「魔王陛下といっしょ」



〜渋谷有利陛下編〜











 《禁忌の箱》を滅ぼした英雄。
 世界に豊穣をもたらす祝福された存在。
 崇高なる美貌の双黒…。


 アリスティア公国に滞在中の有利は、この国の民にそのような尊崇の念を抱かれていたようだ。
 ようだ…というのは、多くの民がこの《崇高》というところに遠慮を感じるらしく、物陰からそっと見つめてうっとりはしても、親しく声を掛けたりはしてくれなかったからだ。

 だが、どの国にあってもセオリーに反する存在というのはいるもので、この国に於いては《出戻り公女》たるファリナがそれにあたる。

 彼女は平身低頭謝りに来た夫を寛容に赦し、嫁ぎ先に戻ることを約束してはいたのだが…《折角の機会なので、ユーリ陛下や眞魔国の方々と友好を深めてから帰る》と、マイペースな性格を遺憾なく発揮していた。

 ここぞという所で自分を殺すことが出来る分、我が儘を言っても良いタイミングがよく分かっているらしい。
 勿論、夫が《嫌》などと言えるはずはない。

 何しろ嫁ぎ先の国にしたところでこの御時世だ、眞魔国の要人と友好を深める事が出来るのであれば願ったり適ったりなのである。
 そんなわけで、有利達が出立するその日までファリナは思う存分有利で遊び…いや、有利と遊ぶことが出来た。



*   *   *




 有利はたっぷり休養とコンラッドの愛を吸収して回復しており、レオンハルト卿コンラート達が合流してくるまでのひとときをゆったりと過ごしていた。
 この日も、アリス湖に面した中庭に白木のテーブルと椅子を出し、まだ熟成が甘いものの、それなりの香りがするお茶を楽しんでいた。

「ユーリ陛下、ひとつ伺いたいことがございます」
「なんです?」

 そそ…っと顔を近寄せてファリナが囁くから、《内緒の話なのかな?》と思って有利も声を潜めると、案の定それは秘密トークだった。


「ユーリ陛下はウェラー卿と、閨でどのような技を駆使しておられますか?」


 ゴン…っ!


 有利は聴覚器官が受け取った刺激を側頭葉で認識すると、前頭葉その他からの指令によって勢いよくテーブルに前額部を打ち付けた。

「ユーリっ!」
「ま…どうなさいました陛下?」

 《どうなさいました》も《こうなさいました》もない。
 淑女の口から白昼堂々飛び出したエロトークに、有利は首まで真っ赤に染めて狼狽えてしまった。

 コンラッドも流石に苦笑している。

「え…ぅ……あ…っ…あのですね!?」
「教えて下さるのですか?」
「いや…そのぅ……何でそんなこと聞かれるんですか!?」
「話せば短い事ながら、元は男性の身でありながら子を為すという不可能を可能にしたその愛を、一端なりとお聞かせ願いたいのです。妾、嫁ぎ先に戻る前に何としても子宝を設ける為の術策を学びたいのです」
「いやいや…お、俺が妊娠したのはコンラッドが凄い技を駆使したとかじゃないんで!」
「そうですよ、ファリナ様。俺は陛下の婚約者たる身ではありますが、畏れ多くてそんなに激しい閨事を行っているわけではありませんし…」

 《いや、それは嘘かもしんない》…有利は即座に思ったが、賢明にも口に出すことはしなかった。
 追求されるのが見え見えだったからだ。

「そうですか…では、特別な措置を採ったわけではなく自然の賜り物であった…と、仰るのですね?」
「はい……」

 実際にはぴょーんと飛んできた魂をどてっ腹に喰らった時に、身体を変性させてまで豪快に妊娠体勢に持ってきたわけだが…それを一般的な女体に応用するのは不可能だ。

「ですが、当人には分からずとも端で見ている方が如実に分かるということもございます。暫くの間、ご迷惑でなければお二人の仲睦まじいご様子を観察させて頂いてもよろしいでしょうか?」

 言葉の形式は《懇願》だが、押し出しの強い態度は《確認》だ。
 既にこちらが受け入れるという前提に立って物を言う女性は、有利の脳裏にも何人か蘇る。
 そして、大抵の場合彼女たちの押しの強さに圧倒されて反論できないことも熟知していた。

「あんまり…参考になるとも思えませんけど……」

 甚だ消極的な態度ながらファリナに許可を出したことが、その後の大陸に一大ベビーブームを生み出すことになろうとは…この時は知るよしもないことであった。



*   *   *




 翌朝、ファリナは中庭をランニング中のコンラッドと有利を見守った。
 動きやすいように珍しくぴったりとしたスパッツのような衣を着て、隠密のような格好をしたファリナは草むらの影からこっそりと後をつけているのだが…一度、ちらりとコンラッドがこちらを見たような気がした。

『ふむ…緊張を解いているように見えても流石は一流の武人…大切な陛下をお守りする為に、微塵の油断も無し…と』

そのことはすぐに証明され、石ころに躓いた有利が転び掛けた時もゆったりと余裕を持って抱き留めると、《心臓が止まるかと思った》…などと甘やかな言葉を、これまた甘い声で囁きかけている。

