ」−8




 

「て…めぇええ〜っ!!」

 怒気を孕んだ叫びが、大理石様のエントランスに響く。すぶ濡れの身体からは盛んに熱が発生し、水蒸気まで立ち上りそうな勢いだった。
 八木の目の前には、それに値するだけの光景が広がっていた。

 なんということだろう。あの好青年然としたコンラートが、派手なオカマと仲睦まじく抱き合っているではないか。

『渋谷に聞いた時にはまさかと思ったけど…!』

 八木は有利の推測通り、コンラートに勧められたトレーナーの経営する治療院に行っていた。次の土曜日の午前中まで待っても良かったのだが、コンラートに少し手技をして貰っただけで随分と肩が軽くなったことが気になって、学校を休んで向かったのだ。明らかに高校生で、予約無しの飛び込みでやってきた八木にトレーナーは困ったような顔をしたが、コンラートの紹介だと言ったら《今回だけ特別だよ?》と苦笑しながら、休憩時間に八木を看てくれた。

 痛めてから時間が経過しているので完全に治癒することは難しいと言っていたが、やはり今まで受けたどんな治療よりも八木には合っているようだった。理屈を丁寧に説明した上で提示された運動法も、早速続けてみようと思えた。

『あの人のおかげだ』

 せっかちな八木はすぐにお礼が言いたくて、トレーナーから住所を聞き出すとそのままコンラートのマンションに向かった。

 その途上、有利の爆弾発言に出くわしたのである。

 ただ、列車に乗っている間に少し落ち着いてきて、その時には《まずは話を聞いてみるべきか》とも思っていた。もしかして、有利も合意の上だったのではないかとも思ったのだ。
 だが、駆けつけた先で目に入った映像によって、そんな躊躇は見事に吹っ飛んでいた。有利に悪戯をした翌日に、ド派手なオカマと抱き合っているとは一体どういう了見なのか。

「ぶっ殺す…っ!!」

 有利の純情を踏みにじったコンラートに対して、激しい怒りが込みあげてくる。もしかするとその中には、八木自身が彼を認め始めていて、その気持ちを裏切られたという怒りも混じっていたのかも知れない。

 八木は助走を付けて跳躍すると、コンラートの横っ面めがけて跳び蹴りをかまそうとした。しかし八木が《仕留めた》と思ったのは一瞬のことで、残像を蹴った脚は空を掻く。気が付いた時にはコンラートとオカマは蹴りの範疇から離脱しており、それところか、体勢を崩した八木の首根っこを捕まえて、身体を支えるという余裕ぶりだ。

「くそ…畜生っ!」
「どうしたんだい、ヤギ君?」
「どーしたもこーしたもあるかっ!テメェ、渋谷のチンポコ銜えた翌日に、オカマ抱くたぁどういう了見だっ!!」
「はあっ!?」

 あんぐりと口を開けたコンラートは、意味を了解するなりボンっと顔を紅く染めた。夢の中で見た話だというのに、思わずそのシーンを想起してしまって咄嗟には言い返せなかったのである。

「畜生っ!!」

 拳を突き出して何とか殴りつけようとするが、首根っこを押さえられているせいで殆ど猫パンチのような有様である。悔しさに地団駄踏みながら、ついでにせめてもの反抗としてコンラートの足を踏むと、流石に苦鳴をあげた。

 だが、この状況に同席していたオカマが黙ってはいなかった。
 八木の襟元を大きな手でがっしりと掴むと自分の眼前に引き寄せ、人を殺せそうな憤怒の表情で睥睨してきた。もりもりと浮き上がる半端無い筋肉が、しめ縄のように上腕を飾る。この男…一撃で顔の形を変えられるのではないだろうか?

「ぁあん…ボーズ。調子こいてんじゃねーぞクソ野郎が。俺の愛しのダーリンにナニしくさってんだよ」
「ヨザ。誤解を招くようなことを言うな!」
「あらヤダ。ほほ」

 三白眼で睨まれるのも怖いが、真っ赤に染まった唇を押さえて微笑まれるのは更に怖い。こめかみに浮かんだぶっとい血管はそのままだし。

 そこに、真っ青な顔をした有利が飛び込んできた。ひぃひぃと息を切らせた村田が、その後から一拍遅れて入ってくる。

「先輩!誤解なんですっ!!…つか、グリ江ちゃん、先輩殴らないでーっ!」
「渋谷…?」

 八木とコンラート、ヨザックの前で拳を握り締めた有利が、顔を真っ赤にして叫んだ。

「チンポコ舐められたのは、俺の夢の話ですーっ!!」

 うわぁああん…っ!

