「お伽噺を君に」
第27話









 
 光の源となっているのはやはり、渋谷有利だ。滑らかな頬に伏せた睫は長く、少しだけ大人びた表情は神秘的な光彩を湛えてその場の主軸となっている。身に帯びているのは初めて出会った時の学生服にも似ているが、どこか優美な印象を受けるのは、袖や襟元をたっぷりと取って、金糸の精緻な刺繍が施されている為らしい。

 有利の左手を握っているのは、やはりよく似た黒衣を纏う少年だった。こちらは袖や襟元に銀糸の縫い取りを施したものを着ている、双黒の大賢者こと、村田健である。

 他の三人は西欧人と思われるが、そのうちの一人には見覚えがあった。

「ま…さか……っ!」

 喜びや衝撃と共に、ヴィクサムの心境に大きな楔が打ち込まれる。有利とがっしり手を握っているその男は、以前目にした時のような甲冑姿ではなくカーキ色の軍服に身を包んでいるが、その容貌は見間違えようもない。柔らかな風に揺らぐダークブラウンの髪は、蒼い光を受けて獅子の如く靡いている。高校生くらいに見える若々しい容貌なのだが、その内部には結構オッサンくさい人格が秘められていることをヴィクサムは知っていた。

 そう…この男こそ銀細工の姿で有利の傍に侍っていた筈の、ウェラー卿コンラート。一時的に具現化した時のように向こう側が透けると言うことはなく、がっつりと存在感を持つその肉体は、有利の右手をしっかりと握っている。

 しかも、指と指を絡め合うカップル握りだ…っ!

「な…なんて羨ましいっ!」

 かなりそんな場合ではないはずなのだが、ヴィクサムは反射的にシャウトしていた。辛うじて生き残っているモニター越しに状況を確認しているだろう勝利も、複雑な叫びを上げているのが分かる。

 観客達の思惑をよそに、有利はすぅっと息を吸い込むと、可愛らしくほっぺをぷくっと膨らませ、気合いを入れる。
 すると、辺りに放たれる光が一層強くなるのだが、それは決して他を圧するようなぎらついたものではなく、柔らかくて暖かい、お日様のような光だった。

 リィン…
 リリィィン…
 リィン…っ!

 銀の鈴をふるわせるような、澄んだ音色が響き渡る。それは鍾乳石が響き合い、水紋を揺らして水の要素が謳っているような音だった。きらきらと明るい光を浴びて煌めく滴は、先ほど迄のような敵意は持たず、全てを浄化させるように響き合う。

 リィン…
 リィ…ン……

 有利が《ふぅっ!》っと息を吐き出し身を屈ませたその時、どろどろとした怨念の塊のようであった《鏡の水底》が、パァン…っと煌めく滴となって四散した。

「力で滅ぼすのではなく…昇華させたというのか!?」

 力でねじ伏せるだけでも想像を絶する魔力を必要とするはずだが、それをこのような形で無害化させてしまうなど、想像の範疇を大きく越えている。元々大きな潜在能力を持っているとは知っていたが、まさかこれほどとは…と、ヴィクサムは瞠目した

 有利達がふわりと大地に降り立つと、光は消え失せた。魔力の放出が終わったのだ。血の気の引いた有利がかくりと膝を曲げて倒れそうになると、すかさず伸ばされた腕が軽々と華奢な体躯を抱き上げる。勿論、ヴィクサムもそんな王子様然とした行動を採ろうとして突進したのだが、傍らにいる周到な男相手にスピード勝負で勝てようはずもない。

「これであなたは、眞魔国4000年の悲願を達成したのですね」

 すっかり気を失っている有利を宝物のように見つめているのは、抱き留めたウェラー卿コンラートだけではなかった。有利を溺愛している村田は勿論のこと、濃灰色の長髪を緩く纏めた威丈夫に、気の強い天使のような金髪碧眼の美少年は、それぞれに手を伸ばして有利の頬を撫でている。
 労るような優しい手つきと眼差しに、ヴィクサムは彼らが有利に対して強い愛情を抱いているのだと知る。だが、それは村田を含めてヴィクサムやコンラートのような《下(シモ)》関係に通じる愛では無さそうだ。《上》と表現するのもおかしいが、やはりそれらは清らかで純粋な、敬意や尊崇の想いから出ているようである。

