~突発年の差パラレル~
「パンツァー・ファウスト」







 薄曇りの空から差す淡い光に、温もりはない。季節は駆け足で秋から冬へと移行しているようだ。
 首元を吹き抜けていく風が体温を奪って、流石に丈夫なゾロもぶるりと震えた。ついこないだまで暑い暑いと汗をかいていたから、まだ体が寒さに慣れていないのだろう。

 年の瀬が押し迫るこの時期、夕暮れ時に道を行き交う人々はみな忙しなく、ゆったり歩いているのはゾロだけのような気がしてくる。

 激しかった戦争が終わり、敗戦国であるグランドジパングは三年が経った今でも四海連合軍の統治下にあるが、そう非人道的な扱いが横行することもなく、人々は失意を乗り越え、着実に復興を遂げつつある。
 影では様々な差別問題が生じつつも、終戦直後の焼け野原を思えば人々の表情も柔らかい。

 戦地から戻ったある日、空を見上げた子供が、《飛行機が飛んでても、もう空から爆弾が降ることはないのね?》と喜んでいたのが印象的だった。

 景気も急速に回復しつつあるようで、ゾロのように定職を持たない帰還兵もドカチン仕事で何とか食っていける程度には仕事がある。今日も夜通しやっていた橋桁工事が終わり、幾ばくか懐が暖かくなったので、買えるだけ酒を買った。
森の端に建つ崩れかけた掘っ立て小屋に帰ったら、こいつをたらふく飲んで楽しむのだ。

 腹は減ったが、昼に現場で出た弁当を食ったから体は何とかもつだろう。
 それより、なんせ酒だ。

 初めて酒の味と、人を斬ることを知った15歳の年から二十年、ゾロは如何に飢えようとも酒だけは欠かさずにいた。おかげで酒の方でもゾロを慕ってくれるのか、戦地でさえ密造酒だの、猿どもが樹のうろで発酵させた果実酒に巡り会えた。
 勿論、奪われた連中にとっては迷惑だったろうが…。

 今のところ酒と、体を動かす仕事があれば不満はない。

 かつての仲間達は《あなたほどの人が、こんな境遇にいるなんて!》と嘆いたりするが、ゾロ自身はさほど気にしてはいない。どうせ戦争が終わるまで生きていたら、戦うことしか知らないゾロが身を立てていくのは難しいだろうと思っていたくらいだ。

 ゾロは己を鍛えはするが、そうして得た物理的な力が世の中に《認められるべきだ》と思い込むような愚者ではない。

 銃刀法の制定により愛刀達を所持できなくなったのだけは寂しいが、誇りまで奪われた訳ではないし、歴史のある刀ということで博物館に飾られているので、会いたくなればいつでも行ける。

 剣の道も決して捨ててはいない。日々の鍛練はどれほど過酷な土木作業をした日にも欠かしたことはなく、戦地にあったあの頃に比べて、肉体機能に些かの遜色もない。

 《何の為にそこまで鍛えるのか》と笑われることもあるが、これについてはゾロにも明確な答えがあるわけではない。ただこの先、戦わねばならない場面が一瞬でも来るとして、平素の無精を言い訳にはしたくないと、そう思っている。

 来るか来ないか分からない一瞬の為に牙を磨き続ける。そういう生き方があっても良いだろう。

 整備されていない砂利道を歩き、住まいにしている小屋に着く頃には薄曇りの空一面に夕日が滲み、ピンクとオレンジが混ざったような不思議な色合いになった。
 それがとても鮮やかに見えて、しばし眺める。
 かつて戦地で隻眼を失った身ながら、まだ残された右目が鮮やかに世界を映す。

『あの時の空も、こんな色だった』

 作戦行動の為にノースのティグザという地方を通過する途上、ゾロは母国敗戦の報を聞いた。天上人とされていた帝自身の声で降伏が告げられた日にも、空はこんな色をしていた。

 これでもう戦う必要が無くなるのだという感慨以前に、ゾロはどうやら自分の銃殺刑もご破算になるらしいと理解して、笑いたいような心地になった。

 そう。あの時、終戦宣言が出るのが数秒遅ければ、磔にされたゾロには無数の弾丸が撃ち込まれる筈だった。

 罪状は、グランドジパングにとって虎の子にも等しい、貴重な戦車を破壊したこと。
 敵から《パンツァーファウスト》…《戦車狩り》と呼ばれた剣技を、味方の戦車に向けたのだから上官の処遇はある意味尤もであった。

 それでもゾロは、あの時の選択を微塵も悔いてはいない。
 結果的に利敵行為に当たるのだとしても、人として誤ってはならぬ道だと感じたからだ。

 射撃を命じられた元部下は泣きながら《撃てません!》と叫び、ゾロが救った現地の少年は兵士達数人に押さえ込まれながらゾロの名を叫んでいた。
 被っていたニット帽が吹っ飛んで、折角綺麗な金色の髪がくしゃくしゃになったのを、《勿体無いな》なんて暢気に思っていた。

 その場にいた全員が降伏宣言を理解するなり、射撃を命じた上官は部下達の手で取り押さえられ、戒めを解かれたゾロの胸には、あの少年が泣きじゃくりながら飛び込んできた。

『懐かしいな』

 陽は急速に傾いて、夜の帳が降りていく。雲間にぽっかりと浮かぶ様子に、あの少年のくりんとした後頭部を思い出した。

 サンジ。

 たしか、そんな名前だった。ゾロの片言のノース語で会話をしただけだったが、言葉以上の想いを通じ合わせた気がする。

 赤、白、紺色を基調としたニット帽とセーターがよく似合っていたっけ。
 そう。今、目の前にいる青年のように…。
 ん?青年?

「あい…たかた!あいたかた、ぞろ!」
「サンジ…?」

 腕の中に飛び込んできたサンジは、背はゾロと同じくらい伸びているのに、相変わらず天使みたいに可愛らしい。ゾロの腕の中で歓喜の涙を流すのを、髪を撫でてあやしてやる。

「よかた、いきてた!あえてうれしい!」

 サンジは片言のジパング語が喋れるようになったようでホッとする。ゾロは三年ですっかり忘れたようで、単語くらいしか思い出せないから、何か言おうとするとノース語変換に少し時間が掛かるのだ。

 サンジが一体どうしてグランドジパングくんだりまで来たのかは解らないが、懐かしい彼をできうる限りの方法で歓待したい。
 さて、どうやって…。

「腹は減って…」

 いや、ご馳走で迎えるのは無理だ。減っていたとして、干からびたタクアンくらいしかない。

「いや、喉は乾いてねェか?酒は呑めるようになったか?」
「ちょとだけ」

 親指と人差し指で《ちょっと》と示すサンジに、ついグビッと喉が鳴ってしまう。どうもこの少年といるとおかしな気持ちになりがちで、ゾロは自戒すべく奥歯を噛んだ。
 折角来てくれたのに、抱き締めてすべやかな頬を嘗め回したりしたらビックリするだろう。

「しかし、何だってこんな何もない国に来たんだ?観光名所も軒並み空襲で焼かれて、復興にはまだまだ時間もかかるぞ?」
「ぞろに、あいにきた!」
「俺に?」

 ただ、ゾロに会うためだけにやって来たというのか?何やら熱いものが胸に込み上げてきて、声が詰まってしまう。
 サンジは地面に跪くと、そのまま上体を倒して三つ指をついた。

「ぞろ、サンジをおヨメさんにしてくらさい」
「はァ!?」

 ノースからの突然の来客は、どうやら押し掛け女房のようだった。


***


《パンツァーファウスト》
 《戦車狩りの魔獣》
 《三刀流のロロノア・ゾロ》

 グランドジパング軍第11師団の遊撃隊には、数々の通り名を持つ戦士がいる。
 それはグランドジパングと敵対関係にある国々でも広く知られていたが、ノースの片田舎であるティグザに暮らす少年サンジは、《きっとグランドジパングの連中が流した、過大広告だろう》くらいに捉えていた。

 だって生身の人間が戦車を刀で斬るなんて、とても現実に起こりうる事態とは思われなかった。そもそも三刀ってどういう状態だ。チンコに刀を構える気が。

 そのうちサンジが徴兵されるようなことがあれば戦地でまみえることもあろうかと思っていたら、何と向こうさんからやって来た。

 海岸線と断崖絶壁に囲まれたティグザが、彼らの作戦行動上の進路に当ってしまったのだと理解した時には、既に第11師団は至近にまで軍を進めていた。

 ノースは四海連合の中で中立の立場をとっているし、民間人にあからさまな危害を加えることは国際法で規制されている。

 だが、二十年の長きに渡って断続的に続いている大戦においては、時として無惨な犠牲が出ることもあった。
ことに、追い詰められたグランドジパング軍の蛮行は噂になっている。本国からの補給線が断たれたことによる略奪、強姦、放火…。《ティグザでも同様の事態が起きるのではないか》と、人々は怖れ戦くと共に、彼らが通るであろうルートに絶句した。

 ただ近隣を通過するだけなら家屋を諦めて逃げたろう。だが、彼らの駆る大型戦車は、ティグザにおいて祖先の魂が納まると信じられる、遺跡を壊さず通り抜けることができないのだ。
 元々山賊に対する要衝としての役割があるから、丁度道を塞ぐ場所に遺跡は立っており、小型の荷馬車までしか通れない。彼等の戦車は、古い石造りの遺跡に砲撃を加え、粉々にしてから踏み潰して行くだろうと、みんな悔しそうに呟いた。