 豪快な大声で告白をした有利は、そのまま《どぅあっ!》と瞳から涙を溢れさせてしまった。

「俺が…俺が勝手に好きになって、エロい夢見ただけで…コンラッドはなんにも悪くないんですーっ!!」

 えぐえぐと泣くじゃくる有利に、八木はぽかんと大口を開け、そして…へなへなと脚の力を抜いてしまった。自分の勘違いのせいで恩人に対して罵詈雑言吐いた上に、足まで踏んづけてしまった。

「あ…でも、こいつ…オカマと抱き合ってて…」
「グリ江ちゃんはコンラッドの友達だよ。その…」

 言いにくそうにしている有利に代わって、《グリ江ちゃん》とやらは荒く鼻息を吹く。

「へっ…。俺ぁー、こいつに切ない恋心を抱いてた乙女だよ。今日はこいつへの想いを断ち切る為に、発破掛けに来ただけさ。文句あっか?ボーズ」
「…ありません」

 グリ江嬢の乙女心は八木に対しては欠片ほども作動しないのか、オカマ言葉ではなく素敵なチンピラ言葉と人が殺せそうな睨みを叩きつけられて、がくりと項垂れた。

「コンラートさんにも…すみませんでした」

 真っ青な顔をしてようよう口にしたが、真っ白になっているコンラートには聞こえていないようだった。
 彼は、真っ赤になっている有利のことしか意識にないのだろう。



*  *  * 




「ユーリ…」
「ごめ…っ…なさ……」

 えぅえぅと泣きじゃくる有利にゆっくりと近寄っていったコンラートは、びくりと震えるその肩を、逃がさないように抱き込む。すっぽりと胸に納まるちいさな身体は微かな罪悪感を与えるけれど、それ以上の熱さで沸き上がってくるのは、純粋な悦びだった。

「泣かないで、ユーリ」
「ごめ…」
「謝るのもダメ」
「ぁう…」

 両方押さえられるとどうして良いのか分からないようで、ユーリは《ふんぎぎぎ》と歯を食いしばって涙を堪える。
 一途で可愛い男の子。
 どうしてフェラチオなんて夢を見たのかなんて、追求するのは野暮というモノだろう。

「俺が、好き?」

 発した声はこれまでの生涯で堂々のbPに輝く糖度を持っていた。
 多分苺に掛けたら、実が音を立ててジュワジュワと溶ける。(←糖と言うより硫酸…)

「ハイっ!ごめんなさいっ!!」

 背筋を伸ばすと、良い発声で肯定と謝罪をしてくれる。後者の方は鼻水混じりなせいか、《ごべんばばい》と聞こえたが、そんなところまで可愛(以下略)

「肯定の言葉だけ戴くよ。謝罪はいらない」
「へ?」
「俺が君のことを好きでも、良いんだね?」

 包み込むように優しい眼差しで見つめれば、有利は元から真っ赤にしていた顔を更に紅くして、年齢によっては脳組織に危険を及ぼすほどの血管拡張を示していた。さらりとした掌で頬を撫でてやると、すべやかで、吃驚するくらいに熱かった。

 その熱さに煽られたのだろうか。コンラートは先程までの逡巡など一体何処へ行ったのやら、するりと思いの丈を口にした。

「好きだよ。君が、好きだ」

 臭い台詞が得意なこの男にしてはえらく素朴な告白と相成ったのは、ひとえに、真っ直ぐなこの子に合わせたせいだろう。

「マジで!?」
「大マジで」
「でも俺…シモの方でも恋してんだよ?」
「カミでもシモでもまとめて任せてくれ!」

 色気に乏しい遣り取りに、多少ジェネレーションギャップを感じても大丈夫。無理だと決めつけていた恋が期せずして実ったのだから、少々の塩気など甘みを際だたせる調味料にしかならない。

「ぅわ…わぁああ…マジでぇええ〜?」

 驚きすぎて何と言っていいのか分からない様子の有利をぎゅむぎゅむと遠慮無く抱き寄せて、コンラートは柔らかな頭髪にも鼻面や口元を埋める。淡く発汗した匂いまでもが愛おしかった。