『ふむ…何か隙があれば見つめ合い、特殊な甘い空気を作り出す…と』

 ファリナはセクシー(?)に胸元に挟んだメモを取り出すと、携帯用の墨壺を使ってさらりと書き付ける。

「コンラッド…」

 息が掛かるほどの距離で囁かれたせいか、ぽぅ…っと有利の耳は淡紅色に染まり、潤んだ瞳で見つめ返すと…きょろきょろと辺りを伺ってから、《ちゅ》…っと素早くコンラッドの唇に自分のそれを押しつけた。

 まるで小鳥が啄むように稚拙な口吻ではあるが、それだけに初々しく…可憐な動作にコンラッドの笑みが深くなる。

『ふむふむ…男心を掴むには、不意に見せる可愛い動作が大切っ…と』

 ただ、女側に如何にも《狙ってる感》が漂うと興ざめだろうから、この辺りは天然っぽく、《あなたが好きすぎて、こんな場所にもかかわらず堪らなくなっちゃったの》的な切羽詰まった雰囲気が必要だろう。

 その点、有利の所作は見事だ。
 唇を押しつけ…離れた瞬間のはにかみと、《もうちょっと触れていたいのに…》という離れがたさの匙加減が絶妙で、ファリナですら《んーもぉお〜何て可愛いのっ!》と、叫びながらかいぐりしまわしたいような印象だ。

 案の定、コンラッドの方も堪らなくなったらしい。

「ユーリ、お返し…」
「ん……っ」

 こちらはファリナに見えていることを知っているはずなのだが…触れるだけの口吻にとどまらず、斜めに重なり合った横顔は見る間に深く舌を絡め合い、悪戯な手がそろりと殿部に回されると、小振りできゅっと引き締まった双丘を良いように撫で回す。

『ふーむふむ。誰に見られるか分からない危険性で気分を煽り、縋り付かせる所作に愛すべき男の稚気を感じさせる…と』

 こちらも匙加減を間違えれば単なる《子どもっぽい男》に成り下がる危険性があるが、この点コンラッドは完璧だ。

 普段あれだけ油断無く周囲を警戒しているからこそ不審者が居ないことを恋人にも理解させているので、《害はないけど覗いています》という観客がいたとしても無視して事を始めることが出来る。恋人の方はすっかり《コンラッドが見てくれてるもん》と安心しきっているからこそ出来る芸当だ。

「ん…はぁ……」

 長い口吻が解かれると、とろんと瞳を潤ませた有利は最早一人で立っていることも難しくなっていた。
 
「ユーリ…部屋に戻って、します?」
「あ…朝っぱらから?」
「じゃあ、これでおしまい?」
「……」

 《ちゅっ》…と音を立てて鼻面にキスをすると、有利は困ったように唇を尖らせる。
 《これでおしまい》にはしたくないらしい。

『ふんむむむ…見事ですわ』

 誘いかけをしておきながら…恋人が引いたら絶妙な間合いで、決断を相手に委ねる形で問いかける…《勿論、俺はしたいんだけどね…》と甘く視線で囁きかけられては、そうそう拒めるものではないだろう。
 
「ね…しよ?」
「……ぅん…」

 消え入りそうな声で答えると、ぽす…っと真っ赤になった頬を恋人の厚い胸板に押しつける有利。
 華奢な体躯がふるりと揺れて、なんとも可憐な様子だ。

『素晴らしいですわ…』

 一心不乱にメモを書き付けながら、ファリナは心に叫んだ。

 これぞ豊穣の神と讃えられる双黒の魔王陛下とその恋人…!
 やはり、こんなにも熱い恋人同士だからこそ、男同士で子を為すという偉業を達成できたに違いない。



*  *  *




 ファリナはその後も有利達が旅立つその日まで克明な記録をとり続け、観察結果を客観的な視点から纏めたハウツー本…《魔王陛下の素敵な恋愛事情》という書物を纏め上げた。

 勿論これは公式に発刊されることなど無かったのだが、上流階級の間で回し読みされる間に凄まじい勢いで写本などが作成され、その他にも《魔王陛下の素敵な閨生活》《〜カロリア領主館でメイドは見た!〜これが真の魔王陛下愛欲事情》…といった亜種も発生した。

 これらの本の影響は甚大で、世の恋人達は挙って甘い恋愛を語り合い、とうの立った熟年夫婦ですら乙女心を燃え立たせて連れ合いとの愛を深めたのであった。

 こうなると、発生するのは《聖地巡りの旅》である。

 生活に少しでも余裕の出てきた恋人達…あるいは、恋人志願者は有利達の通った道程を辿る旅を始め、特に象徴的なコンユバトラーXの残骸に祠が建てられると、《胸のハートマークを触ると子宝に恵まれる》という伝説がまことしやかに流布するようになり、おみやげ物屋が各種の御守りを販売するようになる。



 後年、2男3女を為すことになったファリナはこう語っている。

『まこと、ユーリ陛下とウェラー卿がおられたからこそ、大陸人口は飛躍的な上昇傾向を辿ったのです』

 
 《禁忌の箱》…そして、創主という悪しき存在を葬るという歴史的偉業を達成した有利達の名は、数千年の後も人々の間に語り継がれるようになる。



 偉業を為した英雄……ではなく、《愛と子宝》を守護する神として…。





おしまい






* そして歴史は伝説となり、伝説は神話となるのであった…。…てな具合に、有利は愛と豊穣の神として語り継がれちゃうと思います。 *