 ノース国軍は少し離れたマイアール平原に陣を敷き、道幅の狭いティグザで民間人を守りながら戦う気は無さそうだった。

 救いの手は差し伸べられない。ティグザは見棄てられたのだ。

 こうなれば、被害を最小限に食い止めるしかないというのが、区長達の見解だったが、サンジは賛同しなかった。
 《今回ばかりは逃げた方が良い》と人々は言ったが、サンジは《遺跡守》だ。誇りにかけて逃げる訳にはいかない。
 《俺は遺跡が遺跡として存在する限り、守る。それが遺跡守の使命だ》
 そう告げると、サンジは人々の制止を振り切って遺跡に向かった。サンジの行動による報復がティグザに向かう怖れもあったが、《その時は俺を追放してくれ》と、遠く引き離した近所の人達に叫んだ。

 サンジだけは逃げる訳にはいかない。遺跡には亡くなった人達の魂が籠るとされる第一頸椎が埋葬されている。遺跡の破壊はすなわち、大恩ある養父ゼフの墓を踏みにじられるに等しい。

 戦災孤児だったサンジは、自分を庇って片脚を失ったゼフと共に、彼の郷里であったティグザでレストランをひらいていた。それと共に、近接した遺跡の守りも務めた。数ヶ月前にゼフを病で喪った痛みも癒えぬ内に、遺跡をおめおめと荒らされるままにしてはおけない。

 この時、サンジには無論勝算などない。《赤足》と謳われたゼフならいざ知らず、まだ若く鍛練不十分なサンジが一個師団、それも、戦車を擁する部隊を殲滅できると思うほど現実が見えぬ訳ではない。

 だがそれでも、サンジは行かずにはおられなかった。
 そうしなければ、どのみち大地に足をつけて 生きていける気がしない。

 サンジとは、そのような少年であった。

 程なくして遺跡にグランドジパング軍が迫ってきた。
 徒手空拳の少年が仁王立ちする様子に兵士たちも戸惑ったのか、隻眼に緑色の頭髪をもつ兵士が騎馬の上から誰何してきた。

 辿々しいノース語ではあったが、頑なに自国語しか使わぬと聞くグランドジパング兵がノースの言葉で警告を発するとは意外なことであった。

 しかも兵はご丁寧なことに名乗りをあげた。
 《第11師団遊撃隊所属のロロノア・ゾロ》

 まさかと思いながら腰をみやれば、深緑を基調とする軍服の小脇に、なるほど白、黒、赤の拵えで長刀を提げている。

 確かに強そうではあるものの、噂に聞くような狂暴性は感じられない。かつて森で遭遇した虎と同様、彼の領分を侵さなければ、ちらりと横目でみやるだけで受け流してくれそうな風情だった。

 敵意は抱けない。
 けれど、サンジにも譲れぬ事情があるのだと説明すると、ゾロは上官らしき男に何事か伝えたあと、ため息混じりにサンジを諭した。彼にも敵意などないが、作戦行動は変えられない。強行突破するから逃げろとのお達しだった。
だが、その程度の説得で曲げられるような覚悟ではない。

 サンジは敢然と、退かぬ決意を告げた。

 腹に響く轟音が鳴り、砲弾が飛来するのと、サンジが跳躍するのは同時だった。
 放たれた砲弾を蹴りで脇に弾けば、グランドジパングの軍勢が一斉に息を呑む。

 《かかってきやがれ!》

 挑発しながらも、これが抵抗の限界だと理解はしていた。これ以上至近から撃ち込まれれば、いかなサンジと言えど防げない。

 両手を広げて仁王立ちとなり、向かい来る戦車を待ち受けていたら、砲撃ではなく車体の圧迫感によってサンジを退けようというふうに、戦車が迫ってきた。

 《轢かれる…っ!》

 恐怖を堪えて目を見開いたまま己の運命を受け入れようとしたサンジの前で、突然、戦車が真っ二つに分かれた。

 それが自然現象ではないと理解したのは、三刀を構えたロロノア・ゾロが飛鳥の如く剣を閃かせているのに気づいた時だった。

 敵である筈の男が、味方の駆る戦車を切断した。
 俄には信じられずに呆然としていると、ゾロは戦車から無傷の隊員を連れだし、詫びていた。

 そして顎を外さんばかりにして戦慄く上官の前に三刀を置き、覚悟を決めた顔でドスンと胡座をかいた。

 後で聞いたところでは、《己の武士道に殉じたが、軍法に抵触することも理解している。好きに処分してくれ》というようなことを告げたらしい。

 銃殺刑を命じられたゾロは、奇跡のようなタイミングで命を拾い、軍備を解いてノース軍の管理下に置かれた一日の間、差し入れを持って面会に来たサンジと少しだけだが、お喋りをしてくれた。

 あのような人間離れした業を使いながら、なんと凪いだ瞳をしているのだろうと伝えたら、《砲弾を蹴り飛ばす奴がなに言ってんだ》と笑われた。

 くしゃりと目尻に浮く皺が、なんともいえずサンジの琴線を弾いて魅惑的な音階を奏でた。

 ノース軍の収容所に第11師団が収容される日には、目に涙を浮かべて見送った。

 時間と共に薄れることを期待したゾロの思い出だったが、日増しに想いは募り、どうにかしてまた会いたい。会ってちゃんとお礼がしたいと祈り続けた。

こそして今年、一念発起してレストランや遺跡守を後継者に委ね、幾ばくかのお金と調理道具、数日分の着替えを抱えてグランドジパングにやってきた。

 ゾロがどうしているのか調べるうち、サンジの胸はまた熱くなった。
 ゾロは、収容所での誠実な働きぶりと、自棄になりかけて荒んだグランドジパング兵の人心をまとめて、《必ず全員、本国に帰る》を合言葉に、収容所内での虐待やいじめを防止した功績を認められ、規定より早期に帰還を認められていた。

 彼を知る兵士たちはみな口を揃えて《あの方こそ、最後の古武士だ》と讃えると共に、退職金すら得られず軍籍を解かれ、まともな住処すら持たずに日雇い暮らしを続けていることを嘆いた。

 サンジは奮い立った。
 今こそ、サンジがゾロの《鶴女房》になるのだ。《おつう》と違って、サンジは内職をする姿を見せられないなんてことはないから、ゾロ自身に《出て行け》と言われない限りは傍にいられる。
 身を粉にして働きながらゾロが満ちたり、彼に相応しい肩書きを手に入れるまで内助の功を尽くすのだ。

 その決意をサンジは鼻息も荒く語ったのだけど、ゾロは何故だか苦笑して頭を掻いた。



***



 どうやらサンジはゾロへの恩返しの為にやって来たらしい。

 《お嫁さん》云々というのはグランドジパング語を習得する際に用いた教材の中に、《夕鶴》があったせいなのか。彼にとって《恩返し》の象徴としての言葉なのだろう。

『無駄にドキッとしちまったな』

 うっかりサンジが性的なことも含めて《ご奉仕》する気なのかと思ったが、そういうわけではあるまい。

「わざわざノースから来てくれたのは嬉しいが、俺は別に不遇を囲ってるとは思ってねェぞ?現状にさほど不満はねェ」
「ないの?ホントに?」

 しょんぼりと肩を落とされると申し訳ない気になり、慌てて訂正した。

「あァ~そうだな。まあ、給金をすぐ酒に回しちまうから腹が空いてるのが、ちと不満だ」
「料理、サンジとくいよ!」

 パッとサンジの顔が輝いて、雲間から明るい月が覗くようだった。

『可愛いことだ』

 くるくる変わる表情の変化に、こちらの顔つきまで柔和になる。
 なるほどこの子が側に居てくれれば、一人きりの夜にふと感じる寂しさも紛れるかも知れない。

「サンジ。俺は俺の武士道に殉じただけで、お前は庇われたことなど気にすることはない。だが、もしもそれを置いてもまだここにいたいというなら好きにしろ。残るも去るも、全てお前の自由だ」
「じゃあ、すきにしる。すきなだけ、サンジはゾロといる!」

 安堵したように胸を撫で下ろしたサンジは、ゾロと一緒に掘っ立て小屋に入った。
 この日から、ゾロは一日たりと退屈することのない暮らしを始めることになったのだった。


***


 サンジは聞きしに勝るゾロの暮らしぶりに瞠目した。

 住処は半ば崩れかけ、着るものも職場から貰った薄緑の作業着だけだという。洗うときはどうするのかと聞いたら、限界まで昼夜を問わずこれを着て、ボロボロになったところで見かねた職場の上司が新しい作業着をくれるのだという。

 それにゾロ自身もあまりに生活への意識が薄い。折角今日給金を貰ったというのに全部酒に注ぎ込んでしまい、明日現場仕事で出される弁当までは、空きっ腹を抱えて我慢する気でいたというから驚きだ。

 サンジは廃屋紛いのゾロ宅の横で手早く石を積むと、飯盒炊爨を始めた。

***

『まるで魔法みてェだな』

 ゾロは目を丸くしてサンジがちょこまかと動き回るのを眺めた。彼が何かする度にふぁんと良いにおいが立ち上ぼり、白米が炊け、だし汁のかぐわしさが漂う。

「ありありごはん、ごめんね」

 《有り合わせ》という意味だろうか?謙遜しているが、ゾロにとっては久しぶりのごちそうだ。
炊きたての飯を口に含むだけで《ふぉっ》と蒸気と旨さが入り交じった息が鼻を抜ける。そこに白菜の漬物を刻んだのと茸を和えたものを乗せれば、更に味わいが深くなる。

 ガッガッガッ!