「ヤギ君のおかげかな。ついさっきまで、俺はこんなオッサンがぴちぴち高校生に手出しなんかできるもんかと決めつけて、この気持ちは封じてしまおうと思ってたんだよ」
「それ…俺もだ。村田にコクれって発破掛けられたんだけど、踏ん切りつかなくて…」

 有利は少しコンラートの肩を押して身を離すと、照れくさそうに苦笑しながらも、深々と八木に頭を下げた。

「八木先輩、ありがたやーすっ!!」

 元気いっぱいな挨拶はそのまんま部活動のノリで、がさつであると同時に、えらく清々しかった。実に有利らしいその所作に、八木は涙を浮かべて唇を噛んでいる。

 《俺なんかに礼言ってる場合かよ》とぶつぶつ零しながらも、ヨザックの腕を外して背筋を伸ばすと、やはり同じように姿勢を正して大きな声で礼を言う。

「勘違い野郎でスミマセンでしたっ!そんで、肩のこと…ありたやすっ!そんでそんで…」

 最後は頬を真っ赤にして、それでも視線は真っ直ぐ前に向ける。

「渋谷と、末永くお幸せにっ!!」

 言いたいことを言ってから、八木は脱兎の勢いで扉に向かってダッシュした。後輩の恋愛劇の仲立ちをしたキューピットは、その場でこれ以上どんなコメントをして良いか分からなかったのだろう。

「なんともねー。仔猫ちゃんの先輩だけのことはあるわー。青春の輝きが眩しいったらありゃしない」

 八木に凄んでいた時の迫力を鎮めて、ヨザックは色っぽく(?)身体を撓らせて溜息をついた。

「さぁ〜て、あたしはこのまま夜の蝶として羽ばたくわー。じゃ〜あねぇ〜ん」

 小気味よく身体を反転させてその場を去ろうとしたヨザックだったが、手持ちぶたさな様子で佇む眼鏡の少年を目にすると、何故か《お茶でも如何?》とやけに優しい声音で誘いかけた。少年は多少戸惑ったようではあるが、ヨザックに何事か吹き込まれると、肩を竦めて同行した。

「おい、ヨザ…」

 《高校生を変な道に引き込むな》と言いかけて、コンラートは人のことを言えた義理では無いと思い出し、《ぐぬぅ》と台詞を飲み込む。今まさに獣道に突入したばかりのホモップルに人の道を説かれたのでは、幾らオカマでも不本意だろう。

「分かってますってぇ。ちょこっと友人の友人同士、珈琲でも一杯ひっかけて理解を深めるだけよん」

 ひらひらと閃くがっしりとした手には丁寧にマニキュアが塗られていて、それが熱帯の花弁みたいに宙を舞う。その手に背を押されたブレザーは、掌だけですっぽり覆えそうなくらいに小さく見えた。



*  *  * 




 《ちょっとお喋りしない?》

 そう囁きかけてきたド迫力のオカマさんは、やけに優しい声をしていた。
 コンラートを愛していたという本格的(?)なホモ嗜好を知っても、特に嫌悪感はない。有利がコンラートを好きだと言った時にも無かったのだから、村田にはもともと耐性があるのだろうか?

『いいや、単にそういう気持ちが切ないってことを知ってるだけかもね』

 恋と言うほど濃度の高いものではなかったけれど、有利が自分を好きになってくれたら良いなとは漠然と思っていた。生まれて初めて何の計算もなく庇われたことで、すっかり彼を特別な存在と見なしていたから。

 だから今、こんなに淋しいと思うのだろう。

 珈琲を奢ってくれるというオカマさんは何軒かチェーン店を素通りした後、瀟洒な造りの喫茶店に案内してくれた。怪しげな店ではなかったが、珍しく音楽も掛けていない静かな店内には、しっとりとした独特の雰囲気が漂っている。

 座席に座ってみると、他の客達とは上手く視線が合わないようになっており、意外と声も響かない。静かな声で囁くように会話が出来た。

「世話の焼ける友達が居ると、苦労するわね」
「お互い、苦労しますね」

 ぽつらぽつらと何と言うこともない言葉をかわしてからは、もう喋らなかった。口を利きたくなかったわけではなくて、《喋らなくても大丈夫》という気がしたのだ。いつもそつなく大気に溶けていることを意識している村田にしては、珍しいことだった。

 オカマさんはなにを告げるでなく、暴くでなく、静かにそこにいてくれる。それは今の気持ちのまま一人でいるよりも、ずっと安らかなことだった。

 このオカマさんは、有利が惚れたコンラート・ウェラーという男に長い間片思いをしていたらしい。こんな雰囲気のある男に惚れられるだけの男なら、やはりコンラートはそれだけの価値を持つ男なのだろうと思えた。

