お嫁においでよ−3
午前中一杯、たっぷりと泳いだ二人はプール園内で昼食を採った。
当然、塩分の多そうなジャンクフードなわけだが、どうしてだかこういう場所とタイミングで食べる食事というのはとても美味しく感じる。
具の少ない焼きそばも、ちょっと生地が厚ぼったいフランクフルトも、熱々だというだけで物凄く美味しい。
「はふ…あふ…っ」
「ちょっと頂戴」
「…っ!」
有利が熱々のフランクフルトと垂れそうなほど掛けて貰ったケチャップに苦戦していたら、息が掛かるほどの至近距離からコンラートが齧り付いてきた。滴りかかっていた部分を上手に食べてくれるさり気なさに、またしても感心してしまう。
子どもみたいに無邪気にみせて、実は有利が困らないようにサポートしてくれるのだ。
『すっごい気が利くし、優しいよな〜…』
すっかり感心しきって見詰めていると、ぺろりと口元についたケチャップを舐めて小首を傾げている。
「囓り過ぎちゃったかな?」
「う…ううんっ!もっと食べて…っ!」
慌てて押しつけると、嬉しそうに頬張ってくれた。
ちょっとした仕草に大人の男の可愛さが滲んでいて、ついつい見惚れてしまう。
「美味しい。じゃあ、俺の焼きそばも食べて?」
「うん…っ!」
その後もポテトだなんだと色んなものを摘んだ後、有利はしみじみとした様子で呟いた。
「俺…コンラッドみたいになりたいなぁ…」
「大きくなりたい?」
「や、そこまで立派な体格になろうなんて野望を抱いてる訳じゃないんだけど…。コンラッドってすっごい気が利くし、やさしいもん。俺がコンラッドくらいの年になった時に、そうなれるのかな?って思うと自信ないな〜…」
「何言ってるんだよ。ユーリは今でも十分優しいし、気が利いてるよ」
「んなことないよ…。間が悪いってよく言われるもん。おっちょこちょいだし、思いこみ激しいし…」
「そう?でも俺はそういうところも引っくるめて、ユーリは可愛い子だと思うな」
特に意味を含ませた言葉ではないはずなのだが…つい頬が紅くなってしまう。
「ユーリは赤面症?」
「ち…違うよっ!コンラッドの言葉が時々凄いんだもんっ!」
「そうかな?本心からの言葉なんだけど…」
「う…ぅぅう〜…そういうところが凄いんだってば…」
転がされていると分かっていて、どうしても思い通り(?)に頬を染め上げられてしまう。
もしかすると天然なのかも知れないが、だとすれば余計にたちが悪い魔性の男だ。
* * *
休憩してから暫く泳いだところで日が陰ってきた。
8月とはいえ、日差しがなくなるとやはり肌寒い。特に、午前中一杯泳いでいた二人は少し凍えてしまった。
「もう出ようか?」
「うーん…」
「まだ泳ぎたい?」
「う…ううんっ!大丈夫。いっぱい泳いだし…」
それでも語調が淀むのは、このまま帰りたくないからだ。
けれど…有利の財布は既に心許なくなっている。
プールの中は予想以上に食べ物が高くて、途中からコンラッドに奢って貰ったくらいだから、もうどこかに誘うのは難しいのだ。
『コンラッドはミスドとかマックとかで粘るの嫌だよなぁ…?』
コンラッドは派手ではないが、よく見ると随所に趣味の良い高価な品を身につけている。
《母や兄弟に押しつけられるんだよ》と苦笑していたが、それは生活圏に自然な形でそういうものがある証でもあるだろう。
『でも…まだ帰りたくない…』
うつうつとそんなことを考えながら着替えに向かった有利だったが、個室のブースに入ったところで真っ青になってしまった。
『ぱ…パンツがない…っ!』
そうだ…。出かける時、うきうきしながら水着を着たのだが、その時に替えの下着を入れておくのを忘れた気がする…。
『う…うん、でもまぁ…ミニスカートはいてる女の子でなくて良かったね!』
今日は少し丈の長いパーカーも穿いているから、きっと気付かれないだろう。
素肌に直接ハーフパンツを穿くと、荷物をできるだけ前抱えで持って移動することにした。
「ユーリ、良かったらこれからドライブでも行かないかい?」
「え…?」
プールを出たところでコンラートに誘われて、一瞬返事が遅れてしまった。
嬉しくてしょうがない申し出なのだが…小学生並みに恥ずかしい状況に陥っている事が少々返事を遅らせた。
「この後、何か用事でもある?」
「い…いえ!全然っ!ど、ドライブ行きたいですっ!」
パンツを穿いてないくらいのこと、気付かれてもちょっと恥ずかしいくらいなものだろう。それより、この機会を逃す方が嫌だった。
有利はこくこくと勢いよく頷くと、コンラートの車に乗り込んだのだった。
* * *
『少し様子がおかしいな…』
定番の海岸線ドライブに向かったコンラートは、何故かもじもじしている有利の姿に気付いていた。
