「魔王陛下といっしょ」



〜レオンハルト卿コンラート陛下編〜
※「螺旋円舞曲」の第三章]W.おかえりF、眞魔国に主要メンバーが集まってる頃のお話。







 ケイル・ポーの足取りは軽かった。
 更に言うならば、弾むようであった。
 彼がもう少し若ければ(数十年単位での話だが)、スキップを踏んでいたに違いない。

 何故なら、苦難を乗り越えて《禁忌の箱》を滅ぼし、眞魔国だけでなく大陸諸国との友好まで成立しているこの喜ばしき時代に、ケイル・ポーは久方ぶりの《お誘い》を受けたのだ。

『ケイル・ポー、疲れていないようなら今夜付き合わないか?ルッテンベルクの連中といつもの酒場で久し振りに呑もうと思うんだ』

 血盟城の執務室で一通りの報告を行った後、そう笑顔で誘ってくれたのは大好きで大切で至高の宝物なレオンハルト卿コンラート陛下であった。

 ケイル・ポーが断るはずがないではないか。

 疲れていたとしても、例え噂に聞く女性の生理痛に苦しめられていたとしても(一生来る予定はないが)、張ってでも行くに決まっている。

 そんなわけで、城下町にある行きつけの店へとケイル・ポーはやってきた。
 店の二階にある個室はわりと大きめで、ルッテンベルクの士官クラス級が全員集合してもまだ余裕がある。ここを今回も貸し切りにしていた。

「コンラート陛下!」

 《陛下》という響きを誇らかに呼ばわって扉を開けると、コンラートが笑顔で迎えてくれた。
 
 かなり問題な状態で。



*  *  *




『あー…もうちょっとで、こっちの世界ともおさらばか…』

 白狼族の高柳鋼は、このところヒト型を取るのを忘れたように獣の形態でうろついている。血盟城内では鋼が有利に従う要素が具現化したものだとよく知られているし、《禁忌の箱》を滅ぼす際の立役者にもなっていることから、見咎められることもない。 
 
 見咎められることはない…とはいえ、何故積極的に獣型をとるかと言えば…その理由を彼は口にはしないが、何となくは自覚している。

「ハガネ、暇そうだな」

 血盟城の廊下をうろうろしていたら通りすがりのコンラートが声を掛けてくれた。
 大型犬が好きという彼は鋼のヒト型姿をあまり見たことがないせいか、狼の姿を目にするとしゃがみ込んで背中を撫でつけたり、顎を撫でてくれたりするのだ。
 それが嬉しくて、ついつい獣型でうろついてしまう。

 思わず、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしそうになるくらいだ。

『あーあ…こいつがさ、有利狙いって明確でなきゃコナかけんのになぁ…』

 コンラートが有利を愛していながら、それを押しつけることなく自分の中で《友情》という高貴な形に昇華させた心意気は、いたく鋼を感動させている。
 それに、鋼にとっても有利は何としても護りたい大切な主であり、幾らコンラートに惹かれてるとは言えこちらの世界に残ろうとは思っていない。コンラートに対して一番の忠誠を誓っているとは言えないこともあり、恋愛関係のアプローチには二の足を踏んでいるのが実情だ。

 けれど…やはり寂しいものは寂しくて、コンラートの姿を目にし、こうして毛皮を撫でつけられるたびにそれが当分失われるのだと思うと切なくなってしまう。

『一発だけでも…思い出に犯らしてくれとか言っちゃ駄目かなぁ…?』

 駄目だろう。
 絶対。

 コンラートに凍てつくような眼差しを送られるのは嫌だ。

 それに、ウェラー卿コンラートの方に知られるのも怖い。
 彼は鋼が自分に似たコンラートに惹かれているのが実に気色悪いらしく、それっぽい態度を示すたびに恐ろしい程の烈風を吹かせてくれるのだ。
 その度に、昔へし折られた肋骨が痛む…。

「ハガネ、今夜酒でも付き合わないか?」

 機嫌良く毛皮を撫でつけながらコンラートが言った瞬間には、心がぽぅんと舞い上がりそうになった。
 
「行く行くっ!絶対行くっ!」

 はうはうとはしゃぎながら言えば、コンラートは《時間になったら一緒に行こう》と約束してくれた。
 その時間までが待ち遠しくて、鋼はうきうきと血盟城を駆け回っていたのだった。 



*  *  *



 
 ソアラ・オードイルは眞魔国に着いてから驚くことばかりであった。
 幾らコンラートが受け入れてくれたとは言え、流石に魔族の住まう眞魔国ではそうもいくまい。元聖騎士団長であったオードイルは白眼視されるだろうと覚悟していた。

 白眼視には慣れている。
 あの醜悪な老人の肉人形として嬲られていた身が、聖騎士団長にまでなったのだ。能力にどれ程自信があっても陰に籠もった侮蔑は常にオードイルを傷つけ、誇りを踏み躙ってきた。
 それでもこの日まで生きることが出来たのは、心の殺し方を知っていたからだ。