 自分でも驚くほどの勢いで飯を掻き込むと、幸せな味わいが腹と胸に沁みる。

『俺は、飢えていたのか』

 それはただ、《食物摂取》という意味合い以外のものも含んでいる気がした。

「おかわり、どーぞ」

 辿々しい発音の最後が《どーじょ》にも聞こえるサンジがニコニコ顔でおかわりを注いでくれる。ノースの食文化で育った彼だのに、グランドジパング食を勉強していてくれたのだろうと思ったら、ますますいとおしくなった。

 普段は暗闇に馴れた目で鍛練をし、酒を呑んでから寝る。酒がなければそのまま寝るというターンを繰り返していたので、闇を照らす竈の炎がこんなにも暖かであるなどすっかり忘れていた。

 ちらちらと揺れる炎は赤くサンジを照らし、時おり月のような金髪がちかりと光る。
 茶碗を持つ白い手や、ゾロをひた向きに見つめるブルーグレーの瞳といった色彩が、えらく鮮やかに思えた。

 戦場で生きていた頃、ゾロの世界はモノトーンの中に血の赤が差す程度だった。それがどういうわけか、サンジを目にした前後のことだけが、夕暮れの茜色や宵闇に浮かぶ月、サンジ自身の帯びる華やかな色合いとして思い出される。

 そのせいだろうか?闇の中で焚き火を浴びるサンジは、日中目にして来た何者よりも色鮮やかに見える。

 言葉にしがたい何かで満たされたゾロは、食事を終えると丁寧に手を合わせた。
 食事への感謝を捧げたのは久しぶりだ。

「ごちそうさま。旨かった。ありがとう。材料費は明日の給金で払う」
「だめよォ~。ソレおれい、ならない」
「だが、お前さんはこれからも俺といてくれる《嫁さん》なんだろ?《嫁さん》ってのは旦那の給金をそっくり貰って運用を任される一家の大蔵大臣だ。お前が俺のためを思って使うと分かってるんだから、預けるのが賢い方法だろうよ」
「だいじん?」
「金を扱うえらい奴ってこった」

 えらいと言われて、サンジは面映ゆそうに口許をむにむにさせた。

「サンジえらくない。でも、たべもの安くしる、じょーず」
「そりゃあやっぱり、大臣の資格ありだ」
「ふふー」

 嬉しそうにくしゃりと笑う顔も愛嬌があって、思わず髪をかいぐりしてしまう。柔らかくてさらさらした髪質や、頭が見た目以上にちいさいのにもビックリした。

 サンジの手がゾロの腹をぽんぽんと撫でる。逞しい腹筋に鎧われたそこも、今日ばかりは若干ぽっこりしていた。

「ゾロ、腹…」

 《いっぱい》という言葉が思いつかなかったのか、《ぽんぽん》と腹を叩く仕草が小さな子供の様にあどけない。甲斐甲斐しく家事をするところはお袋のようなのに、こういうギャップが面白い。

「おう。久しぶりに満腹だ」
「つぎ、からだあらう」

 サンジは湯を沸かそうと川の水を大きな鍋に汲むが、ゾロは手を振った。ノースでは金持ちは蒸し風呂施設を持っているが、一般市民は湯を沸かして体を拭く。あれがゾロは中途半端な気がしてあまり好きでない。

「いや、風呂ならそこの川に入るからいい」
「ちべたい!」

 サンジはビックリしたように飛び上がる。もっと寒いノースから来たはずなのに寒さに弱いのか?ならすきま風の吹くあばら屋は辛かろうと心配にもなった。

「俺ァ、スッキリするが…」
「かぜひく、だめ」
「ふゥん」

 ゾロは雪が降っていても川で済ませるのだが、サンジは随分とデリケートにできているらしい。

「じゃあ、風呂を借りに行くか。薪を持っていけばタダにしてやると言ってた」

 《それを知ってて何で川セレクトだよ》と言いたげな顔をしたが、サンジは荷袋の中から着替えとタオルを出すと、ちらりとゾロを見て《んっん》と小首を傾げた。

「しごとのひと、ふく、くれない?」
「もう一着寄越せと頼むのか?そうだな…まあ、頭領に聞くだけ聞いてみるか」

 良い感じの倒木を見つけると、気を込めて手刀で切り分けていけは、サンジも並んで踵落としを食らわせていく。

 カン!

 小気味良い音を立てて、次々に薪が割れていく。全てきれいに割れているのは、軸を完璧に捉えているからだ。

『こいつはやっぱり、大したもんだ』

 戦車の砲弾なんてまぐれで弾き返せるようなものではないと分かっていたが、こうして日常の動きを見ているだけでただ者ではないと分かる。

『こんな子に、俺が死ぬまで恩返しさせるなんてあこぎな真似はできねェ』

 そのうち折をみて《もう充分尽くしてくれた》と礼を言って解放してやるべきだ。
 そう思いながらも、今から別れの日が辛くなるゾロだった。

 たくさん割った薪を担いで山を降りると、市街地にはちらほらと行き交う人々の姿がある。仕事帰り真っ直ぐ自宅に戻る連中と、飲み屋街に向かう面々が交差する。飲み屋に行けるほどの収入を持つ連中のうち、戦後のどさくさに紛れて上手く立ち回った連中や、元々の金持ちは、まだグランドジパングでは珍しい自動車に乗っている。
 それを寒々しい衣服に身を包んだ連中が羨ましそうに眺めていた。
 ゾロは両脚がちゃんとあるので歩くのが好きなのだが、人それぞれ憧れというものはあろう。

 風呂屋に行く前に着替えを手に入れるべく、頭領の家で頼むと快く大きめの古着をくれた。短期の雇い人の為に、様々なサイズの作業着をストックしているのだ。
 《頭領》と呼ばれているのは綽名で本名はなんとかいう別の名だが、大牛のように魁偉な巨躯が印象深く、この辺りの建築現場で顔が利くこともあって、異なる土方組合の連中からも頭領と呼びならわされている。武骨な男だが義理堅いことで知られており、ゾロも信頼を寄せている。

 気前よく三枚も替えをくれた頭領だったが、ゾロの後ろにすっぽり隠れる形でサンジがいることに気づくと、妙な顔をした。

「あの金髪は知り合いか?」

 頭領の目つきが、今まで見たこともないような色を含んでいるのが癇に障った。人を蔑むような眼差しなど、普段は浮かべるような男ではないのに。こんな可愛い子に何故そんな顔をするのか。
 色目を使われたら、それはそれで腹が立ちそうだが。

「戦争で縁があってな。恩返しにわざわざ来てくれたんだそうだ」
「ふゥん…。まあ、あんたは腕も立つし、そもそも蓄財なんかねェだろうから、何かチョロまかしに来たって訳じゃねェだろうが…」

 この言いざまに、ゾロの臓腑はぐらりと沸いた。思わず目つきが険しいものになる。

「おい。今なァどういう意味だ」
「そいつァ、ノース人だろう。あいつらはみんな盗人だと聞いてる」
「馬鹿なこと言うんじゃねェ。あんたほどの男が!軽率なことを言いやがると、格が下がるぞ」

 ゾロが睨み付けると、頭領は困ったように頭を掻く。

「まあ、そんなに気を悪くするな。一般論だ」
「一般論ってことなら、タダで作業着を貰う俺なぞまさに盗人だな。恥じた。返しておく」

 口を真一文字に引き結んで作業着を返そうとすると、がま口財布を握ったサンジが頭領とゾロの間に割り込んだ。

「あたらし服、ほしかったのサンジ!」
「え…?」
「おふろ、からだキレーなたのに、ヨゴレ服きる、気持ちわる、おもた。サンジのせい!ゾロ、ぬすむ、ない!」

 サンジの瞳には涙が浮かんでいた。
 小さく肩が震えているのは憤りのために、感情をコントロールしきれていないせいだろう。自分が盗人扱いけたことよりも、ゾロが我が身を貶めたことが哀しかったのか。

「服、お金、はらう!だから、ゾロ、ぬすむ、ない!」

 《ぬすむ、ないっ!》と言い続けるサンジの必死な形相は、固定概念に縛られていた頭領に衝撃を与えたらしい。暫く唇を戦慄かせていたかと思うと、深く頭を下げた。

「悪かった」
「とーりょさん…」
「あんたにも、ゾロにも、悪いことを言った。許しちゃ貰えないだろうか?」

 サンジが戸惑うようにこちらを見てくると、ゾロも頭領に負けないくらい深く頭を下げた。

「俺もあんたに甘えてた。これで手打ちにしよう」
「そうしてくれるか?じゃあ、ちっと待っててくれ」

 頭領は古着を抱えて室内に入ると、一つの桐箱を持ってきた。
 中に入っていたのは、たくさんの男物の衣服だった。大きめだが、頭領が着るには少し小さく、ゾロにちょうどいいような大きさだった。

