2011年バレンタインリレー企画
〜おやゆび陛下〜
「ショコラート祭」









「しょこらーと?」

 ちっちゃな魔王陛下が復唱しますと、ちょっぴり舌足らずなせいかあどけない言い回しになってしまいます。それでもそんなには間違っていないようで、《そうですよ》とメイドさんは頷いてくれました。

 毒味役のコンラートから渡された褐色の粒は、手にすると凄く良い匂いがします。一見すると硬そうに見えたのに、触れた肌からとろとろと溶け出して、ちいさな陛下の手はあっという間に茶色く染まりました。コンラートが持った時には溶けたりしなかったのに、一体どうしたことでしょう?

 眞魔国の頂点に立つ魔王陛下は親指くらいの大きさしかありませんが、ほこほこと子どもらしい体温だからでしょうか。

「わ!溶けちゃったっ!」
「このショコラートは少し柔らかいですから、フォークを使われた方が良いかも知れませんね」

 メイドさんは暖かい濡れタオルを出すとすぐにユーリの手を拭こうとしてくれましたが、溶けた液体から《ふぁん》と良い匂いがしたのでぺろりと舐めてみました。魔王陛下としてはちょっと品がないかも知れませんが、希少なショコラートをタオルに食べさせてしまうのは勿体ないでしょう?

「…っ!おいしーいっ!!」

 ぴょこたんと飛び上がったユーリは目をまん丸に見開いて、ねっとりととろける甘みに吃驚仰天していました。その様子に、毒味役で護衛のウェラー卿コンラートや、宰相のフォンヴォルテール卿グウェンダルは、とろんと目尻を下げます。メイドさんの視線が送られると、慌てて元に戻すんですけどね。

 ショコラートは最近眞魔国と仲良しになった南方の国から送られてきた《オカカ豆》を、眞魔国の職人さんが加工してこんな形にしてくれたものです。お花や幾何学模様、あるいは動物の形に固めたものは一粒で結構なお値段がするのですけど、既に城下町では大評判になっているのだそうです。

「こんなに美味しいんじゃあ、そりゃあ人気になるよね!」
「実は、ショコラートの魅力は味だけではないのですよ?」

 若いメイドさんは、何かわくわくするような秘密でも語るみたいに声を弾ませますから、聞いているユーリの瞳もきらきらと輝きます。

「他にも何かあるの?」
「大好きな人と一緒に食べると、恋が叶うと言われているのです」
「へー!」

 とても魅惑的な匂いがしますし、胃袋の中がぽかぽかと暖かくなるような感覚がありますから、好きな人と一緒だと余計にドキドキして、良い雰囲気になるのかも知れませんね。

「特に、今月の14日には南方のヴァン・アレン帯と呼ばれる地方でショコラート祭が行われて、その日の内に好きな人の口にショコラートを入れると恋人同士になれるとあって、それはそれは盛り上がるのだそうです。シンニチのコラムでその習慣が紹介されてからというもの、街のショコラートはいつも品切れ状態だと聞いておりますわ」
「えー?じゃあ、手に入れたくても入れられない人がいるの?」
「そうでしょうね」
「こんなに美味しいんだから、みんなにも食べて貰いたいな」
「14日を過ぎれば、少し落ち着いてくるのでしょうけどね」
「そっかー」

 陛下はショコラートをじつと見つめていたかと思うと、コンラートを見上げて尋ねました。

「しょこらーとは、もっと小さくできるのかな?」
「ええ、大きさは自由に変えられるみたいです。液状に溶かしたものを型に流し込めば、すぐに固まるそうですからね」

 それを聞くと、ユーリはコンラートのポケットに入れて貰って、すぐに厨房に向かいました。そして御菓子担当の料理人にあるお願いをしたのでした。



*  *  * 




 14日がやってくると、城下町の人々はみんな吃驚しました。
 血盟城の前に幾つも屋台のようなものが出て、そこからとっても甘い香りが漂ってくるのです。

 しかも、漆黒の魔王服の上から真っ白なエプロンと三角巾をつけた魔王陛下が、お盆を持って呼びかけをしているのですから、その姿目当てにぞくぞくと民が詰めかけます。

「ショコラートを持って帰って、大好きな人と一緒に食べてね!」

 ユーリは血盟城の倉庫にあったありったけのショコラートを、なるべく薄く固めてから一口大にカットして、ちいさな巾着型の袋に入れて貰いました。短い針金入りのリボンできゅっと結んだだけの簡素な飾りですが、ふぁんと漂う良い香りにみんなにこにこ顔になります。
 それに、がっちりと大きく固めたショコラートも充実感があって美味しいですが、こうして薄くぱりぱりにしたのも、とっても歯触りが良いのです。

 ただ、それでなくとも大人気のショコラートが、可愛らしい魔王陛下自らの手で配られるとあって、人々は血盟城前に殺到しました。そうすると、当然と言えば当然なのですが…たくさん用意した小袋はすぐになくなってしまいました。

「あぁああ〜…全然足りなかった!ゴメンね?来年はもっとたくさん用意するね?」

 泣きそうな顔をしてお詫びをするユーリに、集まった人々の方が慌ててしまいます。

「まあまあ、そんなにお目々を潤ませて謝ったりしないでくださいな?」
「おお、そうだ!我々も貰ってばかりではいけないだろう?街でありったけのショコラートを買って集めて、薄く加工してはどうだろうか?」

 おおお〜っ!