『誰からどのような目で見られようとも、揺らぐまい。私の魂を救って下さったコンラートの陛下の大恩に報いる為にも、誠心の忠義を尽くしていこう』

 そうすれば、きっといつか報われる日も来る…そう思っていた。

 だが、オードイルの予想は外れた。



『……この男達は、なんでこう屈託がないのだろうか?』

 オードイルは豪放に笑いながら寄っかかってくる《仲間達》の重みにどう反応して良いのか分からなくて、無表情のまま固まっていた。

 そう…オードイルの予想は思いがけない外れ方をしたのである。
 ルッテンベルク軍の士官達は眞魔国に戻ってからも態度を変えることはなく、血盟城の重臣達もコンラートの口利きがあったせいか、オードイルに対して差別的な扱いをする者は居なかった。
 それどころか、難しい立場を思いやって…武骨ながら優しい男達が、心からの言葉を掛けてくれるのである。

 同僚から送られるものと言えば、恐怖、侮蔑、妬み…あるいは性的なものを求める蛇のような眼差ししか知らなかったオードイルには毎日が驚きの連続となった。

 今夜もルッテンベルク軍の古参兵達が馴染みの店で飲むと言うことで、オードイルも連れてきて貰ったのである。

「オードイル、酒が進んでないじゃないか!飲め飲め!」

 アリアズナ・カナートが溢れるくらい杯に酒を注ぐから、唇を伸ばして溢れそうな雫を啜り込む。その必死な様子がおかしいのか、他の連中までが笑いながら酒を注いだ。

『魔族とはこういうものなのだろうか?それとも…コンラート陛下の影響なのだろうか?』

魔族の中にも差別はあり、特に混血は長きに渡って貶められてきたのだと聞く。そうであるならば、そもそもコンラートを影響力を持つことの出来る立場に引き上げてくれた有利達のお陰なのだろうか。

『ユーリ陛下…不思議な子だ』

 無邪気な子どもにしか見えないのに、有利は奇蹟のような魔力を持ち、眞魔国を…この世界を救ったのだ。有利が居なければ、こうしてオードイルが素朴で気持ちの良い男達と共に酒を酌み交わすことも無かったろう。

『生きていて…良かった』

 色々な巡り合わせによって今があるという実感が、内面の感情を表すことがすっかり苦手になってしまったオードイルの顔に、やわらかな笑みを浮かばせた。

「おう、お前…佳い顔で笑うようになったじゃねぇか」

 アリアズナは顔を綻ばせると、くしゃりとオードイルの髪を掻き混ぜた。
 以前は他人にそんなことをされれば、電気でも走ったように慄然としたものだが…今日は不思議と心地よい。

 アリアズナと結婚したというカールが少々羨ましそうに見ているが、オードイルが目配せをして《すまない》という顔をすると、笑って頬を掻いていた。

「酒が…旨いからな」
「おう、飲め飲め。乾いたあの大陸じゃあ、ずっと飲めなかったろ?」

 言われるまま、くいーっ杯を空ければ《わぁっ!》っと景気の良い歓声が沸く。
 
 そこに、更なる歓声を呼び込む男がやってきた。

「盛り上がってるようだな」

 入ってきた男がマントのフードをはね除けると、男達は《わーっ!》っと両手を突き上げて盛り上った。彼らの敬愛する魔王陛下…レオンハルト卿コンラートがやってきたのだ。 しかし…コンラートが大型の獣を連れていたので、思わずオードイルは腰が引けてしまった。

『う…』

 アリスティア公国での闘いで、オードイルは鋼がばくりと拷問吏の頭部を銜え、その爪と牙で鎧を紙のように引き裂いていった様をまざまざと目撃している。この為、なかなか苦手意識が抜けないのだ。

 鋼の方はどうとも思っていないらしく、《どすん!》と無造作に横掛けの椅子に転がると、不貞不貞しい態度で(前脚で隣の空間をバシバシと叩いている)コンラートを誘い…横に座った彼の膝へと顎を載せた。

「なー、レオ…肉喰わしてくれよぅ」
「何甘えてるんだ、お前…」

 コンラートは苦笑しながらも、大きな骨付き肉を掴んで餌付けしようとする。 
 鋼の図々しい態度に、オードイルは苦手意識も忘れて《む…》っと来てしまう。

「私がやりましょう」

 コンラートとは逆サイドから鋼の横に座ると、オードイルは鷲づかみにした鶏の唐揚げを鋼の口に突っ込んだ。
 鋼は少々驚いた様子だったが、目を白黒させながらも文句は言わずにむぐむぐ唐揚げを食べた。

「なー、レオ…」
「さあ、ハガネ…こっちの豆料理も喰うが良い」

 大匙いっぱいにこんもりとよそった肉と根菜類と豆のごった煮を突っ込めば、鋼にもオードイルの意図が伝わったようだ。

『お前、図々しいぞ?』

 更に目線で威嚇してやる。



*  *  *





『レオは嫌がってねぇ…っ!』

 目線と目線の間で火花が散るのを、仲間達はおかしそうに眺めている。
 
「おう、お前等仲良いなぁ〜。番(つがい)にでもなんのか?」
「はは、種族を越えた愛か?」

 アリアズナの軽口にコンラートも乗ってくるものだから、鋼としては甚だ不本意だ。
 幾ら報われぬとはいえ、かなり想いのある奴から他の男との仲を揶揄されるなど気持ちの良いものではない。