「我が王よ、見事な昇華だった!」
「これぞ救国の魔王哉!」

 重々しく告げられる声は滑らかな眞魔国語で、まるで、聖堂の中で厳かな祝辞を述べるように殷々と鍾乳洞の中に木霊する。

「君たち…一体?」
「やあ、ヴィクサム・ベルドゥース。久しいね」

 唖然としているヴィクサムに向かって、コンラートは晴れやかな笑顔を送ると同時に、別にしなくても良いだろう動きを見せる。わざわざ顔の近くまで引き揚げた有利に対して、こちらに見せつけようとするように、すりすりと頬擦りしているのである。

 苛…っとしながら睨み付けてやると、《ふふん》と自慢げに微笑む。おそらくそれは、生身の身体を持たない間にヴィクサムが散々有利との一時的接触を愉しんだことに対する報復だろう。些か子供じみてはいるが、それだけに効果は高い。

「……ね、寝ているユーリに対してそのようにベタベタするのは、騎士道に悖るのではないかな?」
「ははは。親愛の情を示すのに、どうして騎士道に抵触するのか分からないな」
「ふはは。君の騎士道というのは随分と規準が甘いらしいね」
「あはは。君のエセ紳士ぶりには負けるよ」

 子供じみた啀み合いを続けていた二人のうち、ヴィクサムは不意に黙り込んだ。優れた聴覚が、ある変化を感じ取ったのだ。
 ガタ…ピシ…っと怪しげな音が響くのに、ヴィクサムは慄然として背筋を震わせる。鍾乳石が蠢く様は、先程までのように《禁忌の箱》や有利の魔力によるものとは質を異にしている。

 これは…この音は…!

 ゴシャア…っ!!

 轟音を立てて崩れた岩天井は、よりにもよって非常階段の入り口を塞いだ。地上までの恐ろしく長い道のりを繋ぐものは、もはやヴィクサムの後方に位置する小さなエレベーターだけであった。
 《禁忌の箱》自体の反応はもうないが、どうやら激しい戦闘によって一時的に大地の要素が乱れ、岩盤の構造が歪んだらしい。 

「逃げろっ!崩落するぞ…っ!!」

 駆け出したヴィクサムは、トランス状態に陥っている有利を抱えて、強引にでもエレベーターに担ぎ込むつもりであった。2、3人程度が定員の小さなエレベーターだが、強度はかなり高い。崩落が起これば止まりはするだろうが、救出されるまでの間に空気の出入りが確保出来るようなシステムも装備されている。あの中に有利と、せめて村田は入れてやらなくてはなるまい。自分も含めて他の連中のことなど知ったことではないが、有利だけは必ず護ろうと思った。

 ところが、伸ばされた腕は逆に掴まれてしまう。しかも、相手は奥深い笑顔を浮かべたウェラー卿コンラートであった。

「さ、逃げようか?」

 事も無げにそう言うコンラートは、絶対に今の状況を分かっていないに違いない。地下深くの鍾乳洞は、幾ら魔力があったとしてもそう簡単に抜け出せるような場所ではないのだ。

「このエレベーターに全員は乗れない!ユーリと猊下を乗せるんだっ!」
「エレベーターなんて、災害時に使うものではないだろう?」
「このまま潰されるつもりか!ここは地底なんだぞ!?さっき非常階段の出口は塞がれた。もうエレベーターに賭けるしかないんだ!」
「我が主を甘く見ないで欲しいな」

 こんな時に、嫌みなくらい綺麗な形でウインクしてみせるコンラートは、頭のネジが何本か吹き飛んでいるとしか思われない。おまけに、村田や見慣れない美少年、美青年もまた落ち着き払って逃げる素振りなど見せないのだ。

『緊急時の避難をしたことなど無い連中なのか!?』

 苛つくヴィクサムはしかし、次の瞬間知るのだった。
 ウェラー卿コンラートの《主》が、信奉を集めるに足る能力の持ち主であると言うことを。

 コォォオオオ……っ!!

