おやゆび陛下番外編−7
〜ちっちゃな陛下のすてきな日常〜
※おやゆび陛下が本当におやゆびサイズだった頃のお話。



「おやゆび陛下と雪の子」






 眞魔国にぴゅうぴゅうと冷たい風が吹く季節になると、石造りの血盟城は廊下や使われていない部屋がそりゃあ冷たくなります。しぃんと底冷えしますから、ちっちゃな魔王陛下がお風邪などひかれないように、臣下や侍女達はとても気を使いました。
 お部屋にはみっしりと毛織物を敷き詰め、ソファにもたっぷりと毛皮や縫いぐるみを乗っけています。

 けれど、子どもは風の子元気な子。
 陛下ご自身は周囲の心配をよそに、毛皮のマントも手袋もつけずに走り回っております。

「コンラッドーっ!すごーいっ!見てみて、白いふわふわしたのが落ちてくるっ!」

 ちっちゃなお手々を精一杯天に伸ばして、陛下はきゃふきゃふと大喜びしています。いつもお部屋を移動するときには防犯の意味も兼ねて、世界一安全なシェルターであるウェラー卿コンラートの胸ポケットに収まっているのですが、今日は銀灰色の空からちらちらと降ってくる雪に吃驚して、飛び出してしまったのです。
 勿論、ウェラー卿はぴったりと背後につけていますから、急に無頼漢が襲ってきたって速攻叩きのめすことが出来ますけどね。

「初雪ですね。王都にも冬が来ましたねぇ…」
「はつゆき?」
「このふわふわしたものが雪ですよ。空で氷が結晶になったものが、こうして降ってくるんです。その年初めて降った雪を初雪と呼ぶんですが、特に最初の一欠片を掴むと何か幸せが訪れると言いますね」
「あぁああ〜…最初のはもう、地面に落ちちゃったね。どれが最初のか分かんないや」

 陛下はそういって残念そうな顔をすると、葉っぱに乗った一欠片の雪を手に取りました。すると…何と言うことでしょう!雪はふんわりとした光を放ったかと思うと、ちょうどおやゆび陛下と同じくらいの背丈をした小人になったのです。どこか大雑把な造作ながら、ほのぼのとした姿はおやゆび陛下にも似ております。

 きっと葉っぱについていたのが、本当に最初に降った一欠片だったのでしょう。
 やはり陛下は何かを持っている男です。

 雪の要素の接待営業という見方をする者もいるかも知れませんが、人生には穿った見方をしない方が良い時もあるのです。

 ことに、純真な心を持つ陛下の前にでたならば、誰だって人は清い心で歓喜するのですよ。《なんて素敵な奇跡だろう!》ってね。

「わぁ!」

 にぱっ!と雪の小人は笑うと、陛下の手を取ってくるくると踊ります。吃驚した陛下が脚をもたつかせるものですから、最初の内それは組み手をしているみたいでしたけれど、そのうち調子が合ってきて、ウェラー卿の唄と手拍子に合わせた楽しい踊りになりました。

 ランララン
 ランララン
 タラララララン♪

 雪の子ふわふわ
 空を飛ぶ

 あちらの屋根からこちらの屋根へ
 タラララ踊って雪化粧
 ルラララ舞って雪景色
 
 ランララン
 ランララン
 タラララララン♪

 おやゆび陛下は頬を上気させて、単純ながら速いスピードで踊ります。
 最後に陛下の腕をぽぅんと叩いて雪の子が飛び上がると、辺りにパァっと雪の結晶が煌めきました。

「きれーいっ!」
「素敵ですねぇ」

 きらきらとさんざめく光の饗宴に、陛下はすっかり見とれています。
 雪の子はまだ遊びたいみたいにこちらを見ておりましたから、陛下はすっかり遊びたくなって駆け出しました。

「コンラッド、もう少し遊んでも良い?」
「俺としては遊ばせて差し上げたいのですが…」

 カッカッカ…

 石畳みに靴音を響かせてやってきたのは、実質的に眞魔国を治めていると言っても過言ではない、宰相のフォンヴォルテール卿グウェンダルです。おそらく窓の外に初雪を認めると、《コンラートめ、陛下がはしゃいでいるのを止められずに、一緒になって遊んでいるな?》と察したのでしょう。
 我が兄ながら良い読みです。

「おい、コンラート。何をして…」
「あぁあ〜…グウェン、もうちょっとだけ遊んでも良い?」

 上目遣いに《きゅうん》を見上げてくる陛下は何時でも何処でもかなりスパークする愛らしさの持ち主ですが、この時は更にシャイニングな感じでした。なにせ同じくらいの背丈の雪の子といるのです。

「…っ!!」

 フォンヴォルテール卿は凄い速度で目を逸らしました。きっと、その映像を直視しながらでは誘惑に負けると思ったのでしょう。
 我が兄ながら(以下略)。

「………陛下、午前中もコンラートとボール遊びをしておられたので、政務が滞っております」
「ごめーん。あとね…あとね……3分っ!ね、3分だけっ!!」

 ちらりと陛下の方を見てしまったのが間違いでした。フォンヴォルテール卿は《3本》の指を出そうとした陛下が、慌てていたせいか薬指が伸びきらずに《2.5本》くらいになっている様子を目にすると、テレンと目尻を下げて口元を覆いました。キーゼルバッハ部位が特段に脆弱なフォンクライスト卿と違い、兄の鼻粘膜が丈夫で良かったな…と、ウェラー卿は思いました。