 盛り上がった人々は、ユーリの為に何とかこの日を盛り上げようと街をかけずり回りました。

「みんな、ユーリ陛下の想いを無駄にしてはならない!」
「出来る限りのショコラートを、ユーリ陛下の手から民に分け与えるのだ!」

 意気に燃える人々の情熱が伝わったのでしょう。城下町ではお菓子屋さんは勿論のこと、恋人に食べさせようとショコラートを買い込んでいた一般民間人までが、《あの人にあげるのは半分にして、もう半分はまだ食べていない人にあげましょう》という気持ちになりました。

 おかげで、街の中はショコラートを溶かし直す作業で吃驚するくらい甘い香りに包まれましたし、ユーリ陛下のちいさなお手々から《どうぞ》と渡されるショコラートに、人々の心も甘く温かくぽかぽかしてきました。

 きっと、来年はもっと大きなショコラート祭になって、眞魔国中に広がっているかも知れませんね。



*  *  * 




「ふー、みんな美味しく食べてくれたかな?」
「ええ、きっとみんなにこにこ笑顔になってショコラートを食べていますとも」

 血盟城前に詰めかけていた人々も夕刻時分になると捌けてきて、ユーリはふぅ…と満足げな息を漏らしました。少し疲れましたし、ショコラートの香りに焚きしめられてしまいましたけど、それでも幸せが身体一杯に広がっています。

 でも、ふと気付いてユーリは目をぱちくりさせました。

「あ…あれ!?」
「どうしたの?ユーリ」

 がさごそと籠をひっくり返してみますが、やっぱりありません。コンラートに渡す分はちゃんと取ってあるつもりだったのですが、うっかり民にあげてしまったようです。

「おれ…あんたにもあげるつもりで、一個とってあったのに、無いよぅ…」

 ふぇ…っと泣き出してしまったユーリを、コンラートは両の掌で掬い上げて、ちゅっとキスをします。ほろほろとほっぺを零れた涙が、薄い唇の中に吸い込まれていきました。ついでに、むにりとしたほっぺも吸い込まれそうになりましたけどね。

「うん、とっても美味しい」
「涙、しょっぱいだろう?」
「いいえ、一日中民を想ってショコラートに漬かっていたユーリだもの、とっても甘くて…美味しい」

 ちゅっ、ちゅっとコンラートが降り注ぐみたいにキスしてくれますから、ユーリはすぐに軽やかな心地になって、きゃっきゃと笑い声をあげました。

「えへへぇ!じゃあ、おれもコンラッドにチューをしよっと!」

 ちゅーっとコンラートのほっぺに吸い付けば、滑らかな肌はやっぱり美味しいような気がします。本当に、蒸気の中にショコラートの成分が溶け込んでいたのかも知れませんね。

 そこに、こほんと咳払いしながらグウェンダルがやってきました。

「陛下。弟だけでなく、どうぞこちらもお召し上がり下さい」

 生真面目な彼にしては冗談めかした言い回しで、グウェンダルは湯気の立つ飲み物を差し出してくれました。それは、ショコラートとミルクの香りがして、表面にはぷくぷくと小さな泡が立っていて、とっても美味しそうです!

「わあ!」
「鍋に残っていたものにミルクを入れたものだ。寒い時期だし、来年もこの祭をするのであれば民に振る舞っても良いかも知れないな」

 確かに、この方が沢山の人に振る舞えるかも知れません。

「グウェン、ありがとうね!」
「ふ…。暖かい内にどうぞ」

 グウェンダルはきゅるきゅると輝くユーリの瞳に、顔の下半分が瓦解しそうになるのを、掌で覆うことで誤魔化しました。

 ふー、ふー

 コンラートと一緒に息を吹きかけて、ゆっくりと啜り込んだショコラートのなんと美味しかったことでしょう!お口のまわりに褐色がかったリングが出来てしまいましたけど、それもコンラートに舐めて貰って、ちょっと恥ずかしかったですけど嬉しくもありました。
 
 ユーリはたくさんの幸せに包み込まれて、素敵な一日を終えたのです。

『来年も再来年も、眞魔国のみんなと…コンラッドと、ショコラートを食べたり飲んだりしたいな!』

 こうして、眞魔国にはまた一つ素敵なお祭りが増えたんですって!
 


おしまい



あとがき



 アンケートでは思い入れの感じられるメッセージをありがとうございました!
 「コンラッドだけ入っちゃ駄目だよ〜」と秘密でチョコレートを作るのも楽しそうだったのですが、前にユーリがヨザックと一緒にコンラッドの為のお買い物をしようとして淋しい顔をさせてしまった事件があったので、ちょっとダブるかなと思って全編ほのぼの展開になりました。

 完結後のこのシリーズはすっかりサザエさんワールド状態ですが、特に《大きくならなくちゃ!》という切迫感もないまま、《一体何時の時期の話?》という突っ込みも拒否しつつ、もったりと続いて参ります。