 うっすらと瞼を開けた有利が再び魔力を集結させている。その眼差しはどこか先程までとは違っているが、小気味よくクイっと上げられた口元や挑戦的な容貌には見覚えがあった。

「これは…っ!」

 有利の魔力を効率的に引き出すべく構築された別人格、《上様》。
 《禁忌の箱》の昇華では出番が無かった彼が今、コンラートの腕の中で伸びやかに背を反らし、ビシィ…っと天上を指さして宣言した。

「皆の者、行くぞ…っ!」
「御意っ!!」

 見事に眞魔国語で声が揃う一同に対して、どうしていいのか分からず呆然としているヴィクサムの腕が、再びがっしりとコンラートに捉えられる。

「お…おいっ!」
「構えていろよ?うちの主は、別人格の時には少々荒っぽいからな」
「な…」

 にっこりとコンラートが微笑むのに対して、質問している暇など無かった。轟音をあげて崩れてきた特大の岩盤を打ち砕く蒼い光が、そのままヴィクサム達を包み込んで噴き上がっていく。輝く水のうねりに飲み込まれた彼らは、巨大な噴水よろしく地上方向に向けて急上昇していくのだ。

『ごばがぁあああああ……っ!!』

 身も世もなく動転してしまったヴィクサムを《根性無し》と称するのは気の毒というものだろう。誰だって泡立つ水に包み込まれたまま、いつ果てるとも知れぬ急上昇に巻き込まれれば大慌てしてしまって当然だ。

 数分のことであったのか、はたまた数秒間のことであったのか。窒息寸前のヴィクサムがドプァン…っ!と勢い良く岩盤を割って地上に出てきた時には、半分意識を失いかけていた。

 ふと見やれば、目前に《禁忌の箱》を監視する為に建造された建物が見える。多少揺れているようにも見えるが、何とか崩落もせずに建っていられるのは、有利…いや、上様があれでも意識的に上昇方向をコントロールしてくれたおかげだろう。直線方向で上昇していれば、この建物ごと吹き飛ばしていたはずなのである。

 指先に力を入れることも出来ずにぐったりと大地に転がるヴィクサムや村田、金髪の美少年とは違って、コンラートと上背の高い美丈夫は、大地にしっかりと脚を踏ん張っている。化け物じみた体力だ。

「ユーリ、上様。お疲れ様でした。どうかゆっくりお休み下さい」
「ん…」

 可愛らしくコンラートの腕の中でもぞもぞしている有利は、今度こそ疲れ果てて動く力もないらしい。ちいさく返事をしたのを最後に、くたりと全身から力を抜いた。《後はもう大丈夫》と信じ切って身を委ねているのは、コンラートをそれだけ信用している証拠か。
 コンラートと有利の間には、それだけの信頼の絆があるのだ。羨ましくてしょうがない反面、こんな状況下でも有利がリラックスしていられることにほっと安堵したりもする。

『まあ…実のところ、ずっと分かってはいたんだがな…』

 ヴィクサムとて年若い少年ではないのだから、幾ら激しい妄想癖があるとは言っても、有利の心が何処を向いているかなど理解していないわけではなかった。寧ろ、意地になって妄想していたのは、そうしていないと有利という存在が自分の中から失われてしまいそうだったからだ。

 ヴィクサムは力を抜いて、泥砂で汚れた大地にそのまま転がっていた。ごろんと仰向いて空を見上げれば、晴れ渡る青空が眩しい。ふぅ…っと吐き出す息は今までのように重いものではなくて、ごく自然に溢れ出てくる、生気に満ちた深呼吸の一環だった。大気に含まれた風の要素が、有利の帰還を祝福するようにキラキラと光り、肺の中でも嬉々として飛び跳ねているみたいだ。