「持って帰って、着てくれ」
「施しに甘えるのは無しに…」
「施しじゃねェ。形見分けだ。戦争で死んだ息子の…な」

 ゾロとサンジがハッとしたように顔を上げると、頭領は苦笑して手を振る。

「ああ、ノース戦線じゃねェ。イーストだよ」

 そこで頭領は言い淀み、ゾロに向かって何とも言えないような、気まずそうな顔をした。

「民間人を虐殺したってェ部隊にいたことで、帰還前に処刑された」

 息を呑む二人の前で、頭領は贖罪を求めるように呻いた。

「息子が…本当に虐殺に関わったのか分からねェ。俺が覚えているのは気が優しくて、いつもバカみてェにニコニコしてたあいつだけだ」
「それは間違いない真実だ」
「イイむすこ」

 重々しくゾロが告げるとサンジもコクコク頷いて同調する。
 その仕草を、頭領は眩しそうに見つめた。

「息子はイーストで罪を犯すか、罪の片棒を担いだ…少なくとも、あっちの連中にはそう思われてる。それがずっと心に刺みてェに引っ掛かってよ。ゾロ、あんたの噂を聞いたときには複雑だった。あんたは民間人殺しに加担せず、身体張って救ったと聞いてなァ…英雄的な行為だと震えると同時に、嫉妬もした」

 自分でも不条理な感情だと分かっているのだろう。頭領は己を恥じるように肩を竦めた。

「それに、助けた相手がノース人ってのも微妙でな。《ノース人は卑怯な盗人》って噂が俺の中でない交ぜになって、あんたに肩入れしたいのか、忌避したいのか自分でも分からなくなったのさ。だが…坊や、あんたのおかげで色々吹っ切れた」
「サンジの?」
「ああ。下らねェ先入観でグダグダ考えたことなんぞ、意味はねェな。俺がこの目で見たあんた達は、最高に男前だ」
「おとこまえ?」
「カッコイイってこった」
「おとこまえ、すてき!」

 パッと顔を輝かせれば、涙で潤んでいた蒼い瞳が家の明かりに映えて、思わず頭領も武骨な顔をくしゃりと綻ばせた。

「また仕事頼むよ、ゾロ」
「心得た。ありがとう、頭領」

 薪がたくさんあるので桐箱はいったん頭領の家に置いておき、一回分の着替えだけ抱えて銭湯に向かうと、店じまいする間際だった。暖簾を降ろしかけた爺さんが、ゾロを目にとめると嬉しそうに笑った。頭領とは対照的に鼠のような小男なのだが、ゾロを好いてくれているという点では共通点がある。なんでも、武闘派小説の主人公にゾロが似ているからだそうだ。

「おう。よく来たよく来た!あんた良い男だのに、身なりを構わなすぎると今日も噂してたところさ。ささ、入んなさい。終わり湯だから、好き放題使って良いよ」
「ありがてェ。こいつも良いか?」

 一瞬、人の良さそうな爺さんの表情が強ばった。《またか》という想いに、ゾロの目つきが険しくなる。サンジはというと、キュッと唇を噛んで身構えている。何しろ金髪蒼瞳という北方の血を明瞭に示す容姿だから、ゾロの元に来るまでにも、何かと差別を受けてきたのかもしれない。

 そんな二人の構えに頓着することなく、爺さんは渋い顔で続ける。

「あんた…無頓着すぎて心配なのは身なりのことだけじゃねェ。身の振り方も考えた方が、上手く生きられるだろうに。よりによってノースに肩入れするなんてよォ」

 グランドジパングの連中が何故ノースを忌避するかについては、一応理由らしきものがあるとゾロも知ってはいる。到底、得心行くような理由ではないが。

 ノースが四海連合の中でも嫌われる所以は、彼らが戦争中には中立の立場を謳いながら、戦後の領土分獲り合戦には参加し、ちゃっかり以前から欲しがっていた不凍港を手に入れたことにある。寒気に晒されるノースでは冬場でも凍らない港が陸続きの場所にあるのは極めて貴重であり、グランドラインのものだったそこを手に入れることは、ノース人の長年の野望だったのだが、それを得たのはあくまで四海連合に所属していた《旨み》であり、彼らの力によるものではないと、この国の民は思っている。

 矢面に立って戦ったサウス、ウエスト、イーストに対する敗北感とはまた違った感情がそこにはある。ゾロが思うに、頭領の件からも分かる通り自分たちが敗者であるという認識は持ちながらも、《しかしノースの卑怯さだけは赦せない》とすることで、《自分たちの国だけが情けないのではない》と思いたいのだろう。

 そのためかつてノース人を救い、今でも頓着なくノース人と付き合うゾロは《あいつはノースに対して利敵行為をやった》とかおかしな噂を立てられ、不当な扱いを受けることもあった。突然日雇い仕事を切られるとか、うわまえを撥ねられるといったことだ。あの頭領だけはそういうことをしなかったから、ゾロは彼の紹介する仕事だけをこなしていた。
 一緒になってノース人への不満をぶちまければ、もっと割のいい仕事も入ったろう。

 だがそこで、《嫌われない生き方》を選ばないのがゾロという男だった。

「上手いか不味いかは俺が決める」

 サンジは爺さんの敵意を敏感に察知したのだろう。身を強ばらせていたから、細い肩を抱いてやった。
 砲弾より薪より、こんな心ないひとことがサンジを傷つけるのだ。

「ノースもグランドジパングもねェ。この子は飛びっきりの良い子だ。この俺が言うのが信じられねェなら、あんたとの付き合いもこれまでだ」
「ゾロ…」

 爺さんは呆れたように、サンジは感動に瞳を潤ませてゾロを見つめた。

『この目でサンジが見てくれるなら、別段誰に嫌われようが構いやしねェ』

 爺さんが入るなと言えば、どこかでドラム缶を拾ってサンジの為に風呂を沸かす気でいたのだが、爺さんは仏頂面ながらもゾロの顔を立ててくれた。ずっと独り身で子供がいたこともないから、頭領のように自分の子に関する頓着があるわけではなく、単に噂でノース人を嫌っているだけなのだろう。

「二人で入ってけ」
「ありがとよ」
「俺は、まあいいさ。あんたが言うなら相応の人間なんだろうと思う。だがよ。なら、余計に気をつけた方が良い。矛先がこの子に向かうこともあんだろ」

 爺さんにちらりと視線を向けられて、サンジは胸を拳で叩いた。

「おれ、つよい。しんぱいなし」

 爺さんはサンジの自信がそれが気にくわなかったのか、唾を飛ばして主張した。

「一人が相手ならどうだが知らねェが、集団できたらどうだ?ほれ、ゾロ。あんたも知ってるだろ。国粋主義の跳ねっかえりどもが、しきりと四海の商人たちを攻撃してるのを」
「ああ。一人一人は弱ェが、集団の力ってのはバカにならねェ。ろくでもない手口を使ったりするしな。心に留めとく」

 彼らの主張は《グランドジパングの利益を四海の連中が、戦勝国の強みを笠に着て奪っている》というものだ。確かにそういった一面はあり、商売をする際の利率の扱いや取引条件などはどうしても四海に有利なものであるが、それは商人個々人の権限でやっていることではない。国と国の間の約束で条件は決まっているのだ。国に対して《条件を変えるよう努力しろ》と要求することは尤もだが、それもすぐのことにはならぬだろうし、今現在の取り決めで動いている他国の商人に、ごり押しでグランドジパングの権益を主張するのは無意味だ。

 そういったことが分からぬのか、あるいは、分かっていても納得できないのかは不明だが、ああいった連中は単に報復という名の《憂さ晴らし》がしたいと見えて、商人の襲撃などを繰り返している。

「サンジ。この国にいる間はなるべく俺の傍にいろ」
「うん。サンジ、ゾロといっしょ」

 どこまで忠告の意図が伝わっているのかは分からないが、《ゾロの傍にいる》という点には問題ないのか、サンジは嬉しそうにニコッと笑う。
 その様子に、爺さんも居丈高な態度を続けることは難しくなったようだ。

「ほら、余りモンだ。風呂あがったら呑みな」

 差し出されたのは瓶詰の珈琲牛乳で、別に今日が賞味期限という訳でもない。爺さんなりの詫びも含まれているのだろう。

『どうもサンジといると、わらしべ長者みたいな展開になるな』

 《最終的には豪邸に住むようになったりしてな》と、この時のゾロは軽く夢想していたのだった。


***


 銭湯の脱衣所は各種の毛などで汚れていた。小男の爺さん一人で切り盛りしているせいか、そこかしこに汚れがこびりついてきたない。

 夜中は明かりも少ないしで、普段はそういうことなどさほど気にしないのだが、今日に限って目につくのは、初めて浴槽というものを使うのだろうサンジが、《グランドジパングの風呂は不潔》と思いはしないかという懸念のせいだ。

 案の定、サンジがは湯船に浮かぶ垢や水汚れが気になるらしく、手早く体を洗ってすぐ服を着てしまう。

 折角広い風呂にゆっくり漬けてやれると楽しみにしていたのに、残念なことだとがっくりしながらゾロも上がってくると、サンジはどこから見つけて来たものやら、亀の子タワシとデッキブラシを使って脱衣所を掃除している。ほんの数分先に上がっただけなのに、そこは見違えるように綺麗になっていた。

「こりゃあ…魔法みたいに綺麗になったな!」
「ふふ~。たつトリ、あとにごさないの」
「きっと爺さん喜ぶぞ?年くって、昔みたいにしっかり掃除ができねェとぼやいてたからな」
「じゃあ、ナカもやる」
「よし。俺も手伝おう」