『この人といると、気持ちいいな』

 運ばれてきた白い珈琲カップから芳しいかおりが立ち上るのを愉しみながら、村田は珍しくミルクも砂糖も入れずに珈琲を口に吹くんだ。

『やっぱり苦いや』

 有利は村田に勉強を教えて貰ったりした時、《お礼》と言ってインスタント珈琲を入れてくれた。《甘党なんだ》と言ったら、これでもかというほどたっぷりミルクと砂糖を入れてくれたから、それはそれは甘かったけれど、不思議と美味しかった。手渡されて、一口含んだ時に《美味しい》と言ったら、彼が凄く嬉しそうに笑ってくれたからだろう。

 不意に、珈琲の水面が揺れた。
 ただでさえ苦い液体の中に、どうやら塩気までが投入されたらしい。

 ヨザックはぽろぽろと涙を零す村田をからかうことなく、淋しげに微笑んで総レースの白いハンカチを頬に添えてくれた。同じ痛みを知る彼には、こんな時、何も言わないでほしいと分かっているのだろう。

 ぽろぽろと、涙が零れていく。
 桜の花びらが春の終わりを告げるように散っていくみたいに、涙は淡い初恋の終わりを告げていた。

『でも、悪くない』

 泣くべき時に泣けるというのは、実は大事なことなのかも知れない。
 そしてきっと、村田は一人で居たら泣くことは出来なかったと思うから、こうしてそっと傍にいて、好きに泣かせてくれるオカマちゃんをありがたく思った。

「……ありがとう」

 すんっと鼻を啜ってぽつりと呟けば、オカマちゃんは真紅に染まった唇をにぃっとあげて、豪快な笑顔を見せてくれた。

 化粧を落とせば結構な美形なのだろうが、不思議とこの格好も好ましいな…と、村田は思うのだった。



*  *  * 




 友人同士が切ない恋の終わりを味わっている一方で、脳内が満開状態の恋人達もいる。
 桜吹雪がこれでもかというほど舞っているが、散る端からバンバン咲いていく、そんな感じだ。

『好きだ』
『好かれている』

 そのことを確認するだけで、物凄く幸せな気持ちがする。
 華奢な身体を抱きしめてもウザがられることなく、懐いた小動物みたいにすりすりと頬を擦り寄せてくれれば、どんな美女の愛撫よりも心が満たされた。

『あ〜…幸せだー……』

 かつてのクールな恋愛事情を知る者が見れば、度肝を抜かすであろう心象風景である。多分、自分自身が一番吃驚している。

 しかし、二人が満ち足りた気持ちのままに唇を寄せようとした丁度その時、《リーン、ゴーン》という鐘の音が響いた。駅に設置されたカリオンは平日の7〜9時、17〜19時の間は1時間ごとに独特の音色を奏でる。これは19時を告げる音色だろう。

「あ、晩飯の時間だ!」
「え?」

 はっとしたように顔を上げた有利が、途端に気まずげな顔つきになってしまう。彼もこのまま甘い雰囲気に流されてしまいたいのは見ていてよく分かるが、これまで清廉な暮らしぶりだった有利にとって、平日(しかも週初め)の夕刻に、事前連絡無しで家を空けるのは憚られるに違いない。

「………………送るよ」

 にっこりと微笑んだ表情は、長年鍛え上げたポーカーフェイス。発言までの間が異様に長かったのはご愛敬だ。目線が多少胡乱なのも。

「でも」

 ぷくりと頬を膨らませた有利は不満げだが、さりとて《このまま俺を浚って★》などと口にするには、性格が実直過ぎるのだろう。上手く嘘をついて家族をだまくらかすことなど考えられないのだろうし、真正直に言うには事態が異質すぎる。

 冷静になって考えてみると、幾ら有利がコンラートに《おちんちんを舐められても大丈夫》な状態であるとはいえ、本当に実施してしまったら拙い。大変拙い。幾ら両思いとはいえ、やはりコンラートは社会人であり、有利が高校生であることに変わりはないのだから。