『ユーリが還ってきた…』

 今は唯、それだけで嬉しい。
 心から思えることがまた、嬉しかった。

 そのことを噛みしめながら寝ころんでいると、建物の扉を荒々しく開けて、飛び出してきた青年がいた。

「有利…有利ーっっ!!」

 絶叫する兄の声に、くたりと脱力していた有利もぱちりと瞼を開く。まだ一人で立つ力はないようだが、細い腕は兄に向けて精一杯伸ばされた。

「勝…利」
「お兄ちゃんと呼べーっ!」

 相変わらずな台詞を号泣しながら口にする兄に、有利も泣き笑いの表情になった。

「勝利ってば、相変わらずだなぁ〜」
「だからゆーちゃん…っ!」

 《お兄ちゃんと呼べ!》ともう口にすることは出来なくて、勝利は涙を堪えながら有利の頭を掻き寄せ、額を合わせた。込みあげるものが強すぎて、声に出来ないのだろう。

「心配…したんだぞ!」
「ゴメンな…」

 《お兄ちゃん》は照れくさいのか、有利ははにかみながら《兄ちゃん》と甘く囁く。もうそれだけで勝利の顔は造作が崩壊してしまって、でろでろに下がった眦から溢れ出した涙が頬を伝い、とんでもない顔になってしまう。

「帰ろう、有利。俺たちの家に」
「うん…うん。お袋や親父も、心配してるよな?」
「当たり前だ!」

 一年の間に肉体も鍛えてきた勝利は、コンラートの腕から弟を渡されると、しっかりと抱えて頭髪に頬を擦り寄せた。

「心配して。そんで、俺と一緒で…お前はやるって、信じてたよ」
「うん…っ」

 感極まったように喉を詰まらせて、有利は兄の胸に顔を埋める。これには、さしも嫉妬深いコンラートやヴィクサムも、温かく見守るしかなかった。



*  *  * 




 有利は医療機関に搬送されて一通りの検査を済ませると、寝台に横たえられるなり、再び健やかな寝息を立てて眠ってしまった。緊張が解け、魔力を使い果たした身体は強く眠りを欲しているだろうから、誰も起こそうとはしなかった。ただ、やはり久方ぶりに再会した弟を置いて部屋を出ることはできなくて、 勝利は声を潜ませながらコンラート達に眞魔国での状況を聞いた。

 見慣れぬ威丈夫フォンヴォルテール卿グウェンダルと美少年フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは、コンラートの父親違いの兄弟であるという。着の身着のままでやって来た彼らは、コンラートも含めてびしょ濡れの軍服を脱ぐと、ボブがいつの間にか用意させていたスーツに着替えていた。仕立ての良い上着も用意されていたのだが、季節柄、少々暑いのでちゃんと着ているのは長兄と末弟だけで、次男はというと上着を脱いで少しラフに襟元をくつろげている。そういう格好をしていると信じられないが、彼らは遙か遠い眞魔国の貴族なのである。何というか、まるで中世の人物が現れたような不思議な感覚がある。

 また驚くべきことに、この三兄弟は全て《禁忌の箱》を封印した際に用いられた《鍵》を内包して生まれたのだという。有利もまたそうであったというから、眞王という男は意図的に同時代の近接した関係者を《鍵》が受け継がれるように工作していたようだ。

 ゲルト・アガザがそれを、《眞王が復活を目指していた》と見定めていたのはあながち間違いではなかったらしいが、眞王にとっても色々と誤算はあったらしい。何故なら、《鍵》が揃うその時に眞王自身は自律意志を失い、創主に取り込まれていたし、《鍵》自身が能動的に《箱》へと働きかけて、これを昇華させてしまうなど考えもつかなかったのである。また、有利が魔王としてどのような働きをしていくかも、眞王の予想を大きく越えていた。

 有利は眞王の後ろ盾を得て第27代魔王に就任すると、摂政であったシュトッフェルを正式な手続きの上で更迭した。退位して上王に収まったツェツィーリエも、今回については兄の哀願に絆されることはなかった。グウェンダルとヴォルフラムが、幾らか過剰なほどに熱弁をふるって、コンラートが《シュトッフェルの為にどれほどの苦役を乗り越えなければならなかったのか》を語りまくったのである。
 さしも脳天気なツェツィーリエも、呪われた死を遂げたかに思われていた次男の生還は衝撃であったらしく、《またコンラートに苦痛を与えるようなことがあってはならない》と長子、末子に念押しをされると、深く反省の色を示した。