プールに行くまでは荷物を後部座席に置いていたのに、今は邪魔だろうからと勧めても、《持っていたい》と主張するのだ。水を含んで重いはずなのに…。
どうしてだろうと考えていたのだが、海岸に降りて風を受けた時に察しがついた。
『下着を…つけてない?』
羽織っていたパーカーが強い潮風に煽られ、柔らかい生地のハーフパンツが身体の線を露わにすると、形良く小振りな双丘がくっきりと浮き上がっていた。
どうやら準備よく水着を着てきたはいいが、着替えを持ってくるのを忘れたらしい。
道理で恥ずかしがっていたわけだ…。
『ちいさいお尻…。腰も細いな』
腕も脚も全体的に細いが、弱々しさは無くしなやかな印象だ。
コンラートが腕を回せば瑞々しいあの身体がどんな風に撓(しな)るのか、以前振り袖姿の時に体感している。
突風に煽られてよろめく身体を無意識のうちに抱き寄せれば、弾かれたように腰が引けるけれど…思わず逃がさないように手を回したら、下着を身につけていない双丘を握ってしまった。
「……っ!」
大きな掌が素肌に近い敏感な尻に触れると、有利はびくりと震えた。
「…下着、持ってくるの忘れちゃった?」
真っ赤になってコク…っと頷く姿が可愛くてしょうがない。
顔を上げられないのか、耳まで真っ赤にして俯いている。
「そこにコンビニがあるから、買ってあげるよ」
「じ…自分で買うから良いよっ!」
「まあまあ、プール代を奢って貰ったんだからお返しだよ」
「でも…」
「ね、一緒に行こう?」
手を引いてコンビニにはいると、下着と一緒に飲み物やお菓子も少し買って車中に戻った。
「後部座席で着替えると良いよ。しゃがんでいたら、外からはあまり見えないはずだから…」
「うん…」
羞恥にしょぼくれた様子で後部座席にはいると、有利は包装を解いてパンツを取り出し、もぞもぞとハーフパンツを脱いで着始めた。
《外からは見えないよ》と言ったものの、何となく気になって車外で待っていたら…海岸公園に設置された真新しい街灯柱に車中の様子が少し映り込んでいた。
白い下肢に…下着を通す有利の姿に、どきん…っと鼓動が跳ねる。
『…何を考えている!』
今日はおかしい…。
プールで水着に着替えた有利を見た時と良い、どうも真っ当ではない反応ばかり示しているようだ。
『これでは、ユーリが怯えていたスケベ親爺そのものじゃないか…』
勿論怪しい薬を使ったりマカオに売り飛ばしたりはしないが(そんな勿体ないこと…)、《エッチなこと》はしでかしてしまいそうで、激しく動揺してしまう。
『したいのか…?オイ…!』
自分で自分にセルフ突っ込みをしながらコンラートは顔を撫でた。
実に変な顔をしているような気がしたのだ。
『幾ら可愛くても相手は男の子だぞ!?』
股間にはコンラートと同じものがついていて、胸だって真っ平らじゃないか。
『真っ平ら…でもなかったか?』
淡く隆起した胸筋の上にちょこんとピンク色の桜粒がついていて…。
『だから…何を考えているのかと…っ!』
ぱぁん…っ!といい音を立てて両頬を叩いたら、丁度有利が車から出てきた。
「どうかしたの?」
「いやいや…何でもないよ」
かなり《何でもあった》わけだが、それは口が裂けても言えない。
「……ごめんなさい。俺、コンラッドの前でみっともないことばっかりしてるよね…」
「何言ってるんだい。俺は楽しいよ?」
「俺が間抜けだから?」
「違うよ」
何と説明して良いのか、珍しくすぐには言葉に出来なくて…コンラートはしょんぼりと俯いている有利の頬に手を添えた。
本当に、決して《みっともない》なんて思ったりはしていないのだ。
やることなすこと全てが可愛らしく思えて…自分が見ていない学校生活でもそうなのかと思ったら、なにやらとても勿体ないことをしているような気になってしまうくらいなのだ。
「ユーリを見ているのが…とても楽しいし、嬉しいんだ…。同い年で、同じ学校に行けたら、もっと色んなユーリを見られるんだろうな…と思ったら、君の同級生に嫉妬してしまうくらいに…」
「お…俺の方こそ、コンラッドと同じくらいの年だったらいいなって…あんたの下で、一生懸命働いて、同じ仕事できたらどんなに良いかなって…」
「そっちは、ユーリが大きくなって俺と同じ会社に入れれば大丈夫だね」
「でも、俺…あんまり頭良くないんだよ。コンラッドの会社って凄くレベル高いところだろ?」
「うーん…まあ、程ほどにね?」
確かに、有利のぽんやりしたところを可愛いと思うけれど、同じように仕事をこなせるかというと…あまりにも未知数だ。
万一入社できたとしても、会社の規模が大きいから同じ部署に配属される可能性も低い。
「君と…近いところにいられたらいいのにな…」
