おやゆび陛下番外編−6 ぱしゃぱしゃぱしゃ 眩しい陽光の中に水滴をはねかして、ちっちゃな親指陛下は水泳に興じます。フォームだってウェラー卿コンラートがつきっきりで指導してくれましたから、結構綺麗なものですよ? ただ、ちょっぴり不満なのはプールが厨房から借りてきたお鍋だってことです。しかも炒め物と煮物の両方に使える平鍋ですから、すぐに足が着いてしまうのです。 勿論コンラートは陛下用に特別なプールを作ってくれると言ってくれたのですけど、夏しか使わないのにそれは勿体ないなと思いましたから断りました。でも、陛下としては中庭の噴水で思いっ切り泳ぎたかったのです。 「コンラッド、おれはもういっぱい泳げるから、噴水をクルクル回りたいよ」 「幾ら噴出を止めても、噴水は深いから危ないですよ」 「ええ〜?大丈夫だってば!」 ぷくうと頬を膨らませて言い募りますと、コンラートは困りながらも肩を怒らせます。 「そんなに我が儘を仰るのなら、やっぱり特別予算を立てて浴場を作りましょう」 「うー…それは無駄遣いだからヤダ」 陛下は国の予算を思いやっていますし、コンラートは陛下の身体を思いやっています。決して二人とも我が儘だけで言っているわけではないのに、どうして睨み合いなんかしなくてはならないのでしょう?不条理さに、陛下の眦にはちょっと涙が浮かびます。そんな風な顔をすると、コンラートがますます困ってしまうことも知っているのに、止められないのです。 「不毛な討論を展開してるホモぅな主従はこちらですか」 身も蓋もない指摘をしながら現れたのは、無駄に偉そうなフォンカーベルニコフ卿・アニシナです。十貴族の一員とはいえ別に当主というわけでもないのに、何だかこの国の誰よりも偉そうです。眞王はともかくとして、生きている中では一番偉いはずの陛下でさえ頭が上がらないのですから、コンラートなんてどうにもなりません。 「アニシナ…。何か解決策でもあるのかい?」 「陛下にとって、何が本当のご不満であるのか理解出来れば一発です」 「おれの不満は、大きいところで泳ぎたいってことだよ」 アニシナは真紅の髪を揺らして、《何を馬鹿なことを》と言いたげに鼻を鳴らします。 「そんなことではないはずですよ?」 アニシナは自信満々に言いました。 * * * ぱしゃぱしゃぱしゃ 眩しい陽光の中に水滴をはねかして、ちっちゃな親指陛下は水泳に興じます。その横にはコンラートやグウェンダル、ヴォルフラムにギュンター、ヨザックまでいます。本来は魔王専用浴場とされている浴槽水を溜めて、みんなで泳いでいるのです。 ギュンターは、別の時空列では《血の池地獄になるから》という理由で拒否られ、さみしく執務室でお仕事をすることになるのでしょうが、激しい双黒萌えの彼もおやゆびサイズの陛下に鼻血を噴くことはありませんから、お互いにとって幸せなひとときを過ごせています。 「陛下、ご満足頂けましたか?」 「うんっ!やっぱりアニシナは凄いやっ!!」 自分でも意識していなかったことなのですが、どうやら陛下の不満は泳ぐ場所が小さいことよりも、独りぼっちでぱしゃぱしゃやっていることにあったようです。 こうして大好きな人たちと一緒に泳ぐのは、なんて楽しいことでしょう! 「楽しいね!」 「ええ、本当に」 陛下の声掛けに、コンラートも笑顔で返します。 鍋に比べれば水深がとっても深いですが、その分、すぐ傍でお守りすることが出来ます。頼もしい仲間も見守っていますしね。 「わぷっ!」 「陛下!」 急に陛下が水に沈み掛けましたので、コンラートは血相を変えました。よく見ますと、水底に沈んでいたヨザックが陛下の水着を引っ張ったのです。なんという無礼な悪戯者でしょう。 「ひどいやヨザック!」 「あー、失礼失礼」 《あはは》と笑っていたヨザックでしたが、次の瞬間…血の気が引くことになります。 「わぁっ!」 先程引っ張られたせいでしょうか?腰の紐が解けてしまったらしく、はらりと陛下の水着が水中に沈んでいきます。陛下が真っ赤になって恥ずかしがっていると、ゴゴゴゴ…という音を立てて辺りの気配が変わります。 「ヨザ…」 「グリエ…」 「グリエ・ヨザック…」 「どういう了見ですか?」 眞魔国の守護神から宰相から王佐から影の番長(?)まで総出でヨザックに殺気を放ちますので、いかな肝の太い男もすっかり青ざめてしまいました。 「アニシナ…お前の魔導装置の中には、魔力が無いとも体力で補える装置があったな?」 宰相が問いますと、番長がニヤリと鬼神のような微笑みで返します。こう言う時だけ変に気の合う幼馴染みです。 「ええ、本人が日干しになるまで物干しに励むことが出来る一品です」 それを夏の最中に使うというのか! 悲鳴を上げ掛けたヨザックを、意外なほどの膂力をみせてギュンターが運んでいきます。 ぽかんしている陛下は、ヨザックのちょっとした悪戯で酷く懲らしめたりしないように頼みました。 「ヨザックに悪気はないんだよ、きっと」 「ええ。きっとそうですね。ですが、残念ながら世の中には、悪気はなくとも悪いという事態があるのです。ですから、ちょっとだけ懲らしめておきますね」 「ちょっとだけだよ?」 「ええ、ちょっとだけです」 《ちょっと》と言いながらちっちゃく親指と人差し指を摘む形にして、小首を傾げる陛下の何と愛らしいことでしょう。それを見て、コンラートは少し怒りを収めました。 ただ、自分の怒りを収めただけで終わらせましたので、ちっともヨザックの減刑には繋がりませんでしたけどね。 でも大丈夫です。 だって、グリエちゃんは乙女だから、打たれ強いんです。 おしまい * コートの中では平気なの。でも、涙は出ちゃうの。 * |