 ゾロがデッキブラシで平面をがしがし擦り、サンジが細かい場所を歯ブラシなどで手際よく磨いていけば、あっという間に風呂場がピカピカになった。

「おい、お前らいい加減出てこねェと逆上せ…わっ!」

 出てくるのが遅いのを心配して浴室に入ってきた爺さんが、度肝を抜かれたように声をあげた。

「お前ら…掃除してくれたのか!しかもこんな綺麗に…!」
「サンジが始めたんだ。この子は余程勘所が良いらしい。あっという間にピカピカになった」
「そうか。お前が…」

 爺さんの瞳に、暖かい光が宿る。
 ご面相と背丈のせいで嫁の来てがなかった爺さんだが、基本的に人が好きなタチだ。心からサンジが《こりゃあ良い子だ》と確信したら、いとおしくて堪らなくなったらしい。

「お前、この街で何か困ったことがあったら、俺を頼れ。お前はノース人だが、特別なノース人だ」
「ん」

 まだノース人自体には頓着ありそうな言い回しだが、サンジは大人の態度で頷いた。

「明日の朝に、また風呂を浴びに来な。これだけ綺麗にしてくれたんだ。折角だから朝日を浴びながら一番風呂に漬かると良い」
「あさはいる?」
「ああ。朝風呂は最高だぞ?」
「でも、イチバみたい。あさ、してるきいた」
「港の朝市か。じゃあ、その後で来れば良い」

 サンジが《どうしよう?》という風に見上げてくるから、ゾロは《そうしろ》と頷いた。

「あさふろ、はいる」
「おお。そうしな」

 くしゃりと笑み崩れる爺さんは、もうすっかりサンジがお気に入りになったようだ。

 風呂に入りに行ったのか汗をかきに行ったのか分からないが、それでも最後には流し湯で清めたから、久しぶりに体がスッキリした。おまけに頭領の息子のお下がりを着込むと、少し樟脳臭いがサイズはピッタリだった。

「ぞろ、すてき!」
「おお、良い男振りじゃねェか。女どもがますます放っておかないぜ」
「きゃーきゃーいう」

 手放しに誉められて、気恥ずかしさにぽりぽり頬を掻いていると、爺さんは余計なことまで言い出した。

「坊や、ゾロに嫁が来て居心地が悪くなったらうちに来な。飯くらいは世話してやる」
「ゾロのヨメ、サンジよ?」

 自分を指差してサンジが笑うと、爺さんは何とも形容しがたい顔をしてゾロを見た。

「ゾロ。お前、そういう趣味が…」

 多分サンジは《御奉公》という意味で《嫁》というものを認識している気がするが、ここで《バカ言うな》なんて言うと、あとあと余計ややこしいことになる気がする。
 この爺さんは自分が独り身なくせして、人にはやたらと見合いを勧めるのだ。

 ゾロは思いきってサンジの肩を抱き寄せると、頬っぺたもムギュッと寄せて笑顔を浮かべた。

「実はそうなんだ」
「ひょえ!だからお前さん、良い縁談を次々断ってたのか!」
「いや、それは単に他人と暮らしたり、嫁さんやガキを育てるのが面倒だっただけだけどな。その点、この子は良いぞ?自分で自分を食わせるだけの才覚があるし、なんせ一緒にいて居心地が良い」
「へェ~!じゃあ今夜が初夜か。具合が良いと良いな。ま、衆道も填まると抜けられねェっていうな」

 爺さんはまんざら興味がないこともないのか、ニヤニヤスケベな笑いを浮かべている。

「しかしサンジよう。お前、上手いことゾロの相手はできるのか?やり方は知ってんのかよ」
「サンジ、べんきょしるの」
「ん?ゾロの前に誰かとやったのか?何だお前、純情そうに見えて淫売か?」

 一瞬、ぐわりと臓腑が煮えるのを感じた。だが、肩をつかんで問い詰める前に、サンジがへらりと笑って荷袋から木箱を取り出す。随分厳重な包装で、蓋を開くと更に油紙でくるまれた冊子が現れた。

「ポパポパン!」

 妙な効果音と共にページを開けば、なんとそこには色鮮やかな春画が描かれていた。金彩まで用いた版画はえらく刷り上がりが美しく、ミミズがのたくったような イーストの文字も絵の一部のように艶やかだ。
 もっと刷りが甘くて男女の性交を描いたものならゾロも見たことはあるが、サンジの持つそれは若い男同士の性交を描いた珍しいものだ。

 途端に爺さんが息を呑んで反り返った。

「はーっ!こ、こいつは…っ!お前、早くしまえ!こんな湿気の多いとこに置いといたら傷む!こりゃあ価値モノだぞ!?一体どこで手に入れたんだ?」
「ノース。ふるいホン、うてるとこで5000ベリー」
「はァ!?そりゃ全く価値が分かって無かったんだな。グランドジパングじゃあ、売る相手を吟味すりゃあ一財産になる!」
「おコメかえる?」
「買える買える!米ならお前、十年分は買える!おかずや味噌を買ったって、一年分はいけるだろうよ。売れ売れ!好事家に売っちまえ!今なら戦後成金がこういう骨董品に高値を払う」
「ん~…でも、わかるないワザある」
「そんなもん、ゾロに教えてもらえ」
「サンジ、ごほうしなのにィ」
「良いんだよ。ういういしいのにアレコレ手出しする方が好きな奴もいる。な、ゾロ。お前もサンジを選ぶってこたァ、そういう嗜好だろ?」
「まあ…そりゃあ人の手垢がついてねェってのは気分が良いが…」
「こぉ~のスキモノ!」
「むちむちすけべ!」
「サンジ。それなんか違う」

 そう。そもそもサンジよ。
 お前、本当に体まで捧げる気でやってきたのか?
 嫁というのは家政婦的な奉仕との意味合いで捉えていたが、本当の本当に嫁に来たというなら、ゾロも覚悟をせねばならない。

「サンジ。その本に書いてあるようなことを、本当にお前にして良いのか?」
「もちのロンよ。サンジ、ごかいちょできるよ!」

 ヒラリと棚に飛び乗って180度開脚をするサンジは体操選手にしか見えなかったが、全裸でこれをやられたら…と想像すると身悶えする。

「サンジ、帰るか」
「うん。しょやしょや!」

 昆虫の鳴き声のように繰り返しているのは《初夜》という意味だろうか?

 色気もへったくれもないノリではしゃいでいたサンジはその夜、掘っ立て小屋の煎餅布団に横たわると、三秒で眠ってしまった。

 そしてそのままスヤスヤと眠った彼は、空が白む時間まで目覚めなかったのであった。


***


 掘っ立て小屋の煎餅布団に横たわった途端、冷たくて硬いそこからふわっとゾロの香りがした。

『あ~。ゾロに抱かれてるみてェ』

 今から焦がれ続けていたゾロに抱いて貰えるのだと思ったら、嬉しいのとドキドキするのとで、《ふへ》と変な笑いが浮かんだ。

『予習いっぱいしたし、大丈夫だよな』

 春画のミミズのたくり文字は読めなかったから絵からの情報しかないが、一応描いてあった体位は全部覚えて、アクロバティックな技も綺麗な姿勢で安定することができる。

『うェっへっへっ。完璧完璧~…』

 ゾロに《てめェとのセックスは最高だぜ!》と頭をなでなでしてもらうのを想像して、ニヤけながらサンジは《すやぁ…》と健やかな眠りについた。

「ん…」

 寝涎こきながら目覚めたサンジは、熟睡したおかげで旅の疲れもとれてスッキリと目醒めることができた。逞しいゾロに抱き締められて眠ったおかげで、肌寒い夜もぽかぽかだった。

 …が、覚醒度が上がるにつれてあることに気づく。

『あれ?ひょっとして…』

 セックスしてなくね?
 念のため自分のシャツをめくってみるが、絵に描かれていたような痣が浮かぶこともロープの縛り痕もなく、なにより、アナルに異物感がない。

『俺…寝ちまった?』

 間違いなくこれはそういう状況だ。
 なんてこった!記念すべき初夜を添い寝で過ごしてしまうなんて。こんなことではガキ認定されてしまう。サンジは素敵な鶴女房にならねばならぬのだから、何とかゾロが起きる前にリカバリーを図らねばならない。

 焦りながらゾロの股間を観察すると、うまいこと朝勃ちしている。さすが魔獣ロロノア・ゾロ。立派なシルエットだ。中身もさぞかし…と思いながらズボンと下着をはだければ、期待以上の豪快チンポがお目見えした。

「すげェ!迫撃砲みたい!」

 黒光りするような赤黒いペニスは隆と勃起して反り返り、サンジが手を添えると《ん…朝か?( ̄人 ̄)》と言いたげに更に角度をあげる。

「よし、これなら夜が明けるまでに突っ込んで貰ったら初夜成功だよなー」

 サンジは下半身をむき出しにすると、ゾロの腰を跨いでアナルにチンポを沿わせて腰を降ろしてみた。

 つるっぽん。
 ゾロチンはサンジの尻の谷間を滑って抜けてしまう。

「あれ?」

 何故刺さらないのか。絵ではずっぷり突き刺さっていたのに。

「おっかしィなァ。ゾロのがデカすぎんのかな?」

 今度はチンポに手を添えて腰を降ろして行くが、《ふんぎぎぎ<(`⌒´)>》とアナルの入口に引っ掛かって、到底入る感じがしない。

「やべェ!」

 妻として恥ずかしくない手腕を磨いたと自負していたのに、これでは口先だけの半端者と思われてしまう。

『諦めるな!なんか方法がある筈だ!』

 滑り…。そうだ!きっと滑りが足りないのだ。
 荷物の中からオイルを取り出そうとするが、食べ物を使うことには少々躊躇を覚える。そうだ。唾液はどうだろう。自分のアナルを舐めるのは無理だが、ゾロチンにたっぷり絡めておけば同等の効果があるのでは?