 有利は宰相としてグウェンダルを就任させ、彼の薦めに従ってフォンクライスト卿ギュンターを王佐に据えた。そして国内事情がある程度落ち着いてくると、今度は《禁忌の箱》の行方を探した。

 すると、調査報告の中で《死の道》と呼ばれた国境沿いの渓谷が、かつての姿を取り戻して青々と緑を茂らせていることを知った。有利が石化の呪いを解いたことで、コンラート以外の動植物も元の姿を取り戻したらしい。
 有利はその報告を受けると、あることを思い出した。

『そういえば…コンラッドの呪いを解く時に、《地の果て》っぽい気配を感じたんだよね』

 有利は《死の道》に赴くと、そこで《地の果て》の気配を辿った。村田のブースター効果も借りて探知した先は、スヴェレラと呼ばれる人間の国であったので、まずはここに向けて旅をすることになった。

 勿論、コンラート達が単身行かせるはずもなく、ルッテンベルク軍の精鋭部隊をコンラートが指揮し、更に《地の果て》の鍵であるグウェンダルも同行しての旅だった。ちなみに、ヴォルフラムについては別に同行を頼んではいなかったのだが、すっかり仲良し兄弟になってしまったせいか、《僕を置いていく気か!》と癇癪を起こしたので結局一緒に行ったらしい。
 
 賑やか、かつ、危険も伴う旅を経て、有利は《地の果て》を昇華した。この時、最初はより強い魔力を発動出来る《上様》として力を使ったのだが、実は上手く行かなかった。地下と力のぶつかり合いになると、周囲の土の要素が激しく悲鳴を上げたのである。力でねじ伏せることで、彼らの父祖とも言える創造神が殺されることになるからだ。それは、少なからず世界を構築する健全な要素にも影響を与えるらしいと分かった。

 そこで方針転換した有利は一度《上様》からいつもの自分に戻ると、《ねじ伏せる》のではなく、《呼びかける》ことで《地の果て》の苦しみ、悶え、怒りに寄り添っていった。そうすることで、4000年間捻れに捻れていたかの存在は、本来あるべき姿…健やかな要素へと還っていったのである。

 この事件は、世界に衝撃を与えた。スヴェレラから金銭で《地の果て》を手に入れた小シマロンが公開実験によって箱を開放しようとする中、有利がこれを利用するのではなく、活用出来ないように分解してしまったという事実は、これまで固着していた《魔族は悪》という価値観を揺るがせるだけの力があったのである。

 人間国家の中には、有利を己の欲の為に利用しようとする者も出たが、同時に、世界を枯化から救うのは有利しかいないと、魔族に対する敵愾心を封じて接近をはかる者も出てきた。

 前者と戦い、後者と手を取りながら、有利は魔族と人間世界を繋いでいった。

「そして、あっちの世界に存在する三つの箱を全て昇華したってわけか…」

 勝利は深く椅子に腰掛けながら、深い息をついた。
 こうしてあらすじだけを説明されると実感が湧かないが、おそらく、それはとんでもなく困難なことであったはずだ。同種族である筈の人間ですら、《社会倫理》なんてものを持っている筈の現代に於いても譲れぬ拘りと憎しみによって戦い続けているというのに、4000年にも渡って敵と見なしてきた存在同士がたった一年の間に宥和を深め、《禁忌の箱》等という伝説の英雄にも破棄出来なかったものを昇華させてしまうなんて、誰にも想像出来なかったはずだ。

「ええ。そしてユーリは最後に残された《鏡の水底》をも昇華しました」

 コンラートがうっとりと崇拝を込めて有利の手を取り、甲に口吻すると、勝利としては軽い苛立ちと共に意地悪なことも言ってみたくなる。

「そうすると、《禁忌の箱》がどうにかなるまでは…と思っていた連中が、掌を返したように悪企みを始める可能性もあるなよ?」
「当然あるでしょうね。ですが、大丈夫です」
「そんな安請け合いして良いのか?《永遠の平和》なんてお伽噺の中にしか存在しないだろうよ」
「ええ、そうでしょうね。だからこそ、諦めずに希求し続ける指導者が必要なのではないですかね?」

 甘やかに微笑むコンラートはとろけるように優しい顔をして、有利の髪を撫でつける。まだ幼さを残す弟の寝顔を見ながら、勝利は不思議な感慨を抱いた。

 一年前の勝利が聞けば《不可能》と一笑に付したろう奇跡を、有利は本当に実現してしまっている。その事実以上に強いものがあるだろうか?