 すっかり機嫌を損ねた鋼は、この《上から目線》の新参者を懲らしめてやろうと思い、《のそ》…っとその巨大な身体をオードイルに向けて脚を踏み出した。微かに闘気も漂わせれば、戦場での記憶が蘇るのか…オードイルの目がびくりと怯えを滲ませる。

 けれど、そんな自分を恥じるように《きっ…》と眼差しを強くすると、剣でも掴むみたいに大きな骨付き肉を手にして間合いを詰めてくる。何としても、自分の手から喰わした物で腹を膨らませるつもりのようだ。

『おりょ…』

 今、怯えた顔がちょっと可愛かった。
 我ながら無節操な程の美青年好きに、鋼はバリバリと後ろ足で首を掻いた。

「どうした?痒いのか?」
「わふ…そこ……っ…」

 コンラートが指を立ててバリバリと首元を掻いてくれるのが気持ちよくて、鋼は心地よさそうに伸びを打つ。《へっへっへっへっ》…と犬っぽく舌を出して喜んでみせれば、コンラートは興が乗ったのか、両手を使って大胆に(?)顎や首筋を掻いてくれた。

「わふぅ…っ!」

 その時…ついつい、鋼は獣の本能に従って行動してしまった。
 そう、自分を可愛がってくれるコンラートに愛情を示したくて、己の巨体を忘れて飛びかかったのである。



*  *  *




 ケイル・ポーが仲間達の待つ部屋の扉を開けたとき、そこには大切なコンラートの上にのし掛かり、色んな意味で《喰おう》としている(ように見える)ケダモノがいた。

「………」

 ケイル・ポーは静かに瞳を眇めると、つかつかと歩み寄り…襟(?)元の毛皮を両手で掴むと、逞しい膂力を見せて鋼の身体をひょいっと持ち上げた。



「………調子に、乗るなよ…?」



 胴が凍えるようなその声は、普段爽やかではにかみやの好青年から聞かれるとは思えないような代物であった。
 その差異はウェラー卿コンラートに匹敵する。

「ハイ………」 
  
 鋼が涙目になって尻尾を縮込ませながら忙しなく頷くと、ケイル・ポーは漸く柔和に笑って開放してくれた。しかし、鋼は見逃さなかった。彼の瞳の奥がちっとも笑っていないことを…。

「お騒がせしました、陛下」
「ケイル・ポー、あんまり脅してやるなよ?俺まで袈裟懸けに斬りつけるんじゃないかと心配したじゃないか」

 コンラートが苦笑しながら窘めると、ケイル・ポーは困ったように恐縮するのだった。

「申し訳ありません。ちょっと冗談がきつかったですね?」

『いや、今の絶対に冗談じゃないだろ!?』

 鋼は全力で突っ込みたかったが、突っ込むと身が危ういので決して口には出来なかった。
 恐るべしケイル・ポー…コンラートの後を継いでルッテンベルク軍団長を張る男は、やはり実直なだけの男ではなかったようだ。

 見れば、相変わらず無表情ながらオードイルも感心したようにケイル・ポーを見詰めており、不器用に酒を注いでは勧めている。どうやら、コンラートの崇拝者として好意を抱いたらしい。

『うっうっ…お、俺だって…』

 鋼とて、コンラートの事は大好きだ。
 ただちょっと、あの連中に比べて下心が多いだけなのに…っ!(←それが問題なわけだが)

 くすんくすんと取り皿に取って貰った肉団子を一人(一頭)でモグモグやっていたら、傍らにそっとアリアズナが寄ってきた。

「ま…お前もそう落ち込むな。今のはちょっと、その…調子に乗りすぎただけだよな?」
「うう…お前、良い奴だなぁ…っ!」

 落ち込んでいるところに慰められると、優しさが身に染みるのは人も妖怪も変わらぬらしい。鋼はどぅ…っと心の涙を溢れさせるとベロベロとアリアズナの顔を舐めた。

「あはは…馬鹿、よせ…くすぐってぇよ!」

 乗っかかってくる鋼を受け止めながら、アリアズナはくすぐったさに大声でゲラゲラ笑った。その反応も面白くて、鋼は沈んでいた気持ちを上昇させるべく舐め続けた。

 この為…鋼は気付かなかった。

 自分の背後に、《アリアリさんをまもる…っ!》と、強い決意を固めた少年が立っていることになど……。





 翌日鋼が目覚めると、頭頂部に冗談みたいにまん丸で大きなコブが一つ出来ていたとさ。






* 頑張れ高柳鋼。君にもいつか恋人が出来る(かもしれない)。まあ、その前に長編4の巻があるかどうか分からないけどね! *