 急いでパクンとゾロチンをくわえてみれば、口の中で《ヌワラエリア(#`皿´)!》とばかりにいきり立つ。

『あ~、またデカくなっちまった!やべェ。やり方間違ってんのかな?』

 あわあわしていたら不意に頭を捕まれて、強引に喉奥へとゾロチンを叩き込まれ、荒々しくしごかれてしまう。もしかして下手くそだったからお仕置きされているのだろうか?

「ふぐ!う…っ…!」

 ヒイヒイ。
 激しく息苦しい。
 窒息の危機感を感じながら懸命に堪えるが、どうしても生理的な涙や鼻水で顔がくしゃくしゃになる。

「う、ぐ…ふっ!」

 とうとう喉奥へと射精されたサンジは、窒息を回避するためにゴクンと苦い液を飲み込んだ。

「ん…?」

 射精を遂げたゾロが小さく呻き、サンジを見たかと思うと、ポカンと口を開けている。顔がそんなにぶちゃいくになっているのだろうか?

「ごめ…なさ、サンジ…ヘタっぴ」

 しゃくりあげながらぼろぼろ涙をこぼすと、ゾロは力強く抱き締めて、獣みたいにベロベロ顔を舐め始めた。頬を濡らす涙だけではなく、鼻水までベロンと舐めあげられてビックリした。

「はな、きたない」
「バカ。俺のザーメンなんか呑みやがった奴が何いってる。バカなことを言う口にはお仕置きだ」
「むぐ」

 苦笑しながらゾロがくれたのは腰が抜けそうなほど熱烈なキスだった。互いの唇と舌が蕩けて境目が分からなくなるくらいに耽溺したところで、最後に強く下唇を噛んだ。

「一途なのは結構だが、俺の意識があるときにやれ。勿体ないことしやがって」
「ごめなさい…。しょや終わるマエて、あせた」
「焦ることなんかねェ。ちゃんとじっくり味あわせろ。てめェみたいな上物、食い散らかすなんざ勿体ないぜ」
「うん!」

 《上物》と言われて大変嬉しくなったサンジはまたゾロの股間に自分のアナルを押し付けようとしてたしなめられる。

「待て待て!俺にやらせろと言ってんだ!」
「ごほーし…」
「やって欲しくなったら頼むから、初夜くらいは大人しくしてろ」
「あい」

 コクンと良い子のお返事をしたサンジは、そのあとねっちりと《新妻のお勤め》を果たしたのだった。

***

 ンッンッアンアンとサンジに喘がせまくったゾロは濃厚な朝を迎えた。

『こりゃあ、相性が良いってことか』

 自分でも驚くくらいサンジのイイところが分かって、最初は頑なに閉じていたアナルも途中からトロトロに溶け、今では左右に指で開けば《こぷ》と音を立てて白い液が溢れ出てくる。

「ぞろ…ろろ…」

 半分気絶しかけたサンジは譫言のようにゾロの名を呼び、その表情は夏のバターみたいに蕩けている。
 涎を垂らすあどけない唇にキスをすれば、《んちゃ~(^з^)★》と幸せそうに吸い付いてくるから、サンジにとっても悪いセックスではなかったのだろう。

『それにしても、目ェ醒ましたらくわえてやがった時には度肝を抜かれたぜ』

 自慢じゃないが、いまだかつてゾロは深睡眠中であっても遅れをとったことなどない。幼い頃から戦場にあったゾロは、敵だけではなく味方である筈の男色家からも身を守らねばならなかったからだ。

 それがサンジ相手には全くセンサーが働かず、眠っている間にチンコをくわえられるなんて暴挙に出られても、起きるどころか寝惚けてイラマチオに雪崩れ込んでしまった。ちょうどそういう夢をみていたので《夢なら多少無茶もできるな》なんて考えたのが不味かった。あのまま自失状態で処女を奪ったりしなくて本当に良かった。

 初々しい硬さも、感じ始めたことを示す柔らかさもちゃんと実感できた。

 それはこの少々トンチキながら一途な幼妻を、ゾロの連れ合いとして認めた実感でもあった。

 ゾロは湯を沸かすと、くたびれたタオルをできるだけ綺麗にゆすいで、色んな液まみれになってぺかぺかしているサンジを拭いてやった。

『風呂に入れてやれりゃあ良いんだが』

 肌に情痕を残さないなんて配慮ができたのは最初の内だけで、アッという間に理性を浚われると、吸い付くだけではなくてかぶりつき、尻や胸には可哀想なくらい明瞭な歯形がついている。

 この状態で朝風呂を借りにいくのは、他の連中にとって目の毒だろう。

「はァ~…サンジ、おヨメさん、なた。うれし」

 ゾロに体を拭かれながら、サンジが嬉しそうに《ふくく》と笑う。

「そりゃこっちの台詞だ。こんな可愛い上に床上手たァ、三国一の花嫁だぜ」
「やたー!サンジ、せくすじょーず!」

 勢いよくガッツポーズを決めるサンジだったが、ゾロの腹が鳴る音を聞くと血相を変える。

「あーっ!ごはんつくてない!あ、あさイチもぉお!イイヨメちがう!ダメダメよぉ~っ!」

 今度は《ふェ~ん》と半泣きになった。忙しい男だ。

「大丈夫だ。落ち着け、サンジ。俺ァ今までだいたい、現場で出る昼飯しか食ってねェ」
「それ、ダメダメよ!サンジ、ゾロ腹いっぱいにするがヨメつとめ!」
「お前には、胸をいっぱいにして貰ってる」
「はァ~ん(´Д`)…ゾロ、ナチュラルイイおとこ!」

 熱い眼差しに、照れ臭くなってポリポリと頬を掻いた。

「でも、サンジ、腹いっぱいしたい。ね、朝イチいこ?」
「体は大丈夫か?」
「へ、へーき!」

 必要以上に元気よく飛び上がったサンジは、《あうΣ(゜д゜;)!》という顔をして尻を押さえた。
 とろ…と内腿を伝う白い液が、さめた筈の情欲を再び揺り動かしそうになった。

「悪ィ。俺の子種、注ぎ過ぎたみてェだな。掻き出したつもりだったが…もっと奥まで入ってたか」
「あァ~…あかちゃんでちゃう」

 慌ててその辺にあった瓶で栓をしようとするサンジにギョッとする。

「バカ!てめェ男だろ。そんなもん腹に溜めたって下痢になるだけだ」
「ちがうちがう。がんばるなら、あかちゃんできる」

 真顔で言うな。ノースではそうなのかなとか思ってしまうではないか。

「バカ言ってねェでケツ出せ!指で届かねェならチンコで掻き出してやる」
「あーん、いけずーっ!」

 ゾロも相当慌てていたに違いない。
 こんなイイ体に挿入して、中出しせずにいられるなんて何故思ったのかと自問自答したのは、またたっぷりサンジとイチャコラした後だった。

 流石に太陽が黄色く見えるようになった頃、やっとサンジを人がましい姿にしてやったサンジは、ふらふらしながらも買い出しに行くと主張した。

 考えてもみれば今日は仕事を入れていなかったのだから弁当が出るわけもない。流石に二食続けて抜くのは辛い。

 朝市に行けなくてふにゃふにゃしていたサンジだったが、商店街に連れていくと途端に顔がシャンとする。

「ここ、イイ魚ある」
「よく分かるな。ここは息子が腕の良い漁師で、朝だけじゃなく日中にも新しい魚が入荷されるらしい。流石にコックだな。良い目利きだ」

 ゾロが誉めると、サンジは小さく会釈した。コックとしての目には自信があるせいか、ふにゅっと照れたりはしない。

「これ、にひき、ちょーだい」

 サンジが注文すると、魚屋のおかみさんは太っちょのおかみさんは仏頂面で応える。

「そいつは《二枚》っていうんだ。お前みたいな魚のイロハも知らないノース人に売るもんはないよ」

 やれやれ、この女もノース差別かとげっそりするが、サンジはへこたれなかった。

「サンジ、コック。魚、わかる」
「へっ!ノース人に魚の何が分かるっていうのさ」
「わかる。魚、ずと、いしょ」
「ふん!」

 悪し様にサンジを罵ったかと思うと、女は大ぶりな棘だらけの魚を突きだした。確か、皮や骨が固くて身が柔らかく、よほどの料理人でないと身がぐちゃぐちゃになる代物だ。おまけに、背鰭には毒まである。

「でかい口を叩く前に、これを捌いてみな!巧くできたらあんたを料理人と認めてやるよ!」
「わかた。ほうちょ、かりてい?」
「ああ。素手で捌けなんて阿漕な真似はしないさ」