 銀細工の人形を肌身離さず持ち歩いていた、ちょっとおつむが弱くて、やたらと可愛い弟は、とてつもなく大きな運命の中にあるらしい。もしか、時代の節目に登場するという《運命の寵児》と言える存在なのかも知れない。

『お伽噺…か』

 昔から、勉強はできないのにやたらとお伽噺にだけは詳しかった有利に、《夢みたいなことばっかり言って》と、呆れていたものだが、この子は本当に実現してしまうのかも知れない。少なくとも《自分の治世期間中は、持続的に平和な世界》というものを。

「んにゅ〜…」

 枕に顔を埋めてふにゅふにゅと頬を擦り寄せているこの子どもが、そんなものになるのだろうか?

 にこにこ顔で有利を撫で続けるコンラートを見やりながら、勝利は予感した。
 奇跡のように蘇った《ルッテンベルクの獅子》を従えて、世界の覇王…世界を照らす太陽のような王となる弟の姿を。

『こういうの、兄馬鹿っていうのかな?』

 自分が構ってやらなければ、普通に生きていくことも出来ないのではないかと思っていた、お馬鹿チンで…それだけに、たまらなく可愛い弟。その子に対して、胸が熱くなるような崇拝を覚える。

『《我が主》…か』

 あんまり天気が良いので、開け放した窓からふわりと夏の風が吹き込んでくる。
 瑞々しい新緑の香りを含んだその風に、白いカーテンが揺れて有利たちに綺麗な光の帯を与えていた。

 この時、ゆらり…ゆらりと揺れる光が、眠る有利の頭にきらきらとした光を投げかけた。
 それはまるで妖精の作り出した神秘の王冠のように、有利の漆黒の頭を飾っていて、勝利は息を呑んで見惚れてしまった。

 そしてその感慨は、勝利だけのものではなかったらしい。

 すっくと立ち上がったコンラートに、勝利ははっとして息を呑んだ。彼は真新しいシャツに身を包んでいるのだが、そこに眩しい陽光が当たると銀色の鎧でも身につけているみたいに輝いて見えるのだ。簡素な病室の中で、そこだけがかつて心ときめかせて読んだ英雄譚の挿絵めいていて、眩しそうに勝利は目を細める。

 コンラートは恭しい動作で完璧な騎士の礼をとると、深々と獅子に喩えられる頭(こうべ)を垂れた。


 至尊の冠を戴く、主君への忠誠を込めて。 




おしまい





あとがき


 何とかかんとか、「お伽噺を君に」、完結しました!

 「螺旋円舞曲」や「獅子の系譜」で長々と語った《禁忌の箱》の昇華とか、人間の国々との交流なんかははしょるつもりでいたので、これらのお話に比べるとお話のボリュームや重厚感は少なかったと思うのですが、まあ、小説というよりお伽噺のノリで愉しんで頂ければ幸いです。

 この後、コンラートが有利とイチャラブしてヴィクサムに「俺たち、身体もデキてます」 と知らしめたり、三兄弟で地球観光とかいった展開も考えたのですが、本編に入れちゃうと落とし処が分からなくなるので、取りあえずいったんここで終わります。

 それに、三兄弟の地球観光って、結構色んなサイトさんやマニメで拝見しているのですが、お題としては物凄くわくわくドキドキして「地球人はどんな反応をするのかしら!?」と思うのですが、意外と特色があって面白い展開って思いつかない…。「なんて素敵な人たちかしら!」と言ってきゃーきゃーするシーンしか思いつかないんですよ〜(汗)

 何か面白いエピソードが浮かんだら、いつか後日談として短編を書きますね♪