「うん……俺も、そうしたい…。なんでかな?あんたといるの、俺も凄く楽しいんだよ」
気がつくと、日差しは随分と傾いて夕暮れ時の陽光が水面(みなも)と人々を蜜柑色に染め上げていく。
別れの時が近いのだ。
コンラートは忙しい仕事をしているから、週末に時間を作るのも結構大変だし、そもそも辞令によってはドイツ本国にいつ移動になるかも分からない。
『ああ…国までが違ってしまったら、今以上に会い難くなるんだ』
苦しい。
そんなことを考えるだけで、酷く胸が締め付けられてしまう。
この子と一緒にいたい。
迫り上がるような欲求の高波を受けて、コンラートはぽろりと本心を零してしまった。
「ユーリが、俺のお嫁さんになってくれたら一緒にいられるのに…」
「……へっ!?」
素っ頓狂な声を受けて一気に我に返ると…コンラートは背筋に冷水を浴びたような心地になった。
『ドン引き…っ!?』
まあ、普通引くだろう。
男同士でありながら見合いをしてしまったわけだが、それはあくまで母親達の陰謀によるものだとお互いに理解している。だからこそ、下心などないと信じて有利はコンラートの車に乗ったり、プールに誘ったりしてくれたのだ。
下着をつけていない尻を触っても、過度に嫌がったり叫んだりもしなかったのだ。
それが…《お嫁さんに来て欲しい》なんて巫山戯たことを考えていると知られたら…。
血の気がザーっと勢いよく引いていく。
目の前がホワイトアウトしそうだ…。
「お…お嫁さんって…コンラッド……」
「い、いや…俺は別に、ユーリにエッチなことをしたいとか、そんなことを考えているわけでは…っ!」
『墓穴ーーーっっ!!』
フォローするつもりで、墓穴に手榴弾を投げ込むような衝撃波になっているではないか。
「俺はただ…!ユーリがいつも傍にいてくれたらとても嬉しいと思うから…君と、ずっと一緒にいたくて…それで……っ!」
こんなに無様な告白をしたのは初めてだ。
こんなに、本心を剥き出しにしたのも…。
有利はやっぱり頬を染めて立ち竦んでいたけれど…想像していたみたいにコンラートを罵倒して立ち去るようなことはしなかった。
ただ、じぃ…っとつぶらな瞳を見開いて、コンラートの想いを見極めるように見詰めているのだった。
「ユーリ…軽蔑した?」
「ううん…俺、吃驚した」
「そうだろうね…俺も吃驚だよ……」
よもや、こんな部分が自分のなかに潜んでいようとは、この年までついぞ知らなかった…。
半笑いを浮かべてコンラートが自嘲していると、有利はもにもにと唇を噛んで…震える指を伸ばして、ちょこんとコンラートのシャツを握った。
「お、俺を…もらってくれますか?」
それは、消え入りそうな声だった。
耳を澄ませていなければとても聞こえないくらいの音量だった。
「ふつつか者なんだけど…嫁さんらしいことは何にもしてあげられないと思うんだけど…俺も、あんたと一緒にいたい…」
「ユーリ」
「お願い…俺を、嫁さんにして?」
拒否などするはずがない。
コンラートは有利の身体をかき抱くと、滑り込ませるようにして車内に引きずり込み、押し倒すようにして強く強く抱きしめた…。
「幸せにするから…お嫁さんになって…」
「うん…うん……」
腕の中でちいさく震えている身体が愛おしくて…コンラートは互いの頬をすり寄せて愛情を示した。それは、驚くくらい稚拙で…その分、純粋な愛情表現だった。
「大好きだよ、コンラッド…」
囁かれる言葉が、こんなに喜びをくれるものだなんて初めて知った。
《好き》…今までたくさんの女性に囁かれ、自分でも口にしてきたのに…。
「好きだよ…大好きだ」
「コンラッド…」
ぎゅうぎゅうと残暑に負けない熱烈さで抱き締め合う二人は、不器用ながら大切な約束を力一杯交わしたのであった。
まだお互いに、相手に対してどういう欲望を持っているとか、どこまで応えていけばいいのかなんてさっぱり分かっていないのだけど、今はこれで十分だった。
「キス…して良い?」
「うん……」
合わせる唇が、触れるだけでとても気持ちが良いのだと分かっただけで、とてつもなく二人は幸せなのだから。
おしまい
あとがき
バカップル誕生話は何度書いてもニヤニヤ笑いが浮かんで楽しいです。
「別に一緒にいたいだけなら結婚までせんでも、同居とかすればいいだけでは?」という突っ込みもアリかと思いますが、舞い上がっているバカップルに付ける薬はないんです。
その内、有利の方がお嫁さんになると夜に色々エロエロしなくてはならないことに気付きそうですが、多分その頃には手遅れです。
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