 そうは言いながらも、女頑張っ差し出したのは刃欠けした旧い包丁だった。

「とぐ。石、かして」
「へっ。いっちょ前に研ぐ気かい?」

 侮るようだった女の様子が変わったのは、サンジが研石に刃を当てて数往復してからだった。

「…!」

 サンジの手つきは見事だった。あれほど欠けて錆び付いていた刃が本来の輝きを取り戻し、銀に光って青空を映し出す。

 十分に研げたと見るや、サンジは迷いのない手つきで包丁を操り、毒のあるヒレを慎重に切り落とすと、ごつい皮の数ヵ所に小さな切れ込みを魔法のようにするんと皮を剥ぐ。

「…おっ!」

 いつの間にか集まっていた野次馬どもが一斉にどよめいた。魚を捌く連中にとっては余計に、これがどれほどの技量なのか理解できるのだろう。

 サンジは観客の存在など意識せず、スッスッと身を硬い骨からそぎとり、柔らかい身を透けるほどの薄さに切り取って、皿に並べていく。まるで皿の上に花びらが開いているようだ。

 そして何より人々を感服させたのは、次の行動だった。
 持参していた箱に皮と骨を丁寧にしまったのである。

「あんた、それをどうするんだい?」
「カリカリ、あげる。おいし」

 女はとうとう天を仰ぐと、サンジの手をしっかり握ってこう言った。

「バカにしてゴメンよ。あんた、立派な料理人だ。こんなに愛情込めて道具や魚に触れる奴は、グランドジパングにだってそうはいない」
「うれし」

 パッと花が咲くようにサンジの顔が綻ぶ。

「詫びだ。今日はうちにあるものは何でもタダで持っていきな!あんたのことだ。欲を張って持ち帰りすぎて腐らすなんてバカはしないだろう」
「うん。くさらす、ない。いのちもらう、だいじ、たべる」
「うん…うん。そうかい」

 女はすっかりサンジ贔屓になったようで、愛しい息子でもみるみたいに目を細めた。

「さあ、野次馬ども!良いもん見せて貰った礼をしな!」

 これには周囲の連中も苦笑した。

「ははは、ダダンったら急にこの子の味方になったな」
「うるさいね。あたしゃ、良いもんは良いと感じる素直な心根を持っているのさ!」
「ああ、ああ。良いさ。俺だってこんな腕前をみせられちゃあ板前として敬意を払わずにはおれんよ」
「だろ?味だって最高だ?」
「確かにな」

 女はこの辺りではちょっとした顔役であったらしい。彼女が声掛すると、あっという間に色んな店から食材が押し付けられ、扱いきれないナマモノはサンジの方で固辞するほどだった。

 日持ちする根菜や干物はありがたく貰うと、二人で持っても両手に収まらない量になる。
 すると大柄なフランキーという男が現れて大八車に載せたものだから、またまた大量積載して帰ることになった。
 しかもこいつが実に良い奴で、ボロ屋を見かねて補修工事まで無償でやってくれた。

「おうち、あたかくなた」
「すげェなあの男。内風呂と台所まで作っちまった!」

 しかも藁敷きの寝床を気の毒がって、《一組で悪いが》と置いていった。

 一組上等。
 何の不都合があろうかと、晩飯を食べたらまたぱこぱこ填めて、仲良く内風呂を楽しんでから寝床に入った。

『夢みてェだな…』

 いよいよ藁しべ長者のようだ。

 《夢なら醒めませんように》なんてゾロが祈ったのは、生まれて初めてのことだった。


***

 サンジはグランドジパングにやってきて3、4日経つ頃にはすっかり街に慣れ、買い物に出掛けるとそこかしこの商店や客から声を掛けられるようになった。

 特に、魚屋の女将ダダンはすっかりサンジ贔屓になったようで、《働くところがないならうちの魚を使って惣菜でも作って売れ》と勧めてくれた。

 もともと魚に関しては目利きとして知られるダダンの店だ。息子達が上質な魚を捕ってくるのもあって、サンジの作る惣菜はたちまち大人気になった。

 愛嬌のあるカタコトのグランドジパング語に、とびきり旨い料理は人々を魅了し、《男でも構わねェ》という男連中が次々に言い寄ってきたが、サンジは《おれ、まるっとゾロのモノ!》と屈託なく答えるものだから、ゾロが傍にいるときには散々に冷やかされた。

 言い寄ってくる連中の中にはヤクザ紛いの奴もいて、強引な手口でサンジを安宿に連れ込もうとすることもあったが、何せサンジは腕が…というか、脚が立つ。

 何人もの荒くれ者をばったばったとやっつけた時には、野次馬達から盛大な喝采を送られたものだ。

『この分なら、ノース人だからって目の敵にされることはないだろう』

 そう考えたゾロがサンジをダダンの魚屋に預け、またドカチン仕事を始めて暫く経ったあと、その事件は起きた。

ドォン!

 夕闇が迫る頃、高台で橋桁工事をしていたゾロたちは、街の様子に目を見開いた。闇の中でそこだけ異様に光を放つのは、街でも特に華やかな屋敷通りで、グランドジパングに腰を据えた異国の大商人達が多く住んでいる筈だ。
 雪と火の粉がちらちらと舞い散る中、屋敷の一角から火の手が上がった。

「あの音…。こいつァ、ただの火事じゃねェ」

 確信を込めてゾロが呟くと、現場監督のオヤジが不思議そうに問いかけてくる。

「何だってんだ?」

 前線を知らぬこの連中には見当がつかないらしいが、あの音にゾロは嫌というほど覚えがあった。
 かつて戦場で何度も耳にしたあの音は、二度と…少なくとも、この穏やかに続く日常の中では聞くはずのないものであった。

「戦車だ。あいつら、戦車砲で屋敷を撃ちやがった」
「はァ?なんでそんなもんが…」
「大方、国粋主義の跳ねっ返りどもだ。バカめ…あのまま火事が広がったら、長屋通りや商店だって無事じゃすまねェってのに。おい、こうしちゃおれねェ。騒ぎを止めに行くぞ!」
「いや、ゾロ…お前、止めるって言ったって相手は戦車なんだろ!?」
「昔は何度も斬って来た」
「今は丸腰じゃねェか!」

 尤もな指摘を受けたが、だからといってここに留まることなどできない。火の手が上がっている方角は、サンジが働いている魚屋の近くだ。

『サンジ…っ!』

 サンジはどうしているだろうか?もう戻って、ゾロの帰りを小屋で大人しく待っているだろうか?

『いいや。そんな真似ができる奴じゃねェ。帰っていたとしても騒ぎに気付いたらすぐ助けに向かうだろう』

 分かっているからこそ愛おしく、かけがえのない存在なのだと再認識する。
 険しい崖を跳躍するようにして駆け下って行けば、強くなってきた雪がゾロの頬を叩いた。

『無事でいろ、サンジ!』

 サンジを傷つけるものは赦さない。
 ゾロの中で、眠っていた獣が再び目覚めようとしていた。


***


『う…』

 小さく呻いて目をしばたいたことで、サンジは自分がさっきまで気を失っていたのだと理解した。

 痛い。
 後ろ頭がズキズキと痛むし、身じろげば手足も痛かった。

『え?』

 何故か白い長衣のようなものを着せられたサンジは、Xの形に組まれた木材に鎖で縛り付けられている。そして少し離れた場所では、巨大な戦車の砲がサンジに照準を合わせている。当たれば体が粉々になるだろう。

 辺りには人々の怒号と叫びが周囲に渦巻いていた。これで今まで良く目覚めなかったものだ。余程酷く頭を殴られたのだろう。
 ダダンや商店街で知り合った人たち、銭湯のおじさん達が声を限りに《止めろ!》《止めてくれ!》と叫ぶが、サンジを拘束した連中は意に介さない。そいつらの仲間たちは嘲るように《殺せ!殺せ!》と叫んでいて、叩きつけられる悪意に心が震えた。

「止めな!その子が何をしたって言うんだい!グランドジパング中探したってこんないい子はいやしないよ!」

 自らも負傷しながら、何人もの兵士を押し退けようとしてダダンが叫ぶが、敵の首領は冷酷に突っぱねる。

「煩い!ノースのガキを庇いだてするようなら、貴様らも撃つぞ!」

 言うが早いかダダンの足元に散弾銃が撃ち込まれ、跳弾が頬や腕を掠めた。飛び散った紅い血が、勢いを増した雪の粒と混じって鮮やかなコントラストを為す。

 《憂国武士団》と名乗る連中は占領軍、ことに、ノースを目の敵にしているテロリスト集団であるらしい。

 サンジは総菜屋から連行されそうになった時に、こいつらの仲間を十人ばかり蹴り倒してやったのだけど、ダダンを人質に取られて抵抗を止めたら、銃底でしこたま頭を殴られて気絶してしまった。傷口は結構酷いのか、まだ流れ続ける血がサンジの頬と白い長衣濡らす。着せられた服には何か宗教的な意味合いもあるのだろうか。生け贄とか、そういう意味なのだろうかと推測した。そういえば真っ白なこの服は着物というものに似ているが、襟合わせが普通と逆だ。

「我々はこれより、卑怯な手口で港を奪ったノースに対して、報復を行う!」

 悦に入ったように朗々と、指揮官が雄たけびを上げる。
 その内容はまこと、サンジにとっては迷惑極まりないものだった。

「この少年を皮切りに、グランドジパングに寄生するノース人を殺せるだけ殺してやる!」

 サンジを人質にして何か要求する気かと思ったが、そうではなく、象徴的な形で殺す気らしい。火事に慌てて屋敷から飛び出してきた身なりのよいノース人に《お前も逆らうとこうなるぞ》と見せつける気か。