『節度のあるお付き合いをするしかないのか?』

 有利は今、高校2年になったばかり。卒業まで待つとしてもあと2年。

『………………成人指定と18禁の間に立たされた19歳の立場はどうなるんだろう?』

 コンラートはこの時初めて、《18歳成人論》を強く推奨したくなった。なんなら、12歳くらいで元服したり結婚出来たりしていた戦国時代に戻りたいくらいだ(←タイムスリップした場合、異国人なので鬼扱いされる可能性もあるが)

「ユーリ、俺を愛してる?」
「…アイアイアイっ!」 

 声も頬の紅さもお猿さん状態だが、取りあえず愛してくれてはいるらしい。

「だったら清いお付き合いでもあと2年、我慢出来るかな?」
「出来…るよ?」

 語尾が怪しいのは自信が無い以前に、よく分かっていない可能性の方が高いのだが、コンラートは穏やかな大人の笑顔を浮かべた。頭を撫でてやりたかったが、いま子ども扱いするのは得策ではないような気がして、代わりに親指の腹でゆっくりと下唇を撫でる。

 薄い皮膚越しの暖かな感触に、滾ったのは迂闊だった。


『俺がいきなり我慢できないしっ!!』



 心中で激しい裏拳突っ込みをしながら、コンラートは全力で余裕のある表情を浮かべる。

「良い子だ…」

 なんて、少し淫らさを含ませた甘い声音で。



*  *  * 




『我慢なんて、平気…の、ハズ』

 とは思いつつも、言った端から誘惑するみたいに、雰囲気たっぷりに唇を撫でるコンラートは結構酷い男だ。ずくりと込みあげてくる衝動を必死でいなしながら、有利は挑むように視線をあげた。

 大人の男と、恋に落ちた。
 思いがけず、報われた。

 でも、シンデレラが王子の所に身分違いな結婚をして、本当に幸せになったのかどうか分からないように、この格差恋愛の結末がどうなっていくのかはこれからに掛かっている。
 必要以上に背伸びをして、大人っぽく振る舞うのはきっと滑稽だと思うけど、それでも、子どもであることに甘んじるつもりはない。

『ちゃんと、恋人になってやる』

 このひとが2年待てと言うのなら待つ。でも、それまでの時間だってちゃんと味わい尽くすのだ。そんなことを考えながら、有利はコンラートの形良い親指をぱくりと口に含む。
 微かに震えたコンラートの瞳に、ちらりと焔が揺れたのを見逃さない。

『コンラッドだって、エロいこと考えてる』

 それは確信だった。
 《ありえない》と目を塞いでいた時には見えなかったものが、今ならつぶさに観察することで分かるような気がする。

 歓喜に背筋を震わせながら、有利はちるちると舌を閃かせて指の腹を舐め、かしりと前歯で甘噛みした。これ以上はどうして良いのか分からなかったけれど、こちらは本気なのだと知らせるように、じぃ…っとコンラートの瞳を見つめている。

「…見くびると、火傷しちゃうね」

 それは最上級の褒め言葉のように思えた。

 にっかりと笑った自分の顔は、多分子供じみたものに戻ってしまったろうけれども、今は気にしないことにする。

 二人は大人風味を20%ほど割り増しした瞳で見つめ合うと、その横顔を鮮やかなオレンジ色の光が照らす。どうやら土砂降りの雨は上がって、眩しい夕日が差しているらしい。春独特の変転に飛んだ天候は、まるで二人の関係みたいだ。

「行こうか」
「はい」

 再び穏やかな色に戻った琥珀色の瞳に、どこかほっとする。レアな《怒りモード》やら《エロモード》にも、年頃の男の子としてはときめいてしまうのだけど、やはり見ていて《ああ、コンラッドだぁ…》としみじみ思うのは、この表情だ。

『このひとと、恋人になったんだ』

 これから土砂降りの雨が降っても、槍が降っても大丈夫。
 きっときっと、振り払ってお日様を見ることが出来る。


 そう思いながら浮かべたのは、とびっきり明るいお日様みたいな笑顔だった。 




おしまい



あとがき



 桜が咲く前に書き始めた時には、お花見デートをするつもりで居たのですが、更新停滞している間に桜が散ってしまいました…。いや、北の方ではまだ咲いているかも知れませんが。

 8話もかけてキスにも辿り着けていないという奥手ぶりのお二人。最後だけ微妙に雰囲気を出しはしたものの、多分卒業まではフライングキスとベタベタいちゃいちゃくらいしか出来ないままかと…。

 なれそめ話大好きなのですが多少マンネリなので、今度はもーちょっと二人の環境設定が違う話を書いてみたいものです。