 密かに尊敬しているお兄さんが、顔面を血塗れにして悶絶している姿はあまり見たくないでしょう?お兄さんだって見せたくないに決まっています。何だか逃げるように執務室へと向かってしまいましたしね。

 そんなわけで、遊ぼうと思えば3分よりもっと遊べそうでしたけれど、約束は護るタチの陛下は律儀に《コンラッド、3分計って》と頼みました。

 きゃふきゃふときっちり3分遊んだ陛下は、名残惜しそうに雪の子へとバイバイをして執務室に向かおうとしました。
 けれどその時とても強い風が吹き付けてきて、軽い雪の子の身体を攫っていってしまったのです。

 そして雪の子の小さな身体は、中庭の大きな噴水に飛び込んでしまったのです。そこは飛沫が冷たいので冬の間は噴出を止めておりますが、防火池としての役割から水だけは湛えられているのです。

「あ…」
「あぁああ……っ!!」

 ちいさな氷の欠片を水の中に落とした時、どんなことになるかは陛下だって知っています。
 溶けちゃうのです。

 雪の子もまた、とけてしまったのでしょうか?

「わぁああああああ……っ!!」

 がたがた震えて陛下は駆け出しました。雪の子がどうなったのか確かめようと、ちっちゃな身体で走る陛下を、後からふわりとウェラー卿が包み込みました。

「たすけなきゃっ!早く…早く……っ!」
「陛下…俺が助けます。だから…ポケットの中にいて下さい」

 いつものように《陛下じゃないもん》と拗ねる余裕もない陛下に、ウェラー卿も涙ぐみました。ぼろぼろと大粒の涙を流して、鼻水まで垂らす陛下が可哀想でならないのです。ほんのひととき遊んだだけでしたが、陛下にとっては大切なお友達だったのでしょう。

『あの子はきっと、助からない』

 雪の一欠片が水の中に飛び込んで、無事でいられるはずはありません。ただ水だけが湛えられた光景を陛下に見せたくなくて、ウェラー卿は半ば無理矢理ちっちゃな身体をポケットに押し込むと、噴水に向かいました。

 制服の生地が、一部分だけとても熱いです。
 いつもならぬくとい子ども体温が伝わって、幸せなほっこり感を湛えておりますのに、今は…胸を刺す涙の熱が伝わってくるのです。

『ああ…どうしてグウェンが誘った時に、執務室にお連れしなかった…っ!』

 相手は雪の子です。どのみちいつかは消えて天に還ってしまう存在です。
 どうしてこのような哀しみを陛下に与えてしまうことを想像しなかったのでしょう?
 ウェラー卿は自分の考えの至らなさに歯噛みしました。

 もぞもぞもぞ
 胸ポケットの中で陛下が暴れます。  

「出して!出してよコンラッドっ!!」
「俺が先に確認します。噴水は冷たい水が張って、危ないから…」
「だったらいっしょに見よう」
「陛…ユーリ……」

 ずぽんとポケットから黒い頭を飛び出させた陛下は、まだ洟を啜っていました。嗚咽を噛み殺しながら喋るとちいさな鼻提灯がぷくぅっと飛び出しましたが、ゴシゴシと袖で拭って、黒い生地をてかてかにしております。

「あの子は、おれのともだちだもの。ちゃんと、最期まで見おくってあげなくちゃ」
「ユーリ……」

 このちいさな身体の中に、なんて強いこころが入っているのでしょうか?
 たくさんのものに感動し、笑い喜ぶこの陛下は、ただ楽しいことだけを追い求める存在ではないのです。
 苦しいことも痛みも受け止めて、ごくんと呑み込んでちゃんと消化できる子です。

 そう…昇華するのです。

「分かりました、陛下」
「陛下じゃないもん!」

 《ぷんっ》と鼻息を荒くすると、また鼻提灯がぷくっと飛び出しますが、それはウェラー卿が優しくガーゼで拭ってあげました。

 今回呼びかけた《陛下》という呼称は、改める気はないです。
 だってこの方が、眞魔国の獅子と謳われるウェラー卿が唯一人認めた主(あるじ)なのだとしみじみ感じたのですもの。

 二人はいっしょに噴水を覗き込みました。
 すると…何が起こったと思います?
 
 くるくるくる〜ん…っ!!

 薄い氷の張った水面を、雪の子はくるりくるくると楽しそうに回転しているではありませんか。急激な寒気は何時のまにやら、噴水の水を凍らせていたのです。

「いたーっ!」

 陛下が吃驚して指さすと、雪の子はニカっと笑って飛び跳ねて、まろやかな頬にチュっとキスをしてから天に向かいました。

 《バイバイ》という風に手を振る雪の子に、陛下は満面の笑みを湛えて両手を振ります。
 
 眞魔国に冬が訪れた、最初の日のお話です。





* 母が良く「自分の子だと思えば洟を垂らしても可愛い」と言っていたのを、自分も子どもを持って知りました。ただ…コンラッドと違って薄情な私は、鼻提灯を出す娘に全力で爆笑してしまいました(汗)可愛いけど、アホそのものの顔だったんですもの。ほら、アホな子ほど可愛いって言うし。 *