 よく見ると群衆の中には大勢のノース人が縄で縛られ、絶望的な顔をしてサンジの姿を見上げている。屋敷に住んでいた身なりの良い人々が叩きだされ、雪と泥が混じったもので汚されていた。金持ちでもこういう格好にされると、貧乏人と同じくらいか、もっと酷いくらい途方にくれた顔をするものだ。と、妙に冷静な頭で思う。
 不思議とサンジの心に絶望はなかった。

「ノース人に生まれたことを恨みながら死にな!」

 敵の指揮官が叫ぶが、サンジは《冗談じゃない》と思った。

「サンジ、ノースすき」

 一年の殆どを雪に閉ざされた過酷な環境も含めて、サンジはノースを愛している。

「そんな口をきいていられるのも今の内だ!ほら見ろ、巨大な戦車砲が貴様を狙っているぞ!」

 照準をこちらに合わせたまま、キャラビラを鳴らして戦車が接近してくるが、サンジは負けなかった。

「サンジ、ノース、グランドジパング、すき。ゾロ、しょてんがい、おキャクさん、みなすき。うらむ、きらう、ないっ!すき、すき、だいすきっ!」

 ノースを愛する心と同時に、グランドジパングに対して覚えた愛情も忘れはしない。
 だって、ここはあのゾロを育んだ国なのだ。
 《サンジ…っ》と、声を詰まらせた知人たちが口元を押さえて涙ぐむ。

「ええい。貴様、命乞いをしろォーっ!」

 サンジ目掛けて戦車の砲台が本格的に照準を合わせる。思うような台詞を吐かないサンジはもはや、死体でしか彼らの役にはたたないと判じたのか。

「サンジーっ!」

 ダダン達の絶望的な叫びが轟くが、サンジの心には諦めの気持ちはない。

「だいじょぶ。ゾロ、いる」

 確信を込めてサンジが断言するのと、砲台が火を吹くのとは同時だった。
 そして瞬きより速い僅かな時間差で飛び込んできた影が…。

 砲弾を、次いで、巨大な戦車ごとぶった斬った。その鋭利な断面は、まるで磨いた氷の如く滑らかだった。

 ドォン!

 慌てて乗組員が逃げ出した後、腹に響く爆発音をあげて戦車は大破し、人々は呆然とその男を眺めた。

 両手のみならず、口に一刀をくわえたこの男を、街の連中は知っていた筈だった。

 だが、誰もが戦後をながれゆく時間の中で忘れ去っていたのだ。
 彼がかつて戦場でなんと呼ばれていたかを…!

「戦車狩りの…ゾロ!」
「パンツァーファウスト…っ!」
「斬るんだ…本当に、刀で…!!」

 おおおおぉーっ!

 圧倒的な《武力》に気圧されたように武士団の指揮官はへたり込み、彼の部下達は伝説の戦士を目の当たりにした興奮に、我を忘れて熱狂していた。

「戦車狩りのゾロ!」
「勇猛果敢たる三刀流、ロロノア・ゾロ!」

 熱狂的な歓声には興味なさそうに、ゾロは戦車を斬ると同時に磔台から救いだしていたサンジの傷を確かめる。
 
「あァ~この大歓声にもクールな態度!」
「そこにシビれる、あこがれるゥ!」

 もともと、確固たるイデオロギーで結び付いていたというより、陶酔とかノリといったもので武士団にいた連中は、強いカリスマ性を持つゾロへと羽虫のように寄っていく。
 サンジからすれば、しっしっと追い払いたいところだ。

 この様子に指揮官は顔色を変えて怒声をあげた。

「馬鹿者どもめ!今まさに見ただろうが!こいつは噂通りの裏切り者だ!ノース人に肩入れして、我らの虎の子である戦車を斬ったんだぞ!」

 ゾロはギロリと指揮官を睨み付けると、嫌悪に満ちた声で呟く。
 決して指揮官のように声を荒げているわけではないのに、彼が口を開くと周囲がシンと静まり返るせいか、渋みのある音が重々しく響いた。

「裏切り者はてめェの方だろう」
「な…っ!」
「考えてもみろ。敗戦国であるグランドジパングのテロ集団に、何だってこんな仰々しい武器が提供される?どう考えたって内戦を起こさせて更なる蜜を吸おうってェ武器商人の画策か、占領軍のどこかが領土拡大を狙ってるに決まってんだろ。ヒョイヒョイ乗っかりやがって、馬鹿かてめェ」
「ち、違う!これは我らの崇高な意思に同意してくれた人物の好意で…」
「そいつァ、グランドジパング人じゃねーだろ」

 指揮官の一瞬の沈黙が勝負を決めた。指揮官は自分の部下に取り押さえられ、怒号を浴びながら追及された。また、その部下達もまた集まった憲兵に捕縛された。
 ゾロが口にしたのは全くのハッタリだったそうだが、実際に戦争の完全終結を望まない武器商人の策略であったことがその後の調べで判明したという。

「サンジ、酷ェ傷だ。クソ、あいつら…膾斬りにしてやりてェ」
「んーん。へいき。ゾロ、ね、火ィけそ?」

 大砲を受けて引火した屋敷の一角が燃えているのが、騒ぎに紛れて放置されている。火の勢い自体は弱いが、油か何かに引火したら危ないと思って言ったのだが、ゾロは益々愛おしそうに…そして、どこか辛そうな顔をしてサンジの頭を撫でた。《ざりっ》と砂のような抵抗感があるのは、固まりかけた血が髪を撫でられたことで崩れた為だろう。

「俺が消す。お前は医者に診て貰え。チョッパー先生が良い。若いが腕がいいし、ツケがきく」
「ん」

 大人しく頷くと、額に軽くキスをしてくれる。
 それが嬉しくてにっこり笑うと、急にドッと疲れが襲ってきたせいか、サンジはゾロの腕の中に頽れた。


*  *  * 


 サンジの頭は精密検査の結果、頭蓋内血腫などはできておらず、ゾロはホッと胸を撫でおろした。
 それでも意識を失ったのだからと大事をとらせ、その間はトイレに行くのも我慢するほどの勢いでぴったりと寄り添っていたら、数日して退院する頃には色々とゾロを取りまく状況が変わっていた。

「はァ?ノース名誉市民?」
「ええ。我々にとって命の恩人であるあなたと、危うく犠牲になるところでありながら、ノースとグランドジパングへの愛を謳って二国間の心を繋いだサンジ君を是非表彰したいのです」

 突然あばら家に現れた身なりの良い紳士はノース大使で、気が利くというか利き過ぎるというか、吃驚するくらい色々な手回しを既にしていた。

 あの夜、サンジを探して何故か博物館に飛び込み、そこで見つけたかつての愛刀を使ってゾロが状況を打破したことにも慮り、一体どういう手口を使ったのか分からないが、ゾロが今後三刀を腰に提げて生活できるという証明タグを発行してくれた。
 
 促されるまま立派な車に乗せられて運ばれた先は修繕の住んだ大きなお屋敷で、なんとここでこれから好きに暮らして良いと、土地と屋敷の権利書をくれた。これは大使の個人的な別荘で、必要ならメイドと執事も置いていくと言ってくれたが、これはサンジが断った。ゾロのことは全部自分でやりたいのだそうだ。

「はァ~…なんとまあ、おかしなことになったもんだぜ」
「ゾロ、すごい。おかねもちなた」
「や。別に俺が凄いわけじゃねェ。寧ろお前が運を呼んで来たんだろうよ」
「うん?」
「そうだ。お前は俺に運を呼ぶ福の神だ」
「ふくのカミー」

 何か褒められているのは分かるのか、サンジはニコニコして飛び跳ねる。金色の頭にはまだ痛々しく包帯が巻かれているから、チョンと天辺を押さえてはしゃぎすぎるのを止めた。

「…一番凄ェ福は、お前が傍にいてくれることだ」
「うひょー」

 へにゃ、と相好を崩して照れまくるサンジを、ゾロは太い腕で抱き締めた。
 持ち上げている訳でもなんでもない。本当に、心からの想いなのだ。

「両手に溢れるほどに福を与えておいて、お前が消えるなんてことがあったら…俺は狂う。貰った全てのものを灰燼に帰して、《こんなものはいらねェから、サンジを戻せ!》と叫ぶだろう」
「カイジン?」

 わざとサンジには聞き取れないくらい早口で、恥ずかしい台詞を口にしたゾロは、最後に一言だけゆっくりと、噛んで含めるように聞かせてやった。

「お前がいれば、他はなんにもいらねェってこった」
「へっへー。サンジもー」

 二人して意見が合ったところで、唇もぴったりと合わされた。

 こうして二人はいついつまでも幸せに暮らしましたとさ。
 どっとはらい。


おしまい


あとがき


 なんか最初の方はモノクロ調に渋く始まった(当社比)このシリーズですが、途中からなにやらわらしべ長者展開になってしまいました。
 うちの話こんなんばっかりや。

 「たまにはカッコいいゾロも書いてみよう」と思ったのですが、カッコよくなっていたでしょうか?見えない方は頑張って脳内補完してください。そうすれば見えてくるはずです。「ウリィィーーーっ!!」とキレキレポーズをとるロロノア・ゾロが…っ!

 ゴメン、開いちゃいけないドアだった。

 ちなみにこのシリーズ、「パンツ」と略されると中学校の頃に旧姓「竹下」を先生から「タケシ」と呼ばれていたことを思い出す。切るとこそこじゃねェよ。
 いつもⅭ翼の日向君に「タケシぃっ!」と呼ばれてる感じがしたわ。(あれ?良い思い出な気がしてきた)